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ナホトカ号重油流出事故 - Wikipedia コンテンツにスキップ

ナホトカごう重油じゅうゆ流出りゅうしゅつ事故じこ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ナホトカごう重油じゅうゆ流出りゅうしゅつ事故じこ(ナホトカごうじゅうゆりゅうしゅつじこ)は、1997ねん平成へいせい9ねん1がつ2にち未明みめい島根しまねけん隠岐島おきのしまおき日本海にほんかい発生はっせいした重油じゅうゆ流出りゅうしゅつ事故じこである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ロシア船籍せんせきタンカー「ナホトカごう」(: Находка、13,157そうトン)は、1970ねんポーランドグダニスク建造けんぞうされた。寒冷かんれい航海こうかいえられるように、氷海ひょうかい仕様しようとなっている。船主せんしゅはプリモルスク海運かいうん会社かいしゃ (Primorsk Shipping Corporation, Prisco) で、同社どうしゃもとソ連それん国営こくえい企業きぎょうであったが、1994ねん民営みんえいされ、おもにタンカーを運行うんこうしていた。

当時とうじロシア船籍せんせきで10,000重量じゅうりょうトン以上いじょうのタンカーは51せき登録とうろくされており、うち48せきがハンディサイズタンカーとばれるタンカーで、けん用船ようせんが16せきあった。タンカーのうち26せき同社どうしゃのもので、すべてハンディサイズタンカーであった。また同社どうしゃは、ロシア最大手さいおおて海運かいうん会社かいしゃでもあった[注釈ちゅうしゃく 1]

1997ねん1がつ2にち午前ごぜん0船内せんない日本にっぽん標準時ひょうじゅんじ推定すいてい1にち23)3とう航海こうかい西風せいふう20メートル波高はこう4.5メートルを報告ほうこくしていた。その船内せんない2にち午前ごぜん2機関きかん出力しゅつりょく低下ていか操船そうせん困難こんなんしょうじ、3ごろだい音響おんきょうとともに船体せんたい亀裂きれつはいり、2ばんタンク付近ふきん船体せんたい分断ぶんだんすると同時どうじに、機関きかんしつ浸水しんすい発生はっせいした。メル・ニコブ・バレリー船長せんちょうは、午前ごぜん340ふん退すさふね決意けついし、31めい乗組のりくみいんれる日本海にほんかいを、すうせきいかだ救命きゅうめいボート分乗ぶんじょうした。なおバレリー船長せんちょうみずからの意思いし救助きゅうじょこばみ、後日ごじつ福井ふくい県内けんない遺体いたい発見はっけんされた[注釈ちゅうしゃく 1]

ナホトカごう暖房だんぼうようC重油じゅうゆやく19,000キロリットルみ、12月29にち上海しゃんはい出港しゅっこうペトロパブロフスク航行こうこうちゅうだった。その船体せんたい島根しまねけん近海きんかい浸水しんすいにより沈没ちんぼつし、分離ぶんりした船首せんしゅ部分ぶぶん漂流ひょうりゅうはじめた[注釈ちゅうしゃく 1]。なお、当時とうじ日本海にほんかいがわでは年末ねんまつ寒波かんぱ襲来しゅうらいし、台風たいふうみの強風きょうふうであった。そのため、釜山ぷさんおきでもタイ船籍せんせき貨物かもつせん座礁ざしょうし、乗組のりくみいん29めいうち5めい死亡しぼうしている[1]

想定そうていがい漂流ひょうりゅうルート[編集へんしゅう]

流出りゅうしゅつした大量たいりょう重油じゅうゆ船首せんしゅ当初とうしょ日本海にほんかい中央ちゅうおう対馬つしま海流かいりゅうり、きた東方とうほうながれると予想よそうされた。漂着ひょうちゃくまえ船首せんしゅ福井ふくいけんさんこく付近ふきんながくことを予想よそうしていたものすくなかった。6にちひるにも漂着ひょうちゃく兆候ちょうこうまったかった。だいはち管区かんく海上かいじょう保安ほあん本部ほんぶ現地げんち対策たいさく本部ほんぶちょうしょくでもそうした予測よそくはしていなかったし、漂着ひょうちゃくした7にち地元じもとまでが北陸ほくりくでの漂着ひょうちゃくしないむね予測よそく掲載けいさいしていた。後藤ごとうしん太郎たろう当時とうじ金沢工業大学かなざわこうぎょうだいがく助教授じょきょうじゅ)は風向かざむきによっては漂着ひょうちゃくすると予想よそうしたがその根拠こんきょ直感ちょっかんたよらざるをえなかった。しかしながら、1がつ当該とうがい海域かいいき平均へいきん海流かいりゅう調しらべてもりくきのベクトルはすくなく、これをもちいて重油じゅうゆ漂着ひょうちゃくシミュレーションをおこなった結果けっか漂着ひょうちゃくしないという結果けっかがでるのは自明じめいであり、その結果けっかけて「漂着ひょうちゃくしない」と新聞しんぶん報道ほうどうされたことが初動しょどう体制たいせい構築こうちくおくれをもたらした。合成ごうせい開口かいこうレーダで撮影さつえいされた重油じゅうゆかたまりのデータがあるにもかかわらず使用しようされなかった。事故じこアルゴスブイによる観測かんそくデータをたったところ現場げんば海域かいいき複雑ふくざつ海流かいりゅうながかたをしていたという[注釈ちゅうしゃく 2]

しかし、卓越たくえつした西風せいふうによる表面ひょうめんりゅう海流かいりゅう移動いどうりょくはるかに凌駕りょうがしており、最初さいしょ重油じゅうゆ漂着ひょうちゃくは1がつ7にち午前ごぜん3時半じはん福井ふくいけん坂井さかいぐん三国みくにまち当時とうじげん坂井さかい三国みくにまち安島あじま越前えちぜん加賀かが海岸かいがん国定こくてい公園こうえんうち海岸かいがんであり、つづいて島根しまねけんから石川いしかわけんにかけてのひろ範囲はんいにも重油じゅうゆ漂着ひょうちゃくした。なお、流出りゅうしゅつしたのは積載せきさいされていた重油じゅうゆ一部いちぶやく6,240キロリットルであった[注釈ちゅうしゃく 1]

あぶら回収かいしゅう作業さぎょう開始かいし[編集へんしゅう]

その海上かいじょうでは海上保安庁かいじょうほあんちょう(だいはち管区かんくだいきゅう管区かんく主体しゅたい)や海上かいじょう自衛隊じえいたいが、重油じゅうゆ漂着ひょうちゃくした海岸かいがんでは地元じもと住民じゅうみん航空こうくう自衛隊じえいたい輪島わじまぶんたむろ基地きち全国ぜんこく各地かくちからあつまったボランティア自衛隊じえいたいなどが回収かいしゅう作業さぎょうたった。石油せきゆ連盟れんめいは「ナホトカごう流出りゅうしゅつ防除ぼうじょ支援しえん対策たいさく本部ほんぶ」を設置せっちし、あぶら回収かいしゅう機材きざいしを実施じっしした[2][注釈ちゅうしゃく 1]

三国みくにまち漂着ひょうちゃく座礁ざしょうした船首せんしゅからはタンクないのこった重油じゅうゆ作業さぎょうおこなわれ、2がつ25にち完了かんりょうした。陸上りくじょうから船首せんしゅかって仮設かせつ道路どうろ突貫とっかん工事こうじ建設けんせつされたが、当初とうしょ躊躇ちゅうちょしていた洋上ようじょうからの回収かいしゅう作業さぎょう進展しんてんし、船舶せんぱくでの回収かいしゅう2800キロリットル、仮設かせつ道路どうろからの回収かいしゅう殿しんがりやくで381キロリットルであった[3]。この事故じこでガットせんによるあぶら回収かいしゅう有効ゆうこうせい確認かくにんされた。

初動しょどう問題もんだいてん[編集へんしゅう]

重油じゅうゆ海岸かいがん漂着ひょうちゃくしたのは1がつ7にちだが、それまで、日本国にっぽんこく政府せいふ関係かんけい省庁しょうちょうによる非常ひじょう災害さいがい対策たいさく本部ほんぶ設置せっちされなかった(はじめて設置せっちされたのは1がつ10日とおか)ことが、被害ひがい拡大かくだいさせたとの批判ひはんたかまった。原因げんいんとしては政府せいふ機関きかん連携れんけい体制たいせい不備ふびや、管轄かんかつ確定かくてい部分ぶぶんがあったことなどがげられている。また、北陸ほくりく地方ちほう沿岸えんがんかく府県ふけん市町村しちょうそんは、報道ほうどうてそれぞれ独自どくじ対策たいさく本部ほんぶ設置せっちしたものの、連携れんけいはできていなかった[注釈ちゅうしゃく 3]

ボランティア活動かつどう[編集へんしゅう]

ほん事故じこ対応たいおうとして、ボランティアによる人海じんかい戦術せんじゅつおおきく貢献こうけんしたが、あぶら漂着ひょうちゃくした場所ばしょおおくが岩場いわばであり、機械きかいりょくもちいた回収かいしゅう作業さぎょう困難こんなんであったためである。また、海上保安庁かいじょうほあんちょう日本にっぽんサルヴェージによる船首せんしゅ曳航えいこうや、あぶら回収かいしゅうせんによる対応たいおう検討けんとうされたが、てい気圧きあつによる時化しけのため断念だんねんされており、海上かいじょう対処たいしょすることができなかったという事情じじょうもある。

地元じもと住民じゅうみんくわえ、全国ぜんこく各地かくちからの個人こじん企業きぎょう各種かくしゅ団体だんたいから、のべ30まんにんともわれるボランティアが参加さんかして回収かいしゅう作業さぎょうおこなわれた。厳冬げんとうの1がつ事故じここったことで、うみからのつめたいふうれる海岸かいがんでの回収かいしゅう作業さぎょう過酷かこくきわめ、回収かいしゅう作業さぎょうたっていた地元じもと住民じゅうみんやボランティアのうち5めい過労かろうなどでくなるという被害ひがい発生はっせいした。このけん契機けいきに「ボランティア活動かつどうには危険きけんもつきまとう」という事実じじつ世間せけんられ、ボランティア活動かつどうおこなものたいして「ボランティア活動かつどう保険ほけん」への加入かにゅうすすめる活動かつどう積極せっきょくてきおこなわれるようになった[4]

また、ボランティア活動かつどうつぎのような課題かだいのこしている。まず、マスメディアによってさかんにほうじられたさんこくおきにボランティアが集中しゅうちゅうし、それ以外いがいの、能登半島のとはんとうから鳥取とっとりけんまでの広範囲こうはんいおよ海岸かいがん重油じゅうゆ漂着ひょうちゃくしていたものの、あまり注目ちゅうもくされなかった。そのため、さんこくおき以外いがい石川いしかわけん沿岸えんがん自治体じちたいでは、回収かいしゅう協力きょうりょくしたのは地元じもと住民じゅうみん、およびかれらによって組織そしきされた町内ちょうないかいPTAといった互助ごじょ組織そしき中心ちゅうしんであった。また、ボランティアが使用しようした重油じゅうゆ汚損おそんしたビニール合羽かっぱ大量たいりょうにゴミとして廃棄はいきされた。さらに、がわ住民じゅうみんがボランティアたちへの回収かいしゅうほう回収かいしゅう場所ばしょ教示きょうしなどに忙殺ぼうさつされて疲労ひろう困憊こんぱいし、ボランティアのれを一時いちじ中止ちゅうししなけなければならなくなった問題もんだい発生はっせいした[5]

風評ふうひょう被害ひがい[編集へんしゅう]

重油じゅうゆ流出りゅうしゅつ範囲はんい当時とうじ事前じぜん予想よそうより広範囲こうはんいおよんだことや、あぶらまみれで柄杓ひしゃく使つかって回収かいしゅうたる、自衛隊じえいたい海上保安庁かいじょうほあんちょう自治体じちたい職員しょくいん、ボランティアなどの姿すがたかえほうじられた。このため、日本海にほんかいさん海産物かいさんぶつたいする風評ふうひょう被害ひがい懸念けねんされ、行政ぎょうせいならびに漁業ぎょぎょう関係かんけいしゃがわとしてはその対応たいおうにもわれた。事故じこ当時とうじから現地げんちちか大学だいがく環境かんきょう専門せんもんなどが、調査ちょうさ研究けんきゅう開始かいししている。福井県立大学ふくいけんりつだいがくによれば重油じゅうゆおおふくまれる炭化たんか水素すいそ魚介ぎょかいるいあたえる影響えいきょうたまごやや幼生ようせいへの影響えいきょうおおきく、成体せいたいとはおおきくことなるとう。ただいちプラス材料ざいりょうとしてげられたのは流出りゅうしゅつしたC重油じゅうゆ比較的ひかくてき固化こかやす性質せいしつち、どう条件じょうけんであるならば拡散かくさん程度ていどあぶらるいよりひくてんである[6]

専門せんもんへの批判ひはん[編集へんしゅう]

当時とうじ現場げんば対策たいさくわれた自治体じちたいからは外野がいや専門せんもん自体じたいへの批判ひはんられる。

石川いしかわけん水産すいさん当時とうじ漁業ぎょぎょう被害ひがいへの関係かんけいから対応たいおう忙殺ぼうさつされた部署ぶしょのひとつであるが、本当ほんとう有効ゆうこう機能きのうしたのはとう時偶ときたま接続せつぞく回線かいせんもうけていたインターネット経由けいゆでもたらされたエクソンバルディーズごう原油げんゆ流出りゅうしゅつ事故じこ情報じょうほうで、留学りゅうがく経験けいけんのある職員しょくいん英語えいごげん情報じょうほう日本語にほんごやくし、「沿岸えんがん漂着ひょうちゃく回収かいしゅう指針ししん」の作成さくせい役立やくだてたとう。また、当時とうじ水産すいさんには10ねん以上いじょう異動いどうのないベテラン職員しょくいん複数ふくすうおり、彼等かれらはある対策たいさく実行じっこうするさい、どのような部署ぶしょなに要請ようせい連絡れんらくすればいのか、制度せいどてき仕組しくみを知悉ちしつしていた。海難かいなんのための訓練くんれんやしなった知識ちしきではなく、日常にちじょう業務ぎょうむ円滑えんかつにこなすために蓄積ちくせきされた経験けいけん集積しゅうせきであり、敷田しきだ麻美あさみはこうした職員しょくいんを「通常つうじょう行政ぎょうせいシステムを熟知じゅくちした専門せんもん」として重要じゅうようし、必要ひつようせまられたとはせん門外もんがい分野ぶんやまでコメントしていた「即席そくせき専門せんもんたちを「冷静れいせいさをいていた」などと批判ひはんしている。また、市町村しちょうそんにとっては海上かいじょう災害さいがい防止ぼうしセンター指示しじおくれがちで、一般いっぱん市民しみんからせられたあぶら回収かいしゅうのための「提案ていあん」も大半たいはんやくにたなかったと[注釈ちゅうしゃく 4]

政治せいじてき影響えいきょう[編集へんしゅう]

自由民主党じゆうみんしゅとう幹事かんじちょうもり喜朗よしろうは、1がつ10日とおか運輸省うんゆしょうおとずれて「だいはちだいきゅう管区かんく海上かいじょう保安ほあん本部ほんぶ所管しょかん範囲はんい境界きょうかい石川いしかわ福井ふくい県境けんきょうにあるため、海上かいじょう重油じゅうゆ処理しょり円滑えんかつすすめられていないのではないか」と広域こういきてき処理しょり活動かつどう要請ようせいした[7][注釈ちゅうしゃく 5]。1月23にちには首相しゅしょう橋本はしもとなどととも日本海にほんかいさん魚介ぎょかいるいのイメージ回復かいふくのため、報道陣ほうどうじんまえかにべてせた。これは、かん直人なおと厚生こうせい大臣だいじん時代じだいO157問題もんだいカイワレくえしたものにならったとされた[8]。また、1980年代ねんだい文部もんぶ大臣だいじん時分じぶんからボランティアを評価ひょうかするよう提言ていげんしていた[9]もり後日ごじつ内閣ないかく総理そうり大臣だいじんとき重油じゅうゆ回収かいしゅうたったボランティアを、だい149かい国会こっかい所信しょしん表明ひょうめい演説えんぜつ引用いんようしたほか、総理そうり大臣だいじん官邸かんていウェブサイトにても賞賛しょうさんしている[10][11]

なお、当時とうじ現場げんば問題もんだいとなった発言はつげん船主せんしゅ代理人だいりにんとして派遣はけんされた海外かいがい保険ほけん会社かいしゃのスタッフが「かしこ人間にんげんは、洋上ようじょうあぶら回収かいしゅうせずに、漂着ひょうちゃくしてから回収かいしゅうするものだ」と発言はつげん即座そくざだい8管区かんく高橋たかはし次長じちょう反論はんろんおこなうといったやりりであった。なお、アメリカでも日本にっぽんでも洋上ようじょう漂流ひょうりゅうするあぶらもっぱ監視かんしがメインの作業さぎょう漂着ひょうちゃく可能かのうせいのあるものだけを回収かいしゅうするというのが、本来ほんらいあぶら回収かいしゅうかんがかたとして常識じょうしきてき内容ないようであった[12]

はつわざわい当時とうじから事故じこ関係かんけい政治せいじ不祥事ふしょうじとして批判ひはんされていたのは、当時とうじ小松こまつちょうきた栄一郎えいいちろう事故じこ発生はっせいいつわりの理由りゆう休暇きゅうか取得しゅとくし、サイパンに海外かいがい旅行りょこうかけてしまったことだった。この責任せきにんきた市長しちょう辞任じにんし、後継こうけい市長しちょう選挙せんきょが1997ねん3がつ実施じっしされた。きたさい出馬しゅつばをしたものの、けん農水のうすい部長ぶちょうつとめていた西村にしむらとおる自民じみん新進しんしん社民しゃみん推薦すいせん)が当選とうせんした[13][注釈ちゅうしゃく 6]。なお、もり内閣ないかく総理そうり大臣だいじんとして指揮しきした4ねんえひめまる事故じこでゴルフをやって退陣たいじんまれた。

もり一川いちかわ保夫やすお当時とうじ新進党しんしんとう)など石川いしかわけん選出せんしゅつ国会こっかい議員ぎいんきた尻拭しりぬぐいをさせられる結果けっかとなり、西村にしむら当選とうせん挨拶あいさつまわりで両者りょうしゃまわっている[14]一川いちかわ奥田おくだ敬和けいわ秘書ひしょ出身しゅっしんであり、候補者こうほしゃ支援しえんめぐってのもりおく戦争せんそう一幕ひとまくというめんもあった。

損害そんがい賠償ばいしょう請求せいきゅう[編集へんしゅう]

この事故じこかんし、日本国にっぽんこく政府せいふ海上保安庁かいじょうほあんちょう防衛庁ぼうえいちょう国土こくど交通省こうつうしょう)および海上かいじょう災害さいがい防止ぼうしセンターは、重油じゅうゆ防除ぼうじょともなしょうじた損害そんがい賠償ばいしょうなどの支払しはらいをナホトカごう船主せんしゅなどにたいして1999ねん平成へいせい11ねん12月17にち東京とうきょう地方裁判所ちほうさいばんしょ提起ていきした。原告げんこく日本にっぽん政府せいふであり、被告ひこく船舶せんぱく所有しょゆうしゃ(プリスコ・トラフィック・リミテッド(ロシア))、船主せんしゅ責任せきにん保険ほけん組合くみあい(UKクラブ(英国えいこく))である。その2002ねん平成へいせい14ねん8がつ30にち和解わかい成立せいりつした。[15]

補償ほしょう金額きんがく下記かきのとおり:[16]

  • クレーム総額そうがく:358おくえん
  • 最終さいしゅう査定さてい:261おくえん
  • あぶらにご補償ほしょう2条約じょうやく[17]による補償ほしょう上限じょうげんがく:225おくえん
  • 和解わかいによる支払しはらいがく

上記じょうきのように、補償ほしょう上限じょうげんえて査定さていがく全額ぜんがく補償ほしょうされた。なお、2条約じょうやくによる補償ほしょう上限じょうげんは1996ねん5がつに、それまでの100おくえんから改正かいせい発効はっこうしたばかりであった。この事件じけんでの補償ほしょうがくがそれを上回うわまわって、当時とうじ歴代れきだい1になる高額こうがくとなったため、さらなる改正かいせい実施じっしされ、国際こくさい海事かいじ機関きかんは2000ねん10がつ補償ほしょう上限じょうげんを50%げる決定けっていをし、2003ねん11月に発効はっこうした。さらにIMOは2003ねん5がつ追加ついか基金ききん議定ぎていしょ採択さいたくし、2005ねん3がつ発効はっこうし、それまでの2条約じょうやくふくめて、補償ほしょう上限じょうげんやく1340おくえんとなっている。

なお、日本原子力発電にほんげんしりょくはつでん関西電力かんさいでんりょくおよび北陸電力ほくりくでんりょくも、個別こべつ損害そんがい賠償ばいしょう請求せいきゅう訴訟そしょう福井ふくい地方裁判所ちほうさいばんしょ提訴ていそしたようであるが[18]、そのについては不明ふめい

その対策たいさく[編集へんしゅう]

船体せんたいダブルハル対象たいしょう拡大かくだい[編集へんしゅう]

本船ほんせん船齢せんれい25ねんえる老朽ろうきゅうせんであり、船体せんたい構造こうぞう二重化にじゅうかした所謂いわゆるダブルハル構造こうぞうになっていなかった。この構造こうぞう標準ひょうじゅんさせるため、はつわざわい時点じてん国際こくさい海事かいじ機関きかん (IMO) はマルポール条約じょうやくにタンカーの船体せんたい構造こうぞうかんする規定きていもうけており、その規定きていでは1993ねん7がつ6にち以降いこう建造けんぞう契約けいやくする積載せきさいりょう5000トン以上いじょうのタンカー、や現存げんそんタンカーのうち積載せきさいりょう3まんトンをえるものについてはダブルハルとするように義務付ぎむづけていた。しかしながらナホトカごうはどちらの規定きていからもれていた。そのため、どう条約じょうやく改正かいせいが1999ねん11月のMPEC43で採択さいたくされ、このようなタンカーは25ねんはいせんとするように義務付ぎむづけされた。その、1999ねん12月、エリカごう事故じこ契機けいきに2001ねん4がつのMPEC46で、また2002ねん11月のプレスティージごう重油じゅうゆ流出りゅうしゅつ事故じこ英語えいごばんのため2003ねん12月のMPEC50にてダブルハル促進そくしんするための決議けつぎ相次あいついで採択さいたくされている。なお、条約じょうやく改正かいせいともな日本にっぽんこく国内こくないほう海洋かいよう汚染おせんとうおよ海上かいじょう災害さいがい防止ぼうしかんする法律ほうりつ海洋かいよう汚染おせん防止ぼうしほう)が改正かいせいされ、よせこうこくによる監督かんとく (Port State Control, PSC) も強化きょうかされた[注釈ちゅうしゃく 8]

防災ぼうさい基本きほん計画けいかくへの反映はんえい[編集へんしゅう]

上述じょうじゅつした指揮しき系統けいとう乱立らんりつ問題もんだいについては事件じけん関係かんけい機関きかんによる縦割たてわりの弊害へいがい改善かいぜんするため、中央ちゅうおう防災ぼうさい会議かいぎ事故じこの1997ねん6がつ3にち、タンカーからの重油じゅうゆ流出りゅうしゅつ事故じこでは警戒けいかい本部ほんぶ設置せっちするなどだい規模きぼ事故じこ災害さいがい対策たいさくんだ防災ぼうさい基本きほん計画けいかく改定かいてい正式せいしき決定けっていされた。この改定かいてい以前いぜん日本にっぽん政府せいふさだめた防災ぼうさい基本きほん計画けいかくには自然しぜん災害さいがいのみで人災じんさいふくまれていなかったが、この機会きかい人災じんさい包含ほうがんされた。また、1995ねん1がつ阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいとき指摘してきされたかく省庁しょうちょうごとにかれていた災害さいがい対策たいさくマニュアルも一本いっぽんはかられた[注釈ちゅうしゃく 3]

資機材しきざい整備せいび[編集へんしゅう]

事故じこ運輸うんゆ技術ぎじゅつ審議しんぎかいでの指摘してき事項じこう参考さんこうに、海上保安庁かいじょうほあんちょう下記かきのような機材きざい整備せいびはかった[注釈ちゅうしゃく 9]

  • こうねばたびあぶら対応たいおう回収かいしゅう装置そうち (LSC):10
  • 大型おおがた真空しんくうしきあぶら回収かいしゅう装置そうち:1
  • 外洋がいようがたオイルフェンス:3
  • こうねばたびあぶら回収かいしゅうネット:119しき
  • こうねばたびあぶら対応たいおう処理しょりざい(18 Lかん):4111かん
  • 自己じこ攪拌がたあぶら処理しょりざい(18 Lかん):540かん

その運輸省うんゆしょう港湾こうわんきょくあぶら回収かいしゅうせん3せき調達ちょうたつし、関門海峡かんもんかいきょうに「うみしょうまる」、名古屋なごやこうに「せいりゅうまる」、新潟港にいがたこうに「白山はくさん」がそれぞれ配備はいびされた。これら3せきによって、出港しゅっこうから48あいだ全国ぜんこくどの場所ばしょにも到達とうたつできる体制たいせいととのえたほか石油せきゆ連盟れんめい海上かいじょう災害さいがい防止ぼうしセンターが大型おおがた回収かいしゅう装置そうち導入どうにゅうしている。

ただし、ハードめん整備せいびだけでは十全じゅうぜん対策たいさくとはいがたく、現場げんば指揮しきけん一本いっぽんについてもきゅうには出来できないといった指摘してきがある[19]

その[編集へんしゅう]

この事故じこ復興ふっこう支援しえんとしてさんこく競艇きょうていじょうにて競艇きょうていSG競走きょうそうであるだい3かいオーシャンカップ競走きょうそう開催かいさいされた。

船首せんしゅ部分ぶぶんからの重油じゅうゆりは一応いちおう完了かんりょうしているが、水深すいしんやく2,500メートルの海底かいていしずんだ船体せんたいからは、その重油じゅうゆ流出りゅうしゅつつづいた。現在げんざい小規模しょうきぼ流出りゅうしゅつつづいているが、自然しぜん分解ぶんかい可能かのう程度ていどである。またとし1かい海洋かいよう研究けんきゅう開発かいはつ機構きこう(JAMSTEC)が深海しんかい探査たんさていにより現状げんじょう確認かくにんおこなっている。現状げんじょうでは、重油じゅうゆ回収かいしゅうおよび流出りゅうしゅつ防止ぼうし措置そち深海しんかいのため不可能ふかのうであり、船体せんたい老朽ろうきゅうによる破損はそん流出りゅうしゅつ憂慮ゆうりょされている。

2006ねん12月、「金沢大学かなざわだいがく21世紀せいきCOEフォーラム ナホトカごう重油じゅうゆ事故じこから10ねんわたしたちはなにまなんだか」が開催かいさいされた。

ボランティアによる重油じゅうゆ回収かいしゅう経過けいかは、2000ねん11月28にちNHKプロジェクトX〜挑戦ちょうせんしゃたち〜』で、「よみがえれ、日本海にほんかい ナホトカごう 重油じゅうゆ流出りゅうしゅつ・30まんにん奇跡きせき」として放映ほうえいされた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e どうごう船主せんしゅ事故じこ概要がいよう船長せんちょう意思いしについては(杉浦すぎうら 1997)を参照さんしょう
  2. ^ さんこくへの漂着ひょうちゃく予想よそうがいであったけんについては(うみ安全あんぜん 2007, pp. 4–6, 座談ざだんかい ナホトカごうからの教訓きょうくん課題かだい)を参照さんしょう
  3. ^ a b 事故じこ問題もんだいてんあぶら流出りゅうしゅつ事故じこ早期そうき即応そくおう体制たいせいむ"ナホトカ"の対応たいおうおくれを教訓きょうくんに -くに防災ぼうさい基本きほん計画けいかく改定かいてい-」『Marine』1997ねん夏季かきごう 参照さんしょう
  4. ^ 専門せんもん一般いっぱん市民しみんへの批判ひはんてきコメント、ベテランの行政ぎょうせい職員しょくいんへのこう評価ひょうかについては(うみ安全あんぜん 2007, 流出りゅうしゅつ海難かいなんからまなんだのは冷静れいせい対応たいおう基本きほんということ)を参照さんしょう
  5. ^ 平成へいせい9ねん海上かいじょう保安ほあん白書はくしょだい1しょうによれば、1がつ6、7にちには関係かんけい省庁しょうちょう連絡れんらく会議かいぎ10日とおかには「応急おうきゅう対策たいさく関係かんけい行政ぎょうせい機関きかん相互そうご密接みっせつ連携れんけい協力きょうりょくした強力きょうりょく推進すいしんするため」閣議かくぎ口頭こうとう了解りょうかいにより、運輸うんゆ大臣だいじん本部ほんぶちょうとする「ナホトカごう海難かいなん流出りゅうしゅつ災害さいがい対策たいさく本部ほんぶ」が設置せっちされている。
  6. ^ 当時とうじ相乗あいの候補こうほ決定けってい過程かていでは西原にしはらあきらこえ自民党じみんとう一部いちぶにあり、決定けっていもりはその支持しじしゃたちに配慮はいりょし「気持きもちを大事だいじにしてほしい。将来しょうらい小松こまつにつながることだ」とコメントをのこしている。
  7. ^ 当時とうじ船主せんしゅ責任せきにん上限じょうげんがく上回うわまわる。
  8. ^ ダブルハルながれについては(うみ安全あんぜん 2007, pp. 16–17, ナホトカごう事故じこ流出りゅうしゅつ海難かいなんたいする世界せかいとわがくにほう整備せいび)を参照さんしょう
  9. ^ 事件じけん資機材しきざい整備せいびについては(うみ安全あんぜん 2007, pp. 22–23, ナホトカごう事故じこから教訓きょうくんとその改善かいぜん)を参照さんしょう

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 杉浦すぎうら 1997, p. 55.
  2. ^ ロシア船籍せんせきタンカー「ナホトカごうあぶら流出りゅうしゅつ事故じこ”. 石油せきゆ連盟れんめい. 2010ねん12月19にち閲覧えつらん
  3. ^ うみ安全あんぜん 2007, p. 9, 座談ざだんかい ナホトカごうからの教訓きょうくん課題かだい.
  4. ^ 災害さいがいボランティアと安全あんぜん補償ほしょう問題もんだい”. 2007ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  5. ^ うみ安全あんぜん 2007, p. 7-8, 座談ざだんかい ナホトカごうからの教訓きょうくん課題かだい.
  6. ^ はたけ, 幸彦さちひこ中村なかむら, たかし「ナホトカごう重油じゅうゆ流出りゅうしゅつ事故じこうみ生物せいぶつへの影響えいきょう」『Marine』1997ねん3がつ4にち 
  7. ^ 石川いしかわおきあぶらたい ゆっくり北上ほくじょう」『北國きたぐに新聞しんぶん』1997ねん1がつ10日とおか夕刊ゆうかん1めん
  8. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』1997ねん1がつ23にち
  9. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』1984ねん1がつ1にち
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  15. ^ ナホトカごうあぶら流出りゅうしゅつ事故じこにおけるあぶらにご損害そんがい賠償ばいしょうとう請求せいきゅう事件じけんかか訴訟そしょう和解わかいについて』(プレスリリース)国道こくどう交通省こうつうしょうhttps://www.mlit.go.jp/kisha/kisha02/10/100830_.html2009ねん4がつ9にち閲覧えつらん 
  16. ^ うみ安全あんぜん 2007, pp. 26–27, この10ねんにおけるあぶらにご補償ほしょう制度せいど推移すいい今後こんご課題かだい.
  17. ^ 1969ねん民事みんじ責任せきにん条約じょうやくおよび1971ねん基金ききん条約じょうやく
  18. ^ ナホトカごう重油じゅうゆ流出りゅうしゅつ事故じこかか損害そんがい賠償ばいしょう請求せいきゅう訴訟そしょう提起ていきについて』(プレスリリース)関西電力かんさいでんりょくhttps://www.kepco.co.jp/corporate/pr/1999/1214-2j.html2010ねん11月5にち閲覧えつらん 
  19. ^ うみ安全あんぜん 2007, p. 71, 座談ざだんかい ナホトカごうからの教訓きょうくん課題かだい.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 杉浦すぎうら, 清司せいじ「ナホトカごう流出りゅうしゅつ事故じこ補償ほしょう問題もんだい」『Marine』1997ねん、54-58ぺーじISSN 0289-6095 
  • 特集とくしゅう】あれから10ねんごう海難かいなん教訓きょうくんはどうかされたか」『うみ安全あんぜんだい532かん日本にっぽん海難かいなん防止ぼうし協会きょうかい、2007ねんISSN 0912-7437 [リンク]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]