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時代じだい区分くぶん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
時代じだい区分くぶんごとに区切くぎられた年表ねんぴょう

時代じだい区分くぶん(じだいくぶん)とは、過去かこあらかじさだめられた一定いっていすう個々ここ時間じかんのブロックへと分割ぶんかつする過程かてい、あるいはその研究けんきゅうのことである[1]。これは史学しがく研究けんきゅう分析ぶんせき容易たやすくするためにおこなわれる。分割ぶんかつされた時間じかんにはその時代じだい継続けいぞくてきあらわれる相対そうたいてき特徴とくちょうもとづき利便りべんてき用語ようごされ、結果けっかとしてその時代じだい叙述じょじゅつする抽象ちゅうしょう概念がいねんまれる。しかしながら、たいていの場合ばあいにおいて、期間きかん正確せいかく最初さいしょ最後さいごさだめることは恣意しいてきである。

歴史れきしとは連続れんぞくてき即断そくだんできないものであるから、あらゆる時代じだい区分くぶん方法ほうほうだいなりしょうなり恣意しいてきとならざるをない。しかし、それがどんなに不出来ふでき不正確ふせいかくなものであろうと、時間じかん区分くぶんされめいあたえられないならば、過去かこたんらばった事象じしょうぎず、わたしたちが理解りかいできるような枠組わくぐみをたないであろう。民族みんぞく文化ぶんか家族かぞく、そして個人こじんでさえもそれぞれがことなった歴史れきしっており、おおくの場合ばあい体系たいけいてきではあるが、現代げんだいという枠組わくぐみと重複じゅうふくしている。そして、時代じだい名称めいしょうつね疑問ぎもんげかけられ修正しゅうせいされていく。しかし、いったん確立かくりつした時代じだい名称めいしょう利便りべんせいたかいので、それをえることはおおくの場合ばあい困難こんなんである。

時代じだい区分くぶん起源きげん

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時代じだい区分くぶん起源きげんいにしえにまでさかのぼることができ、そのはじまりは古代こだいギリシアや聖書せいしょなどといった西洋せいよう伝統でんとうにある。ウェルギリウスとお過去かこ黄金おうごん時代じだい歴史れきし循環じゅんかんについて言及げんきゅうしているし、聖書せいしょでは天地てんち創造そうぞうから世界せかい終焉しゅうえんまでの物語ものがたり概説がいせつしている。中世ちゅうせいひろもちいられた聖書せいしょ由来ゆらいする時代じだい区分くぶん枠組わくぐみのひとつに、パウロによる神学しんがくてき時代じだい区分くぶんがある。それは3つに時代じだい区分くぶんするものであり、ひとモーセ以前いぜん時代じだい(自然しぜんによる統治とうち)、ふたがモーセのりつほう時代じだい(ほうによる統治とうち)、そしてみっキリスト時代じだいである(恩寵おんちょうによる統治とうち)。しかし、中世ちゅうせいもっとひろ議論ぎろんされた時代じだい区分くぶん枠組わくぐみは歴史れきしを6つにける枠組わくぐみであるかもしれない。それにおいては、アダムとイヴ時代じだいから現在げんざいいたるまでがすうせんねん単位たんい分割ぶんかつされ、現在げんざい(中世ちゅうせい)こそが6番目ばんめ時代じだいであり、なおかつ最後さいご時代じだいであるととなえられた。

背景はいけい

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区分くぶんされた時間じかんのブロックはかさなりっているだけでなく、たがいに対立たいりつし、矛盾むじゅんっている。文化ぶんかてき用法ようほうをするものもいれば(アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくの「きんぴか時代じだい」など)、著名ちょめい歴史れきしじょう出来事できごと目印めじるしにするものもいる(1918ねん〜1939ねんにかけての「せんあいだ」など)。また、十進法じっしんほうもとづき時代じだい区分くぶんをするものもいる。 ("1960年代ねんだい"や 「17世紀せいき」など)。ほかにもその時代じだい象徴しょうちょうする人物じんぶつちなんで時代じだいめいとする場合ばあいもある(「ヴィクトリアあさ」や「ナポレオン時代じだい」など)。

これらの用法ようほうときとして特定とくてい場所ばしょ限定げんていされる。このことは、時代じだいめい個人こじん支配しはいてき王朝おうちょうめいちなんで名付なづけるときにつよてはまる。たとえばアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくジャクソニアン時代じだいや、日本にっぽん明治めいじ時代じだい、あるいはフランスのメロヴィングあさ時代じだいなどがある。文化ぶんかてき側面そくめん着目ちゃくもくした時代じだいめいも、汎用はんようせい限界げんかいがあることがおおい。「ロマン主義しゅぎ時代じだい」という概念がいねんは、西洋せいよう外側そとがわではほとんど意味いみをなさないだろう。同様どうように、「1960年代ねんだい」という概念がいねん西暦せいれきもとづいて技術ぎじゅつてきには世界中せかいじゅう通用つうようするものの、あるくににおいて、もしくはある場合ばあいにおいては言外げんがい文化ぶんかてき意味いみびることもある。このような理由りゆうから、「まだスペインに1960年代ねんだい到来とうらいしていない」といった主張しゅちょうをすることも可能かのうであるといえる。これはつまり、せい革命かくめいカウンターカルチャーなどといった若者わかもの反乱はんらんなどが1960年代ねんだいのスペイン(当時とうじスペインは保守ほしゅてきローマ・カトリック影響えいきょうつよく、またフランシスコ・フランコによる独裁どくさい政権せいけん君臨くんりんしていた)では発達はったつしなかったということである。同様どうようれいとして、歴史れきしアーサー・マーウィックが主張しゅちょうするように、「1960年代ねんだい」は1950年代ねんだいまつからはじまり、1970年代ねんだい初頭しょとうわったということも可能かのうである。かれがこのようにべたのは、文化ぶんかてき経済けいざいてき状況じょうきょうほうが1960ねん〜1969ねんという10ねん区切くぎりよりも時代じだい本質ほんしつてき意味いみ反映はんえいしているとかんがえたためであろう。これは「ながい60年代ねんだい」という用法ようほうにまで拡張かくちょうされている。この用法ようほうは、歴史れきしエリック・ホブズボームもちいた「ながい19世紀せいき」(1789ねん〜1914ねん)という言葉ことば由来ゆらいしている。これは恣意しいてき年代ねんだい表記ひょうきほう有意義ゆういぎ文化ぶんかてき社会しゃかいてきそうとのバランスをとろうとかんがえたためである。また、18世紀せいきを1714ねん〜1789ねんとすることもある。また、エリック・ホブズボームながい19世紀せいきという言葉ことば対比的たいひてきに「みじかい20世紀せいき」という言葉ことばだいいち世界せかい大戦たいせんから冷戦れいせん終結しゅうけつまでの期間きかんたいしてもちいている。

たような問題もんだい命名めいめいほうによってもこりうる。たとえば「ヴィクトリアあさ」という用語ようごをイギリス国外こくがいでももちいることができるだろうか。また、たとえイギリス国内こくないであっても彼女かのじょ君臨くんりんした1837ねん〜1901ねん有意義ゆういぎ歴史れきしてき期間きかんとしてよいのだろうか。この時代じだい区分くぶん名前なまえが19世紀せいきうしろ3ぶんの2のあいだ政治せいじてき文化ぶんかてき、そして経済けいざいてき特徴とくちょうをよくあらわしているということを前提ぜんていとして、ヴィクトリアあさという用語ようご使つかわれている。しかし、時代じだい区分くぶんする用語ようごはしばしばその用法ようほう影響えいきょうあたえるような肯定こうていてき、あるいは否定ひていてき意味いみ内包ないほうしている。「ヴィクトリア朝風あさかぜの」という言葉ことば性的せいてき抑圧よくあつ階級かいきゅう闘争とうそうといった否定ひていてき意味合いみあいをつだろう。ほかにも「ルネサンス」という用語ようごにはつよ肯定こうていてき特徴とくちょうめられている。そのためこの用語ようご時折ときおり拡大かくだい解釈かいしゃくされることがある。イングランドのルネサンスはしばしばエリザベス1せい君臨くんりんした時代じだいたいしてもちいられるが、それはイタリアのルネサンスからおよそ200ねんおくれてはじまったものである。一方いっぽうで 「カロリング・ルネサンス」という用語ようごフランク王国おうこくおうカール大帝たいてい君臨くんりんした時代じだいとその後継こうけいしゃ時代じだいたいしてもちいられるが、それはイタリアのルネサンスのずっとまえ時代じだいのことである。れいとして、そのどちらも「復活ふっかつ」などとはべないものであるにもかかわらず、「アメリカのルネサンス」という用語ようごが1820年代ねんだいから1860年代ねんだいにかけてのアメリカ文学ぶんがく興隆こうりゅうたいしておももちいられ、「ハーレム・ルネサンス」という用語ようごが1920年代ねんだいのアメリカの文学ぶんがく音楽おんがく美術びじゅつたいしておももちいられている。

ペトラルカはヨーロッパの暗黒あんこく時代じだいというかんがえを支持しじしていた。おな意味いみ用語ようごには"古代こだい末期まっき"と"中世ちゅうせい前期ぜんき"がある。

これらの中立ちゅうりつてき意味合いみあいによって、ある時代じだいがその名前なまえゆえに時代じだいよりもいものであるようにられることがある。しかしこれは以上いじょう部分ぶぶん概説がいせつしたような問題もんだいこしうる。古代こだいラテンの学問がくもんの「復活ふっかつ」という概念がいねんは、イタリアルネサンス詩人しじんにして人文じんぶん主義しゅぎちちペトラルカ によって最初さいしょされ、その概念がいねんはペトラルカ以後いごひろ使つかわれてきた。ルネサンスという用語ようごもっと使つかわれるのは、イタリアでこり1500ねん~1530ねんごろ盛期せいきむかえた文化ぶんかてき変化へんかたいして言及げんきゅうする場合ばあいである。当初とうしょこの概念がいねんはほとんどの場合ばあいミケランジェロラファエロレオナルド・ダ・ヴィンチらが活躍かつやくした視覚しかく芸術げいじゅつ分野ぶんやたいしてもちいられた。つぎにそれは芸術げいじゅつたいしてももちいられるようになるが、それを経済けいざい社会しゃかい、そして政治せいじ変遷へんせんかたることにまで延長えんちょうしてよいのかについては疑問ぎもんのこる。いまではおおくの歴史れきし学者がくしゃルネサンス宗教しゅうきょう改革かいかくといった歴史れきしてき出来事できごと西洋せいようにおける近世きんせいはじまりであると言及げんきゅうしているが、そのように言及げんきゅうされるようになったのは、その出来事できごとこった時代じだいよりずっとのちになってからのことである。時代じだい命名めいめいほう変化へんか一致いっちさせるために、講義こうぎおしえられる内容ないよう漸進ぜんしんてき発展はってんし、歴史れきししょあらたに出版しゅっぱんされてきた。それらはある程度ていど社会しゃかい文化ぶんかちがいを反映はんえいしている。あたらしい時代じだい命名めいめいはより広大こうだい地理ちりてき空間くうかんをカバーするように意図いとされており、ヨーロッパとその世界せかいとのつながりにけるようになってきている。

ほとんどの場合ばあい、その時代じだいきる人々ひとびとには自分じぶん自身じしん歴史れきしたちがのち時代じだいのどれにぞくしているのかを特定とくていすることができない。この理由りゆうひとつに、かれらは将来しょうらい予期よきすることができないので、自分じぶん時代じだい最初さいしょにいるのか、中間ちゅうかんにいるのか、それとも最後さいごにいるのかを見分みわけることができないということがげられる。またべつ理由りゆうとして、自身じしん歴史れきしてき感覚かんかく宗教しゅうきょうやイデオロギーの影響えいきょうつよけているが、宗教しゅうきょうやイデオロギーといったるいのものは時代じだい命名めいめいするのち歴史れきしたちとことなってしまう、ということもある。

中世ちゅうせいという用語ようごペトラルカ由来ゆらいするものである。ペトラルカは自身じしんきた時代じだい古代こだいとく古代こだいギリシア・ローマとを比較ひかくし、古代こだい以降いこう暗黒あんこく時代じだいといえる中世ちゅうせいわり、自分じぶんきている時代じだい復活ふっかつ時代じだい突入とつにゅうしつあるととらえた。中世ちゅうせいという概念がいねんは、古代こだい現代げんだいというふたつのなが期間きかんあいだ位置いちする期間きかんであることからそのときまれ、その概念がいねんいままで使用しようされつづけている。中世ちゅうせいさら中世ちゅうせい前期ぜんき中世ちゅうせい盛期せいき中世ちゅうせい後期こうきの3つに分割ぶんかつすることができる。暗黒あんこく時代じだいという用語ようごも、一部いちぶ著述ちょじゅつはその否定ひていてき意味合いみあいをのぞきながら使用しようつづけていこうとしているが、中立ちゅうりつてきもちいることが困難こんなんなので、現代げんだい研究けんきゅうしゃあいだでは使用しよう敬遠けいえんされている。「中世ちゅうせい」という用語ようご(とくにmedievalという形容詞けいようし)も口語こうごじょうでは否定ひていてきひびきをふくむ(ほとんど中世ちゅうせい同様どうよう野蛮やばん囚人しゅうじんあつかかた、などというように)。しかし、このような表現ひょうげんけっして学術がくじゅつ用語ようごとしては使用しようされない。一方いっぽうで、ゴシック建築けんちく中世ちゅうせい盛期せいき典型てんけいてき建築けんちく様式ようしきわれているが、この用語ようご使用しようさいには中世ちゅうせいという用語ようご本来ほんらい否定ひていてき意味合いみあいはほとんどうしなわれ、あらたな意味合いみあいを段々だんだんつようになっていった(くわしくはゴシック建築けんちくゴスこう参照さんしょうのこと)。

ゴシックバロックという用語ようごはどちらも、以前いぜん建築けんちく様式ようしき人気にんきがなくなり建築けんちく様式ようしき流行りゅうこうするようになった期間きかんづけられた。「ゴシック」という言葉ことば軽蔑けいべつ意味いみふくんだ用語ようごとして、当時とうじ蛮族ばんぞくとみられていた北欧ほくおう人々ひとびとかんするすべてをしてもちいられた。この言葉ことば最初さいしょもちいたのはジョルジョ・ヴァザーリであるといわれている。ヴァザーリは自身じしん芸術げいじゅつ史家しか芸術げいじゅつ建築けんちくとしてきた時代じだいのことを、はじめて「ルネサンス」と表現ひょうげんした人物じんぶつでもある。ジョルジョ・ヴァザーリは、とく建築けんちく分野ぶんやにおいて、自分じぶん異議いぎとなえたいものを表現ひょうげんすべく「ゴシック」という言葉ことばした(おそらくかれは、それはまるでゴートじんてたもののようだ、などとべたのであろう。)。「バロック」という言葉ことばは、ポルトガルやスペインフランス語ふらんすご共通きょうつうしてられる、「いびつ真珠しんじゅ」という意味いみかたり由来ゆらいしている。そのかたりはじめて宝石ほうせき製造せいぞう業界ぎょうかいそと使つかわれるようになったのは、18世紀せいき初頭しょとうの、音楽おんがく過度かど複雑ふくざつざつになってきていると批判ひはんけた時代じだいであるといわれている。のちにそのかたり建築けんちく美術びじゅつ分野ぶんやでももちいられるようになった。[2] バロック時代じだいはじめ19世紀せいきのことをすものであったが、現在げんざいでは1600ねん前後ぜんこうはじまったものであるとかんがえられている。音楽おんがくにおいては、J. S. バッハくなった1750ねんをもってバロック時代じだいわりとするが、美術びじゅつ史家しかたちはバロック時代じだい盛期せいきはほとんどのめんにおいてずっとはやわっているとかんがえている。

マルクス主義まるくすしゅぎてき時代じだい区分くぶん

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マルクス主義まるくすしゅぎ唯物ゆいぶつ史観しかんでは、社会しゃかい基本きほんてきに「材料ざいりょう状態じょうたい」によってどのような場合ばあいにおいても決定けっていづけられるとする。いいかえれば、衣食住いしょくじゅうといった基本きほんてき要請ようせいたすための生産せいさん関係かんけいのありかたによってさだまるのだ。[3]がいしてマルクスエンゲルスは、西欧せいおう物質ぶっしつてき状況じょうきょう発達はったつは5つの連続れんぞくした発展はってん段階だんかいけられると主張しゅちょうした。[注釈ちゅうしゃく 1]

かれらの理論りろんでは、以下いかの5つの段階だんかいけられる。[4][5][6][7][8][9][10]

原始げんし共産きょうさんせい

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だいいち段階だんかい大抵たいてい原始げんし共産きょうさんせいばれているものである。それは以下いかのような特徴とくちょうをもつ。

  • 共有きょうゆう財産ざいさん: 個人こじん所有しょゆう以上いじょう所有しょゆうけんかんする概念がいねん一切いっさいなく、すべてのものが部族ぶぞくあいだ生存せいぞんのために共有きょうゆうされている。
  • 狩猟しゅりょう採集さいしゅう: 部族ぶぞく社会しゃかいいま農業のうぎょうおこなえるほどおおきく発達はったつしていないので、生存せいぞんのために日々ひびもがいている。
  • 原始げんしてき民主みんしゅ主義しゅぎ: 依然いぜんとして「リーダー」という概念がいねんはない。たたかいのさいには部族ぶぞく一番いちばん戦士せんしが、いて部族ぶぞく接触せっしょくするさいには部族ぶぞく一番いちばん交渉こうしょうじんが、というように、部族ぶぞくみちび人物じんぶつとき場合ばあいおうじてわる。

奴隷どれいせい

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だい段階だんかい奴隷どれいせいばれるものであり、「階級かいきゅう社会しゃかい」のはじまりであるとかんがえられ、私有しゆう財産ざいさんあらわはじめる段階だんかいである。

  • 社会しゃかい階級かいきゅう: 階級かいきゅうという概念がいねんあらわれる。そこではかならず、奴隷どれい所有しょゆうする支配しはい階級かいきゅう社会しゃかい下層かそうかれた奴隷どれいの2つに人々ひとびと階級かいきゅうかれる。
  • 国家こっか主義しゅぎ: 奴隷どれい所有しょゆうしゃ奴隷どれいあつめ、使役しえきし、制御せいぎょするという目的もくてきたすために、この段階だんかい国家こっか組織そしき発展はってんさせていくこととなる。
  • 農業のうぎょう: 増加ぞうかする人口じんこうやしなうためにだい規模きぼ農耕のうこう牧畜ぼくちくおこなうようになる。
  • 民主みんしゅ主義しゅぎ権威けんい主義しゅぎ: これらの対立たいりつする概念がいねん同時どうじ発達はったつする。民主みんしゅ主義しゅぎ共和きょうわせい都市とし国家こっか発達はったつとともに出現しゅつげんし、つづいて独裁どくさいてき帝国ていこくあらわれる。
  • 私有しゆう財産ざいさん: 国民こくみん個人こじんてき所持しょじしているものよりおおくのモノを所有しょゆうするようになる。たとえば農業のうぎょう発達はったつとともにだれがどの土地とち使つかうかが重要じゅうようとなり、土地とち所有しょゆうけんという概念がいねんまれる。

封建ほうけんせい

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だいさん段階だんかい封建ほうけんせいばれるものであり、奴隷どれいせい社会しゃかいくずれたのちあらわれる。マ帝国まていこく奴隷どれいせい社会しゃかいくずれたのちあらわれたヨーロッパの中世ちゅうせいもっとあきらかなそのれいであるといえる。

  • 貴族きぞくせい: 国家こっか世襲せしゅう婚姻こんいん、もしくは征服せいふくによってそのいた君主くんしゅ貴族きぞくおさめる。
  • 神権しんけん政治せいじ: 宗教しゅうきょうてき支配しはいつよ段階だんかいである。そのひとつしか宗教しゅうきょうがないのならば、その宗教しゅうきょう組織そしき生活せいかつ隅々すみずみまで影響えいきょうおよぼすことができる。
  • 世襲せしゅうてき身分みぶん制度せいど: 身分みぶん制度せいど時折ときおり形成けいせいされる。それにおいて、自身じしん身分みぶんまれたときまり、そのけっして身分みぶんがることはない。インドカーストがこの典型てんけいてきれいである。
  • 国民こくみん国家こっか: 崩壊ほうかいした帝国ていこく残滓ざんしから国民こくみん国家こっか形成けいせいされる。ときとして国民こくみん国家こっかふたた帝国ていこくへともどる。たとえばイギリスはかつてマ帝国まていこくぞくしゅうであったが、やがてだいえい帝国ていこくへと変貌へんぼう植民しょくみんつようになった。

資本しほん主義しゅぎ

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マルクスは人間にんげん社会しゃかい発達はったつなかでもとくにこの時代じだいおおきな注意ちゅういはらった。かれ研究けんきゅうだい部分ぶぶん資本しほん主義しゅぎのメカニズムを分析ぶんせきすることにささげられた。資本しほん主義しゅぎ西洋せいよう社会しゃかいにおいて古来こらいより、封建ほうけん社会しゃかい革命かくめいてきうごきをつようになったさい突如とつじょとしてあらわ猛威もういるう。資本しほん主義しゅぎにおいては、利潤りじゅん追求ついきゅうこそが人々ひとびと支配しはいし、農奴のうどせい瓦解がかいして、民衆みんしゅう賃金ちんぎんるべく資本しほんしたはたらくようになる。資本しほん階級かいきゅう世界中せかいじゅう自分じぶんたちののままにレッセフェールうごきをすすめる。資本しほんによって制御せいぎょされた議会ぎかいでは、法律ほうりつとみまもるために制定せいていされるようになる。

資本しほん主義しゅぎだいよん段階だんかいであるとかんがえられている。それは資本しほん商人しょうにん前身ぜんしんたちが封建ほうけんせい放棄ほうきしたときに、ブルジョワ革命かくめい誕生たんじょうする。資本しほん主義しゅぎ以下いかのように分類ぶんるいされる。

  • 市場いちば経済けいざい: 資本しほん主義しゅぎでは、経済けいざい全体ぜんたい市場いちばちからによってうごかされる(市場いちば経済けいざい)。レッセフェール支持しじする人々ひとびとは、資本しほん主義しゅぎにおいて政府せいふ市場いちばにほとんどなにも、あるいはまった介入かいにゅうすべきではないと主張しゅちょうしている。しかし、『帝国ていこく主義しゅぎろん』をあらわしたレーニンのようなマルクス主義まるくすしゅぎしゃたちは、資本しほんによる政府せいふ資本しほん主義しゅぎ強力きょうりょく推進すいしんし、資本しほん主義しゅぎてき国民こくみん国家こっか外国がいこく市場いちばをも征服せいふくしてしまうと主張しゅちょうした。
  • 私的してき所有しょゆうけん: 生産せいさん手段しゅだん君主くんしゅ貴族きぞくではなく資本しほんによってにぎられることとなる。資本しほん生産せいさん手段しゅだん企業きぎょうつうじて掌握しょうあくし、企業きぎょう利潤りじゅん最大さいだいはかる。
  • 議院ぎいんないかくせい: 資本しほん独裁どくさい国家こっかよりも、選挙せんきょによる中央ちゅうおう集権しゅうけんてき議会ぎかい会議かいぎ政治せいじおこなくに支配しはいする傾向けいこうがある。資本しほん主義しゅぎてき議会ぎかいせい民主みんしゅ主義しゅぎブルジョワ民主みんしゅ主義しゅぎ)はおおくの人々ひとびとひらかれてはいるものの、かならずしも普通ふつう選挙せんきょへとむすびつくわけではない。歴史れきしてきには権力けんりょく差別さべつ法律ほうりつなどといった手段しゅだん女性じょせい奴隷どれい解放かいほう奴隷どれい白人はくじんてい収入しゅうにゅうしゃ選挙せんきょけんわくからはずされてきた。政府せいふ行動こうどうはあらゆるめん資本しほん利益りえきのためのものとなり、資本しほんはあらゆる手段しゅだんこうじて政府せいふ統制とうせいしようとする。
  • 賃金ちんぎん: 資本しほん主義しゅぎにおいて、労働ろうどうしゃ雇用こようぬしとの契約けいやくもとづいて報酬ほうしゅうる。権力けんりょくつエリートたちは、労働ろうどうしゃはたらきの価値かちおうじて正確せいかく賃金ちんぎんあたえる仕組しくみが市場いちばにはそなわっているという錯覚さっかく喧伝けんでんする。しかし実際じっさいには、労働ろうどうしゃ自身じしんした価値かちよりすくない報酬ほうしゅうしかられず、価値かち報酬ほうしゅう雇用こようぬしによって利潤りじゅんとしてげられる。こういった意味いみすべての賃金ちんぎん雇用こよう体系たいけい搾取さくしゅであるということができ、労働ろうどうしゃ仕事しごとから疎外そがいされるようになる。利潤りじゅん追求ついきゅう市場いちば原動力げんどうりょくとなっているかぎりは、労働ろうどうしゃ自身じしん仕事しごとおうじて適切てきせつ報酬ほうしゅうることは不可能ふかのうであり、すべての雇用こようぬしはいつも搾取さくしゅいそしみつづけるだろう。
  • 帝国ていこく主義しゅぎ: 富裕ふゆうくに原材料げんざいりょう確保かくほ既製きせいひん市場いちばとするためにまずしいくに支配しはいしようと画策かくさくする。これは直接ちょくせつ戦争せんそう恐喝きょうかつ資本しほん投資とうしによっておこなわれる。資本しほんくにちゅう支配しはいするのは資本しほん主義しゅぎ発展はってんにおいて重要じゅうよう役割やくわりたす。それはやがて戦争せんそう他国たこくへの介入かいにゅうへとむすびつくこととなる。
  • 金融きんゆう機関きかん: 銀行ぎんこう証券しょうけん取引とりひきしょなどは使用しよう資本しほん必要ひつようなところへとながす。それらはあらゆる市場いちばへの障壁しょうへきらし、とくまずしい人々ひとびと階級かいきゅう向上こうじょうさせるのをおおきく容易よういにする。銀行ぎんこうはこのような手段しゅだん階級かいきゅう流動りゅうどうさせていく。
  • 独占どくせん傾向けいこう: ありのままでなん制御せいぎょけていない市場いちばは、もっと成功せいこうした企業きぎょうがやがて独占どくせん形成けいせいするようになる。

しかしマルクスによると、資本しほん主義しゅぎ奴隷どれいせい社会しゃかい封建ほうけんせい同様どうよう致命ちめいてき欠陥けっかんかかえている。それはうちなる矛盾むじゅんであり、これが資本しほん主義しゅぎ崩壊ほうかいす。労働ろうどうしゃ階級かいきゅうというものは、資本しほん階級かいきゅう商品しょうひん生産せいさん利潤りじゅん追求ついきゅうのためにしたものだが、資本しほん主義しゅぎ終焉しゅうえんをもたらすものたちでもある。労働ろうどうしゃ自分じぶんたちが生産せいさんした価値かち見合みあうだけの十分じゅうぶん報酬ほうしゅうられない。マルクスが「労働ろうどうしゃ階級かいきゅう支払しはらわれなかった報酬ほうしゅう」とんだのこりの報酬ほうしゅう剰余じょうよ価値かちとして、資本しほん利潤りじゅんとなる。資本しほん自身じしん利潤りじゅん増加ぞうかさせるために労働ろうどうしゃ階級かいきゅう賃金ちんぎんげる競争きょうそうへとてられ、階級かいきゅうあいだ闘争とうそうこし、労働ろうどうしゃ階級かいきゅう目覚めざめを誘引ゆういんする。労働ろうどうしゃ階級かいきゅうは、労働ろうどう組合くみあいやその方法ほうほうつうじて、自身じしん搾取さくしゅされている階級かいきゅうであるとづくこととなる。古典こてんてきマルクス主義まるくすしゅぎ観点かんてんによると、資本しほん階級かいきゅうたいする労働ろうどうしゃ階級かいきゅう抵抗ていこうは、やがて労働ろうどうしゃ階級かいきゅう生産せいさんかんするすべてのちからにぎることへと集約しゅうやくされる。

社会しゃかい主義しゅぎ

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労働ろうどうしゃ階級かいきゅう目覚めざめを資本しほんたいするプロレタリア革命かくめい成功せいこうさせると、社会しゃかい主義しゅぎというだい段階だんかいいたる。

社会しゃかい主義しゅぎには以下いかのような特徴とくちょうがある。

  • 共有きょうゆう財産ざいさん: 生産せいさん手段しゅだん少数しょうすう資本しほんはな労働ろうどうしゃへとうつる。これはつまり、民主みんしゅ主義しゅぎてき共同きょうどうたい生産せいさん手段しゅだん管理かんりするということである。
  • 評議ひょうぎかい民主みんしゅ主義しゅぎ: マルクスはパリ・コミューンかんする自身じしん研究けんきゅうもととして、労働ろうどうしゃ共同きょうどうたい制度せいどつうじて労働ろうどうしゃ自身じしん管理かんりするとかんがえた。かれはこれをプロレタリア独裁どくさいび、資本しほん主義しゅぎ独裁どくさい放棄ほうきし、生産せいさん資源しげん利用りよう徹底的てっていてき計画けいかくするものであるとした。

マルクスは共産きょうさん主義しゅぎ最初さいしょ段階だんかいが「社会しゃかい主義しゅぎ」であると説明せつめいしている。これは「経済けいざいてきにも、道徳どうとくてきにも、知的ちてきにも、ふる社会しゃかいからまれた名残なごりいまだにられる段階だんかい」であり、労働ろうどうしゃたちは自身じしん労働ろうどうおうじて報酬ほうしゅうるのを当然とうぜんだとかんがえているが、各々おのおの労働ろうどうしゃ能力のうりょく家族かぞく事情じじょうことなっているために、結果けっかとして社会しゃかいがどれほど労働ろうどうしゃささえても、不平等ふびょうどう発生はっせいしてしまう段階だんかいである。

日本にっぽん時代じだい区分くぶん

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ヨーロッパがく時代じだい区分くぶん導入どうにゅうされる以前いぜんに、現代げんだいの「戦国せんごく時代じだい」が、当時とうじ京都きょうと公家くげたちに「戦国せんごく」と中国ちゅうごく春秋しゅんじゅう戦国せんごく時代じだいをなぞらえて認識にんしきさればれた[11]。さらにこのひろまり、武田たけだ信玄しんげんの『甲州こうしゅう法度はっと次第しだいだい20じょうに「天下てんか戦国せんごくうえは、諸事しょじをなげうち武具ぶぐ用意ようい肝要かんようたるべし」と使用しようされた。明治めいじ時代じだい西洋せいよう学問がくもんとして歴史れきし時代じだい区分くぶんほうるが、1873ねん明治めいじ6ねん小学校しょうがっこう参考さんこうしょ先行せんこうてきに「戦国せんごく時代じだい」が使用しようされた[12]

明治めいじ時代じだいの、歴史れきしがくにおける総合そうごうてき時代じだい区分くぶんは、1903ねん明治めいじ36ねん内田うちだ銀蔵ぎんぞうにより西洋せいよう史学しがくてはめる形式けいしきで、英語えいご歴史れきしモダンエイジを江戸えど時代じだいだとして「近世きんせい」とやく基点きてんにした。そして江戸えど時代じだいよりまえ時代じだいはそのときまで「近古きんこ」とされていたが英語えいご歴史れきしミドルエイジをやくして「中世ちゅうせい」と命名めいめいした。さらにその「中世ちゅうせい」よりまえ一括いっかつして「古代こだい」とづけ、西洋せいよう史学しがくさんふんほう適用てきようして日本にっぽんさんふんほう提起ていきした[13][14]。それが研究けんきゅうしゃたちに支持しじされ近代きんだいすえくわえて、日本にっぽん史学しがくでの日本にっぽん時代じだい区分くぶんとなった[14]

先史せんし - 古代こだい - 中世ちゅうせい - 近世きんせい - 近代きんだい - 現代げんだい

先史せんしにおける時代じだい区分くぶん

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考古学こうこがく における一般いっぱんてき先史せんし時代じだい時代じだい区分くぶんは、材料ざいりょう文化ぶんか技術ぎじゅつ変化へんか依拠いきょしている。石器せっき時代じだい青銅器せいどうき時代じだい鉄器てっき時代じだいといった区分くぶんや、そのさら細分さいぶんされた区分くぶんは、その時代じだい遺物いぶつ材料ざいりょうがどのようにことなっているかにもとづいた区分くぶんである。ここすうじゅう年間ねんかん放射ほうしゃせい炭素たんそ年代ねんだい測定そくてい発達はったつや、科学かがくてき手段しゅだん発達はったつによって、おおくの遺跡いせき人工じんこうぶつについての正確せいかく年代ねんだい測定そくてい可能かのうとなったが、これらの長期ちょうきてき時代じだい区分くぶん今後こんご使用しようされつづけると予測よそくされる。また、ある文字もじたない文化ぶんか歴史れきしについて、近隣きんりん文字もじ文化ぶんかのこしている場合ばあいおおくあり、それらが時代じだい区分くぶん使つかわれる。

出来事できごとによる時代じだい区分くぶん

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なんらかの出来事できごと短期間たんきかんにおける変化へんか文化ぶんかたいして非常ひじょうおおきな影響えいきょうあたえ、歴史れきし急激きゅうげき変化へんかこすことがある。これらの出来事できごと変化へんかは、よく「~まえ」や「~」(〜にはその出来事できごと変化へんか名称めいしょうはいる)というかたりとなってひろ使つかわれることがおおい。たとえば「宗教しゅうきょう改革かいかくまえ」と「宗教しゅうきょう改革かいかく」という表現ひょうげんや、「植民しょくみん時代じだいまえ」と「植民しょくみん時代じだい」といった表現ひょうげんがある。また、戦前せんぜん戦後せんごという表現ひょうげんだい世界せかい大戦たいせん前後ぜんご表現ひょうげんであるが、将来しょうらいてきにはだい世界せかい大戦たいせんというかたり明示めいじしなければならないようにわるかもしれない。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ マルクスはけっして歴史れきし紐解ひもとかぎしたと主張しゅちょうしているわけではない。史的してき唯物ゆいぶつろんは「どんな歴史れきしじょう出来事できごとについてもつけすことができ、すべての人々ひとびとまえ運命うんめいてきあらわれる歴史れきしてき哲学てつがくてき理論りろん」 (Marx, Karl: Letter to editor of the Russian paper Otetchestvennye Zapiskym, 1877)というものではない。マルクスの説明せつめいによれば、かれかんがえはヨーロッパの実情じつじょう具体ぐたいてき研究けんきゅうもとづいたものである、ということである。

出典しゅってん

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  1. ^ Adam Rabinowitz. It’s about time: historical periodization and Linked Ancient World Data. Institute for the Study of the Ancient World Papers, 2014.
  2. ^ Pasiscla, Claude V., "Baroque" in Grove Music Online, Oxford Music Online. Accessed Feb 2014.
  3. ^ この詳細しょうさいについてはMarx and Engels, The German Ideology参考さんこうのこと
  4. ^ Marx, Early writings, Penguin, 1975, p. 426.
  5. ^ Charles Taylor, “Critical Notice”, Canadian Journal of Philosophy 10 (1980), p. 330.
  6. ^ Marx and Engels, The Critique of the Gotha Programme
  7. ^ Marx and Engels, The Civil War in France
  8. ^ Gewirth, Alan (1998). The Community of Rights (2 ed.). University of Chicago Press. p. 168. ISBN 9780226288819. https://books.google.co.jp/books?id=tFJwLFjF5xQC&redir_esc=y&hl=ja 2012ねん12月29にち閲覧えつらん. "Marxists sometimes distinguish between 'personal property' and 'private property,' the former consisting in consumer goods directly used by the owner, while the latter is private ownership of the major means of production." 
  9. ^ カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー岩波いわなみ文庫ぶんこ
  10. ^ カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス 『経済けいざいがく批判ひはん大月書店おおつきしょてん国民こくみん文庫ぶんこ
  11. ^ 今谷いまたにあきら戦国せんごく 日本にっぽん歴史れきし〈5〉』 岩波ジュニア新書いわなみじゅにあしんしょ 2000ねん
  12. ^ 国会図書館こっかいとしょかん蔵書ぞうしょ使用しようれいさい古書こしょは、教育きょういく資料しりょう研究けんきゅうかいへん)『高等こうとう小学校しょうがっこうがい日本にっぽん歴史れきしだい4へんまき1かん2 もく次第しだい7「戦國せんごく時代じだい」、1873ねん明治めいじ6ねん
  13. ^ 内田うちだ銀蔵ぎんぞう日本にっぽん近世きんせいだい1かんじょう 冨山とやまぼう、1903ねん明治めいじ36ねん
  14. ^ a b 坂本さかもとしょうさん日本にっぽん中世ちゅうせい形成けいせい史人ふみとだい6ごう 2015ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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