マイケルソン・モーリーの実験じっけん

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マイケルソン・モーリーの実験じっけんデータ

マイケルソン・モーリーの実験じっけん(マイケルソン・モーリーのじっけん、えい: Michelson-Morley experiment)とは、1887ねんアルバート・マイケルソンエドワード・モーリーによっておこなわれた光速こうそくたいする地球ちきゅうはやさの (βべーた = v/c) のじょう βべーた2検出けんしゅつすることを目的もくてきとした実験じっけんである[1][注釈ちゅうしゃく 1]

マイケルソンは、この業績ぎょうせきにより1907ねんノーベルしょう受賞じゅしょうした[注釈ちゅうしゃく 2]

概要がいよう[編集へんしゅう]

19世紀せいき初頭しょとう物理ぶつりがく光学こうがく理論りろんにおいては、ひかり波動はどう伝播でんぱするための媒質ばいしつとして「エーテル」が存在そんざいする[注釈ちゅうしゃく 3]かんがえられていた。だが、その肝心かんじんのエーテルの存在そんざいについては、おおくの理論りろんてき実験じっけんてきこころみにもかかわらず、どのような証拠しょうこつけることができなかった。そのため、物理ぶつり学者がくしゃたちは、あるしゅのエーテルは存在そんざいしているにもかかわらず、どのような実験じっけん技術ぎじゅつによってもさぐせないものだとしんじるようになっていた[2]

ところが、静止せいししたエーテルちゅう電磁気でんじき理論りろん(1864ねん[3])をつくり、ひかり電磁波でんじはであるというせつ(1871ねん[4])をてたジェームズ・クラーク・マクスウェルは、あるとき自身じしん方程式ほうていしき数式すうしきちゅうに、直接的ちょくせつてきではないものの、静止せいしエーテルちゅう地球ちきゅう運動うんどう適当てきとう光学こうがくじょう実験じっけん探知たんちできることがしめされていることにづいた[注釈ちゅうしゃく 4]

ただし、その方法ほうほうとは、マクスウェルがワシントンの航海こうかい年鑑ねんかんきょく勤務きんむしていたデイヴィッド・ペック・トッドてた手紙てがみなか

ひかり速度そくど測定そくていする地球ちきゅうじょうのあらゆる方法ほうほうでは、ひかりおな道筋みちすじとおってかえってくる。エーテルにたいする地球ちきゅう運動うんどうは、往復おうふくで、光速こうそくたいする地球ちきゅう速度そくどじょうだけ変化へんかするが、これはちいさすぎて観測かんそくできない

べている[5][注釈ちゅうしゃく 5]ように、ひかりはやcたいする地球ちきゅう軌道きどう運動うんどうはやv (βべーた = v/c) のじょう、すなわち βべーた2あらわされるきわめてちいさい有限ゆうげんりょう測定そくていするという非常ひじょうたか測定そくてい精度せいど必要ひつようなものであった[注釈ちゅうしゃく 6]

一方いっぽう上記じょうきマクスウェルからの手紙てがみ機会きかいた、トッドの同僚どうりょうでアメリカ海軍かいぐん士官しかんであったアルバート・マイケルソンは、そのマクスウェルのかんがえた測定そくてい実験じっけん興味きょうみいた。マイケルソンはひかり干渉かんしょう効果こうか利点りてん利用りようすることでこの測定そくてい可能かのうなものであるとかんがえ、エドワード・モーリー協力きょうりょくたか精度せいどでこれを観測かんそくすることを可能かのうにしたが、その結果けっか否定ひていてきなものであった。

エーテルの測定そくてい[編集へんしゅう]

「エーテルのふう」の概念がいねん

地球ちきゅう太陽たいようまわりを公転こうてんしており、そのはやさは、およそ秒速びょうそく30kmである。太陽たいよう自体じたい銀河系ぎんがけいなか地球ちきゅう公転こうてんよりはや運動うんどうしているし、銀河系ぎんがけい自体じたい高速こうそく運動うんどうしているが、ここでは太陽たいよう地球ちきゅう相対そうたいてき運動うんどうのみに着目ちゃくもくする。地球ちきゅうはエーテルのなかうごいているのだから、地球ちきゅうじょう我々われわれかられば「エーテルのふう」がいているはずである。これは、水中すいちゅうあるくとみず抵抗ていこうかんじるのと同様どうようである。もちろん、地球ちきゅう運動うんどうとエーテルのながれがたまたま一致いっちして無風むふう状態じょうたいになることもありる。しかし地球ちきゅう位置いちわれば、つまりぶしわれば、ふたたびエーテルのかぜくであろう。エーテルがつね地球ちきゅうおな方向ほうこううごいているとはかんがえにくいからである。

地球ちきゅうじょうのどの場所ばしょであっても、エーテルのふうきやつよさは、ぶし時刻じこくとも変化へんかするはずである。ひかりはエーテルにって伝播でんぱするのだから、順風じゅんぷうときはやく、逆風ぎゃくふうときおそつたわるはずである。したがって、ことなる方向ほうこう時刻じこくについてひかりはやさを調しらべることで、地球ちきゅうのエーテルにたいする相対そうたい運動うんどうることができるとかんがえられた。

期待きたいされたひかりはやさの変化へんかは、最大さいだいでも、光速こうそくたいする地球ちきゅう公転こうてん速度そくど、すなわちいちまんぶんいち程度ていどであった。19世紀せいきには、おおくの物理ぶつり学者がくしゃたちがこのたね実験じっけんこころみた。しかし、実験じっけん装置そうち精度せいど不充分ふじゅうぶんであったために、ひかりはやさの微小びしょう変化へんかとらえることはできなかった。たとえば、フィゾーフーコー装置そうちは 5 % の精度せいどひかりはやさをはかることができたが、エーテルのかぜ測定そくていするには不充分ふじゅうぶんであった。

実験じっけん[編集へんしゅう]

レーザーをもちいて、原理げんりてきにマイケルソンの干渉かんしょうけいおなじものが今日きょうでも使つかわれている。

マイケルソンはエーテルのながれを検出けんしゅつするに十分じゅうぶん精度せいどられる実験じっけん方法ほうほう考案こうあんした。これは今日きょうマイケルソン干渉かんしょうけいばれる装置そうちである。まず、光源こうげんから白色はくしょく光線こうせんハーフミラーとおり、ふたつのたがいに垂直すいちょく光線こうせん分割ぶんかつされる。それぞれの光線こうせんは、しばらくすすんだのちかがみ反射はんしゃされ、中央ちゅうおうもどってくる。そして検出けんしゅつうえかさわせると、それぞれの光線こうせん光源こうげんてから検出けんしゅつ到達とうたつするまでについやした時間じかんおうじて、干渉かんしょうこる。光線こうせんついやした時間じかんわずかでも変化へんかすると、干渉かんしょうしま位置いちうごくはずである。

もしエーテルのかぜ地球ちきゅう自転じてんにのみ由来ゆらいするのであれば、風向かざむきは12あいだごとに反転はんてんする。また、いちねんとおしても、半年はんとしごとに風向かざむきが変化へんかしなければならない。この風向かざむきの変化へんかは、干渉かんしょうしま移動いどうとして検出けんしゅつされるはずである。これは、かわふねれいかんがえることができよう。ふねはスクリューにより時速じそく50 kmのはやさをることができ、かわ時速じそく5 kmでながれているとする。このとき、かわ横切よこぎるように10 kmの距離きょり往復おうふくするならば、すこ下流かりゅうながされることをにしなければ、0.4あいだかえってくることができる。しかし、上流じょうりゅうから下流かりゅう10 kmの地点ちてんまでを往復おうふくするならば、きは0.182あいだかえりは0.222時間じかんようするので、合計ごうけいで0.404あいだかかる。同様どうようかんがえて、エーテルのふうたい垂直すいちょくすす光線こうせんくらべ、平行へいこうすす光線こうせんは、往復おうふくわずかばかりなが時間じかんようする。すなわち、エーテルの風向かざむきによって干渉かんしょうしま移動いどうするのである。実験じっけんは、エーテルのながれが太陽たいようからまっていると仮定かていし、地球ちきゅう運動うんどうによりこされる干渉かんしょうしま移動いどう測定そくてい目的もくてきとしておこなわれた。

マイケルソンは1881ねんにいくつかの実験じっけんおこなった。予想よそうされた干渉かんしょうしま移動いどうが、しま間隔かんかくを1として0.04であったのにたいし、検出けんしゅつされたのは最大さいだいで0.02であった。しかし、かれ実験じっけん装置そうち試作しさくひんであり、実験じっけん誤差ごさおおきかったために、エーテルのふうについて結論けつろんすことはできなかった。エーテルのかぜ測定そくていするためには、さらにこう精度せいど実験じっけんおこな必要ひつようがあった。とはいえ、この試作しさくひんは、実験じっけん手法しゅほう有効ゆうこうせいしめすには十分じゅうぶんであった。

そしてマイケルソンはモーリーととも改良かいりょうがた装置そうち作成さくせいし、干渉かんしょうしま移動いどう検出けんしゅつするのに十分じゅうぶん精度せいどることに成功せいこうした。かれらの実験じっけんでは、こうなん反射はんしゃされてから検出けんしゅつ到達とうたつするため、ひかり移動いどうするながさは11 mにおよんだ。このため、予想よそうされる干渉かんしょうしま移動いどうは0.4であった。検出けんしゅつ容易よういにするため、この装置そうち石造いしづくりの建物たてもの地下ちかしつ配置はいちされ、ねつ振動しんどう影響えいきょう最小さいしょうおさえられた。振動しんどうおさえるための工夫くふうとして、装置そうち大理石だいりせき巨大きょだいなブロックのうえかれ、そのブロックは水銀すいぎんのプールにかべられた。かれらの計算けいさんによれば、振動しんどうによる影響えいきょうは、期待きたいされる干渉かんしょうしま移動いどうの100ぶんの1以下いかであった。水銀すいぎんのプールにはべつ利点りてんもあった。すなわち、装置そうちきを容易よういえることができたのである。きをえながら実験じっけんかえすことにより、エーテルの「風向かざむき」を検出けんしゅつすることができたのである。

失敗しっぱいしたことで有名ゆうめい実験じっけん[編集へんしゅう]

赤色あかいろレーザーをもちいたマイケルソンの干渉かんしょうけいによる干渉かんしょうしま

これらの緻密ちみつ考察こうさつ工夫くふうにもかかわらず失敗しっぱいしたことで、かれらの実験じっけん有名ゆうめいになった。エーテルの性質せいしつあきらかにすることが目的もくてきであったが、The American Journal of Science掲載けいさいされたマイケルソンとモーリーの1887ねん論文ろんぶんでは、検出けんしゅつされた干渉かんしょうしまのずれは期待きたいされたものの40ぶんの1程度ていどであったこと、およびずれは速度そくどじょう比例ひれいすることから、測定そくていされた風速ふうそく地球ちきゅう公転こうてん速度そくどやく6ぶんの1であり、「おおきくとも4ぶんの1」であると結論けつろんされた。このような「風速ふうそく」が測定そくていされたとはいえ、このはエーテルの存在そんざい証拠しょうことしてはちいさすぎ、のちには実験じっけん誤差ごさ範囲はんいであり実際じっさいの「風速ふうそく」は0であるとかんがえられるようになった。

マイケルソンとモーリーの1887ねん論文ろんぶんのちも、さらに工夫くふうらした実験じっけんつづけられた。ケネディとイリングワースは、かがみはん波長はちょうの「段差だんさ」をもうけることで装置そうちない発生はっせいする干渉かんしょう軽減けいげんした。イリングワースは300ぶんの1、ケネディは1500ぶんの1の干渉かんしょうしまのずれを、それぞれ検出けんしゅつした。ミラーはビラリ現象げんしょうふせぐために磁性じせいたいもちいない装置そうち作成さくせいし、マイケルソンは不変ふへんこうもちいてねつ影響えいきょうをさらにちいさくした。そのにも、外乱がいらんふせ様々さまざま工夫くふうがなされた。

モーリーはみずからの実験じっけん結果けっか納得なっとくせず、デイトン・ミラーともに、さらなる実験じっけんおこなった。ミラーは、光線こうせん32 m もの距離きょり移動いどうする巨大きょだい装置そうちウィルソンやま天文台てんもんだい建設けんせつした。エーテルのかぜ建物たてものあつかべみだされる可能かのうせい懸念けねんし、かれは、ぬのつくられた小屋こやてた。かれ装置そうち角度かくど恒星こうせいによってしょうじる様々さまざまな、ちいさなばらつきをいちねんごとに測定そくていした。かれ測定そくていでは、エーテルの風速ふうそく最大さいだいでも 10 km/s であると結論けつろんされた。ミラーは、この風速ふうそく地球ちきゅう公転こうてんよりもおそいのは、エーテルが地球ちきゅう公転こうてんに「きずられる」からであるとかんがえた。

後年こうねん、ケネディもウィルソンやまにおいて実験じっけんおこなった。その結果けっか干渉かんしょうしまのずれはミラーによって測定そくていされたものにくらべて10ぶんの1しか確認かくにんされず、また、ぶしごとの変動へんどうられなかった。これにもとづくマイケルソンやローレンツらによる議論ぎろんが1928ねん報告ほうこくされ、そこではミラーの実験じっけん結果けっか確認かくにんするための追試ついし必要ひつようであると結論けつろんされた[6]。ローレンツは、原因げんいんなにであれ、実験じっけん結果けっかかれアインシュタイン特殊とくしゅ相対性理論そうたいせいりろん矛盾むじゅんするとかんがえていた。この議論ぎろんにアインシュタインは参加さんかしていなかったが、かれは、干渉かんしょうしまのずれは実験じっけん誤差ごさであるとかんがえた[7]現在げんざいにいたるまで、ミラーの実験じっけん結果けっか再現さいげんには成功せいこうしていない。

報告ほうこくしゃ とし 光線こうせん移動いどう距離きょり (メートル) 期待きたいされた干渉かんしょうしまのずれ 測定そくていされた干渉かんしょうしまのずれ 実験じっけん分解能ぶんかいのう エーテルの風速ふうそく上限じょうげん
マイケルソン 1881 1.2 0.04 0.02
マイケルソンとモーリー 1887 11.0 0.4 < 0.01 8 km/s
モーリーとミラー 1902–1904 32.2 1.13 0.015
ミラー 1921 32.0 1.12 0.08
ミラー 1923–1924 32.0 1.12 0.03
ミラー (太陽光たいようこう) 1924 32.0 1.12 0.014
トマシェック (恒星こうせいこう) 1924 8.6 0.3 0.02
ミラー 1925–1926 32.0 1.12 0.088
ケネディ (ウィルソンやま) 1926 2.0 0.07 0.002
イリングワース 1927 2.0 0.07 0.0002 0.0006 1 km/s
ピカードとスタヘル (リギさん) 1927 2.8 0.13 0.006
マイケルソンら 1929 25.9 0.9 0.01
ヨース 1930 21.0 0.75 0.002

今日きょうでは、レーザーメーザーもちいることにより、光線こうせん移動いどう距離きょりをキロメートルの規模きぼにした実験じっけんおこなわれている。このたね実験じっけんはじめてったのは、メーザーの開発かいはつしゃ一人ひとりであるチャールズ・タウンズらである。かれらの1958ねん実験じっけんでは、かんがえられるあらゆる実験じっけん誤差ごさふくめても、エーテルの風速ふうそく30 m/s 以下いかであることが結論けつろんされ、1974ねんにはこれが 0.025 m/s にまでせばめられた。1979ねんのブリエとホールの実験じっけんでは、風速ふうそくすべての方向ほうこうについて 30 m/s 以下いかであり、かつ、次元じげんかぎれば 0.000001 m/s 以下いかであると結論けつろんされた。

副産物ふくさんぶつ[編集へんしゅう]

この実験じっけん結果けっかは、(干渉かんしょうこすひかりの)なみ空気くうきみずのようななにかの媒質ばいしつひかり場合ばあいはエーテル)ちゅう伝播でんぱするべきという当時とうじ理論りろんからはがたいものであったため、この結果けっか説明せつめいする様々さまざましん理論りろん検討けんとうされた。たとえば、実験じっけん環境かんきょう問題もんだい、または地球ちきゅう重力じゅうりょく影響えいきょうで、地球ちきゅう運動うんどうおなきのエーテルのながれが発生はっせいしてしまっている、などというエーテルきずり仮説かせつである。ミラーは、実験じっけんしつかべ装置そうち自体じたいによりエーテルのかぜがさえぎられているのではないかとかんがえた。もし、そうであるならば、「だいいち仮定かてい」とばれる単純たんじゅんなエーテルの理論りろんあやまりであることになる。ハマールがおこなった検証けんしょう実験じっけん英語えいごばんは、光線こうせんとおみち一方いっぽうを、巨大きょだいなまりブロックのあいだとおしたものであった。かれ理論りろんによれば、もしエーテルが重力じゅうりょく影響えいきょうけるならば、このなまりブロックの存在そんざい干渉かんしょうしま影響えいきょうあたえるはずであった。しかし、結果けっかとして干渉かんしょうしまには一切いっさい影響えいきょうられなかった。

ヴァルター・リッツ放出ほうしゅつ理論りろんは、エーテルの存在そんざい仮定かていせずに実験じっけん結果けっかたくみ説明せつめいするものであった。この理論りろんは「だい仮定かてい」とばれることになる。しかし、これは天文学てんもんがくじょう観測かんそく事実じじつとのあいだ矛盾むじゅんかかえていた。とくに、だい仮定かていもとづくならば、れんぼしはっするひかりは、れんぼし運動うんどう影響えいきょうにより干渉かんしょうしまのずれをこすはずであるが、実際じっさいにはそのような現象げんしょう観測かんそくされていないのである。サニャックの実験じっけんは、一定いってい速度そくど回転かいてんするテーブルのうえ装置そうちくことでなされる。この装置そうちはマイケルソンの実験じっけんのものとはすこことなり、ひかり軌道きどうがテーブルに沿ってじたえんえがいているのである。かがみ検出けんしゅつがテーブルと一緒いっしょ回転かいてんすることで、みぎまわりのひかりひだりまわりのひかりことなるながさをすすむことになり、リッツの放出ほうしゅつ理論りろん直接的ちょくせつてき検証けんしょうすることができた。リッツの理論りろんによれば、光源こうげん検出けんしゅつ相対そうたい速度そくどが0、つまりいずれもテーブルと一緒いっしょうごくのだから、干渉かんしょうしまのずれは検出けんしゅつされないはずであった。しかし、この場合ばあい干渉かんしょうしまのずれが観測かんそくされたのである。この実験じっけんにより放出ほうしゅつ理論りろん否定ひていされ、このような干渉かんしょうしまのずれはリングレーザージャイロスコープもちいられている。

この問題もんだいたいする説明せつめいは、ローレンツ=フィッツジェラルドの収縮しゅうしゅく仮説かせつ、あるいはながさの収縮しゅうしゅくばれる仮説かせつによりあたえられた。この仮説かせつによれば、すべての物体ぶったいは、運動うんどうのエーテルにたいする相対そうたいてききに沿ってちぢむのである。そのため、エーテルのふうによりひかりはやさがわっても、ちょうどそれをすようにながさが変化へんかするので、干渉かんしょうしまのずれはしょうじないのである。1932ねんに、マイケルソン=モーリーの実験じっけん改良かいりょうしたケネディ・ソーンダイクの実験じっけんおこなわれた。この実験じっけんでは、ふたつの光線こうせんすす距離きょりひとしくなく、一方いっぽうだけを極端きょくたんみじかくした。この実験じっけんでは、ながさの収縮しゅうしゅくともなって予想よそうされる時間じかんおくただしくなければ、地球ちきゅう運動うんどう干渉かんしょうしま影響えいきょうあたえるはずであった。しかし、そのような影響えいきょう観測かんそくされなかった。このことは、特殊とくしゅ相対性理論そうたいせいりろん根幹こんかんす、ながさの収縮しゅうしゅく時間じかんおくれのふたつの仮説かせつただしいことの証拠しょうこであるとかんがえられる。

エルンスト・マッハは、実験じっけん結果けっかはエーテル理論りろんたいする反証はんしょうとなっていると主張しゅちょうした。また、アインシュタインはローレンツ=フィッツジェラルド収縮しゅうしゅく相対そうたいせい仮説かせつから導出どうしゅつした。すなわち、特殊とくしゅ相対性理論そうたいせいりろんは、エーテルのかぜ検出けんしゅつできなかった実験じっけん結果けっか矛盾むじゅんなく説明せつめいしているのである。今日きょうでは特殊とくしゅ相対性理論そうたいせいりろんがマイケルソン=モーリーの実験じっけんたいする「かい」であるとかんがえられているが、当時とうじはそのような共通きょうつう理解りかいはなかった。アインシュタイン自身じしんでさえ1920ねんごろに、「空間くうかん物理ぶつりてき実在じつざいせいそなえている」ことから「空間くうかん特質とくしつそのものをエーテルとぶことができる」とべた。この場合ばあい、エーテルを普通ふつう意味いみでいう媒質ばいしつとしてかんがえることはできず、運動うんどう概念がいねんをエーテルにあてはめることはできない。

トロウトン=ノーブルの実験じっけん英語えいごばんは、静電気せいでんきがくにおけるマイケルソン=モーリーの実験じっけんかんがえてよかろう。また、1908ねんおこなわれたトロウトン=ランキンの実験じっけん英語えいごばんは、ケネディ=ソーンダイクの実験じっけん相当そうとうするものだとかんがえられる。

重力じゅうりょく検出けんしゅつへの応用おうよう[編集へんしゅう]

アインシュタインの一般いっぱん相対性理論そうたいせいりろん予言よげんのうち、重力じゅうりょく存在そんざいは、ながらく相対性理論そうたいせいりろん検証けんしょうによって間接かんせつてき観測かんそくされたのみであった。このためちょうこう感度かんどの、キロメートル規模きぼおおきさのマイケルソン干渉かんしょうけいファブリー・ペロー干渉かんしょうけいわされたものが、直接的ちょくせつてき重力じゅうりょく検出けんしゅつする実験じっけん計画けいかくにおいて使用しようされた(たとえばLIGOVirgo)。2015ねん9がつおな構造こうぞうの2のマイケルソン干渉かんしょうけいをもつLIGOによって直接的ちょくせつてき観測かんそく成功せいこうしている。

宇宙うちゅう重力じゅうりょく望遠鏡ぼうえんきょうは、NASAESA共同きょうどう計画けいかくで500 kmのマイケルソン干渉かんしょうけい3宇宙うちゅう空間くうかん設置せっちするものである。これにより、きわめてひく周波数しゅうはすう重力じゅうりょくじょうをもひろうことができるとかんがえられている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ なお、この実験じっけん現在げんざいケース・ウェスタン・リザーブ大学だいがくおこなわれた。
  2. ^ この実験じっけんは、エーテル理論りろんはじめて否定ひていした物理ぶつりがくにおける重要じゅうよう役割やくわりたしたものとしてられている。同時どうじに、「だい科学かがく革命かくめい理論りろんめん端緒たんしょ」ともされている。
    Earl R. Hoover, Cradle of Greatness: National and World Achievements of Ohio’s Western Reserve (Cleveland: Shaker Savings Association, 1977).
  3. ^ 水面すいめんなみつたわるにはみずが、おとつたわるためには空気くうきなどといった媒質ばいしつ必要ひつようであることがられており、こう真空しんくうであっても伝播でんぱすることから、真空しんくうちゅうでもなにかひかりつたえる媒質ばいしつ、すなわち「エーテル」が存在そんざいするとかんがえられていた。
  4. ^ この測定そくてい実験じっけんは、静止せいしエーテルちゅう理論りろんとしての初期しょきマクスウェル方程式ほうていしき正当せいとうせいしめ意味いみもあることがわかる。
  5. ^ これは、マクスウェルがデイヴィッド・ペック・トッドにてた手紙てがみの Even if we were sure of the theory of aberration, we can only get differences of position of stars, and in the terrestrial methods of determining the velocity of light, the light comes back along the same path again, so that the velocity of the earth with respect to the ether would alter the time of the double passage by a quantity depending on the square of the ratio of the earth’s velocity to that of light, and this is quite too small to be observed. というくだりのことだとおもわれる。
  6. ^ 手紙てがみなかのくだりからわかるように、その測定そくてい困難こんなんさからマクスウェル自身じしんはそのような実験じっけんまった仮想かそうてきなものだとかんがえていたようである。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 講談社こうだんしゃ(1972) だい6しょう
  2. ^ 講談社こうだんしゃ(1972) p.139
  3. ^ James Clerk Maxwell (1865), “A Dynamical Theory of the Electromagnetic Field”, Philosophical Transactions of the Royal Society of London 155: 459–512, http://users.df.uba.ar/mininni/teo1_2do2010/459.full.pdf 
  4. ^ 小出こいで(1997) p.143
  5. ^ 講談社こうだんしゃ(1972) p.141
  6. ^ A. A. Michelson et al., Conference on the Michelson-Morley Experiment, Astrophysical Journal 68, 341 (1928).
  7. ^ Robert S. Shankland et al., New Analysis of the Interferometer Observations of Dayton C. Miller, Reviews of Modern Physics, 27(2):167-178, (1955).

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]