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視点してん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

視点してん(してん)は、通常つうじょうことなった2つの意味いみもちいられる言葉ことば。1つは「どこからているか」という、対象たいしょうるときの立脚りっきゃくてんのことであり、もう1つは「どこているか」という、注視ちゅうしてんのことである[1]ほん記事きじでは原則げんそくとして前者ぜんしゃ意味いみもちいる。

認知にんち科学かがく絵画かいが写真しゃしん文学ぶんがく映画えいがなど幅広はばひろ分野ぶんやもちいられる用語ようごである。

認知にんち科学かがくにおける視点してん

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実際じっさい形状けいじょうとしては立方体りっぽうたい形状けいじょうをした物体ぶったいは、視点してん位置いちによって六角形ろっかっけいえたり正方形せいほうけいえたりする。1つの視点してんかられば手前てまえ衝立ついたてかくされてえないものであっても、視点してん様々さまざまえてみてることができればその存在そんざいたしかめられる。このようにおな物体ぶったいであっても視点してん位置いちによってちがったかたちえたり、あるいはえたりえなかったりする。

ある視点してんからえる「え」のことを「form」(かたち)とび、対象たいしょう実際じっさいの(3次元じげんなら3次元じげんてきな)形状けいじょうのことを「shape」(姿すがた)とぶことにする。1つの視点してんからえるformは、対象たいしょうのshapeをなん規定きていするわけではないとギブソン指摘してきする[ちゅう 1]

ある対象たいしょうを、動的どうてき視点してん後述こうじゅつ)を駆使くしして様々さまざま視点してんからるということは、対象たいしょうを「実在じつざい」(reality)としてることである。一方いっぽう静的せいてき視点してん後述こうじゅつ)からえるかたちるということは、対象たいしょうを「え」(appearance)としてることである[2]

視点してんがどこにあるかを

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山道さんどうあるいているときに、いままでえていたやま手前てまえおかなどにかくれてしまったとする。この場合ばあいやまえたのではなく、視点してんうごいたのであって、やま依然いぜんとして存在そんざいするのだ、と判断はんだんされる。このように、一般いっぱんおな対象たいしょうであっても視点してんことなればちがったかたをする。このためぎゃくに「え」から逆算ぎゃくさんすると、視点してんがどこにあるのかがわかることになる。いままでえていたものがえなくなるということは、たん情報じょうほう欠落けつらくしてえないということだけではなく、視点してん移動いどうしたためにえなくなったという情報じょうほうられることでもある。このように視点してんうごくことによってかたわることからわかる視点してん情報じょうほうを「視点してん特定とくてい情報じょうほう[3][4]

動的どうてき視点してん静的せいてき視点してん

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上述じょうじゅつとおくのやまのように、ひとがある対象たいしょう把握はあくするとき、通常つうじょう視点してん様々さまざまえながらるということがおこなわれている。いいかえれば、ひとがある対象たいしょうるということは、様々さまざま場所ばしょからることでもあるし、また様々さまざま時点じてんからることでもある。このように、視点してん移動いどうさせながら場合ばあいを「動的どうてき視点してん」とぶ。一方いっぽうそのうごいている途上とじょうのある断面だんめんにおいて場合ばあいを「静的せいてき視点してん」と[2]

包囲ほういがたかた

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佐伯さえき(1978)は「視点してん」をあらわ比喩ひゆとして「びと」ないし「感覚かんかく小体こてい」なるものを対象たいしょうかって派遣はけんするという見方みかた提示ていじしている[ちゅう 2]。このような「視点してん」の活動かつどうのありかたには「包囲ほういがた視点してん活動かつどう」と「かた視点してん活動かつどう」の2つの類型るいけいがある。「包囲ほういがた視点してん活動かつどう」とは、対象たいしょうのごくちかくに「びと」(認知にんち心理しんりがく一般いっぱんに「仮想かそうてき自己じこ」とぶものに相当そうとうする)を派遣はけんし、対象たいしょうのあらゆるめん隙間すきまなくとらえようとするものであり、「かた視点してん活動かつどう」とは、対象たいしょうそのものになりきってしまうものである。宮崎みやざき上野うえの(1985)は「この両者りょうしゃ結局けっきょくおなじことである」と指摘してきする[5]

言語げんごがくにおける視点してん

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く」「る」の区別くべつ、「やる」「もらう」「くれる」の区別くべつ時制じせい代名詞だいめいし区別くべつはしばしば視点してん問題もんだいとしてあつかわれる。またなに主語しゅご主題しゅだいにするかということも視点してん問題もんだいとしてあつかわれることがある。

時制じせい

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時制じせいちがいをもとにした視点してん問題もんだいは、言語げんごがくてき問題もんだいでもあり、文学ぶんがく理論りろんにもかかわるものである。

望月もちづき遠江とおとうみまもる屋敷やしきてられた物見ものみうえで、北畠きたばたけ宗十郎そうじゅうろうは、瞑想めいそうにふけっていた。/背後はいごには竜爪山りゅうそうざんから八紘はっこうみねまでつづく尾根おねがそびえ、したにはったやまにはさまれた谷川たにがわながれているたにからげてくるふうをさらしていると、高尾山たかおさんいただきにいるようなした — 安部あべ龍太郎りゅうたろう彷徨ほうこうえるみかど[6]

だい1ぶん過去かこがた「た」が使つかわれているが、だい2ぶんでは現在げんざいがたになっている。これはだい2ぶん北畠きたばたけ宗十郎そうじゅうろうがわからの観察かんさつもとにしているものと分析ぶんせきできる[7]

代名詞だいめいし

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代名詞だいめいし使つかけをもとにした視点してん問題もんだいも、言語げんごがく文学ぶんがく理論りろん両方りょうほう関係かんけいする。

ぼうから清滝川きよたきがわりるきゅう小径しょうけいあるきながら、そう十郎じゅうろう新之助しんのすけ左近さこんのことをおもった。
...かれらは夕方ゆうがたぼうかえったときに、自分じぶんったことに気付きづくだろう。 — 安部あべ龍太郎りゅうたろう彷徨ほうこうえるみかど[8]
かれらは夕方ゆうがたぼうかえったときに、かれったことに気付きづくだろう。

前者ぜんしゃのように再帰さいき代名詞だいめいし自分じぶん」がもちいられると、登場とうじょう人物じんぶつそう十郎じゅうろう視点してんであり、後者こうしゃのように代名詞だいめいしかれ」がもちいられると、かた全文ぜんぶんはな)の視点してんであるという[9]。このように、再帰さいき代名詞だいめいし自分じぶん」の人物じんぶつは、その行為こうい感覚かんかく主体しゅたいでなければならないとされる[10]

視点してんハイアラーキー

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久野くの(1978)は英語えいご日本語にほんごにおいて「共感きょうかん」をもと視点してん現象げんしょう分析ぶんせきした。「共感きょうかん」とは、文中ぶんちゅう指示しじ対象たいしょう人物じんぶつなど)にたいするはなししゅ自己じこどういち度合どあいであり、0(客観きゃっかん描写びょうしゃ)から1(完全かんぜんどういち)までのグラデーションをつ。たとえば、一人称いちにんしょうしゃ三人称さんにんしょうしゃよりも共感きょうかんたかく(発話はつわ当事とうじしゃ視点してんハイアラーキー)、「くれる」は与格よかく目的もくてき主語しゅごであり、「やる」は主語しゅご与格よかく目的もくてきであるとされる(授与じゅよ動詞どうし視点してんハイアラーキー)。すると、つぎ例文れいぶんちがいが説明せつめいできる。

  1. ×ぼく太郎たろうにおかねをくれた。
  2. 太郎たろうぼくにおかねをくれた。
  3. ぼく太郎たろうにおかねをやった。
  4. ×太郎たろうぼくにおかねをやった。

2と3は「発話はつわ当事とうじしゃ視点してんハイアラーキー」と「授与じゅよ動詞どうし視点してんハイアラーキー」とのあいだ矛盾むじゅんはないが、1は共感きょうかんたかい「ぼく」が、「くれる」にとって共感きょうかんひく主語しゅごになっており、4はおなじく共感きょうかんたかい「ぼく」が、「やる」にとって共感きょうかんひく与格よかく目的もくてきになっているため、矛盾むじゅんきたしている。

以上いじょうのようなことから、つぎのような「視点してん一貫いっかんせい」という原理げんり提唱ていしょうした。視点してん一貫いっかんせい:単一たんいつぶんは、共感きょうかん関係かんけい論理ろんりてき矛盾むじゅんふくんでいてはいけない。

主題しゅだい省略しょうりゃく

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日本語にほんごでは主語しゅご省略しょうりゃくされやすいとしばしばわれるが、主題しゅだい「Xは」の省略しょうりゃくされやすさにも視点してんかかわっている。

  1. 夏子なつこ義兄ぎけい夏子なつこ学資がくししてくれることになった。[夏子なつこは]これで大学だいがくけるとおもうと、うれしさでむねいちはいになった。
  2. 太郎たろう夏子なつこ学資がくししてやった。[夏子なつこは]K大学だいがく文学部ぶんがくぶ入学にゅうがくできることになった。

1の「夏子なつこは」は省略しょうりゃく可能かのうであるが、2の「夏子なつこは」は省略しょうりゃくできない。これは、1の文章ぶんしょう夏子なつこりの視点してん叙述じょじゅつしているからであるとされる(しん主題しゅだい省略しょうりゃく条件じょうけん[11]

  1. 太郎たろうはな病院びょういん見舞みまった。[花子はなこは]おもったより元気げんきであった。
  2. 太郎たろう病院びょういんはな見舞みまいかなかった。[花子はなこは]太郎たろうがいつるかとくびながくしてっていた。

1の「花子はなこは」は省略しょうりゃく可能かのうであるが、2の「花子はなこは」は省略しょうりゃくできない。これは1の文章ぶんしょう話者わしゃ視点してん太郎たろう視点してん完全かんぜん一致いっちしたかたち統一とういつされているが2はそうではないからであるとされる(主題しゅだい省略しょうりゃく条件じょうけん[12]

文学ぶんがく作品さくひん理解りかいにおける視点してん

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認知にんち科学かがくてきアプローチ

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文学ぶんがく作品さくひん理解りかいするためには、視点してん設定せっていするということが必要ひつようになる。それは作者さくしゃ思想しそう世界せかいかんといったものであることもあるが、作中さくちゅう作者さくしゃかた)の意見いけん心情しんじょうであったり、特定とくてい登場とうじょう人物じんぶつ心情しんじょうであったりする[よう出典しゅってん]また登場とうじょう人物じんぶつ外形がいけい作中さくちゅう世界せかい情景じょうけい出来事できごと把握はあくするためにも視点してん設定せってい必要ひつようである[よう出典しゅってん]

作中さくちゅう情景じょうけい理解りかいする場合ばあい読者どくしゃさん次元じげんてき仮想かそうてき世界せかいおもえがき、そのなかの1てん仮想かそうてき自己じこ派遣はけんするというかたち理解りかいするという指摘してきがある[13]適切てきせつ視点してんられたとき、そこからえた「え」が鮮明せんめいなイメージを[よう出典しゅってん]そして対象たいしょう位置いちをいろいろに配置はいちしてみたり、仮想かそうてき自己じこ位置いちうごかしたりして、つねにより鮮明せんめいな「え」をつかみろうとこころみる[よう出典しゅってん]

人物じんぶつ心情しんじょう理解りかいする場合ばあい読者どくしゃはある登場とうじょう人物じんぶつ感情かんじょう移入いにゅうしてむということがしばしばおこなわれる。特定とくてい登場とうじょう人物じんぶつ視点してん設定せっていして文学ぶんがく作品さくひんむということは、読者どくしゃにとっては「他者たしゃ」の心情しんじょう理解りかいするという作業さぎょうであるともえる。つまり読者どくしゃ他者たしゃに「なって」みるということである[14]。これは共感きょうかんてき理解りかい一種いっしゅである[15]

文学ぶんがく理論りろん

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文学ぶんがく作品さくひんとく小説しょうせつは、通常つうじょう一人称いちにんしょう小説しょうせつ三人称さんにんしょう小説しょうせつけられる。しかし、一人称いちにんしょう小説しょうせつ登場とうじょう人物じんぶつ視点してんであって三人称さんにんしょう小説しょうせつかた視点してんであるとは、もはやれなくなっている。シュタンツェルは一人称いちにんしょう/三人称さんにんしょう対立たいりつ内的ないてき遠近えんきんほう/外的がいてき遠近えんきんほう対立たいりつかた/うつしゅ対立たいりつ区別くべつし、ジュネットは従来じゅうらい研究けんきゅうでは「かただれなのか」と「だれているのか」[ちゅう 3]とが混同こんどうされていると指摘してきしている[16][ちゅう 4]そのため、近年きんねんではジュネットなどがもちいる「焦点しょうてん」などの用語ようご一部いちぶこのまれるようになってきている[よう出典しゅってん]

ジュネットは従来じゅうらい一人称いちにんしょう小説しょうせつを「等質とうしつ物語ものがたり世界せかいてき」としょうし、三人称さんにんしょう小説しょうせつを「異質いしつ物語ものがたり世界せかいてき」としょうした[よう出典しゅってん]そして視点してんのありかたによって「焦点しょうてんゼロ」「内的ないてき焦点しょうてん」「外的がいてき焦点しょうてん」の3分類ぶんるいとした[よう出典しゅってん]焦点しょうてんゼロとは全知ぜんち視点してんであり、内的ないてき焦点しょうてんはある登場とうじょう人物じんぶつ視点してんるものであり、外的がいてき焦点しょうてん主人公しゅじんこう外面がいめんのみをえがくものである[よう出典しゅってん]

ジュネットの分類ぶんるい[17]
作者さくしゃ支配しはいする(焦点しょうてんゼロ) 行為こういしゃ支配しはいする(内的ないてき焦点しょうてん 中立ちゅうりつてき外的がいてき焦点しょうてん
異質いしつ物語ものがたり世界せかいてき フィールディングトム・ジョーンズ ヘンリー・ジェイムズ使者ししゃたち』 ヘミングウェイころ
等質とうしつ物語ものがたり世界せかいてき メルヴィルモービー・ディック ハムスンえ』

シュタンツェルの体系たいけいでは、たとえば一人称いちにんしょう小説しょうせつ場合ばあい物語ものがたわたし」と「体験たいけんするわたし」の両方りょうほう側面そくめんがあるため、作品さくひんによって「内的ないてき独白どくはく」のになから「目撃もくげきしゃ」や「編者へんしゃ」の役割やくわりまで幅広はばひろい「わたし」が存在そんざいする。また三人称さんにんしょう小説しょうせつ場合ばあいも、かた物語ものがたり世界せかいそとから「全知ぜんち視点してん」でかたるものから、三人称さんにんしょう登場とうじょう人物じんぶつが「うつてき人物じんぶつ」としてい、一人称いちにんしょうえても問題もんだいのなさそうなものまで幅広はばひろい。ここで「うつしゅ」とは、かんがえたり、かんじたり、知覚ちかくしたりする登場とうじょう人物じんぶつのことであり、読者どくしゃうつしゅうつったほか登場とうじょう人物じんぶつ情景じょうけいながめることによって作品さくひん世界せかい理解りかいすることになる[18]

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ Gibson(1966) "The senses considered as perceptual systems."、錯視さくし射影しゃえい幾何きかがく参照さんしょうのこと。
  2. ^ ただし、佐伯さえきはこの「びと」のことを「視座しざ」ではなく「注視ちゅうしてん」とあつかっている。
  3. ^ 英語えいごで"Who speaks?"と"Who sees?"、あるいは"saying"と"showing"の対立たいりつとして表現ひょうげんされる。
  4. ^ かた視点してん登場とうじょう人物じんぶつ視点してん明確めいかくけるものとして、チャトマン (1998)でのかたの「視座しざ(slant)」と登場とうじょう人物じんぶつの「フィルター」、山岡やまおかみのる (2001)でのかたの「観点かんてん」と登場とうじょう人物じんぶつの「視点してん」などがある。

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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くにしょ
  • 大江おおえ三郎さぶろうにち英語えいご比較ひかく研究けんきゅう主観性しゅかんせいをめぐって』南雲なぐもどう、1975ねん 
  • 久野くの暲『談話だんわ文法ぶんぽう大修館書店たいしゅうかんしょてん、1978ねん 
  • 佐伯さえきゆたか『イメージによる知識ちしき学習がくしゅう東洋館とうようかん出版しゅっぱんしゃ、1978ねん 
  • 宮崎みやざき清孝きよたか上野うえの直樹なおき視点してん東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい認知にんち科学かがく選書せんしょ〉、1985ねんISBN 413013051X 
  • 澤田さわだ治美はるみ視点してん主観性しゅかんせいにち英語えいご助動詞じょどうし分析ぶんせきひつじ書房しょぼう、1993ねんISBN 978-4938669171 
  • 山岡やまおかみのる『「かたり」の記号きごうろんにちえい比較ひかく物語ものがたりぶん分析ぶんせき松柏しょうはくしゃ、2001ねんISBN 4881989537 
訳書やくしょ
  • J.J.ギブソン しるさきけいほか やく生態せいたいがくてき視覚しかくろん:ヒトの知覚ちかく世界せかいさぐる』サイエンスしゃ、1985ねん原著げんちょ1979ねん)。ISBN 9784781903934 
  • ジェラール・ジュネット ちょ和泉いずみ涼一りょういち青柳あおやぎ悦子えつこ やく物語ものがたりのディスクール:方法ほうほうろんこころみ』水声すいせいしゃ、1985ねん原著げんちょ1972ねん)。ISBN 4000022792 
  • ジェラール・ジュネット ちょ花輪はなわひかり和泉いずみ涼一りょういち やく物語ものがたり詩学しがくぞく物語ものがたりのディスクール』水声すいせいしゃ、1985ねん原著げんちょ1983ねん)。ISBN 4891761512 
  • F.シュタンツェル ちょ前田まえだ彰一しょういち やく物語ものがたり構造こうぞう:〈かたり〉の理論りろんとテクスト分析ぶんせき岩波書店いわなみしょてん、1989ねん原著げんちょ1979ねん)。ISBN 4000022792 
  • シーモア・チャトマン ちょ田中たなか秀人ひでと やく小説しょうせつ映画えいが修辞しゅうじがく水声すいせいしゃ、1998ねん原著げんちょ1990ねん)。ISBN 4891763620