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マヤじん

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マヤじん
Comandante Ramonaリゴベルタ・メンチュウ
アルマンド・マンサネーロ
Fransisco Luna Kan
そう人口じんこう
推定すいてい 700まんにん [1]
居住きょじゅう地域ちいき
エルサルバドル, メキシコ, グアテマラ, ベリーズ, ホンジュラス
言語げんご
マヤ, スペイン, クレオール英語えいごばん, 英語えいご
宗教しゅうきょう
キリスト教きりすときょうおもカトリック, 一部いちぶプロテスタント), マヤの宗教しゅうきょう英語えいごばん
マヤけい言語げんご使用しようされていた歴史れきしじょう領域りょういき

マヤじん(マヤじん、マヤけい先住民せんじゅうみんぞく)とは、メキシコ南部なんぶから中央ちゅうおうアメリカ北部ほくぶにかけての地域ちいき居住きょじゅうするアメリカしゅう先住民せんじゅうみんぞくである。ただし、"マヤ"というまとまったひとつの民族みんぞくとして存在そんざいしているわけではなく、文化ぶんか言語げんご一部いちぶ共有きょうゆうする、ことなるおおくの集団しゅうだん社会しゃかい、エスニックグループを総称そうしょうしたもので、それぞれはかれ自身じしん伝統でんとう文化ぶんか歴史れきしてきなアイデンティティを保持ほじしている。

この地域ちいき居住きょじゅうしているマヤじん人口じんこうは、21世紀せいき初頭しょとうでは700まんにん推定すいていされている[1]グアテマラ、メキシコ南部なんぶユカタン半島はんとうベリーズエルサルバドル、それにホンジュラス西部せいぶおおきな共同きょうどうたい存在そんざいしており、いま古代こだい文化ぶんかおお継承けいしょうされのこっている。多数たすうメスティーソのスペイン文化ぶんかおおきく影響えいきょうけつつも、そこからはなれた伝統でんとうてき生活せいかつつづけ、しばしば主要しゅよう言語げんごとしてマヤ語族ごぞく言語げんご使用しようする。

ユカタン半島はんとう[編集へんしゅう]

現代げんだいのマヤじん最大さいだいのグループはメキシコのユカタン半島はんとう存在そんざいする。かれらの一般いっぱんてきなアイデンティティはかれ自身じしん単純たんじゅんに"マヤ"とするものである(西にしグアテマラの高地こうち人々ひとびととはことなり)。かれらがはな言語げんご人類じんるい学者がくしゃは"ユカテコ"と定義ていぎするが、話者わしゃはこの言語げんご自体じたいも"マヤ"とぶ。マヤの話者わしゃは、一般いっぱんてきスペインだい言語げんご母語ぼごとしてもちいる。

ユカタン半島はんとうのマヤじん最初さいしょヨーロッパじん遭遇そうぐうしたのは、1511ねんスペイン難破なんぱせん生存せいぞんしゃ浜辺はまべげられたときだった。そのは、1517ねんコルドバ1518ねんグリハルバ1519ねんにはコルテスによる遠征えんせいけ、最終さいしゅうてき1542ねん、ユカタン半島はんとうのマヤじんはスペインの支配しはいけることとなった。

チアパス[編集へんしゅう]

メキシコのチアパスしゅう主要しゅようなマヤけい民族みんぞくツォツィルぞくツェルタルぞく英語えいごばんである。この民族みんぞく先祖せんぞ紀元きげん400ねんころ高地こうち移動いどうし、現在げんざいサン・クリストバル・デ・ラス・カサス山間さんかん開拓かいたくしたと推定すいていされている[2]

タバスコ[編集へんしゅう]

メキシコのタバスコしゅうには、チョンタルぞく英語えいごばん居住きょじゅうしている。

ベリーズ[編集へんしゅう]

ベリーズのマヤ人口じんこうは、カヨぐん, トレドぐん、それにオレンジウォークぐん集中しゅうちゅうしているが、それ以外いがい地域ちいきでは散在さんざいしている。かれらはユカテコケクチモパンみっつにかれている。

グアテマラ[編集へんしゅう]

伝統でんとうてき衣装いしょうつつんだグアテマラのアティトラン周辺しゅうへん女性じょせい

グアテマラでは、西部せいぶ高地こうち伝統でんとうてきおおきなマヤ共同きょうどうたい存在そんざいしている。バハ・ベラパスけんキチェけんトトニカパンけんウェウェテナンゴけんケツァルテナンゴけん、それにサン・マルコスけんでは、人口じんこうだい部分ぶぶんをマヤじんめており、おおくのマヤけい言語げんご日常にちじょうてきはなされている[3]

グアテマラ政府せいふ言語げんごによってマヤじんを21の民族みんぞくけている。とくおおいのがキチェぞくで、グアテマラの人口じんこうの11%をめる。ほかにケクチぞくカクチケルぞくマムぞく人口じんこうおお[4]

グアテマラ内戦ないせんなかおもに1980年代ねんだいはじめ)には、まずしいマヤじんをゲリラのシンパとしてグアテマラぐん虐殺ぎゃくさつし、おおくのマヤじん国外こくがい逃亡とうぼうした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b FRIENDS OF THE MAYA - A new organization!” (英語えいご). 2009ねん3がつ9にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2011ねん11月8にち閲覧えつらん
  2. ^ マイケル・D・コウ しる 加藤かとうやすしけん長谷川はせがわ悦夫えつお わけ古代こだいマヤ文明ぶんめいそうもとしゃ、2003ねん、39ぺーじISBN 4-422-20225-1
  3. ^ http://www.inforpressca.com/municipal/mapas_web/guatemala.php
  4. ^ Caracterización República de Guatemala. INE. (2011). https://www.ine.gob.gt/sistema/uploads/2014/02/26/L5pNHMXzxy5FFWmk9NHCrK9x7E5Qqvvy.pdf  (スペイン

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Chiappari, Christopher L. (2002). “Toward a Maya Theology of Liberation: The Reformulation of a "Traditional" Religion in the Global Context”. Journal for the Scientific Study of Religion 41 (1): 47–67. doi:10.1111/1468-5906.00099. 
  • Grube, Nikolai (2006). “Maya Today - From Indios Deprived of Rights to the Maya Movement”. In Nikolai Grube (Ed.). Maya: Divine Kings of the Rain Forest. Eva Eggebrecht and Matthias Seidel (assistant Eds.). Cologne: Könemann Press. pp. 417–425. ISBN 3-8331-1957-8. OCLC 71165439 
  • Mooney, James, Herbermann, Charles, ed. (1913). "Maya Indians" . Catholic Encyclopedia. New York: Robert Appleton Company.
  • Restall, Matthew (1997). The Maya World. Yucatecan Culture and Society, 1550-1850. Stanford: Stanford University Press. ISBN 9780804736589.
  • Riis-Hansen, Anders (1992ねん). “Interview with Rigoberta Menchu Tum”. Commission for the Defense of Human Rights in Central America (CODEHUCA). 2006ねん7がつ3にち閲覧えつらん
  • Warren, Kay B. (1998). Indigenous Movements and Their Critics: Pan-Maya Activism in Guatemala. Princeton: Princeton University Press. ISBN 978-0-691-05882-5 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]