地球 ちきゅう は光 ひかり を伝 つた える「媒質 ばいしつ 」であるエーテルの中 なか を運動 うんどう していると考 かんが えられていた。
物理 ぶつり 学 がく におけるエーテル (aether , ether , luminiferous aether )[注釈 ちゅうしゃく 1] とは、光 ひかり の波動 はどう 説 せつ において宇宙 うちゅう に満 み ちていると仮定 かてい されるもので、光 ひかり が波動 はどう として伝搬 でんぱん するために必要 ひつよう な媒質 ばいしつ を言 い う。ロバート・フック によって命名 めいめい された。
特殊 とくしゅ 相対性理論 そうたいせいりろん と光量子 こうりょうし 仮説 かせつ の登場 とうじょう などにより、エーテルは廃 すた れた物理 ぶつり 学理 がくり 論 ろん だとされている。
光 ひかり の本性 ほんしょう に関 かん する研究 けんきゅう の歴史 れきし [ 編集 へんしゅう ]
18世紀 せいき までの光 ひかり の本性 ほんしょう の研究 けんきゅう [ 編集 へんしゅう ]
空間 くうかん に何 なん らかの物質 ぶっしつ が充満 じゅうまん しているという考 かんが えは古 ふる くからあったものの、近代 きんだい 物理 ぶつり 学 がく においては17世紀 せいき のルネ・デカルト に始 はじ まる。
デカルトは、すべての空間 くうかん には連続 れんぞく でいくらでも細 こま かく分割 ぶんかつ できる微細 びさい 物質 ぶっしつ が詰 つ まっており、あらゆる物理 ぶつり 現象 げんしょう はその中 なか に生 しょう じる渦 うず 運動 うんどう として説明 せつめい できると考 かんが えた(渦動 かどう 説 せつ )[注釈 ちゅうしゃく 2] 。カルテジアン(cartésien,デカルト主義 しゅぎ 者 しゃ )と呼 よ ばれる学派 がくは はそのようなデカルトの考 かんが えに基 もと づく学派 がくは で、17世紀 せいき から18世紀 せいき にかけてのフランスで学界 がっかい の主流 しゅりゅう を占 し めた[2] 。
デカルトによれば、光 ひかり とはその宇宙 うちゅう に満 み ちている微細 びさい 物質 ぶっしつ 中 ちゅう の縦 たて 波 は のような圧力 あつりょく である。ロバート・フック はこの考 かんが え方 かた を受 う け継 つ ぎ、デカルトの宇宙 うちゅう に満 み ちている微細 びさい 物質 ぶっしつ をエーテル (aether, ether)と呼 よ び、光 ひかり とはエーテルの中 なか を伝 つた わる振動 しんどう であるとした[注釈 ちゅうしゃく 3] 。また、フックの考察 こうさつ と光 ひかり の速 はや さの有限 ゆうげん 性 せい の結果 けっか [注釈 ちゅうしゃく 4] に刺激 しげき を受 う けたクリスティアーン・ホイヘンス [注釈 ちゅうしゃく 5] は、素 もと 元 もと 波 なみ の概念 がいねん とホイヘンスの原理 げんり を導入 どうにゅう することで光 ひかり の波動 はどう 説 せつ の基礎 きそ を作 つく り上 あ げた[4] 。
当初 とうしょ 、実験 じっけん 物理 ぶつり 学者 がくしゃ として望遠鏡 ぼうえんきょう の製作 せいさく が評価 ひょうか されていたアイザック・ニュートン は、当時 とうじ の望遠鏡 ぼうえんきょう の欠陥 けっかん であるレンズの色収差 いろしゅうさ の問題 もんだい を解決 かいけつ するため光学 こうがく の研究 けんきゅう を行 おこな っており、1672年 ねん に『光 ひかり と色 いろ の新 しん 理論 りろん 』(New theory about light and colours)という論文 ろんぶん の中 なか でその結果 けっか を報告 ほうこく した。しかしながら、その中 なか で展開 てんかい された色 いろ の理論 りろん が、当時 とうじ 主流 しゅりゅう のデカルトやフックの立場 たちば に反 はん するものであったことから、以降 いこう 、フックとニュートンの間 あいだ に長 なが い論争 ろんそう が交 か わされることとなった。
フックは光 ひかり の波動 はどう 説 せつ をとっており、ニュートンは1704年 ねん 『光学 こうがく 』(Opticks)という著書 ちょしょ の中 なか で光 ひかり を微粒子 びりゅうし の放射 ほうしゃ と仮定 かてい していた[注釈 ちゅうしゃく 6] ように、強 つよ く主張 しゅちょう してはいなかったものの光 ひかり の粒子 りゅうし 説 せつ をとっていた[6] ため、この論争 ろんそう は光 ひかり の波動 はどう 説 せつ と光 ひかり の粒子 りゅうし 説 せつ の近代 きんだい における最初 さいしょ の対立 たいりつ とみなされることが多 おお い。
以降 いこう 、ニュートンの権威 けんい も手伝 てつだ って18世紀 せいき においては、光 ひかり の粒子 りゅうし 説 せつ が受 う け入 い れられ、レオンハルト・オイラー を除 のぞ いては光 ひかり の本性 ほんしょう について議論 ぎろん されなくなった[7] 。
19世紀 せいき における光 ひかり の本性 ほんしょう の研究 けんきゅう [ 編集 へんしゅう ]
19世紀 せいき の物理 ぶつり 学者 がくしゃ トマス・ヤング とオーギュスタン・ジャン・フレネル は光 ひかり は波動 はどう であると考 かんが えた。彼 かれ らは、光 こう が横波 よこなみ であると考 かんが えるなら、波 なみ の振動 しんどう の向 む きによって偏 へん 光 こう を考 かんが えることができ、複 ふく 屈折 くっせつ を説明 せつめい することができると指摘 してき した。さらに、回折 かいせつ について様々 さまざま な実験 じっけん を行 おこな うことにより、ニュートンの粒子 りゅうし モデルを否定 ひてい した[注釈 ちゅうしゃく 7] 。
オーギュスタン=ルイ・コーシー は、エーテルが普通 ふつう の物質 ぶっしつ に引 ひ きずられると考 かんが えたが、そうすると今度 こんど は光行 みつゆき 差 さ [注釈 ちゅうしゃく 8] を説明 せつめい することができなくなってしまう。コーシーは、また、エーテル中 ちゅう に縦 たて 波 は が発生 はっせい しないということから、エーテルの圧縮 あっしゅく 率 りつ は負 まけ であると考 かんが えた。ジョージ・グリーン は、このような流体 りゅうたい は安定 あんてい に存在 そんざい し得 え ないと指摘 してき した。一方 いっぽう 、ジョージ・ガブリエル・ストークス は引 ひ きずり仮説 かせつ を支持 しじ した。彼 かれ は、個々 ここ のエーテル粒子 りゅうし は高周波 こうしゅうは で振動 しんどう しつつも全体 ぜんたい として滑 すべり かに動 うご くようなモデルを構築 こうちく した。このモデルにより、エーテル同士 どうし は強 つよ く相互 そうご 作用 さよう し、故 ゆえ に光 ひかり を伝 つた え、かつ、普通 ふつう の物質 ぶっしつ とは相互 そうご 作用 さよう しないという性質 せいしつ が説明 せつめい された。
後年 こうねん 、ジェームズ・クラーク・マクスウェル によって電磁波 でんじは の存在 そんざい が予想 よそう され、さらにヘルツ は電磁波 でんじは の送受信 そうじゅしん が可能 かのう であることを実験 じっけん 的 てき に示 しめ した。マクスウェルの方程式 ほうていしき によれば、電磁波 でんじは が伝播 でんぱ する速 はや さcは誘電 ゆうでん 率 りつ ε いぷしろん および透 とおる 磁率μ みゅー との間 あいだ に
c
2
=
1
ε いぷしろん
μ みゅー
{\displaystyle c^{2}={\frac {1}{\varepsilon \mu }}}
の関係 かんけい があり、この速 はや さは、実験 じっけん 的 てき に知 し られていた光 ひかり の速 はや さと一致 いっち した。この事実 じじつ から、光 ひかり は電磁波 でんじは の一種 いっしゅ であると推定 すいてい された。しかし、ニュートン力学 りきがく においての基準 きじゅん 座標 ざひょう 系 けい 同士 どうし の関係 かんけい (ガリレイ変換 へんかん )を前提 ぜんてい とすると、光 ひかり の速 はや さは、その光 ひかり と同 おな じ方向 ほうこう に進 すす む観測 かんそく 者 しゃ からは遅 おそ く、逆 ぎゃく 方向 ほうこう に進 すす む観測 かんそく 者 しゃ からは速 はや く見 み えるはずである。従 したが って、上 うえ 式 しき のような関係 かんけい は一般 いっぱん には成立 せいりつ できない(どの基準 きじゅん 座標 ざひょう 系 けい でも成立 せいりつ するわけではない)と考 かんが えられた。そこで、エーテルの運動 うんどう を基準 きじゅん とした絶対 ぜったい 座標 ざひょう 系 けい が存在 そんざい し、その座標 ざひょう 系 けい でのみマクスウェルの方程式 ほうていしき は厳密 げんみつ に成立 せいりつ すると推定 すいてい された[注釈 ちゅうしゃく 9] 。マクスウェルやジョージ・フィッツジェラルド らは、このようなエーテルのモデルを提唱 ていしょう した。
しかし、これらのモデルでは、エーテルが持 も つ機械 きかい 的 てき 性質 せいしつ は、実 じつ に奇妙 きみょう なものにならざるを得 え なかった。すなわち、空間 くうかん に充満 じゅうまん していることから流体 りゅうたい でなければならないが、高周波 こうしゅうは の光 ひかり を伝 つた えるためには、鋼 はがね よりもはるかに硬 かた くなければならない。さらに、天体 てんたい の運動 うんどう に影響 えいきょう を与 あた えないという事実 じじつ から、質量 しつりょう も粘性 ねんせい も零 れい のはずである。さらに、エーテル自体 じたい は透明 とうめい で非 ひ 圧縮 あっしゅく 性 せい かつ極 きわ めて連続 れんぞく 的 てき でなければならない[注釈 ちゅうしゃく 10] 。
エーテルの検出 けんしゅつ 実験 じっけん [ 編集 へんしゅう ]
マイケルソン・モーリーの実験 じっけん は、直交 ちょっこう する2つの経路 けいろ を進 すす むのに光 ひかり が要 よう する時間 じかん を比較 ひかく するものである。これは、絶対 ぜったい 座標 ざひょう 系 けい の不 ふ 存在 そんざい を確認 かくにん する実験 じっけん 手法 しゅほう として広 ひろ く用 もち いられている。
19世紀 せいき 後半 こうはん には、この「エーテルの風 ふう 」の効果 こうか を調 しら べる実験 じっけん が数多 かずおお く行 おこな われた。しかし、それらの多 おお くでは、実験 じっけん 精度 せいど の不足 ふそく により満足 まんぞく な結果 けっか を得 え ることができなかった。しかしアルバート・マイケルソン とエドワード・モーリー は、ハーフミラー を用 もち いることにより、直交 ちょっこう する二 ふた つの経路 けいろ を進 すす むのに光 ひかり が要 よう する時間 じかん の差 さ を高 こう 精度 せいど で測定 そくてい した(マイケルソン・モーリーの実験 じっけん )。1887年 ねん に、彼 かれ らはエーテルの風 ふう による影響 えいきょう は観測 かんそく されなかった、との結果 けっか を報告 ほうこく した。これは、エーテルの概念 がいねん に重大 じゅうだい な誤 あやま りがあることの証左 しょうさ であると考 かんが えられた。同様 どうよう の実験 じっけん は、多 おお くの物理 ぶつり 学者 がくしゃ によって、装置 そうち の精度 せいど を向上 こうじょう させながら繰 く り返 かえ し行 おこな われたが、ついにエーテルの風 ふう は検出 けんしゅつ されなかった。
これらの「エーテルの風 ふう 」の実験 じっけん 結果 けっか について、エーテルの概念 がいねん そのものを否定 ひてい する意見 いけん と、エーテルは従来 じゅうらい 考 かんが えられていたよりも複雑 ふくざつ な性質 せいしつ を持 も つが故 ゆえ に検出 けんしゅつ されなかったとする意見 いけん に分 わ かれた。特 とく に後者 こうしゃ については、エーテルが地球 ちきゅう に引 ひ きずられる ことによりエーテルの風 かぜ が極 きわ めて弱 よわ くなる、との考 かんが えが支持 しじ されていた。しかし、既 すで に指摘 してき されていたように、エーテル引 ひ きずり仮説 かせつ には、光行 みつゆき 差 さ を説明 せつめい できないという問題 もんだい があった。この仮説 かせつ の直接的 ちょくせつてき 検証 けんしょう はハマールの実験 じっけん (英語 えいご 版 ばん ) によって為 な された。この実験 じっけん では、光 ひかり に巨大 きょだい な鉛 なまり ブロックの間 あいだ を通過 つうか させることにより、エーテルの運動 うんどう が質量 しつりょう に引 ひ きずられるかどうか調 しら べられた。そして、そのような引 ひ きずりは起 お きないことが確認 かくにん された。
この問題 もんだい に対 たい する解決 かいけつ はローレンツ・フィッツジェラルド収縮 しゅうしゅく 仮説 かせつ によって為 な された。すなわち、エーテル中 ちゅう を運動 うんどう している一切 いっさい の物体 ぶったい は、エーテルに対 たい する運動 うんどう の向 む きに沿 そ って縮 ちぢ むと仮定 かてい された。この仮説 かせつ によれば、マイケルソン・モーリーの実験 じっけん によりエーテルの風 かぜ が検出 けんしゅつ されなかったのは、装置 そうち がエーテルの風向 かざむ きと平行 へいこう に縮 ちぢ んでいたために、光速 こうそく の変化 へんか と光 ひかり の移動 いどう 距離 きょり の変化 へんか が相殺 そうさい されたからである。フィッツジェラルドは、この仮説 かせつ のヒントをオリヴァー・ヘヴィサイド の論文 ろんぶん から得 え た。この仮説 かせつ の検証 けんしょう はケネディ・ソーンダイクの実験 じっけん によって1932年 ねん に為 な され、装置 そうち の収縮 しゅうしゅく および光 ひかり の振動 しんどう 数 すう の変化 へんか が、予想 よそう された値 ね と一致 いっち すると結論 けつろん された[8] 。
エーテルの性質 せいしつ を調 しら べる有名 ゆうめい な実験 じっけん としては、他 た には1851年 ねん のフィゾーの実験 じっけん が挙 あ げられる。これは1818年 ねん にフレネルが予言 よげん した「速度 そくど v で動 うご いている屈折 くっせつ 率 りつ n の媒質 ばいしつ 中 ちゅう において、v と同 おな じ方向 ほうこう に進 すす む光 ひかり の速 はや さは、真空 しんくう 中 ちゅう の光速 こうそく をc として
c
n
+
(
1
−
1
n
2
)
v
{\displaystyle {\frac {c}{n}}+\left(1-{\frac {1}{n^{2}}}\right)v}
である」という法則 ほうそく を確認 かくにん したものである。これは、スネルの法則 ほうそく や光行 みつゆき 差 さ を矛盾 むじゅん なく説明 せつめい するための仮説 かせつ だった。当初 とうしょ この仮説 かせつ は、エーテルが物質 ぶっしつ に引 ひ きずられるために、光速 こうそく の変化 へんか は媒質 ばいしつ の速度 そくど よりも小 ちい さくなる、と解釈 かいしゃく された。しかし、この解釈 かいしゃく はヴィルヘルム・ヴェルトマン (ドイツ語 ご 版 ばん ) が、フレネルの式 しき 中 ちゅう のn が光 ひかり の波長 はちょう に依存 いぞん することを実証 じっしょう したため、エーテルの運動 うんどう は波長 はちょう に依存 いぞん し得 え ないことから、否定 ひてい された。さらに、特殊 とくしゅ 相対性理論 そうたいせいりろん の観点 かんてん から、マックス・フォン・ラウエ により、フレネルの式 しき はv がc よりも十分 じゅうぶん 小 ちい さい場合 ばあい にのみ成立 せいりつ し、一般 いっぱん の式 しき は
c
/
n
+
v
1
+
v
c
/
n
c
2
≈
c
n
+
(
1
−
1
n
2
)
v
+
O
(
v
2
c
2
)
.
{\displaystyle {\frac {c/n+v}{1+{\frac {vc/n}{c^{2}}}}}\approx {\frac {c}{n}}+\left(1-{\frac {1}{n^{2}}}\right)v+O\left({\frac {v^{2}}{c^{2}}}\right).}
であることが1907年 ねん に示 しめ された。また、1913年 ねん に発見 はっけん されたサニャック効果 こうか や1925年 ねん のマイケルソン=ゲイル=ピアソン実験 じっけん の結果 けっか は、特殊 とくしゅ 相対性理論 そうたいせいりろん による予想 よそう と合致 がっち していた。
1920年代 ねんだい には、デイトン・ミラー (英語 えいご 版 ばん ) によってマイケルソンと同様 どうよう の実験 じっけん が繰 く り返 かえ され、エーテルの風 ふう の存在 そんざい を示唆 しさ する結果 けっか が得 え られた。しかし、これは従来 じゅうらい のエーテル理論 りろん から予想 よそう される値 ね よりも極 きわ めて小 ちい さく、また、他 た の研究 けんきゅう 者 しゃ による追試 ついし ではミラーの結果 けっか は再現 さいげん されなかった。後年 こうねん の研究 けんきゅう では、ミラーは温度 おんど 変化 へんか による実験 じっけん 結果 けっか への影響 えいきょう を過小 かしょう 評価 ひょうか していたと考 かんが えられた。さらに高 こう 精度 せいど の実験 じっけん が繰 く り返 かえ されたが、ついに、特殊 とくしゅ 相対性理論 そうたいせいりろん と矛盾 むじゅん する結果 けっか は得 え られなかった。
前述 ぜんじゅつ の「エーテルの風 ふう 」の実験 じっけん 結果 けっか についてエーテルの風 かぜ が検出 けんしゅつ されなかったことは、エーテルの概念 がいねん そのものを否定 ひてい する意見 いけん を生 う み出 だ した。しかしこれは、あくまで絶対 ぜったい 時間 じかん ・絶対 ぜったい 空間 くうかん を前提 ぜんてい とした場合 ばあい にのみ成立 せいりつ する否定 ひてい である。そして、アルベルト・アインシュタイン の特殊 とくしゅ 相対性理論 そうたいせいりろん は絶対 ぜったい 時間 じかん ・絶対 ぜったい 空間 くうかん を否定 ひてい し、エーテルの実在 じつざい 性 せい を必要 ひつよう としないシンプルで統一 とういつ 的 てき な理論 りろん 体系 たいけい として完成 かんせい した。これにより、物体 ぶったい が「エーテル風 ふう 」を受 う けて3次元 じげん 空間 くうかん 内 ない で実際 じっさい に縮 ちぢ む とするローレンツの理論 りろん は必要 ひつよう とされなくなった。絶対 ぜったい 座標 ざひょう 系 けい 及 およ び絶対 ぜったい 性 せい 基準 きじゅん を必要 ひつよう としない。これが「相対 そうたい 性 せい 」理論 りろん と称 しょう される所以 ゆえん となっている。
アインシュタインは、より根本 こんぽん 的 てき な原理 げんり から「長 なが さ」や「時間 じかん 」といった性質 せいしつ を導出 どうしゅつ できるはずであると考 かんが えた。そして、ローレンツ変換 へんかん をマクスウェルの方程式 ほうていしき から切 き り離 はな し、時空 じくう 間 あいだ の性質 せいしつ を表 あらわ す基本 きほん 的 てき な法則 ほうそく であると仮定 かてい した。また、アインシュタインは「エーテル」を物質 ぶっしつ を表 あらわ す言葉 ことば とせず、真空 しんくう であっても空間 くうかん には重力 じゅうりょく 場 じょう や電磁場 でんじば が存在 そんざい することから、こうした空間 くうかん を「エーテル」と呼 よ ぶことを提唱 ていしょう した。この場合 ばあい 、エーテルには誰 だれ から見 み ても不変 ふへん 的 てき な位置 いち や時刻 じこく の概念 がいねん が存在 そんざい せず、従 したが って「エーテルに対 たい する相対 そうたい 運動 うんどう 」を考 かんが えることは無意味 むいみ となる[9] 。
アインシュタインが相対性原理 そうたいせいげんり を最 もっと も根本 こんぽん 的 てき な原理 げんり として考 かんが えたのに対 たい し、特殊 とくしゅ 相対性理論 そうたいせいりろん の基礎 きそ を造 つく ったローレンツは相対性原理 そうたいせいげんり の根本 こんぽん がエーテルであると考 かんが え、「長 なが さの収縮 しゅうしゅく 」や「時間 じかん の遅 おく れ」に表 あらわ されるように、物体 ぶったい の特性 とくせい はエーテル中 ちゅう の運動 うんどう により変化 へんか すると考 かんが えた。アインシュタインとの違 ちが いは、長 なが さや時間 じかん について絶対 ぜったい 的 てき な基準 きじゅん を設 もう けることを可能 かのう と考 かんが えるか否 ひ かである。これは物理 ぶつり 哲学 てつがく の問題 もんだい であるため、決着 けっちゃく はついていない。
エーテルと古典 こてん 力学 りきがく [ 編集 へんしゅう ]
エーテル仮説 かせつ の最 さい たる困難 こんなん は、ニュートンの力学 りきがく とマクスウェルの電磁気 でんじき 学 がく の整合 せいごう 性 せい である。ニュートン力学 りきがく はガリレイ変換 へんかん の下 した で不変 ふへん だったが、マクスウェルの電磁気 でんじき 学 がく はそうでなかった。従 したが って、厳密 げんみつ には、少 すく なくとも一方 いっぽう の理論 りろん は誤 あやま りであると考 かんが えざるを得 え ない。
ガリレイ変換 へんかん とは、観測 かんそく 者 しゃ の視点 してん を変 か えることである。例 たと えば時速 じそく 80キロメートルで走 はし る電車 でんしゃ の中 なか を、進行 しんこう 方向 ほうこう に向 む かって時速 じそく 4キロメートルで歩 ある いている乗客 じょうきゃく は、別 べつ の乗客 じょうきゃく からは、時速 じそく 4キロメートルで動 うご いているように見 み える。しかし、電車 でんしゃ の外 そと にいる人 ひと からは、この乗客 じょうきゃく は時速 じそく 84キロメートルで動 うご いているように見 み える。見 み る人 ひと が変 か われば運動 うんどう も異 こと なって見 み える、その見 み え方 かた の違 ちが いを定式 ていしき 化 か したものがガリレイ変換 へんかん である。そしてニュートンの運動 うんどう 方程式 ほうていしき は、ガリレイ変換 へんかん をしても、つまり誰 だれ から見 み ても、成立 せいりつ する。このように、常 つね に成立 せいりつ することを「不変 ふへん 」という。
しかし、マクスウェルの方程式 ほうていしき によれば、光 ひかり の速 はや さは誘電 ゆうでん 率 りつ と透 とおる 磁率から定 さだ まるが、この値 ね は、観測 かんそく 者 しゃ の運動 うんどう に依存 いぞん しない。つまり、電車 でんしゃ に乗 の っている人 ひと にとっても、外 そと にいる人 ひと にとっても、光 ひかり の速 はや さは同 おな じでなければならないことになる。すなわち、マクスウェルの方程式 ほうていしき はガリレイ変換 へんかん について不変 ふへん ではない。全 すべ ての物理 ぶつり 学理 がくり 論 ろん はガリレイ変換 へんかん について不変 ふへん であるべきだと考 かんが えられていたため、「エーテルに対 たい する絶対 ぜったい 座標 ざひょう 系 けい 」が存在 そんざい し、マクスウェルの方程式 ほうていしき はこの座標 ざひょう 系 けい においてのみ厳密 げんみつ に成立 せいりつ すると考 かんが えられた。
そこで、地球 ちきゅう の、絶対 ぜったい 座標 ざひょう 系 けい に対 たい する運動 うんどう に関心 かんしん が持 も たれるようになった。マクスウェルは1870年代 ねんだい 後半 こうはん に、地球 ちきゅう の運動 うんどう が光 ひかり の速 はや さに及 およ ぼす影響 えいきょう を調 しら べることで、地球 ちきゅう の絶対 ぜったい 座標 ざひょう 系 けい に対 たい する運動 うんどう を知 し ることができると述 の べた。光 ひかり の進行 しんこう 方向 ほうこう が地球 ちきゅう の進行 しんこう 方向 ほうこう と一致 いっち すれば光 こう は遅 おそ く見 み え、逆 ぎゃく 方向 ほうこう であれば光 こう は速 はや く見 み えるはずである、と考 かんが えた。季 き 節 ぶし あるいは昼夜 ちゅうや が変化 へんか すれば観測 かんそく 者 しゃ の運動 うんどう の方向 ほうこう が反転 はんてん するが、この運動 うんどう の変化 へんか は光 ひかり の速 はや さに比 くら べて小 ちい さいものの、検出 けんしゅつ 不可能 ふかのう なほど小 ちい さくはないと考 かんが えられた。すなわち、地球 ちきゅう はエーテルの中 なか を進 すす んでいるのであるから、地上 ちじょう ではいわば「エーテルの風 ふう 」が吹 ふ いていることになり、これは光速 こうそく の変化 へんか として捉 とら えられると考 かんが えた。
^ エーテルの語源 ごげん はギリシア語 ご のアイテール (αιθήρ ) であり、ラテン語 らてんご を経由 けいゆ して英語 えいご になった。アイテールの原義 げんぎ は「燃 も やす」または「輝 かがや く」であり、古代 こだい ギリシア以来 いらい 、天空 てんくう を満 み たす物質 ぶっしつ を指 さ して用 もち いられた。英語 えいご では「イーサー」のように読 よ まれる。
^ 例 たと えば、惑星 わくせい はその渦 うず に乗 の って動 うご いていると考 かんが えた[1] 。
^ それら考察 こうさつ は1665年 ねん 『微細 びさい 物 ぶつ 誌 し 』(Micrographia)の中 なか で述 の べられた。ただし、フックの考察 こうさつ は体系 たいけい だってはいなかった[3] 。
^ 1675年 ねん にオーレ・レーマー が木星 もくせい の衛星 えいせい の食 しょく の観測 かんそく から光 ひかり の速 はや さの有限 ゆうげん 性 せい を結論 けつろん していたところだった。
^ なお、ホイヘンスは、ニュートンよりも前 まえ に、光 ひかり はエーテル中 ちゅう を伝播 でんぱ する縦 たて 波 は であるとの仮説 かせつ を唱 とな えたが、ニュートンはこの考 かんが えを否定 ひてい した。もし光 ひかり が縦 たて 波 は であるならば、その進行 しんこう 方向 ほうこう 以外 いがい に特別 とくべつ な方向 ほうこう を持 も つことができず、偏 へん 光 こう のような現象 げんしょう は考 かんが えられない。従 したが って、偏 へん 光 こう の向 む きによって屈折 くっせつ の具合 ぐあい が変 か わる複 ふく 屈折 くっせつ などの現象 げんしょう を説明 せつめい することができない。この点 てん について、ニュートンは光 ひかり の粒子 りゅうし は球形 きゅうけい ではなく、その「側面 そくめん 」の向 む きの違 ちが いによって複 ふく 屈折 くっせつ が起 お こると考 かんが えた。ニュートンが光 こう は波 は ではないと考 かんが えた理由 りゆう は他 ほか にもあった。もしエーテルが空間 くうかん 中 ちゅう に充満 じゅうまん していて、エーテル同士 どうし の相互 そうご 作用 さよう により光 ひかり が伝 つた わるならば、エーテルが巨大 きょだい な物体 ぶったい 、すなわち惑星 わくせい や彗星 すいせい の運動 うんどう に影響 えいきょう を与 あた えないと考 かんが えることは困難 こんなん である。しかし現実 げんじつ にはそのような影響 えいきょう は観測 かんそく されていないから、エーテルは存在 そんざい しないと考 かんが えた。
^ ニュートンは光 ひかり の実体 じったい は多数 たすう の微粒子 びりゅうし であると考 かんが えた。これは、光 ひかり が直進 ちょくしん することや物体 ぶったい 表面 ひょうめん で反射 はんしゃ されるという事実 じじつ に基 もと づく仮定 かてい である。しかし、光 ひかり が粒子 りゅうし であると仮定 かてい すると、屈折 くっせつ や回折 かいせつ を説明 せつめい することが難 むずか しいという問題 もんだい があった。屈折 くっせつ を説明 せつめい するために、ニュートンは『光学 こうがく 』(1704年 ねん )で「エーテル様 さま の媒質 ばいしつ (aethereal medium )」が光 ひかり よりも「速 はや い」振動 しんどう を伝 つた えており、追 お いこされた光 ひかり は「反射 はんしゃ の発作 ほっさ 」や「透過 とうか の発作 ほっさ 」の状態 じょうたい になり、結果 けっか として屈折 くっせつ や回折 かいせつ が生 しょう じると述 の べた。この発作 ほっさ とは、ニュートン環 たまき などで見 み られる干渉 かんしょう 縞 しま を説明 せつめい するための仮説 かせつ である。屈折 くっせつ 面 めん を通過 つうか した光 ひかり の粒子 りゅうし は過渡 かと 的 てき な状態 じょうたい になり、「反射 はんしゃ の発作 ほっさ 」の状態 じょうたい と「透過 とうか の発作 ほっさ 」の状態 じょうたい を一定 いってい の間隔 かんかく で遷移 せんい する。そして次 つぎ の屈折 くっせつ 面 めん を通過 つうか する際 さい に、その粒子 りゅうし が「反射 はんしゃ の発作 ほっさ 」の状態 じょうたい であれば反射 はんしゃ され、「透過 とうか の発作 ほっさ 」の状態 じょうたい にあれば透過 とうか する[5] 。
^ しかしこの説 せつ にも問題 もんだい が残 のこ る。当時 とうじ の物理 ぶつり 学 がく では、光 ひかり の波 なみ が伝播 でんぱ するためには、水面 すいめん の波 なみ や音 おと の波 なみ と同様 どうよう に何 なん らかの媒質 ばいしつ が必要 ひつよう であると考 かんが えられており、ガス状 じょう のエーテルが空間 くうかん に充満 じゅうまん している、というホイヘンスの考 かんが えが支持 しじ されていたが、光 ひかり をこのような媒質 ばいしつ 中 ちゅう の横波 よこなみ と考 かんが えるのは困難 こんなん である。横波 よこなみ を伝 つた えるためには、エーテルの個々 ここ の粒子 りゅうし は強 つよ く結合 けつごう して紐 ひも のようなものになっていなければならず、流体 りゅうたい 状 じょう のエーテルでは縦 たて 波 は しか伝 つた えることができないからである。この強固 きょうこ な結合 けつごう を持 も つ紐 ひも 状 じょう のエーテルが普通 ふつう の物質 ぶっしつ と相互 そうご 作用 さよう しないと考 かんが えるのは奇妙 きみょう であり、ニュートンやホイヘンスが縦 たて 波 は にこだわったのは、このためである。
^ 光行 みつゆき 差 さ は、ジェームズ・ブラッドリー によって年 とし 周 しゅう 視差 しさ の測定 そくてい の際 さい に発見 はっけん された(1728年 ねん )。ブラッドリーは、これをニュートンの理論 りろん に沿 そ って解釈 かいしゃく した。つまり、光 ひかり の微粒子 びりゅうし が飛 と んで来 く る見 み かけ上 じょう の方向 ほうこう は、地球 ちきゅう の運動 うんどう の向 む きと速 はや さに依存 いぞん すると考 かんが えることで測定 そくてい 結果 けっか を合理 ごうり 的 てき に説明 せつめい でき、さらに、地球 ちきゅう の運動 うんどう の速度 そくど と光行 みつゆき 差 さ から光 ひかり の速 はや さを知 し ることができた。これは、鉛直 えんちょく に落下 らっか する雨粒 あまつぶ が、高速 こうそく で移動 いどう する電車 でんしゃ の中 なか からは斜 なな めに降 ふ っているように見 み える、という現象 げんしょう と同様 どうよう の解釈 かいしゃく である。一方 いっぽう 、光 ひかり がエーテルの振動 しんどう であると考 かんが える場合 ばあい には、光行 みつゆき 差 さ を説明 せつめい することは困難 こんなん だった。地球 ちきゅう がエーテル中 ちゅう を運動 うんどう しているにもかかわらず、地球 ちきゅう の周 まわ りのエーテルは掻 か き乱 みだ されずに静止 せいし している、つまり地球 ちきゅう とエーテルは殆 ほとん ど相互 そうご 作用 さよう をしないということになるからである。ニュートンは、この考 かんが えを受 う け入 い れなかった。
^ なお、今日 きょう の特殊 とくしゅ 相対性理論 そうたいせいりろん の観点 かんてん では、マクスウェル方程式 ほうていしき はどの慣性 かんせい 座標 ざひょう 系 けい でも成立 せいりつ するとされ、ガリレイ変換 へんかん を含 ふく むニュートン力学 りきがく の方 ほう が不正 ふせい 確 かく だと考 かんが えられている。
^ こうした状況 じょうきょう を、マクスウェルはブリタニカ百科 ひゃっか 事典 じてん に次 つぎ のように書 か いた。(Maxwell, James Clerk (1878), "Ether", Encyclopædia Britannica Ninth Edition 8: 568–572)
Aethers were invented for the planets to swim in, to constitute electric atmospheres and magnetic affluvia, to convey sensations from one part of our bodies to another, and so on, until all space had been filled three or four times over with aethers.... The only aether which has survived is that which was invented by Huygens to explain the propagation of light.
(参考 さんこう 訳 やく )
エーテルは、惑星 わくせい の泳 およげ 動 どう 、電磁気 でんじき の振 ふ る舞 ま い、そして我々 われわれ の日常 にちじょう に起 お こる様々 さまざま な事象 じしょう を説明 せつめい するために発明 はつめい された。しかし、辻褄 つじつま を合 あ わせるためには、エーテルの理論 りろん は三 さん 重 じゅう にも四 よん 重 じゅう にも変更 へんこう され、複雑 ふくざつ 怪奇 かいき なるものとなった。...結局 けっきょく のところ、ホイヘンスが光 ひかり の伝播 でんぱ を説明 せつめい するために発明 はつめい したもの以上 いじょう に納得 なっとく できる理論 りろん は、残 のこ らなかった。
^ 『屈折 くっせつ 光学 こうがく 』, ルネ・デカルト『増補 ぞうほ 版 ばん デカルト著作 ちょさく 集 しゅう 』 1巻 かん 、青木 あおき 靖 やすし 三 さん ・水野 みずの 和久 かずひさ 訳 わけ 、白水 しろみず 社 しゃ 、1991年 ねん 。
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