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デレック・フィッシャー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
デレック・フィッシャー
Derek Fisher
オクラホマシティ・サンダーでのフィッシャー
(2014ねん)
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
生年月日せいねんがっぴ (1974-08-09) 1974ねん8がつ9にち(49さい
出身しゅっしん アーカンソー州の旗 アーカンソーしゅうリトルロック
身長しんちょう 185cm (6 ft 1 in)
体重たいじゅう 95kg (209 lb)
キャリア情報じょうほう
高校こうこう パークビュー・アーツ&サイエンス・マグネット高等こうとう学校がっこう英語えいごばん
大学だいがく アーカンソー大学だいがくリトルロックこう英語えいごばん
NBAドラフト 1996ねん / 1じゅん / 全体ぜんたい24[1]
プロ選手せんしゅ期間きかん 1996ねん–2014ねん
ポジション PG
シュート ひだり
背番号せばんごうれき 2, 4, 37, 6
指導しどうしゃ期間きかん 2014ねん現在げんざい
経歴けいれき
選手せんしゅ時代じだい:
19962004ロサンゼルス・レイカーズ
20042006ゴールデンステート・ウォリアーズ
2006–2007ユタ・ジャズ
20072012ロサンゼルス・レイカーズ
2012オクラホマシティ・サンダー
2012ダラス・マーベリックス
20132014オクラホマシティ・サンダー
コーチ時代じだい:
20142016ニューヨーク・ニックス
2019–2022ロサンゼルス・スパークス
受賞じゅしょうれき
  • NBAチャンピオン (2000-2002, 2009, 2010)
  • サンベルト最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅしょう (1996)
  • 2×オールサンベルトチーム (1995, 1996)
NBA通算つうさん成績せいせき
得点とくてん 10,713 (8.3 ppg)
リバウンド 2,658 (2.1 rpg)
アシスト 3,804 (3.0 apg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com

デレック・ラマー・フィッシャーDerek Lamar Fisher, 1974ねん8がつ9にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくアーカンソーしゅうリトルロック出身しゅっしんもとプロバスケットボール選手せんしゅ指導しどうしゃ。。ポジションポイントガードだい13だいNBA選手せんしゅかい会長かいちょう[1]現役げんえき時代じだいおもロサンゼルス・レイカーズなどで活躍かつやくし、NBAファイナルで5かい優勝ゆうしょうし、プレーオフ通算つうさん161しょう歴代れきだい1[2]デレク・フィッシャー表記ひょうきされることもある[3]

経歴けいれき

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ロサンゼルス・レイカーズ

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アーカンソー大学だいがくリトルロックこうでプレーしたのち1996ねんのNBAドラフトロサンゼルス・レイカーズから1じゅん24指名しめいけてNBA[4]新人しんじん時代じだいの1試合しあい平均へいきん出場しゅつじょう時間じかんは11.5ふんまり、平均へいきん得点とくてんわずか3.9得点とくてんわり、以降いこうすうシーズンはひか選手せんしゅとしての生活せいかつつづいた。そのあいだチームは大黒柱だいこくばしらシャキール・オニールくわえ、コービー・ブライアント獲得かくとく名将めいしょうフィル・ジャクソン招聘しょうへいてリーグ屈指くっし強豪きょうごうとなり、2000ねんには優勝ゆうしょうたした。よく2000-2001シーズン、フィッシャーは右足みぎあし骨折こっせつ開幕かいまくから60ゲームを欠場けつじょうしてしまうが、シーズン終盤しゅうばん復帰ふっきすると、のこり20ゲームすべてで先発せんぱつ起用きようされ、プレーオフでは1試合しあい平均へいきん13.4得点とくてんげてチームの連覇れんぱ貢献こうけんした。よく2001-2002シーズンにはチーム3番目ばんめとなる平均へいきん11.2得点とくてん、3ポイントシュート成功せいこうりつは4わりえた。チームは3連覇れんぱ達成たっせいし、フィッシャーはレイカーズ時代じだいけい3つのチャンピオンリングをれることになった[5]よく2002-2003シーズンのプレーオフはカンファレンスセミファイルでサンアントニオ・スパーズやぶれるが、プレーオフ期間きかんちゅうフィールドゴール成功せいこうりつで52%というたか数字すうじのこしていた[6]

よく2003-2004シーズンにレイカーズはゲイリー・ペイトン獲得かくとく、フィッシャーは大物おおものポイントガードに先発せんぱつゆずった。プレーオフのカンファレンス準決勝じゅんけっしょうではふたたびスパーズと対戦たいせんしたが、おたがい2しょうずつした状況じょうきょうでのだい5せんにおいて、フィッシャーのキャリアでのベストショットがまれた。スパーズのエース、ティム・ダンカンむずかしい体勢たいせいからのフェイダウェイショットをめられ、のこり0.4びょうで73-72とリードされた。レイカーズは、3のタイムアウトのはさんだのち、ペイトンからのインバウンドパスで、ラストショットをフィッシャーにたくした。わずか0.4びょうあいだにボールをけ、きざまにはなたれたボールは、試合しあい終了しゅうりょうのブザーととも見事みごとバスケットにおさまり、レイカーズにだい逆転ぎゃくてん勝利しょうりをもたらした[7]。そのレイカーズはファイナルまで進出しんしゅつするが、デトロイト・ピストンズに1しょう4はいやぶれた。このシーズンを最後さいごにシャキール・オニール中心ちゅうしんのレイカーズは解体かいたいされ、フィッシャーはゴールデンステート・ウォリアーズ移籍いせきした[7]

ゴールデンステート・ウォリアーズ

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ウォーリアーズでは優勝ゆうしょう経験けいけんつベテランとしての役割やくわりもとめられるなか、チームはスターポイントガードのバロン・デイビス獲得かくとく、バックアップにまわり、2004-05シーズンは32試合しあい、2005-06シーズンは36試合しあい先発せんぱつ出場しゅつじょう、2005-06シーズンの平均へいきん13.3得点とくてんはキャリアハイであった。ウォーリアーズでは2シーズンプレーしたのち2006ねんユタ・ジャズ移籍いせきした[7]。11月にフィッシャーはNBA選手せんしゅかい会長かいちょう就任しゅうにん。このとし変更へんこうされた公式こうしきボールにたい選手せんしゅあいだから不満ふまん噴出ふんしゅつしたさいには、ボールを以前いぜんのものにもどすよう協会きょうかいはたらきかけ、それに成功せいこうしている。

ユタ・ジャズ

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新天地しんてんちのジャズでシューティングガードとしての起用きようえたフィッシャーは、新進しんしん気鋭きえいのポイントガードデロン・ウィリアムスみ、チームの4ねんぶりのプレーオフ進出しんしゅつ貢献こうけんした。チームは1回戦かいせんヒューストン・ロケッツやぶり、カンファレンスセミファイナルにまでこますすめるが、しかしフィッシャーは網膜もうまく細胞腫さいぼうしゅ診断しんだんされたむすめ手術しゅじゅつうために、チームをはなれなければならない状況じょうきょういやられた。古巣ふるすのウォーリアーズとの初戦しょせん欠場けつじょうしたフィッシャーはニューヨークむすめ手術しゅじゅつ成功せいこう確認かくにんしたのち飛行機ひこうきソルトレイクシティかい、すでにだい2せん前半ぜんはんえたエナジーソリューションズ・アリーナへといそいだ。フィッシャーをいたジャズはウィリアムズとディー・ブラウンしかポイントガードをつとめられる選手せんしゅがいなかったが、ウィリアムズはファウルトラブルにおちいり、ブラウンはチームメイトとの衝突しょうとつ怪我けがい、すでにコートからっていた。この非常ひじょう事態じたいなか場内じょうないにフィッシャーの到着とうちゃくつたえられる。フィッシャーはアップもしないままユニフォームに着替きがえて会場かいじょうはしった。観客かんきゃく総立そうだちでむかえるなか、コートにったフィッシャーはいきなり2アシストでチームの危機ききすくうと、オーバータイムまでもつれた試合しあい終盤しゅうばんには貴重きちょうな3ポイントシュートとフリースロー2ほんめ、チームはだい2せんをものにした。フィッシャーが会場かいじょうあらわれた瞬間しゅんかんは、このとしのプレーオフでももっと印象深いんしょうぶかいシーンの1つとなった。だい4せん、シリーズをめただい6せん終盤しゅうばんでもフィッシャーは重要じゅうよう得点とくてんをあげ、チームを1998ねん以来いらいのカンファレンスファイナルにみちびいた。シーズン終了しゅうりょう、フィッシャーはむすめ治療ちりょう優先ゆうせんするためジャズに退団たいだんもうれ、ジャズもこれをれた[7]。フィッシャーは医療いりょう施設しせつ充実じゅうじつしている大都市だいとしでのプレーをもとめ、ロサンゼルス本拠地ほんきょちくレイカーズに3ねん1400まんドルという契約けいやく内容ないようで4シーズンぶりに復帰ふっきした[8]。ちなみにジャズとののこ契約けいやくは3ねん2060まんドルだった。

ロサンゼルス・レイカーズへの復帰ふっき

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王朝おうちょうチームが解体かいたいされて以降いこうのレイカーズは、コービー・ブライアントのワンマンチームとなってしまい[5]、プレーオフでは苦戦くせんいられていた。2007-08シーズンふくは、コービーのきパートナーとしてプレーし、3ポイントは40.6%とたか成功せいこうりつだった。レイカーズは開幕かいまくから好調こうちょうすべしをせ、さらにシーズン中盤ちゅうばんには優秀ゆうしゅうなビッグマン、パウ・ガソル獲得かくとくでレイカーズの戦力せんりょく大幅おおはば向上こうじょう一気いっき優勝ゆうしょう候補こうほへとかえき、プレーオフではファイナルまですすんだがセルティックスに2しょう4はいやぶれた[7]

よく2008-09シーズンもレイカーズのかい進撃しんげきまらず、レギュラーシーズンは65しょうをあげ、プレーオフもいて2ねん連続れんぞくでファイナルに進出しんしゅつした。チームは快調かいちょうながら、バックアップのジョーダン・ファーマー故障こしょう見舞みまわれたこともあり、シーズンをとおして疲労ひろうられ、また年齢ねんれいでのおとろえからとくにディフェンスでわか選手せんしゅ相手あいて苦労くろうする場面ばめんられた。王座おうざ奪回だっかい目指めざすレイカーズにおいて弱点じゃくてんになりかねないとまでわれたが、ファイナルだい4せんでは、試合しあい終盤しゅうばんに3てんビハインドの状況じょうきょうで、のこり4.6びょうにネルソンのうえから見事みごとに3Pシュートをめ、ゲームをオーバータイムにみ、チームを危機ききからすくうとともに2004ねんの0.4びょうショットの再現さいげん披露ひろうした。フィッシャーはオーバータイムでものこり31びょう重要じゅうよう場面ばめんで3Pシュートをめてチームを勝利しょうりみちびき、その勝負しょうぶつよさをおも存分ぞんぶん発揮はっきした。レイカーズはオーランド・マジックを4しょう1はいやぶ優勝ゆうしょう、4つのチャンピオンリングをれることになった[7]

2009-10シーズン、ぜん82試合しあい先発せんぱつ出場しゅつじょうし、平均へいきん7.5得点とくてん、2.1リバウンド、2.5アシスト、1.10スティールをあげた[4]。プレーオフ、カンファレンスセミファイナル、ユタ・ジャズとのゲーム3では、のこり28びょうで2てん場面ばめんで、3ポイントをめるなど、20得点とくてんうばって勝利しょうり貢献こうけんした[9]。NBAファイナルではボストン・セルティックスと対戦たいせんだい3せんでは、だい2せんでファイナルしん記録きろくとなる3ポイントシュート8ほん成功せいこうさせたレイ・アレンを、シュート13ほんちゅう0ほん成功せいこう、2得点とくてんおさえ、決勝けっしょうてんとなるレイアップシュートもめて勝利しょうり貢献こうけんした[10]。ファイナルだい7せんでも64-64と同点どうてん3ポイントシュートをめるなど4しょう3はいでの優勝ゆうしょう貢献こうけん、5のチャンピオンリングをれた[11]

2010-11シーズン、開幕かいまくまえにはフリーエージェントとなったが、レイカーズと3ねん契約けいやくむすんだ[9]ぜん82試合しあい先発せんぱつ出場しゅつじょうしたが、平均へいきん6.8得点とくてん成績せいせきとし批判ひはんびた[12]。12月8にちロサンゼルス・クリッパーズとの対戦たいせんではのこり0.1びょう決勝けっしょうのレイアップをめた[9]。チームはプレーオフ2回戦かいせんダラス・マーベリックスにスイープされてやぶれた[13]

2011ねんNBAオーナーがわによるロックアウトおこなわれたさいにはNBA選手せんしゅ協会きょうかい会長かいちょうとして交渉こうしょうつづけた[12]。 2011-12シーズン、1がつ17にちダラス・マーベリックスせんでは試合しあい終了しゅうりょう直前ちょくぜんにブザービーターをめ、レイカーズが勝利しょうりした[14]。2月15にち、ドラフト1じゅん指名しめいけんともジョーダン・ヒルとのトレードでヒューストン・ロケッツ移籍いせきした[15]本人ほんにん意向いこうにより、その1試合しあいもプレーせずに、3月19にちにロケッツとの契約けいやくをバイアウトした[16]

オクラホマシティ・サンダー

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3月21にちウェスタン・カンファレンス首位しゅいはしオクラホマシティ・サンダー契約けいやくむすんだ[17]移籍いせきはつのレイカーズホームの試合しあいでは、フィッシャーの過去かこめい場面ばめんがスクリーンにうつされ、ステイプルズ・センター観客かんきゃくからはスタンディングオベーションでむかえられた。プレーオフではスリーポイントやディフェンスでチームのファイナル進出しんしゅつ貢献こうけんしたが、ファイナルではマイアミ・ヒートまえに1しょう4はいやぶれた。

ダラス・マーベリックス

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2012ねん11月29にちダラス・マーベリックス移籍いせきし、先発せんぱつとしてプレーしたが、わずか9試合しあいのみに出場しゅつじょう。(マブスでの9試合しあいでは、レギュラーシーズンキャリアハイの43.5%のスリーポイント成功せいこうりつ記録きろくした[18]。)その、12月にマーベリックスに契約けいやく解除かいじょもとめ、フリーとなった。

オクラホマシティ・サンダー

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2がつにサンダーに加入かにゅう、プレーオフでは11試合しあいでプレー、47.1%のスリーポイント成功せいこうりつのこした。2013-14シーズン、1がつ30にちマイアミ・ヒートたたかえ、2がつ24にちロサンゼルス・クリッパーズとの対戦たいせんでそれぞれ5ほんのスリーポイントを成功せいこうさるなど、シーズンハイとなる15得点とくてんげた[19]。2014ねん5がつ31にちのプレーオフカンファレンスファイナル、スパーズとのだい6せんでは32分間ふんかんプレー、チームはスパーズのまえやぶれ、その試合しあいがラストゲームとなった。

ヘッドコーチ

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ニューヨーク・ニックス

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2014ねん6がつ9にち、かつて5のチャンピオンにかがやいたフィル・ジャクソンまねきでニューヨーク・ニックスのヘッドコーチとして、5ねん2500まんドルの契約けいやくわした[20]。しかし、ヘッドコーチ1ねんは、チームにトライアングル・オフェンスけることが出来できず、2014-15シーズンは17しょう65はいわり、15-16シーズンもふるわず、2016ねん2がつ8にち解任かいにんされた[21]

個人こじん成績せいせき

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略称りゃくしょう説明せつめい
  GP 出場しゅつじょう試合しあいすう   GS  先発せんぱつ出場しゅつじょう試合しあいすう  MPG  平均へいきん出場しゅつじょう時間じかん
 FG%  フィールドゴール成功せいこうりつ  3P%  スリーポイント成功せいこうりつ  FT%  フリースロー成功せいこうりつ
 RPG  平均へいきんリバウンドかず  APG  平均へいきんアシストかず  SPG  平均へいきんスティールかず
 BPG  平均へいきんブロックかず   TO  平均へいきんターンオーバーかず  PPG  平均へいきん得点とくてん
 太字ふとじ  キャリアハイ  *  リーグリーダー  †  優勝ゆうしょうシーズン

レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1996–97 LAL 80 3 11.5 .397 .301 .658 1.2 1.5 .5 .1 .9 3.9
1997–98 82 36 21.5 .434 .383 .757 2.4 4.1 .9 .1 1.5 5.8
1998–99 50 21 22.6 .376 .392 .759 1.8 3.9 1.2 .0 1.5 5.9
1999–2000 78 22 23.1 .346 .313 .724 1.8 2.8 1.0 .0 1.0 6.3
2000–01 20 20 35.5 .412 .397 .806 3.0 4.4 2.0 .1 1.5 11.5
2001–02 70 35 28.2 .411 .413 .847 2.1 2.6 .9 .1 .9 11.2
2002–03 82 82 34.5 .437 .401 .800 2.9 3.6 1.1 .2 1.1 10.5
2003–04 82 3 21.6 .352 .291 .797 1.9 2.3 1.3 .0 1.0 7.1
2004–05 GSW 74 32 30.0 .393 .371 .862 2.9 4.1 1.0 .1 1.7 11.9
2005–06 82 36 31.6 .410 .397 .833 2.6 4.3 1.5 .1 1.9 13.3
2006–07 UTA 82 61 27.9 .382 .308 .853 1.8 3.3 1.0 .1 1.5 10.1
2007–08 LAL 82 82 27.4 .436 .406 .883 2.1 2.9 1.0 .0 1.1 11.7
2008–09 82 82 29.8 .424 .397 .846 2.3 3.2 1.2 .1 .9 9.9
2009–10 82 82 27.2 .380 .348 .856 2.1 2.5 1.1 .1 1.0 7.5
2010–11 82 82 28.0 .389 .396 .806 1.9 2.7 1.2 .1 .9 6.8
2011–12 43 43 25.6 .383 .324 .830 2.1 3.3 .9 .1 1.3 5.9
OKC 20 0 20.4 .343 .314 .929 1.5 1.4 .6 .1 .8 4.9
2011-12けい 63 43 23.9 .371 .321 .851 1.9 2.7 .8 .1 1.2 5.6
2012–13 DAL 9 9 25.4 .354 .435 .913 1.7 3.4 .6 .2 2.0 8.6
OKC 24 0 24.4 .344 .351 .933 .8 .7 .6 .0 .5 4.1
2012-13けい 33 9 17.4 .342 .375 .921 1.1 1.4 .6 .1 .9 5.3
2013–14 81 0 17.6 .391 .384 .775 1.5 1.4 .9 .0 .6 5.2
通算つうさん:18ねん 1287 731 25.4 .399 .374 .817 2.1 3.0 1.1 .1 1.1 8.3

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1997 LAL 6 0 5.7 .273 .000 .667 .5 1.0 .2 .0 1.0 1.3
1998 13 13 21.4 .397 .300 .621 1.9 3.8 1.3 .0 1.2 6.0
1999 8 8 29.8 .418 .345 .800 3.6 4.9 1.0 .0 1.4 9.8
2000 21 0 15.3 .430 .414 .760 1.0 2.0 .5 .0 .4 4.7
2001 16 16 36.0 .484 .515 .765 3.8 3.0 1.3 .1 .8 13.4
2002 19 19 34.2 .357 .358 .786 3.3 2.7 1.0 .1 1.1 10.2
2003 12 12 35.3 .520 .617 .818 3.0 1.8 1.5 .1 1.5 12.8
2004 22 0 23.0 .405 .418 .657 2.5 2.2 .8 .0 .9 7.5
2007 UTA 16 14 27.8 .405 .375 .933 1.6 2.6 1.0 .1 1.2 9.5
2008 LAL 21 21 31.6 .452 .440 .836 2.2 2.5 2.0 .1 1.0 10.2
2009 22 22 28.9 .394 .284 .861 2.0 2.2 1.0 .0 1.1 8.0
2010 23 23 32.8 .448 .360 .821 2.5 2.8 1.2 .0 1.6 10.3
2011 10 10 32.5 .433 .412 .810 2.7 3.6 1.4 .2 .8 8.2
2012 OKC 20 0 22.3 .415 .375 1.000 1.6 1.3 .9 .1 .3 6.3
2013 11 0 23.7 .457 .471 .667 1.5 .7 .6 .1 .7 8.7
2014 19 0 15.7 .315 .293 1.000 1.7 .8 .7 .0 .3 3.8
出場しゅつじょう:16かい 259 158 26.5 .422 .399 .805 2.2 2.3 1.1 .1 .9 8.3

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 労使ろうし紛争ふんそう解決かいけつ奮闘ふんとうする“便利べんり”フィッシャー。~NBAの開幕かいまくおくれる可能かのうせいも~
  2. ^ NBAプレイオフ1回戦かいせんどころ:スパーズたいグリズリーズ”. NBA日本にっぽん公式こうしきサイト (2017ねん4がつ15にち). 2020ねん5がつ24にち閲覧えつらん
  3. ^ カーメロ・アンソニーがニックス残留ざんりゅう表明ひょうめい”. afpbb.com (2014ねん7がつ14にち). 2015ねん7がつ13にち閲覧えつらん
  4. ^ a b Derek Fisher Bio”. nba.com. 2012ねん3がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2012ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  5. ^ a b 青木あおきたかし (2008ねん11月13にち). “【NBAパワーチェック】ロサンゼルス レイカーズ”. J SPORTS. 2012ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  6. ^ DEREK FISHER stats postseason” (英語えいご). ESPN. March 25, 2024閲覧えつらん
  7. ^ a b c d e f ファイナルだい4せんプレビュー: コービー&フィッシャー” (2010ねん6がつ10日とおか). 2012ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  8. ^ L.A. Lakers Star Derek Fisher on How His Daughter's Rare Illness Changed His Life”. essence.com (2009ねん10がつ22にち). 2012ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  9. ^ a b c derek Fisher” (英語えいご). LA TIMES. March 25, 2024閲覧えつらん
  10. ^ D・フィッシャーの決勝けっしょうレイアップで、レイカーズがロードで勝利しょうり!!”. nba.co.jp (2010ねん6がつ9にち). 2012ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  11. ^ レイカーズが連覇れんぱ、チーム史上しじょう16度目どめ優勝ゆうしょう達成たっせい”. nba.co.jp (2010ねん6がつ18にち). 2012ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  12. ^ a b D・フィッシャー「みのりのある経験けいけんだった」”. nba.co.jp (2011ねん12月4にち). 2012ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  13. ^ LAL vs. DAL:レイカーズがチャンピオン、マブスにさくシーズンのりをかえす!”. nba.co.jp (2012ねん2がつ23にち). 2012ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  14. ^ Lakers 73-70 Mavericks Jan16 2012” (英語えいご). ESPN. March 25, 2024閲覧えつらん
  15. ^ トレード期限きげんの15にちおこなわれたトレードのまとめ”. nba.co.jp (2012ねん3がつ16にち). 2012ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  16. ^ D・フィッシャーがロケッツとの契約けいやくをバイアウト”. nba.co.jp (2012ねん3がつ20日はつか). 2012ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん
  17. ^ D・フィッシャーが6のリング獲得かくとく目指めざし、サンダーとサイン”. nba.co.jp (2012ねん3がつ22にち). 2012ねん3がつ24にち閲覧えつらん
  18. ^ Derek Fisher” (英語えいご). ESPN. March 25, 2024閲覧えつらん
  19. ^ Derek Fisher 2013-14” (英語えいご). ESPN. March 25, 2024閲覧えつらん
  20. ^ NBA.com--Jackson picks ex-player Fisher as Knicks' new coach
  21. ^ New York Knicks fire head coach Derek Fisher

外部がいぶリンク

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