(Translated by https://www.hiragana.jp/)
サタデー・ナイト・フィーバー - Wikipedia コンテンツにスキップ

サタデー・ナイト・フィーバー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
サタデー・ナイト・フィーバー
Saturday Night Fever
監督かんとく ジョン・バダム
脚本きゃくほん ノーマン・ウェクスラー
製作せいさく ロバート・スティグウッド
出演しゅつえんしゃ ジョン・トラボルタ
音楽おんがく ビー・ジーズ
デヴィッド・シャイア
撮影さつえい ラルフ・D・ボード
編集へんしゅう デイヴィッド・ローリンズ
配給はいきゅう パラマウント映画えいが/CIC
公開こうかい アメリカ合衆国の旗 1977ねん12月14にち
日本の旗 1978ねん7がつ22にち
上映じょうえい時間じかん 118ふん
製作せいさくこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
言語げんご 英語えいご
興行こうぎょう収入しゅうにゅう $237,113,184[1]
配給はいきゅう収入しゅうにゅう 日本の旗 19おく2000まんえん[2]
つぎさく ステイン・アライブ
テンプレートを表示ひょうじ

サタデー・ナイト・フィーバー』(えい: Saturday Night Fever)は、1977ねん製作せいさくアメリカ映画えいがである。監督かんとくジョン・バダムジョン・トラボルタ出世しゅっせさくである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

音楽おんがく映画えいが融合ゆうごうしたほんさく1960年代ねんだいこったディスコブーム再燃さいねんさせ、げきちゅう挿入そうにゅうされたビー・ジーズ(BEE GEES)のディスコ・サウンドによるフィーバー現象げんしょうは、現在げんざいダンス・ミュージックへつながる。映画えいが製作せいさくしたRSOレコード英語えいごばんはそのとしそう売上うりあげは3ちょう5000おくえん公表こうひょうした[3]

RSOレコードのロバート・スティッグウッドは土曜日どようびよるにディスコにあつまる若者わかものたちを取材しゅざいした雑誌ざっし風俗ふうぞく記事きじ[注釈ちゅうしゃく 1]題材だいざいに、主演しゅえん新人しんじんのトラボルタ、監督かんとくはテレビ劇映画げきえいが出身しゅっしんのバダムをえらんだ。ラジオきょくかえきょくながしてブームのをつける当時とうじ鉄則てっそくんだのも、レコード会社かいしゃ経営けいえいしていたスティッグウッドである。RSOレコードやカサブランカ・レコードなど異色いしょくのレーベルが元気げんきな1970年代ねんだいのヒットさくでもある。

ビージーズをふくめたサウンドトラックサタデー・ナイト・フィーバー』が24しゅう1となって以来いらい、『フラッシュダンス』『フットルース』『ダーティダンシング』など1980年代ねんだいダンス映画えいがのサウンドトラックがヒットする現象げんしょうまれた。

映画えいがは『サタデーナイト』というだい企画きかくころがりはじめた。ベイ・シティ・ローラーズが1976ねん同名どうめいの「サタデー・ナイト」をヒットさせていたため、ビージーズは映画えいがようきょくひとつに『ナイトフィーバー』と名付なづけた。スティッグウッドは映画えいがを『サタデーナイトフィーバー』に変更へんこうさせた。

1970年代ねんだいのアメリカ社会しゃかい背景はいけいに、「のない青春せいしゅんのエネルギー」をディスコおどることでらす惰性だせい生活せいかつおくっていたジョン・トラボルタえんずる青年せいねんトニーが、ディスコで出会であったおんなステファニーのかたしんひらかれ、あたらしい生活せいかつ目覚めざめて大人おとな脱皮だっぴしていくさまをえがく。週末しゅうまつごとにディスコおも舞台ぶたい映画えいが

めポーズ

裕福ゆうふく住人じゅうにんおおはなやかな都会とかいてきマンハッタンと、ブルックリンきょうわたったらすぐの位置いちにある、労働ろうどうしゃまちであるブルックリンとが対比たいひしてえがかれており、たんなる娯楽ごらく映画えいがではなく当時とうじのアメリカの格差かくさ社会しゃかい風刺ふうしした映画えいがでもある。

この映画えいがのトラボルタの風貌ふうぼうめポーズ、映画えいが使つかわれたディスコ・ミュージックが世界せかいてき人気にんきになり、ディスコ文化ぶんかくファッションやサブカルチャーといった世界せかい若者わかもの文化ぶんかおおきな影響えいきょうあたえた。

あかうしのロゴ、RSOレコードをひきいたロバート・スティッグウッドの戦略せんりゃくはままり、映画えいがサウンドトラックサタデー・ナイト・フィーバー』は驚異きょういてき売上うりあげ記録きろくし、なかでも作中さくちゅうで「ステイン・アライヴ」などBillboard Hot 100 16きょくふくむ7きょく提供ていきょうしたビージーズはその人気にんき不動ふどうのものにした。

日本にっぽんではこの映画えいが影響えいきょうでディスコ・ダンスでおどり、熱狂ねっきょうすることをす「フィーバーする」という言葉ことば和製わせい英語えいご)がまれた。てんじてパチンコでの大当おおあたりのシステムでも「フィーバー」という言葉ことば使つかわれるようになった。

キャスト[編集へんしゅう]

役名やくめい 俳優はいゆう 日本語にほんご吹替
ソフトばん テレビ朝日てれびあさひはん
トニー ジョン・トラボルタ 三木みき眞一郎しんいちろう ごうひろみ
ステファニー カレン・リン・ゴーニイ 加藤かとうゆう 鈴木すずき弘子ひろこ
ボビー バリー・ミラー 上田うえだ祐司ゆうじ 塩屋しおやつばさ
ジョーイ ジョセフ・カリ 川村かわむらたくひさし 田中たなか秀幸ひでゆき
ダブルJ ポール・ベイブ 望月もちづき健一けんいち 石丸いしまる博也ひろや
アネット ドナ・ペスコウ 山田やまだ美穂みほ 藤田ふじた淑子としこ
その たに昌樹まさき
津田つだ真澄ますみ
室園むろぞのたけひろし
佐藤さとう晴男はるお
飯島いいじまはじめ
大川おおかわとおる
園部そのべ啓一けいいち
麻生あそうまどか
福島ふくしまおりね
じょう雅子まさこ
沼波ぬなみ輝枝てるえ
沢井さわい正延まさのぶ
冨永とみながみーな
前沢まえさわすすむゆう
伊武いぶ雅刀まさとう
安原やすはら義人よしひと
藤本ふじもとゆずる
たき雅也まさや
片岡かたおか富枝とみえ
横尾よこおまり
八幡やはたいずみ
久保くぼあきら
上山うえやま則子のりこ
広瀬ひろせただしこころざし
小比類巻こひるいまき孝一こういち
演出えんしゅつ 鍛治かじたにいさお 佐藤さとう敏夫としお
翻訳ほんやく おぐちゆり 篠原しのはらまこと
調整ちょうせい 山下やました欽也きんや
効果こうか 遠藤えんどう堯雄
桜井さくらい俊哉としや
解説かいせつ 淀川よどがわ長治ながはる
制作せいさく ムービーテレビジョン 東北新社とうほくしんしゃ
初回しょかい放送ほうそう 1981ねん4がつ5にち
日曜にちよう洋画ようが劇場げきじょう

ストーリー[編集へんしゅう]

ブルックリンのペンキはたらくトニーは、わりばえのない毎日まいにち生活せいかつにうんざりしていた。そんなかれ甲斐がい土曜日どようびよる(サタデーナイト)にディスコおどかすことだけ。ある、ディスコで年上としうえおんなステファニーに出会であう。おなじブルックリンでまれながらもインテリ自立じりつし、将来しょうらい設計せっけいマンハッタンのステファニーに影響えいきょうされたトニーは、自分じぶんかたかんがなおすようになる。やがてステファニーとの生活せいかつ夢見ゆめみて、ディスコでおこなわれる賞金しょうきんきダンスコンテストへの出場しゅつじょう決意けついする。

まめ知識ちしき[編集へんしゅう]

  • トニーの部屋へや映画えいがロッキー』のポスターがってあるシーンがあるが、6ねん、そのロッキーで主演しゅえんしたシルベスタ・スタローン監督かんとく脚本きゃくほんでサタデー・ナイト・フィーバーの続編ぞくへんである『ステイン・アライブ』がられている。また、おんなからアル・パチーノにているとわれ、トニーが「アル・パチーノ!アル・パチーノ!」と連呼れんこしてよろこぶシーンがあるが、2013ねん公開こうかい映画えいが『Gotti: Three Generations』で共演きょうえんしている。
  • DVD特典とくてん映像えいぞうの「削除さくじょされたシーン」では、以下いかのカットされた3シーンをることが出来できる。
    • トニーがステファニーをくるまいえまでおくるシーン。くるまなかでのキスシーンがありトニーはステファニーと関係かんけいとうとするが拒絶きょぜつされる。これがのちに、コンテストしゃなかでステファニーにせまろうとして「いつまでてばいいんだ」の台詞せりふむすびつく。
    • トニーがステファニーの部屋へやおとずれるが入室にゅうしつこばまれるシーン。
    • トニーの父親ちちおや会社かいしゃからさい雇用こよう電報でんぽうるシーン。よろこ父母ちちははたいし、トニーは「食事しょくじだいいえれないからな」とう。
  • 2022ねん4がつ8にち、『サタデー・ナイト・フィーバー ディレクターズカット 4Kデジタルリマスターはん』がリバイバル上映じょうえいされた[4]

続編ぞくへん[編集へんしゅう]

1983ねんにはシルベスター・スタローン監督かんとく続編ぞくへんにあたる『ステイン・アライブ』が製作せいさくされた。

ミュージカル[編集へんしゅう]

1998ねんにはミュージカルはん制作せいさくされている。2003ねん新宿しんじゅくコマ劇場げきじょうにおいて日本人にっぽんじんキャストによるミュージカルばん公演こうえんされた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 1976ねんにニューヨーク・マガジンに掲載けいさいされたルポ"Tribal Rites of the New Saturday Night" (邦題ほうだいあたらしい土曜どようよる部族ぶぞく儀式ぎしき」)。 著者ちょしゃのニック・コーンは1990年代ねんだいなかばに、記事きじ内容ないようかれ創作そうさくであったことをみとめた。イギリスじんかれはニューヨークのディスコ文化ぶんからず、主人公しゅじんこうのトニー・モレノにたる人物じんぶつかれいのイギリスのモッズをモデルにつくられた。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Saturday Night Fever (1977)” (英語えいご). Box Office Mojo. 2010ねん2がつ19にち閲覧えつらん
  2. ^ キネマ旬報きねまじゅんぽうベスト・テン85かいぜん 1924-2011』(キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、2012ねん)370ぺーじ
  3. ^ 出典しゅってんキネマ旬報きねまじゅんぽう世界せかい映画えいが作家さっか39』P 97。1980ねん4がつ発行はっこう
  4. ^ 「サタデー・ナイト・フィーバー」「フラッシュダンス」などの4Kリマスター今春こんしゅん上映じょうえい”. 映画えいがナタリー (2022ねん2がつ28にち). 2022ねん7がつ25にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]