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騎士きしどう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
岐路きろ騎士きしヴィクトル・ヴァスネツォフ、1878)
16世紀せいきごろの西洋せいようよろいうまよろい メトロポリタン美術館びじゅつかん展示てんじひん
騎士きし叙任じょにんエドモンド・レイトン、1901)

騎士きしどう(きしどう、えい: Chivalry)は、ヨーロッパで成立せいりつした騎士きし階級かいきゅう行動こうどう規範きはん

概要がいよう[編集へんしゅう]

騎士きしどうとはおも中世ちゅうせいヨーロッパ騎士きし階級かいきゅう浸透しんとうしていた情緒じょうちょ風習ふうしゅうほう習慣しゅうかん総称そうしょうする単語たんご[1]であり、騎士きしたるしゃしたがうべき規範きはんである。騎士きしどうキリスト戦士せんし行動こうどう規範きはんとして中世ちゅうせい盛期せいきまれ、その徐々じょじょみん模範もはんとしての規範きはん姿すがたえながら、近世きんせいまで西欧せいおう国家こっかのほぼすべてに存在そんざいした[2]騎士きしどう近代きんだい以降いこう英国えいこく紳士しんし行動こうどう規範きはんや、西欧せいおう社交しゃこうじゅつなどにおおきな影響えいきょうあたえた。騎士きしどう由来ゆらいするマナーれいとしてレディーファーストげられる[注釈ちゅうしゃく 1]

騎士きしどうおしえの核心かくしんとされたのは、中世ちゅうせい盛期せいきにおいては「かみへの献身けんしん異教徒いきょうととのたたかい・弱者じゃくしゃ守護しゅご」であり、近世きんせいにおいては「主君しゅくんへの忠誠ちゅうせい名誉めいよ礼節れいせつ貴婦人きふじんへのあい」であった[2]

起源きげん歴史れきし[編集へんしゅう]

騎士きしどうのルーツはアジア遊牧民ゆうぼくみんサルマタイにあり、その武具ぶぐ甲冑かっちゅう)・戦闘せんとう方法ほうほう騎兵きへい)・規範きはん意識いしき正義まさよし)がサルマタイしょ部族ぶぞくのうちのアランじんフンぞく合同ごうどうして西にしヨーロッパに侵入しんにゅうしたのちひろゲルマンしょ部族ぶぞく同化どうかした複数ふくすうのサルマタイじん部族ぶぞく総称そうしょう)によってヨーロッパにもたらされた[3]ゲルマン民族みんぞくおしえは戦場せんじょうでの武勲ぶくんこそがだいいちとする、戦士せんしとしての規範きはんであった[2]

10世紀せいきすえになると、当時とうじ封建ほうけん領主りょうしゅたちの暴虐ぼうぎゃくせい嫌悪けんおつのらせていた教会きょうかい主導しゅどうにより、みなみフランスに「かみ平和へいわ運動うんどうこる。これは封建ほうけん領主りょうしゅたちに農民のうみん婦女子ふじょしがいさないことをちかわせたものであり、違反いはんしゃ破門はもんしょされた。「かみ平和へいわ運動うんどう一定いってい成功せいこうおさめ、11世紀せいきはいるとここに「かみ休戦きゅうせん運動うんどう付加ふかされることとなる。これはしゅうのうち一定いってい領主りょうしゅ同士どうし武力ぶりょくあらそこときんじたものであった[2]。こうしたおしえがラテランこう会議かいぎにおいてカトリック公式こうしき教義きょうぎとして公布こうふされるにいたり、騎士きしどう誕生たんじょう基盤きばんととのえられた。

11世紀せいきまつだいいちかい十字軍じゅうじぐん騎士きし活躍かつやくにより成功せいこうおさめると、騎士きし社会しゃかいてき地位ちい飛躍ひやくてき向上こうじょうした。これを契機けいき騎士きしとは「かみ戦士せんし」であるとの認識にんしきひろまり、ここに「かみへの献身けんしん」「異教徒いきょうととのたたかい」「弱者じゃくしゃ保護ほご」こそ騎士きし責務せきむだとする中世ちゅうせい盛期せいき騎士きしどう成立せいりつした[2]

ただ中世ちゅうせいにおいては、かならずしも現実げんじつ騎士きし行動こうどう騎士きしどうかなっていたわけではなかった。むしろ(ブルフィンチなどが指摘してきするように)兵器へいきよろい独占どくせんする荘園しょうえん領主りょうしゅなどの支配しはいそうは、しばしばぎゃく行動こうどう、つまり裏切うらぎり、貪欲どんよく略奪りゃくだつ強姦ごうかん残虐ざんぎゃく行為こういなどをおこなうことをつねとしていた[4]。であるからこそ、かれらの暴力ぼうりょく抑止よくしするため、倫理りんり規範きはん無私むし勇気ゆうきやさしさ、慈悲じひしんといったキリスト教きりすときょうてきおしえが教会きょうかいにより長年ながねんわたってかれ、中世ちゅうせい盛期せいきに「騎士きしどう」として結実けつじつしたとえる[2]騎士きしどうおしえのおおくは通常つうじょう騎士きしであれば遵守じゅんしゅすることがむずかしく、ゆえ騎士きしどうしたがって行動こうどうする騎士きし周囲しゅういから賞賛しょうさんされ、騎士きし自身じしんもそれを栄誉えいよかんがえた。

中世ちゅうせい後期こうき以降いこう騎士きし活躍かつやくうたった武勲ぶくん叙事詩じょじし中世ちゅうせい騎士きし物語ものがたり人口じんこう膾炙かいしゃするとともに、それらでたたえられる想像そうぞうじょう騎士きしかた現実げんじつ騎士きしどうにも影響えいきょうあたえるようになる。さらに欧州おうしゅうにおいて現在げんざい国家こっか概念がいねん確立かくりつし、国家こっか主義しゅぎ芽生めばえると、騎士きしどう宮廷きゅうていひと価値かちかんへと変容へんようげた。戦士せんしとして戦場せんじょう武勲ぶくんてることより、みんうえ模範もはんとして、主君しゅくんへの忠誠ちゅうせいや、貴婦人きふじんへの献身けんしんなどが徳目とくもくとされたのである。とく貴婦人きふじんへの献身けんしんおおくの騎士きしどう物語ものがたり取上とりあげられた。こうして、「主君しゅくんへの忠誠ちゅうせい」「名誉めいよ礼節れいせつ」「貴婦人きふじんへのあい」を中核ちゅうかくとする近世きんせい騎士きしどう成立せいりつし、現代げんだいいたっている[2]

中世ちゅうせい盛期せいき騎士きしどう[編集へんしゅう]

騎士きしどう黄金おうごん時代じだい[2]ともわれる中世ちゅうせい盛期せいき(11〜13世紀せいきごろ)における騎士きしどう宗教しゅうきょうてき色合いろあいがつよく、かみへの献身けんしんちか戦士せんし規範きはんであった。中世ちゅうせい盛期せいき騎士きしどうおもおしえは以下いかとおりである。

  • PROWESS:すぐれた戦闘せんとう能力のうりょく
  • COURAGE:勇気ゆうきたけいさむ
  • DEFENSE:教会きょうかい弱者じゃくしゃ守護しゅご
  • HONESTY:正直しょうじきさ、高潔こうけつ
  • LOYALTY:誠実せいじつ忠誠ちゅうせいこころ
  • CHARITY:寛大かんだいさ、気前きまえよさ、博愛はくあい精神せいしん
  • FAITH:信念しんねん信仰しんこう
  • COURTESY:礼節れいせつただしさ

清貧せいひん統率とうそつりょくなども主要しゅようおしえとしてげられる[注釈ちゅうしゃく 2]

中世ちゅうせい盛期せいき騎士きしどうおしえをいた代表だいひょうてき文献ぶんけん以下いかとおりである。

騎士きしどうしょ[編集へんしゅう]

ラモン・リュイ『騎士きしどうしょ』(ケルムスコット・プレスばん、1892)

1275ねんころ騎士きしにして神学しんがくしゃであるラモン・リュイあらわした『騎士きしどうしょ』は「騎士きしどう法典ほうてん[5]ともばれ、中世ちゅうせいとお騎士きし必読ひつどくしょであったのみならず、聖職せいしょくしゃにも教本きょうほんとしてしたしまれた。(武田たけだ秀太郎ひでたろうわけより抜粋ばっすい[2]

騎士きし起源きげん[編集へんしゅう]

博愛はくあいしん忠誠ちゅうせいしん品格ひんかく正義まさよし、そして真実しんじつかげとき残虐ざんぎゃくさ、暴力ぼうりょく不実ふじついつわりが姿すがたあらわす。そして秩序ちつじょもどすためにえらばれししゃこそ、騎士きしである。 あい尊敬そんけい、それはにくしみと正義せいぎ対極たいきょくである。騎士きしは、その気高けだか勇気ゆうきい、寛大かんだいさ、そして名誉めいよをもって、人々ひとびとよりあいされ畏敬いけいされる存在そんざいたらねばならない。そうして騎士きしは、あいによって博愛はくあい秩序ちつじょ回復かいふくさせ、畏敬いけいによって、正義せいぎ真実しんじつもどすのである。

騎士きし責務せきむ[編集へんしゅう]

騎士きしたるしゃ責務せきむ、それはせいなる普遍ふへん教会きょうかい信仰しんこうまもささえることである。それはみずからの主君しゅくんつかえ、これをまもることである。それは封土ほうどまもり、みずからへのおそれをしょうじさせ、庶民しょみんはたら土地とちたがやすよう保護ほごすることである。それは婦女子ふじょしを、寡婦かふを、孤児こじを、めるものを、衰弱すいじゃくせしものまもることである。それはみずからのしろうまたもち、みち防衛ぼうえいし、土地とちたがやものたちをまもることである。それは盗人ぬすっとを、ぞくを、悪人あくにんさがばっすることである。

そして正義せいぎこそが、すべての騎士きしがそのささげるべき理念りねんである。騎士きしどううやまうことは智慧ちえあいすることであり、危険きけんかえりみずうちなる勇気ゆうき武勇ぶゆうとして発露はつろすることは、騎士きしどうおしえにしたがうことである。

同僚どうりょうぬすみをはたらくことをゆるし、それをたすける騎士きしは、その責務せきむそむくものとれ。盗人ぬすっとである騎士きしたち、彼等かれらしんぬすんでいるのは金銭きんせんでも財宝ざいほうでもなく、騎士きしどう気高けだか名誉めいよである。

したがえ騎士きし試験しけん[編集へんしゅう]

騎士きしへの叙任じょにんのぞしたがえ騎士きしにつき、相応ふさわしい試験しけん実施じっしせねばならないのはまった当然とうぜんである。まず試験しけんかんは、したがえ騎士きしたいし、かみあいし、畏敬いけいするかをわねばならない。そして騎士きし序列じょれつくわわろうとするしたがえ騎士きしには、騎士きしどうつらぬものにもたらされる重大じゅうだい責任せきにん危険きけんとをらせねばならない。騎士きしとは、みずからの危機ききより、人々ひとびとからの非難ひなん不名誉ふめいよおそれるべき存在そんざいなのだから。

騎士きしさづけられる武具ぶぐ意味いみ[編集へんしゅう]

騎士きしさづけられるけん、それはアダムの原罪げんざい背負せおいしあるじはりつけられた、十字架じゅうじか象徴しょうちょうである。騎士きしさづけられるやり、それは真実しんじつ象徴しょうちょうである。真実しんじつとは、がりなく一様いちようで、不実ふじつつらぬ事実じじつ到達とうたつするものなのだから。騎士きしさづけられるかぶと、それは騎士きし不名誉ふめいよおそれるべきことの象徴しょうちょうである。騎士きしさづけられる拍車はくしゃ、それは騎士きし騎士きしどう気高けだか名誉めいよまもるためにそなえるべき勤勉きんべんさと素早すばやさの象徴しょうちょうである。騎士きしまたががるくら、それは騎士きしるがぬ勇気ゆうき騎士きしどうおも責務せきむ象徴しょうちょうである。

騎士きしたるしゃ美徳びとく善行ぜんこう[編集へんしゅう]

卓絶たくぜつした勇気ゆうき、それこそ騎士きし人々ひとびとうえものとしてえらばれた理由りゆうである。くわえて比類ひるいなき居振いふいとしつけもまた、騎士きしもとめられる素養そようである。忠誠ちゅうせい真実しんじつ忍耐にんたい寛容かんよう良識りょうしき謙虚けんきょ慈悲じひ、そしてそれにるいする美徳びとくもまた、騎士きしどうかせぬものである。 騎士きし公共こうきょう利益りえきあいさねばならない。なぜなら、社会しゃかいとは騎士きしにより創設そうせつされ確立かくりつされたものなのだから。

騎士きし名誉めいよ[編集へんしゅう]

騎士きしとは、祭壇さいだんにそのけんじげる聖職せいしょくしゃのぞき、こののあらゆる身分みぶんよりほまたか身分みぶんである。ゆえに、実際じっさいには土地とち不足ふそくからむずかしいものの、すべての騎士きしには領主りょうしゅたる権利けんりがある。騎士きしどう美徳びとくそなえず、騎士きしでないものは、くにおうたる、きみしゅたる資格しかく主君しゅくんたる資格しかくたない。

騎士きし十戒じっかい[編集へんしゅう]

レオン・ゴーティエ『騎士きしどう』(1884)

フランス騎士きしどう文学ぶんがく研究けんきゅうしゃレオン・ゴーティエが長年ながねん武勲ぶくん研究けんきゅうもとづいて編纂へんさんした中世ちゅうせい盛期せいき騎士きしどうの『十戒じっかい』とその概要がいよう以下いかとおりである[2]

だいいち戒律かいりつ なんじすべからく教会きょうかいおしえをしんじ、その命令めいれい服従ふくじゅうすべし[編集へんしゅう]

何人なんにんも、洗礼せんれいけクリスチャンになることなくして騎士きしになることは出来できない。信仰しんこうなか信仰しんこうのためにぬことこそが騎士きし義務ぎむであり、この戒律かいりつ地上ちじょうまもったものは、天国てんごくにおいて絶対ぜったいてき名誉めいよともせいなるはな芳香ほうこうつつまれむくわれる。

だい戒律かいりつ なんじ教会きょうかいまもるべし[編集へんしゅう]

だい戒律かいりつだいいち戒律かいりつ補完ほかんするものであり、キリストの戦士せんしたちはつねにこの文言もんごんまもることをもとめらる。騎士きしとは、教会きょうかいおしえを守護しゅごする戦士せんしであり、そのいちてきのこさずせいなる教会きょうかい守護しゅごながされねばならない。

だいさん戒律かいりつ なんじすべからくよわしゃたっとび、かのものたちの守護しゅごしゃたるべし[編集へんしゅう]

だいさん戒律かいりつにおいて「よわしゃ」は教会きょうかいふくむがそれにまらない概念がいねんであり、騎士きしにはなかのあらゆる弱者じゃくしゃ守護しゅごする任務にんむあたえられる。騎士きしは、とくかみつかえる聖職せいしょくしゃ女性じょせい子供こども寡婦かふ、そして孤児こじ守護しゅごしゃたらねばならない。

だいよん戒律かいりつ なんじ、そのまれし国家こっかあいすべし[編集へんしゅう]

騎士きしまれ故郷こきょうまちや、みずからの領地りょうちへのせま愛着あいちゃくしんでなく、くにすべてをあいする「愛国心あいこくしん」をたねばならない。

だい戒律かいりつ なんじてきまえにして退しりぞくことなかれ[編集へんしゅう]

だい戒律かいりつ戦場せんじょうおいてかえ発揮はっきされた戒律かいりつであり、当時とうじ騎士きしたちは「臆病者おくびょうものたるよりえらべ――一人ひとり臆病者おくびょうものぜん軍団ぐんだんひるませる!」「てき撃滅げきめつわれらの全滅ぜんめつ、それ以外いがいになし!」と唱和しょうわした。またけんたいして道具どうぐであるやりゆみ臆病者おくびょうもの騎士きし使つか武器ぶき做され、「はじめに弓引ゆみひもの不幸ふこうあれ。かのもの肉弾にくだんせんあたわぬ臆病者おくびょうものなのだ」という警句けいくのこされている。

だいろく戒律かいりつ なんじ異教徒いきょうとたいやすめず、容赦ようしゃをせずたたかうべし[編集へんしゅう]

騎士きしどう武勇ぶゆう発露はつろとして唯一ゆいいつ正当せいとうせいつのは、それを異教徒いきょうと相手あいて発揮はっきしたときだけである。異教徒いきょうと侵略しんりゃくめるためにたたかい、またときには十字軍じゅうじぐんとしててき侵攻しんこうすることは、騎士きし最高さいこう献身けんしんであり貢献こうけんであった。

だいなな戒律かいりつ なんじかみりつほうはんしないかぎりにおいて、臣従しんじゅう義務ぎむ厳格げんかくたすべし[編集へんしゅう]

だいなな戒律かいりつおしえるのはあらゆる封建ほうけんてき義務ぎむ遂行すいこうと、主君しゅくんたいするるがぬ忠誠ちゅうせいしんである。臣下しんか主君しゅくんたいし、その命令めいれいいつわりがい行為こういでなく、そして信仰しんこう教会きょうかいよわしゃがいするものでないかぎり、万事ばんじにおいて服従ふくじゅうする義務ぎむゆうする。

だいはち戒律かいりつ なんじうそいつわりをべるなかれ、なんじ誓言せいげん忠実ちゅうじつたるべし[編集へんしゅう]

騎士きしいつわりに警戒けいかいし、そしてうそべることは唾棄だきすべきこととらねばならない。

だいきゅう戒律かいりつ なんじ寛大かんだいたれ、そしてだれたいしてもほどこしをすべし[編集へんしゅう]

寛大かんだいさこそ騎士きしどう本質ほんしつひとつである。寄進きしん贈答ぞうとうほど偉大いだいなことはなく、騎士きし救貧きゅうひんいん病院びょういん建設けんせつや、まずしい部下ぶかへの寄付きふなど、すすんでよろこびをって手放てばなさねばならない。

だいじゅう戒律かいりつ なんじ、いついかなるとき正義せいぎぜん味方みかたとなりて、不正ふせいあくかうべし[編集へんしゅう]

騎士きしとは、つねたすけをもとめられているがごとくみみかたむけるものである。そして騎士きし秩序ちつじょ守護しゅごしゃ正義せいぎ復讐ふくしゅうしゃなることをゆめわすれてはならない。

その文献ぶんけん[編集へんしゅう]

ひじりヨハネ騎士きしだん紋章もんしょうマルタ十字じゅうじ

ひじりヨハネ騎士きしだん紋章もんしょうマルタ十字じゅうじ)は騎士きしどうつぎおしえをあらわしているとかたられる。

十字架じゅうじかの4つのうで基本きほんてき道徳どうとくあらわし、それぞれ慎重しんちょうさ、節制せっせい正義まさよし不屈ふくつ精神せいしん意味いみする。8つのとがったかく山上さんじょうたれくんの8つのめぐみをあらわし、それぞれ謙虚けんきょおもいやり、礼儀れいぎ献身けんしん慈悲じひきよらかさ、平和へいわ忍耐にんたい意味いみする。

教会きょうかい博士はかせであるひじりベルナールテンプル騎士きしだんたいしてつぎ著名ちょめい書簡しょかんあらわしている。

(テンプル騎士きしだん騎士きしたちは)おも戦争せんそうたたかうことがゆるされた、うたがいようのないキリストの戦士せんしなり。…かれらがキリストのためえら行為こういも、てきあたえる行為こういも、それは栄光えいこう以外いがいなにぶつにもあらず、ましてやつみにはだんじてあらず! キリストの戦士せんしたちがたずさえるけんかざりではない。それは不道徳ふどうとく浄化じょうかし、正義せいぎ栄光えいこうをもたらすものなり。悪人あくにんをもたらすは殺人さつじんにあらず、えてこの表現ひょうげんもちいらば、異教徒いきょうとせいする誅殺ちゅうさつなり!

また、シャルトルだい聖堂せいどうにはつぎ騎士きしいのりがきざまれている。

このうえなくせいなるおも全能ぜんのうちちよ…あなたはよこしままなしゃ悪意あくいくだ正義せいぎまもるためにけん使つかうのを、我々われわれにおゆるしになりました…どうか貴方あなたまえにいるこの下僕げぼくしんぜんけさせ、このけんであろうとけんであろうと、不正ふせい他人たにんきずつけるためにはけっして使つかわせないようになさってください。この下僕げぼくに、つね正義せいぎぜんまもるためにけんかせてください。

近世きんせい騎士きしどう[編集へんしゅう]

近世きんせい以降いこうキリスト教きりすときょうこく同士どうし戦争せんそう相次あいつぎ、その過程かてい国家こっか主義しゅぎ概念がいねん形成けいせいされると、騎士きしどう天上てんじょうかみでなく、地上ちじょう主君しゅくんへの忠誠ちゅうせいめいずる規律きりつへと変容へんようげた。さらに中世ちゅうせい後期こうき以降いこうアーサーおう伝説でんせつはじめとした情緒じょうちょてき騎士きしどう文学ぶんがく流布るふしたことにより、騎士きしどう宮廷きゅうていてき価値かちかんと、貴婦人きふじんたいする献身けんしんてき愛情あいじょうというロマンス要素ようそまれた[2]。こうして「かみへの献身けんしん異教徒いきょうととのたたかい、弱者じゃくしゃ守護しゅご」を核心かくしんとした中世ちゅうせい盛期せいき戦士せんし規律きりつは、すうひゃくねん近世きんせいには「主君しゅくんへの忠誠ちゅうせい名誉めいよ礼節れいせつ貴婦人きふじんへのあい」を骨子こっしとした宮廷きゅうていじん価値かちかんへとその姿すがたえた。

フランスのエレノア・アクラエムは、このロマンス騎士きしどうについて「騎士きしどうとレディのルール」をしめしている。ここでは騎士きしに「レディ」が重要じゅうよう役目やくめとして登場とうじょうする。騎士きしはレディを崇拝すうはいし、保護ほごし、しんなかだけであいする存在そんざいとして登場とうじょうし、レディはそれにたいして慈愛じあいあたえるのである。くあるのが主人しゅじん騎士きし奥方おくがたあいわか見習みならい騎士きしかれ奥方おくがたしん射止いとめようと努力どりょくをするが、これは「しんあい」で満足まんぞくしなくてはならない。「肉体にくたいあい」はきんじられている。そして主人しゅじんにん関係かんけいっておきながら、らないようによそおう。という構図こうずとなる。これが特殊とくしゅミンネとよばれる騎士きしとレディのあい物語ものがたり宮廷きゅうていあい)と現実げんじつもなっていく。騎士きしがわ姦通かんつうてき崇拝すうはい騎士きしどうてきあいだが、一方いっぽう貴婦人きふじんがわからのみちびきをもとめつつ崇拝すうはいするのが宮廷きゅうていてき至純しじゅんあいである。

この関係かんけい奇妙きみょうれいとして、あるトーナメントのエピソードがある。ある騎士きしはレディとの約束やくそく願掛がんかけ)で馬上もうえやり試合しあい甲冑かっちゅうをつけず、そのレディのドレスをたたかことちかった。その結果けっかかれたいけがをするのだが、レディはかれ気持きもちを「その試合しあい騎士きしがつけていただらけとなったドレス」をにまとい、パーティに出席しゅっせきすることでこたえた。

武士ぶしどう騎士きしどう[編集へんしゅう]

騎士きしどうとは西洋せいよう一般いっぱん行動こうどう規範きはんであるが、日本にっぽんにも武士ぶしどうばれる規範きはん存在そんざいし、騎士きしどう対比たいひされることがある。武田たけだによる対比たいひ以下いかしめす。

騎士きしどう武士ぶしどう時代じだいてき変遷へんせん比較ひかく武田たけだによる[2]
騎士きしどう 武士ぶしどう
ゲルマン 戦場せんじょうでの武勲ぶくんだいいちけっしていてはならない 戦国せんごく 勝利しょうりだいいちたたかうべきときたたか 戦場せんじょうにおける行動こうどう原理げんり
(キリストきょう影響えいきょう 儒教じゅきょう思想しそう影響えいきょう
中世ちゅうせい盛期せいき かみへの献身けんしん異教徒いきょうととのたたかい、弱者じゃくしゃ守護しゅご 江戸えど 主君しゅくんへの忠誠ちゅうせい誠実せいじつである、のため行動こうどうする 道義どうぎろんてき価値かちかん
国家こっか主義しゅぎ中世ちゅうせい騎士きし物語ものがたり影響えいきょう 国家こっか主義しゅぎ影響えいきょう
近世きんせい 主君しゅくんへの忠誠ちゅうせい名誉めいよ礼節れいせつ貴婦人きふじんへのあい 明治めいじ 主君しゅくんへの忠義ちゅうぎ名誉めいよ敬意けいい、フェア・プレイ精神せいしん みんうえものとしての規範きはん

ひょうしめされたとおり、ゲルマン民族みんぞく価値かちかん戦国せんごく武士ぶしどうは、戦闘せんとうしゃ心得こころえとしてあいつうじる規律きりつであった。それが時代じだいとともに教化きょうかされ、両者りょうしゃともに道義どうぎろんてき価値かちかんへの変容へんようる。最後さいごに、この道徳どうとくかん国家こっか主義しゅぎ背景はいけいとしたおおやけ精神せいしんまれることで、みんうえものとしての規範きはん完成かんせいした。すなわち、騎士きしどう武士ぶしどうみなもとおなじくしながらも、その道徳どうとくかん形成けいせいした価値かちかんちがい(キリストきょう儒教じゅきょう)と、ロマンス要素ようそ有無うむというてんにおいて、徐々じょじょにそのみちかったとされる[2]とく顕著けんちょれいとして、近世きんせい騎士きしどうでは貴婦人きふじんへのあい重要じゅうよう要素ようそである一方いっぽう武士ぶしどうにそうしたおしえはられない。

武士ぶし主人しゅじんたいして主従しゅうじゅうむすぶのにたいして、騎士きしちかいはかみとの契約けいやくであり、帰依きえするのはあくまでもかみおしえである。したがってあるじかみおしえにそむ理不尽りふじん命令めいれいをした場合ばあい自分じぶんしんなかこえるこえくことでそれを拒否きょひしてもいとされる[2]

そうじて、武士ぶしどう自身じしん名誉めいよ意地いじを、騎士きしどうただしさをおもんじるというがある。戦争せんそうにおいて武士ぶしどうではてきへの降伏ごうぶく拒否きょひしての自殺じさつがあるが騎士きしどうにはこれがなく、わりにぬまで抗戦こうせんすることをえらぶ。うまでもなく、キリストきょう自殺じさつきんじているためである[注釈ちゅうしゃく 3]

なお、その理念りねん成立せいりつ時期じきは、両者りょうしゃおおきくがあるようにおもえるが、騎士きしどう成立せいりつした中世ちゅうせい盛期せいきは、日本にっぽんにおいては武家ぶけ政権せいけん本格ほんかく始動しどうした鎌倉かまくら時代ときよである。この時代じだいに「弓馬きゅうばみち」なる武士ぶしどう起源きげん成立せいりつしており、その意味いみでは多少たしょう共通きょうつうてんがあるとえよう。また山岡やまおか鉄舟てっしゅうによれば、武士ぶしどうなる概念がいねんは、中世ちゅうせいより存在そんざいしていたが、自分じぶん名付なづけるまでは「武士ぶしどう」とはばれていなかったとしている[6]

関連かんれんした作品さくひん[編集へんしゅう]

ドン・キホーテギュスターヴ・ドレによる挿絵さしえ
文学ぶんがく
ミュージカル

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ただし『ダ・ヴィンチ・コード著者ちょしゃダン・ブラウンレディーファースト道徳心どうとくしん発露はつろではく、「魔女まじょ迫害はくがいから、救世主きゅうせいしゅ末裔まつえい擁護ようごすることを存在そんざい意義いぎとする騎士きしだん行動こうどう規範きはんよりはじまったと推論すいろんしている。
  2. ^ 気前きまえさ」と「清貧せいひん」は一見いっけん相反あいはんするおしえにえるが、どちらも財産ざいさんたくわえればそれをまもるというよくるため「蓄財ちくざいをするな」というおしえである。いちれいとしてテンプル騎士きしだんいん私有しゆう財産ざいさん所持しょじきんじられ、2人ふたりうまいちとう共有きょうゆうするほど質素しっそ倹約けんやくつとめた。
  3. ^ リュイはこのてん関連かんれんして、「騎士きし自刃じじんゆるされていない。ゆえにぬすみや強盗ごうとうはたらいた騎士きしは、騎士きしした出頭しゅっとうし、処刑しょけいされねばならない」としるしている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Francis Warre-Cornish (1908). Chivalry. Swan Sonnenschein & Co., Lim. 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n レオン・ゴーティエ (2020ねん1がつ). 武田たけだ秀太郎ひでたろう. ed. 騎士きしどう. 中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ 
  3. ^ From Sarmatia to Alania to Ossetia: The Land of the Iron People | GeoCurrents
  4. ^ トマス・ブルフィンチ 野上のかみ弥生子やよこわけ中世ちゅうせい騎士きしどう物語ものがたり岩波書店いわなみしょてん
  5. ^ アンドレア・ホプキンズ. 西洋せいよう騎士きしどう大全たいぜん. 東洋とうよう書林しょりん 
  6. ^ 神道しんとうにあらず儒道じゅどうにあらず仏道ぶつどうにあらず、かみ儒仏じゅぶつさんみち融和ゆうわ道念どうねんにして、中古ちゅうこ以降いこうもっぱ武門ぶもんおいて其著しきをる。鉄太郎てつたろう鉄舟てっしゅう)これを名付なづけて武士ぶしどううんふ」山岡やまおか鉄舟てっしゅうかつ海舟かいしゅう武士ぶしどう』(慶応けいおうよんねん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

行動こうどう規範きはん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]