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メリセルト

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メリセルト』(仏語ふつご原題げんだい Mélicerte )は、モリエール戯曲ぎきょく。1666ねん発表はっぴょうサン=ジェルマン=アン=レーじょうにて同年どうねん12がつ2にち初演しょえん現存げんそんするモリエールの戯曲ぎきょくのうち、唯一ゆいいつ未完みかん作品さくひん

登場とうじょう人物じんぶつ

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  • アカント…ダフネにこいするおとこ
  • ティレーヌ…エロクセーヌにこいするおとこ
  • ダフネ…ひつじいのむすめニンフ
  • エロクセーヌ…〃
  • リカルシス…ひつじい、ミルティルの父親ちちおやかんがえられている
  • ミルティル…メリセルトにこいするおとこ
  • メリセルト…ニンフ。ひつじいのむすめ。ミルティルにこいしている
  • コリンヌ…メリセルトの相談そうだん相手あいて
  • ニカンドル…ひつじ
  • モプス…ひつじい、メリセルトの伯父おじおもわれている

あらすじ

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舞台ぶたいテッサリア甘美かんびテンピ渓谷けいこく

だい1まく

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アカントとティレーヌは、それぞれこいするダフネとエロクセーヌ(=ニンフ)にこいをささやくが、相手あいてにしてもらえない。彼女かのじょたちはおたがいにミルティルにこいをしているのだった。恋敵こいがたきであることが判明はんめいした2人ふたりは、リカルシスにこいけ、ミルティル自身じしん決着けっちゃくをつけてもらうことにした。と、そこへリカルシスらがやってきた。リカルシスは「この渓谷けいこく国王こくおういちぎょうがやってきたのをた、今日きょうはこのもりるんだぞ」とってさわいでいる。そのリカルシスにニンフたちはミルティルへのこいけ、ミルティル自身じしん決着けっちゃくをつけさせることを承諾しょうだくしてもらった。ところがミルティルは、ニンフのどちらもえらばなかった。かれかれで、メリセルトにこいをしているのだった。

だい2まく

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ニンフたちがリカルシスをんで、ミルティルにこいけたことをって、動揺どうようするメリセルト。彼女かのじょもミルティルにこいをしていたが、ニンフたちのほう身分みぶんたかいので、自分じぶん不利ふりさとって不安ふあんになっている。そこへミルティルがやってきた。メリセルトがんでいるのをて、心配しんぱいするミルティルであったが、彼女かのじょ自分じぶん結婚けっこんばなしなやんでいることをって、自分じぶんあいつよさをメリセルトのまえかみちかうのだった。ところがそのちかいの場面ばめんを、リカルシスがていた。リカルシスははじめはかれらのこい反対はんたいしていたが、ミルティルのじょうのこもったうったえにほだされて、みとめざるをなくなった。こいみとめてもらったことをうれしくおもい、メリセルトをさがしにくミルティルであったが、メリセルトの姿すがたえない。ニカンドルによれば、国王こくおう彼女かのじょだい貴族きぞく結婚けっこんさせるために、れてったという。うミルティルたちであった。

先述せんじゅつしたように未完みかん作品さくひんのため、ここで終了しゅうりょうしている。1682ねん刊行かんこうされたモリエール全集ぜんしゅうには「国王こくおう陛下へいかがこの喜劇きげきたいとおっしゃったときには、ここまでしか出来できていなかったが、陛下へいか上演じょうえんするにはここまでで十分じゅうぶんだと判断はんだんされたため、モリエールとしてもこれ以上いじょうくわえなかった」とある。

成立せいりつ過程かてい

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1666ねん、モリエールは「いやいやながら医者いしゃにされ」をげ、だい成功せいこうおさめて、かれ劇団げきだんはパリ市民しみんたちのしんとらえていた。しかしその成功せいこう余韻よいんひたあいだもなく、国王こくおうルイ14せいによって、詩人しじんバンスラード指揮しきしたサン=ジェルマン=アン=レーじょうにて祭典さいてんしん舞踊ぶようげき(Ballet des Muses)」がもよおされることとなり、かれ劇団げきだんもこれにまねかれて出演しゅつえんすることとなった。この祭典さいてんはバンスラードが13の場面ばめんからなるオペラをくために、モリエール劇団げきだんやブルゴーニュ劇場げきじょう、イタリア劇団げきだん俳優はいゆうたち、それにジャン=バティスト・リュリなどの音楽家おんがくか舞踊ぶよう協力きょうりょくすることで完成かんせいするというからだをとっており、舞踊ぶようにはルイ14せいをはじめとして、ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールモンテスパン侯爵こうしゃく夫人ふじんフランソワーズ・アテナイス参加さんかした[1]

この祭典さいてんは1666ねん12月2にちから1667ねん2がつ19にちまでおこなわれ、モリエールはこの祭典さいてんのために3作品さくひん制作せいさくしなければならなかった。ほんさくはそのだい1さくであるが、祭典さいてんにおいてすうかいおどられたきり、つぎさくの『パストラル・コミック』にえられた。パリ市民しみんけに上演じょうえんされることもなく、出版しゅっぱんされることもなかったため、モリエールの生前せいぜんにはることなく埋没まいぼつしていった。この作品さくひん世間せけんられることになったのは、1682ねん刊行かんこうされた『モリエール全集ぜんしゅう』に採録さいろくされてのことである[2][3]

解説かいせつ

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マドレーヌ・ド・スキュデリーの『グラン・シリュス』に題材だいざいている。よって、完成かんせいながらその大筋おおすじ推測すいそくすることが可能かのうである。ほんさく国王こくおうがメリセルトをさがしに場面ばめん、つまりメリセルトが王女おうじょであるとほのめかす場面ばめんわっているが、こののち、メリセルトとミルティルの身分みぶんちがいのこいというテーマがかびがり、そのミルティルも王子おうじであることが判明はんめいし、めでたく結婚けっこんとなるものとかんがえられる[4][5]

この作品さくひんは17世紀せいき前半ぜんはんまでヨーロッパでだい流行りゅうこうしていたまき歌劇かげき特徴とくちょうゆうしている。ひつじい(とされる)のわか男女だんじょ登場とうじょうするてんかれらのあいのもつれ、身分みぶんちがいのこいいやしい身分みぶんおもわれていた主人公しゅじんこうじつ高貴こうき身分みぶんだったと判明はんめいするてんなど、これらはすべてまき歌劇かげき特徴とくちょうである[5]

日本語にほんごやく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ モリエール全集ぜんしゅう2,P.412,中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ,鈴木すずき力衛りきえやく,1973ねん刊行かんこう
  2. ^ モリエール全集ぜんしゅう6,P.4,ロジェ・ギシュメールへん,臨川りんせん書店しょてん,2001ねん刊行かんこう
  3. ^ 世界せかい古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう47 モリエール 1965ねん刊行かんこうばん P.451
  4. ^ モリエールにおけるreconnaissanceについて : dénouementの是非ぜひをめぐって,山本やまもと邦彦くにひこ,Francia 10, P.2, 1967-01-07,京都大学きょうとだいがく
  5. ^ a b 臨川りんせん書店しょてん P.4