(Translated by https://www.hiragana.jp/)
クレール・クロワザ - Wikipedia コンテンツにスキップ

クレール・クロワザ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
クレール・クロワザ
Claire Croiza
マスネの《ウェルテル》のシャルロットをえんじるクロワザ
基本きほん情報じょうほう
生誕せいたん (1882-09-14) 1882ねん9月14にち
フランスの旗 フランスパリ
死没しぼつ (1946-05-25) 1946ねん5月25にち(63さいぼつ
フランスの旗 フランス、パリ
ジャンル クラシック
職業しょくぎょう オペラ歌手かしゅ
担当たんとう楽器がっき メゾソプラノ

クレール・クロワザClaire Croiza, 1882ねん2がつ14にち - 1946ねん5月25にち)は、フランスメゾソプラノ歌手かしゅ声楽せいがく教師きょうしとしても影響えいきょうりょくがあった。

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

アイルランドけいアメリカじん父親ちちおやに、イタリアじん母親ははおやパリまれ、本来ほんらいせいはコネリー(アイルランド: Conelly)もしくはオコノリー(アイルランド: O'Connolly)であった。少女しょうじょ時代じだいからピアノ演奏えんそうりょく歌唱かしょうりょくめぐまれ、最初さいしょ声楽せいがく個人こじん指導しどうけていたが、そのはさらなる訓練くんれんもとめてポーランドじんテノール歌手かしゅジャン・ド・レシュケ英語えいごばん(もしくはレスケとも)に師事しじした。

1905ねんナンシーで、イギリスの作曲さっきょくイシドール・ド・ララ英語えいごばん歌劇かげきメサリーヌ英語えいごばん》に出演しゅつえんしてオペラさかいにデビューした。1906ねんブリュッセルモネ劇場げきじょうにて初舞台はつぶたいみ、サン=サーンスの《サムソンとデリラ》のタイトルロール(デリラやく)をえんじたのをきっかけにどう劇場げきじょうながきにわたる関係かんけいむすぶこととなり、以後いごベルリオーズの《トロイアの人々ひとびと》のディドーやくリヒャルト・シュトラウスの《エレクトラ》のクリュテムネストラやくビゼーの《カルメン》のタイトルロール、マスネの《ウェルテル》のシャルロットやくフォーレの《ペネロープ》のタイトルロールなどで出演しゅつえんした。1908ねんパリ・オペラにデビューしたさいには、ふたたび《サムソンとデリラ》のデリラやくえんじた。

最初さいしょにオペラ歌手かしゅとして名声めいせい確立かくりつしたにもかかわらず、次第しだい歌曲かきょく専門せんもんとするリサイタル活動かつどうひろげるようになる。度々どどロンドンおとずれては非常ひじょう歓迎かんげいされており、おおくの国々くにぐに演奏えんそう旅行りょこうおこなった。クロワザはフランス語ふらんすごたいしてすぐれた感覚かんかくぬしで、いつでも音楽おんがくながれを犠牲ぎせいにすることなく、はっきりと自然しぜん発音はつおんすることができた。ラヴェルルーセルオネゲルプーランクのように、自作じさく演奏えんそうかいでクロワザの伴奏ばんそうすすんでって作曲さっきょくもいた。

1922ねんからは教師きょうしとしても活動かつどうし、パリのエコールノルマル音楽おんがくいん開講かいこうした。1934ねんからはパリ音楽おんがくいん指導しどうたっている。門下もんかジャニーヌ・ミショージャック・ジャンセンカミーユ・モラーヌジェラール・スゼー古澤ふるさわ淑子としこらがいる。その1946ねんにパリにて他界たかい享年きょうねん63。

クロワザはおよそ40きょく録音ろくおんのこしており、ほとんどがフランス語ふらんすご歌曲かきょくや、オペラからの抜粋ばっすいである。1926ねんには、オネゲルの私生児しせいじであるジャン=クロード(2003ねんぼつ)を出産しゅっさんしたが、オネゲルとは結婚けっこんしなかった。

評価ひょうか[編集へんしゅう]

クロワザの評価ひょうかについては、1932ねんウィグモア・ホールにおけるコンサートほうじた『タイムズ記事きじが、簡潔かんけつにまとめている。いわく、 「クロワザ夫人ふじん近代きんだいフランス歌曲かきょく最高さいこう歌手かしゅである。歌曲かきょく繊細せんさい感受性かんじゅせいみ、ふうめられた意味いみかすのである[1]。」

このような見解けんかいは、やはり『タイムズ』紙上しじょう死者ししゃ略歴りゃくれきによって裏付うらづけられる。すなわち、 「内面ないめんてき詩的してき情緒じょうちょや、ひかだが奥深おくふかい、感動かんどうてき劇的げきてき感覚かんかくむすびついている。このような感覚かんかくは、比類ひるいないほどひろ教養きょうよう関連かんれんしており、そのおかげドビュッシーからプーランクにいた現代げんだいフランスの主要しゅよう作曲さっきょくや、ヴァレリークローデルのような詩人しじん親交しんこうむすび、そのえらばれた理解りかいしゃとなることができたのである[2]。」

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Bannerman, Betty. "Recollections of Claire Croiza", in Bulletin of the Institute of Recorded Sound, (1956), no.1, p.12, [with discography].
  • Bannerman, Betty, (ed. & trans). The Singer as Interpreter: Claire Croiza's Master Classes. (London, Gollancz, 1989) ISBN 0-575-04391-1

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ The Times (London), Friday 29 January 1932, p.10, Issue 46043, col.C.
  2. ^ The Times (London), Saturday 22 June 1946, p.7, Issue 50484, col.E.

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]