チュニスのたたか

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
チュニスのたたか

戦争せんそうだいいちポエニ戦争せんそう
年月日ねんがっぴ紀元前きげんぜん255ねん
場所ばしょチュニス
結果けっか:カルタゴぐん勝利しょうり
交戦こうせん勢力せいりょく
共和きょうわせいローマ カルタゴ
指導しどうしゃ指揮しきかん
マルクス・アティリウス・レグルス 捕虜ほりょ クサンティッポス
戦力せんりょく
歩兵ほへい15,000
騎兵きへい500
歩兵ほへい12,000
騎兵きへい4,000
せんぞう100
損害そんがい
戦死せんし12,000
捕虜ほりょ500
戦死せんし800(ポリュビオスによる)
だいいちポエニ戦争せんそう

チュニスのたたか(チュニスのたたかい[1])またはバグラダスのたたかは、だいいちポエニ戦争せんそうなか紀元前きげんぜん255ねんはる勃発ぼっぱつした共和きょうわせいローマカルタゴたたかい。たたかいはカルタゴが勝利しょうりし、ローマはアフリカから撤退てったいした。

序幕じょまく[編集へんしゅう]

エクノモスみさきたたか勝利しょうりしたローマはアフリカに上陸じょうりくし、さらにアディスのたたかにも勝利しょうりしてカルタゴにきびしい講和こうわ条件じょうけんきつけていた。しかしカルタゴは講和こうわ拒否きょひし、スパルタひと傭兵ようへいであるクサンティッポスぐん司令しれいかんとして雇用こようした。クサンティッポスはふゆあいだへい訓練くんれんし、優秀ゆうしゅうなカルタゴぐん騎兵きへいおよびせんぞう威力いりょくかすため、平地ひらちでの野戦やせん企画きかくした。

他方たほう執政しっせいかんマルクス・アティリウス・レグルスひきいるローマ陸軍りくぐんは、チュニス駐屯ちゅうとんしていた。再編さいへんされた有力ゆうりょくなカルタゴ陸軍りくぐん対峙たいじすることとなったレグルスは、将軍しょうぐん功名こうみょうをあげることをおそれ、早期そうきにカルタゴ陸軍りくぐん勝利しょうりすることをほっしていた。ポリュビオス歴史れきしによると、レグルスの兵力へいりょく歩兵ほへい15,000と騎兵きへい500であった[2]

兵力へいりょく配置はいち[編集へんしゅう]

クサンティッポスはカルタゴへいファランクス中央ちゅうおうに、傭兵ようへい構成こうせいされる歩兵ほへいをその右側みぎがわに、歩兵ほへい前方ぜんぽうせんぞう戦列せんれつき、優秀ゆうしゅう騎兵きへい分割ぶんかつして右翼うよく左翼さよく配置はいちした。合計ごうけい兵力へいりょく歩兵ほへい12,000、騎兵きへい4,000、せんぞう100であった。ローマぐん通常つうじょうのとおり軍団ぐんだん歩兵ほへい15,000を中央ちゅうおうに、かずおと騎兵きへい両翼りょうよく配置はいちした。

戦闘せんとう[編集へんしゅう]

兵力へいりょく配置はいち

カルタゴぐん攻撃こうげきたたかえぞう突撃とつげき開始かいしされた。せんぞうはローマ歩兵ほへい攻撃こうげきし、またローマ騎兵きへいの8ばい兵力へいりょくゆうするカルタゴ騎兵きへいは、ローマ騎兵きへい容易ようい撃破げきはした。おそらくは同盟どうめいぐん兵士へいしから構成こうせいされていたローマ歩兵ほへい左翼さよく2000は健闘けんとうし、カルタゴぐん傭兵ようへい部隊ぶたいかえした。他方たほう中央ちゅうおうではたたかえぞう突撃とつげきにはえたものの、それをけてカルタゴぐんファランクスにたいして攻撃こうげきできた部隊ぶたいわずかで、いずれもカルタゴぐん撃破げきはされた。最後さいごにカルタゴぐん騎兵きへい両側りょうがわから攻撃こうげきをかけ、ローマぐん残存ざんそん兵力へいりょく殲滅せんめつされた。戦闘せんとう初期しょき脱出だっしゅつ成功せいこうした2000のみが、ローマ海軍かいぐん救出きゅうしゅつされた。

その[編集へんしゅう]

ローマぐん戦死せんし12,000、捕虜ほりょ500というだい損害そんがいけたが、カルタゴぐんは800をうしなったにぎなかった。レグルス自身じしん捕虜ほりょとなった。後世こうせいのローマ史家しかゾウによる処刑しょけいされたとしるしているが[3]、ポリュビオスはそのような記載きさいはしておらず、またディオドロスはレグルスの自然しぜんだったとしている[4]

陸戦りくせんでの敗北はいぼくと、ローマへの海難かいなん事故じこおおくの兵力へいりょくうしなったローマは、アフリカでカルタゴを打破だはする機会きかいうしなった。だいいちポエニ戦争せんそうのこりの戦闘せんとうは、シシリアとうでの陸戦りくせん海戦かいせんたたかわれた。

参考さんこう資料しりょう[編集へんしゅう]

  1. ^ Lost Battles, Philip Sabin p174
  2. ^ Lost Battles, Philip Sabin p175
  3. ^ Kistler, John M. War Elephants. Westport, CT: Praeger, 2006. p.100.
  4. ^ Carthage and the Carthaginians, R Bosworth Smith.

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

ポリュビオス歴史れきしだいいちかん


座標ざひょう: 北緯ほくい3647ふん51びょう 東経とうけい1009ふん57びょう / 北緯ほくい36.7975 東経とうけい10.1659 / 36.7975; 10.1659