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トーク・トーク

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トーク・トーク
Talk Talk
出身しゅっしん イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル シンセポップ
ニューロマンティック
ニュー・ウェイヴ
アート・ロック
ポストロック
活動かつどう期間きかん 1981ねん - 1991ねん
レーベル EMIポリドール
共同きょうどう作業さぎょうしゃ .O.rangBark Psychosis
メンバー マーク・ホリス
リー・ハリス
きゅうメンバー サイモン・ブレナー
ポール・ウェッブ

トーク・トークTalk Talk)は、イギリス活動かつどうしていた音楽おんがくグループ。1981ねん結成けっせいされ、1991ねん解散かいさん。デビュー当初とうしょデュラン・デュランらにつうずるニューロマンティックシンセポップグループとして活動かつどうしていたが、キャリアをふかめるにつれバロック・ポップジャズアンビエントなどの様々さまざま要素ようそんだ独自どくじ音楽おんがくせい発揮はっきするようになる。最後さいごにリリースされた2まいのアルバム『スピリット・オブ・エデン』と『ラフィング・ストック』はたか評価ひょうかけており、エクスペリメンタル・ロックオルタナティヴ・ロックといったジャンル(とりわけポストロック)のバンドに今日きょうでもたか影響えいきょうりょくほこっている。

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

グループは当初とうしょニューロマンティックに分類ぶんるいされ、共通きょうつうてんおおさからよく比較ひかくされたのがデュラン・デュランだった(おな単語たんごをつなげたバンドめいロキシー・ミュージックからの影響えいきょうおな所属しょぞくレーベルプロデューサーコリン・サーストンなど)。1982ねんにデビューアルバム『パーティーズ・オーヴァー』をリリースしぜんえい21記録きろくするものの、オールミュージックをはじめとするプレスからの反応はんのうは「独創どくそうせいのないデュラン・デュランてきなニューロマンティック・シンセポップバンド[1]」などとひややかなものだった。1983ねん、シングル「My Foolish Friend」をリリースしたのちにキーボーディストのサイモンが脱退だったいし、サポートとしてティム・フリーズ・グリーンまねれ、同時どうじ作曲さっきょく、グループのプロデューサーぎょう担当たんとうするようになる。

1984ねん発表はっぴょうされた2ndアルバム『イッツ・マイ・ライフ』は前作ぜんさくよりも好意こういてきなレビューにむかえられ、なかでもどうアルバムからのシングル「Such a Shame」はオーストリアドイツイタリアスイスでトップ5を獲得かくとく、タイトルトラック「It's My Life」はアメリカカナダフランス、ドイツ、ニュージーランドオランダでトップ10りをたすなど、各国かっこく商業しょうぎょうてき成功せいこうおさめた。しかし本国ほんごくイギリスではどうシングルは最高さいこう49、アルバムは最高さいこう35にとどまるなど苦戦くせんいられていた。「It's My Life」はゲーム『Saints Row: The Third』に使用しようされている。

1986ねん、3rdアルバム『カラー・オブ・スプリング』を発表はっぴょう。それまでのシンセポップやニューロマンティックなどの路線ろせんから脱却だっきゃくはかり、オルガンハーモニカサキソフォンハープなどといった楽器がっき導入どうにゅうによりオーガニックなサウンドを獲得かくとくしたどうさくはグループ最高さいこうぜんえい8記録きろく。ヨーロッパ各国かっこくはもちろん、それ以外いがい地域ちいきでも[2]良好りょうこうなセールスを記録きろくした。

『カラー・オブ・スプリング』の商業しょうぎょうてき成功せいこうから、つぎのアルバムの費用ひようとスケジュールを十分じゅうぶん工面くめんできたグループは多数たすう外部がいぶのミュージシャンとのセッションが可能かのうになり、1988ねんに4thアルバム『スピリット・オブ・エデン』をリリースする。ほんさく長時間ちょうじかんおよ即興そっきょう演奏えんそうをホリスとフリーズ・グリーンが編集へんしゅうし、デジタル機器ききによりアレンジくわえられた結果けっかロックほかクラシックやジャズ、アンビエントなどの要素ようそふくんだ、前作ぜんさく以上いじょう実験じっけんてき様相ようそうていしている。プレスからはいままで以上いじょうたか評価ひょうかけ、アルバムはぜんえい19記録きろくしたが、グループはアルバムにともなうツアーはおこなわないと宣言せんげん

1990ねんにはそれまでのキャリアを総括そうかつするベスト・アルバム『ナチュラル・ヒストリー - ザ・ベリー・ベスト・オブ・トーク・トーク』をリリースし、ぜんえい3獲得かくとくぜん世界せかいで100まんまい以上いじょうげる最大さいだいのヒットとなる。どう時期じきにシングル「It's My Life」「Life's What You Make It」「Such a Shame」が再発さいはつされ、「It's My Life」はシングルで過去かこ最高さいこうぜんえい13記録きろく同年どうねんグループはポリドール・レコード契約けいやくむすぶがこのときにウェッブが脱退だったいし、オリジナルメンバーは2人ふたりだけとなる。1991ねんにラストアルバムとなる『ラフィング・ストック』をリリースする。前作ぜんさく『スピリット・オブ・エデン』以上いじょうミニマリスティックなジャズ、アンビエントてきサウンドを展開てんかいし、前作ぜんさく同様どうようプレスからのあつ支持しじあつめた。ぜんえい26翌年よくねんにグループは解散かいさんしている。

解散かいさん[編集へんしゅう]

ウェッブとハリスの二人ふたり解散かいさん.O.rangというユニットを結成けっせい1994ねん1996ねんに2まいのアルバムを発表はっぴょうしている。また、ウェッブは2002ねんにRustin Man名義めいぎポーティスヘッドのシンガーであるベス・ギボンズとのコラボレーションアルバム『アウト・オブ・シーズン』を発表はっぴょうしている。ハリスはBark Psychosisというポストロックバンドの2004ねんのアルバムCodename: Dustsuckerにドラマーとして参加さんかしている。ホリスは1998ねん自身じしん名前なまえかんした唯一ゆいいつのソロアルバム『マーク・ホリス』をリリース。後期こうきトーク・トークにつうずる静謐せいひつなサウンドをひびかせ、もなく音楽おんがく業界ぎょうかい引退いんたいしている(2012ねんべいテレビドラマ「BOSS」のサウンドトラックに14ねんぶりとなる新曲しんきょく発表はっぴょうする)。

2019ねん2がつ25にち、マーク・ホリス死去しきょ享年きょうねん64)[3]

後進こうしんへの影響えいきょう[編集へんしゅう]

中期ちゅうきから後期こうきいたるその独創どくそうてき音楽おんがくせいからアメリカのロックバンド、「スリント」とともポストロック草分くさわけとして名高なだかい。トーク・トークの影響えいきょうけたアーティストとしてモグワイなどのポストロック、ポーティスヘッド、DJシャドウなどのトリップ・ホップレディオヘッドデス・キャブ・フォー・キューティーアーケイド・ファイアなどのオルタナティヴ・ロックバンド[4]げられ、多方面たほうめんでの影響えいきょうりょくおおきさをうかがわせる。ほかにもシガー・ロスウィーザー自身じしんのライブでトーク・トークのきょくをカバーしている。

メンバー[編集へんしゅう]

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

スタジオ・アルバム[編集へんしゅう]

コンピレーション・アルバム[編集へんしゅう]

  • 『ナチュラル・ヒストリー - ザ・ベリー・ベスト・オブ・トーク・トーク』 - Natural History: The Very Best of Talk Talk (1990ねん)
  • History Revisited: The Remixes (1991ねん)
  • The Very Best of Talk Talk (1997ねん)
  • Asides Besides (1998ねん)
  • 12X12 Original Remixes (2000ねん)
  • The Collection (2000ねん)
  • Missing Pieces (2001ねん)
  • The Essential (2003ねん)
  • Introducing... (2003ねん)
  • Essential (2011ねん)
  • Natural Order (2013ねん)

ライブ・アルバム[編集へんしゅう]

  • London 1986 (1999ねん)
  • Live in Spain 1986 (2012ねん)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]