ジョン・マギー
ジョン・ギレスピー・マギー(John Gillespie Magee、1884
略歴 [編集 ]
アメリカのペンシルベニア
東京 裁判 でのマギー証言 [編集 ]
マギーは
民間 人 殺害 についての証言 [編集 ]
- 1937
年 12月14日 、マギーの雇 っていた15歳 の料理人 が、約 100名 の中国人 と共 に南京 の城 外 に連行 され、日本 兵 が殺 し始 めたが、料理人 は縄 を解 いて穴 のなかに隠 れて逃 げることができた[6]。 - ある
晩 、1000〜2000人 の中国人 の二 列 縦隊 が手 を縛 られて連行 されていた。「中国 の兵隊 が居 るのを一人 も見 かけなかつたのでありまして、全部 便衣 を着 て居 つた」、中国人 は「全部 銃剣 で突 かれた」が、死 んだふりをして生存 することができたものが帰 ってきた[6]。 - 12月16
日 、マギーが避難 民 収容 所 に行 くと、日本 軍 が14名 と1000名 を拉致 し、揚子江 沿岸 で機関 銃 によって殺害 したと生 き残 った苦力 から聞 いた[6]。同 じ日 に、マギーの運転 手 の兄弟 も拉致 され、市内 の広場 に連 れて行 かれた[6]。 - 1938
年 1月 5日 、仏教徒 の尼僧 の家 があった寺 の後 ろで25人 の中国人 が殺害 された[7]。一番 上 の65歳 の尼僧 と10歳 の見習 い尼僧 が日本 兵 に殺害 された[7]。 - 1938
年 1月 終 り頃 、南 門内 側 で約 五 百 人 の中国人 が殺 されたと聞 いた[7]。
目撃 証言 [編集 ]
強姦 殺害 についての証言 [編集 ]
- ある
日 、婦人 を強姦 しようとした日本 兵 が、婦人 の夫 を殺害 した。マギーは裏庭 でその遺体 を見 た[10]。 現地 の牧師 に聞 いたところでは、日本 兵 が80歳 の牧師 の母 を外 に連 れ出 し、着物 をまくり上 げろと命 じると、自分 はもう婆 さんだからというと、射殺 された[7]新開 路 事件 :1938年 1月 終 り頃 、新開 路 六 番地 の家 に行 くと13人 の家族 のうち2人 の子供 をのぞく者 が殺 されていた。生存 者 の少女 一 人 は約 8〜9歳 で、日本 兵 が入 つて来 た時 に背中 を二 度 刺 され、その傷 は写真 に撮 った。遺族 の話 によれば、約 三 十 名 の日本 兵 がやってきて、回 教徒 の家人 が戸 を開 けると即座 に殺 さし、後 ろにいた男 とその妻 を殺 した。日本 兵 は14〜16歳 の少女 を広場 の横 へ連 れて行 こうとし、少女 を保護 しようとした父方 の祖父母 を殺 したあと、強姦 した。女 の膣 は竹 の棒 で突 かれた[11][7]。この少女 が夏 淑 琴 とされる[5][12]。また、広場 に面 している他 の家 では、母親 が一 歳 の子 とベッドの下 に隠 れていたが、日本 兵 はその女 を強姦 した後 、女 と赤 ん坊 も殺 した[7]。遺体 の膣 には瓶 が入 れてあった[7]。ある少女 の話 では、頭 から日本 刀 で斬 られた[7]。この新開 路 での事件 はマギーが行 く6週間 前 に発生 していたが、少女 が強姦 された机 や殺 された床 の上 には血 が散乱 していた[7]。遺体 は14歳 の少女 、16歳 の少女 、老婆 の娘 である一 歳 の嬰児 の母 があった[7]。- 1938
年 2月 1日 、日本 兵 が15歳 の少女 を監禁 していると聞 いたので、現場 にいき、ドアを破 って入 ると、日本 兵 二 人 と少女 がいた。一人 は逃 げ、もう一人 は泥酔 していた。少女 は南京 から約 60マイルの浦口 区 の者 で、少女 の父 によれば少女 は5回 強姦 された[7]。少女 の話 によれば、日本 兵隊 が浦口 に来 ると、少女 の兄弟 は兵隊 であると日本 兵 がいうので違 うといった。その兄弟 の妻 と姉 が暴行 を拒 んだので銃剣 で殺 された[7]。父母 は兵隊 の前 に哀願 したが、銃剣 で殺 された。少女 は気絶 し、どこかの営舎 に連 れて行 かれ2ヶ月 間 監禁 された[7]。最初 の1ヶ月 は毎日 暴行 された[7]。その後 性病 がひどくなったので、兵士 は暴行 をやめた。ある日 泣 いていると日本 の一 士官 がやってきて尋 ねられたので、事情 を話 すと、同情 してくれて、約 60マイルの南京 金 陵 大学 へ連 れて行 ってくれた[7]。
強姦 について[編集 ]
- ある
日 、三 人 の日本 兵 に自動車 に拉致 され、郊外 で強姦 され、自宅 に送 り返 される途中 で、また日本 兵 に声 を掛 けられたという女性 を助 けた[10]。 - 12月18
日 、スパーリング委員 と住宅 街 に行 くと、日本 兵 に強姦 された婦人 がおり、家 にまだいるというので、行 くと、日本 兵 と中国人 女性 2人 が部屋 にいた[10]。 - 12月20
日 、強姦 された10、11歳 の少女 を病院 に連 れて行 った。三 人 の日本 兵 が二 階 から民家 に侵入 しようとしていたり、一人 の日本 兵 が強姦 しているのを見 たので、その兵 を道 に連 れ出 した。強姦 されようとしている女性 を何人 も助 けることができた[10]。 - 1938
年 1月 1日 、30歳 くらいの知 り合 いの婦人 と少女 が強姦 された[10]。 日本 兵 に17〜18回 強姦 されたという寡婦 と会 った。その寡婦 の77歳 の母 も日本 兵 に強姦 された[7]。
目撃 証言 [編集 ]
ブルックス
強盗 について[編集 ]
また
日本 兵 は時計 、万年筆 、お金 、着物 、食糧 など何 でも人民 から取上 げた[7]。南京 占領 後 数日 して、寝具 を日本 兵 が取 らうとしたので、それを拒 んだ婦人 が頸を銃剣 で刺 されたというのでマギーが治療 した。日本 兵 は、日本 総領事館 やアメリカ大使館 の通告 に考慮 を払 わなかった。また、日本 兵隊 は中 山陵 方面 へトラック一 杯 に冷蔵庫 等 を積 んで行 くのを見 た[7]。
マギー証言 の評価 をめぐる論争 [編集 ]
南京 攻略 戦 時 に福知山 連隊 (歩兵 第 20連隊 )大 隊長 を務 め南京 とその周辺 の警備 に当 たっていた森 王 琢 は「検事 側 の証人 としてマギーは二 日間 にわたって詳細 に証言 したが、ブルックという弁護士 が反対 質問 で問 いつめると二 日 にわたって証言 したことは全部 ウソで結局 窃盗 と婦女 暴行 が各 一 件 だけあることが判明 し、法廷 で笑 い物 になった」と述 べている[15]。田中 正明 はマギーが直接 目撃 したのが不審 者 の殺害 、強姦 、窃盗 の3件 だけで、あとはすべて伝聞 、噂 話 、憶測 によると言 っている[16]。渡部 昇一 によればマギーの目撃 した殺害 事件 とは、南京 市内 を警備 していた日本 兵 が、中国人 に何者 か質問 をすると逃走 したので射殺 したというもので、「はたして、これのどこが虐殺 だろうか」という[17]。また渡部 は「松井 石 根 被告 の弁護人 ブルックス氏 は、大 虐殺 神話 のもととなった同国 人 のマギー牧師 を反対 訊問 で問 いつめ、実際 に日本 兵 により殺害 されたシナ人 はたった一人 しか実際 に見 たことがないと白状 させたのである。元来 が国際 政治 裁判 だった東京 裁判 で、松井 被告 は死刑 になったけれども、ブルックス弁護人 の反対 訊問 のおかげでわれわれは大 虐殺 神話 の実態 をうかがうことが今日 でもできるのだ」という[18]。また渡部 は「この大 虐殺 のあらゆる噂 や文献 の起 こりが、たった一 つのところに収斂 していることが証明 された。それは一人 のアメリカ人 牧師 マギーのデマであり、さらに、そのデマを遡 って調査 してみても、事実 らしいものはどこにも見 つからなかった。要 するに、日本人 は一人 の無責任 な外人 のデマによって、何 十 万 人 ものシナ人 を集団 虐殺 したという烙印 を押 されてしまったわけである」と主張 している[19]。藤岡 信勝 もマギー証言 はほとんど伝聞 に基 づいたものとする[20]。
これに
洞 富雄 は「“唯 僅 か一人 の事件 だけは自分 で目撃 致 しました”と、正直 に陳述 しているだけのことである」「もし、マギー師 が偽証 しようと思 えば、5件 でも10件 でも目撃 したと言 えたはず」と反論 [21]。立花 隆 は渡部 昇一 が他 の証拠 を考慮 せずに、マギー証言 が南京 大 虐殺 の唯一 の証拠 であったかのように思 わせる議論 は、「渡部 氏 のいつものイカサマ論法 」と批判 した[22]。藤原 彰 は「安全 区 で、もっぱら怪我人 や強姦 の被害 者 の救護 活動 をしていたマギーが殺害 現場 に立 ち会 わなかったのは当然 で、マギー証言 の意義 は夥 しい数 の被害 者 と接 していたことにこそあるのだ。(中略 )それらを無視 して、殺害 現場 を見 たのは一人 だけだという部分 のみが、何 回 も持 ち出 されるのである」[23]と述 べている。渡辺 春 己 は「否定 派 はマギー証言 の断片 だけを切 り取 り、殺害 、強姦 の瞬間 を目撃 しなければ、死体 があっても、被害 女性 がいても、「伝聞 」であり、事実 として認定 できないという暴論 を平然 と主張 する」[24]と反論 している。戸谷 由 麻 東京 裁判 のとき、マギー証言 に対 して被告 の弁護人 のブルックスが「尋問 技術 を駆使 してもマギーの証言 の一貫 性 と真実 性 を崩 すことはできなかった。そのことはブルックス自身 も法廷 で実感 し、またウェッブ裁判 長 にも次第 に明白 になっていった。(中略 )ブルックスはあらためて「この証人 は公平 を務 めていると信 じます」と答 え、ニ、三 追加 の質問 をしたあと裁判 長 の勧告 に従 い反対 尋問 を終了 したのだった。」[25]
マギーフィルム[編集 ]
マギー
このフィルムは、のちにジョージ・アシュモア・フィッチらが1938
しかし、
オリジナルフィルムは
日記 [編集 ]
滝谷 二郎 『目撃 者 の南京 事件 発見 されたマギー牧師 の日記 』(三交社 、1997)
関連 作品 [編集 ]
- 「MBSナウスペシャル「フィルムは
見 ていた検証 南京 大 虐殺 」1991年 10月 6日 放映 、毎日放送 - ナンシー・トン「
天皇 の名 のもとに南京 大 虐殺 の真実 」(ビデオ)
脚注 [編集 ]
- ^ a b
田中 正明 , What really happened in Nanking - The refutation of a common myth,世界 出版 , page 123, ISBN 4916079078 - ^
毎日新聞 2015.10.11 - ^ 「
南京 は微笑 む城内 点描 」『朝日新聞 』1937年 12月25日 付 朝刊 、3面 - ^
笠原 十 九 司 『南京 難民 区 の百 日 』岩波書店 、1995年 [要 ページ番号 ] - ^ a b
洞 富雄 編 『南京 大 残虐 事件 資料集 1』青木 書店 1985,p86-110 - ^ a b c d e 『
南京 大 残虐 事件 資料集 1』青木 書店 1985,p88-89 - ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『
南京 大 残虐 事件 資料集 1』青木 書店 1985,p94-99 - ^ 『
南京 大 残虐 事件 資料集 1』青木 書店 1985,p103 - ^
滝谷 二郎 『目撃 者 の南京 事件 発見 されたマギー牧師 の日記 』(三交社 、1997) - ^ a b c d e 『
南京 大 残虐 事件 資料集 1』青木 書店 1985,p91-93 - ^ 「
先程 申 しました案内 役 に立 つた其 の祖母 は、此の部屋 に行 つて、竹 の棒 を女 の膣 から引摺 り出 して持 つて来 たのであります。是 等 の女 は強姦 され且 つ殺 された。其 の時 には其 の小 さな娘 と、それから彼女 自身 とが居 た。それ以外 に其 の娘 の子 の弟 になります四 歳 になる男 の子 が居 た。其 の男 の子 は女 の子 の着物 を着 て居 つた為 に、竹 で突 きされた。」 - ^ 「マギー
牧師 の解説 書 」『ドイツ外交 官 の見 た南京 事件 』所収 、大月書店 、2001年 、資料 51[要 ページ番号 ] - ^ a b 『
南京 大 残虐 事件 資料集 1』青木 書店 1985,p103-104 - ^ 『
南京 大 虐殺 否定 論 13のウソ』柏書房 、1999年 [要 ページ番号 ] - ^
木暮 山人 参議院 議員 の発言 による“1994年 10月 27日 参議院 文教 委員 会 (第 131回 国会 文教 委員 会 第 2号 )”.参議院 (1994年 10月 27日 ). 2015年 10月 21日 閲覧 。)。 - ^
田中 正明 『“南京 虐殺 ”の虚構 』日本教文社 、1984年 P314。『南京 事件 の総括 』展 転 社 、2001年 、P32 - ^
渡部 昇一 「かくて昭和 史 は甦 る」クレスト1995,p292 - ^
渡部 昇一 「角栄 裁判 ・元 最高裁 長官 への公開 質問 七 ヶ条 」『諸君 !』1984年 3月 号 [要 ページ番号 ] - ^ 『
歴史 の読 み方 』祥伝社 ,1979年 ,p136 - ^ 「
近 現代 史 教育 の改革 」明治 図書 、1996,p207 - ^
洞 富雄 『南京 大 虐殺 の証明 』朝日新聞社 、1986年 、P23、ISBN 9784022554512 - ^ 『
朝日 ジャーナル』1985年 1月 4・11日 合併 号 - ^
藤原 彰 「「東京 裁判 によるデッチ上 げ」説 こそがデッチ上 げ」=『南京 大 虐殺 否定 論 13のウソ』柏書房 、1999年 所収 、P20 - ^
渡辺 春 己 「証拠 をご都合主義 的 に利用 しても正当 な事実 認定 はできない」=『南京 大 虐殺 否定 論 13のウソ』柏書房 、1999年 所収 、ISBN 9784760140947 p.194 - ^ 「
現代 歴史 学 と南京 事件 」所収 P139 - ^ フィルムの
解説 文 はドイツ外交 文書 『ローゼン報告 』の中 で読 むことができる。邦訳 『ドイツ外交 官 の見 た南京 事件 』大月書店 、2001年 [要 ページ番号 ] - ^ a b c 『
國民 新聞 』1991年 7月 25日 、1-2面 。 - ^
笠原 十 九 司 『アジアの中 の日本 軍 』大月書店 、1994年 [要 ページ番号 ] - ^
香港 中 文 大学 による。About Reverend Magee's Documentary
参考 文献 [編集 ]
- 「
南京 は微笑 む城内 点描 」『朝日新聞 』1937年 12月25日 付 朝刊 、3面 - 『
國民 新聞 』1991年 7月 25日 、1-2面 田中 正明 『“南京 虐殺 ”の虚構 』日本教文社 、1984年 田中 正明 『What really happened in Nanking - The refutation of a common myth』世界 出版 、ISBN 4916079078渡部 昇一 「角栄 裁判 ・元 最高裁 長官 への公開 質問 七 ヶ条 」『諸君 !』1984年 3月 号 洞 富雄 『南京 大 虐殺 の証明 』朝日新聞社 、1986年 、ISBN 978-4022554512笠原 十 九 司 『アジアの中 の日本 軍 』大月書店 、1994年 笠原 十 九 司 『南京 難民 区 の百 日 ―虐殺 を見 た外国 人 』岩波書店 、1995年 (岩波 現代 文庫 、2005)南京 事件 調査 研究 会 『南京 大 虐殺 否定 論 13のウソ』柏書房 、1999年 ISBN 978-4760117840石田 勇治 ・笠原 十 九 司 ・吉田 裕 『ドイツ外交 官 の見 た南京 事件 』大月書店 、2001年 、ISBN 978-4272520640