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ハンス・ハインリヒ・ラマース

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ハンス・ハインリヒ・ラマース
Hans Heinrich Lammers
親衛隊しんえいたい中将ちゅうじょう制服せいふく着用ちゃくようしたラマース(1939 - 40ねんごろ
生年月日せいねんがっぴ 1879ねん5月27にち
出生しゅっしょう ドイツの旗 ドイツ帝国ていこく
プロイセン王国の旗 プロイセン王国おうこく ルブリニッツ
げんポーランドシロンスクけん ルブリニェツ英語えいごばん
ぼつ年月日ねんがっぴ (1962-01-04) 1962ねん1がつ4にち(82さいぼつ
死没しぼつ 西ドイツの旗 西にしドイツ
ノルトライン=ヴェストファーレンしゅう デュッセルドルフ
出身しゅっしんこう ブレスラウ大学だいがく
ハイデルベルク大学だいがく
ぜんしょく 軍人ぐんじん弁護士べんごし
所属しょぞく政党せいとうドイツ国家こっか人民じんみんとう→)
国家こっか社会しゃかい主義しゅぎドイツ労働ろうどうしゃとう
称号しょうごう 一級いっきゅうてつじゅうあきらきゅうてつじゅうあきら親衛隊しんえいたい名誉めいよ中将ちゅうじょう
配偶はいぐうしゃ グリツィヴェ・エルフリーデ・ラマース

ナチス・ドイツの旗 ドイツこく無任所むにんしょ大臣だいじん
内閣ないかく ヒトラー内閣ないかく
在任ざいにん期間きかん 1937ねん12月1にち - 1945ねん4がつ24にち
総統そうとう アドルフ・ヒトラー

ドイツの旗ナチス・ドイツの旗 ドイツこく首相しゅしょう官房かんぼう長官ちょうかん
内閣ないかく ヒトラー内閣ないかく
在任ざいにん期間きかん 1933ねん1がつ30にち - 1945ねん4がつ24にち
大統領だいとうりょう
総統そうとう
パウル・フォン・ヒンデンブルク
アドルフ・ヒトラー
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ハンス・ハインリヒ・ラマース(Hans Heinrich Lammers、1879ねん5月27にち - 1962ねん1がつ4にち)は、ドイツこく政治せいじ官僚かんりょうヒトラー内閣ないかく無任所むにんしょ大臣だいじん首相しゅしょう官房かんぼう長官ちょうかんつとめた。マルティン・ボルマンともアドルフ・ヒトラー側近そっきんとして権勢けんせいるった。せいは「ランメルス」とやくされることもある。親衛隊しんえいたい最終さいしゅう階級かいきゅうは、親衛隊しんえいたい名誉めいよ中将ちゅうじょう

来歴らいれき[編集へんしゅう]

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うえシレジアルブリニッツ現在げんざいポーランドりょうルブリニェツ英語えいごばん)に出生しゅっしょうちち獣医じゅういであった。ブレスラウ大学だいがくハイデルベルク大学だいがくかよい、1904ねん法学ほうがく博士はかせ学位がくい取得しゅとくした[1]。1907ねん司法しほう試験しけん合格ごうかくし、1912ねんにはボイテン裁判官さいばんかんとなった。1913ねん4がつ29にち、グリツィヴェ・エルフリーデ・テペルと結婚けっこんし、1914ねんと1918ねんにそれぞれむすめんだ。

だいいち世界せかい大戦たいせんさいには出征しゅっせいして一級いっきゅうてつじゅうあきらきゅうてつじゅうあきら受章じゅしょうするが、1917ねん戦傷せんしょうのため左目ひだりめ失明しつめいした。

戦後せんご弁護士べんごしとして活動かつどうし、ドイツ国家こっか人民じんみんとう入党にゅうとう。1920ねん内務省ないむしょう入省にゅうしょうし、1922ねんにはヴィルヘルム・クーノ内閣ないかく内務ないむ次官じかんとなっている[2]保守ほしゅ主義しゅぎしゃだったラマースはドイツ社会しゃかい民主党みんしゅとう(SPD)の政治せいじ嫌悪けんおし、ヴァイマル共和きょうわせいたいしても拒否きょひかんいており、そのため1928ねん内務ないむ大臣だいじんカール・ゼーフェリンク(SPD党員とういん)に叱責しっせきけた。

ナチとう幹部かんぶ[編集へんしゅう]

1937ねん執務しつむちゅうのラマース
1941ねん3月28にちベルリン訪問ほうもんちゅう松岡まつおか洋右ようすけ外相がいしょうむかえるラマース(左端ひだりはし)、ヴィルヘルム・カイテル中央ちゅうおう)、ハインリヒ・ゲオルク・スターマーみぎ

1932ねん3がつ1にち国家こっか社会しゃかい主義しゅぎドイツ労働ろうどうしゃとう(ナチとう)に入党にゅうとう党員とういん番号ばんごう1,010,355)。すぐさまとう幹部かんぶとなり、9月24にちプロイセンしゅう開催かいさいされたとう集会しゅうかいヨーゼフ・ゲッベルスとも出席しゅっせきし、とう幹部かんぶとしての活動かつどう開始かいしする[3]。1933ねんナチとう権力けんりょく掌握しょうあくのちには首相しゅしょう官房かんぼう長官ちょうかん国務こくむ長官ちょうかん職責しょくせきあたえられた[4]同時どうじ内相ないしょうヴィルヘルム・フリック推薦すいせんで、ぜん政府せいふ機関きかん主席しゅせき法律ほうりつ顧問こもん任命にんめいされた。

1937ねんからヒトラー内閣ないかく無任所むにんしょ大臣だいじん就任しゅうにんし、1939ねん11月30にちには国防こくぼう閣僚かくりょう会議かいぎドイツばんのメンバーとなった[2]どう時期じきT4作戦さくせんにも関与かんよしている[5]。ラマースはこうした立場たちばもとづき、ぜん政府せいふ機関きかんから連絡れんらく諮問しもんけると同時どうじに、すべての政治せいじ文書ぶんしょをヒトラーにとどまえ検閲けんえつすることが出来でき政権せいけんない影響えいきょうりょくった。官僚かんりょうたちにとって、かれはヒトラーにわりドイツの権威けんい代表だいひょうする存在そんざいとしてうつり、歴史れきしのマルティン・キチンは、これらのてんからラマースを「ナチス・ドイツにおけるさい重要じゅうよう人物じんぶつ一人ひとり」とべている[6]

1933ねん9がつ29にちには親衛隊しんえいたい(SS)の名誉めいよ指導しどうしゃともなり、親衛隊しんえいたい上級じょうきゅう大佐たいさ階級かいきゅうあたえられた。1935ねん4がつ20日はつか親衛隊しんえいたい少将しょうしょう、1938ねん1がつ30にち親衛隊しんえいたい中将ちゅうじょう、1940ねん4がつ20日はつか親衛隊しんえいたい大将たいしょう昇進しょうしんしている[2]

権勢けんせい低下ていか[編集へんしゅう]

1944ねん10がつ国民こくみん突撃とつげきたい訓示くんじべるヒムラー(みぎ)に同席どうせきするラマース(中央ちゅうおう)とグデーリアンひだり

1943ねん1がつからはヒトラー不在ふざい閣議かくぎにおいては、ラマースがかれ代理だいりとすることとさだめられた。かれとう官房かんぼうながマルティン・ボルマンとともにヒトラーの面会めんかい相手あいてをコントロールしたため、強大きょうだい権力けんりょくった。同年どうねん公用こうよう文書ぶんしょで「だいドイツこく(Großdeutsches Reich)」の国号こくごうはじめてもちいたのも、ラマースによるものであった[7]スターリングラード攻防こうぼうせんの1943ねん2がつには、ボルマンとラマースは、とう代表だいひょうするボルマンと政府せいふ代表だいひょうするラマースとぐん代表だいひょうするヴィルヘルム・カイテルによる「さんにん委員いいんかい」を創設そうせつした。しかし、ゲッベルスやアルベルト・シュペーアヘルマン・ゲーリングハインリヒ・ヒムラーなどのナチとう幹部かんぶ警戒けいかいされて、1944ねん解散かいさんした。さらに、戦局せんきょく悪化あっかとうぐん官庁かんちょう連携れんけいうしなわれていったことでラマースの影響えいきょうりょく低下ていかし、反対はんたいにボルマンの影響えいきょうりょく増大ぞうだいしていった[8]

大戦たいせん末期まっきの1945ねん4がつ24にち、ラマースはゲーリングの「反逆はんぎゃく」に関与かんよした容疑ようぎ逮捕たいほされた。これはボルマンの陰謀いんぼうであった可能かのうせいがあるが、ヒトラーは銃殺じゅうさつ反対はんたいしたためいのちたすかった。かれは5月にアメリカぐんによって解放かいほうされたが、オーバーザルツベルクにいたつまエルフリーデはこの拘束こうそく最中さいちゅう自殺じさつしており、2にちにはむすめイルゼも自殺じさつした[9]解放かいほう、ラマースはゲーリングをはじめとするとうぐん幹部かんぶともに、モンドルフ=レ=バン英語えいごばんアシュカン収容しゅうようしょ収容しゅうようされた。

死去しきょ[編集へんしゅう]

ニュルンベルク裁判さいばん出廷しゅっていしたラマース

敗戦はいせんの1946ねん4がつ8にちから9にちにかけて、ニュルンベルク裁判さいばん証人しょうにんとして出廷しゅっていした。そのかれ自身じしん戦争せんそう犯罪はんざい人道じんどうたいするつみニュルンベルク継続けいぞく裁判さいばんの1つ「大臣だいじん裁判さいばん」にかけられ、1949ねん4がつ11にち懲役ちょうえき20ねん判決はんけつけた。1951ねん1がつ31にちちゅうドイツ高等こうとう弁務べんむかんジョン・J・マクロイ指示しじにより10ねん短縮たんしゅくされたのち、さらに恩赦おんしゃされて12月16にちには釈放しゃくほうされた[10]

1962ねんデュッセルドルフ死去しきょし、妻子さいしはかがあるベルヒテスガーデン埋葬まいそうされた。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Bullock, Alan (1962) [1952]. Hitler: A Study in Tyranny. London: Penguin Books. ISBN 978-0-14-013564-0 
  • Evans, Richard (2006). The Third Reich in Power. New York: Penguin Books. ISBN 978-0-14-303790-3 
  • Fischer, Klaus (1995). Nazi Germany: A New History. New York: Continuum. ISBN 978-0-82640-797-9
  • Kitchen, Martin (1995). Nazi Germany at War. New York: Longman. ISBN 978-0582073876 
  • Wistrich, Robert S. (1995). Who's Who in Nazi Germany. London and New York: Routledge. ISBN 978-0-41511-888-0

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Dissertation: Die Rentenschuld des Bürgerlichen Gesetzbuchs
  2. ^ a b c Robert S. Wistrich, Who's Who in Nazi Germany (London and New York: Routledge, 1995), 149.
  3. ^ Lammers, Hans Heinrich (1879-1962) auf Zukunft braucht Erinnerung
  4. ^ Hans Heinz Sadila-Mantau, German political profiles, Terramare Publications, Berlin, 1938
  5. ^ Raimond Reiter: Hitlers Geheimpolitik. Verlag Peter Lang 2008, ISBN 3-631-58146-7, S. 92.
  6. ^ Martin Kitchen, Nazi Germany at War (New York: Longman, 1995), 11.
  7. ^ Erlass RK 7669 E ウィキメディア・コモンズ
  8. ^ Klaus Fischer, Nazi Germany: A New History (New York: Continuum, 1995), 312.
  9. ^ NNDB
  10. ^ Robert S. Wistrich, Who's Who In Nazi Germany (New York: Routledge, 2001), p. 149. Nonetheless, there are conflicting reports about his release date. According to Zentner and Bedürftig, in The Encyclopedia of the Third Reich vol. 1 [A-L] (New York: MacMillan Publishing, 1991), p. 254, Lammers was not released until 1954. Dr. Louis Snyder has him released sometime in 1952 in Encyclopedia of the Third Reich (New York: McGraw-Hill, 1976), p. 204, Gerald Reitlinger reported Lammers free in November 1951 in The SS: Alibi of a Nation, 1922-1945 (New York: Da Capo Press, 1989), p. 470, Tim Kirk claims Lammers was released sometime in 1951 in The Longman Companion to Nazi Germany (New York: Routledge, 1995), p. 222, Roderick Stackelberg has him amnestied at an unspecified 1951 date in The Routledge Companion to Nazi Germany (New York: Routledge, 2007), p. 220, as does William Shirer in The Rise And Fall Of The Third Reich (New York: Simon & Schuster, 1990), p. 965 fn.