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石器せっき

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
オーストリアen:EggenburgにあるKrahuletz-Museumに展示てんじされている旧石器時代きゅうせっきじだい石器せっき
ギリシアアテネにあるギリシア国立こくりつ考古学こうこがく博物館はくぶつかん展示てんじされている、しん石器せっき時代じだい石器せっき陶器とうき集落しゅうらく様子ようす
韓国かんこくしん石器せっき時代じだい石器せっき
フランス、トゥールーズ博物館はくぶつかん展示てんじされている石器せっきいまから3300~2400ねんほどまえしん石器せっき時代じだい末期まっきあたま(やがしら)。発見はっけん場所ばしょはフランスアヴェロンけんfr:Saint-Léons、のドルメンささえせきはか)。(アヴェロンけんはドルメンのるいがおよそ800もつかっている。fr:Sites mégalithiques de l'Aveyron参照さんしょう。)

石器せっき(せっき、えい: stone tool)は、人間にんげんいしもちいて製作せいさくし、使用しようした道具どうぐ[1]とく石器せっき時代じだい遺物いぶつ[2]

概説がいせつ

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石器せっき範囲はんい

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石器せっきいし岩石がんせき鉱物こうぶつ)を材料ざいりょうとしてひとによって製作せいさくあるいは使用しようされた痕跡こんせきのこされている利器りきをいう[3]。なお、いしせい装飾そうしょくひん儀礼ぎれいなどでもちいられたもので日常にちじょう生活せいかつ使用しようされた「利器りき」とはおおきく性格せいかくことにするため「いし製品せいひん」というべつのカテゴリに分類ぶんるいされることがおお[3]いし製品せいひんとは、利器りき武器ぶきでないいしさらすりせき(すりいし)、砥石といしたいせき(だいいし)、敲石(たたきいし)などの総称そうしょうをいう[4]いしせい装身具そうしんぐ古墳こふん時代じだい以降いこういしせい道具どうぐるいは、いし製品せいひんあるいは石造せきぞうぶつなどとよんで区別くべつするのが一般いっぱんてきである[5]

石器せっき」はしゅとして「延長えんちょう」としてのいしせい道具どうぐし、石碑せきひ墓石はかいしのようなものは「石器せっき」にふくめない。ただし日本にっぽん縄文じょうもん時代じだい儀式ぎしき使用しようされたとかんがえられるいしぼうのようなものまで「広義こうぎ石器せっき」にふくめることがある。石器せっき製作せいさく使用しようともなって、大量たいりょういし破片はへん(「いしへん」。へずかた砕片さいへんなど)がしょうじる。これらは直接的ちょくせつてきには「道具どうぐ」とよぶことはできないが、道具どうぐとしての石器せっき製作せいさく使用しようふか関連かんれんがあり、本来ほんらいはその「本体ほんたい一部いちぶであったもの」にもあたることから、「石器せっき」としてあつか範囲はんいにある[1]。(実際じっさいには、いし材料ざいりょうとした道具どうぐ現代げんだいでも、いくつかのもの、たとえば石臼いしうすなど[注釈ちゅうしゃく 1]では、現代げんだいでも使つかわれつづけているが)「石器せっき」という用語ようごは、(現代げんだい現役げんえき使つかわれているいしせい道具どうぐすためにはあまり使つかわれず)おもに遺跡いせきから遺物いぶつとして発見はっけんされる考古こうこ資料しりょう[1]

研究けんきゅうほう

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石器せっき製作せいさく使用しよう方法ほうほうについては、(今日きょうられる土俗どぞく民俗みんぞくれいなどから類推るいすいすることもありはするが)できるだけ加工かこう痕跡こんせき使用しよう痕跡こんせきなどから復原ふくげんてき理解りかいすることが必要ひつようである[1]石器せっき表面ひょうめん観察かんさつされる「加工かこうこん」と「使用しようこん」は厳密げんみつ区分くぶんされ、製作せいさく実験じっけん使用しよう実験じっけん(→実験じっけん考古学こうこがく)をとおして追跡ついせき検討けんとうしながら、その石器せっきつく使つかったひと意図いと仕組しくみにまでもせま研究けんきゅうおこなわれるようになってきた[1]石器せっきいしへん関係かんけいは、もとになるいしからいちげきによってかれたしゃとして、接合せつごう関係かんけいかれたしゃがふたたびあわさる形状けいじょうてき関係かんけい)をもつ[1]遺物いぶつについて、その直接的ちょくせつてき関係かんけい確認かくにんする整理せいり作業さぎょうがあり、かれたしゃ確認かくにんして、もと状況じょうきょうもど作業さぎょうを「接合せつごう作業さぎょう」とよび、それによって復原ふくげんされた資料しりょうを「接合せつごう資料しりょう」という。接合せつごう資料しりょう近年きんねん増加ぞうかしてきており、その評価ひょうか石器せっき製作せいさく経過けいか理解りかいするため、また使用しよう経過けいかをより具体ぐたいてき理解りかいするためのデータとして重視じゅうしされている[1]

なお出土しゅつどするおなせき分散ぶんさんじょうきょう焦点しょうてんてて、石器せっきよう石材せきざい分配ぶんぱい証拠しょうことして、遺跡いせきない遺跡いせきあいだでの人間にんげん関係かんけいろんじるためのデータとして利用りようする研究けんきゅううごきもある。自然しぜん科学かがく領域りょういき岩石がんせき成分せいぶん組成そせい研究けんきゅう近年きんねんすすみ、火山岩かざんがんけい岩石がんせき産地さんち同定どうてい判別はんべつ)が可能かのうになったので、遺跡いせきから出土しゅつどする石器せっきいししつ産地さんちとの関連かんれん調しらべることにより、「石材せきざい」がどのように流通りゅうつうしたのかについてもろんじられるようになってきた[1]

日本語にほんごの「石器せっき」という呼称こしょう

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日本にっぽんでは、ふじさだみきあつまりいにしえ』(安永やすなが年間ねんかん刊行かんこうか)のなかに石斧せきふるいかかげて「石器せっき」の呼称こしょう採用さいようしていた[5]

歴史れきし

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初期しょき石器せっき

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人間にんげん石器せっきとのかかわりは250まんねん以上いじょうまえまでさかのぼる。この石器せっき製造せいぞう証拠しょうこのこっている最初さいしょ時点じてんで、すでにめん複雑ふくざつわせた加工かこうがみられるので、単純たんじゅんいし利用りようはさらにさかのぼるだろうと推察すいさつされる[1]人類じんるい使つかはじめた時期じきは、やく330まんねんまえとするせつもある[6]

石器せっき発展はってん

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アフリカやユーラシアの初期しょき人類じんるいによるつぶてすう10まんねん以上いじょうほとんど変化へんかせずおなじようなつくかた製作せいさくされていた[3]人類じんるいてき区分くぶんではやく260まんねんまえから1まんねんまえごろまでを「旧石器時代きゅうせっきじだい」あるいは「きゅう石器せっき文化ぶんか」という[3]

  • もっとふるいとされるホモぞくホモ・ハビリスは、240まんねんほどまえあらわれ、オルドワン石器せっきばれる原始げんしてき石器せっき使用しようしていた。
  • おそくともおよそ170まんねんまえまでには登場とうじょうしたホモ・エレクトスは、それまでよりも精巧せいこうなアシュレアン(Acheulean)石器せっき使用しようした。

かれらの亜種あしゅであるホモ・ハイデルベルゲンシスは、アフリカから中東ちゅうとう経由けいゆし、30まんねんほどまえヨーロッパまで進出しんしゅつしたが、使用しようしていた石器せっきは、よりふる時代じだいのホモ・エレクトスとそうわらなかったとされ、両者りょうしゃ別種べっしゅなさないせつもある。

  • 40まんねんほどまえ登場とうじょうしたネアンデルタールじんは、ホモ・サピエンスよりもまえにホモ・ハイデルベルゲンシスから枝分えだわかれした。かれらはルヴァロア技法ぎほうという洗練せんれんされた石器せっき加工かこう技術ぎじゅつち、ホモ・サピエンスよりもすうじゅうまんねんまえにヨーロッパにまで進出しんしゅつしていた。また、アスファルトなどを使用しよう石器せっき素材そざい接着せっちゃくして使用しようしていた痕跡こんせきもある。
  • 5~4まんねんほどまえホモ・サピエンスおくれてアフリカから進出しんしゅつ。まもなくネアンデルタールじん絶滅ぜつめつするが、ユーラシア大陸たいりくからやってきたホモサピエンスと出会であい(両者りょうしゃあいだあらそいもあっただろうが)、両者りょうしゃまじわり子孫しそんまれるということもきていたようで、のこされたほねからDNA解析かいせきしたところ、ホモサピエンスの遺伝子いでんしの1~2%程度ていどがネアンデルタールじん由来ゆらいのものと判明はんめいしている。[注釈ちゅうしゃく 2])。

石器せっき衰退すいたい

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1まんねんまえをすぎると人類じんるい煮沸しゃふつ貯蔵ちょぞう食器しょっきとして土器どき利用りようするようになり世界せかい各地かくち普及ふきゅうした[3]。また、土器どきにつづき金属きんぞく世界せかい各地かくち普及ふきゅうしたことで道具どうぐ石器せっき金属きんぞくわっていった[3]

分類ぶんるい体系たいけい

石器せっき分類ぶんるいには技術ぎじゅつ形態けいたいがくてきもとづく分類ぶんるい機能きのう形態けいたいがくもとづくふたつの体系たいけいがある[3]

代表だいひょうてき分類ぶんるいフランス著名ちょめい先史せんし学者がくしゃフランソワ・ボルドfr:François Bordes、1919-1981)が案出あんしゅつした厳密げんみつ石器せっき分類ぶんるい基準きじゅんがある。

以下いか色々いろいろ観点かんてんからの分類ぶんるいである[7]

  • 石器せっきは、加工かこう方法ほうほうによっておおきく2種類しゅるい区分くぶんされる。いし同士どうしけたり、あるいは道具どうぐ使用しようしてたたくことによって、へずへんをはいで道具どうぐとして使用しようするのにかなったかたち成形せいけいするせい石器せっき(だせいせっき)と、いしみがげたすりせい石器せっき(ませいせっき)[8]とがある。
  • いしかく石器せっき」(せっかくせっき)[注釈ちゅうしゃく 3]、「へずかた石器せっき」(はくへんせっき)[注釈ちゅうしゃく 4]という区分くぶんもある。
  • 石器せっき製作せいさく過程かてい大小だいしょう様々さまざまなカケラがてくる。それらを総称そうしょうして「いしせい遺物いぶつ」という。またそれらは石器せっきへずかた[注釈ちゅうしゃく 5]いしかく[注釈ちゅうしゃく 6]砕片さいへん[注釈ちゅうしゃく 7]などに分類ぶんるいされる。
  • 砂岩さがん玄武岩げんぶがんのようなつぶてじょうのものを材料ざいりょうとした重量じゅうりょうのある大型おおがた石器せっきと、黒曜石こくようせきサヌカイトなどのような緻密ちみつ材料ざいりょういしへずへん材料ざいりょうとした軽量けいりょう小型こがた石器せっきけることもおお[5]
  • 前期ぜんき中期ちゅうき後期こうきかく時期じき使用しようされた石器せっき分類ぶんるいすることもある。たとえば、前期ぜんき旧石器時代きゅうせっきじだいおも使用しようされた石器せっきとしては、つぶて(チョッパー、チョッピング・トゥール)、がたハンドアックス、にぎおの(クリ-ヴァー)、手斧ちょうな(ハンドアックス)、とんがあたま石器せっきがたうつわ(プロト・ピュアリン)、叩石(ハンマー・ストーン)、へずかた、ルヴァロアがたせきかくなどがある[9]

せい石器せっきすりせい石器せっきつぶてかたまり石器せっき

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せい石器せっき

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せい石器せっきひといし打撃だげきまたは圧力あつりょくくわえていしってできあがった石器せっきである[3]

このうちオルドワンがた石器せっきぐんは、ヒト人類じんるいによる最古さいこ石器せっきぐんわれている[注釈ちゅうしゃく 8][10]つぶて一部いちぶ打撃だげきしてつくるチョッパー・チョッピングツールを主体しゅたいとする。この石器せっきぐんは、ケニアトゥルカナ東海岸ひがしかいがんしょ遺跡いせきタンザニアオルドヴァイ峡谷きょうこく遺跡いせきなどで出土しゅつどしている。ちなみに、この石器せっきになホモ・ハビリスもしくは頑丈がんじょうがたさるじん推測すいそくされている。

すりせい石器せっき

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すりせい石器せっきせいおのあたまおの)。fr:Muséum de Toulouseにて展示てんじ

すりせい石器せっきひといしみがいてできあがった石器せっきである[3]

J.ラボックによってしん石器せっき時代じだい指標しひょうとされたが、実際じっさいにはちゅう石器せっき時代じだいたる紀元前きげんぜん9000ねん北西ほくせいヨーロッパ西にしアジア局部きょくぶすりせい石器せっき出現しゅつげんしている。

日本にっぽん列島れっとうでは後期こうき旧石器時代きゅうせっきじだいである3まん〜4まんねんまえのものと推定すいていされる局部きょくぶすりせい石斧せきふが、群馬ぐんまけんいわ宿やど遺跡いせき栃木とちぎけん磯山いそやま遺跡いせき長野ながのけん野尻湖のじりこ遺跡いせきぐん杉久保すぎくぼ遺跡いせき日向ひなたりんB遺跡いせきなど)、東京とうきょう武蔵野台むさしのだい栗原くりはら遺跡いせき千葉ちばけん三里塚さんりづか55地点ちてん遺跡いせきなどから出土しゅつどし、旧石器時代きゅうせっきじだいすりせい石器せっき存在そんざいしたことがあきらかになった[11]小田おだ静夫しずおによれば、日本にっぽん列島れっとう旧石器時代きゅうせっきじだいすりせい石斧せきふは、3-4まんねんまえ集中しゅうちゅうし、一旦いったん消滅しょうめつしてその縄文じょうもん時代じだい草創そうそうにならないと出現しゅつげんしないが、現在げんざい世界せかい最古さいこすりせい石器せっきとされる[12][13]

つぶてかたまり石器せっき

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つぶてかたまり石器せっきせい石器せっきすりせい石器せっきのように製作せいさくする過程かてい痕跡こんせきをとどめず使用しよう痕跡こんせきだけがのこされている石器せっきをいう[3]せい石器せっきつくるための敲石(たたきいし)、すりせい石器せっきつくるための砥石といし穀物こくもつけんはてるい調理ちょうりするためのいしさらなどである[3]

おも石器せっき

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いし、ブレード (blade)
後期こうき旧石器時代きゅうせっきじだい特徴とくちょうてき石器せっき素材そざいいしかくから大量たいりょういしつくし、これを加工かこうして石器せっきにする。日本にっぽんでは後期こうき旧石器時代きゅうせっきじだい最終さいしゅう末期まっき沖縄おきなわのぞ日本にっぽん列島れっとう全域ぜんいきひろがったほそせきがある。
いしかく石器せっき (core tool)
素材そざいとなるいしははがん)をり、かたちととのえ、をつけた石器せっき
へずかた石器せっき (flake tool)
ははがんから破片はへんへずへん)をり(剝離)、へずへんかたちととのえ、利用りようした石器せっき
つぶて (pebble tool)
もっと原始げんしてき石器せっきひとつである。
チョッパー (chopper)
つぶて一部いちぶ片面かためんからすうかい打撃だげきによっていてをつけた石器せっき片刃かたはつぶてともばれる。断面だんめん角度かくどは20° - 30°くらいがおおい。
チョッピング・トゥール (chopping tool)
つぶて一部いちぶ両面りょうめんから交互こうご打撃だげきくわえて、表面ひょうめん剥離はくりさせジグザグじょうをつけた石器せっき
にぎおのにぎづち、ハンド・アックス (hand axe)
つぶて全体ぜんたい両面りょうめんからいてをつけた石器せっき上端じょうたんとが形状けいじょうおおく、したじょう、フィクロンがたやりさきかたちあるいはミコク形くけいたまごがた心臓しんぞうかたちアーモンドかたちなどと呼称こしょうされる場合ばあいがある。
とんがあたま (point)
先端せんたんするどとがらせた石器せっきやりさきけたとかんがえられる。細長ほそながするどとがかたちのものが典型てんけいてきだが、それ以外いがいにもおおくの種類しゅるいとんがあたまがある。いしやりともう。はすじくとんがあたまという種類しゅるいは、狩猟しゅりょうようやりさきとされ、中期ちゅうき旧石器時代きゅうせっきじだいやく12まん、13まんねんまえ - やく3まんねんまえ旧人きゅうじん時代じだい)の指標しひょうである。岩手いわてけん宮守みやもりむら現在げんざい遠野とおの)のかね遺跡いせきから出土しゅつどしている。
そぎ、スクレーパー (scraper)
F.ボルドによるとへずへん先端せんたん部分ぶぶんいてをつけた石器せっき
掻器、はしそぎ、エンド・スクレーパー (end scraper)
そぎがわそぎ、サイド・スクレーパー (side scraper)
うつわこく、グレーバー、ビュラン (graver, フランス語ふらんすご: burin)
バックド=ブレード (backed blade)
いしきり
きりじょうとがらせた石器せっき皮革ひかくなどにあなをあけるために使用しようしたとおもわれる。
いしおもり
漁網ぎょもういと下部かぶけておもりとして使用しようした石器せっき織物おりものさいにも使用しようしたとかんがえられる。
ナイフがた石器せっき (knife blade)
いしからつくした石器せっき一種いっしゅひがしアジアのほか地域ちいきにはられない日本にっぽん独自どくじ石器せっきである。後期こうき旧石器時代きゅうせっきじだい中盤ちゅうばんから後半こうはんにかけて発達はったつした。地方ちほうによって様々さまざま型式けいしきられる
ノッチ、こじにゅう石器せっき (notched tool)
とんがあたま
木葉このはがた東日本ひがしにっぽん中心ちゅうしん発達はったつした。ナイフがた石器せっき後続こうぞくする主要しゅよう石器せっきである。
ほそ石器せっき (microlith)
いしさじ
携帯けいたい便利べんりなように工夫くふうされた、日本にっぽん石器せっき
石斧せきふ
えいべいでは平行へいこうなものを平行へいこうおの axe(ax), hatchet直交ちょっこうしているものを直交ちょっこうおの adze(adz)ぶ。後者こうしゃ比較的ひかくてき小型こがた軽量けいりょうで、片手かたて使つかえるものをすことがおおい。
局部きょくぶすりせい石斧せきふ
いしへら
石鏃せきぞく
いし
すりせき
凹石
いしさら
台形だいけいさま石器せっき
後期こうき旧石器時代きゅうせっきじだいはじごろ出現しゅつげんするせい石器せっき九州きゅうしゅうから北海道ほっかいどうまで広範囲こうはんい分布ぶんぷする。台形だいけいじょうまたは長方形ちょうほうけいじょう仕上しあげた小型こがたへずかた石器せっきけてけてとげ突具または切削せっさく使用しようしたと推定すいていされる。台形だいけいさま石器せっき一部いちぶはペンさきがたをしており、やりさきとして使用しようされたものと推定すいていされている。
いしぼう
男性だんせいいしかたどった推測すいそくされるもので、女性じょせい表現ひょうげんしたとみられる土偶どぐう対照たいしょうてきなもので、祭祀さいしのための縄文じょうもん時代じだい遺物いぶつである。その出現しゅつげん前期ぜんき初頭しょとうである。中期ちゅうきになって類例るいれいえる。出土しゅつど範囲はんいは、中部ちゅうぶ高地こうち中心ちゅうしん関東かんとう地方ちほう西部せいぶから北陸ほくりく地方ちほうまでである。造形ぞうけいは、出現しゅつげんにはちいさな川原かわらせき細長ほそなが整形せいけいしたものであったが、中期ちゅうきになると頭部とうぶつば(つば)をめぐらせ、その上下じょうげえん三角形さんかっけい文様もんようむものが出現しゅつげんしている。この時期じきながさが1メートルをえるものも出現しゅつげんしている。その背景はいけいとして、縄文じょうもん社会しゃかい祭祀さいし集団しゅうだんし、集落しゅうらくから地域ちいきへとだい規模きぼしていったことがかんがえられる[14]
いしかんむり
かんむりているいし製品せいひん縄文じょうもん時代じだい前期ぜんき北海道ほっかいどうものと、中部ちゅうぶ地方ちほう西部せいぶ中心ちゅうしん近畿きんき地方ちほう東北とうほく地方ちほう分布ぶんぷする縄文じょうもん時代じだい晩期ばんきものがある。いしかんむりした土器どき東北とうほく地方ちほうから出土しゅつどしている。
いわ
石偶せきぐうともいう。いしせい人形にんぎょうで、土偶どぐうおなじように信仰しんこう関係かんけいがあるものとかんがえられている。

石器せっき製作せいさく

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石材せきざい

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石器せっき材料ざいりょう岩石がんせき鉱物こうぶつである[3]

日本にっぽん列島れっとう旧石器時代きゅうせっきじだいもちいられた石材せきざい代表だいひょうてきなものは、黒曜石こくようせき硬質こうしつ頁岩けつがんサヌカイトなどがあげられる。

※この石材せきざいふしは、「後期こうき旧石器時代きゅうせっきじだい地域ちいきしょくつつみ たかし日本にっぽん考古学こうこがく奈良なら文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょへん 学生がくせいしゃ 2007ねん参照さんしょうした。

いしかくへずかた

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いし打撃だげき圧力あつりょくくわえられてれたとき、発生はっせいした欠片かけらへずかた (flake)、 欠片かけられたかく部分ぶぶんいしかく (core)という[3]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 石臼いしうすしん石器せっき時代じだいから使つかわれてはじめたと推定すいていされているが、現代げんだいでも現役げんえき道具どうぐとして使つかわれつづけている。
  2. ^ ドイツのマックスプランク研究所けんきゅうじょが2010ねんクロアチア発見はっけんされたネアンデルタールじんほねからDNAの再現さいげん成功せいこうし、それとホモサピエンスのDNAを比較ひかくしてみたところ、ホモサピエンス(のユーラシア大陸たいりく人々ひとびと、つまりヨーロッパじんやアジアじんなど)のDNAにネアンデルタールじん由来ゆらいのDNAが1~2%程度ていどまでふくまれていることが判明はんめいした。それを発表はっぴょうしたところ、それまでネアンデルタールじんとホモサピエンスは「あくまで枝分えだわかれして、べつ存在そんざい無関係むかんけい」とかんがえられていたので、世界せかい学者がくしゃ科学かがくしゃ衝撃しょうげきはしった。「白人はくじん」のはだしろいのはネアンデルタールじん由来ゆらいとも判明はんめい。(なお、アフリカにまりそこでつづけた人類じんるい、つまり現在げんざいのアフリカじんのDNAにはネアンデルタールじん由来ゆらいのDNAがふくまれていないことも判明はんめいした。)NHK『コズミックフロント☆NEXT』「ネアンデルタールじんはなぜ絶滅ぜつめつしたのか?」の放送ほうそうかいでも、近年きんねん研究けんきゅうによりあきらかになったことが紹介しょうかいされている。
  3. ^ 石塊いしくれ(せっかい)のしん部分ぶぶん石器せっきとする
  4. ^ 石塊いしくれからられたへずへん細部さいぶ加工かこうした石器せっき
  5. ^ 石器せっき素材そざいとなったり、いしかく形状けいじょうととのえるため剥離はくりされたりしたカケラ
  6. ^ いしかくとはへずへんがされたのこりの石塊いしくれ
  7. ^ 砕片さいへんとは、石器せっき細部さいぶ加工かこうった微細びさいなカケラ
  8. ^ ひがしアフリカのゴナ遺跡いせきから発見はっけんされた250まんねんまえ石器せっき世界せかい最古さいことされている

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h i 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)』「石器せっき」。松沢まつざわせい 執筆しっぴつ
  2. ^ 石器せっき(せっき)の意味いみ”. goo国語こくご辞書じしょ. 2020ねん11月5にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 大原おおはら昌宏まさひろ分類ぶんるい学者がくしゃ養成ようせい : パラタクソノミスト養成ようせい講座こうざについて(<特集とくしゅう>分類ぶんるい学者がくしゃ生物せいぶつ多様たようせい条約じょうやくにどうかかわっていくべきか?)」『昆蟲こんちゅう.ニューシリーズ』だい13かんだい2ごう日本にっぽん昆虫こんちゅう学会がっかい、2010ねん、83-92ぺーじdoi:10.20848/kontyu.13.2_83ISSN 1343-8794NAID 110009859999 
  4. ^ 松藤まつふじ和人かずと門田かどた誠一せいいち編著へんちょ 『よくかる考古学こうこがくミネルみねるァ書房ぁしょぼう<やわらかアカデミズム>・<わかる>シリーズ 2010ねん p.10-11
  5. ^ a b c 岡村おかむら道雄みちお石器せっき」(田中たなかみがく佐原さはらしん編集へんしゅう日本にっぽん考古学こうこがく事典じてん三省堂さんせいどう 2006ねん p.490-495)
  6. ^ 3.3-million-year-old stone tools from Lomekwi 3, West Turkana, Kenyaネイチャー』521, pages 310-315 (21 May 2015) 2018ねん12月29にち閲覧えつらん
  7. ^ 松藤まつふじ和人かずとちょ日本にっぽん列島れっとう人類じんるい起源きげん -「きゅう石器せっき狩人かりゅうど」たちの挑戦ちょうせん葛藤かっとう-』 雄山閣ゆうざんかく 2014ねん p.50
  8. ^ するどくするため、儀式ぎしき使用しようするため、などといった理由りゆうみがいた。
  9. ^ 松藤まつふじ和人かずとちょ日本にっぽん列島れっとう人類じんるい起源きげん -「きゅう石器せっき狩人かりゅうど」たちの挑戦ちょうせん葛藤かっとう-』 雄山閣ゆうざんかく 2014ねん p.49
  10. ^ つつみたかし石器せっき小林こばやし達雄たつおへん考古学こうこがくハンドブック』新書しんしょかん 2007ねん1がつ 101ページ
  11. ^ 小田おだ静夫しずお旧石器時代きゅうせっきじだいすりせい石斧せきふ
  12. ^ 小田おだ静夫しずおすりせい石斧せきふ」『図解ずかい 日本にっぽん人類じんるい遺跡いせき東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい 1992ねん 20-21ぺーじ
  13. ^ 佐原さはらしんおの文化ぶんか』UP考古学こうこがく選書せんしょ6 東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい 1994ねん
  14. ^ 原田はらだ昌幸まさゆきいしぼうたまるいなどの分布ぶんぷからみた交易こうえき」(独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょ奈良なら文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょ監修かんしゅう日本にっぽん考古学こうこがく -ドイツで開催かいさいされた「曙光しょこう時代じだいてん小学館しょうがくかん 2005ねん)67-68ページ

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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