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ピンクリボン

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ピンクリボン運動うんどうから転送てんそう
ピンクリボン
ピンクリボン

ピンクリボン(Pink ribbon)とは、にゅうがんただしい知識ちしきひろめ、にゅうがん検診けんしん早期そうき受診じゅしん推進すいしんすること、などを目的もくてきとしておこなわれる世界せかい規模きぼ啓発けいはつキャンペーン、もしくはそのシンボル日本人にっぽんじん女性じょせいのうち、にゅうがんを発症はっしょうする割合わりあいやく12にん1人ひとりわれており、また、にゅうがんで死亡しぼうする女性じょせいかず年間ねんかんやく1まんにんじゃくとされ、そのキャンペーンはとしすごとに拡大かくだいしている。

発祥はっしょう歴史れきし

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シンボルであるピンクリボン由来ゆらいについては、さまざまなせつがある。

「まだにゅうがんについての研究けんきゅうあさかった1980年代ねんだいアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくちいさなまちで、にゅうがんで死亡しぼうした女性じょせい母親ははおやが、この女性じょせいむすめであるじつまごに、おなかなしみをかえさないよう、ねがいをめて手渡てわたしたものがピンク色ぴんくいろのリボンであったことにはしはっするとされる[よう出典しゅってん]。この行為こういにゅうがんのおそろしさと、にゅうがんについてり、かんがえるきっかけをこのまち住人じゅうにんひろめ、そのくさてき活動かつどうにより、アメリカ全土ぜんどはもとより、ヨーロッパアジアなどぜん世界せかいてきひろまった」など[よう出典しゅってん]

しかし実際じっさい以下いかのような経緯けいい使つかわれはじめた模様もようen:Pink ribbon

  • リボンになに意味いみをこめて使つかした最初さいしょ事例じれいは「黄色きいろいリボン」で、最初さいしょ軍隊ぐんたいでうたわれていたきょくが、1917ねんに「ラウンド・ハー・ネック・シー・ウェアズ・ア・イエローリボン」となり、1940年代ねんだいにさまざまにアレンジされた(1949ねんジョン・ウェイン主演しゅえん映画えいが黄色きいろいリボン』にもてきたうた)。
  • 1970年代ねんだいにリリースされた「タイ・ア・イエローリボン・ラウンド・ジ・オール・オーク・ツリー」というきょくにちなみ、兵士へいしであるおっとをイラクで人質ひとじちにとられた女性じょせいが、おっと無事ぶじ帰還きかんいのってリボンをむすんだ。そして友人ゆうじん家族かぞくたちが彼女かのじょにならってリボンをむすんだことで、リボンが「メッセージをつたえるための道具どうぐ」としてぜん国民こくみん認知にんちされた。
  • 1990年代ねんだいはいって、「黄色きいろいリボン」にヒントをたエイズの活動かつどうたちが「レッドリボン」を活動かつどうのシンボルとして使つかいはじめ、さらにそれを各種かくしゅ慈善じぜん事業じぎょう団体だんたいがリボン採用さいようにうごきだした。
  • ニューヨーク・タイムズかみ1992ねんを「リボンのとし」と宣言せんげんした。
  • 1991ねんあき、「スーザン・G・コーメンにゅうがん基金ききん」がイベントの参加さんかしゃピンク色ぴんくいろのリボンをくばった。この基金ききんにゅうがんでなくなったスーザン・コーメンのいもうとナンシー・ブリンカーが1982ねん設立せつりつしたもので、現在げんざいは「スーザン・G・コーメン・フォー・ザ・キュア(Susan G. Komen for the Cure)」と名称めいしょうえている。
  • 1992ねんはじめ、女性じょせい健康けんこう雑誌ざっし『SELF』の編集へんしゅうちょうアレクサンドラ・ペニー(en:Alexandra Penney)が、「にゅうがん意識いしき向上こうじょう月間げっかんen:Breast Cancer Awareness Month)」の特集とくしゅう企画きかく検討けんとうするなか、化粧けしょうひん会社かいしゃエスティ ローダーしゃふく社長しゃちょうエヴリン ローダー(Evelyn Lauder)に協力きょうりょくをもとめ、2人ふたりはリボンをつくってニューヨークの店舗てんぽ配布はいふすることをおもいついた。だがいろはまだまっていなかった。
  • シャーロット・ヘイリーという女性じょせいen:Charlotte Haley)が、「ピーチしょく」のリボンをつくり、それに「国立こくりつがん研究所けんきゅうじょ年間ねんかん予算よさんは18おくドルで、がん予防よぼう研究けんきゅう使つかわれるのはたった5%です。このリボンをけて議員ぎいんたちとアメリカのましてやってください」とかれたカードをえてった。『SELF』のペニーとローダーはヘイリーに一緒いっしょんでやろうともちかけたが、ヘイリーは2人ふたり姿勢しせいがあまりに営利えいり重視じゅうしだとして、もうことわった。
  • 弁護士べんごし相談そうだんしたペニーとローダーは、べついろをえらぶように助言じょげんをうけた。そして「ピンク色ぴんくいろ」のリボンが、にゅうがんの意識いしき向上こうじょう国際こくさいてきシンボルとしてえらばれた。
  • そのエヴリン ローダーは、1992ねんに「米国べいこくにゅうがん研究けんきゅう基金ききん」(en:Breast Cancer Research Foundation)を設立せつりつし、ピンクリボン運動うんどう展開てんかいしていく。
  • やはり化粧けしょうひん会社かいしゃであるエイボンも、おなじく1993ねんに「にゅうがんにさよなら」活動かつどうとして、寄付きふきんきの製品せいひん販売はんばいはじめる。

日本にっぽんにおけるピンクリボン

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ピンクリボンをかかげるワコール本社ほんしゃビル(京都きょうと
ピンクリボンデーの東京とうきょうタワー

日本にっぽんでのピンクリボン運動うんどうしゅたる活動かつどう組織そしき多数たすうある。そのなかのひとつがNPO法人ほうじん「J.POSH」(Japan Pink-ribbon of Smile and Happiness、日本にっぽん笑顔えがおしあわせのピンクリボン)である。 J.POSHは田中たなかかん関西医科大学かんさいいかだいがく乳腺にゅうせん専門医せんもんいをはじめとする発起人ほっきにんにより活動かつどう開始かいしされた。J.POSHでは、1ねんに1マンモグラフィー検診けんしん乳腺にゅうせん乳房ちぶさ専用せんようレントゲン検診けんしん)をけることを奨励しょうれいしている。

ピンクリボン運動うんどう一般いっぱんてき認知にんちされるようになったのは、2000年代ねんだいはいってからのことである。2000ねん平成へいせい12ねん10月にグローバルランドマークイルミネーションの一環いっかんとして、エスティ ローダー グループ オブ カンパニーズ株式会社かぶしきがいしゃげんELGC株式会社かぶしきがいしゃ)が、当時とうじ日本にっぽん最大さいだいにゅうがん患者かんじゃ支援しえん団体だんたい「あけぼのかい」をサポートし、東京とうきょうタワーをピンク色ぴんくいろにライトアップしたことがきっかけ。以後いご2000ねんから2016ねんまで毎年まいとし同社どうしゃピンク色ぴんくいろ東京とうきょうタワーをライトアップしている。

その運動うんどう規模きぼとしうごとにきゅう拡大かくだいしており、りそな銀行ぎんこうアストラゼネカアテニア化粧けしょうひんエイボン・プロダクツ東京とうきょう海上かいじょう日動にちどうあんしん生命せいめいワコール埼玉さいたまりそな銀行ぎんこうオーティコンなど、協賛きょうさんする企業きぎょう市民しみん団体だんたい多数たすう存在そんざいする。また、Yahoo! JAPANasahi.comといった日本にっぽん代表だいひょうするポータルサイト、ニュースサイトでひろくピンクリボン運動うんどう紹介しょうかいされている。

ピンクリボンデー

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10月1にちには、「ピンクリボンデー」として、清水寺きよみずでら東京とうきょう庁舎ちょうしゃレインボーブリッジ東京とうきょうタワー表参道おもてさんどうヒルズ名古屋なごやじょう姫路城ひめじじょう神戸こうべポートタワー明石海峡大橋あかしかいきょうおおはし紀三井寺きみいでらなどをピンク色ぴんくいろにライトアップ(またはピンク色ぴんくいろ電球でんきゅう交換こうかん)し、いずれも大勢おおぜいひと視覚しかくというかたちで、ピンクリボン運動うんどう認知にんち向上こうじょう貢献こうけんしている。

なお、アメリカでは10がつだい3しゅう金曜日きんようびが、「ナショナル・マンモグラフィーデー(National Mammography Day)」として1993ねん制定せいていされたという[1]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ピンクリボン運動うんどうとは - 認定にんていNPO法人ほうじん J.POSH 日本にっぽんにゅうがんピンクリボン運動うんどう

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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