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アーサー王 - Wikipedia コンテンツにスキップ

アーサーおう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
きゅう偉人いじん一人ひとりとしてのアーサーおうタペストリー1385ねんころ

アーサーおう英語えいご: King Arthur)は、5世紀せいき後半こうはんから6世紀せいきはじめのブリトンじん君主くんしゅ

アーサーおうぞう
アルブレヒト・デューラーさくペーター・ヴィッシャー鋳造ちゅうぞう1480ねんころインスブルック宮廷きゅうていない教会きょうかい[1]

中世ちゅうせい歴史れきししょ騎士きしどう物語ものがたりでは、アーサーおう6世紀せいきはじめにローマン・ケルトのブリトンじんひきいてサクソンじん侵攻しんこう撃退げきたいした人物じんぶつとされる。一般いっぱんアーサーおう物語ものがたりとしてられるものはそのほとんどが民間みんかん伝承でんしょう創作そうさくによるものであり、アーサーおう実在じつざいしたかについては2017ねん時点じてんでも歴史れきし議論ぎろんつづけている[2]かれ史実しじつせい証明しょうめいする記述きじゅつは『カンブリア年代ねんだい(Annales Cambriae)』、『ブリトンじん歴史れきし(Historia Brittonum)』、およびギルダスちょブリタニアの略奪りゃくだつ征服せいふく(De Excidio et Conquestu Britanniae)』に断片だんぺんてきのこされている。また、アーサーという名前なまえは『ア・ゴドズィンY Gododdin)』などの初期しょき中世ちゅうせいウェールズにもられる[3]

伝説でんせつじょうおうとしてのアーサーおうは、12世紀せいきジェフリー・オブ・モンマスによる歴史れきししょブリタニアれつおう(Historiae Regum Britanniae)』が人気にんきはくしたことによりくにえてひろまった[4]。ジェフリー以前いぜんウェールズブルターニュ伝承でんしょうにもアーサーおうかんするものが存在そんざいするが、それらのなかではちょう自然しぜんてき存在そんざい人間にんげんからブリタニアをまも屈強くっきょう戦士せんしとして、あるいはウェールズじんのあのであるアンヌン(Annwn)に関係かんけい魔法まほうてき人物じんぶつとしてえがかれている[5]1138ねんに『れつおう』をげたとされるジェフリーがこれらをどれほど利用りようしたか、利用りようしたとしてその割合わりあいかれ自身じしん創作そうさくした部分ぶぶんよりおおかったかなどについてはくわしくわかっていない。

アーサーおう伝説でんせつ作品さくひんによって登場とうじょう人物じんぶつ出来事できごと、テーマがかなりことなるため、原典げんてんとなる作品さくひん存在そんざいしない。ただし、ジェフリーの『れつおう』がこう作品さくひんぐん出発しゅっぱつてんになったことはたしかである。ジェフリーのえがくアーサーは、サクソンじん撃退げきたいし、ブリテンアイルランドアイスランドノルウェーガリア現在げんざいフランス)にまたがるだい帝国ていこく建設けんせつした人物じんぶつとなっている。アーサーのちちユーサー・ペンドラゴン魔法使まほうつかマーリン王妃おうひグィネヴィアエクスカリバーティンタジェルじょうモードレッドとの最終さいしゅう決戦けっせんカムランのたたか)、アーサーおうアヴァロンへの船出ふなでといった、現在げんざいのアーサーおう物語ものがたりになくてはならない要素ようそやエピソードのおおくがジェフリーの『れつおう』の時点じてんですでに登場とうじょうしている。12世紀せいきのフランスの詩人しじんクレティアン・ド・トロワはこれらにさらにランスロットひじりはい追加ついかし、アーサーおう物語ものがたり中世ちゅうせい騎士きしどう物語ものがたり題材だいざいひとつとして定着ていちゃくさせた。ただし、フランスのロマンスでは、アーサーおうよりも円卓えんたく騎士きしはじめとするほかの登場とうじょう人物じんぶつはなし中心ちゅうしんうつっていることがおおかった。アーサーおう物語ものがたり中世ちゅうせいにひろく流行りゅうこうしたが、そのすう世紀せいきのうちにすたれてしまった。しかし、19世紀せいき人気にんき復活ふっかつし、21世紀せいきいまでも文学ぶんがくとしてのみならず、演劇えんげき映画えいがテレビドラマ漫画まんがビデオゲームなどおおくのメディアでつづけている。

実在じつざいせい議論ぎろん[編集へんしゅう]

アーサーおう伝説でんせつ実在じつざいせい学者がくしゃによって長期ちょうきにわたり議論ぎろんされてきた。最初さいしょのアーサーの言及げんきゅう9世紀せいきラテン語らてんごのテキストにられる。『ブリトンじん歴史れきし』と『カンブリア年代ねんだい』の記述きじゅつ根拠こんきょに、アーサーは実在じつざい人物じんぶつで、5世紀せいき後半こうはんから6世紀せいきはじめにアングロサクソンじんたたかったローマン・ケルトの指導しどうしゃだったとするせつがある。『ブリトンじん歴史れきし』は、ウェールズの修道しゅうどうネンニウスさくとされる9世紀せいきラテン語らてんご歴史れきししょで、いくつかの写本しゃほんのこされている。これにはアーサーがブリトンじんおうたちともにサクソンじんとの12かいにわたるせんおこなったこと最後さいごせんバドニクスさん(ベイドンさん)のたたかで、アーサーがわいち襲撃しゅうげきによりいちにちで960にんてきたおだい勝利しょうりわったことかれている。しかし、最近さいきん研究けんきゅうでは『ブリトンじん歴史れきし』の信用しんようせい疑問ぎもんげかけられている[6]

もうひとつのアーサーの史実しじつせい証明しょうめいする史料しりょうは、10世紀せいきの『カンブリア年代ねんだい』である。これもアーサーをバドニクスさんたたかいとかかわりのある人物じんぶつとしている。『カンブリア年代ねんだい』によると、このたたかいがおこなわれたのは518ねんのことで、メドラウド(モードレッド)とアーサーがにしたカムランのたたか539ねんきたとされる。従来じゅうらいはこの記述きじゅつが『ブリトンじん歴史れきし』の記述きじゅつ信用しんようせい保証ほしょうするものであり、アーサーが本当ほんとうにバドニクスさんたたかいをおこなったことを証明しょうめいするものとされてきた。しかし、『ブリトンじん歴史れきし』を補強ほきょうする史料しりょうとして『カンブリア年代ねんだい』を利用りようすることにたいし、いくつかの問題もんだい指摘してきされている。最新さいしん研究けんきゅうによると『カンブリア年代ねんだい』は8世紀せいき後半こうはんのウェールズの年代ねんだいもとにしているという。しかし、『カンブリア年代ねんだい』は複雑ふくざつ経緯けいい成立せいりつした作品さくひんで、アーサーの記述きじゅつが8世紀せいき後半こうはん時点じてん存在そんざいしていたことをたしかめることは困難こんなんである。本来ほんらいこの記述きじゅつはまったく存在そんざいせず、10世紀せいきになってはじめて資料しりょう参考さんこうにして追加ついかされた可能かのうせいがある。ぎゃくに、バドニクスさん箇所かしょは『ブリトンじん歴史れきし』に由来ゆらいするのかもしれないのである[7]

このように、アーサーの歴史れきしせい証明しょうめいする、信頼しんらいできる初期しょき史料しりょう非常ひじょうとぼしい。そのため現代げんだいおおくの歴史れきしがローマ影響えいきょう時代じだいのブリテンとう歴史れきし叙述じょじゅつでアーサーを除外じょがいしている。歴史れきしトーマス・チャールズ=エドワーズは、「げん段階だんかいでは、アーサーという人物じんぶつはいたかもしれない、としかいようがない。歴史れきしとしてアーサーを評価ひょうかすることは不可能ふかのうである」としている[8]。このような見方みかた最近さいきん比較的ひかくてき一般いっぱんてき見解けんかいである。すこまえ世代せだい歴史れきしはもっと楽観らっかんてきで、歴史れきしジョン・モリスは著作ちょさく『アーサーの時代じだい』でアーサーの統治とうち時代じだいマ帝国まていこく以後いごのブリテンとアイルランドの歴史れきし初期しょき段階だんかいいている。ただし、モリスは歴史れきしじょうのアーサーについてほとんどなに記述きじゅつしていない[9]

カンブリア年代ねんだい手写しゅしゃほん c. 1100

以上いじょうのような、限定げんていてきにせよアーサーおう史実しじつせいみとめるせつたいし、アーサーという人物じんぶつ歴史れきしじょうまった存在そんざいしなかったと主張しゅちょうするせつがある。考古こうこ学者がくしゃノーウェル・マイヤーズは前述ぜんじゅつのモリスの『アーサーの時代じだい』にたいし、「歴史れきし神話しんわ境界きょうかい人物じんぶつ歴史れきし時間じかんついやすようなことはいちたりともない」とべている[10]6世紀せいきギルダスの『ブリタニアの略奪りゃくだつ征服せいふく』は、バドニクスさんたたかいの記憶きおくがまだのこ時代じだいかれたものである。にもかかわらず、たたか自体じたい記述きじゅつはあるもののアーサーについてはなにかれていない[11]。『アングロサクソン年代ねんだい』にもアーサーの記述きじゅつはない。もうひとつのポスト・ローマ時代じだいのブリタニアの重要じゅうよう史料しりょうである8世紀せいきベーダの『えい国民こくみん教会きょうかい(Historia ecclesiastica gentis Anglorum)』も、バドニクスさんにはれているがアーサーのかれていない[12]。それどころか、400ねんから820ねんかれたあらゆる写本しゃほんにはアーサーは名前なまえすら登場とうじょうしないのである[13]歴史れきしデーヴィッド・ダンヴィルはつぎのようにいている。「われわれはアーサーにかんし、非常ひじょう簡潔かんけつことませることができるとおもう。かれ歴史れきししょ登場とうじょうするのは「ところけむりたぬ」とかんがえる学者がくしゃがいるからである。この問題もんだい実際じっさいのところ、アーサーの歴史れきしせい証明しょうめいする証拠しょうこはまったく存在そんざいしないという、ただそれだけのことだ。アーサーを歴史れきししょくわえてはならないし、アーサーにかんするほん歴史れきししょぶべきではない[14]。」

アーサーは最初さいしょから民間みんかん伝承でんしょう(フォークロア)の架空かくう英雄えいゆうだったのだ、と主張しゅちょうする学者がくしゃもいる。ヘンギストとホルサ本来ほんらいケント氏族しぞくしんうまつかさどかみだったが、後世こうせい歴史れきしじょう人物じんぶつとされた。ベーダの『えい国民こくみん教会きょうかい』では、この二人ふたりは5世紀せいきのアングロサクソンじんによるブリテンとう東部とうぶ征服せいふく指導しどうした人物じんぶつになっている。)との類似るいじてん指摘してきして、アーサーもじつなかわすられたケルトのかみで、のち歴史れきしじょう出来事できごとむすけられたとする学説がくせつもある[15]。なお、初期しょき史料しりょうによるとどう時代じだい人々ひとびとはアーサーをおうかんがえていなかったらしい。『れつおう』や『カンブリア年代ねんだい』にはかれ称号しょうごうとして「おう(rex)」が使つかわれておらず、『れつおう』では「戦闘せんとう指揮しきかん(dux bellorum)」、あるいはたんに「兵士へいし(miles)」とばれているにすぎない[16]

ポスト・ローマ時代じだい史料しりょうにとぼしく、そのためアーサーの歴史れきしせい問題もんだい明確めいかくこたえをすのは困難こんなんである。12世紀せいき以降いこうすうおおくの遺跡いせき場所ばしょが「アーサー時代じだいのもの」とされてきたが、考古学こうこがくてきには、しっかりした年代ねんだい測定そくてい碑文ひぶん調査ちょうさとおすと名前なまえ以上いじょうのことはなにあきらかにできていない[17]1998ねんコーンウォールのティンタジェルじょう遺跡いせきで「アーサーのいし」なるものが発見はっけんされ話題わだいになったが、実際じっさいには無関係むかんけいであることが証明しょうめいされた[18]。「グラストンベリーの十字架じゅうじか」など、のアーサーにかんする碑文ひぶん資料しりょうのいずれも贋作がんさくうたがいをのがれるものはない[19]。アーサーの原型げんけいとなった人物じんぶつとしてすうめい歴史れきしじょう人物じんぶつげられているが、どれもそれらがアーサーであることを裏付うらづける確実かくじつ証拠しょうこ発見はっけんされていない(具体ぐたいてきには、2世紀せいきないし3世紀せいきブリタニア進駐しんちゅうしていたローマじん将校しょうこうルキウス・アルトリウス・カストゥス[20]簒奪さんだつみかどマグヌス・マクシムス、ローマ影響えいきょうのブリタニアを統治とうちしたとされるすうめい人物じんぶつリオタムス[21](Riothamus)、アンブロシウス・アウレリアヌス[22]オウェイン・ダヌイン[23](Owain Ddantgwyn)、アスルイス・アプ・マウリグ[24](Athrwys ap Meurig)など)。 1136ねんにはウェールズじんジェフリー・オヴ・モンマスのいた『ブリテンれつおう』がはじめてアーサーのぜん生涯しょうがいくわしくをべているが、これはすでに著者ちょしゃ空想くうそうおおくの部分ぶぶんめている。

アーサーおう物語ものがたりにおいて[編集へんしゅう]

アーサーおうハワード・パイル『アーサーおう騎士きしたち』の挿絵さしえ

アーサーおう伝説でんせつじょう物語ものがたりはその配下はいかの12にん円卓えんたく騎士きしたちの物語ものがたりとともにかたがれ、おおくのバリエーションをつが、次第しだい理想りそうキリスト教きりすときょうてき君主くんしゅとしてえがかれるようになっていく。ロマン主義しゅぎ時代じだいにも作品さくひんのモチーフとして非常ひじょうこのまれ、現代げんだいでもしばしば映画えいが題材だいざいとなっている。物語ものがたり細部さいぶともない、円卓えんたく騎士きしかず次第しだい増加ぞうかしていった。またアーサーおう伝説でんせつは、きよしはい伝説でんせつなどともむすびついていく。

それらの伝説でんせつなかでユーサー・ペンドラゴンの息子むすこアーサーは、「これをいたものおうとなるだろう」とかれた台座だいざさっていたけんき、魔法使まほうつかいマーリンのたすけで名君めいくん成長せいちょうしていく。その途中とちゅうみずうみなかせいけんエクスカリバー入手にゅうしゅしたり、キャメロットじょう拠点きょてんとして巨人きょじん退治たいじやローマ遠征えんせいなど様々さまざま冒険ぼうけんかさねフランスやイタリアなどを支配しはいする巨大きょだい王国おうこくとなる。

グィネヴィアというむかえて、アーサーは諸侯しょこう騎士きしたちを臣下しんかむかえて円卓えんたくせきあたえ、こうして有名ゆうめい円卓えんたく騎士きし結成けっせいされた。

しかしランスロットと不義ふぎから円卓えんたく騎士きしだん崩壊ほうかいする。ランスロットとたたかうためにフランスに出兵しゅっぺいし、くに異父いふあねとの不義ふぎモルドレッドを摂政せっしょう任命にんめいすることでまかせた。だがモルドレッドは謀反むほんこしたのである。そして、モルドレッドはグィネヴィアを自分じぶんむかえようとしたが、グィネヴィアは拒絶きょぜつし、ロンドンとう籠城ろうじょうしたので、モルドレッドはぐんひきいてかこんだ。事情じじょういて軍勢ぐんぜいひきいてもどったアーサーおうたたかい、カムランのたたかいでモルドレッドといちちし、やりしてるものの、深手ふかでう。

そのベディヴィア指示しじしてみずうみ水面すいめんからあらわれたせいけんエクスカリバーをかえし、小船こぶねる。アヴァロンのしまきずいやしにったのだといわれる。またアーサーおうアレクサンドロス3せいみずうみ乙女おとめとの子孫しそんである[25]

ナルト叙事詩じょじしとの関連かんれん[編集へんしゅう]

アーサーおうをはじめとする伝説でんせつおおくは、従来じゅうらいケルト由来ゆらいするというのが有力ゆうりょくせつであった。しかし近年きんねんでは黒海こっかい東岸とうがんオセットじんナルト叙事詩じょじし共通きょうつう起源きげんつというせつ注目ちゅうもくされている[26]。このせつとく注意ちゅういされているうちのひとつは、アーサーおうとナルト叙事詩じょじしだい英雄えいゆうバトラズとのあいだ顕著けんちょ類似るいじみとめられることである。

アーサーおう直前ちょくぜんベディヴィアにみずうみにエクスカリバーをむよう指示しじする。しかしベディヴィアはエクスカリバーのうつくしさに見惚みほれてみずうみんだとうそをつく。しかしアーサーおう奇跡きせき(つまりみずうみからあらわれてけんる)がきないことを理由りゆうにそのうそ見抜みぬき、仕方しかたなくベディヴィアはけんみずうみれる。一方いっぽうのバトラズも直前ちょくぜんナルトたちに自分じぶん神剣しんけんうみむようめいじる。しかしそのけんのあまりのおもさゆえに、ナルトたちがうみれたとうそをつくと、やはりなに奇跡きせききていないことを理由りゆうにそのうそ見抜みぬき、ナルトたちは仕方しかたなくけんうみむ。奇跡きせき内容ないようなどちがいもあるが、物語ものがたり構成こうせい類似るいじ保存ほぞんされている、とろんじられている。

名前なまえ[編集へんしゅう]

アーサーという名前なまえ由来ゆらい議論ぎろんまととなっている。ローマ氏族しぞくめいアルトリウス(Artorius)が由来ゆらいとするせつがあるが、この氏族しぞくめい自体じたい語源ごげんがはっきりしていない[27](ただし、メッサピア[28][29][30]エトルスキ[31][32][33]可能かのうせい指摘してきされている)。学者がくしゃによっては、初期しょきラテン語らてんごのテキストにはArturusとあるのみでArtoriusという語形ごけいいちてこないという事実じじつをこの議論ぎろん関連付かんれんづけてろんじることがある。しかし、このことはアーサーの由来ゆらいについてなにがかりにもならない。なぜなら、Artoriusはウェールズ借用しゃくようされるときはかならずArt(h)urとつづられたからである[34] 。ただし、古典こてんラテン語らてんごのArtoriusはぞくラテン語らてんご方言ほうげんでArturiusとつづられることがあったことは留意りゅういすべきである。

もうひとつの可能かのうせいとしては、ブリソンちちしょう*Arto-rīg-ios(*Arto-rīgは「くまおう」を意味いみし、アイルランド人名じんめいArt-riにあらわれている)がラテン語らてんごがたのArtoriusを経由けいゆしたもの、というせつがある[35]。また、これより一般いっぱんてきだが信憑しんぴょうせいひくせつに、ウェールズのArth「くま」+(g)wr「おとこ」に由来ゆらいするというものがあるが、これは音声おんせいがくてき無理むりがある。この推論すいろんまえると、ブリソン複合語ふくごうご*Arto-uriosはウェールズでは*Artgur、中世ちゅうせい現代げんだいウェールズでは*Arhwrという語形ごけい発生はっせいするはずだが、実際じっさいのこされた語形ごけいはArthurのみである。ウェールズにおいてアーサーのつねにArthurとつづられ、かならず-ur-の語尾ごびかたり脚韻きゃくいんんでいる。-wr-のかたり脚韻きゃくいんむことはいちもなく、このことからだい音素おんそが[g]wrであることはありえないという[36][37]

学説がくせつでは、これは学者がくしゃなかでも限定げんていてきにしかれられていないが、アーサーといううしかい恒星こうせいアークトゥルス(Arcturus)に由来ゆらいするというせつがある[38][39][40][41][42][43]。アークトゥルスは古代こだいギリシア由来ゆらいする言葉ことばで「くま守護しゅごしゃ」を意味いみする。このほしおおぐまちかく、またかがやきがつよいことからとそうばれるようになったという。古典こてんラテン語らてんごのArcturusがウェールズ借用しゃくようされたさいに、Art(h)urとつづりが変化へんかしたのだとされる[44]。また、ジョン・トレヴィサが翻訳ほんやくした1398ねんごろバルトロマエウス・アングリクスちょ物性ぶっせいろん』は、アーサー、アーサーおう、アークトゥルス、そら、おおぐま北斗七星ほくとしちせい(「おおぐま付近ふきんななぼし(“the seven stars in nearby Ursa Major”)」)、「アーサーのくるま(“Arthur's Wain”)」という一連いちれん意味いみふくんでいる[45]

Arthurに語形ごけいちかアイルランド人名じんめいにArtúrがあり、これは初期しょきウェールズのArturを直接ちょくせつ借用しゃくようしたものとかんがえられている[46]。この名前なまえは、歴史れきしじょう人物じんぶつ名前なまえとしてはアイザーン・マク・ガヴァーン(Áedán mac Gabráin)のあるいはまご名前なまえとして登場とうじょうするのが最初さいしょれいとされる(紀元きげん609ねんころ[47]

中世ちゅうせい文学ぶんがく[編集へんしゅう]

現在げんざいしたしまれているアーサーぞうつくりだした人物じんぶつは、1130ねんころにせブリタニアれつおう』をいたジェフリー・オブ・モンマスである。ジェフリー以降いこう作品さくひんはすべてかれ影響えいきょうおおきくけており、そのためアーサーにかんする原典げんてん資料しりょうはジェフリー以前いぜん以降いこうけるのが一般いっぱんてきである。ジェフリーの以前いぜん時代じだいはプレ・ガルフリディアン(Pre-Galfridian;ジェフリーのラテン語らてんごめいGalfridusに由来ゆらいする)、以降いこう時代じだいはポスト・ガルフリディアン(post-Galfridian, あるいはたんにガルフリディアン)とばれている。

ジェフリー以前いぜん[編集へんしゅう]

『ア・ゴドズィン』の写本しゃほんc. 1275

アーサーへの言及げんきゅうがある最古さいこ文学ぶんがく作品さくひんウェールズブルターニュのものである。ジェフリー以前いぜんのアーサーの一般いっぱんてき性質せいしつ特徴とくちょう個々ここ作品さくひんえて定義ていぎしようとするこころみはなんおこなわれてきた[48]。トーマス・グリーンによっておこなわれた最近さいきん学術がくじゅつ調査ちょうさによると、初期しょき時代じだいのアーサーにかんするの記述きじゅつには3つのかぎとなる要素ようそがあるという。ひとは、内外ないがいからやってくるすべての脅威きょういからブリテンをまも無比むひ戦士せんし、というものである。その脅威きょういひとつが『れつおう』に登場とうじょうするサクソンじんだが、おおくはちょう自然しぜんてき怪物かいぶつ、すなわち巨大きょだいねこせいなるいのししりゅう犬頭いぬがしらじん巨人きょじん魔法使まほうつかなどである[49]ふたは、おとぎばなしとく地名ちめい語源ごげん説明せつめいする物語ものがたり魔法まほうてくる物語ものがたり)に登場とうじょうする、荒野あらのらす超人ちょうじんてき戦士せんしだんながというものである[50]最後さいごみっは、ウェールズじん他界たかいアンヌンふかかかわりを人物じんぶつ、というものである。伝承でんしょうひとつに、アーサーがたからもとめて、あるいはとらわれた仲間なかま解放かいほうするために他界たかいとりで攻撃こうげき仕掛しかけるというものがある。また、初期しょき資料しりょうかれているアーサーの戦士せんしだんにはケルトのかみ前身ぜんしんとするものがおり、アーサーのつまものあきらかに他界たかい由来ゆらいする[51]

アーサーに言及げんきゅうのあるウェールズのもっと有名ゆうめいなものは『ア・ゴドズィン』におさめられている。『ゴドズィン』は英雄えいゆううたった詩集ししゅうで、6世紀せいき詩人しじんアネイリンさくつたえられている。そのなか一連いちれん(スタンツァ)に、300にんころした戦士せんし勇敢ゆうかんさをたたえるものがあるが、その部分ぶぶんでそれでもその戦士せんしは「アーサーではない」(すなわちアーサーの武勇ぶゆうにはおよばない)とある[52]。『ゴドズィン』は13世紀せいき写本しゃほんによってのみられるため、上述じょうじゅつのスタンツァがもともとかれていたものか、あるいはのち挿入そうにゅうされたものかを断定だんていすることは不可能ふかのうである。この箇所かしょが7世紀せいきかそれ以前いぜんのものである、というジョン・コッホのせつ実証じっしょうされておらず、また、9世紀せいきか10世紀せいき、というせつなんとなえられている[53]。6世紀せいききたとされる詩人しじんタリエシンさくとされるすうへんにもアーサーにれているものがあるが、それらはみな8世紀せいきから12世紀せいき作品さくひんかんがえられている[54]。そのなかには、「祝福しゅくふくされたものアーサー」という言葉ことばがある『王子おうじ椅子いす(Kadeir Teyrnon)』[55]、アーサーの他界たかいへの冒険ぼうけんかたられる『アンヌンの略奪りゃくだつひん(Preiddeu Annwn)』[56]、アーサーの武勇ぶゆうと、ジェフリー以前いぜんにユーサーとアーサーの親子おやこ関係かんけいにおわせる数少かずすくない作品さくひんである『ユーサー・ペン(ドラゴン)の哀歌あいか(Marnwnat vthyr pen[dragon])』[57]などがある。

マビノギオンもとになった写本しゃほんいちさつであるヘルゲストの赤本あかほんのファクシミリ

ウェールズのアーサーおう関連かんれんのテクストに、カーマーゼンの黒本くろもとおさめられた門番もんばんだれだ?(Pa gur yv y porthaur?)』がある[58]。このはアーサーと城砦じょうさい門番もんばん対話たいわ形式けいしきとなっており、城砦じょうさいにゅうろうとするアーサーが門番もんばんたい自分じぶんとその部下ぶかとくにカイ(ケイ)とベドゥイル(ベディヴィア))の名前なまえ事績じせき物語ものがたる、という内容ないようである。現代げんだいの『マビノギオン(Mabinogion)』におさめられた散文さんぶん『キルッフとオルウェン(Culhwch and Olwen)』(1100ねんころ)にはアーサーおう部下ぶかが200めい前後ぜんこうげられており、カイとベドゥイルが活躍かつやくする。この物語ものがたりは、巨人きょじん首領しゅりょうイスバザデン(Ysbaddaden)のむすめオルウェンとの結婚けっこんをかけ、主人公しゅじんこうキルッフがアーサーとその戦士せんしたちのたすけをけつつ、イスバザデンによってされた数々かずかず困難こんなん試練しれんトゥルッフ・トゥルウィスせいなるだいいのししたおすなど)に挑戦ちょうせんするというものである。9世紀せいきの『ブリトンじん歴史れきし』にも同様どうようのエピソードがあるが、ここではだいいのししはトロイ(ン)ト(Troy(n)t)という名前なまえになっている[59]最後さいごに、『ウェールズのさん題詩だいし(Welsh Triads)』でもアーサーのなん言及げんきゅうされている。これはウェールズの伝承でんしょう伝説でんせつみじか要約ようやくして、それぞれ関連かんれんのある3くみ人物じんぶつやエピソードごとにまとめたものである。後期こうきの『さん題詩だいし』の写本しゃほんにはジェフリーやフランスの伝承でんしょううつした部分ぶぶんがあるが、最初さいしょ写本しゃほんはそれらの影響えいきょうられず、現存げんそんするものよりもふるいウェールズの伝承でんしょうつたえているとかんがえられている。そこではすでにアーサーの宮廷きゅうてい伝説でんせつじょうのブリテンとうひとしい存在そんざいとしてえがいており、「ブリテンとうみっつの〜」という定型ていけいが「アーサーの宮廷きゅうていみっつの〜」という表現ひょうげんにたびたびいいかえられている[60]。『ブリトンじん歴史れきし』や『カンブリア年代ねんだい』のころからすでにアーサーがおうかんがえられるようになっていたのかは不明ふめいだが、『キルッフとオルウェン』や『さん題詩だいし』ではアーサーは「このしま(ブリテンとう)の諸侯しょこう首領しゅりょう(Penteymedd yr Ynys hon)」であるとかれている[61]

ここまでにべたジェフリー以前いぜんのウェールズの物語ものがたりくわえて、『ブリトンじん歴史れきし』や『カンブリア年代ねんだい以外いがいラテン語らてんごのテキストにもアーサーが登場とうじょうしている。とくに、一般いっぱんには歴史れきし史料しりょうとしてなされない、すうおおくの有名ゆうめいポスト・ローマせい人伝ひとづて(vitae, 最初さいしょのものは11世紀せいきのものとされる)にアーサーのえる[62]12世紀せいき初期しょきスランカーファンのカラドック(Caradoc of LLancarfan)によってかれた『せいギルダスでん』では、アーサーはギルダスの兄弟きょうだいフエルをころし、さらにグラストンベリーからグウェンフィヴァル(グィネヴィア)をさらってったとされる[63]。1100ねんごろかそれよりすこまえスランカーファンのリフリス(Lifris of LLancarfan)がいた『せいカドクでん(Cadoc)』では、せいカドクはアーサーの兵士へいしさんにんころしたおとこ保護ほごし、それにたいしてアーサーはんだ兵士へいし賠償金ばいしょうきん(wergeld)としていちぐんうし要求ようきゅうする。カドクはわれたとおりうしとどけるが、アーサーがれた途端とたんうしれはシダのたば変化へんかしてしまう[64]おなじようなはなしは12世紀せいきごろかれた『せいカラントクスでん(Carantcus)』、『せいパテルヌスでん(Paternus)』、『せいエウフラムスでん(Eufflamus)』にもえる。11世紀せいき初期しょきかれたとされる『せいゴエズノヴィウスの伝説でんせつ(Legenda Sancti Goeznovii)』(ただし、もっとふる写本しゃほん15世紀せいきのものである)には、これらよりも伝説でんせつしょくうすいアーサーのはなし登場とうじょうする[65]マームズベリのウィリアムの『イングランド諸王しょおう事績じせき(De Gentis Regum Anglorum)』とエルマン(Herman)の『ランのせいマリアの奇跡きせき(De Miraculis Sanctae Mariae Laudensis)』のアーサーに言及げんきゅうしている箇所かしょ重要じゅうようである。このニしょは「アーサーはんだのではなく、いつのかえってくる」という信仰しんこう登場とうじょうする、実証じっしょうされている最初さいしょれいである。この「アーサーおう帰還きかん伝説でんせつen:King Arthur's messianic return)」はジェフリー以降いこう頻繁ひんぱん登場とうじょうするテーマである[66]

ジェフリー・オブ・モンマス[編集へんしゅう]

アーサーの最後さいごてきモードレッド(ヘンリー・フォードによるアンドリュー・ラング『アーサーおう円卓えんたく物語ものがたり』(1902ねん)の挿絵さしえ

アーサーの生涯しょうがい最初さいしょひとつの物語ものがたりにしたものはジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニアれつおう』である。1138ねん完成かんせいしたこの作品さくひん伝説でんせつじょうのトロイじん漂流ひょうりゅうしゃブルートゥスから7世紀せいきのウェールズおうカドワラダ(Cadwaladr)までのブリテンの諸王しょおう歴史れきし空想くうそうてきに、あるいは現実げんじつてきしるしている[67]。『ブリトンじん歴史れきし』や『カンブリア年代ねんだい』とおなじく、ジェフリーはアーサーをポスト・ローマ時代じだい人物じんぶつとしている。アーサーのちちユーサー、魔法使まほうつかいの助言じょげんしゃマーリン、そしてアーサーの誕生たんじょう物語ものがたり(マーリンの魔法まほうによってユーサーのてきゴルロワ(Gorlois)にけたユーサーがティンタジェルじょうでゴルロワのつまイグレインと同衾どうきんし、アーサーを妊娠にんしんする)がかたられる。ユーサーがんで15さいのアーサーがブリテン王位おういぐと、『ブリトンじん歴史れきし』でかたられたような、バドニクスさんたたかいを頂点ちょうてんとする数々かずかずたたかいをひろげる。アーサーはピクトじんスコットじん討伐とうばつし、アイルランド、アイスランド、オークニー諸島しょとう征服せいふくし、だい帝国ていこくてる。12ねん平穏へいおんのちにアーサーはふたた帝国ていこく拡張かくちょう着手ちゃくしゅし、ノルウェー、デンマーク、ガリア(フランス)を占領せんりょうする。当時とうじガリアはマ帝国まていこくふくしていたため、アーサーは今度こんどマ帝国まていこく対峙たいじすることになる。帝王ていおうアーサーとカイウス(Caius, ケイ)、ベドゥエルス(Beduerus, ベディヴィア)、ガルガヌス(Gualguanus, ガウェイン)をはじめとする戦士せんしたちはガリアでローマ皇帝こうていルキウス・ティベリウスやぶるが、ローマへの進軍しんぐん準備じゅんびしているときにアーサーはブリテンとうまもりをゆだねていたおいモドレドゥス(Modredus, モードレッド)がアーサーのつまゲンフウアラ(Guenhuuara, グィネヴィア)と結婚けっこんし、王位おうい簒奪さんだつしたことをる。アーサーはすぐにブリテンに帰還きかんし、コーンウォールのカンブラムがわ(Camblam)でモドレドゥスをやぶり、殺害さつがいするが、アーサーは瀕死ひんし重傷じゅうしょうってしまう。かれ血縁けつえんコンスタンティン王位おういゆずり、きずいやすためにアヴァロンしまられる。アーサーはそこから二度にどかえってることはなかったという[68]

魔法使まほうつかマーリン, c. 1300[69]

この物語ものがたりにジェフリーの創作そうさくがどれほどふくまれていたかは現在げんざいでも議論ぎろんされている。サクソンじんとの12のたたかいは9世紀せいきの『ブリトンじん歴史れきし』から、カムランのたたかは『カンブリア年代ねんだい』からとられたのはたしかとされる[70]。アーサーのブリテンおうという地位ちいもジェフリー以前いぜんの『キルッフとオルウェン』や『ウェールズのさん題詩だいし』、各種かくしゅ聖人せいじんでんなどにられる伝承でんしょうからとられたのかもしれない[71]くわえて、ジェフリーのえがくアーサーのおおくの要素ようそは『キルッフとオルウェン』につよ相似そうじせいられ、忠誠ちゅうせい名誉めいよ巨人きょじん贈与ぞうより、魔法まほう品々しなじななどといったモチーフやテーマは両方りょうほう共通きょうつうする。さらに、モンマスは『キルッフとオルウェン』からおおくの人物じんぶつめい引用いんようしている(サー・ケイはカイ、サー・ベディヴィアはベドウィル、サー・ガウェインはグアフメイ(Gwachmei)に相当そうとうする)。また、両者りょうしゃのヒロインの名称めいしょうており、グィネヴィアは「しろ亡霊ぼうれい」という意味いみで、一方いっぽうでオルウェンは「しろ足跡あしあと」という意味いみである[72]。アーサーのもの縁者えんじゃ側近そっきん名前なまえもジェフリー以前いぜんのウェールズの伝承でんしょうから借用しゃくようしているとかんがえられる(カリブルヌス(Caliburunus, エクスカリバー)はカレドブルフ(Caledfwlch)、グィネヴィアはグウェンフィヴァル(Gwenhwyfar)、ユーサーはウトゥル(Uthyr)にそれぞれ由来ゆらいする)[73]。このように名前なまえ重要じゅうよう出来事できごと称号しょうごう古来こらい伝承でんしょう由来ゆらいする一方いっぽうで、ブラインリー・ロバーツによるとアーサーにかんする記述きじゅつはジェフリーの創作そうさくであり、それ以前いぜん典拠てんきょ存在そんざいしないという[74]。たとえば、ジェフリーはウェールズのメドラウドを邪悪じゃあく人物じんぶつ、モドレドゥスにつくりかえているが、ウェールズの伝承でんしょうにはそのような否定ひていてき人物じんぶつぞう16世紀せいきになるまで存在そんざいしない[75]。12世紀せいき後半こうはんニューバラのウィリアムによる「ジェフリーは常軌じょうきいっした虚言きょげんへのあい(inordinate love of lying)でもって(『れつおう』を)げたのだ」という意見いけんれられてきたため、『ブリタニアれつおう』はジェフリーの完全かんぜん創作そうさくぶつである、という意見いけんたいする反論はんろん現代げんだいいたるまであまりおこなわれてこなかった[76]。ジェフリー・アッシュは反対はんたいろんしゃ一人ひとりで、ジェフリーの記述きじゅつのいくつかは5世紀せいきのブリトンじんおうリオタムス(Riothamus)という人物じんぶつかんするすでにうしなわれた資料しりょう由来ゆらいすると主張しゅちょうしている。しかし、歴史れきしやケルト学者がくしゃおおくはかれ意見いけん支持しじしていない[77]

依拠いきょした資料しりょう存在そんざいしたにせよしなかったにせよ、ジェフリーの『ブリタニアれつおう』がおおきな人気にんきたことは否定ひていしようがない。この作品さくひん写本しゃほんは200以上いじょう現存げんそんしていることがられており、これは言語げんごやくされたものをのぞいた数字すうじである[78]。ウェールズばんの『れつおう』はやく60存在そんざいしており、最古さいこのものは13世紀せいきのものである。ふる学説がくせつではこれらのうちのすうさつラテン語らてんごの『れつおう』のもとになったとされた。このせつは18世紀せいき古物ふるもの蒐集しゅうしゅうルイス・モリスなどに支持しじされたが、現在げんざい学界がっかいでは否定ひていされている[79]。このような名声めいせいたことにより、『れつおう』はのちの中世ちゅうせいにおけるアーサーおう伝説でんせつ発展はってん多大ただい影響えいきょうあたえた。『れつおう』はけっしてのちのアーサーおうロマンスよりまえかれた唯一ゆいいつ作品さくひんだったわけではなかったが、『れつおう』は後世こうせいおおくの要素ようそ借用しゃくようされ、さらに発展はってんくわえられていった(たとえばマーリンの物語ものがたりとアーサーの最期さいごなど)。かれした枠組わくぐみに、おおくの魔法まほう驚異きょういちあふれた数々かずかず冒険ぼうけんくわえられていくことになるのである[80]

ロマンス[編集へんしゅう]

トリスタンとイゾルデジョン・ウィリアム・ウォーターハウス、1916ねん

12世紀せいきから13世紀せいき大陸たいりくヨーロッパ(とくフランス)であらたなアーサーおう文学ぶんがく(「ブルターニュもの」)が数多かずおお出現しゅつげんしたおおきな要因よういんひとつは、ジェフリーの『れつおう』とその派生はせい作品さくひんワースの『ブリュ物語ものがたり(Roman de Brut)』など)が名声めいせいていたからだという意見いけん一般いっぱんみとめられることである[81]。しかしながら、「ブリテンのはなしざい」の発展はってん影響えいきょうあたえたのはジェフリーだけではなかった。ジェフリーの作品さくひんひろられる以前いぜんよりアーサーやアーサーおう伝説でんせつかんする知識ちしき大陸たいりくつたわっていたことをしめ明確めいかく証拠しょうこがあり[82](たとえばモデナだい聖堂せいどうかざさこゆかり)、また、ジェフリーの作品さくひんられないケルト起源きげん名称めいしょう大陸たいりくロマンスのこされているからである[83]。アーサーの視点してんからうと、あたらしいアーサーものが大量たいりょうされた最大さいだい要因よういんは、物語ものがたりにおけるアーサーおう役割やくわりにあったのかもしれない。12世紀せいきとそれ以降いこうのアーサーおう文学ぶんがく隆盛りゅうせいした時代じだいには、アーサー自身じしんよりも人物じんぶつ、すなわちランスロットグィネヴィアパーシヴァルガラハッドガウェイントリスタンとイゾルデ焦点しょうてんてられることがおおくなるのである。ジェフリー以前いぜん作品さくひんや『れつおう』ではアーサーはずっと物語ものがたり中心ちゅうしんにいたが、ロマンスではすぐに脇役わきやく退しりぞいてしまう[84]。アーサーの性質せいしつ以前いぜんとはおおきくことなっている。初期しょき作品さくひんや『れつおう』では偉大いだい戦士せんしで、私怨しえん魔女まじょ巨人きょじん虐殺ぎゃくさつするさいには嘲笑ちょうしょうし、戦争せんそうでも主導しゅどうてき役割やくわりたす[85]一方いっぽう大陸たいりくのロマンスでは「なにもしないおう(roi fainéant)」にはてて、アーサーが「なにもせず、ただ沈黙ちんもくしてるさまは、かれ理想りそうてき社会しゃかいただよ平和へいわ雰囲気ふんいきつくしている」[86]。ロマンスにおけるアーサーの役割やくわりかしこく、尊厳そんげんにあふれ、いた、いくぶん個性こせいで、たまにひよわさすらせる君主くんしゅであることがおおいのである。たとえば、『アルテュの』でランスロットとグィネヴィアの不義ふぎったおうはただあおざめ、こえうしなうのみであり、クレティアン・ド・トロワの『イヴァンまたは獅子しし騎士きし』ではアーサーはうたげのあとにすぐさまねむくなり、昼寝ひるねのために寝室しんしつんでしまう[87]。にもかかわらず、ノリス・J・レイシーがべたように、ロマンスのなかのアーサーがどんなによわく、失策しっさくおかしたとしても、「よわさによって威厳いげんそこなわれることは(ほとんど)いちもなく、アーサーの権威けんい栄光えいこう無傷むきずのままにのこされるのである」[88]

ガウェインきょうみどり騎士きし写本しゃほん挿絵さしえ(14世紀せいき後半こうはん

アーサーとその従者じゅうしゃたちマリー・ド・フランスレーすうへん登場とうじょうする[89]。しかし、もっとおおきな影響えいきょうりょくち、アーサーの人物じんぶつぞう伝説でんせつ発展はってん寄与きよしたとかんがえられているのは、もう一人ひとりのフランスの詩人しじんクレティアン・ド・トロワ作品さくひんである。クレティアンは1170ねんころから1190ねんころまでに5へんのロマンスをいた[90]。『エレックとエニード(Erec et Enide)』と『クリジェス(Cligès)』はアーサーおう宮廷きゅうてい背景はいけいとする宮廷きゅうていあい物語ものがたりで、ウェールズやジェフリーの英雄えいゆうてき世界せかいかんからの転換てんかんしめされている。『イヴァンまたは獅子しし騎士きし(Yvain, Le Chevalier du Lion)』ではイヴァンとガウェインのちょう自然しぜんてき冒険ぼうけんえがかれており、アーサーはよわ傍観ぼうかんしゃてき立場たちばあまんじている。アーサーおう伝説でんせつ発展はってん多大ただい影響えいきょうあたえたのは『ランスロまたは荷車にぐるま騎士きし(Lancelot, Le Chevalier de la Charrette)』と『ペルスヴァルまたはひじりはい物語ものがたり(Perceval ou le Conte du Graal)』である。『ランスロ』はランスロットグィネヴィア不義ふぎはじめて導入どうにゅうした作品さくひんであり、のち発展はってんしてかえかたられる「寝取ねとられおとこ」としてのアーサーぞうひろめた作品さくひんである。『ペルスヴァル』はひじりはい漁夫ぎょふおう(いさなとりのおう)をはじめてれており、これによりアーサーの役割やくわりふたたおおきくっている[91]。このようにしてクレティアンは「アーサーおう伝説でんせつ洗練せんれんさせ、伝説でんせつ拡散かくさん理想りそうてき形式けいしきつくげた」、アーサーおうロマンスの仲介ちゅうかいしゃといえる存在そんざいになった[92]のちつづいてアーサーおう伝説でんせつえがいた人々ひとびとは、クレティアンのきずいた基礎きそうえみずからの作品さくひんげていったのである。『ペルスヴァル』は未完みかんわったがとく人気にんきはくし、これがかれたつぎの50ねんには続編ぞくへんたる別個べっこに4へんかれた。ひじりはい探求たんきゅうというテーマはロベール・ド・ボロンなどによって発展はってんされ、アーサーの没落ぼつらくまでを連続れんぞくしたロマンスでくというながれを加速かそくさせた[93]。ランスロットとかれのグィネヴィアとの不貞ふてい行為こういもアーサーおう伝説でんせつ古典こてんてきモチーフのひとつとなった。ただし、『散文さんぶんのランスロ』(1225ねんごろ)やのちのしょ作品さくひんはクレティアンの『ランスロ』とウルリッヒ・フォン・ツァツィクホーフェンの『ランツェレット』をわせただけのものだった[94]。クレティアンの作品さくひんはウェールズのアーサーおう文学ぶんがくぎゃく輸入ゆにゅうされ、その結果けっか、ロマンスのアーサーぞうがウェールズ伝統でんとう英雄えいゆうてき積極せっきょくてきなアーサーぞうわりはじめた[95]。このながれは(『マビノギオン』に収録しゅうろくされている)3へんのウェールズのアーサーおうロマンスに顕著けんちょられ、これらはいくつかのおおきな差異さいがあるもののクレティアンの作品さくひんとよくている。『マビノギオン』の『オウェイン、あるいはみずうみ貴婦人きふじん』はクレティアンの『イヴァン』に、『ゲライントとエニード』は『エレックとエニード』に、『エヴラウグのペレドゥル』は『ペルスヴァル』にそれぞれ対応たいおうする[96]

円卓えんたくひじりはい(15世紀せいきのフランスの写本しゃほん

1210ねんごろまでは、大陸たいりくヨーロッパのアーサーおうロマンスは韻文いんぶん表現ひょうげんされていたが、それ以降いこう散文さんぶん物語ものがたりくようになりはじめた。13世紀せいきでもっとも重要じゅうよう散文さんぶん作品さくひんは『流布るふほんサイクル(ランスロ=きよしはいサイクル)』で、これは13世紀せいき後半こうはん中世ちゅうせいフランス語ふらんすごかれた物語ものがたりぐんである[97]。「きよしはい物語ものがたり」、「メルラン物語ものがたり」、「ランスロほんでん」(「散文さんぶんのランスロ」とも。分量ぶんりょうてきに『流布るふほんサイクル』の半分はんぶん以上いじょうめる)、「きよしはい探求たんきゅう」、「アルテュの」からなり、アーサーおう伝説でんせつ全体ぜんたい一貫いっかんした物語ものがたりになっている。このサイクルではギャラハッド導入どうにゅうしたりやマーリンの役割やくわり増大ぞうだいしたことにより、伝説でんせつにおけるアーサーの役割やくわり後退こうたいがさらにすすんでいる。また、モードレッドがアーサーとかれあね近親きんしん相姦そうかんによってまれた存在そんざいになり、クレティアンではじめて言及げんきゅうされたキャメロットがアーサーの宮廷きゅうてい名称めいしょうとして定着ていちゃくした[98]。『流布るふほんサイクル』のすぐのちに『後期こうき流布るふほんサイクル』(1230-1240ねんごろ)がかれた。これにはひじりはい探求たんきゅう物語ものがたりをフォーカスするために「メルランぞくつて」がかれており、それによってランスロットとグィネヴィアの不義ふぎ物語ものがたりない重要じゅうようせいがっているが、それでもアーサーの周辺しゅうへんまることはない[97]。このように、アーサーはフランス語ふらんすご散文さんぶん作品さくひんではマイナーな登場とうじょう人物じんぶつになってしまっている。実際じっさい、『流布るふほんサイクル』ではアーサーは「メルラン物語ものがたり」と「アルテュの」にしか登場とうじょうしないのである。

中世ちゅうせいのアーサーおう物語ものがたりぐんと「ロマンスてきアーサーぞう」の発展はってんは、トマス・マロリーの『アーサーおう(Le Morte D'Arthur)』(本来ほんらい題名だいめいは『アーサーおうかれ高貴こうきなる円卓えんたく騎士きし(The Whole Book of King Arthur and of His Noble Knights of the Round Table)』)で頂点ちょうてんむかえる。これは15世紀せいき英語えいごかれた、アーサーおう伝説でんせつ全体ぜんたいを1つのまとめた作品さくひんである。マロリーはそれ以前いぜん様々さまざまなロマンス、とくに『流布るふほんサイクル』をもとに、アーサーおう物語ものがたり包括ほうかつてき権威けんいある作品さくひんつく意図いといたとかんがえられる[99]。おそらくこの意図いとのおかげで、あるいは1485ねんウィリアム・キャクストンによりイングランドで最初さいしょ印刷いんさつされた作品さくひんひとつになったおかげで、マロリーの作品さくひん後世こうせいおおくのアーサーおうかんする作品さくひん基礎きそとなった[100]

衰退すいたい復活ふっかつ現代げんだい[編集へんしゅう]

中世ちゅうせい以後いご[編集へんしゅう]

中世ちゅうせいわりとともに、アーサーおうたいする関心かんしんうすれていった。マロリーの作品さくひん人気にんきたが、一方いっぽうでジェフリーの時代じだい以来いらいのアーサーおう伝説でんせつ歴史れきしてき枠組わくぐみの正当せいとうせいたいする批判ひはんえ、「ブルターニュもの全体ぜんたい信頼しんらいせいらぎはじめた。ジェフリー以降いこう年代ねんだいひろられた「アーサーがポスト・ローマ時代じだいだい帝国ていこく支配しはいした」という記述きじゅつたいし、16世紀せいき人文じんぶん学者がくしゃポリドロ・ヴェルギリ(Polydoro Vergili)が、そのような記述きじゅつはウェールズやイングランドの古物ふるもの研究けんきゅうによるおぞましいうそである、とって退しりぞけたことは有名ゆうめいである[101]社会しゃかい構造こうぞう変化へんかにより中世ちゅうせいわりをむかえ、そのつぎにやってルネサンス人文じんぶん復興ふっこう)はアーサーとその伝説でんせつから聴衆ちょうしゅううばってしまった。1634ねん最後さいごに、やく200ねんつづいたマロリーの『アーサーおう』の印刷いんさつ途絶とだえてしまう[102]。アーサーおうとその伝説でんせつ完全かんぜんられたわけではなかったが、アーサーおう物語ものがたり真面目まじめものり、17世紀せいきや18世紀せいきにはたんなる寓話ぐうわアレゴリー)として政治せいじてき利用りようされただけだった[103]リチャード・ブラックモア叙事詩じょじし『アーサー王子おうじ』(1695ねん)と『アーサーおう』(1697ねん)のアーサーはジェームズ2せいたいするウィリアム3せい寓意ぐういだった[104]同様どうように、この時代じだいにもっとも有名ゆうめいだったとおもわれるアーサーの登場とうじょうする物語ものがたりはなんと『親指おやゆびトム』だった。これは最初さいしょチャップ・ブック民衆みんしゅうほん)としてたが、のちヘンリー・フィールディングによって政治せいじげき改作かいさくされた。舞台ぶたいこそアーサー時代じだいのブリテンにかれているが、内容ないよう滑稽こっけいでアーサー自身じしんだいいちにコメディーしょくつよ人物じんぶつとしてえがかれている[105]ジョン・ドライデン仮面かめんげき『アーサーおう』はよく上演じょうえんされた。ただし、それはヘンリー・パーセル音楽おんがくかったからで、ほとんどの場合ばあい省略しょうりゃくして上演じょうえんされた。

テニスンとリヴァイヴァル[編集へんしゅう]

アーサーとマーリン(ギュスターヴ・ドレによる国王こくおう牧歌ぼっか挿絵さしえ、1868ねん

19世紀せいき初頭しょとうになると、中世ちゅうせい趣味しゅみロマン主義しゅぎゴシック・リヴァイヴァルによってアーサーと中世ちゅうせいのロマンスにたいする関心かんしんたかまった。19世紀せいき紳士しんしいたるあたらしい行動こうどう規範きはんは、アーサーおうロマンスにえがかれた騎士きしどう沿ってつくされたのである。最初さいしょにこのあらたな関心かんしんこされたのは、1634ねん以来いらい印刷いんさつされていなかったマロリーの『アーサーおう』が再版さいはんされた1816ねんである[106]中世ちゅうせいのアーサーおう伝説でんせつ最初さいしょ特別とくべつ関心かんしんしめし、インスピレーションをけたのは詩人しじんだった。たとえば、ウィリアム・ワーズワースひじりはい寓話ぐうわである『エジプトじんのメイド』をいた[107]かれらのうちもっとも卓越たくえつしていたのはアルフレッド・テニスンで、かれ1832ねん最初さいしょのアーサーにかんするシャロットの貴婦人きふじん(Lady of shalott)』を出版しゅっぱんした[108]中世ちゅうせいのロマンスとおなじくこれらのでアーサー自身じしんえんじた役割やくわりはけしておおきくなかったが、テニスンは『国王こくおう牧歌ぼっか(Idylls of the King)』をもってその人気にんき頂点ちょうてんたっした。『国王こくおう牧歌ぼっか』はアーサーの生涯しょうがいヴィクトリア時代じだいわせて改作かいさくしたものである。はじめて出版しゅっぱんされたのは1859ねんで、はつしゅうで1まんげた[109]。この作品さくひんのアーサーは理想りそう男性だんせいぞう象徴しょうちょうで、かれ完璧かんぺき王国おうこく地上ちじょう建設けんせつしようというこころみるが最終さいしゅうてき人間にんげんよわさによって挫折ざせつする[110]。すぐに『国王こくおう牧歌ぼっか』の模倣もほう大量たいりょうつくられるようになり、アーサーおう伝説でんせつかれたいするひろ関心かんしんこした。マロリーの『アーサーおう』にもおおくの読者どくしゃをもたらした[111]。『国王こくおう牧歌ぼっか』のすぐ1862ねんにマロリーの大作たいさく現代げんだいふうにアレンジした最初さいしょ作品さくひん出版しゅっぱんされ、19世紀せいきちゅうにさらに6種類しゅるいはん(エディション)と5種類しゅるい類似るいじ作品さくひん出版しゅっぱんされた[112]

アーサーおうのアヴァロンでの最後さいごねむり(エドワード・バーン=ジョーンズ、1881ねん - 1898ねん

ロマンスてきなアーサーとかれ物語ものがたりたいする関心かんしん世紀せいきをまたいで20世紀せいきまでつづき、詩人しじんウィリアム・モリス画家がかエドワード・バーン=ジョーンズなどのラファエルまえ影響えいきょうけた[113]。18世紀せいきもっとられたアーサーものだった滑稽こっけいたん親指おやゆびトム』ですら『国王こくおう牧歌ぼっか』をけてなおされた。あたらしいバージョンではトムはかわらずちいさいコメディ・リリーフでありつづけているが、中世ちゅうせいのアーサーおうロマンスの要素ようそはなしくわえられ、アーサーは以前いぜんより真面目まじめで、歴史れきしせいつよ人物じんぶつとしてあつかわれている[114]アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくもまたリヴァイヴァルの影響えいきょうけ、シドニー・ラニアの『少年しょうねんけアーサーおう物語ものがたり』(1880ねん)などがおおくの読者どくしゃた。また、これに着想ちゃくそうマーク・トウェイン風刺ふうし小説しょうせつアーサーおう宮廷きゅうていのコネティカット・ヤンキー』(1889ねん)をいた[115]。これらのあらたなアーサーおう関連かんれん作品さくひんではアーサーが主役しゅやくになることがなんかあったものの(たとえばバーン=ジョーンズの絵画かいが『アーサーおうのアヴァロンでの最後さいごねむり』)、往々おうおうにしてアーサーは中世ちゅうせいころ役割やくわりもどされ、脇役わきやくあまんじたり登場とうじょうすらさせてもらえない有様ありさまだった。リヒャルト・ワーグナーのオペラ(『トリスタンとイゾルデ』、『ローエングリン』、『パルシファル』)は後者こうしゃ好例こうれいである[116]。また、人々ひとびとのアーサーとアーサーおう物語ものがたりへの興味きょうみがずっとつづくことはなかった。19世紀せいきわりまでにはアーサーおう伝説でんせつ関心かんしんつものはラファエルまえ模倣もほうしゃかぎられるようになった[117]くわえて、だいいち世界せかい大戦たいせん影響えいきょうけることは出来できなかった。大戦たいせんによって騎士きしどう名声めいせいきずつき、理想りそう騎士きしとしてのアーサーと中世ちゅうせいてき理念りねんたいする関心かんしん色褪いろあせてしまった[118]。それでもロマンスの伝統でんとう維持いじされ、トマス・ハーディローレンス・ビニヨンジョン・メイスフィールドがアーサーおう戯曲ぎきょくいた[119]T.S.エリオット荒地あれち』に漁夫ぎょふおう登場とうじょうさせ、アーサーおう伝説でんせつをほのめかした(ただしアーサーおう自身じしん登場とうじょうしない)[120]

現代げんだい[編集へんしゅう]

20世紀せいき後半こうはんでもアーサーおうロマンスの伝統でんとうつづき、T.H.ホワイトの『永遠えいえんおう』(1958ねん)、マリオン・ジマー・ブラッドリーの『アヴァロンのきり』(1982ねん)などの小説しょうせつ漫画まんがプリンス・ヴァリアント』(1937ねん- )などがかれた[121]。テニスンは当時とうじ問題もんだい意識いしきうようにアーサーおうのロマンスをつくりなおしたが、現代げんだい作品さくひんもそれとおなじことがえる。たとえば、ブラッドリーは中世ちゅうせいのロマンスとは対照たいしょうてきフェミニズムてきなアプローチでアーサーおう物語ものがたりかたりなおし[122]、アメリカの作家さっか平等びょうどう民主みんしゅ主義しゅぎなどの価値かちかん強調きょうちょうしてたびたびアーサーの物語ものがたりつくりかえた[123]。ロマンスのアーサーは映画えいが舞台ぶたいでも人気にんきた。ホワイトの『永遠えいえんおう』はアラン・ジェイ・ラーナーフレデリック・ロー舞台ぶたいキャメロット』(1960ねん1967ねん同名どうめい映画えいが)とディズニーアニメ映画えいが王様おうさまけん』(1963ねん)の原作げんさくになった。『キャメロット』はランスロットとグィネヴィアの不義ふぎをテーマにしている。ロマンスの伝統でんとう明白めいはくで、評論ひょうろんによるとロベール・ブレッソンの『みずうみのランスロ』(1974ねん)、エリック・ロメールの『ひじりはい伝説でんせつ』(1978ねん)、ジョン・ブアマンのファンタジー映画えいがエクスカリバー』(1981ねん)はそれをうまく表現ひょうげんしているという。アーサーおう伝説でんせつパロディモンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1975ねん)もロマンスをおも題材だいざいにしている[124]

カムランのたたか(N.C.ワイエスによる『少年しょうねんのためのアーサーおう物語ものがたり』の挿絵さしえ、1922ねん

ロマンスの再話さいわさい構成こうせいだけが現代げんだいきるアーサーおう伝説でんせつ重要じゅうよう側面そくめんではない。ロマンスの虚飾きょしょくぎとり、本当ほんとう紀元きげん500ねんごろ歴史れきしじょう人物じんぶつとしてアーサーをえがこうというこころみがまれた。だい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつすると、テイラーとブルワーがしめしたように、ロマンスではないジェフリーと『ブリトンじん歴史れきし』などの「年代ねんだい」の伝統でんとうかえ潮流ちょうりゅうがアーサーおう文学ぶんがくでは支配しはいてきになった。ゲルマンじん侵入しんにゅうしゃたい抵抗ていこうする伝説でんせつのアーサーの姿すがたが、大戦たいせんのイギリスじん共感きょうかんたのである[125]クレメンス・デーンのラジオドラマ『救国きゅうこくしゃたち』(1942ねん)はアーサーを絶望ぜつぼうてき状況じょうきょうかう英雄えいゆうてき抵抗ていこう精神せいしん体現たいげんしゃとしてえがき、ロバート・シェリフ戯曲ぎきょくなが日没にちぼつ』(1955ねん)ではアーサーはゲルマンじん侵攻しんこう抵抗ていこうすべくローマン・ブリティッシュの団結だんけつびかける[126]。アーサーを歴史れきし文脈ぶんみゃく傾向けいこうは20世紀せいき後半こうはん出版しゅっぱんされた歴史れきし小説しょうせつ、ファンタジー小説しょうせつにもられる[127]バーナード・コーンウェルの『小説しょうせつアーサーおう物語ものがたり』(1995ねん-1997ねん)は歴史れきしじょう人物じんぶつとしてのアーサーぞう中心ちゅうしんえつつ、中世ちゅうせいのロマンスの要素ようそ独自どくじ解釈かいしゃくれた歴史れきし小説しょうせつである[128]。アーサーを現実げんじつの5世紀せいき英雄えいゆうとしてえがくやりかた映像えいぞう作品さくひんにも流入りゅうにゅうし、有名ゆうめいなテレビドラマシリーズ『ブリトンのアーサー』(1972ねん - 1973ねん[129]映画えいがトゥルーナイト』(1995ねん)、『キング・アーサー』(2004ねん)、『最後さいご軍団ぐんだん』(2007ねん)、『キング・アーサー』(2017ねん)がつくられた。2008ねんのBBCのドラマシリーズ『魔術まじゅつ MERLIN』は伝説でんせつさい構成こうせいし、未来みらいおうアーサーとマーリンをどう世代せだい若者わかもの設定せっていしている。『CAMELOT 〜禁断きんだん王城おうじょう』(2011ねん[130]古代こだいブリトンじんとしてのアーサーとかれ王位おういけたたたかいをえがくショートシリーズである。最近さいきんリリースされたディズニー映画えいがアヴァロン せんねんこい』(2010ねん)はアーサーおう円卓えんたく騎士きし現代げんだいえたストーリーになっている。

日本にっぽんでの受容じゅよう[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは、明治めいじ夏目なつめ漱石そうせきアルフレッド・テニスンの『シャロットのおんな』と『ランスロットとエレイン』をもとにして短編たんぺんらっきょうゆき』をいたが、それ以外いがいでは日本にっぽんでアーサーおうあつかった本格ほんかくてき文学ぶんがく作品さくひんはない。

1942ねんにはアメリカの作家さっかトマス・ブルフィンチによる再話さいわ野上のかみ弥生子やよこによって翻訳ほんやくされ(『中世ちゅうせい騎士きし物語ものがたり』)、アーサーおう物語ものがたり概略がいりゃく一般いっぱん読書どくしょじんにもられるようになった。また、ヨーロッパ中世ちゅうせい文学ぶんがく研究けんきゅうしゃえるにつれ、マロリーの『アーサーおう』のしょうやくやクレティアンやヴォルフラムなど大陸たいりくロマンスの邦訳ほうやくすこしずつ出版しゅっぱんされるようになっていった。

子供こどもけとしては、シドニー・ラニア再話さいわが1972ねん翻訳ほんやくされたほか、1979ねんにはテレビアニメ円卓えんたく騎士きし物語ものがたり えろアーサー』が放映ほうえいされた。この作品さくひん中世ちゅうせいファンタジーに馴染なじみのうすかった当時とうじえて愛国あいこく騎士きしアーサーをえがいた意欲いよくさくだったが人気にんきるわず、続編ぞくへんえろアーサー 白馬はくば王子おうじ』(1980ねん)ではわかりやすい勧善懲悪かんぜんちょうあくぶつ路線ろせん変更へんこう余儀よぎなくされた。

1980年代ねんだい後半こうはん以降いこうアニメゲーム漫画まんがライトノベルなどのサブカルチャー若者わかもの文化ぶんかふか浸透しんとうするようになると、それらのベースとなった欧米おうべいファンタジーとおしてアーサーおう伝説でんせつたいする関心かんしんたかまっていった。これをけ、アーサーおう題材だいざいにした現代げんだい小説しょうせつ(アーサリアン・ポップ)のなかで評価ひょうかたかいホワイトの『永遠えいえんおう』(1992ねん)やブラッドリーの『アヴァロンのきり』(1998ねん)が相次あいついで翻訳ほんやくされたほか、『マビノギオン』の中世ちゅうせいウェールズからの翻訳ほんやく2000ねん)やマロリーの『アーサーおう』の完訳かんやく2004ねん - 2007ねん)、ジェフリーの『ブリタニアれつおう』の翻訳ほんやく2007ねん)など、アーサーおう文学ぶんがく重要じゅうよう文献ぶんけん日本語にほんごでもめるようになった。

理想りそう人物じんぶつとして[編集へんしゅう]

最古さいことされるきゅう偉人いじん彫刻ちょうこくケルンきゅう市役所しやくしょ

アーサーは中世ちゅうせいきゅう偉人いじん騎士きしどうのあらゆる理念りねん体現たいげんする9にん英雄えいゆう)の一人ひとりえらばれた。かれ生涯しょうがい騎士きしどう熱望ねつぼうする人々ひとびとにとってまなぶべき理想りそうかんがえられたのである。きゅう偉人いじん一人ひとりとしてのアーサーのイメージは最初さいしょ文学ぶんがく作品さくひんによってられるようになり、つぎ彫刻ちょうこく画家がかによって頻繁ひんぱん題材だいざいにされた。とくにイギリスでは、ライバルであるフランスくに象徴しょうちょうとしてカール大帝たいていげたことに対抗たいこうして、アーサーおう自国じこく象徴しょうちょうとしてげられた。たとえば、エドワード3せい円卓えんたく騎士きしならってガーター騎士きしだん設立せつりつしたのは有名ゆうめいはなしである。しかし、もっと影響えいきょう利用りようしたのはテューダーあさひらいたヘンリー7せいであろう。ウェールズ出身しゅっしんかれみずからの王位おうい正当せいとうするためにアーサーおう利用りようし、おう太子たいしアーサー名付なづけたのである。ただし、アーサーは早世そうせいし、おとうとのヘンリーがヘンリー8せいとして即位そくいしたためアーサーおう誕生たんじょうすることはなかった。

アーサーは現代げんだい行動こうどう規範きはんとしても利用りようされている。アーサーの中世ちゅうせいてき騎士きしどう理念りねんとキリストきょうてき理想りそう推進すいしんするため、1930年代ねんだいにはイギリスで「円卓えんたく騎士きし友情ゆうじょう騎士きしだん」が組織そしきされた[131]。アメリカにおいてもすう10まん少年しょうねん少女しょうじょが「アーサーおう騎士きし」などといった若者わかものけグループに参加さんかしており、そこではアーサーとその業績ぎょうせき心身しんしん規範きはんとして奨励しょうれいされている[132]

文化ぶんかてき影響えいきょう[編集へんしゅう]

現代げんだい文化ぶんかにおけるアーサーおうひろがりは伝説でんせつじょうかれ業績ぎょうせきはるかにえている。アーサーおう伝説でんせつかんする名前なまえ品物しなもの建物たてもの場所ばしょなどに頻繁ひんぱんもちいられている。ノリス・J・レイシーがべたように、「アーサーにかんする名称めいしょうがたくさんのモチーフや名前なまえ使つかわれているのはおどろくにあたらない。なぜなら、すうひゃくねんまえまれたこの伝説でんせつ現代げんだい文化ぶんかのあらゆる階層かいそうふか根付ねついているからである[133]。」

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Barber 1986, p. 141
  2. ^ Higham 2002, pp. 11–37, has a summary of the debate on this point.
  3. ^ Charles-Edwards 1991, p. 15; Sims-Williams 1991. Y Gododdin cannot be dated precisely: it describes 6th-century events and contains 9th- or 10th- century spelling, but the surviving copy is 13th-century.
  4. ^ Thorpe 1966, but see also Loomis 1956
  5. ^ See Padel 1994; Sims-Williams 1991; Green 2007b; and Roberts 1991a
  6. ^ Dumville 1986; Higham 2002, pp. 116–69; Green 2007b, pp. 15–26, 30–38.
  7. ^ Green 2007b, pp. 26–30; Koch 1996, pp. 251–53.
  8. ^ Charles-Edwards 1991, p. 29
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  54. ^ See, for example, Haycock 1983–84 and Koch 1996, pp. 264–65.
  55. ^ Online translations of this poem are out-dated and inaccurate. See Haycock 2007, pp. 293–311, for a full translation, and Green 2007b, p. 197 for a discussion of its Arthurian aspects.
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  57. ^ Koch & Carey 1994, pp. 314–15
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  59. ^ For a discussion of the tale, see Bromwich & Evans 1992; see also Padel 1994, pp. 2–4; Roberts 1991a; and Green 2007b, pp. 67–72 and chapter three.
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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]