イギリスの新聞しんぶん一覧いちらん

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イギリスの新聞しんぶん一覧いちらんは、イギリス発行はっこうされる新聞しんぶん一覧いちらんである。

概説がいせつ[編集へんしゅう]

イギリスは階級かいきゅう社会しゃかいであり、新聞しんぶん高級こうきゅう大衆たいしゅうかれている。高級こうきゅうとは上流じょうりゅう階級かいきゅう知的ちてき階層かいそうけの真面目まじめ新聞しんぶんである。クオリティ・ペーパーばれ、権威けんいがある。大衆たいしゅうとは中流ちゅうりゅう階級かいきゅう労働ろうどうしゃ階級かいきゅうけの娯楽ごらく新聞しんぶんである。興味きょうみ本位ほんいゴシップセンセーショナリズム色気いろけ悪名あくめいとどろかせている[1]

高級こうきゅう発行はっこう部数ぶすう大衆たいしゅうくらべるとすくない。大衆たいしゅうもっとれている「サン」は120まん高級こうきゅうもっとれている「タイムズ」は36まんにすぎない[2]

高級こうきゅう大判おおばん新聞紙しんぶんし使用しようしているので、ブロードシートばれる。また大衆たいしゅう小型こがた新聞紙しんぶんし使用しようしているので、タブロイドばれる。しかし最近さいきん高級こうきゅう携帯けいたいせい重視じゅうしして小型こがたし、タブロイドを使用しようしていることおおい。

日本にっぽんことなり戸別こべつ宅配たくはい制度せいどはないためえき売店ばいてん小売こうりてん(エージェント)での販売はんばい中心ちゅうしんである。またさい販売はんばい価格かかく維持いじがないため価格かかく競争きょうそうきることもある[2]。1990年代ねんだいにはタイムズが口火くちびって、安売やすう合戦かっせんおこなわれた[1]

歴史れきし[編集へんしゅう]

イギリスは言論げんろん自由じゆう近代きんだいジャーナリズムの成立せいりつおおきな役割やくわりたした新聞しんぶん史上しじょう重要じゅうようくにである。

っても、16世紀せいきから17世紀せいきのヨーロッパでは新聞しんぶんドイツさかんで、イギリスはそれほどでもなかった。たとえば16世紀せいき、ドイツではニュースを記述きじゅつしたビラやパンフレット形式けいしき印刷物いんさつぶつである「フルークブラット」が出版しゅっぱんされた。イギリスでも「リレーション」が出版しゅっぱんされたが、フルークブラットとくらべるとかずすくなかった。17世紀せいき定期ていき刊行かんこう新聞しんぶんでも、イギリスはつ週刊しゅうかん新聞しんぶんである「ウィークリー・ニューズ」(1622ねん)は、ドイツに10ねん以上いじょうおくれをった。しかし、イギリスでは清教徒せいきょうと革命かくめい名誉めいよ革命かくめいつうじて、言論げんろん自由じゆう徐々じょじょみとめられてった。一方いっぽう大陸たいりくでは専制せんせい君主くんしゅ支配しはい強力きょうりょくだった。ドイツでは19世紀せいきまで言論げんろん自由じゆうみとめられず、新聞しんぶん発展はってんしなかった。

18世紀せいきのイギリスには、いろいろな新聞しんぶん放題ほうだいコーヒー・ハウス登場とうじょうした。裕福ゆうふく商工しょうこう業者ぎょうしゃであるブルジョワジー新聞しんぶんもと政治せいじ議論ぎろんおこない、貴族きぞくサロンおなじように論壇ろんだん形成けいせいした。1702ねんには、いちはやデイリー・クーラントはつ日刊にっかん新聞しんぶんとして登場とうじょうした[3]。また、このころタイムズなど高級こうきゅう創刊そうかんされた[4]

19世紀せいきになると大衆たいしゅう登場とうじょうした。大衆たいしゅうはアメリカのイエロージャーナリズム有名ゆうめいだが、イギリスも大衆たいしゅう源流げんりゅうひとつである。「廉価れんかだい部数ぶすう」の商業しょうぎょう主義しゅぎ大衆たいしゅうはイギリスからはじまった[5]

1896ねんアルフレッド・ハームズワースによって、デイリー・メール創刊そうかんされた。1903ねんにはデイリー・ミラー創刊そうかんされた。これらは写真しゃしんなど当時とうじ最新さいしん技術ぎじゅつ使つかって、ボーア戦争せんそうから国王こくおうエドワード7せいがおまでを報道ほうどう部数ぶすうばした。その、ハームズワースはタイムズなども買収ばいしゅうし、一族いちぞく新聞しんぶん王国おうこくきずいた。かれらのほかにもウィリアム・マクスウェル・エイトキンやロイ・トムソンなどの新聞しんぶんおう誕生たんじょう爵位しゃくいおくられた(プレス・バロン)。

1930年代ねんだい大衆たいしゅう販売はんばい競争きょうそう最高潮さいこうちょうむかえる。デイリー・ヘラルド(現在げんざいのサン)は豪華ごうか景品けいひんえさ拡販かくはんはじめた。この戦略せんりゃく経営けいえい圧迫あっぱくし、デイリー・ヘラルドは倒産とうさん。デイリー・ミラーに買収ばいしゅうされた[5]

だい世界せかい大戦たいせんこうもデイリー・ミラーの時代じだいつづいた。戦後せんごはつそう選挙せんきょでは、デイリー・ミラーがクレメント・アトリーウィンストン・チャーチル勝利しょうり1964ねん、デイリー・ミラーは500まん突破とっぱ黄金おうごんむかえた。一方いっぽうでイギリスはイギリスびょうばれる不景気ふけいきくるしんだ。

1970年代ねんだいになるとあらたな新聞しんぶんおうルパート・マードック登場とうじょうする。当時とうじ、タイムズやオブザーバーなどイギリスの新聞しんぶんは、労使ろうし紛争ふんそう激化げきか経営けいえいなんおちいっていた[1]。マードックはサンやタイムズなどを次々つぎつぎ買収ばいしゅうし、ニューズ・コープ傘下さんかおさめた。右派うはのサンはフォークランド紛争ふんそう主戦しゅせんろん展開てんかいし、左派さは反戦はんせんのデイリー・ミラーをとした。

経営けいえい不振ふしんおちいったデイリー・ミラーを買収ばいしゅうしたのがロバート・マクスウェルである。1980年代ねんだい、マードックのサンとマクスウェルのデイリー・ミラーは死闘しとうひろげた。このたたかいはマードックが勝利しょうりし、マクスウェルは怪死かいしげた[2]

ライバルをたおしたマードックは1990年代ねんだい国籍こくせきメディア・コングロマリット形成けいせい邁進まいしんした。

高級こうきゅう(Quality paper)[編集へんしゅう]

タブロイド(Tabloid newspaper)[編集へんしゅう]

中級ちゅうきゅう("Middle-market" tabloid newspaper)[編集へんしゅう]

大衆たいしゅう(Popular paper)[編集へんしゅう]

地方紙ちほうし[編集へんしゅう]

その[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 『マス・コミュニケーション概論がいろんISBN 978-4313410527
  2. ^ a b c 山本やまもとひろし仁義じんぎなき英国えいこくタブロイド伝説でんせつISBN 978-4106100970
  3. ^ Anna M Pagan. “What's The News; The Age Of Addison”. Ourcivilisation.com. 2017ねん7がつ30にち閲覧えつらん
  4. ^ 吉見よしみ俊哉としや『メディア文化ぶんかろんISBN 978-4641121904
  5. ^ a b 前澤まえさわたけし新聞しんぶん病理びょうりISBN 978-4000233538

関連かんれん事項じこう[編集へんしゅう]