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ゴル航空こうくう1907便びん墜落ついらく事故じこ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1)ゴル航空こうくう1907便びん
2)エクセルエア回送かいそう便びん
衝突しょうとつ想像そうぞう。エンブラエルひだりウィングレットが、737がた左翼さよくをほぼ半分はんぶん切断せつだんした[1]
出来事できごと概要がいよう
日付ひづけ 2006ねん9月29にち
概要がいよう トランスポンダ設定せっていミス、およびATCとエンブラエルパイロットエラーによる空中くうちゅう衝突しょうとつ
現場げんば ブラジルの旗 ブラジルマットグロッソしゅうクイアバの200kmひがしにある密林みつりん地帯ちたい
南緯なんい1029ふん 西経せいけい5315ふん / 南緯なんい10.483 西経せいけい53.250 / -10.483; -53.250
負傷ふしょうしゃ総数そうすう 0
死者ししゃ総数そうすう 154(ゴル乗員じょういん乗客じょうきゃく
生存せいぞんしゃ総数そうすう 7(エンブラエル乗員じょういん乗客じょうきゃく
だい1機体きたい

事故じこ(PR-GTD)
機種きしゅ ボーイング737-800
運用うんようしゃ ブラジルの旗 ゴル航空こうくう
機体きたい記号きごう PR-GTD
出発しゅっぱつ ブラジルの旗 マナウスエドゥアルド・ゴメス国際こくさい空港くうこう
経由けいゆ ブラジルの旗 ブラジリアプレジデント・ジュセリノ・クビシェッキ国際こくさい空港くうこう
目的もくてき ブラジルの旗 リオデジャネイロアントニオ・カルロス・ジョビン国際こくさい空港くうこう
乗客じょうきゃくすう 148
乗員じょういんすう 6
負傷ふしょうしゃすう
死者ししゃのぞく)
0
死者ししゃすう 154(全員ぜんいん
生存せいぞんしゃすう 0
だい2機体きたい

XA-MHAとしてさい登録とうろくされたのち事故じこ
機種きしゅ エンブラエル・レガシー600
運用うんようしゃ アメリカ合衆国の旗 エクセルエア英語えいごばん
機体きたい記号きごう N600XL
出発しゅっぱつ ブラジルの旗 サン・ジョゼ・ドス・カンポス地方ちほう空港くうこう
目的もくてき ブラジルの旗 マナウスエドゥアルド・ゴメス国際こくさい空港くうこう
乗客じょうきゃくすう 5
乗員じょういんすう 2
負傷ふしょうしゃすう
死者ししゃのぞく)
0
死者ししゃすう 0
生存せいぞんしゃすう 7(全員ぜんいん
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ゴル航空こうくう1907便びん墜落ついらく事故じこ(Gol Transportes Aéreos Flight 1907)は、2006ねん9月29にちブラジル発生はっせいした航空こうくう事故じこ空中くうちゅう衝突しょうとつ事故じこ)である。

同国どうこく国内線こくないせんとして運航うんこうされていたボーイング737-800エンブラエル・レガシー600[2] がブラジル内陸ないりく空中くうちゅう衝突しょうとつこした。エンブラエル墜落ついらくまぬかれたが、ボーイング737がた左翼さよくおおきく損傷そんしょう機体きたい制御せいぎょうしなったまま空中くうちゅう分解ぶんかいして墜落ついらく乗員じょういん乗客じょうきゃく154めい全員ぜんいん死亡しぼうした。この事故じこは、ボーイング737NGシリーズはつぜんそん事故じことなった。

航空機こうくうき乗務じょうむいん

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ゴル航空こうくう1907便びん機体きたい乗務じょうむいん

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機長きちょうはゴル航空こうくうでボーイング737の飛行ひこう教官きょうかんつとめ、飛行ひこう時間じかんはボーイング737がたで13,521あいだそう飛行ひこう時間じかんは15,498あいだであった。ふく操縦そうじゅうは、ボーイング737がたで3,081あいだそう飛行ひこう時間じかんは3,981あいだであった。

乗客じょうきゃくは、ドイツじんとポルトガルじんかく1にんいたほかはすべブラジルじんであった。

1907便びんとして使用しようされていた機体きたいは、この事故じこの18にちまえの9がつ12にちわたされた新造しんぞうで、引渡ひきわたしから234あいだ事故じこであった。

エンブラエル機体きたい乗務じょうむいん

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当該とうがいエンブラエル・レガシー600は、サンパウロにあるエンブラエル工場こうじょうからの受領じゅりょう飛行ひこうおこなっており、所属しょぞくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのエクセルエアである。

  • 機長きちょうは20ねん以上いじょう商業しょうぎょうパイロットをしており、そう飛行ひこう時間じかんは9,388あいだであったが、レガシー600の飛行ひこう時間じかんは5.5あいだだった。
  • ふく操縦そうじゅうは10年間ねんかん商業しょうぎょうパイロットをしており、エンブラエル機長きちょうとしてんだ371あいだふくむと、6,400あいだえるそう飛行ひこう時間じかんっていた。

2人ふたりともアメリカン航空こうくうおよびアメリカン・イーグル航空こうくうつとめており、双発そうはつジェット機じぇっとき操縦そうじゅう経験けいけん豊富ほうふだった。乗客じょうきゃくは5にんで、エクセルエアの幹部かんぶ2にん、エンブラエルの従業じゅうぎょういん2にんと、ニューヨーク・タイムズジョー・シャーキー記者きしゃであった。

空中くうちゅう衝突しょうとつ

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2のおよその飛行ひこう経路けいろあかせんがゴル経路けいろみどりせんがエンブラエル経路けいろ

2006ねん9がつ29にち、ゴル航空こうくう1907便びん以下いかゴル表記ひょうき)はアマゾン川あまぞんがわ流域りゅういきにあるマナウスのエドゥアルド・ゴメス国際こくさい空港くうこうから、首都しゅとブラジリアプレジデント・ジュセリノ・クビシェッキ国際こくさい空港くうこう経由けいゆし、リオデジャネイロアントニオ・カルロス・ジョビン国際こくさい空港くうこうかう予定よていであった。1907便びん乗員じょういん乗客じょうきゃく154にんせて現地げんち時間じかん午後ごご236ふん離陸りりくし、ATCにしたがって巡航じゅんこう高度こうどである37,000フィート (11,000 m)を飛行ひこうしていた。

墜落ついらくしたゴル航空機こうくうき機体きたい残骸ざんがい写真しゃしん胴体どうたい中央ちゅうおう主翼しゅよく

一方いっぽうエンブラエル・レガシー600(以下いかエンブラエル)は、乗員じょういん2人ふたり乗客じょうきゃく5にんけい7にんせて、エドゥアルド・ゴメス国際こくさい空港くうこうかっていた。エンブラエルはその、ブラジルをてアメリカにかう予定よていだった。

エンブラエルはフライトプランにしたがって高度こうど37,000フィートまで上昇じょうしょうし、ATCと通信つうしんおこなっていた。しかし、なかなか通信つうしんができず、周波数しゅうはすうえてなんもコールしてようやく通信つうしん成功せいこうした。

しかし、「周波数しゅうはすう変更へんこうしてほしい」という通信つうしん途中とちゅうから音質おんしつわるくなり、肝心かんじん周波数しゅうはすう部分ぶぶんがききとれなかった。通信つうしん担当たんとうしていたふく操縦そうじゅうがききかえしたが応答おうとうはなかった。そのエンブラエル高度こうど変更へんこうすることもなく、どう高度こうど飛行ひこうつづけた。

BRT(ブラジリア時間じかん)0500ふんごろ、2はブラジリアとマナウスのなかあいだ付近ふきん高度こうど37,000フィート(11,000メートル)で、エンブラエルウィングレットがゴル左翼さよく半分はんぶん切断せつだんするようにして空中くうちゅう衝突しょうとつした。エンブラエル損傷そんしょうはウィングレットと尾翼びよくのみで軽微けいびなものだったが、ゴル左翼さよく半分はんぶんちかくをうしなって錐揉きりも状態じょうたい急降下きゅうこうかはじめた。パイロットは必死ひっし機体きたい制御せいぎょもどそうとしたが、設計せっけい限界げんかいおおきくえるちからくわわったことにより高度こうど100メートル付近ふきん空中くうちゅう分解ぶんかいし、密林みつりん墜落ついらくした。

エンブラエルのパイロットの勾留こうりゅう裁判さいばん

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1907便びん衝突しょうとつした左翼さよく
右翼うよく比較ひかくのため)

エンブラエル衝突しょうとつ瞬間しゅんかん自動じどう操縦そうじゅう解除かいじょされ、ウィングレットとひだり水平すいへい尾翼びよく損傷そんしょうした。レガシー600の経験けいけん豊富ほうふふく操縦そうじゅう操縦そうじゅうち、機長きちょう通信つうしんおこなった。しかし何故なぜ通信つうしんができず、付近ふきんんでいたポーラエアカーゴ71便びんボーイング747貨物かもつ便びん)に通信つうしん中継ちゅうけいしてもらった。その衝突しょうとつ地点ちてんからやく160キロメートルはなれたセラ・ド・カチンボにあるブラジル空軍くうぐん基地きち緊急きんきゅう着陸ちゃくりくおこなった。着陸ちゃくりくさい主翼しゅよく破損はそんさせないように着陸ちゃくりく直前ちょくぜんにフラップをすこしだけげ、着陸ちゃくりく同時どうじにフルブレーキをかけ、なにとか停止ていしした。

緊急きんきゅう着陸ちゃくりく乗員じょういんはすぐにブラジル空軍くうぐんとANAC(ブラジルの国立こくりつ民間みんかん航空こうくう機関きかん)のメンバーに勾留こうりゅうされ、事情じじょう聴取ちょうしゅけた。またふたつのブラックボックス回収かいしゅうされ、カナダオタワにあるカナダ運輸うんゆ安全あんぜん委員いいんかい英語えいごばん(TSB)の研究所けんきゅうじょおくられた。

事故じこ当初とうしょ、ATCのレーダーじょうではエンブラエル不規則ふきそく上昇じょうしょう下降かこうしながらんでいるように記録きろくされていたため「パイロットがあたらしい機体きたい自由じゆうままに操縦そうじゅうしていたため、本来ほんらい高度こうどはず空中くうちゅう衝突しょうとつした」という報道ほうどうがされた。しかしパイロットは「フライトプランどおりに37,000フィートをんでいた」と証言しょうげん、ブラックボックスにも37,000フィートをんでいたことが記録きろくされていた。また本来ほんらい作動さどうするはずの空中くうちゅう衝突しょうとつ防止ぼうし装置そうち(TCAS)が衝突しょうとつまえ一切いっさい警報けいほうはっしていなかった。またフライトデータレコーダーの記録きろくからトランスポンダまっていたことが判明はんめい、これによりエンブラエルは「(トランスポンダからの信号しんごう機能きのうする)TCASが作動さどうしない状態じょうたい飛行ひこうしていたこと」と「管制塔かんせいとうはトランスポンダの情報じょうほう参照さんしょうするレーダーではなく、旧型きゅうがたいちレーダーで捕捉ほそくしていたため正確せいかく高度こうど捕捉ほそくできていなかったこと」がかった。

2006ねん10がつ2にち、エンブラエル機長きちょうふく操縦そうじゅう司法しほう裁判所さいばんしょ裁判さいばんけた。裁判さいばんなかパイロットエラー可能かのうせい否定ひていできなかったため、パスポートは調査ちょうさ保留ほりゅうちゅう同年どうねん12がつ5にちまでのおよそ2かげつあいだされ、2人ふたり過失かしつ致死ちし容疑ようぎをかけられ勾留こうりゅう生活せいかつつづいた。

その裁判さいばんにおいて、パイロットはトランスポンダをオンにしなかった理由りゆう説明せつめいした。裁判さいばんのち調査ちょうさのためブラジルの当局とうきょくしたさいはブラジルにもどることを約束やくそくする文書ぶんしょ署名しょめいしてかれらはアメリカ帰国きこくした。

残骸ざんがい調査ちょうさとデータの復元ふくげん

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回収かいしゅうされたゴルのフライトデータレコーダー

ブラジル空軍くうぐん墜落ついらく現場げんばに5固定こていつばさと3のヘリコプターと200にん調査ちょうさたい派遣はけんした。また現場げんばもり精通せいつうしたカヤポぞく英語えいごばん人々ひとびとによる事故じこ現場げんばへの道案内みちあんないけた。最初さいしょは「5にん生存せいぞんしゃつかった」という情報じょうほうたが、その誤報ごほうだったことが判明はんめいした。ブラジルの大統領だいとうりょうであるルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ当時とうじ)は、国民こくみんは3日間にちかんふくすことを宣言せんげんした。

墜落ついらく現場げんば

事故じこ現場げんば残骸ざんがいからフライトデータレコーダーと、コックピットボイスレコーダー回収かいしゅうされ、データ解析かいせきのためにカナダ運輸うんゆ安全あんぜん委員いいんかいおくられた。回収かいしゅうされたフライトデータレコーダーは正常せいじょうだったが、ボイスレコーダーのメモリモジュールは衝撃しょうげきはずれており、データの復元ふくげんができなかった。

ブラジル空軍くうぐん金属きんぞく探知たんちもちいてやく200にん態勢たいせい捜索そうさくおこない、やく4週間しゅうかんにメモリモジュールが発見はっけんされた。モジュールはおおきな損傷そんしょうもなく、ほかの残骸ざんがいからはなれた位置いちなかやく20cmまった状態じょうたい発見はっけんされた。メモリモジュールはカナダ運輸うんゆ安全あんぜん委員いいんかいおくられ、解析かいせき調査ちょうさおこなわれた。

地面じめんからこされたゴルのメモリモジュール

10月4にち遺体いたい輸送ゆそうようデ・ハビランド・カナダ DHC-5 バッファロー到着とうちゃくし、ブラジリアにけて遺体いたい搬送はんそうはじまった。

回収かいしゅうチームは草木くさきしげるジャングルのなかでの7週間しゅうかんにもわたる捜索そうさくすえ全員ぜんいん遺体いたい回収かいしゅうし、2006ねん11月22にちまでにはDNAがた鑑定かんていにより、すべての犠牲ぎせいしゃ身元みもと特定とくていされた。

調査ちょうさ

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ブラジリアエリアのルートチャートのセクション

そのブラジル空軍くうぐんのCENIPA(航空こうくう事故じこ調査ちょうさ予防よぼうセンター)とアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのNTSB(国家こっか運輸うんゆ安全あんぜん委員いいんかい)が原因げんいん調査ちょうさおこなった。またNTSBはICAO附属ふぞくしょ13の規定きていもとづき、アビオニクス調査ちょうさ担当たんとうした。

ブラックボックスと通信つうしん記録きろくられたのち調査官ちょうさかんは、なぜTCASなど最新さいしん安全あんぜん装置そうちそなえた2現代げんだいが、空中くうちゅう衝突しょうとつという最悪さいあくのシナリオにいたったかを調しらはじめた。まず、エンブラエルのパイロットと航空こうくう管制かんせいかんにインタビューをしながら、飛行ひこう経路けいろ確認かくにんおこなった。

エンブラエル提出ていしゅつしたフライトプランは、まず高度こうどFL370に上昇じょうしょうし、Brasilia VORぎて航空こうくうUZ6にはいるところでFL360に降下こうかし、そのさきのTERESでFL380まで上昇じょうしょうし、NABOLにかうことになっていた。

エンブラエル通信つうしん記録きろく

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現地げんち時間じかん15:51、エンブラエルのパイロットは120.05MHzでブラジリアセンターと交信こうしんおこなった。

N600XL:Brasilia, November six hundred X-ray Lima, level... flight level three seven zero, good afternoon.

(ブラジリアセンター、こちらはN600XL、高度こうどは…フライトレベル370で飛行ひこうちゅうです。こんにちは。)

ATC:November six zero zero X-ray Lima, squawk ident, radar surveillance.

(N600XL、トランスポンダをIDENTモードに設定せっていねがいます。レーダーで捕捉ほそくしています。)

N600XL:Roger.

了解りょうかい。)

これが衝突しょうとつまえのブラジリアセンターとの最後さいご交信こうしんとなった。

通信つうしん不自由ふじゆうなエンブラエル中継ちゅうけい担当たんとうしたポーラエアカーゴの747(写真しゃしん同型どうけい

エンブラエルはセンターと通信つうしんした4ふんにBrasilia VORを通過つうかしたにもかかわらず降下こうかしなかった。管制かんせいかんかず、またパイロットもFLの変更へんこう要求ようきゅうしなかった。

Brasilia VORをぎて7ふんの16:02にレーダーじょう高度こうど表示ひょうじがトランスポンダの応答おうとうがない場合ばあい表示ひょうじわり、レーダーじょうには現在げんざい飛行ひこう高度こうどであるFL370ではなく、予定よてい高度こうど(この場合ばあいはFL360)が表示ひょうじされた。しかし管制かんせいかんはこのことにかず、なにも言及げんきゅうしなかった。[3]

16:24になってセンターはエンブラエルしたが応答おうとうがなく、8分間ふんかんに7かいしたが応答おうとうはなかった。この時点じてんでレーダーのかげ断続だんぞくてきとなり、16:38にレーダーから完全かんぜんえた。

その10ふんにエンブラエルのパイロットがブラジリアセンターをはじめ、12かいかえしたが応答おうとうはなかった。 16:53:39にわずかにつながったので、センターは123.32MHzまたは126.45MHzで交信こうしんするようもとめたが、このとき雑音ざつおんじりはじめ、肝心かんじん周波数しゅうはすう部分ぶぶんがききとれなかった。エンブラエルのパイロットはさらに7かいセンターをんで通信つうしん周波数しゅうはすう確認かくにんもとめたが、通信つうしん状態じょうたい依然いぜんとしてわるいままで、7かいしのあとに衝突しょうとつした。

エンブラエル激突げきとつしたのち通信つうしんをしようとしたがつうじなかった。そのため付近ふきんんでいたポーラエアカーゴに中継ちゅうけいしてもらい、緊急きんきゅう着陸ちゃくりくむねつたえた。

ゴル通信つうしん記録きろく

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1907便びん通信つうしんはいたって普通ふつうであった。実際じっさいはエンブラエルどう高度こうどんでいたが、レーダーじょうには予定よてい高度こうどであるFL360と表示ひょうじされていたため、警告けいこくはされなかった。

安全あんぜん勧告かんこく最終さいしゅう報告ほうこく

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2007ねん5がつ2にち、NTSBは中間ちゅうかん報告ほうこくしょとともに安全あんぜん勧告かんこくしょ発行はっこうした。NTSBは「トランスポンダが停止ていしされても警報けいほうらず、ちいさくしろ文字もじ表示ひょうじされるだけのエンブラエルのアビオニクスの設計せっけい問題もんだいがある」と指摘してきした。

事故じこから2ねん以上いじょうたった2008ねん12がつ10日とおか、CENIPAは最終さいしゅう報告ほうこくしょ発行はっこうした。またNTSBはCENIPAのレポートをけて、独自どくじ報告ほうこくしょ発行はっこうした。 CENIPAとNTSBのレポートにはちがいがあり、CENIPAの報告ほうこくしょは「両機りょうきのパイロットは適切てきせつ行動こうどうしたが、管制かんせいミスにより衝突しょうとつコースじょうにいた」と結論けつろんけたのにたいし、NTSBは「ATCシステム、およびエンブラエルのパイロットによって衝突しょうとつこされた」と強調きょうちょうした[よう出典しゅってん]。またNTSBは、エンブラエルのパイロットとATCのコミュニケーションに問題もんだいがあったと結論けつろんけた。

その

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この事故じこにより、ブラジルの民間みんかん航空こうくうのインフラにたいする安全あんぜんせい懸念けねんおおきくなりはじめた。ブラジルはぐん航空こうくう管制かんせいおこなっているうえに、機材きざいふるく、パイロットの負担ふたんおおきかった。

また、報告ほうこくしょでは管制かんせいミスが焦点しょうてんにされていたが、それにより管制かんせいかんのストレスが増加ぞうかし、労働ろうどう関係かんけい悪化あっかした。この事故じこけ、管制かんせいかんたちは現場げんば過剰かじょう負荷ふかうったえるため、「残業ざんぎょう徹底てってい拒否きょひ」「1人ひとりあたりの同時どうじ担当たんとう航空機こうくうきすう国際こくさいルールの14までとする」といったいわゆる「遵法じゅんぽう闘争とうそう」がひろげられた。

その結果けっかだい規模きぼハンガー・ストライキによるフライトのおくれやキャンセル、国防こくぼう大臣だいじん辞任じにん騒動そうどうにまで発展はってんした。

2011ねん5がつ16にち、ムリロ・メンデス連邦れんぽう判事はんじはエンブラエルのパイロット2にんたいして、懲役ちょうえき4ねん4かげつ判決はんけつをいいわたした[4]

そのほか、当時とうじ管制かんせい業務ぎょうむおこなっていた管制かんせいかん4にん起訴きそされた。トランスポンダの製造元せいぞうもとであるハネウェル遺族いぞく訴訟そしょうおこなわれたが、トランスポンダは正常せいじょううごいていたとされた。

映像えいぞう

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番組ばんぐみないでは事故じこ原因げんいんとして以下いか見解けんかいしめしている。

事故じこ発端ほったんは、エンブラエル通信つうしんシステムの不具合ふぐあいとしている。この不具合ふぐあいへの対応たいおうさい新型しんがた計器けいき操作そうさ不慣ふなれな操縦そうじゅうが、当人とうにんかないうちにトランスポンダを停止ていしさせた。また、エンブラエル計器けいきレイアウトがトランスポンダの誤操作ごそうさ誘発ゆうはつしやすい位置いちにあったことと、機能きのう連動れんどうしていなかったために、誤操作ごそうさがた仕様しようとなっていた。そのうえ通信つうしんトラブルをかかえていたために外部がいぶからミスをることが出来できず、たとえ通信つうしん出来できたとしても当地とうち管制かんせい担当たんとうしていたブラジル空軍くうぐん練度れんどひくく、管制かんせいシステムが高度こうど自動じどう更新こうしんする他所よそでは採用さいようしていない独自どくじなシステムだったこともわざわいし、トランスポンダ停止ていし警告けいこく気付きづかない管制かんせいかんはそのままの高度こうど飛行ひこうするよう指示しじするとかんがえられた。エンブラエルとゴルおな高度こうど飛行ひこうするかたちとなった結果けっか両機りょうき空中くうちゅう衝突しょうとつし、損傷そんしょうつばさはしのウィングレットだけでんだエンブラエル緊急きんきゅう着陸ちゃくりくできたものの、主翼しゅよくだい部分ぶぶん損傷そんしょうしたゴル墜落ついらくした。

ただし番組ばんぐみないでは、実際じっさい操縦そうじゅうがトランスポンダ誤操作ごそうさとうおこなったかどうかについては不明ふめいとしている。

備考びこう

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  • この事故じこ報道ほうどうで、当初とうしょ地元じもとブラジルのCBNラジオが、マナウス開催かいさいされた展示てんじかいから帰途きとについていた日本にっぽん二輪車にりんしゃメーカー・ヤマハ発動機やまははつどうき関連かんれん会社かいしゃ社員しゃいんすくなくとも20めい搭乗とうじょうしていたとほうじたため、当初とうしょざいブラジル日本にっぽん大使館たいしかんやヤマハ本社ほんしゃ確認かくにんわれたが、のち誤報ごほう判明はんめいした。
  • エンブラエルっていたシャーキー記者きしゃ当初とうしょ空中くうちゅう衝突しょうとつかんがえておらず、エンブラエル機長きちょう賞賛しょうさんするような発言はつげんをしたため、シャーキーのブログが炎上えんじょうするさわぎとなった。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Final Report” (PDF). CENIPA (8 December 2008). 4 June 2011てんオリジナルよりアーカイブ。2015ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ ブラジルせい双発そうはつ小型こがたジェット機じぇっときエンブラエル ERJ 145派生はせいがたビジネスタイプの機体きたい
  3. ^ 事故じこ発生はっせい担当たんとう管制かんせいかんとしては新人しんじんレベルで、英会話えいかいわ能力のうりょくひくかった。
  4. ^ “ゴル墜落ついらく事故じこから5ねん (日本語にほんご). サンパウロ新聞しんぶん. (2011ねん5がつ23にち). http://saopauloshimbun.com/%E3%82%B4%E3%83%AB%E6%A9%9F%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%81%8B%E3%82%89%EF%BC%95%E5%B9%B4/ 2018ねん10がつ3にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく

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