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エリードひめ

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エリードひめ』(仏語ふつご原題げんだい La Princesse d'Élide )は、モリエール戯曲ぎきょく。1664ねん発表はっぴょうヴェルサイユ宮殿きゅうでんにて同年どうねん5がつ8にち初演しょえん。11月にはパレ・ロワイヤルにて市民しみんにも披露ひろうされた。

登場とうじょう人物じんぶつ

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  • エリードひめ
  • アグランテ…エリードひめのいとこ
  • シンシエ…同上どうじょう
  • フィリス…エリードひめひつじ
  • イピタス…エリードひめちち
  • ユリアル…イタクの王子おうじ
  • アリストメーヌ…メセネーの王子おうじ
  • セオクル…ピールの王子おうじ
  • アルバート…ユリアルの養育よういくがかり
  • モロン…エリードひめかかえの道化師どうけし

あらすじ

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舞台ぶたいはギリシャ。

だい1の幕間まくあいげき

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オーロールのうたこいうた幕開まくあけ。おう猟犬りょうけんばんたちは彼女かのじょうたますが、リシスカスだけはまさない。ようやく目覚めざめたかれは、狩猟しゅりょうラッパをらし、それにヴァイオリンがくわわり、その音楽おんがくわせて猟犬りょうけんばんたちがおどる。

だい1まく

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エリード国王こくおうであるイピタスは、むすめ狩猟しゅりょう熱中ねっちゅうするあまりに結婚けっこん関心かんしんしめさないのを心配しんぱいして、そのになってくれるように期待きたいして、宮廷きゅうていにユリアル、アリストメーヌ、セオクルを結婚けっこん相手あいて候補者こうほしゃとしてせた。ユリアルはエリードひめにひとめぼれをしたが、アリストメーヌとセオクルがひめつめたくあしらわれているのをて、告白こくはくするのをおもいとどまっていた。その気持きもちを養育よういくがかりであるアルバートに相談そうだんしているところへ、モロンが登場とうじょういかくるって突進とっしんしてくるイノシシからげてきたのだった。モロンはエリードひめつかえる道化師どうけしだが、彼女かのじょから一目いちもくかれているので、ユリアルはかれたのんで自分じぶん気持きもちをつたえてもらおうとたのむ。そこへアリストメーヌとセオクルがエリードひめ一緒いっしょ登場とうじょうひめもイノシシにおそわれ、あぶないところをアリストメーヌにたすけられたのだが、「自分じぶん退治たいじするつもりだったのに」となおも狩猟しゅりょうへの執着心しゅうちゃくしんせる。これをてユリアルは、彼女かのじょしんをつかむために計略けいりゃくくわだてるのであった。

だい2の幕間まくあいげき

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モロンはあいするむすめ、フィリスをぶ。彼女かのじょぶとこだまがかえってくるので、面白おもしろくなり、いろんなわらごえしてあそんでいる。そこへくまあらわれ、かれのぼってなんのがれようとする。そこへ農夫のうふたちがやりって登場とうじょうし、くまはらってくれた。かれらのおどりとともに、だい2まくへ。

だい2まく

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ユリアルの計略けいりゃくとは、エリードひめ無視むしすることだった。アリストメーヌやセオクルら、王子おうじたちがいいよってつめたくあしらわれるなら、ぎゃくまった関心かんしんがないとふりをしようというのである。そのさくにしたがって、ひめ無視むしするユリアルであったが、ひめはそれが我慢がまんならない。あいこたえるつもりはないが、自分じぶん夢中むちゅうにならない王子おうじがいるのはゆるせないのである。自尊心じそんしんきずつけられたひめは、それを従姉妹いとこけるのだった。おうによって3にん王子おうじ馬車ばしゃ競争きょうそうをすることになった。ユリアル以外いがい王子おうじひめるために全力ぜんりょくくすとちかうが、ユリアルだけはただ名誉めいよのためにのみたたかうとちかう。この言葉ことばにより一層いっそうはらて、ユリアルのしんえてみせると従姉妹いとこちかうエリードひめであった。

だい3の幕間まくあいげき

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モロンとフィリスが登場とうじょう。モロンにつれない返事へんじしかしないフィリスは、かれだまるようにめいずる。おもいを身振みぶりでのみ表現ひょうげんしようと奮闘ふんとうするモロンであったが、一言ひとことだけくちすべらせてしまい、フィリスはってしまった。そこへうた上手じょうずなサティールが登場とうじょう。モロンはかれうたおしえてくれるようたのむが、たのんだくせにまじめにかなかったので、サティールはおこってけんかになってしまった。そのけんかにおどしゅくわわり、バレーでめくくる。

だい3まく

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馬車ばしゃ競争きょうそうでユリアルは見事みごと勝利しょうりした。それをたたえる余興よきょうで、エリードひめ見事みごとおどりを披露ひろうするが、なおもユリアルは冷淡れいたん態度たいどしかしめさなかった。エリードひめ不安ふあんかんはじめるが、内心ないしんではユリアルはひめ大変たいへん魅了みりょうされているのだった。かれはその気持きもちをモロンにける。そこへひめもやってきて、王子おうじ自分じぶんをどうおもっているのか、モロンにいただす。モロンは「イタク王子おうじはあなたになん関心かんしんせてはいない」とユリアルの告白こくはくせい反対はんたいのことをひめつたえたのであった。

だい4の幕間まくあいげき

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フィリスは恋人こいびとであるティルシスのうたきほれている。そこへモロンがあらわれ、フィリスのしんかえそうとするが、結局けっきょく徒労とろうわってしまう。

だい4まく

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ひめはユリアルのしんさぶろうとして、アリストメーヌをあいしているといつわって告白こくはくした。しかしユリアルは困惑こんわくするどころか、ひめ従姉妹いとこったので、結婚けっこんもうむつもりであることをげる。その言葉ことばひめ動揺どうようし、ユリアルとの結婚けっこんめるように従姉妹いとこ説得せっとくするのだった。おもどおりにいかずにイライラして、モロンにたりらすエリードひめは、モロンにしんうち見透みすかされてしまう。

だい5の幕間まくあいげき

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クリメーヌとフィリスがあいについてかたい、うたをうたう。しかし、エリードひめ邪魔じゃまをされ、中断ちゅうだんされてしまう。

だい5まく

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エリードひめちちである国王こくおうイピタスにいにくと、ユリアルがそこにいた。イピタスはひめのこころをうごかしたことをユリアルに感謝かんしゃしており、ユリアルは結婚けっこんゆるしをもとめていたのであった。ひめはそこへってはいり、ユリアルと従姉妹いとことの結婚けっこん許可きょかしないようにおう懇願こんがんする。おうひめさとし、ユリアルとの結婚けっこん提案ていあんするが、ユリアルがそれをのぞんでいないとかんがえているひめはききいれようとしない。そこでユリアルははじめて本心ほんしんけ、彼女かのじょもそれにこたえて結婚けっこん同意どういするのであった。

だい6の幕間まくあいげき

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ひめ結婚けっこんいわってむすめたちのうたおどりがはなやかにひろげられ、まくじる。

成立せいりつ過程かてい

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1664ねん、ほぼ工事こうじ完成かんせいしたヴェルサイユ宮殿きゅうでんにてもよおされた祝典しゅくてん魔法まほうしま歓楽かんらく」にて5がつ8にち披露ひろうされた。4にちの12にちには「タルチュフ」がはつ披露ひろうされている[1]

スペインのげき作家さっかであるモレトの「侮辱ぶじょくには侮辱ぶじょくを( El Desden con el desden )」を粉本ふんぽんとしている。だい1の幕間まくあいげきだい1まく台詞せりふから、ルイ14せいルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール念頭ねんとうかれたようである。祝典しゅくてんにふさわしいはなやかさがもとめられたこと、当時とうじ貴族きぞく素養そようとして舞踊ぶよう必須ひっすであったこと、当時とうじ観客かんきゃくたちには言葉ことばだけの演劇えんげきはウケがわるかったことなどから、随所ずいしょにバレーがりばめられている[2]

ほんさく初演しょえん以降いこうもパレ・ロワイヤルで度々たびたび上演じょうえんされ、1669ねんにはサン=ジェルマン=アン=レー避暑ひしょかけたルイ14せいいちぎょうまえで4上演じょうえんにかけられている。ラ・グランジュの『帳簿ちょうぼ』によれば、かなりの興行こうぎょう成績せいせきげており、成功せいこうおさめた作品さくひんであるとえる[3]

日本語にほんごやく

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脚注きゃくちゅう

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  • 白水しろみずしゃ」は「モリエール名作めいさくしゅう 1963ねん刊行かんこうばん」、「河出かわで書房しょぼう」は「世界せかい古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう3-6 モリエール 1978ねん刊行かんこうばん」、「筑摩書房ちくましょぼう」は「世界せかい古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう47 モリエール 1965ねん刊行かんこうばん」。
  1. ^ 筑摩書房ちくましょぼう P.468
  2. ^ モリエール『エリードの姫君ひめぎみ』におけるコメディー・バレーの構造こうぞう 日比野ひびの雅彦まさひこ 中京大学ちゅうきょうだいがく教養きょうよう論叢ろんそう 27(2), P.233,1986-09-20
  3. ^ Ibid P.235,6