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アレクサンドル・オパーリン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Алекса́ндр Ива́нович Опарин
Alexander Oparin
アレクサンドル・オパーリン
アレクサンドル・オパーリン(1970年代ねんだい中期ちゅうき)
生誕せいたん (1894-03-02) 1894ねん3月2にち
ロシア帝国の旗 ロシア帝国ていこくウグリチ
死没しぼつ 1980ねん4がつ21にち(1980-04-21)(86さいぼつ
ロシア・ソビエト連邦れんぽう社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこくモスクワ
国籍こくせき ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦れんぽう
研究けんきゅう分野ぶんや 生化学せいかがく
研究けんきゅう機関きかん モスクワ大学だいがく
ソ連邦それんぽう科学かがくアカデミー
出身しゅっしんこう モスクワ大学だいがく
おも業績ぎょうせき 生命せいめい起源きげん理論りろん
コアセルベート
プロジェクト:人物じんぶつでん
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アレクサンドル・イヴァノヴィッチ・オパーリンАлекса́ндр Ива́нович ОпаринAleksandr Ivanovich Oparinユリウスれき1894ねん2がつ18にち(グレゴリオれき3月2にち)-1980ねん4がつ21にち)は、ソ連それん生化学せいかがくしゃ化学かがく進化しんかせつ提唱ていしょうしゃ

略歴りゃくれき

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モスクワ北方ほっぽうヴォルガがわほとりまちに3にん兄弟きょうだい末子まっしとしてまれる。あねはフランスのナンシー大学だいがく医学部いがくぶまな故郷こきょう医者いしゃに、あに経済けいざい学者がくしゃとなり大学だいがく教授きょうじゅとなった。オパーリン自身じしんモスクワ大学だいがく物理ぶつり数学すうがく自然しぜん科学かがく入学にゅうがく当時とうじツァーリ政治せいじてき圧迫あっぱくから大学だいがくっていた植物しょくぶつ生理学せいりがくしゃクリメント・チミリャーゼフKliment Timiryazev)に個人こじんてきまなんでいる。2がつ革命かくめいと10がつ革命かくめいあいだどう大学だいがく卒業そつぎょう生化学せいかがくしゃアレクセイ・バッハAleksei Nikolaevich Bach)のした生化学せいかがく研究けんきゅういそしむようになる(当時とうじおも研究けんきゅうは、植物しょくぶつばえに関連かんれんした呼吸こきゅう色素しきそタンパク質たんぱくしつ代謝たいしゃ酵素こうそ生成せいせいなどについてであった)。

そのドイツ留学りゅうがくし、ベルリン大学だいがくカール・ノイベルクハイデルベルク大学だいがくアルブレヒト・コッセルミュンヘン大学だいがくリヒャルト・ヴィルシュテッターらにまなんで帰国きこくする。1929ねんモスクワ大学だいがく植物しょくぶつ生理せいり化学かがく教授きょうじゅ1935ねんにバッハ名誉めいよ科学かがくアカデミー生化学せいかがく研究所けんきゅうじょ研究けんきゅういんとなり、1946ねんからはどう研究所けんきゅうじょ所長しょちょう就任しゅうにんしている。また同年どうねんソ連それん科学かがくアカデミはじめ正会員せいかいいん1953ねんどう幹部かんぶ会員かいいんとなった。

オパーリンは社会しゃかい活動かつどうとしても活動かつどうしており、1950ねんにソビエト平和へいわ擁護ようご委員いいんかい委員いいんおよび世界せかい平和へいわ評議ひょうぎかい委員いいん1952ねんには世界せかい科学かがくしゃ連盟れんめいふく会長かいちょう就任しゅうにんするなど、平和へいわ運動うんどう従事じゅうじした。

1954ねんにはソビエト政治せいじ科学かがく知識ちしき普及ふきゅう協会きょうかい理事りじかい総裁そうさいとなり、1955ねんロシア共和きょうわこく最高さいこう会議かいぎ幹部かんぶ会員かいいんにも選出せんしゅつされている。同年どうねん11がつには日本にっぽん生化学せいかがく協会きょうかい30ねん記念きねんさいまねかれて来日らいにちし、各地かくち講演こうえんおおきな感銘かんめいあたえている。来日らいにちしたさい講演こうえん以外いがいに、東京大学とうきょうだいがく東京都立大学とうきょうとりつだいがく名古屋大学なごやだいがく京都大学きょうとだいがく大阪大学おおさかだいがくなどで学者がくしゃとの討論とうろん懇談こんだんなどをおこなった。また、東大とうだい伝染でんせんびょう研究所けんきゅうじょ東大とうだい植物しょくぶつえん応用おうよう微生物びせいぶつ研究所けんきゅうじょ厚生省こうせいしょう予防よぼう衛生えいせい研究所けんきゅうじょ農林省のうりんしょう食糧しょくりょう研究所けんきゅうじょ農業のうぎょう技術ぎじゅつ研究所けんきゅうじょ醸造じょうぞう試験しけんしょ徳川とくがわ生物せいぶつがく研究所けんきゅうじょ野田のだ醤油じょうゆ研究所けんきゅうじょおよびその工場こうじょう流山ながれやまアルコール工場こうじょう宇治うじちゃぎょう試験しけんしょ京都きょうと日本酒にほんしゅ醸造じょうぞうしょなどを見学けんがくした。(岩波書店いわなみしょてん生命せいめい起源きげん生化学せいかがく参照さんしょう

研究けんきゅう業績ぎょうせき

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オパーリンの研究けんきゅうは、(1)生命せいめい起源きげん(2)細胞さいぼうない酵素こうそ作用さよう (3)工業こうぎょう生物せいぶつ化学かがくかんしてとく活発かっぱつおこなわれた。

(1)については天文学てんもんがく化学かがく地質ちしつがく生物せいぶつがくなどのしょ成果せいかもとづき、地球ちきゅうじょう生命せいめい物質ぶっしつ特殊とくしゅ複雑ふくざつ運動うんどう形態けいたいであり、地球ちきゅうじょう歴史れきし一定いってい時期じき物質ぶっしつ必然ひつぜんてき発展はってん結果けっか発生はっせいしたものであり、その発生はっせいへの過程かてい完全かんぜん物理ぶつりてき化学かがくてき法則ほうそくによって決定けっていされたものであるとするせつはじめて体系たいけいてき提起ていきし、学界がっかいおおきな影響えいきょうあたえた。

(2)については、細胞さいぼうないでの酵素こうそ作用さよう細胞さいぼう構造こうぞう密接みっせつ関連かんれんしておこなわれるもので、細胞さいぼうがいでの作用さようとはことなるとするせつ提起ていきし、酵素こうそとしてはとくカルボヒドラーゼについて研究けんきゅうおこなっている。この研究けんきゅう理論りろんじょうのみならず栽培さいばい植物しょくぶつ糖分とうぶん含有がんゆうりょう早熟そうじゅくたいひでりせいなどの解明かいめいにも役立やくだったとされている。

(3)の研究けんきゅうは1930ねんごろからおこなわれ、植物しょくぶつ原料げんりょうとする工業こうぎょうてき生産せいさんぶつについて、その製造せいぞう工程こうていには酵素こうそ触媒しょくばい作用さよう重要じゅうよう役割やくわりたすとの認識にんしきち、サトウダイコン保存ほぞんほうパンちゃぶどうしゅたばこなどの製造せいぞう工程こうてい生化学せいかがくてき基礎きそ研究けんきゅうし、生産せいさん発展はってんおおきく貢献こうけんした。

生命せいめい起源きげん

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オパーリンは1920ねんごろ生命せいめい起源きげんについて自説じせつ本質ほんしつ部分ぶぶん発表はっぴょうしている。当時とうじ最初さいしょ生命せいめいについては自家じか栄養えいようてきこう気性きしょう細菌さいきん遊離ゆうり酸素さんそ使つかって無機物むきぶつ酸化さんかすることでエネルギーを、これを利用りようして二酸化炭素にさんかたんそ還元かんげんして有機物ゆうきぶつ合成ごうせいし、増殖ぞうしょくしていく微生物びせいぶつ)というのが定説ていせつとなっていたが、かれはそのせつ批判ひはんし、「他家たけ栄養えいようてき嫌気いやけせい細菌さいきんこそ最初さいしょ生命せいめいである」と植物しょくぶつ学会がっかいべている。

オパーリンは1923ねん、この問題もんだいかんしょう冊子さっし出版しゅっぱんした。さらに1936ねんには天文学てんもんがく地学ちがく生化学せいかがく研究けんきゅう成果せいかれ、より充実じゅうじつした『生命せいめい起源きげん』を出版しゅっぱんした。オパーリンのせつによる生命せいめい発生はっせいへの経路けいろつぎとおりである。

原始げんし地球ちきゅう内部ないぶ炭素たんそ金属きんぞくからカーバイドしょうじ、それが噴出ふんしゅつして大気たいきちゅう過熱かねつ水蒸気すいじょうき反応はんのう最初さいしょ簡単かんたんな、しかし反応はんのうせい有機物ゆうきぶつ炭化たんか水素すいそ)が大量たいりょう生成せいせいされた。その相互そうごあいだの、また過熱かねつ水蒸気すいじょうきアンモニアとの反応はんのうにより一連いちれんていつぎ有機ゆうき物質ぶっしつぐん生成せいせいされた。これが地球ちきゅう冷却れいきゃくともな水蒸気すいじょうき凝結ぎょうけつした熱湯ねっとうあめかされて地表ちひょうそそぎ、ていつぎ有機ゆうき物質ぶっしつふくうみとなり、この海洋かいようちゅうタンパク質たんぱくしつふく複雑ふくざつ高分子こうぶんし有機物ゆうきぶつへと化合かごうすすみ、それらがあつまってコロイド粒子りゅうしができ、周囲しゅうい媒質ばいしつから独立どくりつし、原始げんしてき物質ぶっしつ代謝たいしゃ生長せいちょうおこなコアセルベートえきしずくができた。このコアセルベートの進化しんか自然しぜん淘汰とうたとによってやがて原始げんしてき有機ゆうき栄養えいよう生物せいぶつ発生はっせいし、ついで原始げんしてき無機むき栄養えいよう生物せいぶつ発生はっせいした、というものである。

オパーリンはその研究けんきゅうふかめ、1957ねんに『地球ちきゅうじょう生命せいめい起源きげん』、1966ねんには『生命せいめい起源きげん生命せいめい生成せいせい初期しょき発展はってん』が出版しゅっぱんされた。66年版ねんばんでは、コアセルベートよりも複雑ふくざつととのった機構きこうつが、原始げんしてき生物せいぶつよりは簡単かんたんけいプロトビオント」について、その進化しんかろんじている。この研究けんきゅうあたらしい科学かがく分野ぶんや宇宙うちゅう生物せいぶつがくへのみちひらくものでもあった。