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シボレー・オパラ

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シボレー・オパラ
Chevrolet Opala
4ドアセダン(1971ねんがた
3ドアワゴン「キャラバン」(1988ねんがた
2ドアSSクーペ(1978ねんがた
ボディ
乗車じょうしゃ定員ていいん 5にん/6にん
ボディタイプ 4ドアセダン/3ドアワゴン/2ドアクーペ
駆動くどう方式ほうしき FR
パワートレイン
エンジン 直列ちょくれつ4気筒きとう2.5L/直列ちょくれつ6気筒きとう3.8L/4.1L(ガソリンおよびエタノール)
変速へんそく 4そく/5そくMT、3そく/4そくAT
車両しゃりょう寸法すんぽう
ホイールベース 2668mm
全長ぜんちょう 4702mm
全幅ぜんぷく 1758mm
ぜんこう 1384mm
その
派生はせい車種しゃしゅ コモドーロ(1975ねん-)
ディプロマータ(1980ねん-)
エタノールはん 4気筒きとう、6気筒きとう
系譜けいふ
先代せんだい なし
後継こうけい オメガ
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シボレー・オパラ(Chevrolet Opala)は、アメリカ自動車じどうしゃメーカーであるゼネラルモーターズブラジル現地げんち法人ほうじんが、1969ねんから1992ねんまで生産せいさんしていた乗用車じょうようしゃ

概要がいよう

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発売はつばい開始かいし

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1966ねんに、ゼネラルモーターズのブラジル現地げんち法人ほうじん「General Motors do Brasil」が、当時とうじ拡販かくはんすすめていたシボレーブランドのトップレインジを「Project 676」の開発かいはつしていることを発表はっぴょうし、その1968ねん11月におこなわれた「サンパウロ・モーターショー」で生産せいさんがたが「オパラ」の公開こうかいされ、よく1969ねんより販売はんばい開始かいしされた。

「オパラ」は、1960年代ねんだい中盤ちゅうばんおなじゼネラルモーターズの子会社こがいしゃである西にしドイツオペル生産せいさんし、ベストセラーとなっていた中型ちゅうがたしゃの「レコルトC」をベースに、まるがた2とうしきヘッドライトとアメリカしゃてきなフロントグリルのデザインに改変かいへんしたもので、事実じじつじょうどう車種しゃしゅバッジエンジニアリングであった。なお、「オパラ」はブラジル現地げんち法人ほうじんにとってはじめて導入どうにゅうする乗用車じょうようしゃであった。

販売はんばい開始かいし当初とうしょのライバル車種しゃしゅは、フォードのブラジル現地げんち法人ほうじんが、アメリカで販売はんばいされていたフルサイズ・セダンの「ギャラクシー」をベースに開発かいはつした「ギャラクシー」と「LTD」、そしておなじくアメリカで販売はんばいされていたコンパクト・セダンおよびクーペをそのまま導入どうにゅうした「マーヴェリック」、クライスラー現地げんち法人ほうじん生産せいさんしていた「ダッジ・ダート」(そのの「ダッジ・ル・バロン」)、ウィリス=オーバーランドが製造せいぞうしていた「アエロ・ウィリス2600」などであった。

また、1973ねんにはオパラのしたにな車種しゃしゅとして、ゼネラルモーターズの「グローバルカー(世界せかい戦略せんりゃくしゃ構想こうそう」にもとづき開発かいはつされた、「Tカー」(オペル・カデット)をベースに開発かいはつされた「シェベッチ」が販売はんばいされたために、名実めいじつともにブラジル現地げんち法人ほうじんのトップモデルとなった。なお同車どうしゃは「いすゞ・ジェミニ」の兄弟きょうだい車種しゃしゅでもある。

3のビッグマイナーチェンジ

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「オパラ エスペシャル」(1978ねんがた
「コモド―ロ」の1988ねん-1992ねんがたのダッシュボード

その1975ねん1980ねん1988ねんの3かいわたり、フロントグリルやヘッドランプ、リアランプ、ダッシュボードやシートのデザインをはじめとする内装ないそうデザインの大幅おおはば意匠いしょう変更へんこう、さらにワゴンや2ドアハードトップなどのボディタイプや、レーシングストライプをほどこしたうえにセミバケットシートを標準ひょうじゅん装備そうびしたスポーツモデルの「SS」仕様しよう追加ついか、エンジン仕様しよう追加ついかふくめたビッグマイナーチェンジをおこなった。

また1975ねんのビッグマイナーチェンジのさい上級じょうきゅう仕様しようが「コモドーロ(Comodoro)」として独立どくりつしたほか、1980ねんにはさらに上級じょうきゅうモデルとして「ディプロマータ(Diplomata)」が設定せっていされた。

そのもマイナーチェンジをかえし、マイナーチェンジごとにダッシュボードデザインの変更へんこう大型おおがたバンパー追加ついかかくがた変形へんけいヘッドランプ新型しんがたオーディオパワーウィンドウアルミホイールや4そくオートマチック・トランスミッションなどの装備そうびおごられアップデートがおこなわれた。

長寿ちょうじゅ

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これらのビッグマイナーチェンジをけたうえに、1980年代ねんだい初頭しょとうからなかばにかけてライバル車種しゃしゅの「ギャラクシー」や「マーヴェリック」、「ダッジ・ル・バロン」、「FNM アルファロメオ・2300リオ」が生産せいさん中止ちゅうしとなり、自国じこく自動車じどうしゃ産業さんぎょう保護ほごのための完成かんせいしゃ輸入ゆにゅう制限せいげんおこなわれていたブラジル国内こくない市場いちばでライバル不在ふざいとなったこと(オパラにくらべてサイズのちいさい「フォード・デル・レイ」や「フォルクスワーゲン・サンタナ」の上位じょういグレードが、オパラの下位かいグレードのあらたなライバルとなった)。

さらに、1980年代ねんだいのブラジルの経済けいざい危機ききハイパーインフレけて、ゼネラル・モーターズが新型しんがたしゃ投入とうにゅうというだい規模きぼ投資とうし躊躇ちゅうちょしたこともあり、販売はんばい開始かいしから23ねん1992ねんまでいちもフルモデルチェンジをおこなわずに生産せいさんされつづけ、ゼネラル・モーターズのブラジル現地げんち法人ほうじんきっての長寿ちょうじゅモデルとなった。

なお使つか勝手がってさと適度てきどなサイズから、パトカー官公庁かんこうちょう公用こうようしゃ、さらには高級こうきゅうタクシーとしても多数たすう導入どうにゅうされたほか、チリウルグアイなどの近隣きんりん諸国しょこくにも輸出ゆしゅつされるロングセラーとなった。

後継こうけい車種しゃしゅ

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販売はんばい開始かいしから20ねんぎた1980年代ねんだい後半こうはんには旧態きゅうたいすすみ、さらに完成かんせいしゃ輸入ゆにゅう制限せいげん緩和かんわされライバル車種しゃしゅえて販売はんばい台数だいすうちてきたことをけて、1992ねん生産せいさん中止ちゅうしされた。おなじくドイツのオペルで生産せいさんされていた「オメガA」をベースとした「シボレー・オメガ」が後継こうけいモデルとなった。

仕様しよう

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エンジン

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2ドアクーペ 4100cc(1980ねんがた
インゴ・ホフマンによりストックカー・ブラジルに出場しゅつじょうしていた「SS」(1988ねんがた

デビューに4気筒きとう2500ccと6気筒きとう3800ccエンジンの2しゅ用意よういされ、その1971ねんに6気筒きとうエンジンは4100ccに排気はいきりょうがアップされた。また、1980ねんにはエタノールエンジンも追加ついかされた。

トランスミッション

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デビュー当初とうしょは3そくおよび4そくマニュアル・トランスミッションのみであったが、その5そくマニュアルが追加ついかされたほか、3そくおよび4そくオートマチック・トランスミッションも追加ついかされた。

ボディタイプ

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デビュー当初とうしょは4ドアセダンのみが用意よういされたが、その1975ねんのマイナーチェンジに、2ドアのピラーレスハードトップクーペと、2ドアのステーションワゴン「Caravan」も用意よういされた。2ドアのステーションワゴンモデルは、ベースとなった「オペル・レコルトC」にはないブラジル専用せんようモデルであった。

なお、1988ねんのビッグマイナーチェンジのさいに、販売はんばい台数だいすうすくなかった2ドアピラーレスハードトップクーペは生産せいさん中止ちゅうしされ、その「Caravan」も生産せいさん中止ちゅうしされた。なお、ブラジル国内こくないのコーチビルダーによってリムジンモデルが少数しょうすう生産せいさんされた。

グレード

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標準ひょうじゅんがたの「Especial」と、メタリック塗装とそうやモケットシートなどうち外装がいそう設備せつび充実じゅうじつさせた上級じょうきゅうがたの「Luxo」、さらに、レーシングストライプ、セミバケットシートがおごられたスポーツモデルの「SS」が用意よういされた。なお、6気筒きとう4100ccエンジンの「SS」は、ストックカー・ブラジルなどのレースモデルのベースとなっていた。2016ねん、ブラジルのサンパウロにあるRogérioFerraresiは、シボレーオパラペダルしゃ製造せいぞうしました。 オパールをベースにしたこのたねのおもちゃが製造せいぞうされたのは、これがはじめてでした。( https://blogs.oglobo.globo.com/rebimboca/post/um-opala-que-da-pedal.html ).

派生はせいがた

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「コモドーロ・2ドアクーペ」(1977ねんがた
「ディプロマータ」(1987ねんがた

コモドーロ

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1975ねんおこなわれたビッグマイナーチェンジのさいに、「Luxo」の6気筒きとうモデルにモケットシートやカセットステレオ、メタリック塗装とそうやストライプシール、ビニールルーフを標準ひょうじゅん装備そうびさせ差別さべつさせた上級じょうきゅうモデルの「コモドーロ(Comodoro)」を設定せっていした。

1980ねんに、より上級じょうきゅうな「ディプロマータ」が登場とうじょうするまでのあいだ、「コモド―ロ」がブラジルにおけるゼネラルモーターズのさい高級こうきゅう車種しゃしゅとなった。

ディプロマータ

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さらに、1980ねんおこなわれたビッグマイナーチェンジのさいに、エアコンやパワーウィンドウなどの装備そうび充実じゅうじつさせ、アルミホイールフォグランプ標準ひょうじゅん装備そうびとするなどうち外装がいそう意匠いしょう変更へんこうした、「コモドーロ」のさらにうえをゆく上級じょうきゅうモデルとして「ディプロマータ(Diplomata)」が設定せっていされた。

1990年代ねんだいはいるまでブラジル政府せいふ自国じこく産業さんぎょう保護ほごのために外国がいこくしゃ輸入ゆにゅう原則げんそく禁止きんししていたこともあり、フォードの「マーヴェリック」や「ギャラクシー」、「ダッジ・ル・バロン」」や「FNM アルファロメオ・2300リオ」などのライバル車種しゃしゅ1980年代ねんだいつづけに生産せいさん中止ちゅうしになったのちは、これらの上級じょうきゅう派生はせいモデルが、ブラジルで唯一ゆいいつ高級こうきゅうしゃとして、企業きぎょう役員やくいん政府せいふ高官こうかんけの公用こうようしゃとしても使用しようされた。

関連かんれん項目こうもく

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