ジョー・ペリー

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ジョー・ペリー
Joe Perry
2013ねん4がつ
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい アンソニー・ジョセフ・ペレイラ
生誕せいたん (1950-09-10) 1950ねん9がつ10日とおか(73さい
アメリカ合衆国の旗アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくマサチューセッツしゅうローレンス
ジャンル ブルース
ブルースロック
ハードロック
ヘヴィメタル
職業しょくぎょう ミュージシャン
ソングライター
担当たんとう楽器がっき ギターヴォーカルベースキーボードハーディ・ガーディドブロ・ギター6げんベースウクレレスライド・ギター
活動かつどう期間きかん 1965ねん -
共同きょうどう作業さぎょうしゃ エアロスミス
著名ちょめい使用しよう楽器がっき
ギブソン・レスポール
ギブソン・ES-335
フェンダー・ストラトキャスター
フェンダー・テレキャスター

ジョー・ペリーJoe Perry1950ねん9がつ10日とおか - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくミュージシャンロックバンドエアロスミス」のギタリスト本名ほんみょうは、アンソニー・ジョゼフ・ペレイラ(Joseph Anthony Pereira)。

「ローリング・ストーンのえら歴史れきしじょうもっと偉大いだいな100にんのギタリスト」において2003ねんだい482011ねん更新こうしんばんではだい84

来歴らいれき[編集へんしゅう]

スティーヴン・タイラーひだり)とジョー・ペリー

アメリカ・ボストン郊外こうがい出身しゅっしん少年しょうねん時代じだい最初さいしょにした楽器がっきウクレレだった。

1973ねんに、エアロスミスのメンバーとしてデビュー。フロントマンのスティーヴン・タイラーともにソングライティングを担当たんとう。このコンビは、「トキシック・ツインズ(The Toxic Twins)」とばれる。アルバム『ロックス』(1976ねん以降いこう一部いちぶ楽曲がっきょくでリード・ボーカルをる。エアロスミスの活動かつどう並行へいこうして、個人こじんとしてはキッスのジーン・シモンズのソロ・アルバム『ジーン・シモンズ』(1978ねん)などにゲスト参加さんかしている。

1980ねんスティーヴン・タイラーとの確執かくしつなどを原因げんいんに、エアロスミスを脱退だったい。「ジョー・ペリー・プロジェクト」を結成けっせいし、1983ねんまでに3まいのアルバムを発表はっぴょう。だが、エアロスミスほどの成功せいこうられなかった。このあいだエアロスミスも、相次あいつぐメンバー脱退だったい交通こうつう事故じこによるスティーヴンの入院にゅういん、アルバムの興行こうぎょうてき不振ふしんなど、暗礁あんしょうげていた。しかし時間じかん経過けいかともない、スティーヴンとも和解わかい1984ねんに、おなじく脱退だったいしたオリジナル・メンバーのブラッド・ウィットフォードとともに、エアロスミスに復帰ふっき1989ねんアリス・クーパーのアルバム『トラッシュ』の収録しゅうろくきょく「ハウス・オブ・ファイアー」にゲスト参加さんか1997ねんスティーヴ・ヴァイ発案はつあんしたクリスマス・アルバム『メリー・アックスマス』に、ギター・インストゥルメンタルによる「ブルー・クリスマス」を提供ていきょう

2004ねんにエアロスミスは期限きげん活動かつどう休止きゅうし宣言せんげん。この期間きかん利用りようしてジョーは、かなりむかしから温存おんぞんしていた数々かずかずきょくのレコーディングにかり、2005ねん5月、今度こんどはソロ名義めいぎでのアルバム『ジョー・ペリー』を発表はっぴょうした。また、同年どうねん8がつにリリースされたレス・ポール&フレンズのアルバム『レス・ポール・トリビュート』にフィーチャリング・ゲストの一人ひとりとして参加さんか

2007ねん、エアロスミスが活動かつどう再開さいかい全米ぜんべいツアーを敢行かんこうした。 2009ねんに、のエアロスミスのアルバム『ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション!』の制作せいさく中断ちゅうだんされたときに、2さくのソロ・アルバム『ハヴ・ギター、ウィル・トラヴェル』をリリースし、よく2010ねんまで「ジョー・ペリー・プロジェクト名義めいぎでツアーをおこなった。

2016ねん7がつ10日とおかジョニー・デップアリス・クーパーらとんでいるグループ「ハリウッド・ヴァンパイアーズ英語えいごばん」のコンサートちゅうたおれ、地元じもと病院びょういん搬送はんそうされた[1]当初とうしょしん停止ていしたおれた[1]報道ほうどうされたが、アリスによると、ジョーはしん停止ていしではなく脱水だっすいしょう疲労ひろう原因げんいんたおれたという[2]。その回復かいふくし、7がつ22にちのハリウッド・ヴァンパイアーズのライブにて復帰ふっき[3]

使用しようギター[編集へんしゅう]

ツアーにはブラッド・ウィットフォード同様どうよう多数たすうのギターをしている。高価こうかなヴィンテージギターから手工しゅこうギターまで、音色ねいろチューニングちがいなどもふくめて、20ほんちかくのギターをスタンバイさせており、ギターキッズからは羨望せんぼう眼差まなざしをおくられている。ツアー以外いがいでもかれ個人こじん所有しょゆうしているギターはやく600ほんたっするという。

ステージじょうではギブソン・レスポールをメインに使用しようしているが、レコーディングではほとんどのきょくでストラトキャスターを使用しようしているという。「ビブラートのアームがいているのがきだったし、ストラトキャスターのほうが色々いろいろおとづくりをするのがらくだった」とのこと。これは1970年代ねんだいからほぼ一貫いっかんしているという。

1970年代ねんだい愛用あいようしていたが、1981ねんジョニー・サンダース所持しょじしていたギブソン・レスポール・ジュニア交換こうかんというかたちる。当時とうじ貯金ちょきんがなく、クリスマスのためにかね必要ひつようだったためだという。
その、ビリー・ルージジャンやエリック・ジョンソンなどが所有しょゆうし、スラッシュわたった。アルバム『ゲット・ア・グリップ』を製作せいさくしていたころに、ペリーはこのギターが再度さいど必要ひつようとなりさがもとめたところスラッシュが所持しょじしていたため交渉こうしょうしたが、なかなか手放てばなそうとはしなかった。2000ねん、ペリーの50さいのバースデーパーティーでスラッシュから直接ちょくせつ返却へんきゃくされた。
B.B.キングのシグネイチャー・モデルである、ギブソンの「ルシール」に、ビリー夫人ふじん姿すがたエアブラシ精密せいみつなペイントがほどこされており、ヘッドには"Billie"としるされている。しかし当初とうしょ、ビリー夫人ふじんずかしがり、ライブのスクリーンに自分じぶんかおうつるのが我慢がまんならず、楽屋がくやじこもっていたというが、いまれた模様もよう
  • THE TPP JOE PERRY "STRATOTELE" CUSTOM P-RAIL TRIBUTE
もとは1980ねん使用しようしていた左利ひだりきようフェンダー・ストラトキャスター。ストラトキャスターのボディに、テレキャスターのネックが接続せつぞくされたもの。元々もともとブラックだったボディの塗装とそうがされた仕様しようになっている。
ペリーはみぎきのスタイルをいているが、左利ひだりきようのギターにぎゃくつるったものを使用しようすることがあり、ジミ・ヘンドリックスなどと同様どうよう方法ほうほうもちいている(ただしジミは、みぎようひだりく)。ただし、本人ほんにんは「つるぎゃくったときおときだ」とかたっているほか、「アームのテンションやピックアップの配置はいちつるのテンションが全然ぜんぜんちがう」「たんにジミ・ヘンドリックスを真似まねたわけではない」とインタビューでこたえている。

シグネイチャー・レスポール[編集へんしゅう]

シグネイチャー・モデル制作せいさくぎわ、ジョーはギブソン担当たんとうしゃに、かるいギターであることをもとめた。それは、ジョーがそれまで使用しようしてきたレスポールが大抵たいていおもかったため、最適さいてきおもさをもとめていたからである。

  • Gibson Les Paul Joe Perry BlackBurst
1997ねん製作せいさくされた最初さいしょのシグネイチャーモデルのレスポール。メープルトップが強調きょうちょうされたトランスルーセント・ブラック・バースト・フィニッシュ。おもなスペックと寸法すんぽうは、上記じょうきの'59ねんせいレスポールがベースとなっている。
ノブのプッシュ/プルでミッド・ブーストのon/offが可能かのう。ブリッジのピックアップはペリーようにカスタムされている。
  • Gibson Les Paul Joe Perry Boneyard
ビリー夫人ふじんがプレゼントしたという特注とくちゅうひんのグリーン・タイガー・フィニッシュのシグネイチャーモデル。

その[編集へんしゅう]

  • ボストン・レッドソックスのファンである。
  • キッスのステージに唯一ゆいいつ正式せいしきメンバー以外いがい人間にんげんったことがある。
  • 上記じょうきのビリー夫人ふじん姿すがたえがかれたギターを愛用あいようしているように、愛妻あいさいである。
  • ジェフ・ベック敬愛けいあいしており、かれのシグネイチャー・ギターをすうほん所持しょじしている。元々もともとエアロスミスは、ヤードバーズのようなブリティッシュ・ロックにつよ影響えいきょうけており、ジョーのギター・プレイにもジェフの影響えいきょうおおられる。ベックがアルバム『ワイアード』を発表はっぴょうしたころ、エアロスミスのライヴにてアンコールで突如とつじょベックが登場とうじょうし、共演きょうえんたすが、そのさいジョーは感極かんきわまってなみだながし、そのくしたという。のちにジョーは、つぎのようにかたっている。
    「あれはいままでのオレの人生じんせい最高さいこう瞬間しゅんかんだったな。かんがえてもろよ、ずっとアイドルとしてあこがれていたジェフ・ベックとおなじステージにって演奏えんそうしているんだぜ」
  • 共和党きょうわとう支持しじしゃである[4]

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

ジョー・ペリー・プロジェクト名義めいぎ[編集へんしゅう]

ジョー・ペリー名義めいぎ[編集へんしゅう]

参加さんか作品さくひん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]