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ティムガッド

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
世界遺産 ティムガッド
アルジェリア
ティムガッド
ティムガッド
英名えいめい Timgad
ふつめい
登録とうろく区分くぶん 文化ぶんか遺産いさん
登録とうろく基準きじゅん (2), (3), (4)
登録とうろくねん 1982ねん
公式こうしきサイト 世界せかい遺産いさんセンター英語えいご
使用しよう方法ほうほう表示ひょうじ

ティムガッド (تيمقاد ; Thamugadi) は、西暦せいれき100ねんころトラヤヌスみかどによって建設けんせつされた古代こだいローマ植民しょくみん都市としである。古代こだいローマ時代じだいにはタムガス (Thamugas) とばれていた。ティムガッドの遺跡いせきは、古代こだいローマの都市とし計画けいかく碁盤ごばんじょう区画くかく導入どうにゅうされたれいつたえる、現存げんそんする最良さいりょう遺跡いせきひとつである。ながあいだすなうずもれていたことから保存ほぞん状態じょうたいがよく、「アフリカポンペイ」の異名いみょうをとる。

遺跡いせきは、げんアルジェリアバトナ (Batna) から35kmのところにある。このまち元々もともとオーレス山地さんち近隣きんりんにおけるたいベルベルじん要塞ようさいとすることをおも目的もくてきに、なにもないところにけんされた軍事ぐんじ植民しょくみんであった。最初さいしょにそこに居住きょじゅうしたのは、古代こだいローマぐんでのすうねん軍役ぐんえきえ、その見返みかえりに土地とち給付きゅうふされたパルティアひと大半たいはんであった。

6つのみち交差点こうさてん位置いちしたこのまちにはかべめぐらされていたが、城塞じょうさい都市としといえるものではなかった。本来ほんらい収容しゅうよう人員じんいん15000にん想定そうていして設計せっけいされた都市としであったが、すぐに予定よていをオーバーし、碁盤ごばんじょう区画くかく外側そとがわに、より柔軟じゅうなん区画くかく設計せっけい拡大かくだいしていった。

本来ほんらいのローマの碁盤ごばんじょう区画くかくは、部分ぶぶんてき復元ふくげんされたコリントしき円柱えんちゅうならんでいる東西とうざい方向ほうこうデクマヌス・マクシムスとおりと南北なんぼく方向ほうこうカルド・マクシムスとおりによって線引せんひきされている直行ちょっこうてきデザインのうちに、大々的だいだいてき見出みいだすことが出来できる。カルドはまち完全かんぜんつらぬくものではなく、デクマヌスとの交差点こうさてんにあたるフォルムまっている。

デクマヌスの西端せいたんには、たかさ12mの凱旋がいせんもん「トラヤヌスのもん」がそびえている。このもんは、1900ねん部分ぶぶんてき修復しゅうふくされている。もんおも砂岩さがん出来できており、3つのアーチコリント様式ようしきぞくしている。この凱旋がいせんもんは「ティムガッドのもん」としてもられている。トラヤヌスみかどおおくの「トラヤヌスもん」をつくったので、この「ティムガッドのもん」はそれらのひとつにぎない。

19世紀せいき絵葉書えはがきにみるティムガッドもん

3500にん収容しゅうようローマ劇場げきじょう保存ほぞん状態じょうたいく、現代げんだい上演じょうえんなどにも使つかわれている。主要しゅよう建造けんぞうぶつには、4つの公衆こうしゅう浴場よくじょう図書館としょかんバシリカなどがある。そのにも「しょう浴場よくじょうぐん」、「博物館はくぶつかん」、「ビザンティン要塞ようさい」、なども存在そんざいしている。4つの公衆こうしゅう浴場よくじょうは「東側ひがしがわ浴場よくじょう」「北側きたがわ浴場よくじょう」とこれらふたつより規模きぼおおきな「南側みなみがわ浴場よくじょう」「北側きたがわ浴場よくじょう」が存在そんざいしている。「図書館としょかん」は現代げんだいのように簡単かんたんほんはいらなかったローマ時代じだいに、ほんあつめられていたことから「宝庫ほうこ」とされていた。知識ちしきがあると自認じにんしていたもの図書館としょかんかよっていたとわれている。「バシリカ」はフォーラムに併設へいせつされていた屋根やねきの建造けんぞうぶつである。ここではしょう取引とりひきおこな市場いちば役割やくわりや、ときには裁判所さいばんしょとして利用りようされていたこともある。「博物館はくぶつかん」はティムガッドの遺跡いせきから発見はっけんされた200以上いじょうのモザイクがここに保存ほぞんされている。「ビーナスの勝利しょうり」などの傑作けっさくがここに展示てんじされている。「ビザンティン要塞ようさい」はビザンティン帝国ていこく支配しはいした時代じだい軍隊ぐんたい駐屯ちゅうとんしていた場所ばしょで、112m×56mという広大こうだい敷地しきちたかさ2.5mというおおきなたかさのあつかべかこっていたとされている。

また、ローマのパンテオン匹敵ひってきする規模きぼの、ユピテルささげられた神殿しんでん存在そんざいし、そのそばには7世紀せいきさかのぼまる後陣ごじん四角しかく教会堂きょうかいどうがある。より時代じだいにはなるが、都市とし南東なんとうには、ひがしマ帝国まていこくによって建造けんぞうされたシタデル(城塞じょうさい)も存在そんざいする。

都市とし建造けんぞうされたのちすうひゃく年間ねんかん平和へいわ謳歌おうかし、3世紀せいきはじまったキリスト教きりすときょう活動かつどう中心ちゅうしんひとつとなった。4世紀せいきには異端いたんドナトゥス拠点きょてんとなった。

5世紀せいきには、ヴァンダル侵略しんりゃくけ、都市とし没落ぼつらくした。535ねんにはひがしローマの将軍しょうぐんソロモン(Solomon)が占拠せんきょし、あらためて都市とし建造けんぞうした。この結果けっか主要しゅようキリスト教きりすときょう都市としとしてふたた人々ひとびとまうようになったが、7世紀せいきにはベルベルじん侵攻しんこうけ、てられた。以降いこう1881ねん発掘はっくつされるまで、ティムガッドは歴史れきしおもて舞台ぶたいから姿すがたすこととなる。

発見はっけんされたとき、都市とし遺跡いせき周辺しゅうへん海抜かいばつ1000mの肥沃ひよく農業のうぎょう地帯ちたいとなっていたが、ティムガッドの遺跡いせき地帯ちたいサハラ侵食しんしょくされていた。しかし、この侵食しんしょくによってひとかなくなっており、結果けっかとして、すなうずもれた遺跡いせきぐんあらたな都市としなみこうむることがなく、良好りょうこう保存ほぞん状態じょうたいたもつこととなったのである。

世界せかい遺産いさん

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ティムガッドは、アルジェリアのほか古代こだいローマ都市としジェミラティパサなどとともに、1982ねんユネスコ世界せかい遺産いさん登録とうろくされた。

登録とうろく基準きじゅん

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この世界せかい遺産いさん世界せかい遺産いさん登録とうろく基準きじゅんのうち、以下いか条件じょうけんたし、登録とうろくされた(以下いか基準きじゅん世界せかい遺産いさんセンター公表こうひょう登録とうろく基準きじゅんからの翻訳ほんやく引用いんようである)。

  • (2) ある期間きかんつうじてまたはある文化ぶんかけんにおいて、建築けんちく技術ぎじゅつ記念きねんてき芸術げいじゅつ都市とし計画けいかく景観けいかんデザインの発展はってんかんし、人類じんるい価値かち重要じゅうよう交流こうりゅうしめすもの。
  • (3) 現存げんそんするまたは消滅しょうめつした文化ぶんかてき伝統でんとうまたは文明ぶんめいの、唯一ゆいいつのまたはすくなくともまれ証拠しょうこ
  • (4) 人類じんるい歴史れきしじょう重要じゅうよう時代じだい例証れいしょうする建築けんちく様式ようしき建築けんちくぶつぐん技術ぎじゅつ集積しゅうせきまたは景観けいかんすぐれたれい

参考さんこう文献ぶんけん

うつくしきアルジェリア ななつの世界せかい遺産いさんめぐたび 大塚おおつかまさたか

図説ずせつ世界せかい建築けんちく ローマ建築けんちく ジョンブライアンウォードバーキンズ

座標ざひょう: 北緯ほくい3529ふん3.25びょう 東経とうけい628ふん7.2びょう / 北緯ほくい35.4842361 東経とうけい6.468667 / 35.4842361; 6.468667