出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この 存命人物の記事には、 出典がまったくありません。 信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。 出典検索?: "ブラヒム・ブタイブ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2024年1月) |
ブラヒム・ブタイブ(アラビア語: مولاي ابراهيم بوطيب、ローマ字:Moulay Brahim Boutayeb、1967年8月15日 - )は、モロッコの陸上競技選手。1980年代後半から1990年代前半にかけて活躍した男子中長距離選手。1988年ソウルオリンピックの金メダリストである。ケミセット出身。
ブタイブは、1988年ソウルオリンピックの10000mに出場するまでは無名の選手で、10000mよりむしろ5000mのランナーと見られていた。
ソウルオリンピックの10000mは、スタートから、ケニアのキプケンボイ・キメリとモーゼス・タヌイの2人が世界新記録ペースで引っ張り、5000m通過時点で先頭集団は少人数となっていた。ここからブタイブは先頭に立つと、後続を突き放し世界記録ペースのまま独走態勢に入る。ラスト1周の鐘が鳴り若干ペースが落ちたものの、27分21秒46の世界歴代4位のタイムで金メダルを獲得した。
ブタイブは、ソウルオリンピックの後、再び1500mから5000mを中心にレースに出場することとした。1991年の東京の世界選手権では、ケニアのヨベス・オンディエキ、エチオピアのフィタ・バイエサに次いで銅メダルを獲得。1992年のバルセロナオリンピックの5000mでは、ラスト混戦の末、13分13秒27で、金メダルのドイツのディーター・バウマンから0秒75差、銅メダルのバイエサからはわずか0秒24差の4位でメダルを逃した。
ブタイブは、1993年の世界選手権の5000mで予選落ちした後は、陸上競技選手からラリードライバーに転向した。
- 3000m - 7分48秒13 (1994年)
- 5000m - 13分17秒05 (1995年)
- 10000m - 27分21秒46 (1988年)
|
---|
1910年代 | |
---|
1920年代 | |
---|
1930年代 | |
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|