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ファランクス

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シュメールぐん密集みっしゅう陣形じんけい紀元前きげんぜん2500ねんころのレリーフ。(メソポタミア、ハゲタカのいしぶみen:Stele of the Vultures))
ファランクス陣形じんけい進軍しんぐんするギリシアじゅうそう歩兵ほへい復元ふくげん
ギリシアぐんのファランクス(右側みぎがわ)がアケメネスあさペルシャぐん兵士へいしたち(左側ひだりがわ)を撃破げきはする様子ようす想像そうぞう)。するどやりさき無数むすうならび、ファランクスにたいしてけんたたかおうとするへいは、なすすべなく串刺くしざしにされ、次々つぎつぎ地面じめんたおれてゆく。

ファランクス古代こだいギリシャ: φάλαγξphalanx)は、古代こだいにおいてもちいられたやりじゅうそう歩兵ほへいによる密集みっしゅう陣形じんけいである。集団しゅうだん一丸いちがんとなって攻撃こうげきするファランクスは会戦かいせんにおいて威力いりょく発揮はっきした。

ひがし地中海ちちゅうかいでよくられたファランクス[編集へんしゅう]

もっとふるいファランクス、もしくはそれに隊形たいけいは、紀元前きげんぜん2500ねんほどのみなみメソポタミアですでに確認かくにんできる。よろい有無うむ不明ふめいだが、だいたてやりによる密集みっしゅう陣形じんけいがこの当時とうじ存在そんざいしていたことをしめしている[1]。しかし、その中東ちゅうとうではふくあいゆみ発明はつめいによって戦場せんじょう主役しゅやくゆみへいとなっていく[2]。その紀元前きげんぜん700ねんごろアッシリアでも同様どうよう隊形たいけいもちいられていたことが石版せきばんから確認かくにんできるが、鎧兜よろいかぶと着用ちゃくようしたじゅうそう歩兵ほへいもちいたファランクスを大々的だいだいてきもちいたのは紀元前きげんぜん7世紀せいき以後いご古代こだいギリシアである。古代こだいギリシアにおいてファランクスを構成こうせいしていたのは一定いってい以上いじょうとみ市民しみん階級かいきゅうであり、当時とうじ地中海ちちゅうかい交易こうえき発達はったつから甲冑かっちゅう普及ふきゅうしてじゅうそう歩兵ほへい部隊ぶたい編成へんせいすることが可能かのうとなった。また、都市とし国家こっか形成けいせいされたことからおな目的もくてき意識いしきった集団しゅうだんまれたこともファランクスの形成けいせい影響えいきょうした[3]

じゅうそう歩兵ほへいが、左手ひだりて円形えんけいだいたてを、右手みぎてやり装備そうびし、露出ろしゅつしたみぎ半身はんしんみぎとなり兵士へいしたてかくして通例つうれい8れつたてふか程度ていどとく打撃だげきりょく必要ひつようとする場合ばあいはそのばい横隊おうたい構成こうせいした。戦闘せんとう経験けいけんすくないわかへい中央ちゅうおう配置はいちし、古兵ふるつわものさい前列ぜんれつさい後列こうれつはいしたが、みぎ半身はんしん露出ろしゅつすることから、とく最右翼さいうよくれつ精強せいきょうへい配置はいちされた。同等どうとうよこはばをもつてき対峙たいじして前進ぜんしんするさい、これらの兵士へいしたてのない右側みぎがわめんてきかこまれまいとしてみぎみぎへとはすぎょうし、隊列たいれつ全体ぜんたいがそれにつれてみぎにずれる傾向けいこうがあった。攻撃こうげきさい横隊おうたいくずれないようにふえおとわせて歩調ほちょうをとりながら前進ぜんしんした。

戦闘せんとうはいると100にん前後ぜんこう集団しゅうだん密集みっしゅうしてじんかため、たてうえからやりして攻撃こうげきした。まえものたおれると後方こうほうものすす交代こうたいし、また、後方こうほうものやり角度かくど変更へんこうすることでてきやりはらけることも可能かのうで、戦闘せんとうじょうきょう柔軟じゅうなん対応たいおうできる隊形たいけいでもあった。ぎゃく部隊ぶたい全体ぜんたい機動きどうせいまったくなく、けたような場所ばしょでないと真価しんか発揮はっきしない。また、正面しょうめん以外いがいからの攻撃こうげきにはもろい。

基本きほんてきにファランクスは激突げきとつ正面しょうめん衝撃しょうげきりょく殺傷さっしょうりょく保持ほじしていたため、一旦いったん乱戦らんせんになると転回てんかい機動きどうむずかしく、機動きどうりょく使つかった戦術せんじゅつとしてはようをなさなかった。時代じだいくだると、会戦かいせんにおいてすうてき劣勢れっせいにあったがわはファランクスに改良かいりょうくわえ、戦力せんりょく補完ほかんした。テーバイ将軍しょうぐんエパメイノンダス使用しようしたはすがた密集みっしゅう隊形たいけいはロクセ・ファランクス(loxe phalanx, 斜線しゃせんじん)とばれ、レウクトラのたたかにて、勇名ゆうめいとどろかせたスパルタぐんかず劣勢れっせいにあったにもかかわらずかした。

ここでもちいられたロクセ・ファランクスは、一般いっぱんてきにいってファランクスの弱点じゃくてんである右側みぎがわめん上述じょうじゅつ最右翼さいうよくへいみぎ半身はんしん露出ろしゅつしていることによる)を確実かくじつやぶるため、スパルタぐんの12れつたてふかたいして、テーバイぐん左翼さよくは50れつたてふかをとるというものだった。ファランクスはたてふかふかいほうが、たてでの押合おしあい(オティスモス)において有利ゆうりであり、消耗しょうもうしても隊形たいけい維持いじしてちこたえることが可能かのうとなり、たてふかきわめて重要じゅうよう要素ようそであった。ロクセ・ファランクスはその特性とくせいかした陣形じんけいといえる[4]

部隊ぶたい編成へんせい[編集へんしゅう]

クセノポン時代じだいスパルタにおける、ファランクスの部隊ぶたい編成へんせい
*12にんいちれつ×3れつ縦隊じゅうたい(36にん)で1個いっこエノーモティア
*2エノーモティアで1個いっこペンテーコストゥス、
*2ペンテーコストゥスで1個いっこロコスギリシアばん英語えいごばん
*4ロコス(=16エノーモティア)で1個いっこモラMora
*6モラで1個いっこ軍団ぐんだん編成へんせいし、その最右翼さいうよくにはそう司令しれいかんであるスパルタおう布陣ふじんする。

部隊ぶたい編成へんせい以下いかのようになるが、あくまでいちれいであり、ポリスごとに具体ぐたいてき編成へんせい変化へんかする。

イフィクラテースのペルタスタイ[編集へんしゅう]

紀元前きげんぜん390ねん、アテナイの将軍しょうぐんイフィクラテス(イピクラテス)は、本来ほんらい補助ほじょ戦力せんりょくでしかなかった軽装けいそう歩兵ほへいペルタスタイ)をもちい、レカイオンのたたかいでスパルタのじゅうそう歩兵ほへい機動きどうりょくかしてやぶった。その経験けいけんまえ、従来じゅうらいじゅう装備そうび甲冑かっちゅうたんやり装備そうびしたファランクスから、比較的ひかくてき軽装けいそう機動きどうせいしたファランクスへとおおきな軍制ぐんせい改革かいかくおこなった。

金属きんぞくせいずねてを廃止はいししてくるぶしまでのブーツにえ、たてだいたてから小型こがたたてうで装備そうびするようにし、たてからひもばしてくびにかけるようにした。よろい軽装けいそうになったことによる不利ふりは、やりを3メートルほどの両手りょうてあつかちょうやりにかえてリーチをばすことによって補完ほかんした。ちょうやりかまえると、ちょうどたてまえくようになっている。

この装備そうび変化へんかマケドニアしきファランクスにおおきな影響えいきょうあたえたとわれている。[5]

マケドニアしきのファランクス[編集へんしゅう]

フィリッポス2せいおよびアレクサンドロス大王だいおう時代じだいの、マケドニアぐん基本きほん陣形じんけい
マケドニアしきのファランクス

古代こだいマケドニアぐんは、たてふかが8れつ程度ていどであった従来じゅうらい密集みっしゅう方陣ほうじん改変かいへんし、6メートルながやりサリッサ)をった歩兵ほへいによる16れつ×16れつ集団しゅうだんを1シンクタグマとして構成こうせい、このシンクタグマがよこならぶことで方陣ほうじん形成けいせいした。マケドニアしきファランクスの歩兵ほへいは、イフィクラテスのファランクスのながれをくんだとわれ比較的ひかくてき軽装けいそうよろいと、くびからけてうでにつけるちいさなたて装備そうびしていた。また、両手りょうてちょうやりささえることができるようになったのも効果こうかおおきい(しかしぎゃくえばサリッサはそのながさと重量じゅうりょうゆえに両手りょうてでなければあつかえなかった)。

3年間ねんかんテーバイ人質ひとじち生活せいかつおくったピリッポス2せい改良かいりょうがたファランクスのたたかかた勘案かんあんしマケドニアしきのファランクスを創始そうししたとわれている。マケドニアしきのファランクスがもちいられたカイロネイアのたたかいでは、本隊ほんたい歩兵ほへい右側みぎがわ常備じょうび近衛このえ歩兵ほへいき、左側ひだりがわ徴募ちょうぼによる軽装けいそう歩兵ほへい配置はいちした。右翼うよくには突撃とつげきまさヘタイロイ騎兵きへい左翼さよくにはテッサリアじん騎兵きへい配置はいちし、前衛ぜんえいゆみしゅ装備そうび歩兵ほへいけい騎兵きへい担当たんとうした。左翼さよく防御ぼうぎょしているあいだに、右翼うよくでのてき戦列せんれつ破壊はかいおこなうマケドニアしきのファランクスは、側面そくめんからの攻撃こうげきよわ従来じゅうらいのファランクスを圧倒あっとうした。このようにかたつばさまもり、もう片方かたがたつばさ打撃だげき部隊ぶたいとする戦術せんじゅつは「鉄床かなとこ戦術せんじゅつ」とばれる。

このマケドニアしきのファランクスを以って、ピリッポス2せいはアテナイ、スパルタ、コリントス等々とうとうギリシアのしょ都市としやぶり、かれアレクサンドロス3せいはアケメネスあさペルシアをほろぼした。そのマケドニアしきのファランクスはアレクサンドロスの後継こうけいしゃあらそったディアドコイがれた。ディアドコイ同士どうしたたかいは必然ひつぜんてきにマケドニアしきファランクス同士どうしたたかいとなり、かれらはやりをさらにながくしたり、防御ぼうぎょりょくげるためによろいじゅう装備そうびにするなどしてより優位ゆういとうとした。

しかし、これらの改良かいりょう柔軟じゅうなんせい機動きどうりょくさらなる低下ていかへとつながった。のちにこの欠点けってん機動きどうりょくおぎな騎兵きへい不足ふそくなどによってローマ軍団ぐんだんやぶれることとなる。

そのマケドニアしきのファランクスは、ローマにおいてもだて隙間すきま配置はいち防御ぼうぎょりょくたかめたテストゥド進化しんかした。

そののファランクス[編集へんしゅう]

ファランクスというかたりはもともとはゆびほね意味いみした。おそらくはたてかべから無数むすうやりゆび見立みたてたものとかんがえられる。ファランクスという単語たんごラテン語らてんごにもれられ、マケドニアをのぞ古代こだいローマ周辺しゅうへん戦争せんそうでももちいられたが、これらはたんなる密集みっしゅう方陣ほうじんという程度ていど意味いみしかたなかった。

phalanxのかたりは、ゆびほね様子ようすからてんじてたばねたぼう、ローラ、丸太まるたなどを意味いみするようにも変化へんかしていった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • サイモン・アングリム ちょ天野あまの 淑子としこ やく戦闘せんとう技術ぎじゅつ歴史れきし : 1 古代こだいへん (3000 BC-AD 500)』つくもとしゃ、2008ねんISBN 978-4-422-21504-4 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]