トリパラディソスの軍 会
トリパラディソスの
背景
[決定 内容
[ここではバビロン
新 役職
[バビロン
摂政 にはアンティパトロスが就任 。千 人 隊長 (全 騎兵隊 長 )にはカッサンドロスが就任 (ディオドロスによればこの人事 はアンティゴノスが野心 を追求 しないようにするための目付 け役 としてである)。全権 将軍 (全 軍 総 司令 官 )にはアンティゴノスが就任 し、旧 ペルディッカス派 残党 討伐 を命 じられた。側近 護衛 官 にはアガトクレスの子 アウトリュコス、ペウケスタスの弟 アミュンタス、プトレマイオスの子 プトレマイオス、そしてポリュペルコンの子 アレクサンドロスが就任 。[2]
新任 者
[- ヘレスポントス・フリュギアはアリダイオスに。
- リュディアはクレイトスに。
- カッパドキアはニカノルに。
- バクトリアとソグディアナは スタサノルに。
- アレイアとドランギアナはスタサンドロスに。
- キリキアはフィロクセノスに。[3]
- メソポタミアとアルベラ
地方 はアンフィマコスに。 - スシアナは
銀 楯 隊 の指揮 官 アンティゲネスに。 - バビロニアはセレウコスに。[4]
- ペルシスはペウケスタスに。
- インドのパラパミソス
山 付近 (ガンダーラ)領 がペイトンに追加 された。 - パロパミソスはロクサネの
父 オクシュアルテスに追加 された。 - パルティアはピリッポスに。[5]
留任 者
[バビロン
- エジプト
一帯 はプトレマイオスに。 - シリアはラオメドンに。
- カルマニアはトレポレモスに。[6]
- メディアはペイトンに。
- アラコシアとゲドロシアはシビュルティオスに。
- カリアはアサンドロスに。
- フリュギア、リュカオニア、パンヒュリア、リュキアはアンティゴノスに[7]。
- パタラを
含 むインダス川 以降 の国々 の支配 者 にはポロスが、ヒュダスペス川 あたりはタクシレスが引 き続 き就任 した。これはアレクサンドロスにより領土 を安堵 され、領土 を増 やしたポロス、タクシレスを追 い出 すことが簡単 でないという問題 を配慮 したためである。
脚注
[- ^
尚 、他 にトリパラディソスの軍 会 を扱 った史料 としてポリュアイノスの『戦術 書 』(IV巻 六 章 (アンティゴノス伝 )四 節 )があるが、決定 事項 の記載 は皆無 である。一方 、ユスティヌスの『地中海 世界 史 』(XIII巻 八 節 )では、アンティゴノスがエウメネスをはじめとするペルディッカス残党 討伐 の責任 者 に就任 にしたことのみ言及 している。 - ^ アリアノス
史料 にのみ記 されている。 - ^
彼 はトリパラディソス軍 会 の直前 にペルディッカスによって、同地 太守 に任命 されている。(ユスティヌス『地中海 世界 史 』XIII巻 六 節 )従 って、留任 ともとれる。 - ^ デクシッポスの
史料 では、バビロン会議 時 でセレウコスがバビロニア太守 に任命 されているが、ディオドロスとユスティヌスの史料 では全 軍 総 司令 官 であった。 - ^ ユニアヌス・ユスティヌスの
史料 に従 うと、彼 はバビロン会議 から変更 が無 いため、留任 ということになる。 - ^ デクシッポスの
史料 では、バビロン会議 時 でカルマニア太守 にネオプトレモスが就任 している。 - ^ ただしユスティヌスによればリュキアとパンヒュリアの
前任 者 はネアルコスである。
参考 文献
[- ポンペイウス・トログス / ユスティヌス
抄録 『地中海 世界 史 』
- ポリュアイノス『
戦術 書 』 -第 4巻 (ディアドコイ時代 の戦術 )
戸部 順一 訳 、国文 社 <叢書 アレクサンドリア図書館 >、1999
- Diodurus Siculus, The Library of History, XVIII~XIX.(Loeb Classical Library No.423 ,translated by Russel M.Geer, Cambridge, Mass)
- アリアノスやデクシッポスについては
右 のURLに基 づいた。[1]