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ビージーズ

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ビージーズ
うえからバリー、ロビン、モーリス(1977ねん
基本きほん情報じょうほう
出身しゅっしん オーストラリアの旗 オーストラリア クイーンズランドしゅうブリスベン
ジャンル
活動かつどう期間きかん
レーベル
公式こうしきサイト ビージーズ公式こうしきサイト
きゅうメンバー

ビージーズえい: Bee Gees)は、英国えいこく王室おうしつ属領ぞくりょうマンとうまれのイギリスじんのギブさん兄弟きょうだい中心ちゅうしん構成こうせいされた男性だんせいボーカルグループ。1963ねんオーストラリアでレコードデビューし、1973ねんからは米国べいこく中心ちゅうしん活動かつどう。1960年代ねんだい前半ぜんはんからいきなが活動かつどうつづけ、「ラヴ・サムバディ」、「マサチューセッツ」、「メロディ・フェア」、「若葉わかばのころ」、「イン・ザ・モーニング」、「ホリディ」、「ジョーク」、「傷心しょうしん日々ひび」、「ラン・トゥ・ミー」、「ブロードウェイのよる」、「獄中ごくちゅう手紙てがみ」、「ステイン・アライヴ」など、すうおおくの名曲めいきょく発表はっぴょうした。ポップなメロディメイカーとしては、レノン=マッカートニー(ビートルズ)やビヨルン&ベニー(ABBA)らとならめいソングライターチームとしてられている。

メンバー[編集へんしゅう]

ビージーズはギブ3兄弟きょうだい中心ちゅうしん結成けっせいされたが、1972ねんからは完全かんぜん兄弟きょうだいのみのトリオ編成へんせいとなった。全員ぜんいん共通きょうつうしてボーカルを担当たんとう

来歴らいれき[編集へんしゅう]

キャリア:デビュー以前いぜんからオーストラリア時代じだいまで[編集へんしゅう]

ギブ兄弟きょうだいは、オートバイレース著名ちょめい英国えいこく王室おうしつ属領ぞくりょうマンとうまれた。1946ねん9がつ1にちバリー[4]、1949ねん12月22にちロビンモーリスたまごせい双生児そうせいじとして誕生たんじょう。1950ねんちち故郷こきょうイングランドマンチェスターうつる。

1955ねん、ギブ兄弟きょうだい教会きょうかい合唱がっしょうだん所属しょぞくしキャリアをスタートさせる。自宅じたく近所きんじょにはのちハーマンズ・ハーミッツのリードボーカルとしてえいべい大人気おとなげはくピーター・ヌーン一家いっかり、ギブ一家いっかとは家族かぞくぐるみのいをしていた。1958ねんちち仕事しごと都合つごうにより家族かぞく7にん両親りょうしん、バリー、ロビン、モーリス、あねのレズリー、すえアンディ)でオーストラリアクイーンズランドしゅうブリスベン移住いじゅう一番いちばんおとうとアンディ1958ねん3月5にち1988ねん3がつ10日とおか)はマンチェスターでまれたばかりだった。ここで兄弟きょうだいは、小遣こづかかせぎにうたうようになる。最初さいしょのグループめいはラトルスネークス(Rattlesnakes)、その、ウィー・ジョニー・ヘインズ&ザ・ブルーキャッツ(Wee Johnny Hayes & The Bluecats)になった[5]

そして3にんはラジオのDJ、ビル・ゲイツ(Bill Gates、マイクロソフト創業そうぎょうしゃとは別人べつじん)に紹介しょうかいされる。紹介しょうかいしゃは、レーサーのビル・グード(Bill Goode)。ゲイツは、自分じぶんとグードのイニシャル(BG)からかれらのグループめいをBee Geesとつける。1960ねんはいるとテレビとラジオのレギュラー番組ばんぐみつようになった。1963ねんにフェスティバル・レコードより「The Battle Of The Blue And The Grey / みっつのキッス」でレコードデビューするはこびとなり、以後いご国民こくみんてき人気にんきはくすこととなる。ビージーズはエヴァリー・ブラザースからの影響えいきょうけていた。

ソフト・ロック:1960年代ねんだい-1974ねん[編集へんしゅう]

60年代ねんだい写真しゃしんひだりからバリー・ギブ、ロビン・ギブ、ヴィンス・メロニー、モーリス・ギブ、コリン・ピーターセン。
70年代ねんだい写真しゃしん。ステージでは基本きほんてきひだりからモーリス、ロビン、バリー・ギブ。

かれらは、1966ねんにはオーストラリアで最優秀さいゆうしゅうボーカルグループにえらばれ、よく1967ねん2がつ、シングル「スピックス&スペックス」がぜんごうナンバーワンヒットしているころ、オーストラリアでの大人気だいにんき着目ちゃくもくしたビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインは、みずからが経営けいえいするNEMSエンタープライズ入社にゅうしゃしたての新人しんじんロバート・スティッグウッド(1934~2016)をオーストラリアへおもむかせ、ギブ兄弟きょうだいにワールド・デビューの契約けいやくける。

イギリスに帰国きこくしたギブ兄弟きょうだいは、オーストラリア・クイーンズランドしゅうまれでロンドンそだちのドラマー、コリン・ピーターセン(1948~)、そしてオーストラリア時代じだいからかれらのレコーディングにたびたび参加さんかしていたシドニー出身しゅっしんのヴィンス・メロニー(1945~)をリードギターにむかえ、5にん編成へんせいとして1967ねん5月にポリドール・レコード本社ほんしゃより「ニューヨーク炭鉱たんこう悲劇ひげき」でレコード・デビュー。アメリカでの発売はつばいもとであるアトコ・レコードアトランティック・レコード子会社こがいしゃ)が、新人しんじんでは前代未聞ぜんだいみもんの25まんドルで契約けいやくした。

以後いご、「ラヴ・サムバディ[ちゅう 1]、「ホリディ」、「マサチューセッツ」(全米ぜんべい11)、「ワールド」、1968ねんに「ワーズ」、「ジャンボー」、「獄中ごくちゅう手紙てがみ」(はつ全米ぜんべいトップ10り)、「ジョーク」(おなじく全米ぜんべいトップ10ヒット)をリリース。同年どうねんまつにヴィンスがプロデューサーぎょう転向てんこうするため正式せいしき脱退だったいよく1969ねんはる、サードアルバム『オデッサ』およびシングル「若葉わかばのころ」の発売はつばいあいだもなくロビンがソロ・シンガーになるべく独立どくりつ(シングル「すくいのかね」は英国えいこくのみでヒット)、同年どうねんなつにはシングル「トゥモロウ・トゥモロウ」を最後さいごにバリーとモーリスが一方いっぽうてきにコリンを解雇かいこしてしまう。 これによって2人ふたりとなったビージーズは、「おもむねに」をぜんえいトップ10におくむも、よく1970ねん春先はるさきにシングル「I.O.I.O.」およびアルバム『キューカンバー・キャッスル』発売はつばい直後ちょくご兄弟きょうだい喧嘩けんかによって空中くうちゅう分解ぶんかい。その、それぞれソロ・シングルを発表はっぴょうするもかんばしい結果けっかせず、同年どうねん9がつにバリー、ロビン、モーリスの3にん結束けっそくしたあらためてビージーズとしてさい出発しゅっぱつすることをちかう。

10月にさいスタートだいいちだんアルバム『トゥー・イヤーズ・オン』を発売はつばいよく71ねん1がつにシングルカットされた「ロンリー・デイ」を全米ぜんべい3(キャッシュボックスでは1)とし、つづくシングル「傷心しょうしん日々ひび」は念願ねんがん全米ぜんべいナンバーワンとなるが、アルバムセールスは低調ていちょうだった。71ねんのイギリス映画えいがちいさなこいのメロディ』は、本国ほんごくでは成功せいこうしなかったものの、日本にっぽんでは興業こうぎょうてきにもだい成功せいこうとなり、サントラばんおさめられた「メロディ・フェア」、「若葉わかばのころ」などは日本人にっぽんじんしたしまれた。

コリン解雇かいこはジェフ・ブリッジフォードがドラムをたたいていたものの1972ねんはるはつ来日らいにち公演こうえん(アイドル人気にんきだった1969ねん予定よていされていたが、メンバーの脱退だったいなどのしょ問題もんだいびとなっていた)寸前すんぜん解雇かいこされる。

1973ねんに、マネージャーけんプロデューサーでもあったロバート・スティッグウッドが設立せつりつしたRSOレコード移籍いせきし、アメリカでの発売はつばいもとであるアトコ・レコードでかつてはヤング・ラスカルズなどを手掛てがけるなど華々はなばなしい経歴けいれきぬしであるアリフ・マーディンのプロデュースをけ、アルバム『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』をリリース。マンネリ化まんねりかした従来じゅうらいストリングスサウンド(1967ねん以降いこうステージではバックに30にん編成へんせいからるストリングス・オーケストラをつけていた)からサウンドを変更へんこうしたが、よく1974ねんのアルバム『ミスター・ナチュラル』も不発ふはつわる。マーディンは自信じしんうしなってまよいのなかにいるメンバーに「課題かだい自分じぶんたちのあたらしい音楽おんがくスタイルの追求ついきゅう発展はってんとヒットレコードの制作せいさくだ。まわりの音楽おんがく状況じょうきょうやほかのアーティストのヒットじょうきょうみみかたむけるように。ファンがなにもとめ、時代じだい状況じょうきょうった音楽おんがくなにか、そのなか自分じぶんたちの可能かのうせいなになのか」とうてきた[6]。そしてビージーズのだい転換てんかんがはじまる。

ディスコ:1975ねん-1979ねん[編集へんしゅう]

1975ねん芸能げいのう生活せいかつ20周年しゅうねん記念きねんアルバムでもある『メイン・コース』からシングルカットされた「ジャイヴ・トーキン」、「ブロードウェイのよる」がディスコブームにり、全米ぜんべいだいヒット。これよりディスコ時代じだい幕開まくあけとなる。リズム主体しゅたいのディスコなサウンドへと脱皮だっぴはかったかれらにたいして、旧来きゅうらいのファンからは「れるためにサウンドをえた」ともう反発はんぱつされた。しかし以後いごも、ディスコ・ナンバーを中心ちゅうしんとする路線ろせん継続けいぞくし、「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」などのだいヒットをばした。ディスコで大人気おとなげほこっていたビージーズのナンバーをおおきくれた映画えいがサタデー・ナイト・フィーバー[ちゅう 2]が、1977ねん公開こうかいされた。どう作品さくひんはアメリカだけでなく、海外かいがいでもだい成功せいこうし、アルバムもだいヒットとなった。アルバムからはビージーズの「ステイン・アライヴ」、「ナイト・フィーヴァー」、タバレスの「モア・ザン・ア・ウーマン」、イボンヌ・エリマンの「イフ・アイ・キャント・ハヴ・ユー」などがヒットした[7]

1980ねん以後いご[編集へんしゅう]

1981ねんのアルバム『リヴィング・アイズ』がマイナーヒットにわって以降いこうは、各自かくじのソロ活動かつどう並行へいこうしてアーティストへの楽曲がっきょく提供ていきょう活動かつどう中心ちゅうしんとなり、すうおおくの全米ぜんべいヒットをす。

1987ねんワーナー・レコード移籍いせきし、アルバム『E.S.P.』よりシングル・カットされた「ユー・ウィン・アゲイン」は、ぜんえいトップ10ヒット。1989ねんにはシングル「One」がひさしぶりにヒットした。また、アンディ・ギブが逝する悲劇ひげき見舞みまわれた。

2003ねん、メンバーのモーリス・ギブ急逝きゅうせい。モーリス死去しきょにロビンはさい結成けっせい意向いこうはないと表明ひょうめいしたが、2009ねんから活動かつどう再開さいかいした[8]

2012ねん5がつ20日はつか、ロビン・ギブの死去しきょ[9]によりギブ3兄弟きょうだいによるグループ活動かつどう消滅しょうめつした。

業績ぎょうせき受賞じゅしょう[編集へんしゅう]

ぜん世界せかいでのレコード・CDのセールスは2おく3000まんまいのぼり、かれらの楽曲がっきょくふるくはエルヴィス・プレスリー近年きんねんデスティニーズ・チャイルドらによってカバーされている。

1971ねんから1979ねんにかけて、ビルボードチャートに9きょくのナンバーワンヒットをおくした[10]

1978ねん3がつには、製作せいさくたずさわった4つの楽曲がっきょく上位じょうい5にランクイン、これはビートルズが1964ねん4がつ上位じょうい5つすべてを独占どくせんした記録きろく偉業いぎょうである。

1977ねん最終さいしゅうしゅうからよく1978ねんの8がつまでの32しゅうにわたり、たずさわった楽曲がっきょくつねに1独占どくせんつづけた。イギリスにおいては、ビートルズの28きょくぐ19きょくがナンバーワンヒットを記録きろくした。また、活動かつどう期間きかんちゅうに5つのグラミーしょう獲得かくとくした。

1997ねんに、アーティストの殿堂でんどうロックの殿堂でんどう[11]、2001ねんにボーカルグループの殿堂でんどう2004ねん9がつ20日はつかにはダンスミュージックの殿堂でんどうりをたし、音楽おんがく史上しじょうはじめて4つの殿堂でんどうりを記録きろくした。ほかにも、「英国えいこく音楽おんがく多大ただい貢献こうけんおこなったアーティスト」の栄誉えいよ受賞じゅしょうした。

楽曲がっきょく提供ていきょうきょく・カバーされたきょく[編集へんしゅう]

1968ねん

1969ねん

  • To Love Somebody / ニーナ・シモン ぜんえい5
  • Marley Purt Drive / ホセ・フェリシアーノ 全米ぜんべい70
  • And The Sun Will Shine / ホセ・フェリシアーノ ぜんえい25
  • Smile For Me / ザ・タイガース オリコン3 ※タイガースにおくったということでセルフカバーは発表はっぴょうしていない

1970ねん

1975ねん

1976ねん

1977ねん

  • こいのときめき - "I Just Want To Be Your Everything" / アンディ・ギブ 全米ぜんべい1べいR&B19ぜんえい26
  • あい面影おもかげ - "Love Is Thicker Than Water" / アンディ・ギブ 全米ぜんべい1
  • Nights On Broadway / キャンディ・ステイトン ぜんえい6

1978ねん

1979ねん

1980ねん

  • ディザイア - "Desire" / アンディ・ギブ 全米ぜんべい4べいR&B49,
  • I Can't Help It / アンディア・ギブ & オリビア・ニュートン=ジョン 全米ぜんべい12
  • Hold On To My Love / ジミー・ラフィン 全米ぜんべい10べいR&B29ぜんえい7
  • Woman In Love / バーブラ・ストライサンド 全米ぜんべい1ぜんえい1
  • ギルティ - "Guilty" / バーブラ・ストライサンド & バリー・ギブ 全米ぜんべい3ぜんえい34
  • タイム・イズ・タイム - "Time Is Time" / アンディ・ギブ 全米ぜんべい15

1981ねん

  • What Kind Of Fool / バーブラ・ストライサンド & バリー・ギブ 全米ぜんべい10
  • Promises / バーブラ・ストライサンド 全米ぜんべい48
  • Me (Without You) / アンディ・ギブ 全米ぜんべい40

1982ねん

  • ハートブレイカー - "Heartbreaker" / ディオンヌ・ワーウィック 全米ぜんべい10べいR&B14ぜんえい2
  • All The Love In The World / ディオンヌ・ワーウィック ぜんえい10
  • Take The Short Way Home / ディオンヌ・ワーウィック 全米ぜんべい41
  • Heart(Stop Beating In Time) / レオ・セイヤー ぜんえい22

1983ねん

  • Islands In The Stream / ケニー・ロジャース & ドリー・パートン 全米ぜんべい1ぜんえい7
  • This Woman / ケニー・ロジャース 全米ぜんべい23
  • Eyes That See In The Dark / ケニー・ロジャース 全米ぜんべい79ぜんえい61

1985ねん

  • Eaten Alive / ダイアナ・ロス 全米ぜんべい77べいR&B10ぜんえい71
  • Chain Reaction / ダイアナ・ロス 全米ぜんべい66べいR&B85ぜんえい1

1987ねん

1990ねん

1992ねん

1993ねん

1995ねん

  • How Deep Is Your Love / ポートレート 全米ぜんべい93ぜんえい41
  • Stayin'Alive / N-トランス ぜんえい2 ※ビージーズのオリジナルばんのイントロ部分ぶぶんからサンプリングされ、全編ぜんぺんにわたり使用しようされている。

1996ねん

1997ねん

1998ねん

1999ねん

2001ねん

  • Emotion / デスティニーズ・チャイルド 全米ぜんべい10べいR&B28ぜんえい3
  • Chain Reaction / ステップス ぜんえい2
  • I Could Not Love You More / KLB ※ブラジルじんアーチストでビー・ジーズとおなじ3兄弟きょうだい活動かつどうしている。はくだいは「Te Amar Ainda Mais」。「KLB 2001」収録しゅうろく

2002ねん

2003ねん

2004ねん

2005ねん

  • Come Tomorrow / バーブラ・ストライサンド & バリー・ギブ ぜんえい95

2006ねん

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

アルバム[編集へんしゅう]

とし アルバム 最高さいこう順位じゅんい
べい えい
1965 The Bee Gees Sing and Play 14 Barry Gibb Songs
1966 スピックス・アンド・スペックスSpicks and Specks
1967 ビー・ジーズ・ファースト Bee Gees 1st 7 8
1968 ホリゾンタル Horizontal 12 16
1968 アイディア Idea 17 4
1969 オデッサ Odessa 20 10
1970 キューカンバー・キャッスル Cucumber Castle 94 57
1970 トゥー・イヤーズ・オン 2 Years On 32
1971 トラファルガー Trafalgar 34
1972 トゥ・フーム・イット・メイ・コンサーン To Whom It May Concern 35
1973 ライフ・イン・ア・ティン・キャン Life in a Tin Can 69
1974 ミスター・ナチュラル Mr. Natural 178
1975 メイン・コース Main Course 14
1976 チルドレン・オブ・ザ・ワールド Children of the World 8
1979 うしなわれたあい世界せかい Spirits Having Flown 1
1981 リヴィング・アイズ Living Eyes 41 73
1987 E.S.P. E.S.P. 96 5
1989 ONE One 68 29
1991 ハイ・シヴィライゼーション High Civilization 24
1993 サイズ・イズント・エヴリシング Size Isn't Everything 153 23
1997 スティル・ウォーターズ Still Waters 11 2
2001 ディス・イズ・ホエア・アイ・ケイム・イン This Is Where I Came In 16 6

シングル[編集へんしゅう]

  • ニューヨーク炭鉱たんこう悲劇ひげき - "New York Mining Disaster 1941"(1967ねん
  • ラヴ・サムバディ - "To Love Somebody"(1967ねん)※ 全米ぜんべい17ぜんえい41
  • だれえない - "I Can't See Nobody"(1967ねん)※日本にっぽんでは「ニューヨーク炭鉱たんこう悲劇ひげき」のBめん
  • マサチューセッツ - "Massachusetts"(1967ねん)※全米ぜんべい11ぜんえい1
  • ※ホリデイ - "Holiday"(1967ねん)※全米ぜんべい16日本にっぽんでは「マサチューセッツ」のBめん
  • ワールド - "World"(1967ねん)※ぜんえい9
  • ワーズ - "Words"(1968ねん)※全米ぜんべい15ぜんえい8
  • ジャンボー - "Jumbo"(1968ねん)※全米ぜんべい57ぜんえい25
  • こいするシンガー - "The Singer Sang His Song"(1968ねん)※全米ぜんべい116日本にっぽんでは「ジャンボー」のBめん
  • 獄中ごくちゅう手紙てがみ - "I've Gotta Get A Message To You"(1968ねん)※全米ぜんべい8ぜんえい1
  • ジョーク - "I Started A Joke"(1968ねん)※全米ぜんべい6
  • 若葉わかばのころ - "First Of May"(1969ねん)※全米ぜんべい37ぜんえい6日本にっぽんでは1996ねんTBS同名どうめいドラマ『若葉わかばのころ』の主題歌しゅだいか使つかわれた。
  • トゥモロウ・トゥモロウ - "Tomorrow,Tomorrow"(1969ねん)※全米ぜんべい54ぜんえい23
  • おもむねに - "Don't Forget To Remember"(1969ねん)※全米ぜんべい73ぜんえい2
  • "If Only I Had My Mind On Something Else"(1970ねん)※全米ぜんべい91日本にっぽん発売はつばい
  • アイ・オー・アイ・オー - "IOIO"(1970ねん)※全米ぜんべい94ぜんえい41
  • ロンリー・デイ - "Lonely Days"(1971ねん)※全米ぜんべい3ぜんえい33 
  • メロディ・フェア - "Melody Fair"(1971ねん)※映画えいがちいさなこいのメロディ』の主題歌しゅだいかとして、日本にっぽんでのみシングル・カットされだいヒット。オリコン3
  • イン・ザ・モーニング - "In The Morning"(1971ねん)※映画えいがちいさなこいのメロディ』の主題歌しゅだいかとして日本にっぽんでのみシングル・カットされた。オリコン36
  • 傷心しょうしん日々ひび - "How Can You Mend A Broken Heart"(1971ねん)※全米ぜんべい1日本にっぽんでは「カントリー・ウーマン」のBめん
  • りしあいゆめ - "Don't Wanna Live Inside Myself"(1971ねん)※全米ぜんべい53
  • マイ・ワールド - "My World"(1972ねん)※全米ぜんべい16ぜんえい16
  • ラン・トゥー・ミー - "Run To Me"(1972ねん)※全米ぜんべい16ぜんえい9
  • アライヴ - "Alive"(1972ねん)※全米ぜんべい34
  • 希望きぼう夜明よあけ - "Saw A New Morning"(1973ねん)※全米ぜんべい94
  • ひとりぼっちのなつ - "Wouldn't Be Someone"(1973ねん)※全米ぜんべい115
  • ミスター・ナチュラル - "Mr Natural"(1974ねん)※全米ぜんべい93
  • あいのシャレード - "Charade"(1974ねん)※全米ぜんべい103
  • ジャイブ・トーキン - "Jive Talkin"(1975ねん)※全米ぜんべい1ぜんえい5
  • ブロードウェイのよる - "Nights On Broadway"(1975ねん)※全米ぜんべい7
  • ファニー - "Fanny(Be Tender With My Love)"(1975ねん)※全米ぜんべい12
  • ユー・シュッド・ビー・ダンシング - "You Should Be Dancing"(1976ねん)※全米ぜんべい1べいR&B4ぜんえい5
  • いつわりのあい - "Love So Right"(1976ねん)※全米ぜんべい3べいR&B32ぜんえい41
  • ブーギ・チャイルド - "Boogie Child"(1976ねん)※全米ぜんべい12べいR&B31
  • 宇宙うちゅう片隅かたすみ - "Edge Of The Universe"(1977ねん)※全米ぜんべい26
  • あいはきらめきのなか - "How Deep Is Your Love"(1977ねん)※全米ぜんべい1ぜんえい3
  • ステイン・アライヴ - "Stayin' Alive"(1978ねん)※全米ぜんべい1べいR&B4ぜんえい4日本にっぽんではホンダ・オデッセイのCMソング(2008ねん~)に使つかわれた。
  • こいのナイト・フィーバー - "Night Fever"(1978ねん)※全米ぜんべい1べいR&B8ぜんえい1
  • うしなわれたあい世界せかい - "Too Much Heaven"(1979ねん)※全米ぜんべい1べいR&B10ぜんえい3
  • 哀愁あいしゅうのトラジディ - "Tragedy"(1979ねん)※全米ぜんべい1べいR&B44ぜんえい1
  • ラブ・ユー・インサイド・アウト - "Love You Inside Out"(1979ねん)※全米ぜんべい1べいR&B57ぜんえい13
  • あいのパラダイス - "Spirits(Having Flown)"(1979ねん)※ぜんえい16
  • あいはトライアングル - "He's A Liar"(1981ねん)※全米ぜんべい30ぜんえい82
  • リヴィング・アイズ - "Living Eyes"(1981ねん)※全米ぜんべい45
  • ウーマン・イン・ユー - "The Woman In You"(1983ねん)※全米ぜんべい24べいR&B77ぜんえい81
  • よりそうにん - "Someone Belonging To Someone"(1983ねん)※全米ぜんべい49ぜんえい49
  • ユー・ウィン・アゲイン - "You Win Again"(1987ねん)※全米ぜんべい75ぜんえい1
  • E.S.P. - "E.S.P."(1987ねん)※ぜんえい51
  • クレイジー・フォー・ユア・ラヴ - "Crazy For Your Love"(1988ねん)※ぜんえい79
  • オーディナリィ・ライヴス - "Ordinary Lives"(1989ねん)※ぜんえい54
  • ONE - "One"(1989ねん)※全米ぜんべい7ぜんえい71
  • シークレット・ラヴ - "Secret Love"(1991ねん)※ぜんえい5
  • ペイイング・ザ・プライス・オブ・ラヴ - "Paying The Price Of Love"(1993ねん)※全米ぜんべい74ぜんえい23
  • だれがためにかねる - "For Whom The Bell Tolls"(1993ねん)※全米ぜんべい109ぜんえい4
  • あま経験けいけん(パート1) - "How To Fall In Love Pt.1"(1994ねん)※ぜんえい30
  • アローン - "Alone"(1997ねん)※全米ぜんべい28ぜんえい5
  • もうこれ以上いじょうあいせないほど - "I Could Not Love You More"(1997ねん)※ぜんえい14
  • スティル・ウォータース・ラン・ディープ - "Still Waters Run Deep"(1997ねん)※全米ぜんべい57ぜんえい18
  • ディス・イズ・ホエア・アイ・ケイム・イン - "This Is Where I Came In"(2001ねん)※ぜんえい18

サウンドトラック[編集へんしゅう]

日本にっぽん公演こうえん[編集へんしゅう]

3月23にち 渋谷しぶや公会堂こうかいどう、24にち 日本武道館にほんぶどうかん、25にち,26にち 大阪おおさかフェスティバルホール
9月1にち新宿しんじゅく厚生こうせい年金ねんきん会館かいかん、9月2にち渋谷しぶや公会堂こうかいどう、5にち 福岡ふくおかきゅうでん記念きねん体育館たいいくかん、6にち 倉敷くらしき市民しみん会館かいかん、7にち 名古屋なごや市民しみん会館かいかん、8にち 渋谷しぶや公会堂こうかいどう10日とおか、11にち 大阪おおさかフェスティバル・ホール、12にち 京都きょうと会館かいかん、13にち 静岡しずおか駿府すんぷ会館かいかん、14にち、15にち 新宿しんじゅく厚生こうせい年金ねんきん会館かいかん
10月19にち,11月3にち,4にち中野なかのサンプラザ、10月21にち広島ひろしま郵便ゆうびん貯金ちょきんホール、10月22にち愛媛えひめ県民けんみんかん、10月23にち,25にち大阪おおさかフェスティバルホール、10月24にち京都きょうと会館かいかん、10月26にち名古屋なごや市民しみん会館かいかん、10月28にち新宿しんじゅく厚生こうせい年金ねんきん会館かいかん、10月29にち静岡しずおか駿府すんぷ会館かいかん、10月30にち横浜よこはま文化ぶんか体育館たいいくかん、11月1にち新潟にいがた体育館たいいくかん、11月5にち宮城みやぎ県民けんみん会館かいかん、11月6にち北海道ほっかいどう厚生こうせい年金ねんきん会館かいかん
11月28にち,29にち 横浜よこはまアリーナ、12月2にち 名古屋なごやレインボーホール、4にち 大阪城おおさかじょうホール、6にち 福岡ふくおかサンパレス、7にち 愛媛えひめけん県民けんみん文化ぶんか会館かいかん

ミュージカル[編集へんしゅう]

サタデー・ナイト・フィーバー』は、1998ねんにミュージカルばんロンドン製作せいさくされ、翌年よくねんにはブロードウェー公演こうえんたし、日本にっぽん公演こうえん2003ねん新宿しんじゅくコマ劇場げきじょうおこなわれた。続編ぞくへんである映画えいがステイン・アライブ』も公開こうかいされた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ジャニス・ジョプリン、ジェームズ・カーらおおくの歌手かしゅがカバーしている。
  2. ^ トランプスの「ディスコ・インフェルノ」クール&ギャングの「オープン・セサミ」(ひらけゴマ)なども収録しゅうろくされている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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  2. ^ Gramenz, Jack (2022ねん1がつ28にち). “Last Bee Gee Barry Gibb honoured by Australia”. The New Daily. The New Daily Pty Ltd. 2024ねん6がつ20日はつか閲覧えつらん
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関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]