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時代 じだい 区分 くぶん ごとに区切 くぎ られた年表 ねんぴょう
時代 じだい 区分 くぶん (じだいくぶん)とは、過去 かこ を予 あらかじ め定 さだ められた一定 いってい 数 すう の個々 ここ の時間 じかん のブロックへと分割 ぶんかつ する過程 かてい 、あるいはその研究 けんきゅう のことである[1] 。これは史学 しがく の研究 けんきゅう 分析 ぶんせき を容易 たやす くするために行 おこな われる。分割 ぶんかつ された時間 じかん にはその時代 じだい に継続 けいぞく 的 てき に現 あらわ れる相対 そうたい 的 てき 特徴 とくちょう に基 もと づき利便 りべん 的 てき な用語 ようご が付 ふ され、結果 けっか としてその時代 じだい を叙述 じょじゅつ する抽象 ちゅうしょう 概念 がいねん が生 う まれる。しかしながら、たいていの場合 ばあい において、期間 きかん の正確 せいかく な最初 さいしょ と最後 さいご を定 さだ めることは恣意 しい 的 てき である。
歴史 れきし とは連続 れんぞく 的 てき で即断 そくだん できないものであるから、あらゆる時代 じだい 区分 くぶん の方法 ほうほう は大 だい なり小 しょう なり恣意 しい 的 てき とならざるを得 え ない。しかし、それがどんなに不出来 ふでき で不正確 ふせいかく なものであろうと、時間 じかん が区分 くぶん され名 めい を与 あた えられないならば、過去 かこ は単 たん に散 ち らばった事象 じしょう に過 す ぎず、私 わたし たちが理解 りかい できるような枠組 わくぐ みを持 も たないであろう。民族 みんぞく 、文化 ぶんか 、家族 かぞく 、そして個人 こじん でさえもそれぞれが異 こと なった歴史 れきし を持 も っており、多 おお くの場合 ばあい 非 ひ 体系 たいけい 的 てき ではあるが、現代 げんだい という枠組 わくぐ みと重複 じゅうふく している。そして、時代 じだい の名称 めいしょう は常 つね に疑問 ぎもん を投 な げかけられ修正 しゅうせい されていく。しかし、いったん確立 かくりつ した時代 じだい の名称 めいしょう は利便 りべん 性 せい が高 たか いので、それを変 か えることは多 おお くの場合 ばあい 困難 こんなん である。
時代 じだい 区分 くぶん の起源 きげん は古 いにしえ にまで遡 さかのぼ ることができ、その始 はじ まりは古代 こだい ギリシアや聖書 せいしょ などといった西洋 せいよう の伝統 でんとう にある。ウェルギリウス は遠 とお い過去 かこ の黄金 おうごん 時代 じだい や歴史 れきし の循環 じゅんかん について言及 げんきゅう しているし、聖書 せいしょ では天地 てんち 創造 そうぞう から世界 せかい の終焉 しゅうえん までの物語 ものがたり を概説 がいせつ している。中世 ちゅうせい に広 ひろ く用 もち いられた聖書 せいしょ に由来 ゆらい する時代 じだい 区分 くぶん の枠組 わくぐ みの一 ひと つに、パウロ による神学 しんがく 的 てき な時代 じだい 区分 くぶん がある。それは3つに時代 じだい を区分 くぶん するものであり、一 ひと つ目 め がモーセ 以前 いぜん の時代 じだい (自然 しぜん による統治 とうち )、二 ふた つ目 め がモーセの律 りつ 法 ほう 下 か の時代 じだい (法 ほう による統治 とうち )、そして三 みっ つ目 め がキリスト の時代 じだい である(恩寵 おんちょう による統治 とうち )。しかし、中世 ちゅうせい に最 もっと も広 ひろ く議論 ぎろん された時代 じだい 区分 くぶん の枠組 わくぐ みは歴史 れきし を6つに分 わ ける枠組 わくぐ みであるかもしれない。それにおいては、アダムとイヴ の時代 じだい から現在 げんざい に至 いた るまでが数 すう 千 せん 年 ねん 単位 たんい で分割 ぶんかつ され、現在 げんざい (中世 ちゅうせい )こそが6番目 ばんめ の時代 じだい であり、なおかつ最後 さいご の時代 じだい であると唱 とな えられた。
区分 くぶん された時間 じかん のブロックは重 かさ なり合 あ っているだけでなく、互 たが いに対立 たいりつ し、矛盾 むじゅん し合 あ っている。文化 ぶんか 的 てき な用法 ようほう をする者 もの もいれば(アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の「金 きん ぴか時代 じだい 」など)、著名 ちょめい な歴史 れきし 上 じょう の出来事 できごと を目印 めじるし にする者 もの もいる(1918年 ねん 〜1939年 ねん にかけての「戦 せん 間 あいだ 期 き 」など)。また、十進法 じっしんほう に基 もと づき時代 じだい 区分 くぶん をする者 もの もいる。 ("1960年代 ねんだい "や 「17世紀 せいき 」など)。他 ほか にもその時代 じだい を象徴 しょうちょう する人物 じんぶつ の名 な に因 ちな んで時代 じだい 名 めい とする場合 ばあい もある(「ヴィクトリア朝 あさ 」や「ナポレオン時代 じだい 」など)。
これらの用法 ようほう は時 とき として特定 とくてい の場所 ばしょ に限定 げんてい される。このことは、時代 じだい 名 めい を個人 こじん や支配 しはい 的 てき な王朝 おうちょう 名 めい に因 ちな んで名付 なづ けるときに強 つよ く当 あ てはまる。例 たと えばアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく のジャクソニアン時代 じだい や、日本 にっぽん の明治 めいじ 時代 じだい 、あるいはフランスのメロヴィング朝 あさ 時代 じだい などがある。文化 ぶんか 的 てき な側面 そくめん に着目 ちゃくもく した時代 じだい 名 めい も、汎用 はんよう 性 せい に限界 げんかい があることが多 おお い。「ロマン主義 しゅぎ 時代 じだい 」という概念 がいねん は、西洋 せいよう の外側 そとがわ ではほとんど意味 いみ をなさないだろう。同様 どうよう に、「1960年代 ねんだい 」という概念 がいねん も西暦 せいれき に基 もと づいて技術 ぎじゅつ 的 てき には世界中 せかいじゅう で通用 つうよう するものの、ある国 くに において、もしくはある場合 ばあい においては言外 げんがい の文化 ぶんか 的 てき 意味 いみ を帯 お びることもある。このような理由 りゆう から、「まだスペインに1960年代 ねんだい は到来 とうらい していない」といった主張 しゅちょう をすることも可能 かのう であるといえる。これはつまり、性 せい 革命 かくめい やカウンターカルチャー などといった若者 わかもの の反乱 はんらん などが1960年代 ねんだい のスペイン(当時 とうじ スペインは保守 ほしゅ 的 てき なローマ・カトリック の影響 えいきょう が強 つよ く、またフランシスコ・フランコ による独裁 どくさい 政権 せいけん が君臨 くんりん していた)では発達 はったつ しなかったということである。同様 どうよう の例 れい として、歴史 れきし 家 か アーサー・マーウィックが主張 しゅちょう するように、「1960年代 ねんだい 」は1950年代 ねんだい 末 まつ から始 はじ まり、1970年代 ねんだい 初頭 しょとう に終 お わったということも可能 かのう である。彼 かれ がこのように述 の べたのは、文化 ぶんか 的 てき ・経済 けいざい 的 てき 状況 じょうきょう の方 ほう が1960年 ねん 〜1969年 ねん という10年 ねん の区切 くぎ りよりも時代 じだい の本質 ほんしつ 的 てき 意味 いみ を反映 はんえい していると考 かんが えたためであろう。これは「長 なが い60年代 ねんだい 」という用法 ようほう にまで拡張 かくちょう されている。この用法 ようほう は、歴史 れきし 家 か エリック・ホブズボーム が用 もち いた「長 なが い19世紀 せいき 」(1789年 ねん 〜1914年 ねん )という言葉 ことば に由来 ゆらい している。これは恣意 しい 的 てき な年代 ねんだい 表記 ひょうき 法 ほう と有意義 ゆういぎ な文化 ぶんか 的 てき ・社会 しゃかい 的 てき な相 そう とのバランスをとろうと考 かんが えたためである。また、18世紀 せいき を1714年 ねん 〜1789年 ねん とすることもある。また、エリック・ホブズボーム は長 なが い19世紀 せいき という言葉 ことば と対比的 たいひてき に「短 みじか い20世紀 せいき 」という言葉 ことば を第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん から冷戦 れいせん の終結 しゅうけつ までの期間 きかん に対 たい して用 もち いている。
似 に たような問題 もんだい が他 た の命名 めいめい 法 ほう によっても起 お こりうる。たとえば「ヴィクトリア朝 あさ 」という用語 ようご をイギリス国外 こくがい でも用 もち いることができるだろうか。また、たとえイギリス国内 こくない であっても彼女 かのじょ が君臨 くんりん した1837年 ねん 〜1901年 ねん を有意義 ゆういぎ な歴史 れきし 的 てき 期間 きかん としてよいのだろうか。この時代 じだい 区分 くぶん の名前 なまえ が19世紀 せいき の後 うし ろ3分 ぶん の2の間 あいだ の政治 せいじ 的 てき 、文化 ぶんか 的 てき 、そして経済 けいざい 的 てき 特徴 とくちょう をよく表 あらわ しているということを前提 ぜんてい として、ヴィクトリア朝 あさ という用語 ようご は使 つか われている。しかし、時代 じだい を区分 くぶん する用語 ようご はしばしばその用法 ようほう に影響 えいきょう を与 あた えるような肯定 こうてい 的 てき 、あるいは否定 ひてい 的 てき 意味 いみ を内包 ないほう している。「ヴィクトリア朝風 あさかぜ の」という言葉 ことば は性的 せいてき 抑圧 よくあつ や階級 かいきゅう 闘争 とうそう といった否定 ひてい 的 てき な意味合 いみあ いを持 も つだろう。他 ほか にも「ルネサンス 」という用語 ようご には強 つよ い肯定 こうてい 的 てき 特徴 とくちょう が込 こ められている。そのためこの用語 ようご は時折 ときおり 拡大 かくだい 解釈 かいしゃく されることがある。イングランドのルネサンスはしばしばエリザベス1世 せい が君臨 くんりん した時代 じだい に対 たい して用 もち いられるが、それはイタリアのルネサンスからおよそ200年 ねん 遅 おく れて始 はじ まったものである。一方 いっぽう で 「カロリング・ルネサンス 」という用語 ようご はフランク王国 おうこく の王 おう カール大帝 たいてい が君臨 くんりん した時代 じだい とその後継 こうけい 者 しゃ の時代 じだい に対 たい して用 もち いられるが、それはイタリアのルネサンスのずっと前 まえ の時代 じだい のことである。他 た の例 れい として、そのどちらも「復活 ふっかつ 」などとは呼 よ べないものであるにも関 かか わらず、「アメリカのルネサンス」という用語 ようご が1820年代 ねんだい から1860年代 ねんだい にかけてのアメリカ文学 ぶんがく の興隆 こうりゅう に対 たい して主 おも に用 もち いられ、「ハーレム・ルネサンス 」という用語 ようご が1920年代 ねんだい のアメリカの文学 ぶんがく や音楽 おんがく 、美術 びじゅつ に対 たい して主 おも に用 もち いられている。
ペトラルカ はヨーロッパの暗黒 あんこく 時代 じだい という考 かんが えを支持 しじ していた。同 おな じ意味 いみ を持 も つ用語 ようご には"古代 こだい 末期 まっき "と"中世 ちゅうせい 前期 ぜんき "がある。
これらの非 ひ 中立 ちゅうりつ 的 てき な意味合 いみあ いによって、ある時代 じだい がその名前 なまえ ゆえに他 た の時代 じだい よりも良 よ いものであるように見 み られることがある。しかしこれは以上 いじょう の部分 ぶぶん で概説 がいせつ したような問題 もんだい を引 ひ き起 お こしうる。古代 こだい ラテンの学問 がくもん の「復活 ふっかつ 」という概念 がいねん は、イタリアルネサンス期 き の詩人 しじん にして人文 じんぶん 主義 しゅぎ の父 ちち ペトラルカ によって最初 さいしょ に生 う み出 だ され、その概念 がいねん はペトラルカ以後 いご 広 ひろ く使 つか われてきた。ルネサンスという用語 ようご が最 もっと も使 つか われるのは、イタリアで起 お こり1500年 ねん ~1530年 ねん 頃 ごろ に盛期 せいき を迎 むか えた文化 ぶんか 的 てき 変化 へんか に対 たい して言及 げんきゅう する場合 ばあい である。当初 とうしょ この概念 がいねん はほとんどの場合 ばあい ミケランジェロ やラファエロ 、レオナルド・ダ・ヴィンチ らが活躍 かつやく した視覚 しかく 芸術 げいじゅつ の分野 ぶんや に対 たい して用 もち いられた。次 つぎ にそれは他 た の芸術 げいじゅつ に対 たい しても用 もち いられるようになるが、それを経済 けいざい 、社会 しゃかい 、そして政治 せいじ の変遷 へんせん を語 かた ることにまで延長 えんちょう してよいのかについては疑問 ぎもん が残 のこ る。今 いま では多 おお くの歴史 れきし 学者 がくしゃ がルネサンス や宗教 しゅうきょう 改革 かいかく といった歴史 れきし 的 てき 出来事 できごと が西洋 せいよう における近世 きんせい の始 はじ まりであると言及 げんきゅう しているが、そのように言及 げんきゅう されるようになったのは、その出来事 できごと が起 お こった時代 じだい よりずっと後 のち になってからのことである。時代 じだい の命名 めいめい 法 ほう の変化 へんか と一致 いっち させるために、講義 こうぎ で教 おし えられる内容 ないよう は漸進 ぜんしん 的 てき に発展 はってん し、歴史 れきし 書 しょ が新 あら たに出版 しゅっぱん されてきた。それらはある程度 ていど 社会 しゃかい 史 し と文化 ぶんか 史 し の違 ちが いを反映 はんえい している。新 あたら しい時代 じだい の命名 めいめい はより広大 こうだい な地理 ちり 的 てき 空間 くうかん をカバーするように意図 いと されており、ヨーロッパとその他 た の世界 せかい との繋 つな がりに目 め を向 む けるようになってきている。
ほとんどの場合 ばあい 、その時代 じだい を生 い きる人々 ひとびと には自分 じぶん 自身 じしん が歴史 れきし 家 か たちが後 のち に割 わ り振 ふ る時代 じだい のどれに属 ぞく しているのかを特定 とくてい することができない。この理由 りゆう の一 ひと つに、彼 かれ らは将来 しょうらい を予期 よき することができないので、自分 じぶん が時代 じだい の最初 さいしょ にいるのか、中間 ちゅうかん にいるのか、それとも最後 さいご にいるのかを見分 みわ けることができないということが挙 あ げられる。また別 べつ の理由 りゆう として、自身 じしん の歴史 れきし 的 てき 感覚 かんかく は宗教 しゅうきょう やイデオロギーの影響 えいきょう を強 つよ く受 う けているが、宗教 しゅうきょう やイデオロギーといった類 るい のものは時代 じだい を命名 めいめい する後 のち の歴史 れきし 家 か たちと異 こと なってしまう、ということもある。
中世 ちゅうせい という用語 ようご もペトラルカ に由来 ゆらい するものである。ペトラルカは自身 じしん が生 い きた時代 じだい と古代 こだい 、特 とく に古代 こだい ギリシア・ローマとを比較 ひかく し、古代 こだい 以降 いこう の暗黒 あんこく 時代 じだい といえる中世 ちゅうせい が終 お わり、自分 じぶん が生 い きている時代 じだい は復活 ふっかつ の時代 じだい へ突入 とつにゅう しつあると捉 とら えた。中世 ちゅうせい という概念 がいねん は、古代 こだい と現代 げんだい という二 ふた つの長 なが い期間 きかん の間 あいだ に位置 いち する期間 きかん であることからその時 とき 生 う まれ、その概念 がいねん は今 いま まで使用 しよう され続 つづ けている。中世 ちゅうせい は更 さら に中世 ちゅうせい 前期 ぜんき ・中世 ちゅうせい 盛期 せいき ・中世 ちゅうせい 後期 こうき の3つに分割 ぶんかつ することができる。暗黒 あんこく 時代 じだい という用語 ようご も、一部 いちぶ の著述 ちょじゅつ 家 か はその否定 ひてい 的 てき な意味合 いみあ いを取 と り除 のぞ きながら使用 しよう を続 つづ けていこうとしているが、中立 ちゅうりつ 的 てき に用 もち いることが困難 こんなん なので、現代 げんだい の研究 けんきゅう 者 しゃ の間 あいだ では使用 しよう を敬遠 けいえん されている。「中世 ちゅうせい 」という用語 ようご (特 とく にmedievalという形容詞 けいようし )も口語 こうご 上 じょう では否定 ひてい 的 てき な響 ひび きを含 ふく む(ほとんど中世 ちゅうせい と同様 どうよう の野蛮 やばん な囚人 しゅうじん の取 と り扱 あつか い方 かた 、などというように)。しかし、このような表現 ひょうげん は決 けっ して学術 がくじゅつ 用語 ようご としては使用 しよう されない。一方 いっぽう で、ゴシック建築 けんちく は中世 ちゅうせい 盛期 せいき の典型 てんけい 的 てき な建築 けんちく 様式 ようしき と言 い われているが、この用語 ようご の使用 しよう の際 さい には中世 ちゅうせい という用語 ようご が本来 ほんらい 持 も つ否定 ひてい 的 てき な意味合 いみあ いはほとんど失 うしな われ、新 あら たな意味合 いみあ いを段々 だんだん と持 も つようになっていった(詳 くわ しくはゴシック建築 けんちく やゴス の項 こう を参照 さんしょう のこと)。
ゴシック とバロック という用語 ようご はどちらも、以前 いぜん の建築 けんちく 様式 ようしき の人気 にんき がなくなり次 じ の建築 けんちく 様式 ようしき が流行 りゅうこう するようになった期間 きかん に名 な づけられた。「ゴシック」という言葉 ことば は軽蔑 けいべつ の意味 いみ を含 ふく んだ用語 ようご として、当時 とうじ 蛮族 ばんぞく とみられていた北欧 ほくおう の人々 ひとびと に関 かん する全 すべ てを指 さ して用 もち いられた。この言葉 ことば を最初 さいしょ に用 もち いたのはジョルジョ・ヴァザーリ であるといわれている。ヴァザーリは自身 じしん が芸術 げいじゅつ 史家 しか 、芸術 げいじゅつ 家 か 、建築 けんちく 家 か として生 い きた時代 じだい のことを、初 はじ めて「ルネサンス」と表現 ひょうげん した人物 じんぶつ でもある。ジョルジョ・ヴァザーリ は、特 とく に建築 けんちく の分野 ぶんや において、自分 じぶん が異議 いぎ を唱 とな えたいものを表現 ひょうげん すべく「ゴシック」という言葉 ことば を生 う み出 だ した(おそらく彼 かれ は、それはまるでゴート人 じん が建 た てたもののようだ、などと述 の べたのであろう。)。「バロック」という言葉 ことば は、ポルトガル語 ご やスペイン語 ご 、フランス語 ふらんすご に共通 きょうつう して見 み られる、「歪 いびつ な真珠 しんじゅ 」という意味 いみ の語 かたり に由来 ゆらい している。その語 かたり が初 はじ めて宝石 ほうせき 製造 せいぞう 業界 ぎょうかい の外 そと で使 つか われるようになったのは、18世紀 せいき 初頭 しょとう の、音楽 おんがく が過度 かど に複雑 ふくざつ 化 か し雑 ざつ になってきていると批判 ひはん を受 う けた時代 じだい であるといわれている。後 のち にその語 かたり は建築 けんちく や美術 びじゅつ の分野 ぶんや でも用 もち いられるようになった。[2] バロック時代 じだい は初 はじ め19世紀 せいき のことを指 さ すものであったが、現在 げんざい では1600年 ねん 前後 ぜんこう に始 はじ まったものであると考 かんが えられている。音楽 おんがく 史 し においては、J. S. バッハ が亡 な くなった1750年 ねん をもってバロック時代 じだい の終 お わりとするが、美術 びじゅつ 史家 しか たちはバロック時代 じだい の盛期 せいき はほとんどの面 めん においてずっと早 はや く終 お わっていると考 かんが えている。
マルクス主義 まるくすしゅぎ 的 てき 時代 じだい 区分 くぶん [ 編集 へんしゅう ]
マルクス主義 まるくすしゅぎ の唯物 ゆいぶつ 史観 しかん では、社会 しゃかい は基本 きほん 的 てき に「材料 ざいりょう 状態 じょうたい 」によってどのような場合 ばあい においても決定 けってい づけられるとする。い換 いか えれば、衣食住 いしょくじゅう といった基本 きほん 的 てき な要請 ようせい を満 み たすための生産 せいさん 関係 かんけい のあり方 かた によって定 さだ まるのだ。[3] 概 がい してマルクス とエンゲルス は、西欧 せいおう の物質 ぶっしつ 的 てき 状況 じょうきょう の発達 はったつ は5つの連続 れんぞく した発展 はってん 段階 だんかい に分 わ けられると主張 しゅちょう した。[注釈 ちゅうしゃく 1]
彼 かれ らの理論 りろん では、以下 いか の5つの段階 だんかい に分 わ けられる。[4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]
第 だい 一 いち 段階 だんかい は大抵 たいてい 原始 げんし 共産 きょうさん 制 せい と呼 よ ばれているものである。それは以下 いか のような特徴 とくちょう をもつ。
共有 きょうゆう 財産 ざいさん : 個人 こじん の所有 しょゆう 以上 いじょう の所有 しょゆう 権 けん に関 かん する概念 がいねん は一切 いっさい なく、全 すべ てのものが部族 ぶぞく の間 あいだ で生存 せいぞん のために共有 きょうゆう されている。
狩猟 しゅりょう 採集 さいしゅう : 部族 ぶぞく 社会 しゃかい は未 いま だ農業 のうぎょう を行 おこな えるほど大 おお きく発達 はったつ していないので、生存 せいぞん のために日々 ひび もがいている。
原始 げんし 的 てき 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ : 依然 いぜん として「リーダー」という概念 がいねん はない。戦 たたか いの際 さい には部族 ぶぞく 一番 いちばん の戦士 せんし が、落 お ち着 つ いて他 た 部族 ぶぞく と接触 せっしょく する際 さい には部族 ぶぞく 一番 いちばん の交渉 こうしょう 人 じん が、というように、部族 ぶぞく を導 みちび く人物 じんぶつ は時 とき と場合 ばあい に応 おう じて変 か わる。
第 だい 二 に 段階 だんかい は奴隷 どれい 制 せい と呼 よ ばれるものであり、「階級 かいきゅう 社会 しゃかい 」の始 はじ まりであると考 かんが えられ、私有 しゆう 財産 ざいさん が現 あらわ れ始 はじ める段階 だんかい である。
社会 しゃかい 階級 かいきゅう : 階級 かいきゅう という概念 がいねん が現 あらわ れる。そこでは必 かなら ず、奴隷 どれい を所有 しょゆう する支配 しはい 階級 かいきゅう と社会 しゃかい の下層 かそう に置 お かれた奴隷 どれい の2つに人々 ひとびと の階級 かいきゅう が分 わ かれる。
国家 こっか 主義 しゅぎ : 奴隷 どれい 所有 しょゆう 者 しゃ が奴隷 どれい を集 あつ め、使役 しえき し、制御 せいぎょ するという目的 もくてき を果 は たすために、この段階 だんかい の国家 こっか は組織 そしき を発展 はってん させていくこととなる。
農業 のうぎょう : 増加 ぞうか する人口 じんこう を養 やしな うために大 だい 規模 きぼ な農耕 のうこう ・牧畜 ぼくちく を行 おこな うようになる。
民主 みんしゅ 主義 しゅぎ と権威 けんい 主義 しゅぎ : これらの対立 たいりつ する概念 がいねん が同時 どうじ に発達 はったつ する。民主 みんしゅ 主義 しゅぎ は共和 きょうわ 政 せい 都市 とし 国家 こっか の発達 はったつ とともに出現 しゅつげん し、続 つづ いて独裁 どくさい 的 てき な帝国 ていこく が現 あらわ れる。
私有 しゆう 財産 ざいさん : 国民 こくみん は個人 こじん 的 てき に所持 しょじ している物 もの より多 おお くのモノを所有 しょゆう するようになる。例 たと えば農業 のうぎょう の発達 はったつ とともに誰 だれ がどの土地 とち を使 つか うかが重要 じゅうよう となり、土地 とち の所有 しょゆう 権 けん という概念 がいねん が生 う まれる。
第 だい 三 さん 段階 だんかい は封建 ほうけん 制 せい と呼 よ ばれるものであり、奴隷 どれい 制 せい 社会 しゃかい が崩 くず れた後 のち に現 あらわ れる。ロ ろ ーマ帝国 まていこく の奴隷 どれい 制 せい 社会 しゃかい が崩 くず れた後 のち に現 あらわ れたヨーロッパの中世 ちゅうせい が最 もっと も明 あき らかなその例 れい であるといえる。
貴族 きぞく 制 せい : 国家 こっか は世襲 せしゅう 、婚姻 こんいん 、もしくは征服 せいふく によってその座 ざ に就 つ いた君主 くんしゅ と貴族 きぞく が治 おさ める。
神権 しんけん 政治 せいじ : 宗教 しゅうきょう 的 てき 支配 しはい が強 つよ い段階 だんかい である。その地 ち に一 ひと つしか宗教 しゅうきょう がないのならば、その宗教 しゅうきょう 組織 そしき は生活 せいかつ の隅々 すみずみ まで影響 えいきょう を及 およ ぼすことができる。
世襲 せしゅう 的 てき 身分 みぶん 制度 せいど : 身分 みぶん 制度 せいど が時折 ときおり 形成 けいせい される。それにおいて、自身 じしん の身分 みぶん は生 う まれた時 とき に決 き まり、その後 ご 決 けっ して身分 みぶん が上 あ がることはない。インド のカースト がこの典型 てんけい 的 てき な例 れい である。
国民 こくみん 国家 こっか : 崩壊 ほうかい した帝国 ていこく の残滓 ざんし から国民 こくみん 国家 こっか が形成 けいせい される。時 とき として国民 こくみん 国家 こっか は再 ふたた び帝国 ていこく へと戻 もど る。例 たと えばイギリス はかつてロ ろ ーマ帝国 まていこく の属 ぞく 州 しゅう であったが、やがて大 だい 英 えい 帝国 ていこく へと変貌 へんぼう し植民 しょくみん 地 ち を持 も つようになった。
マルクスは人間 にんげん 社会 しゃかい の発達 はったつ の中 なか でも特 とく にこの時代 じだい に大 おお きな注意 ちゅうい を払 はら った。彼 かれ の研究 けんきゅう の大 だい 部分 ぶぶん は資本 しほん 主義 しゅぎ のメカニズムを分析 ぶんせき することに捧 ささ げられた。資本 しほん 主義 しゅぎ は西洋 せいよう 社会 しゃかい において古来 こらい より、封建 ほうけん 社会 しゃかい が革命 かくめい 的 てき 動 うご きを持 も つようになった際 さい に突如 とつじょ として現 あらわ れ猛威 もうい を振 ふ るう。資本 しほん 主義 しゅぎ においては、利潤 りじゅん の追求 ついきゅう こそが人々 ひとびと を支配 しはい し、農奴 のうど 制 せい は瓦解 がかい して、民衆 みんしゅう は賃金 ちんぎん を得 え るべく資本 しほん 家 か の下 した で働 はたら くようになる。資本 しほん 家 か 階級 かいきゅう は世界中 せかいじゅう で自分 じぶん たちの意 い のままにレッセフェール の動 うご きを推 お し進 すす める。資本 しほん 家 か によって制御 せいぎょ された議会 ぎかい では、法律 ほうりつ は富 とみ を守 まも るために制定 せいてい されるようになる。
資本 しほん 主義 しゅぎ は第 だい 四 よん 段階 だんかい であると考 かんが えられている。それは資本 しほん 家 か や商人 しょうにん の前身 ぜんしん たちが封建 ほうけん 制 せい を放棄 ほうき した時 とき に、ブルジョワ革命 かくめい を経 へ て誕生 たんじょう する。資本 しほん 主義 しゅぎ は以下 いか のように分類 ぶんるい される。
市場 いちば 経済 けいざい : 資本 しほん 主義 しゅぎ では、経済 けいざい 全体 ぜんたい が市場 いちば の力 ちから によって動 うご かされる(市場 いちば 経済 けいざい )。レッセフェール を支持 しじ する人々 ひとびと は、資本 しほん 主義 しゅぎ 下 か において政府 せいふ は市場 いちば にほとんど何 なに も、あるいは全 まった く介入 かいにゅう すべきではないと主張 しゅちょう している。しかし、『帝国 ていこく 主義 しゅぎ 論 ろん 』を著 あらわ したレーニン のようなマルクス主義 まるくすしゅぎ 者 しゃ たちは、資本 しほん 家 か による政府 せいふ は資本 しほん 主義 しゅぎ を強力 きょうりょく に推進 すいしん し、資本 しほん 主義 しゅぎ 的 てき 国民 こくみん 国家 こっか は外国 がいこく の市場 いちば をも征服 せいふく してしまうと主張 しゅちょう した。
私的 してき 所有 しょゆう 権 けん : 生産 せいさん 手段 しゅだん は君主 くんしゅ や貴族 きぞく ではなく資本 しほん 家 か によって握 にぎ られることとなる。資本 しほん 家 か は生産 せいさん 手段 しゅだん を企業 きぎょう を通 つう じて掌握 しょうあく し、企業 きぎょう は利潤 りじゅん の最大 さいだい 化 か を図 はか る。
議院 ぎいん 内 ない 閣 かく 制 せい : 資本 しほん 家 か は独裁 どくさい 国家 こっか よりも、選挙 せんきょ による中央 ちゅうおう 集権 しゅうけん 的 てき な議会 ぎかい や会議 かいぎ で政治 せいじ を行 おこな う国 くに を支配 しはい する傾向 けいこう がある。資本 しほん 主義 しゅぎ 的 てき な議会 ぎかい 制 せい 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ (ブルジョワ民主 みんしゅ 主義 しゅぎ )は多 おお くの人々 ひとびと に開 ひら かれてはいるものの、必 かなら ずしも普通 ふつう 選挙 せんきょ へと結 むす びつくわけではない。歴史 れきし 的 てき には権力 けんりょく や差別 さべつ 、法律 ほうりつ などといった手段 しゅだん で女性 じょせい や奴隷 どれい 、解放 かいほう 奴隷 どれい 、非 ひ 白人 はくじん 、低 てい 収入 しゅうにゅう 者 しゃ が選挙 せんきょ 権 けん の枠 わく から外 はず されてきた。政府 せいふ の行動 こうどう はあらゆる面 めん で資本 しほん 家 か の利益 りえき のためのものとなり、資本 しほん 家 か はあらゆる手段 しゅだん を講 こう じて政府 せいふ を統制 とうせい しようとする。
賃金 ちんぎん : 資本 しほん 主義 しゅぎ において、労働 ろうどう 者 しゃ は雇用 こよう 主 ぬし との契約 けいやく に基 もと づいて報酬 ほうしゅう を得 え る。権力 けんりょく を持 も つエリートたちは、労働 ろうどう 者 しゃ の働 はたら きの価値 かち に応 おう じて正確 せいかく に賃金 ちんぎん を与 あた える仕組 しく みが市場 いちば には備 そな わっているという錯覚 さっかく を喧伝 けんでん する。しかし実際 じっさい には、労働 ろうどう 者 しゃ は自身 じしん の生 う み出 だ した価値 かち より少 すく ない報酬 ほうしゅう しか得 え られず、価値 かち と報酬 ほうしゅう の差 さ は雇用 こよう 主 ぬし によって利潤 りじゅん として吸 す い上 あ げられる。こういった意味 いみ で全 すべ ての賃金 ちんぎん 雇用 こよう 体系 たいけい は搾取 さくしゅ であるということができ、労働 ろうどう 者 しゃ は仕事 しごと から疎外 そがい されるようになる。利潤 りじゅん の追求 ついきゅう が市場 いちば の原動力 げんどうりょく となっている限 かぎ りは、労働 ろうどう 者 しゃ が自身 じしん の仕事 しごと に応 おう じて適切 てきせつ な報酬 ほうしゅう を得 え ることは不可能 ふかのう であり、全 すべ ての雇用 こよう 主 ぬし はいつも搾取 さくしゅ に勤 いそ しみ続 つづ けるだろう。
帝国 ていこく 主義 しゅぎ : 富裕 ふゆう な国 くに は原材料 げんざいりょう の確保 かくほ や既製 きせい 品 ひん の市場 いちば とするために貧 まず しい国 くに を支配 しはい しようと画策 かくさく する。これは直接 ちょくせつ の戦争 せんそう や恐喝 きょうかつ 、資本 しほん の投資 とうし によって行 おこな われる。資本 しほん 家 か が国 くに 中 ちゅう を支配 しはい するのは資本 しほん 主義 しゅぎ の発展 はってん において重要 じゅうよう な役割 やくわり を果 は たす。それはやがて戦争 せんそう や他国 たこく への介入 かいにゅう へと結 むす びつくこととなる。
金融 きんゆう 機関 きかん : 銀行 ぎんこう や証券 しょうけん 取引 とりひき 所 しょ などは未 み 使用 しよう の資本 しほん を必要 ひつよう なところへと流 なが す。それらはあらゆる市場 いちば への障壁 しょうへき を減 へ らし、特 とく に貧 まず しい人々 ひとびと が階級 かいきゅう を向上 こうじょう させるのを大 おお きく容易 ようい にする。銀行 ぎんこう はこのような手段 しゅだん で階級 かいきゅう を流動 りゅうどう 化 か させていく。
独占 どくせん 傾向 けいこう : ありのままで何 なん の制御 せいぎょ も受 う けていない市場 いちば は、最 もっと も成功 せいこう した企業 きぎょう がやがて独占 どくせん を形成 けいせい するようになる。
しかしマルクスによると、資本 しほん 主義 しゅぎ は奴隷 どれい 制 せい 社会 しゃかい や封建 ほうけん 制 せい と同様 どうよう に致命 ちめい 的 てき な欠陥 けっかん を抱 かか えている。それは内 うち なる矛盾 むじゅん であり、これが資本 しほん 主義 しゅぎ の崩壊 ほうかい を生 う み出 だ す。労働 ろうどう 者 しゃ 階級 かいきゅう というものは、資本 しほん 家 か 階級 かいきゅう が商品 しょうひん の生産 せいさん と利潤 りじゅん の追求 ついきゅう のために生 う み出 だ したものだが、資本 しほん 主義 しゅぎ の終焉 しゅうえん をもたらす者 もの たちでもある。労働 ろうどう 者 しゃ は自分 じぶん たちが生産 せいさん した価値 かち に見合 みあ うだけの十分 じゅうぶん な報酬 ほうしゅう を得 え られない。マルクスが「労働 ろうどう 者 しゃ 階級 かいきゅう に支払 しはら われなかった報酬 ほうしゅう 」と呼 よ んだ残 のこ りの報酬 ほうしゅう は剰余 じょうよ 価値 かち として、資本 しほん 家 か の利潤 りじゅん となる。資本 しほん 家 か は自身 じしん の利潤 りじゅん を増加 ぞうか させるために労働 ろうどう 者 しゃ 階級 かいきゅう の賃金 ちんぎん を下 さ げる競争 きょうそう へと駆 か り立 た てられ、階級 かいきゅう 間 あいだ の闘争 とうそう を引 ひ き起 お こし、労働 ろうどう 者 しゃ 階級 かいきゅう の目覚 めざ めを誘引 ゆういん する。労働 ろうどう 者 しゃ 階級 かいきゅう は、労働 ろうどう 組合 くみあい やその他 た の方法 ほうほう を通 つう じて、自身 じしん が搾取 さくしゅ されている階級 かいきゅう であると気 き づくこととなる。古典 こてん 的 てき マルクス主義 まるくすしゅぎ の観点 かんてん によると、資本 しほん 家 か 階級 かいきゅう に対 たい する労働 ろうどう 者 しゃ 階級 かいきゅう の抵抗 ていこう は、やがて労働 ろうどう 者 しゃ 階級 かいきゅう が生産 せいさん に関 かん する全 すべ ての力 ちから を握 にぎ ることへと集約 しゅうやく される。
労働 ろうどう 者 しゃ 階級 かいきゅう が目覚 めざ めを経 へ て資本 しほん 家 か に対 たい するプロレタリア革命 かくめい を成功 せいこう させると、社会 しゃかい 主義 しゅぎ という第 だい 五 ご 段階 だんかい へ至 いた る。
社会 しゃかい 主義 しゅぎ には以下 いか のような特徴 とくちょう がある。
共有 きょうゆう 財産 ざいさん : 生産 せいさん 手段 しゅだん は少数 しょうすう の資本 しほん 家 か の手 て を離 はな れ労働 ろうどう 者 しゃ の手 て へと移 うつ る。これはつまり、民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 的 てき 共同 きょうどう 体 たい が生産 せいさん 手段 しゅだん を管理 かんり するということである。
評議 ひょうぎ 会 かい 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ : マルクスはパリ・コミューン に関 かん する自身 じしん の研究 けんきゅう を元 もと として、労働 ろうどう 者 しゃ は共同 きょうどう 体 たい 制度 せいど を通 つう じて労働 ろうどう 者 しゃ 自身 じしん を管理 かんり すると考 かんが えた。彼 かれ はこれをプロレタリア独裁 どくさい と呼 よ び、資本 しほん 主義 しゅぎ の独裁 どくさい を放棄 ほうき し、生産 せいさん と資源 しげん 利用 りよう を徹底的 てっていてき に計画 けいかく するものであるとした。
マルクスは共産 きょうさん 主義 しゅぎ の最初 さいしょ の段階 だんかい が「社会 しゃかい 主義 しゅぎ 」であると説明 せつめい している。これは「経済 けいざい 的 てき にも、道徳 どうとく 的 てき にも、知的 ちてき にも、古 ふる い社会 しゃかい から生 う まれた名残 なごり が未 いま だに見 み られる段階 だんかい 」であり、労働 ろうどう 者 しゃ たちは自身 じしん の労働 ろうどう に応 おう じて報酬 ほうしゅう を得 え るのを当然 とうぜん だと考 かんが えているが、各々 おのおの の労働 ろうどう 者 しゃ の能力 のうりょく や家族 かぞく の事情 じじょう が異 こと なっているために、結果 けっか として社会 しゃかい がどれほど労働 ろうどう 者 しゃ を支 ささ えても、不平等 ふびょうどう が発生 はっせい してしまう段階 だんかい である。
ヨーロッパ史 し 学 がく の時代 じだい 区分 くぶん が導入 どうにゅう される以前 いぜん に、現代 げんだい の「戦国 せんごく 時代 じだい 」が、当時 とうじ の京都 きょうと の公家 くげ たちに「戦国 せんごく の世 よ 」と中国 ちゅうごく の春秋 しゅんじゅう 戦国 せんごく 時代 じだい をなぞらえて認識 にんしき され呼 よ ばれた[11] 。さらにこの呼 よ び名 な は広 ひろ まり、武田 たけだ 信玄 しんげん の『甲州 こうしゅう 法度 はっと 次第 しだい 』第 だい 20条 じょう に「天下 てんか 戦国 せんごく の上 うえ は、諸事 しょじ をなげうち武具 ぶぐ の用意 ようい 肝要 かんよう たるべし」と使用 しよう された。明治 めいじ 時代 じだい に西洋 せいよう 学問 がくもん として歴史 れきし の時代 じだい 区分 くぶん 法 ほう を知 し るが、1873年 ねん (明治 めいじ 6年 ねん )小学校 しょうがっこう 参考 さんこう 書 しょ に先行 せんこう 的 てき に「戦国 せんごく 時代 じだい 」が使用 しよう された[12] 。
明治 めいじ 時代 じだい の、歴史 れきし 学 がく における総合 そうごう 的 てき な時代 じだい 区分 くぶん は、1903年 ねん (明治 めいじ 36年 ねん )内田 うちだ 銀蔵 ぎんぞう により西洋 せいよう 史学 しがく を当 あ てはめる形式 けいしき で、英語 えいご の歴史 れきし 語 ご モダンエイジを江戸 えど 時代 じだい だとして「近世 きんせい 」と訳 やく し基点 きてん にした。そして江戸 えど 時代 じだい より前 まえ の時代 じだい はその時 とき まで「近古 きんこ 」とされていたが英語 えいご の歴史 れきし 語 ご ミドルエイジを訳 やく して「中世 ちゅうせい 」と命名 めいめい した。さらにその「中世 ちゅうせい 」より前 まえ を一括 いっかつ して「古代 こだい 」と名 な づけ、西洋 せいよう 史学 しがく 三 さん 分 ふん 法 ほう を適用 てきよう して日本 にっぽん 史 し 三 さん 分 ふん 法 ほう を提起 ていき した[13] [14] 。それが研究 けんきゅう 者 しゃ たちに支持 しじ され近代 きんだい を末 すえ に加 くわ えて、日本 にっぽん 史学 しがく での日本 にっぽん 史 し 時代 じだい 区分 くぶん となった[14] 。
先史 せんし - 古代 こだい - 中世 ちゅうせい - 近世 きんせい - 近代 きんだい - 現代 げんだい
考古学 こうこがく における一般 いっぱん 的 てき な先史 せんし 時代 じだい の時代 じだい 区分 くぶん は、材料 ざいりょう 文化 ぶんか や技術 ぎじゅつ の変化 へんか に依拠 いきょ している。石器 せっき 時代 じだい や青銅器 せいどうき 時代 じだい 、鉄器 てっき 時代 じだい といった区分 くぶん や、その更 さら に細分 さいぶん 化 か された区分 くぶん は、その時代 じだい の遺物 いぶつ の材料 ざいりょう がどのように異 こと なっているかに基 もと づいた区分 くぶん である。ここ数 すう 十 じゅう 年間 ねんかん の放射 ほうしゃ 性 せい 炭素 たんそ 年代 ねんだい 測定 そくてい の発達 はったつ や、他 た の科学 かがく 的 てき 手段 しゅだん の発達 はったつ によって、多 おお くの遺跡 いせき や人工 じんこう 物 ぶつ についての正確 せいかく な年代 ねんだい 測定 そくてい が可能 かのう となったが、これらの長期 ちょうき 的 てき な時代 じだい 区分 くぶん は今後 こんご も使用 しよう され続 つづ けると予測 よそく される。また、ある文字 もじ を持 も たない文化 ぶんか の歴史 れきし について、近隣 きんりん の文字 もじ を持 も つ文化 ぶんか が書 か き残 のこ している場合 ばあい が多 おお くあり、それらが時代 じだい 区分 くぶん に使 つか われる。
何 なん らかの出来事 できごと や短期間 たんきかん における変化 へんか が文化 ぶんか に対 たい して非常 ひじょう に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた え、歴史 れきし に急激 きゅうげき な変化 へんか を引 ひ き起 お こすことがある。これらの出来事 できごと や変化 へんか は、よく「~前 まえ 」や「~後 ご 」(〜にはその出来事 できごと や変化 へんか の名称 めいしょう が入 はい る)という語 かたり となって広 ひろ く使 つか われることが多 おお い。例 たと えば「宗教 しゅうきょう 改革 かいかく 前 まえ 」と「宗教 しゅうきょう 改革 かいかく 後 ご 」という表現 ひょうげん や、「植民 しょくみん 地 ち 時代 じだい 前 まえ 」と「植民 しょくみん 地 ち 時代 じだい 後 ご 」といった表現 ひょうげん がある。また、戦前 せんぜん と戦後 せんご という表現 ひょうげん は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の前後 ぜんご を指 さ す表現 ひょうげん であるが、将来 しょうらい 的 てき には第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん という語 かたり を明示 めいじ しなければならないように変 か わるかもしれない。
^ マルクスは決 けっ して歴史 れきし を紐解 ひもと く鍵 かぎ を生 う み出 だ したと主張 しゅちょう しているわけではない。史的 してき 唯物 ゆいぶつ 論 ろん は「どんな歴史 れきし 上 じょう の出来事 できごと についても見 み つけ出 だ すことができ、全 すべ ての人々 ひとびと の前 まえ に運命 うんめい 的 てき に現 あらわ れる歴史 れきし 的 てき ・哲学 てつがく 的 てき な理論 りろん 」 (Marx, Karl: Letter to editor of the Russian paper Otetchestvennye Zapiskym , 1877)というものではない。マルクスの説明 せつめい によれば、彼 かれ の考 かんが えはヨーロッパの実情 じつじょう の具体 ぐたい 的 てき な研究 けんきゅう に基 もと づいたものである、ということである。
^ Adam Rabinowitz. It’s about time: historical periodization and Linked Ancient World Data . Institute for the Study of the Ancient World Papers, 2014.
^ Pasiscla, Claude V., "Baroque" in Grove Music Online, Oxford Music Online. Accessed Feb 2014.
^ この詳細 しょうさい についてはMarx and Engels, The German Ideology を参考 さんこう のこと
^ Marx, Early writings , Penguin, 1975, p. 426.
^ Charles Taylor, “Critical Notice”, Canadian Journal of Philosophy 10 (1980), p. 330.
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^ Marx and Engels, The Civil War in France
^
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^ カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー 』岩波 いわなみ 文庫 ぶんこ
^ カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス 『経済 けいざい 学 がく 批判 ひはん 』大月書店 おおつきしょてん 国民 こくみん 文庫 ぶんこ
^ 今谷 いまたに 明 あきら 『戦国 せんごく の世 よ 日本 にっぽん の歴史 れきし 〈5〉』 岩波ジュニア新書 いわなみじゅにあしんしょ 2000年 ねん
^ 国会図書館 こっかいとしょかん 蔵書 ぞうしょ の使用 しよう 例 れい の最 さい 古書 こしょ は、教育 きょういく 資料 しりょう 研究 けんきゅう 会 かい (編 へん )『高等 こうとう 小学校 しょうがっこう 外 がい 日本 にっぽん 歴史 れきし 』第 だい 4編 へん 巻 まき 1巻 かん 2 目 もく 次第 しだい 7「戦國 せんごく 時代 じだい 」、1873年 ねん (明治 めいじ 6年 ねん )
^ 内田 うちだ 銀蔵 ぎんぞう 『日本 にっぽん 近世 きんせい 史 し 』第 だい 1巻 かん 上 じょう 冨山 とやま 房 ぼう 、1903年 ねん (明治 めいじ 36年 ねん )
^ a b 坂本 さかもと 賞 しょう 三 さん 「日本 にっぽん 中世 ちゅうせい 史 し の形成 けいせい 」 『史人 ふみと 』第 だい 6号 ごう 2015年 ねん
今谷 いまたに 明 あきら 『戦国 せんごく の世 よ 日本 にっぽん の歴史 れきし 〈5〉』岩波書店 いわなみしょてん 〈岩波ジュニア新書 いわなみじゅにあしんしょ 〉、2000年 ねん 。
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主要 しゅよう 概念 がいねん 単位 たんい と規格 きかく
時計 とけい 編 へん 年 ねん ・ 歴史 れきし 宗教 しゅうきょう ・ 神話 しんわ 哲学 てつがく 人間 にんげん の経験 けいけん と時間 じかん の利用 りよう 分野 ぶんや 別 べつ の時間 じかん
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