(Translated by https://www.hiragana.jp/)
トリパラディソスの軍会 - Wikipedia コンテンツにスキップ

トリパラディソスのぐんかい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

トリパラディソスのぐんかい(トリパラディソスのぐんかい、Pacto de Triparadiso)は、紀元前きげんぜん321ねんシリアオロンテスがわちかくの都市としトリパラディソスにておこなわれたアレクサンドロス3せい大王だいおう)ののこしょうたち(ディアドコイ)の権力けんりょく分割ぶんかつ協定きょうていである。それは紀元前きげんぜん323ねん大王だいおう死後しごひらかれたバビロン会議かいぎでの決定けってい修正しゅうせいしたものであった。

背景はいけい

[編集へんしゅう]

紀元前きげんぜん323ねん大王だいおう死後しご王位おうい大王だいおう異母いぼ兄弟きょうだいピリッポス3せい大王だいおう遺児いじアレクサンドロス4せいいだ。しかしながら、ピリッポス3せい知的ちてき障害しょうがいち、大王だいおう死後しごまれたおさないアレクサンドロス4せい政治せいじることはできないため、ペルディッカス摂政せっしょう就任しゅうにんした。

実質じっしつてき帝国ていこくのナンバーワンとなったペルディッカスにたいしてかれ警戒けいかいしたアンティパトロスプトレマイオスクラテロスらのしょしょう対立たいりつし、やがて戦争せんそう状態じょうたいはいった。紀元前きげんぜん321ねんにペルディッカスはプトレマイオスのエジプトんだが、その途上とじょう部下ぶか将軍しょうぐんたちペイトンアンティゲネスセレウコス)により暗殺あんさつされた。そして、ペルディッカス死後しご帝国ていこく体制たいせいめるべく同年どうねんシリアのトリパラディソスにディアドコイが召集しょうしゅうされ、会議かいぎひらかれた。

決定けってい内容ないよう

[編集へんしゅう]

ここではバビロン会議かいぎにて決定けっていされた地位ちい太守たいしゅりょう再編さいへんおこなわれ、プトレマイオスは空席くうせきになった摂政せっしょうペイトンアリダイオスけようとしたが、ピリッポス3せいエウリュディケ2せいピリッポス2せいおいアミュンタス4せいとピリッポス2せいむすめキュナネ英語えいごばんむすめ)のつよ反対はんたいけ、摂政せっしょうにはアンティパトロスが就任しゅうにんした。エウリュディケ2せいはアンティパトロスにたいしても弾劾だんがい演説えんぜつおこない、自身じしん実権じっけんにぎることを目論もくろんだが、しょしょう支持しじけることは出来できず、これは失敗しっぱいした。

決定けってい事項じこうかんしてはコンスタンティノポリスそう主教しゅきょうフォティオス経由けいゆつたわっているアリアノス記述きじゅつと、ディオドロス記述きじゅつのこっている。バビロン会議かいぎ場合ばあいことなり、両者りょうしゃ史料しりょう内容ないように、おおきなちがいはい。[1]

しん役職やくしょく

[編集へんしゅう]

バビロン会議かいぎから変更へんこうされた役職やくしょくげる。

新任しんにんしゃ

[編集へんしゅう]

あたらしく太守たいしゅりょうた、または変更へんこうされたものたちげる。

留任りゅうにんしゃ

[編集へんしゅう]

バビロン会議かいぎからぞくしゅうりょうにほとんど変更へんこうがないものをここにげる。

  • パタラふくインダスがわ以降いこう国々くにぐに支配しはいしゃにはポロスが、ヒュダスペスがわあたりはタクシレスつづ就任しゅうにんした。これはアレクサンドロスにより領土りょうど安堵あんどされ、領土りょうどやしたポロス、タクシレスをすことが簡単かんたんでないという問題もんだい配慮はいりょしたためである。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ なおにトリパラディソスのぐんかいあつかった史料しりょうとしてポリュアイノスの『戦術せんじゅつしょ』(IVまきろくしょう(アンティゴノスでんよんせつ)があるが、決定けってい事項じこう記載きさい皆無かいむである。一方いっぽう、ユスティヌスの『地中海ちちゅうかい世界せかい』(XIIIまきはちせつ)では、アンティゴノスエウメネスをはじめとするペルディッカス残党ざんとう討伐とうばつ責任せきにんしゃ就任しゅうにんにしたことのみ言及げんきゅうしている。
  2. ^ アリアノス史料しりょうにのみしるされている。
  3. ^ かれはトリパラディソスぐんかい直前ちょくぜんペルディッカスによって、同地どうち太守たいしゅ任命にんめいされている。(ユスティヌス『地中海ちちゅうかい世界せかい』XIIIまきろくせつしたがって、留任りゅうにんともとれる。
  4. ^ デクシッポスの史料しりょうでは、バビロン会議かいぎでセレウコスがバビロニア太守たいしゅ任命にんめいされているが、ディオドロスとユスティヌスの史料しりょうではぜんぐんそう司令しれいかんであった。
  5. ^ ユニアヌス・ユスティヌス史料しりょうしたがうと、かれはバビロン会議かいぎから変更へんこういため、留任りゅうにんということになる。
  6. ^ デクシッポスの史料しりょうでは、バビロン会議かいぎでカルマニア太守たいしゅネオプトレモス就任しゅうにんしている。
  7. ^ ただしユスティヌスによればリュキアとパンヒュリアの前任ぜんにんしゃネアルコスである。

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
ごうばんまなぶ やく京都大学きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい<西洋せいよう古典こてん叢書そうしょ>、2004
  • ポリュアイノス『戦術せんじゅつしょ』 - だい4かん(ディアドコイ時代じだい戦術せんじゅつ
戸部とべ順一じゅんいちやく国文こくぶんしゃ<叢書そうしょアレクサンドリア図書館としょかん>、1999
  • Diodurus Siculus, The Library of History, XVIII~XIX.(Loeb Classical Library No.423 ,translated by Russel M.Geer, Cambridge, Mass)
  • アリアノスやデクシッポスについてはみぎのURLにもとづいた。[1]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]