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大 だい 英 えい 博物館 はくぶつかん にあるロゼッタ・ストーン
碑文 ひぶん 研究 けんきゅう (ひぶんけんきゅう)または碑 いしぶみ 文学 ぶんがく (ひぶんがく、エピグラフィー、英語 えいご :Epigraphy , 希 まれ :επιγραφή / 原 はら 義 よし :書 か き残 のこ されたもの) とは、欧米 おうべい 諸国 しょこく における金石 かねいし 学 まなぶ であり、石 いし や金属 きんぞく などの耐久 たいきゅう 性 せい のあるものに刻 きざ まれたもの(文字 もじ による銘文 めいぶん を含 ふく む)や鋳型 いがた についてその造 つく られた意味 いみ あいや由来 ゆらい を解明 かいめい する研究 けんきゅう 若 も しくは学問 がくもん 分野 ぶんや の呼称 こしょう である。後述 こうじゅつ するように文字 もじ 記録 きろく の解読 かいどく が中心 ちゅうしん となるため、文字 もじ どおり一般 いっぱん 的 てき には碑 いしぶみ 文学 ぶんがく 、碑文 ひぶん 研究 けんきゅう と呼 よ んでも差 さ し支 つか えないが、一方 いっぽう で、日本 にっぽん や中国 ちゅうごく の金石 かねいし 文 あや や金石 かねいし 学 まなぶ は、Epigraphyとしか訳 やく しようがなく、碑文 ひぶん 研究 けんきゅう という一般 いっぱん 語 ご はあっても碑 いしぶみ 文学 ぶんがく という言葉 ことば は通常 つうじょう 使用 しよう しない[1] ので、本稿 ほんこう でも便宜上 べんぎじょう 金石 かねいし 学 まなぶ と呼 よ ぶ。なお紙 かみ などにインク で書 か かれた手書 てが き文書 ぶんしょ は古文書 こもんじょ 学 がく に分類 ぶんるい され、碑 いしぶみ 文学 ぶんがく 、碑文 ひぶん 研究 けんきゅう の対象 たいしょう には含 ふく まれない。
欧米 おうべい 諸国 しょこく ではこのような分野 ぶんや が独立 どくりつ しており、これを研究 けんきゅう する人々 ひとびと を英語 えいご ではエピグラファー(epigrapher)ないしエピグラフィスト(epigraphist)と呼 よ ぶ。日本 にっぽん や中国 ちゅうごく を含 ふく む多 おお くの国々 くにぐに では、歴史 れきし 研究 けんきゅう や考古学 こうこがく の研究 けんきゅう 者 しゃ がかねていることが多 おお く、特別 とくべつ に研究 けんきゅう 者 しゃ の呼称 こしょう はない[2] 。
ヨーロッパ の金石 かねいし 学 まなぶ は、文字 もじ 文化 ぶんか を扱 あつか う場合 ばあい に考古学 こうこがく の主要 しゅよう な道具 どうぐ のひとつとなる。アメリカ の図書館 としょかん 分類 ぶんるい では、歴史 れきし の補助 ほじょ 学問 がくもん として分類 ぶんるい されている。金石 かねいし 学 まなぶ は、贋物 にせもの を見破 みやぶ るのにも活躍 かつやく する。刻 きざ まれた文字 もじ 自体 じたい は、金石 かねいし 学 まなぶ の主要 しゅよう な研究 けんきゅう 対象 たいしょう であるが、銘文 めいぶん の中身 なかみ とわけて考 かんが える。銘文 めいぶん の本文 ほんぶん (テキスト)については、テキストそのもので研究 けんきゅう される。石 いし に刻 きざ まれた銘文 めいぶん (テキスト)は、たいていは、公式 こうしき 見解 けんかい だったりベヒストゥーン碑文 ひぶん のように神 かみ からの視角 しかく で刻 きざ まれている。それぞれの文化 ぶんか ごとに本質 ほんしつ 的 てき に異 こと なっている。刻 きざ まれた銘文 めいぶん (テキスト)で公 おおやけ にされないものもある。ミュケナイ文化 ぶんか の線 せん 文字 もじ B は、経済 けいざい 的 てき 政治 せいじ 的 てき な記録 きろく を保持 ほじ するために使 つか われたことが解読 かいどく によって明 あき らかになった。非公式 ひこうしき な記録 きろく としては、落書 らくが き(graffiti)のような独自 どくじ の感覚 かんかく で書 か かれたものもある。
ヨーロッパの金石 かねいし 学 まなぶ の略 りゃく 史 し [ 編集 へんしゅう ]
ヨーロッパの金石 かねいし 学 まなぶ は、16世紀 せいき から徐々 じょじょ に発展 はってん してきた。金石 かねいし 学 まなぶ の原則 げんそく は文化 ぶんか によって異 こと なっている。ヨーロッパでの金石 かねいし 学 まなぶ は、当初 とうしょ ラテン文字 もじ で刻 きざ まれた銘文 めいぶん の研究 けんきゅう に集中 しゅうちゅう した。ゲオルグ・ファブリシウス (英語 えいご 版 ばん ) (Georg Fabricius/1516–1571)、アウグスト・ヴィルヘルム・ツンプト (英語 えいご 版 ばん ) (August Wilhelm Zumpt/1815–1877)、テオドール・モムゼン (Theodor Mommsen/1817–1903)、エミール・ヒューブナー (英語 えいご 版 ばん ) (Emil Hübner/1834–1901)、フランツ・キュモン (英語 えいご 版 ばん ) (Franz Cumont/1868–1947)、ルイス・ロバート (Louis Robert/1904–1985)などの金石 かねいし 学者 がくしゃ による個人 こじん 的 てき な業績 ぎょうせき によって成 な り立 た ってきた。モムゼンと他 た の研究 けんきゅう 者 しゃ グループによってはじめられた「ラテン金石 かねいし 文 ぶん 全集 ぜんしゅう (英語 えいご 版 ばん ) 」(Corpus Inscriptionum Latinarum)は、ベルリン にて1863年 ねん から戦争 せんそう による中断 ちゅうだん はあったものの公刊 こうかん され続 つづ けている。これは、ラテン文字 もじ による金石 かねいし 文 ぶん の最大 さいだい にしてもっとも手広 てびろ く集成 しゅうせい を行 おこ なったものであり、碑文 ひぶん の読解 どっかい がされつづけるのに従 したが って新 あたら しい分冊 ぶんさつ が出版 しゅっぱん されている。この全集 ぜんしゅう は、地域 ちいき ごとに集成 しゅうせい が行 おこ なわれ、ローマ地域 ちいき の碑文 ひぶん [3] は第 だい 6巻 かん に収 おさ められている。第 だい 6巻 かん にはもっとも多 おお くの碑文 ひぶん が収録 しゅうろく され、最近 さいきん では2000年 ねん に第 だい 6巻 かん 第 だい 8部 ぶ 第 だい 3分冊 ぶんさつ が刊行 かんこう された。金石 かねいし 学 まなぶ の研究 けんきゅう 者 しゃ は、しばしばラテン語 らてんご の新 あたら しい碑文 ひぶん が発見 はっけん されるたびにこの続 ぞく 巻 まき が出版 しゅっぱん されることを期待 きたい している。たとえていうなら生物 せいぶつ 学 がく 者 もの の動物 どうぶつ 学 がく 上 じょう の記録 きろく ではないが、まさに生 なま の歴史 れきし 資料 しりょう だからである。
ギリシャ語 ご の金石 かねいし 学 まなぶ については、モムゼンたちとは異 こと なるグループの研究 けんきゅう 者 しゃ たちの手 て によって別個 べっこ の集成 しゅうせい としてまとめられている。ひとつは、「ギリシャ金石 かねいし 文 ぶん 全集 ぜんしゅう 」(Corpus Inscriptionum Graecarum)といい、ベルリンにて4巻 かん 組 ぐ みで1825年 ねん ~77年 ねん にかけて公刊 こうかん された。このシリーズの特色 とくしょく は、ギリシャ語 ご を使 つか っていた世界 せかい 全体 ぜんたい の碑文 ひぶん を包括 ほうかつ 的 てき に集成 しゅうせい しようとした最初 さいしょ の試 こころ みにある。研究 けんきゅう しなれた学生 がくせい しか使 つか いこなせないので敬遠 けいえん されている。
もうひとつは、最近 さいきん の全集 ぜんしゅう である「ギリシャ金石 かねいし 文 あや 」(Inscriptiones Graecae)であり、各 かく 分野 ぶんや ごとに分 わ けてかつ地域 ちいき 的 てき に分類 ぶんるい しているものである。カテゴリーとしては、信条 しんじょう 、目録 もくろく 、顕彰 けんしょう 、墓碑銘 ぼひめい など多様 たよう である。古典 こてん 学 がく での国際 こくさい 的 てき 中立 ちゅうりつ 性 せい を保 たも つため、本文 ほんぶん はすべてラテン語 らてんご で書 か かれている。ほかに金石 かねいし 学 まなぶ の主 おも な碑文 ひぶん 集成 しゅうせい としては、「エトルリア 金石 かねいし 文 ぶん 集成 しゅうせい 」(Corpus Inscriptionum Etruscarum)、「十字軍 じゅうじぐん 金石 かねいし 文 ぶん 集成 しゅうせい 」(Corpus Inscriptionum Crucesignatorum Terrae Sanctae)、「ケルト 金石 かねいし 文 ぶん 集成 しゅうせい 」(Corpus Inscriptionum Insularum Celticarum)、「イラン金石 かねいし 文 ぶん 集成 しゅうせい 」(Corpus Inscriptionum Iranicarum)などが挙 あ げられる。
マヤ文字 もじ 研究 けんきゅう の進展 しんてん にともない、マヤ 諸 しょ 遺跡 いせき の碑文 ひぶん 集成 しゅうせい がハーバード大学 だいがく のイアン・グラハム (Ian Graham)が編纂 へんさん の中心 ちゅうしん になって「マヤ神聖 しんせい 文字 もじ 碑文 ひぶん 集成 しゅうせい 」(Corpus of Maya Hieroglyphic Inscriptions)と銘打 めいう って1975年 ねん より公刊 こうかん されるようになった。主 おも な遺跡 いせき のものとしては、ナランホ (2巻 かん )(1975~1980年 ねん )、ヤシュチラン (3巻 かん )(1977~82年 ねん )、ウシュマル (4巻 かん 第 だい 2部 ぶ 、第 だい 3部 ぶ )(1992年 ねん )、シュルトウン(第 だい 5巻 かん 第 だい 1部 ぶ 、第 だい 2部 ぶ )(1978年 ねん ,1984年 ねん )、トニナー (6巻 かん )(1983~1999年 ねん )、
セイバル (第 だい 7巻 かん 第 だい 1部 ぶ )(1996年 ねん )、ピエドラス・ネグラス (第 だい 9巻 かん 第 だい 1部 ぶ )(2003年 ねん )が挙 あ げられる。
^ 『広辞苑 こうじえん 』岩波書店 いわなみしょてん 刊 かん 、水野 みずの ・小林 こばやし 編 へん 『考古学 こうこがく 辞典 じてん 』創 そう 元新 もとしん 社 しゃ 刊 かん ,1959年 ねん 、『世界 せかい 考古学 こうこがく 事典 じてん 』平凡社 へいぼんしゃ 刊 かん ,1979年 ねん の項目 こうもく にはなく、サブロフ,J.A./青山 あおやま 訳 やく 『新 あたら しい考古学 こうこがく と古代 こだい マヤ文明 ぶんめい 』,新 しん 評論 ひょうろん 1998年 ねん でも項目 こうもく として出 で ていないため、一般 いっぱん 的 てき な項目 こうもく として定着 ていちゃく していなかった。おそらく考古学 こうこがく や歴史 れきし 学 がく の下位 かい ジャンルとしての扱 あつか いで注目 ちゅうもく されてこなかったこと、日本 にっぽん や中国 ちゅうごく の金石 かねいし 学 まなぶ の独立 どくりつ 的 てき な伝統 でんとう が目立 めだ っていたためと思 おも われる。しかし、最近 さいきん はインターネット 上 うえ で「ラテン碑 ひ 文学 ぶんがく 」「マヤ碑 ひ 文学 ぶんがく 」などの語句 ごく が散見 さんけん されるようになり、「碑 いしぶみ 文学 ぶんがく 」「碑文 ひぶん 学者 がくしゃ 」という語 かたり が記載 きさい される書籍 しょせき も出 で てくるようになった。またコウ/武井 たけい ・徳江 とくえ 訳 やく 『マヤ文字 もじ 解読 かいどく 』創 つく 元 もと 社 しゃ 刊 かん ,2003年 ねん では、索引 さくいん 項目 こうもく にはないが、用語 ようご 解説 かいせつ で「碑 いしぶみ 文学 ぶんがく 」として取上 とりあ げられた(同 どう ,p.425)。
^ 英語 えいご 版 ばん には、Since epigraphy is a science of the particular, references to epigraphic evidence appear in most Wikipedia entries discussing aspects of Ancient history.「碑 いしぶみ 文学 ぶんがく (金石 かねいし 学 まなぶ )は特殊 とくしゅ な分野 ぶんや であるので、碑 いしぶみ 文学 ぶんがく (金石 かねいし 学 まなぶ )的 てき な典拠 てんきょ は、たいていの[他 た 言語 げんご 版 ばん ]Wikipediaでも古代 こだい 史 し の側面 そくめん として論 ろん じられる」とある。
^ 英語 えいご 版 ばん 原文 げんぶん 「inscriptions」
英語 えいご 版 ばん による