発掘はっくつ調査ちょうさ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
発掘はっくつから転送てんそう
調査ちょうさちゅう九谷くたにA遺跡いせき考古学こうこがく調査ちょうさ
筒井つついじょう発掘はっくつ説明せつめいかい

発掘はっくつ調査ちょうさ(はっくつちょうさ、英語えいご: excavation)とは、地中ちちゅう埋没まいぼつした学術がくじゅつてき資料しりょう調査ちょうさ研究けんきゅうするため、地面じめん岩盤がんばんへの掘削くっさくおこな学術がくじゅつ調査ちょうさ手法しゅほうの1つ。考古学こうこがくでは過去かこ人類じんるい活動かつどう痕跡こんせき=遺跡いせき埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい)を検出けんしゅつするため遺跡いせきのある土地とちそう掘削くっさくし、生物せいぶつがくおよび地質ちしつがくでは化石かせきさがとう目的もくてき特定とくてい地層ちそう掘削くっさくする調査ちょうさのことをいう。

考古学こうこがくにおける発掘はっくつ調査ちょうさ[編集へんしゅう]

いわ宿やど遺跡いせきにて旧石器時代きゅうせっきじだい遺物いぶつ発見はっけんした考古こうこ学者がくしゃ相沢あいざわ忠洋ただひろ群馬ぐんまけんみどり

狭義きょうぎ発掘はっくつ調査ちょうさ[編集へんしゅう]

狭義きょうぎには、考古学こうこがくにおける遺跡いせき法律ほうりつ用語ようごでは埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい包蔵ほうぞう調査ちょうさのうち、調査ちょうさ区内くない遺物いぶつ包含ほうがんそうげて遺構いこうめん検出けんしゅつし、遺構いこう覆土ふくど掘削くっさく遺物いぶつ検出けんしゅつおこない、それらの検出けんしゅつじょうきょう出土しゅつどじょうきょう実測じっそく写真しゃしんなどの記録きろく資料しりょうとしてまとめ、遺物いぶつげる調査ちょうさす。

広義こうぎ発掘はっくつ調査ちょうさ[編集へんしゅう]

広義こうぎには、地表ちひょうめんからは確認かくにんできない遺構いこう所在しょざい確認かくにんするための試掘しくつ調査ちょうさ(しくつちょうさ、trial excavations)や遺構いこう性格せいかく概要がいようまでを把握はあくする確認かくにん調査ちょうさ(かくにんちょうさ)をふく遺跡いせき調査ちょうさ総体そうたいをいう。トレンチ試掘しくつあな、trial trench)とよばれるみぞを、通常つうじょうはば1m~2mくらいの任意にんいはばで、交差こうさする方向ほうこうないし平行へいこうっていき、それによって遺構いこうひろがりの確認かくにんおこない、10mの方眼ほうがんグリッド)を調査ちょうさ全体ぜんたい設定せっていして、一定いってい間隔かんかくみじかいトレンチをれたり、2mの方眼ほうがんいちおきに表土ひょうどをはがして、遺構いこう有無うむ確認かくにんする場合ばあいもある。

遺跡いせき有無うむ広域こういきわたって把握はあくするための踏査とうさおこなって、遺物いぶつ表面ひょうめん採集さいしゅうおこなうものを一般いっぱん調査ちょうさ(general survey、遺跡いせき分布ぶんぷ調査ちょうさたん分布ぶんぷ調査ちょうさともいう。)といい[1]遺構いこう遺跡いせき有無うむ確認かくにんするために、1地点ちてんをスコップでげたり、ボーリングぼうけんつえ)をすことがあるが、しゅとして地表ちひょうめんから確認かくにんできる範囲はんい遺跡いせき所在しょざい確認かくにんすることが主体しゅたい調査ちょうさであって、通常つうじょう発掘はっくつ調査ちょうさのカテゴリーにはふくまれない。森林しんりん伐採ばっさい考古学こうこがくてき知見ちけん増加ぞうかといった客観きゃっかんてきないし主観しゅかんてき条件じょうけん変化へんかしたことによって調査ちょうさ成果せいかおおきくわる可能かのうせいがあり、水田すいでん遺跡いせきなどは遺物いぶつをほとんどともなわないので検出けんしゅつ一般いっぱん困難こんなんをともなう[1]。しかし、古墳こふん中世ちゅうせいじょうかんかまあと集落しゅうらく遺跡いせきなどは、全体ぜんたい状況じょうきょう把握はあくするうえで分布ぶんぷ調査ちょうさかせない[1]

古墳こふん寺院じいんあと山城やましろなどについては、現状げんじょう測量そくりょうだけでも形状けいじょう規模きぼがある程度ていど確認かくにんできるものについては、実測じっそく調査ちょうさおこな必要ひつようがある[1]前方後円墳ぜんぽうこうえんふんなどは、これだけでもへんねん地域ちいきしょく設計せっけい企画きかくなどといった研究けんきゅうするところがおおきい[1]

学術がくじゅつ調査ちょうさ土地とち開発かいはつ行為こういにともなう調査ちょうさ緊急きんきゅう調査ちょうさ[編集へんしゅう]

特別とくべつ史跡しせき藤原ふじわらみやあと発掘はっくつ調査ちょうさ現場げんば
土地とち開発かいはつ行為こういにともなう京都きょうと市内しない調査ちょうさ江戸えど時代じだいそうした秀吉ひでよし時代じだい盛土もりつちそう室町むろまち平安へいあん古墳こふん弥生やよいなどの文化ぶんかそうがつづく)

平城ひらじろみやあと藤原ふじわらみやあとなど、範囲はんい判明はんめいし、その重要じゅうようせい指摘してきされている遺跡いせきは、特別とくべつ史跡しせき史跡しせきなどの文化財ぶんかざい指定していがなされ、学術がくじゅつ調査ちょうさがなされる[2]学術がくじゅつ調査ちょうさは、通常つうじょう年度ねんどをまたぐ調査ちょうさ計画けいかくてられ、計画けいかくにもとづき、遺跡いせき保存ほぞん前提ぜんていにしておこなわれる調査ちょうさである。そのおおくは公有こうゆうすすめられ、研究けんきゅう成果せいかにもとづき往時おうじ姿すがた復元ふくげんされる[2]遺構いこう遺物いぶつには保存ほぞん措置そちこうじられ、史跡しせき公園こうえんなどとして国民こくみんにひろく公開こうかいされることがおお[2]

いっぽう、建築けんちくぶつてるさい道路どうろ鉄道てつどうなどをとおさい土地とちさい利用りようさい破壊はかい予測よそくされる遺跡いせき記録きろく保存ほぞんするために地方ちほう公共こうきょう団体だんたい財団ざいだん法人ほうじん埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい調査ちょうさ事業じぎょうだんもしくは埋蔵まいぞう文化財ぶんかざいセンター地方ちほう公共こうきょう団体だんたい大学だいがく教授きょうじゅなどに依頼いらいして組織そしきされた発掘はっくつ調査ちょうさだん遺跡いせき調査ちょうさかいなどをおこな発掘はっくつ調査ちょうさとく緊急きんきゅう発掘はっくつ調査ちょうさ(あるいはたん緊急きんきゅう調査ちょうさ[注釈ちゅうしゃく 1]ぶことがある[3]学術がくじゅつ目的もくてき調査ちょうさは、予算よさん期間きかん組織そしきてき制約せいやくもあって小規模しょうきぼなものであったが、各種かくしゅ開発かいはつ工事こうじにともなう発掘はっくつ調査ちょうさは、場合ばあいによってはすうまん平方へいほうメートルにおよぶだい規模きぼなものもまれではなく、おびただしいかず考古こうこ資料しりょう検出けんしゅつされたので、いきおい考古学こうこがくのありかたそのものを変質へんしつさせたし、調査ちょうさ方法ほうほう調査ちょうさ体制たいせい変化へんかした[3]

埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい包蔵ほうぞうでなくても工事こうじちゅう偶然ぐうぜん遺跡いせき発見はっけんされる(不時ふじ発見はっけん)ことがしばしばあるが、おおくは発掘はっくつ調査ちょうさ終了しゅうりょう記録きろくとして保存ほぞんされるのみで遺跡いせき破壊はかいされる場合ばあいおおい。しかしそのなかでも本来ほんらい計画けいかく変更へんこうし、歴史れきし公園こうえんなどとして保存ほぞんするれいもある。そういったれいでは、工業団地こうぎょうだんち造成ぞうせいのための発掘はっくつ調査ちょうさだい規模きぼ集落しゅうらくあとつかった佐賀さがけん吉野よしのさと遺跡いせきとく有名ゆうめいである。同様どうように、青森あおもりさんない丸山まるやま遺跡いせき野球やきゅうじょう建設けんせつ大阪おおさか藤井寺ふじいでらはさみやま遺跡いせきなし田地でんちてん)は住宅じゅうたく建設けんせつともな調査ちょうさで、いずれも保護ほご措置そち現状げんじょう保存ほぞん)がとられた。

なお、団地だんち造成ぞうせいにより発掘はっくつ調査ちょうさおこなわれたあ遺跡いせきには、鳥取とっとりけん米子よなご青木あおき遺跡いせき福市ふくいち遺跡いせき青森あおもりけん八戸はちのへちょうなな谷地やち貝塚かいづか[注釈ちゅうしゃく 2]茨城いばらきけんつくば平沢ひらさわ官衙かんが遺跡いせき[注釈ちゅうしゃく 3]岩手いわてけん一戸いちのへまち御所野ごしょの遺跡いせき[注釈ちゅうしゃく 4]岡山おかやまけん倉敷くらしきだてちく遺跡いせきほかがあり、枚挙まいきょにいとまがない。これらは史跡しせきなどに指定していされ、保存ほぞん活用かつようはかられている遺跡いせきである。

一方いっぽうで、2008ねん古市ふるいち古墳こふんぐんうちあらたに、前方後円墳ぜんぽうこうえんふん発見はっけんされたにもかかわらず、開発かいはつ業者ぎょうしゃによって破壊はかいされてしまったれいがある[4]

調査ちょうさ設定せってい[編集へんしゅう]

分布ぶんぷ調査ちょうさ試掘しくつ調査ちょうさからられた資料しりょうをもとにして調査ちょうさ目的もくてき沿った調査ちょうさ設定せっていされる。かつては、任意にんい基準きじゅんてんもうけて調査ちょうさ設定せっていすることがあり、そのため、現在げんざいではその所在しょざいひろがりのわからなくなってしまった遺跡いせきがあるが、今日きょうでは国家こっか座標ざひょうもちいるため、そうした問題もんだい解消かいしょうした[5]

調査ちょうさ方形ほうけいのマス(方眼ほうがん)をもちいて区分くぶんする方法ほうほう一般いっぱんてき採用さいようされており、これをグリッドほうんでいる[5]

発掘はっくつ調査ちょうさもちいる道具どうぐ機材きざい[編集へんしゅう]

油圧ゆあつショベル(ユンボ
手押ておしゃ

今日きょうでは表土ひょうどげのため、遺構いこう確認かくにんめんのすぐじょうまで油圧ゆあつショベルもちいることがおおくなった。そののち、スコップくわ遺構いこう確認かくにんめんまでげ、鋤簾じょれん(ジョレン)をもちいて遺構いこうめんあきらかにしたうえで精査せいさする(以降いこう検出けんしゅつ[6]こまかい部分ぶぶん片手かたてよう移植いしょくベラ片手かたてネジリがまもちいるが、遺構いこう遺物いぶつきずつけないため、とくに記録きろく必要ひつよう箇所かしょ周囲しゅういたけベラ刷毛はけ(ハケ)、たけくしなどもそれぞれのケースにおうじてもちいる。

実測じっそくのためにくいピンポール、フリーポールその基準きじゅんとなる地点ちてんをつくる道具どうぐメジャー巻尺まきじゃく、バカボー(スタッフぼう)、コンベックスなどの実測じっそく必要ひつようで、こんにちではトータルステーションばれる光波こうは機械きかい多用たようされるようになっている。

コンベックス

実測じっそく作製さくせい媒体ばいたいとなる方眼ほうがんやメモようちょう(スケッチブック)などは、発掘はっくつ調査ちょうさよう風雨ふううえるよう工夫くふうされている。覆土ふくどなどのそう註記ちゅうきのため、全国ぜんこく統一とういつ規格きかくとしての標準ひょうじゅん土色つちいろじょうがある。カメラフィルムなど撮影さつえい機材きざい必要ひつようである。遺物いぶつげのためには、大小だいしょうポリぶくろ出土しゅつど地点ちてんしるすための荷札にふだそのもちいられる。また、遺構いこう風雨ふうう乾燥かんそうから保護ほごするためのブルーシート小物こものれるためのものカゴ、げた調査ちょうさ邪魔じゃまにならない地点ちてんまではこ手押ておしゃ一輪車いちりんしゃ)やベルトコンベアなど、発掘はっくつ現場げんばでは多種たしゅ多様たよう道具どうぐ機材きざいもちいられる[5]

整理せいり作業さぎょう発掘はっくつ調査ちょうさ報告ほうこくしょ[編集へんしゅう]

発掘はっくつられた図面ずめん遺物いぶつは、遺跡いせき調査ちょうさ団体だんたい作業さぎょうしつおくられ「整理せいり作業さぎょう」がおこなわれる。整理せいり作業さぎょうでは、遺物いぶつ実測じっそく作成さくせい写真しゃしん撮影さつえい遺構いこう図面ずめん作成さくせいとうおこな[1]同時どうじに、遺跡いせき概要がいよう調査ちょうさ経緯けいい考察こうさつべる本文ほんぶん執筆しっぴつおこなわれる。出来上できあがった本文ほんぶん図面ずめん写真しゃしん図版ずはんなどを編集へんしゅうし、発掘はっくつ調査ちょうさ報告ほうこくしょとして発行はっこうする。報告ほうこくしょ発行はっこうをもって発掘はっくつ調査ちょうさ完結かんけつするのである[1][7]

発掘はっくつ調査ちょうさ報告ほうこくしょ文化庁ぶんかちょうにより「現状げんじょう保存ほぞんできなかった埋蔵まいぞう文化財ぶんかざいわって後世こうせいのこ公的こうてき性格せいかくをもった重要じゅうよう存在そんざい」と位置付いちづけられており[8]各地かくち公立こうりつ図書館としょかん大学だいがく付属ふぞく図書館としょかん博物館はくぶつかんなどに所蔵しょぞうされており、閲覧えつらんすることができる。奈良なら文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょ奈文研なぶんけん)の運営うんえいする機関きかんリポジトリである全国ぜんこく遺跡いせき報告ほうこく総覧そうらんでも閲覧えつらんできる。

なお奈文研なぶんけんは、2021ねんれい3ねん)4がつ26にちより、全国ぜんこく遺跡いせき報告ほうこく総覧そうらん登録とうろくされた刊行かんこうぶつ発掘はっくつ調査ちょうさ報告ほうこくしょ博物館はくぶつかん展示てんじかい図録ずろくなど)・動画どうが論文ろんぶんなどの各種かくしゅコンテンツを、ウィキペディア出典しゅってん情報じょうほうとして正確せいかくに、かつ書式しょしきしたが効率こうりつよく引用いんよう出来できるようにするため、引用いんようにコンテンツ表記ひょうき自動じどう表示ひょうじするアイコンを開設かいせつした。これによりウィキペディアの、おも遺跡いせき考古学こうこがくかんする事項じこう編集へんしゅうするユーザーは、執筆しっぴつにおいては発掘はっくつ調査ちょうさ報告ほうこくしょ参照さんしょうし、また出典しゅってんとして引用いんようしたい場合ばあい書誌しょし情報じょうほう迅速じんそくコピー・アンド・ペースト出来できるようになった[9]

遺跡いせき発掘はっくつ調査ちょうさ必要ひつようなこと[編集へんしゅう]

遺跡いせき構造こうぞう解明かいめいしていくためには、分布ぶんぷ調査ちょうさ実測じっそく調査ちょうさのみでは不十分ふじゅうぶんであり、発掘はっくつ調査ちょうさという方法ほうほうもちいることなしに考古こうこ資料しりょうにふくまれる情報じょうほう十分じゅうぶんにとりだすことは困難こんなんである[1]発掘はっくつ調査ちょうさには、分布ぶんぷ調査ちょうさ実測じっそく調査ちょうさ以上いじょう豊富ほうふ技術ぎじゅつ知識ちしき経験けいけんもとめられ、十分じゅうぶん経費けいひ調査ちょうさ計画けいかく調査ちょうさ組織そしき必要ひつようである[1]遺跡いせきは、一度いちどってしまうと、遺構いこう形状けいじょう関係かんけいきょうとも関係かんけい、あるいは遺物いぶつ出土しゅつどじょうきょうそうといった一切いっさい二度にどもとにはもどらない[1]慎重しんちょうさをいた調査ちょうさは、遺跡いせきの「破壊はかい」にほかならないのである[1]

生物せいぶつがくにおける発掘はっくつ調査ちょうさ[編集へんしゅう]

化石かせき採集さいしゅうのための服装ふくそう採集さいしゅう用具ようぐ[編集へんしゅう]

よごれてもかまわない丈夫じょうぶふく必要ひつようなこと、怪我けがむしさされ防止ぼうしのためなつでも長袖ながそで着用ちゃくようなことは、考古学こうこがく調査ちょうさ場合ばあいおなじである。上着うわぎポケットがたくさんあると、ちいさい化石かせきルーペれたりできて便利べんりである。採集さいしゅう用具ようぐとしては、ハンマータガネ必需ひつじゅひんである。使用しようするハンマーは、づち部分ぶぶん一体いったい一方いっぽうかくめん他方たほうひらとなったチゼルがた他方たほうとがっているピックがたがある。タガネにはひらのものととがったものがある。観察かんさつようにルーペが必要ひつようである。げた資料しりょうふくろにそのままれると化石かせきどうしがうので新聞紙しんぶんしなどでつつむ。地形ちけい磁石じしゃくちょう撮影さつえい機材きざい記録きろく保存ほぞんのために必携ひっけいである。

発掘はっくつ調査ちょうさにおけるしょ問題もんだい[編集へんしゅう]

虚偽きょぎ補助ほじょきん請求せいきゅう[編集へんしゅう]

2005ねんから2010ねんまでの6年間ねんかんに、かく都道府県とどうふけん市町村しちょうそん文化庁ぶんかちょうから補助ほじょきんけてった遺跡いせき発掘はっくつ調査ちょうさ事業じぎょうのうち、29の事業じぎょうについて、調査ちょうさ報告ほうこくしょ作成さくせいであるにもかかわらず「作成さくせいした」と虚偽きょぎ報告ほうこくおこなったり、発掘はっくつたずさわった人員じんいんたいする人件じんけん水増みずま請求せいきゅうなどをおこなっていたことが判明はんめいし、文化庁ぶんかちょう事業じぎょう実施じっしした自治体じちたいたいし、補助ほじょきん返還へんかんもとめる事態じたいとなった[10][11]

住民じゅうみんによる発掘はっくつ調査ちょうさ妨害ぼうがい[編集へんしゅう]

1997ねん大韓民国だいかんみんこくソウル特別とくべつアパート工事こうじ現場げんばから、初期しょき百済くだら時代じだい竪穴たてあな建物たてものかぜおさむじょう百済くだら王宮おうきゅうとみられる遺構いこうつかった。2000ねんふうおさめほら197番地ばんち発掘はっくつ調査ちょうさおこなわれたが、アパートに予定よてい住民じゅうみん発掘はっくつ調査ちょうさ中止ちゅうし工事こうじ即時そくじ再開さいかいもとめて抗議こうぎ活動かつどうおこない、警官けいかんたい投入とうにゅうされた。2006ねんにも、地元じもと住民じゅうみんが「生存せいぞんけん保障ほしょう」をもとめて発掘はっくつ調査ちょうさ中止ちゅうし抗議こうぎ活動かつどうおこない、調査ちょうさ担当たんとうしゃを4時間じかん以上いじょうにわたり現場げんば事務所じむしょ監禁かんきんし、警官けいかんたいによって排除はいじょされた。この抗議こうぎ活動かつどうで、調査ちょうさ担当たんとうしゃ入院にゅういん余儀よぎなくされた[12]

発掘はっくつ風景ふうけい画像がぞう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 英語えいごでは、development-led excavation開発かいはつ行為こういともな発掘はっくつ調査ちょうさ)と表現ひょうげんされることがある。レンフリューは、salvage excavationsんでいる (Renfrew, C. et. al. 1991, 1996, pp. 526-7)。
  2. ^ 桔梗野ききょうの工業団地こうぎょうだんち造成ぞうせいにともなう発掘はっくつ調査ちょうさ
  3. ^ 県営けんえい住宅じゅうたく団地だんち造成ぞうせいにともなう調査ちょうさ
  4. ^ 一戸いちのへまち農工のうこう団地だんち造成ぞうせい計画けいかくにともなう調査ちょうさ

参照さんしょう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 広瀬ひろせ(2007)pp.21-22
  2. ^ a b c 広瀬ひろせ(2007)pp.27-28
  3. ^ a b 広瀬ひろせ(2007)pp.26-27
  4. ^ 未知みち前方後円墳ぜんぽうこうえんふんなのに…住宅じゅうたく開発かいはつ石室いしむろ破壊はかい 安閑あんかん天皇陵てんのうりょうちか 産経新聞さんけいしんぶん 2011ねん1がつ23にち
  5. ^ a b c 高橋たかはし (1997) pp.30-31
  6. ^ 文化庁ぶんかちょう文化財ぶんかざい記念きねんぶつ 2013c, pp. 118–119.
  7. ^ 文化庁ぶんかちょう文化財ぶんかざい記念きねんぶつ 2013d.
  8. ^ 文化庁ぶんかちょう 2004ねん平成へいせい16ねん報告ほうこく pp.11
  9. ^ なぶんけんブログ-全国ぜんこく遺跡いせき報告ほうこく総覧そうらん:遺跡いせき位置いち表示ひょうじ機能きのうおよびWikipedia記事きじ全国ぜんこく遺跡いせき報告ほうこく総覧そうらん登録とうろくコンテンツを引用いんようするさい表記ひょうき自動じどう表示ひょうじする機能きのう公開こうかい-奈良なら文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょ
  10. ^ 遺跡いせき発掘はっくつ補助ほじょきん架空かくう請求せいきゅうなど不正ふせい受給じゅきゅう 19自治体じちたいくにに1200まんえん返還へんかん 毎日新聞まいにちしんぶん 2010ねん8がつ14にち
  11. ^ 発掘はっくつ29事業じぎょう補助ほじょきん不正ふせい受給じゅきゅう 1023まんえんすでに返還へんかん 朝日新聞あさひしんぶん 2010ねん8がつ14にち
  12. ^ とおるもとめ木村きむら光一こういちおか泉水せんすいわけ)「ソウル百済くだら王宮おうきゅう発見はっけん保存ほぞん30ねん IIふうおさめ城内じょうないかんじょう百済くだら王宮おうきゅう発見はっけん発掘はっくつ前編ぜんぺん)」 『季刊きかん考古学こうこがくだい135ごう 雄山閣ゆうざんかく出版しゅっぱん 2016ねん P.98-99

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 文化庁ぶんかちょう文化財ぶんかざい保護ほご埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい発掘はっくつ調査ちょうさびき』(財)ざいだんほうじん国土こくど地理ちり協会きょうかい、1966.11
  • 高橋たかはし一夫かずお ちょ発掘はっくつ調査ちょうさ実施じっし」、やすひる政雄まさお へん考古学こうこがくキーワード』有斐閣ゆうひかく有斐閣ゆうひかく双書そうしょ〉、1997ねん11月。ISBN 4-641-05860-1 
  • 広瀬ひろせ和雄かずお考古学こうこがく基礎きそ知識ちしき角川かどかわ学芸がくげい出版しゅっぱん、2007ねん5がつISBN 978-4-04-703409-9 
  • 行政ぎょうせい目的もくてきおこな埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい調査ちょうさについての標準ひょうじゅん報告ほうこく)』2004ねん平成へいせい16ねん)10がつ29にち 文化庁ぶんかちょう埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい発掘はっくつ調査ちょうさ体制たいせいとう整備せいび充実じゅうじつかんする調査ちょうさ研究けんきゅう委員いいんかい

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]