(Translated by https://www.hiragana.jp/)
エーテル (物理学) - Wikipedia コンテンツにスキップ

エーテル (物理ぶつりがく)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
エーテル (物理ぶつり)から転送てんそう
地球ちきゅうひかりつたえる「媒質ばいしつ」であるエーテルのなか運動うんどうしているとかんがえられていた。

物理ぶつりがくにおけるエーテル (aether, ether, luminiferous aether)[注釈ちゅうしゃく 1] とは、ひかり波動はどうせつにおいて宇宙うちゅうちていると仮定かていされるもので、ひかり波動はどうとして伝搬でんぱんするために必要ひつよう媒質ばいしつう。ロバート・フックによって命名めいめいされた。

特殊とくしゅ相対性理論そうたいせいりろん光量子こうりょうし仮説かせつ登場とうじょうなどにより、エーテルはすたれた物理ぶつり学理がくりろんだとされている。

ひかり本性ほんしょうかんする研究けんきゅう歴史れきし[編集へんしゅう]

18世紀せいきまでのひかり本性ほんしょう研究けんきゅう[編集へんしゅう]

空間くうかんなんらかの物質ぶっしつ充満じゅうまんしているというかんがえはふるくからあったものの、近代きんだい物理ぶつりがくにおいては17世紀せいきルネ・デカルトはじまる。

デカルトは、すべての空間くうかんには連続れんぞくでいくらでもこまかく分割ぶんかつできる微細びさい物質ぶっしつまっており、あらゆる物理ぶつり現象げんしょうはそのなかしょうじるうず運動うんどうとして説明せつめいできるとかんがえた(渦動かどうせつ[注釈ちゅうしゃく 2]。カルテジアン(cartésien,デカルト主義しゅぎしゃ)とばれる学派がくははそのようなデカルトのかんがえにもとづく学派がくはで、17世紀せいきから18世紀せいきにかけてのフランスで学界がっかい主流しゅりゅうめた[2]

デカルトによれば、ひかりとはその宇宙うちゅうちている微細びさい物質ぶっしつちゅうたてのような圧力あつりょくである。ロバート・フックはこのかんがかたぎ、デカルトの宇宙うちゅうちている微細びさい物質ぶっしつエーテル(aether, ether)とび、ひかりとはエーテルのなかつたわる振動しんどうであるとした[注釈ちゅうしゃく 3]。また、フックの考察こうさつひかりはやさの有限ゆうげんせい結果けっか[注釈ちゅうしゃく 4]刺激しげきけたクリスティアーン・ホイヘンス[注釈ちゅうしゃく 5]は、もともとなみ概念がいねんホイヘンスの原理げんり導入どうにゅうすることでひかり波動はどうせつ基礎きそつくげた[4]

当初とうしょ実験じっけん物理ぶつり学者がくしゃとして望遠鏡ぼうえんきょう製作せいさく評価ひょうかされていたアイザック・ニュートンは、当時とうじ望遠鏡ぼうえんきょう欠陥けっかんであるレンズの色収差いろしゅうさ問題もんだい解決かいけつするため光学こうがく研究けんきゅうおこなっており、1672ねんに『ひかりいろしん理論りろん』(New theory about light and colours)という論文ろんぶんなかでその結果けっか報告ほうこくした。しかしながら、そのなか展開てんかいされたいろ理論りろんが、当時とうじ主流しゅりゅうのデカルトやフックの立場たちばはんするものであったことから、以降いこう、フックとニュートンのあいだなが論争ろんそうわされることとなった。

フックはひかり波動はどうせつをとっており、ニュートンは1704ねん光学こうがく』(Opticks)という著書ちょしょなかひかり微粒子びりゅうし放射ほうしゃ仮定かていしていた[注釈ちゅうしゃく 6]ように、つよ主張しゅちょうしてはいなかったもののひかり粒子りゅうしせつをとっていた[6]ため、この論争ろんそうひかり波動はどうせつひかり粒子りゅうしせつ近代きんだいにおける最初さいしょ対立たいりつとみなされることがおおい。

以降いこう、ニュートンの権威けんい手伝てつだって18世紀せいきにおいては、ひかり粒子りゅうしせつれられ、レオンハルト・オイラーのぞいてはひかり本性ほんしょうについて議論ぎろんされなくなった[7]

19世紀せいきにおけるひかり本性ほんしょう研究けんきゅう[編集へんしゅう]

19世紀せいき物理ぶつり学者がくしゃトマス・ヤングオーギュスタン・ジャン・フレネルひかり波動はどうであるとかんがえた。かれらは、こう横波よこなみであるとかんがえるなら、なみ振動しんどうきによってへんこうかんがえることができ、ふく屈折くっせつ説明せつめいすることができると指摘してきした。さらに、回折かいせつについて様々さまざま実験じっけんおこなうことにより、ニュートンの粒子りゅうしモデルを否定ひていした[注釈ちゅうしゃく 7]

オーギュスタン=ルイ・コーシーは、エーテルが普通ふつう物質ぶっしつきずられるとかんがえたが、そうすると今度こんど光行みつゆき[注釈ちゅうしゃく 8]説明せつめいすることができなくなってしまう。コーシーは、また、エーテルちゅうたて発生はっせいしないということから、エーテルの圧縮あっしゅくりつまけであるとかんがえた。ジョージ・グリーンは、このような流体りゅうたい安定あんてい存在そんざいないと指摘してきした。一方いっぽうジョージ・ガブリエル・ストークスきずり仮説かせつ支持しじした。かれは、個々ここのエーテル粒子りゅうし高周波こうしゅうは振動しんどうしつつも全体ぜんたいとしてすべりかにうごくようなモデルを構築こうちくした。このモデルにより、エーテル同士どうしつよ相互そうご作用さようし、ゆえひかりつたえ、かつ、普通ふつう物質ぶっしつとは相互そうご作用さようしないという性質せいしつ説明せつめいされた。

後年こうねんジェームズ・クラーク・マクスウェルによって電磁波でんじは存在そんざい予想よそうされ、さらにヘルツ電磁波でんじは送受信そうじゅしん可能かのうであることを実験じっけんてきしめした。マクスウェルの方程式ほうていしきによれば、電磁波でんじは伝播でんぱするはやさcは誘電ゆうでんりつεいぷしろんおよびとおる磁率μみゅーとのあいだ

関係かんけいがあり、このはやさは、実験じっけんてきられていたひかりはやさと一致いっちした。この事実じじつから、ひかり電磁波でんじは一種いっしゅであると推定すいていされた。しかし、ニュートン力学りきがくにおいての基準きじゅん座標ざひょうけい同士どうし関係かんけいガリレイ変換へんかん)を前提ぜんていとすると、ひかりはやさは、そのひかりおな方向ほうこうすす観測かんそくしゃからはおそく、ぎゃく方向ほうこうすす観測かんそくしゃからははやえるはずである。したがって、うえしきのような関係かんけい一般いっぱんには成立せいりつできない(どの基準きじゅん座標ざひょうけいでも成立せいりつするわけではない)とかんがえられた。そこで、エーテルの運動うんどう基準きじゅんとした絶対ぜったい座標ざひょうけい存在そんざいし、その座標ざひょうけいでのみマクスウェルの方程式ほうていしき厳密げんみつ成立せいりつすると推定すいていされた[注釈ちゅうしゃく 9]。マクスウェルやジョージ・フィッツジェラルドらは、このようなエーテルのモデルを提唱ていしょうした。

しかし、これらのモデルでは、エーテルが機械きかいてき性質せいしつは、じつ奇妙きみょうなものにならざるをなかった。すなわち、空間くうかん充満じゅうまんしていることから流体りゅうたいでなければならないが、高周波こうしゅうはひかりつたえるためには、はがねよりもはるかにかたくなければならない。さらに、天体てんたい運動うんどう影響えいきょうあたえないという事実じじつから、質量しつりょう粘性ねんせいれいのはずである。さらに、エーテル自体じたい透明とうめい圧縮あっしゅくせいかつきわめて連続れんぞくてきでなければならない[注釈ちゅうしゃく 10]

エーテルの検出けんしゅつ実験じっけん[編集へんしゅう]

マイケルソン・モーリーの実験じっけんは、直交ちょっこうする2つの経路けいろすすむのにひかりようする時間じかん比較ひかくするものである。これは、絶対ぜったい座標ざひょうけい存在そんざい確認かくにんする実験じっけん手法しゅほうとしてひろもちいられている。

19世紀せいき後半こうはんには、この「エーテルのふう」の効果こうか調しらべる実験じっけん数多かずおおおこなわれた。しかし、それらのおおくでは、実験じっけん精度せいど不足ふそくにより満足まんぞく結果けっかることができなかった。しかしアルバート・マイケルソンエドワード・モーリーは、ハーフミラーもちいることにより、直交ちょっこうするふたつの経路けいろすすむのにひかりようする時間じかんこう精度せいど測定そくていした(マイケルソン・モーリーの実験じっけん)。1887ねんに、かれらはエーテルのふうによる影響えいきょう観測かんそくされなかった、との結果けっか報告ほうこくした。これは、エーテルの概念がいねん重大じゅうだいあやまりがあることの証左しょうさであるとかんがえられた。同様どうよう実験じっけんは、おおくの物理ぶつり学者がくしゃによって、装置そうち精度せいど向上こうじょうさせながらかえおこなわれたが、ついにエーテルのふう検出けんしゅつされなかった。

これらの「エーテルのふう」の実験じっけん結果けっかについて、エーテルの概念がいねんそのものを否定ひていする意見いけんと、エーテルは従来じゅうらいかんがえられていたよりも複雑ふくざつ性質せいしつつがゆえ検出けんしゅつされなかったとする意見いけんかれた。とく後者こうしゃについては、エーテルが地球ちきゅうきずられることによりエーテルのかぜきわめてよわくなる、とのかんがえが支持しじされていた。しかし、すで指摘してきされていたように、エーテルきずり仮説かせつには、光行みつゆき説明せつめいできないという問題もんだいがあった。この仮説かせつ直接的ちょくせつてき検証けんしょうハマールの実験じっけん英語えいごばんによってされた。この実験じっけんでは、ひかり巨大きょだいなまりブロックのあいだ通過つうかさせることにより、エーテルの運動うんどう質量しつりょうきずられるかどうか調しらべられた。そして、そのようなきずりはきないことが確認かくにんされた。

この問題もんだいたいする解決かいけつローレンツ・フィッツジェラルド収縮しゅうしゅく仮説かせつによってされた。すなわち、エーテルちゅう運動うんどうしている一切いっさい物体ぶったいは、エーテルにたいする運動うんどうきに沿ってちぢむと仮定かていされた。この仮説かせつによれば、マイケルソン・モーリーの実験じっけんによりエーテルのかぜ検出けんしゅつされなかったのは、装置そうちがエーテルの風向かざむきと平行へいこうちぢんでいたために、光速こうそく変化へんかひかり移動いどう距離きょり変化へんか相殺そうさいされたからである。フィッツジェラルドは、この仮説かせつのヒントをオリヴァー・ヘヴィサイド論文ろんぶんからた。この仮説かせつ検証けんしょうケネディ・ソーンダイクの実験じっけんによって1932ねんされ、装置そうち収縮しゅうしゅくおよびひかり振動しんどうすう変化へんかが、予想よそうされた一致いっちすると結論けつろんされた[8]

エーテルの性質せいしつ調しらべる有名ゆうめい実験じっけんとしては、には1851ねんフィゾーの実験じっけんげられる。これは1818ねんにフレネルが予言よげんした「速度そくどvうごいている屈折くっせつりつn媒質ばいしつちゅうにおいて、vおな方向ほうこうすすひかりはやさは、真空しんくうちゅう光速こうそくcとして

である」という法則ほうそく確認かくにんしたものである。これは、スネルの法則ほうそく光行みつゆき矛盾むじゅんなく説明せつめいするための仮説かせつだった。当初とうしょこの仮説かせつは、エーテルが物質ぶっしつきずられるために、光速こうそく変化へんか媒質ばいしつ速度そくどよりもちいさくなる、と解釈かいしゃくされた。しかし、この解釈かいしゃくヴィルヘルム・ヴェルトマンドイツばんが、フレネルのしきちゅうnひかり波長はちょう依存いぞんすることを実証じっしょうしたため、エーテルの運動うんどう波長はちょう依存いぞんないことから、否定ひていされた。さらに、特殊とくしゅ相対性理論そうたいせいりろん観点かんてんから、マックス・フォン・ラウエにより、フレネルのしきvcよりも十分じゅうぶんちいさい場合ばあいにのみ成立せいりつし、一般いっぱんしき

であることが1907ねんしめされた。また、1913ねん発見はっけんされたサニャック効果こうか1925ねんマイケルソン=ゲイル=ピアソン実験じっけん結果けっかは、特殊とくしゅ相対性理論そうたいせいりろんによる予想よそう合致がっちしていた。

1920年代ねんだいには、デイトン・ミラー英語えいごばんによってマイケルソンと同様どうよう実験じっけんかえされ、エーテルのふう存在そんざい示唆しさする結果けっかられた。しかし、これは従来じゅうらいのエーテル理論りろんから予想よそうされるよりもきわめてちいさく、また、研究けんきゅうしゃによる追試ついしではミラーの結果けっか再現さいげんされなかった。後年こうねん研究けんきゅうでは、ミラーは温度おんど変化へんかによる実験じっけん結果けっかへの影響えいきょう過小かしょう評価ひょうかしていたとかんがえられた。さらにこう精度せいど実験じっけんかえされたが、ついに、特殊とくしゅ相対性理論そうたいせいりろん矛盾むじゅんする結果けっかられなかった。

エーテルの否定ひてい[編集へんしゅう]

前述ぜんじゅつの「エーテルのふう」の実験じっけん結果けっかについてエーテルのかぜ検出けんしゅつされなかったことは、エーテルの概念がいねんそのものを否定ひていする意見いけんした。しかしこれは、あくまで絶対ぜったい時間じかん絶対ぜったい空間くうかん前提ぜんていとした場合ばあいにのみ成立せいりつする否定ひていである。そして、アルベルト・アインシュタイン特殊とくしゅ相対性理論そうたいせいりろん絶対ぜったい時間じかん絶対ぜったい空間くうかん否定ひていし、エーテルの実在じつざいせい必要ひつようとしないシンプルで統一とういつてき理論りろん体系たいけいとして完成かんせいした。これにより、物体ぶったいが「エーテルふう」をけて3次元じげん空間くうかんない実際じっさいちぢとするローレンツの理論りろん必要ひつようとされなくなった。絶対ぜったい座標ざひょうけいおよ絶対ぜったいせい基準きじゅん必要ひつようとしない。これが「相対そうたいせい理論りろんしょうされる所以ゆえんとなっている。

アインシュタインは、より根本こんぽんてき原理げんりから「ながさ」や「時間じかん」といった性質せいしつ導出どうしゅつできるはずであるとかんがえた。そして、ローレンツ変換へんかんマクスウェルの方程式ほうていしきからはなし、時空じくうあいだ性質せいしつあらわ基本きほんてき法則ほうそくであると仮定かていした。また、アインシュタインは「エーテル」を物質ぶっしつあらわ言葉ことばとせず、真空しんくうであっても空間くうかんには重力じゅうりょくじょう電磁場でんじば存在そんざいすることから、こうした空間くうかんを「エーテル」とぶことを提唱ていしょうした。この場合ばあい、エーテルにはだれからても不変ふへんてき位置いち時刻じこく概念がいねん存在そんざいせず、したがって「エーテルにたいする相対そうたい運動うんどう」をかんがえることは無意味むいみとなる[9]

アインシュタインが相対性原理そうたいせいげんりもっと根本こんぽんてき原理げんりとしてかんがえたのにたいし、特殊とくしゅ相対性理論そうたいせいりろん基礎きそつくったローレンツは相対性原理そうたいせいげんり根本こんぽんがエーテルであるとかんがえ、「ながさの収縮しゅうしゅく」や「時間じかんおくれ」にあらわされるように、物体ぶったい特性とくせいはエーテルちゅう運動うんどうにより変化へんかするとかんがえた。アインシュタインとのちがいは、ながさや時間じかんについて絶対ぜったいてき基準きじゅんもうけることを可能かのうかんがえるかかである。これは物理ぶつり哲学てつがく問題もんだいであるため、決着けっちゃくはついていない。

エーテルと古典こてん力学りきがく[編集へんしゅう]

エーテル仮説かせつさいたる困難こんなんは、ニュートンの力学りきがくとマクスウェルの電磁気でんじきがく整合せいごうせいである。ニュートン力学りきがくガリレイ変換へんかんした不変ふへんだったが、マクスウェルの電磁気でんじきがくはそうでなかった。したがって、厳密げんみつには、すくなくとも一方いっぽう理論りろんあやまりであるとかんがえざるをない。

ガリレイ変換へんかんとは、観測かんそくしゃ視点してんえることである。たとえば時速じそく80キロメートルではし電車でんしゃなかを、進行しんこう方向ほうこうかって時速じそく4キロメートルであるいている乗客じょうきゃくは、べつ乗客じょうきゃくからは、時速じそく4キロメートルでうごいているようにえる。しかし、電車でんしゃそとにいるひとからは、この乗客じょうきゃく時速じそく84キロメートルでうごいているようにえる。ひとわれば運動うんどうことなってえる、そのかたちがいを定式ていしきしたものがガリレイ変換へんかんである。そしてニュートンの運動うんどう方程式ほうていしきは、ガリレイ変換へんかんをしても、つまりだれからても、成立せいりつする。このように、つね成立せいりつすることを「不変ふへん」という。

しかし、マクスウェルの方程式ほうていしきによれば、ひかりはやさは誘電ゆうでんりつとおる磁率からさだまるが、このは、観測かんそくしゃ運動うんどう依存いぞんしない。つまり、電車でんしゃっているひとにとっても、そとにいるひとにとっても、ひかりはやさはおなじでなければならないことになる。すなわち、マクスウェルの方程式ほうていしきはガリレイ変換へんかんについて不変ふへんではない。すべての物理ぶつり学理がくりろんはガリレイ変換へんかんについて不変ふへんであるべきだとかんがえられていたため、「エーテルにたいする絶対ぜったい座標ざひょうけい」が存在そんざいし、マクスウェルの方程式ほうていしきはこの座標ざひょうけいにおいてのみ厳密げんみつ成立せいりつするとかんがえられた。

そこで、地球ちきゅうの、絶対ぜったい座標ざひょうけいたいする運動うんどう関心かんしんたれるようになった。マクスウェルは1870年代ねんだい後半こうはんに、地球ちきゅう運動うんどうひかりはやさにおよぼす影響えいきょう調しらべることで、地球ちきゅう絶対ぜったい座標ざひょうけいたいする運動うんどうることができるとべた。ひかり進行しんこう方向ほうこう地球ちきゅう進行しんこう方向ほうこう一致いっちすればこうおそえ、ぎゃく方向ほうこうであればこうはやえるはずである、とかんがえた。ぶしあるいは昼夜ちゅうや変化へんかすれば観測かんそくしゃ運動うんどう方向ほうこう反転はんてんするが、この運動うんどう変化へんかひかりはやさにくらべてちいさいものの、検出けんしゅつ不可能ふかのうなほどちいさくはないとかんがえられた。すなわち、地球ちきゅうはエーテルのなかすすんでいるのであるから、地上ちじょうではいわば「エーテルのふう」がいていることになり、これは光速こうそく変化へんかとしてとらえられるとかんがえた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ エーテルの語源ごげんギリシアアイテール (αιθήρ) であり、ラテン語らてんご経由けいゆして英語えいごになった。アイテールの原義げんぎは「やす」または「かがやく」であり、古代こだいギリシア以来いらい天空てんくうたす物質ぶっしつしてもちいられた。英語えいごでは「イーサー」のようにまれる。
  2. ^ たとえば、惑星わくせいはそのうずってうごいているとかんがえた[1]
  3. ^ それら考察こうさつは1665ねん微細びさいぶつ』(Micrographia)のなかべられた。ただし、フックの考察こうさつ体系たいけいだってはいなかった[3]
  4. ^ 1675ねんオーレ・レーマー木星もくせい衛星えいせいしょく観測かんそくからひかりはやさの有限ゆうげんせい結論けつろんしていたところだった。
  5. ^ なお、ホイヘンスは、ニュートンよりもまえに、ひかりはエーテルちゅう伝播でんぱするたてであるとの仮説かせつとなえたが、ニュートンはこのかんがえを否定ひていした。もしひかりたてであるならば、その進行しんこう方向ほうこう以外いがい特別とくべつ方向ほうこうつことができず、へんこうのような現象げんしょうかんがえられない。したがって、へんこうきによって屈折くっせつ具合ぐあいわるふく屈折くっせつなどの現象げんしょう説明せつめいすることができない。このてんについて、ニュートンはひかり粒子りゅうし球形きゅうけいではなく、その「側面そくめん」のきのちがいによってふく屈折くっせつこるとかんがえた。ニュートンがこうではないとかんがえた理由りゆうほかにもあった。もしエーテルが空間くうかんちゅう充満じゅうまんしていて、エーテル同士どうし相互そうご作用さようによりひかりつたわるならば、エーテルが巨大きょだい物体ぶったい、すなわち惑星わくせい彗星すいせい運動うんどう影響えいきょうあたえないとかんがえることは困難こんなんである。しかし現実げんじつにはそのような影響えいきょう観測かんそくされていないから、エーテルは存在そんざいしないとかんがえた。
  6. ^ ニュートンはひかり実体じったい多数たすう微粒子びりゅうしであるとかんがえた。これは、ひかり直進ちょくしんすることや物体ぶったい表面ひょうめん反射はんしゃされるという事実じじつもとづく仮定かていである。しかし、ひかり粒子りゅうしであると仮定かていすると、屈折くっせつ回折かいせつ説明せつめいすることがむずかしいという問題もんだいがあった。屈折くっせつ説明せつめいするために、ニュートンは『光学こうがく』(1704ねん)で「エーテルさま媒質ばいしつ (aethereal medium)」がひかりよりも「はやい」振動しんどうつたえており、いこされたひかりは「反射はんしゃ発作ほっさ」や「透過とうか発作ほっさ」の状態じょうたいになり、結果けっかとして屈折くっせつ回折かいせつしょうじるとべた。この発作ほっさとは、ニュートンたまきなどでられる干渉かんしょうしま説明せつめいするための仮説かせつである。屈折くっせつめん通過つうかしたひかり粒子りゅうし過渡かとてき状態じょうたいになり、「反射はんしゃ発作ほっさ」の状態じょうたいと「透過とうか発作ほっさ」の状態じょうたい一定いってい間隔かんかく遷移せんいする。そしてつぎ屈折くっせつめん通過つうかするさいに、その粒子りゅうしが「反射はんしゃ発作ほっさ」の状態じょうたいであれば反射はんしゃされ、「透過とうか発作ほっさ」の状態じょうたいにあれば透過とうかする[5]
  7. ^ しかしこのせつにも問題もんだいのこる。当時とうじ物理ぶつりがくでは、ひかりなみ伝播でんぱするためには、水面すいめんなみおとなみ同様どうようなんらかの媒質ばいしつ必要ひつようであるとかんがえられており、ガスじょうのエーテルが空間くうかん充満じゅうまんしている、というホイヘンスのかんがえが支持しじされていたが、ひかりをこのような媒質ばいしつちゅう横波よこなみかんがえるのは困難こんなんである。横波よこなみつたえるためには、エーテルの個々ここ粒子りゅうしつよ結合けつごうしてひものようなものになっていなければならず、流体りゅうたいじょうのエーテルではたてしかつたえることができないからである。この強固きょうこ結合けつごうひもじょうのエーテルが普通ふつう物質ぶっしつ相互そうご作用さようしないとかんがえるのは奇妙きみょうであり、ニュートンやホイヘンスがたてにこだわったのは、このためである。
  8. ^ 光行みつゆきは、ジェームズ・ブラッドリーによってとししゅう視差しさ測定そくていさい発見はっけんされた(1728ねん)。ブラッドリーは、これをニュートンの理論りろん沿って解釈かいしゃくした。つまり、ひかり微粒子びりゅうしんでかけじょう方向ほうこうは、地球ちきゅう運動うんどうきとはやさに依存いぞんするとかんがえることで測定そくてい結果けっか合理ごうりてき説明せつめいでき、さらに、地球ちきゅう運動うんどう速度そくど光行みつゆきからひかりはやさをることができた。これは、鉛直えんちょく落下らっかする雨粒あまつぶが、高速こうそく移動いどうする電車でんしゃなかからはななめにっているようにえる、という現象げんしょう同様どうよう解釈かいしゃくである。一方いっぽうひかりがエーテルの振動しんどうであるとかんがえる場合ばあいには、光行みつゆき説明せつめいすることは困難こんなんだった。地球ちきゅうがエーテルちゅう運動うんどうしているにもかかわらず、地球ちきゅうまわりのエーテルはみだされずに静止せいししている、つまり地球ちきゅうとエーテルはほとん相互そうご作用さようをしないということになるからである。ニュートンは、このかんがえをれなかった。
  9. ^ なお、今日きょう特殊とくしゅ相対性理論そうたいせいりろん観点かんてんでは、マクスウェル方程式ほうていしきはどの慣性かんせい座標ざひょうけいでも成立せいりつするとされ、ガリレイ変換へんかんふくむニュートン力学りきがくほう不正ふせいかくだとかんがえられている。
  10. ^ こうした状況じょうきょうを、マクスウェルはブリタニカ百科ひゃっか事典じてんつぎのようにいた。(Maxwell, James Clerk (1878), "Ether", Encyclopædia Britannica Ninth Edition 8: 568–572)

    Aethers were invented for the planets to swim in, to constitute electric atmospheres and magnetic affluvia, to convey sensations from one part of our bodies to another, and so on, until all space had been filled three or four times over with aethers.... The only aether which has survived is that which was invented by Huygens to explain the propagation of light.

    (参考さんこうやく)

    エーテルは、惑星わくせいおよげどう電磁気でんじきい、そして我々われわれ日常にちじょうこる様々さまざま事象じしょう説明せつめいするために発明はつめいされた。しかし、辻褄つじつまわせるためには、エーテルの理論りろんさんじゅうにもよんじゅうにも変更へんこうされ、複雑ふくざつ怪奇かいきなるものとなった。...結局けっきょくのところ、ホイヘンスがひかり伝播でんぱ説明せつめいするために発明はつめいしたもの以上いじょう納得なっとくできる理論りろんは、のこらなかった。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 屈折くっせつ光学こうがく』, ルネ・デカルト『増補ぞうほばんデカルト著作ちょさくしゅう』 1かん青木あおきやすしさん水野みずの和久かずひさわけ白水しろみずしゃ、1991ねん 
  2. ^ 広重ひろしげ(1960) p.24
  3. ^ 広重ひろしげ(1960) p.31
  4. ^ C.Huygens(1690) "Traité de la lumière"(こうについての論考ろんこう
  5. ^ 広重ひろしげ(1968)
  6. ^ 広重ひろしげ(1960) p.43
  7. ^ 広重ひろしげ(1960) p.63
  8. ^ R. J. Kennedy; R. E. Thorndike (1932). “Experimental Establishment of the Relativity of Time”. Phys. Rev. 42 (3): 400-418. 
  9. ^ Born, Max (1962). Einstein's Theory of Relativity 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Whittaker, E.T. (1910), 1. Edition: A History of the theories of aether and electricity, Dublin: Longman, Green and Co., pp. 411-466 
  • Whittaker, E.T. (1951-1953), 2. Edition: A History of the theories of aether and electricity, vol. 1: The classical theories / vol. 2: The modern theories 1800-1950, London: Nelson 
  • Kenneth F. Schaffner: Nineteenth-century aether theories, Oxford : Pergamon Press, 1972. (contains several reprints of original papers of famous physicists)
  • Banesh Hoffman, Relativity and Its Roots (Freeman, New York, 1983).
  • Michael Janssen, 19th Century Ether Theory, Einstein for Everyone course at UMN (2001).
  • Isaac Newton, Opticks (1704). Fourth edition of 1730. (Republished 1952 (Dover: New York), with commentary by Bernard Cohen, Albert Einstein, and Edmund Whittaker).
  • Tipler, Paul; Llewellyn, Ralph (2002). Modern Physics (4th ed.). W. H. Freeman. ISBN 0-7167-4345-0 
  • J. Larmor, "A Dynamical Theory of the Luminiferous Medium". Transactions of the Royal Society, 1885-86.
  • Albert Einstein, "Ether and the Theory of Relativity" (1920), republished in Sidelights on Relativity (Dover, NY, 1922) [1]
  • Albert Einstein, "Ideas and Opinions" pp. 281, 362. ISBN 0-517-88440-2
  • Langevin, P. (1911) "L’évolution de l’espace et du temps", Scientia, X, p31
  • G. Builder, "Ether and Relativity", Australian Journal of Physics 11 (1958), p.279
  • P. Dirac "Is there an ether?", Nature 168 (1951), p.906 [2]
  • H. Ives "The measurement of velocity with atomic clocks", Science Vol.91 (1940), p.65
  • H.A. Lorentz, "The Principle of Relativity for uniform translations (1910-1912)", Lectures on Theoretical Physics Vol.III, 1931 (authorised translation of the Dutch version of 1922)
  • G. Sagnac, E. Bouty, "The Luminiferous Ether Demonstrated by the Effect of the Relative Motion of the Ether in an Interferometer in Uniform Rotation"(in French), Comptes Rendus (Paris) 157 (1913), p.708-710
  • C. Sherwin, "Some recent Experimental Tests of the "Clock Paradox"", Physical Review 120 no.1 (1960), p.17-21
  • Kostro, Ludwik (2000). Einstein and the Ether. Montreal, Apeiron. ISBN 0-9683689-4-8 
  • Ole D. Rughede, "On the Theory and Physics of the Aether", Progress in Physics, Vol 1, 2006, p.52-56[3]
  • 広重ひろしげとおる しる菅井すがい準一じゅんいち へん近代きんだい物理ぶつりがく発展はってん過程かてい中心ちゅうしんに―』八杉やすぎ竜一りゅういち(監修かんしゅう)、じんしょかん、1960ねん 
  • 広重ひろしげとおる物理ぶつりがく 1』 5かん培風館ばいふうかんしん物理ぶつりがくシリーズ〉、1968ねんISBN 4563024058 
  • Lajas Yánossy ちょ宮原みやはらすすむたいら へん物理ぶつりてき相対性理論そうたいせいりろん宮原みやはらひさしやく講談社こうだんしゃ、1974ねん 
  • 物理ぶつりがく研究けんきゅう刊行かんこうかい へん光量子こうりょうしろん』 2かん物理ぶつりがく古典こてん論文ろんぶん叢書そうしょ〉、1969ねん 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]