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レイ・アレン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
レイ・アレン
Ray Allen
2016ねんのアレン
引退いんたい
ポジション SG
基本きほん情報じょうほう
愛称あいしょう RayRay, Sugar Ray
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
生年月日せいねんがっぴ (1975-07-20) 1975ねん7がつ20日はつか(49さい
出身しゅっしん カリフォルニアしゅうマーセド
身長しんちょう(現役げんえき) 196cm (6 ft 5 in)
体重たいじゅう(現役げんえき) 93kg (205 lb)
キャリア情報じょうほう
高校こうこう ヒルクレスト高等こうとう学校がっこう
大学だいがく コネチカット大学だいがく
NBAドラフト 1996ねん / 1じゅん / 全体ぜんたい5[1]
プロ選手せんしゅ期間きかん 1996ねん–2014ねん
背番号せばんごうれき 34, 20
経歴けいれき
1996-2003ミルウォーキー・バックス
2003-2007シアトル・スーパーソニックス
2007-2012ボストン・セルティックス
2012-2014マイアミ・ヒート
受賞じゅしょうれき
NBA通算つうさん成績せいせき
得点とくてんすう 24,505 (18.9 ppg)
リバウンドすう 5,272 (4.1 rpg)
アシストすう 4,361 (3.4 apg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
バスケットボール殿堂でんどう選手せんしゅ (詳細しょうさい)
代表だいひょうれき
キャップ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく 2000
獲得かくとくメダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
オリンピック
きむ 2000 シドニー バスケットボール

ウォルター・レイ・アレン・ジュニアWalter Ray Allen Jr. , 1975ねん7がつ20日はつか - )はカリフォルニアしゅうマーセド出身しゅっしんもとプロバスケットボール選手せんしゅ。ポジションはシューティングガードNBAミルウォーキー・バックスシアトル・スーパーソニックスボストン・セルティックスマイアミ・ヒート活躍かつやくした。NBA歴代れきだい屈指くっしの3ポイントシューターとしてられる[1]

経歴けいれき

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学生がくせい時代じだい

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ヒルクレスト高校こうこうではサウスカロライナしゅう優勝ゆうしょう卒業そつぎょうコネチカット大学だいがく進学しんがく。3年生ねんせいには、大学だいがくオールアメリカンの1stチームに選出せんしゅつ。さらにビッグイーストカンファレンス最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅえらばれた。

NBAキャリア

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ボストン・セルティックス時代じだいのアレン (2008ねん)

1996ねんのNBAドラフトにて、ミネソタ・ティンバーウルブズから1じゅん5指名しめいされる。そのすぐ、アンドリュー・ラング英語えいごばんともどうじゅん4指名しめいステフォン・マーブリーとの交換こうかんミルウォーキー・バックスへトレードで移籍いせきする。NBA1ねん平均へいきん13.4得点とくてん、4.0リバウンド、2.6アシストの成績せいせきでオールルーキー2ndチームに選出せんしゅつされる。そのとしのオールスターのイベント、スラムダンクコンテストにも出場しゅつじょうしている。

2000-01シーズンは、スリーポイントコンテスト優勝ゆうしょう。さらにプレーオフではバックスをひがし地区ちくカンファレンスファイナルみちびくも、絶好調ぜっこうちょうであったアレン・アイバーソンひきいるフィラデルフィア・セブンティシクサーズだい7せんまでもつれる激戦げきせんすえやぶれた。アレンは6ねんはんバックスに所属しょぞくした。

2002-03シーズン、バックスで47試合しあい出場しゅつじょうシーズン途中とちゅうで、ゲイリー・ペイトンひとしとのトレードにてシアトル・スーパーソニックス移籍いせきする。2004-05シーズンにはチームメートのラシャード・ルイスとも下馬評げばひょう退しりぞけ、チームをカンファレンスセミファイナルへとみちびき、オールNBAセカンドチームに選出せんしゅつされた。2005-06シーズン、アレンはソニックスと5ねん契約けいやく更新こうしんいち試合しあい平均へいきん25.1得点とくてん記録きろくしリーグを代表だいひょうするスコアラーへと成長せいちょうする。2007ねん1がつ12にちユタ・ジャズせんでは、キャリアハイとなる54得点とくてん記録きろく。しかしそのすぐ、怪我けがのためりょう足首あしくび手術しゅじゅつし2006-07シーズンをえた。

2007ねん6月28にち、アレンはグレン・デイビスとともにデロンテ・ウェストウォーリー・ザービアックジェフ・グリーンとのトレードでボストン・セルティックス移籍いせきした[2]どう時期じき移籍いせきしたケビン・ガーネット、セルティックスきのポール・ピアースらとともビッグスリー一員いちいんとしてチームのかい進撃しんげきささえる。レギュラーシーズンを1け、プレーオフでは極度きょくど不振ふしんおちいるも数字すうじのこらないめんでチームをささえ、2しょう2はいむかえたデトロイト・ピストンズとのカンファレンスファイナルだい5せんでは29得点とくてんげるなど完全かんぜん復調ふくちょう。ピストンズを4しょう2はい退しりぞけ、アレンにとってはじめての舞台ぶたいであるNBAファイナルへと進出しんしゅつした。下馬評げばひょうでは激戦げきせん西にし地区ちく順当じゅんとうがってきたロサンゼルス・レイカーズ有利ゆうりこえおおかったが、セルティックスはまえのディフェンスりょくをいかんなく発揮はっきし、レイカーズを4しょう2はいくだしセルティックスにとって22ねんぶりの、そしてアレンにとって悲願ひがん優勝ゆうしょうげた。アレンはファイナル6試合しあい平均へいきん20.3得点とくてん、FG50.7%、3ポイントシュートは42ほんちゅう22ほん成功せいこうと52.4%を記録きろくしてピアースとともにチームのオフェンスをリードし、ディフェンスでもアレンと同期どうきであるレイカーズのエース、コービー・ブライアントとマッチアップし、こうディフェンスを披露ひろうしてチームにおおきく貢献こうけんした。だい6せんでは、NBAファイナルのタイ記録たいきろくとなる7ほんの3ポイントシュートをめた。

2008-09シーズン、セルティックスは昨年さくねん同様どうよう好調こうちょうなスタートをり、シーズン途中とちゅうにチーム歴代れきだい最高さいこうとなる19連勝れんしょうをマークする。しかし、主力しゅりょくのケビン・ガーネット、ひかえのトニー・アレンブライアン・スカラブリニらが相次あいついで故障こしょう離脱りだつ、チームは終盤しゅうばん成績せいせきとし最終さいしゅうてきにカンファレンス2でプレーオフに進出しんしゅつめた。アレンはシーズンちゅう好調こうちょう維持いじつづけ、キャリアハイタイのFG成功せいこうりつ48.0%を記録きろく、FT成功せいこうりつはキャリアハイとなる95.2%を記録きろくし、ゲーム終盤しゅうばんでの勝負しょうぶつよいシュートなどでチームに貢献こうけんした。プレーオフ1回戦かいせんだい6せんではプレーオフ自己じこ最高さいこうとなる51得点とくてんたたした。しかし、つづくカンファレンス準決勝じゅんけっしょうでは疲労ひろう蓄積ちくせきもあってか1回戦かいせん活躍かつやくうそのように精彩せいさいき、チームもだい7せんまでんだものの敗退はいたいした。

2009-10シーズン、アレンはシーズンちゅうこう不調ふちょうなみはげしく、トレード期限きげんちかくになるとトレードのうわさかれるようになった。しかしチームはアレンをトレードするようなことはなく使つかつづけた。すると終盤しゅうばんかるにつれて徐々じょじょ調子ちょうしげ、カンファレンス4進出しんしゅつめたプレーオフでは安定あんていした活躍かつやくせ、下馬評げばひょうくつがえすファイナル進出しんしゅつおおきく貢献こうけんした。ファイナルだい2せんでは8ほんの3Pをめ、2ねんまえのファイナルだい6せんみずからが記録きろくした1試合しあい7ほんの3Pというタイ記録たいきろくしん記録きろく樹立じゅりつした。しかしつづだい3せんでは2せんうそのようにシュートがまらず、チームも7せんまでむもののレイカーズにやぶれてしまう。天国てんごく地獄じごくあじわったシーズンとなった。

2010-11シーズン、序盤じょばんから安定あんていしたはたらきをせたアレンは3Pを次々つぎつぎめていく。そして2がつ10日とおかのホームゲームたいレイカーズせんでついに3P通算つうさん成功せいこうすうでNBA歴代れきだい1へとのぼめた。この試合しあいいままで1記録きろくっていたレジー・ミラー解説かいせつせきすわっており、記録きろく達成たっせいしたアレンと抱擁ほうよう祝福しゅくふくした。シーズン終盤しゅうばんにややつかれがえたか調子ちょうしとしたものの、最終さいしゅうてきにシーズンFG%49.1%、3P&44.4%はいずれも35さいにしてキャリアハイの成績せいせきであった。チームはカンファレンス3でプレーオフにすすみ、アレンはPOでも56ほんちゅう32ほんのスリーをしずめるなど好調こうちょう維持いじつづけた。しかし怪我けがやトレードでうしなったインサイドのこま不足ふそく解消かいしょうすることはできず、チームはセミファイナルでマイアミ・ヒートやぶれた。

2011-12シーズン終了しゅうりょう、セルティックスとさい契約けいやくせず、マイアミ・ヒートとの契約けいやく合意ごういして移籍いせきまった。

2012-13シーズンファイナルだい6せんたいサンアントニオ・スパーズせんにおいて、だい4クォーターのこり5びょう、92たい95で3てんビハインド、スパーズの優勝ゆうしょう目前もくぜんというシーン。レブロン・ジェームズがはなった3ポイントシュートがはずれ、クリス・ボッシュがオフェンス・リバウンドをもぎとる。同時どうじにリバウンドにはいっていたアレンがすかさずバックステップしながらボッシュからのパスをもらい、コーナーから起死回生きしかいせいの3ポイントシュートをめる95たい95のタイスコアになり、オーバータイムに突入とつにゅう。そのオーバータイムのこり1.9びょう、101たい100の1てんリードでマヌ・ジノビリのドライブをめ、ルーズボールをキープし、ティム・ダンカンからファウルをもらう。このファウルからボーナススローとなり、アレンは2ほんともめ、最終さいしゅうスコア103たい100で勝利しょうり優勝ゆうしょうへののぞみをつないだ。 ファイナルだい7せん、アレンは調子ちょうしがらず得点とくてんわったが、このはレブロンやシュートタッチのシェーン・バティエへのアシストやくにまわり(けい4アシスト・すべて3ポイントシュート)、得点とくてん献上けんじょう途中とちゅうでベンチにがったが、チームは見事みごと2ねん連続れんぞく3かい優勝ゆうしょうたした。「(チャンピオン)リングをるためにマイアミにた」のコメントのとおり、見事みごとゆうげん実行じっこうたした。

2013-14シーズンもヒートはイースタンカンファレンスをせいし、ファイナルはサンアントニオ・スパーズとの再戦さいせんとなったが、1しょう4はいとリベンジけをきっした。 そして、シーズン終了しゅうりょうレブロン・ジェームズクリーブランド・キャバリアーズ復帰ふっきし、シェーン・バティエ引退いんたい表明ひょうめいするなど、チームの再編さいへんおこなわれるなか、アレンもヒートと決別けつべつフリーエージェントとなったアレンに、レブロンが復帰ふっきしたクリーブランド・キャバリアーズはじめ、ファイナルで苦杯くはいめたサンアントニオ・スパーズシカゴ・ブルズダラス・マーベリックスロサンゼルス・クリッパーズワシントン・ウィザーズ古巣ふるすミルウォーキー・バックスなどが、アレンの獲得かくとくし、シーズンにはいってからもゴールデンステート・ウォリアーズメンフィス・グリズリーズなどがアレンとの契約けいやく興味きょうみしめし、レブロンもキャブスりをすすめたが、契約けいやくまでにはいたらず、2015ねん3がつ4にちに、2014-15シーズンはプレーしないと表明ひょうめい引退いんたいについてはアレン本人ほんにん否定ひていし、あくまでも優勝ゆうしょうねらえるチームでの復帰ふっき目指めざすとしていた[3] ものの、結局けっきょく所属しょぞくチームをつけられず、2016ねん11月1にち正式せいしき引退いんたい表明ひょうめいした[4][5][6][7][8][9]

引退いんたい

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引退いんたいマイアミ市内しないでレストランを経営けいえい。2018ねん3がつ31にちバスケットボール殿堂でんどうりが発表はっぴょうされた[10]

プレースタイル

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NBAなかでも、傑出けっしゅつしたピュアシューター一人ひとり。リーグ屈指くっしの3Pシューターである[11]

味方みかたのスクリーンを使つかって素早すばやくスペースにはしみ、そこからお手本てほんのようなうつくしいシュートフォームでジャンパーをしずめる。パスをレシーブしてからシュートリリースまでの一連いちれん動作どうさ異常いじょうはやさでおこなわれるため、サイズで上回うわまわるマッチアップマンであってもブロックすることはきわめて困難こんなんであり、その姿すがたレジー・ミラーおもわせる。シュートセレクションがく、闇雲やみくもにシュートを乱発らんぱつすることはなく[12]、シーズン成功せいこうすうは3シーズンで1になっている。正確せいかく無比むひな3Pシュートにばかりきがちだが、ガードとしての総合そうごう能力のうりょく非常ひじょうたかく、ボールハンドリングにもすぐれる。高速こうそくドライブで得点とくてんかさねるだけでなく、アシストもおおめるすぐれたパサーである。運動うんどう能力のうりょくたかく、高度こうどなダンクやわざありのダブルクラッチもめることができる。たか身体しんたい能力のうりょく技術ぎじゅつちながら、身体しんたい能力のうりょくたよるばかりのプレーや、みずからの得点とくてん固執こしつすることはきわめてすくなく、個人技こじんぎ強行きょうこうすることはない。元々もともとは、リーグ有数ゆうすうのスコアラーであった。スーパーソニックス時代じだいには、1試合しあい平均へいきん25得点とくてんげてチームのエースとして活躍かつやくしていたが、チーム状況じょうきょうにより、まさしくはスコアラーとして活躍かつやくせざるをなかった。セルティックス移籍いせきは、協調きょうちょうせいおもんじるようになった。派手はでなプレーで観衆かんしゅうかせるタイプの選手せんしゅではないために、過小かしょう評価ひょうかされているきらいがあるが、リーグ屈指くっしクラッチシューターであり、僅差きんさ試合しあい終盤しゅうばんでは無類むるい勝負しょうぶつよさをせる。幾度いくどとなくビッグショットをしずめ、チームの危機ききすくっている。また、こうかくりつフリースローめられる選手せんしゅであるため、テクニカル・ファウルのワンスローや、試合しあい終盤しゅうばんのファウル・ゲームなどのボーナススローは、アレンが担当たんとうすることがおおい。フリースローでは、シュートをはなまえかなら右手みぎてのみでシュートをイメージするルーティンをおこなう。

個人こじん成績せいせき

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略称りゃくしょう説明せつめい
  GP 出場しゅつじょう試合しあいすう   GS  先発せんぱつ出場しゅつじょう試合しあいすう  MPG  平均へいきん出場しゅつじょう時間じかん
 FG%  フィールドゴール成功せいこうりつ  3P%  スリーポイント成功せいこうりつ  FT%  フリースロー成功せいこうりつ
 RPG  平均へいきんリバウンドかず  APG  平均へいきんアシストかず  SPG  平均へいきんスティールかず
 BPG  平均へいきんブロックかず  PPG  平均へいきん得点とくてん  太字ふとじ  キャリアハイ
  優勝ゆうしょうシーズン     リーグリーダー

レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1996–97 MIL 82 81 30.9 .430 .393 .823 4.0 2.6 .9 .1 1.8 13.4
1997–98 82 82 40.1 .428 .364 .875 4.9 4.3 1.4 .1 3.2 19.5
1998–99 50 50 34.4 .450 .356 .903 4.2 3.6 1.1 .1 2.4 17.1
1999–2000 82 82 37.4 .455 .423 .887 4.4 3.8 1.3 .2 2.2 22.1
2000–01 82 82 38.2 .480 .433 .888 5.2 4.6 1.5 .2 2.5 22.0
2001–02 69 67 36.6 .462 .434 .873 4.5 3.9 1.3 .3 2.3 21.8
2002–03 47 46 35.8 .437 .395 .913 4.6 3.5 1.2 .2 2.5 21.3
SEA 29 29 41.3 .441 .351 .920 5.6 5.9 1.6 .1 2.8 24.5
2002-2003けい 76 75 37.9 .439 .377 .916 5.0 4.4 1.4 .2 2.6 22.5
2003–04 56 56 38.4 .440 .392 .904 5.1 4.8 1.3 .2 2.8 23.0
2004–05 78 78 39.3 .428 .376 .883 4.4 3.7 1.1 .1 2.2 23.9
2005–06 78 78 38.7 .454 .412 .903 4.3 3.7 1.3 .2 2.4 25.1
2006–07 55 55 40.3 .438 .372 .903 4.5 4.1 1.5 .2 2.8 26.4
2007–08 BOS 73 73 35.9 .445 .398 .907 3.7 3.1 .9 .2 1.7 17.4
2008–09 79 79 36.4 .480 .409 .952 3.5 2.8 .9 .2 1.7 18.2
2009–10 80 80 35.2 .477 .363 .913 3.2 2.6 .8 .3 1.6 16.3
2010–11 80 80 36.1 .491 .444 .881 3.4 2.7 1.0 .2 1.5 16.5
2011–12 46 42 34.0 .458 .453 .915 3.1 2.4 1.1 .2 1.5 14.2
2012–13 MIA 79 0 25.8 .449 .419 .886 2.7 1.7 .8 .2 1.3 10.9
2013–14 73 9 26.5 .442 .375 .905 2.8 2.0 .7 .1 1.2 9.6
通算つうさん:18ねん 1300 1149 35.6 .452 .400 .894 4.1 3.4 1.1 .2 2.1 18.9
オールスター 10 0 20.1 .423 .310 .765 2.6 2.2 1.1 .2 1.3 14.5

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1999 MIL 3 3 40.0 .532 .474 .615 7.3 4.3 1.0 .3 3.7 22.3
2000 5 5 37.2 .444 .385 .909 6.6 2.6 1.6 .0 1.8 22.0
2001 18 18 42.7 .477 .479 .919 4.1 6.0 1.3 .6 2.4 25.1
2005 SEA 11 11 39.6 .474 .378 .889 4.3 3.9 1.3 .4 3.1 26.5
2008 BOS 26 26 38.0 .428 .396 .913 3.8 2.7 .9 .3 1.5 15.6
2009 14 14 40.4 .403 .350 .948 3.9 2.6 1.1 .4 1.8 18.3
2010 24 24 38.5 .431 .386 .863 3.3 2.6 .9 .1 1.5 16.1
2011 9 9 40.1 .523 .571 .960 3.8 2.4 1.2 .1 1.1 18.9
2012 18 10 34.2 .395 .304 .711 4.1 1.0 .9 .1 .9 10.7
2013 MIA 23 0 24.9 .430 .406 .870 2.8 1.3 .5 .1 1.2 10.2
2014 20 1 26.4 .413 .388 .919 3.4 1.6 .7 .2 1.2 9.3
出場しゅつじょう:11かい 171 121 35.5 .443 .401 .883 3.8 2.6 1.0 .2 1.6 16.1

実績じっせき

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かれはNBAでも数々かずかず成功せいこうおさめてきた。

  • 1997ねんオールNBAルーキーセカンドチーム選出せんしゅつ
  • オールスター出場しゅつじょう回数かいすう10かい(2000, 2001, 2002, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2011 ※2007, 2008, 2009は怪我人けがにん代替だいたい出場しゅつじょう
  • 2001ねんオールスター前夜祭ぜんやさいスリーポイントコンテスト優勝ゆうしょう
  • 2001ねんにオールNBAサードチーム、2005ねんにオールNBAセカンドチームに選出せんしゅつ
  • 2000ねんシドニーオリンピックアメリカ代表だいひょうとして出場しゅつじょうきんメダル獲得かくとく
  • 2003ねんNBAスポーツマンシップアワード受賞じゅしょう
  • 2005-06シーズン、3ポイントシュート成功せいこうすう269ほん当時とうじのNBA1シーズン最多さいた記録きろく(それまでの最多さいた記録きろくはデニス・スコットが1995-1996シーズンに記録きろくした267ほん、2012-13シーズンにステフィン・カリーが272ほんめアレンの記録きろく更新こうしん現在げんざい最多さいた記録きろくは2015-16シーズンのステフィン・カリーの402ほん

記録きろく

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NBAレギュラーシーズン

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  • 通算つうさん3ポイントシュート成功せいこうすう: 2,973(歴代れきだい2
  • 通算つうさん3ポイントシュートためしとうすう: 7,429(歴代れきだい1
  • 通算つうさん得点とくてん:24,505
  • 通算つうさんリバウンド:5,272
  • 通算つうさんアシスト:4,361
  • 通算つうさんスティール:1,451
  • 通算つうさんブロック:244
  • 通算つうさんトリプル・ダブル:3
  • 1試合しあい自己じこ最多さいた得点とくてん:54(2007ねん1がつ12にち[13]

NBAプレーオフ

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  • シリーズ6試合しあいでの3ポイントシュート成功せいこうすう: 22, セルティックス vs. レイカーズ, 2008 NBA Finals
  • シリーズ7試合しあいでの3ポイントシュート成功せいこうすう: 28, バックス vs. 76ers, 2001 Eastern Conference Finals
  • 1試合しあいでの3ポイントシュート成功せいこうすう: 9, (2かい
    • 9, バックス vs. 76ers, 6/1, 2001
    • 9, セルティックス vsブルス, 4/30, 2009 (3 OT)
  • 1試合しあいでの3ポイントシュートためしとうすう: 18, セルティックス vsブルス, 2009ねん4がつ30にち (3 OT)
  • 1試合しあい自己じこ最多さいた得点とくてん:51(2009ねん4がつ30にち[14]

NBAファイナル

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  • 1試合しあいでの3ポイントシュート成功せいこうすう: 8, セルティックスvsレイカーズ, 2010ねん6がつ6にち
  • ハーフでの3ポイントシュート成功せいこうすう: 7, 1stハーフ, セルティックスvsレイカーズs, 2010ねん6がつ6にち
  • クォーターでの3ポイントシュート成功せいこうすう: 5, 2ndクォーター, セルティックス at レイカーズ, 2010ねん6がつ6にち
  • シリーズ6試合しあいでの3ポイントシュートためしとうすう: 42, セルティックス vs.レイカーズ, 2008 NBAファイナル

NBAオールスターゲーム

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  • 通算つうさん3ポイントシュートためしとうすう: 0'0

ミルウォーキー・バックス記録きろく

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  • 連続れんぞく試合しあい出場しゅつじょう: 400, 11/1/96 - 12/20/01
  • 通算つうさん3ポイントシュート成功せいこうすう: 1,051
  • シーズン3ポイントシュート成功せいこうすう: 229 2001–02
  • 1試合しあいでの3ポイントシュート成功せいこうすう: 10, vs. ホーネッツ, 2002ねん4がつ14にち
  • ハーフでの3ポイントシュート成功せいこうすう: 8, セカンドハーフ, vs.ホーネッツ, 2002ねん4がつ14にち
  • シーズン3ポイントシュートためしとうすう: 528 2001–02
  • 1試合しあいでの3ポイントシュートためしとうすう: 17, vs. キャバリアーズ, 2002ねん12月9にち (2 OT)
  • 1試合しあいでの3ポイントシュートためしとうすう (レギュレーション): 100, (4かい

シアトル・スーパーソニックス記録きろく

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  • シーズン3ポイントシュート成功せいこうすう: 269 2005–06
  • シーズン3ポイントシュートためしとうすう: 653 2005–06

ボストン・セルティックス記録きろく

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  • シーズンフリースロー成功せいこうりつ: .952 (237/249) 2008–09
  • 連続れんぞくフリースロー成功せいこうすう: 72, 2008ねん12月25にち - 2009ねん2がつ23にち
  • シーズン3ポイントシュート成功せいこうりつ, 2011–12シーズン: .453 (106/234).

バスケットボール以外いがいでの出来事できごと

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  • スパイク・リー監督かんとく映画えいがラストゲーム」(原題げんだい:“He Got Game”)でじゅん主役しゅやくえんじ、デンゼル・ワシントンミラ・ジョボヴィッチらと共演きょうえんたしている。このとき役名やくめいから、“JESUS”というニックネームをつけられている。
  • 3にん子供こどもがいる(2なん1じょ長女ちょうじょ一番いちばん年上としうえ)。2008ねんファイナルのだい5せん当日とうじつ次男じなんのウォーカー・アレンが糖尿とうにょうびょうわずらっていることが発覚はっかくした。だい5せん終了しゅうりょうロサンゼルスの病院びょういん直行ちょっこうし、ウォーカーの生命せいめい危機ききだっしたことをると、ほぼ不眠ふみん不休ふきゅうだい6せん舞台ぶたいであるボストンへと急行きゅうこうし、上記じょうきしたパフォーマンスを披露ひろう優勝ゆうしょうった。そのアレンはウォーカーとおなじくおさなくして糖尿とうにょうびょうくるしむ子供こどもたちへの援助えんじょはじめた。
  • 07-08シーズン終了しゅうりょうのオフに学生がくせい時代じだいから交際こうさいしていた婚約こんやくしゃ結婚式けっこんしきおこなった。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ NBA & ABA Career Leaders and Records for 3-Pt Field Goals”. basketball-reference.com. 2015ねん9がつ27にち閲覧えつらん
  2. ^ Celtics Acquire Seven-Time All-Star Ray Allen from Sonics”. nba.com (2007ねん6がつ28にち). 2012ねん3がつ22にち閲覧えつらん
  3. ^ Ray Allen Hasn't Decided To Retire
  4. ^ Ray Allen officially retires from NBA with letter to younger self
  5. ^ Ray Allen retires, writes he is 'completely at peace with himself'
  6. ^ Ray Allen Formally Announces Retirement
  7. ^ Ray Allen Announces He Will Remain Retired
  8. ^ Ray Allen announces retirement
  9. ^ レイ・アレンが引退いんたい発表はっぴょう NBA JAPAN
  10. ^ Steve Nash, Jason Kidd, Grant Hill, Maurice Cheeks lead 2018 Naismith Hall of Fame class” (英語えいご). NBA.com (2018ねん3がつ31にち). 2018ねん4がつ1にち閲覧えつらん
  11. ^ Ray Allen's Top 10 Plays of Career
  12. ^ Ray Allen and Reggie Miller Setting a New Pace for Three-Pointers”. bleacherreport.com (2011ねん11月26にち). 2012ねん3がつ22にち閲覧えつらん
  13. ^ Utah Jazz at Seattle SuperSonics Box Score, January 12, 2007”. Basketball-Reference.com (2007ねん1がつ12にち). 2019ねん3がつ16にち閲覧えつらん
  14. ^ Boston Celtics at Chicago Bulls Box Score, April 30, 2009”. Basketball-Reference.com (2018ねん4がつ30にち). 2019ねん3がつ16にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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