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マーガレット・スミス・コート

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
マーガレット・スミス・コート
Margaret Smith Court
マーガレット・スミス・コート
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき オーストラリアの旗 オーストラリア
出身しゅっしん どうオルベリー
生年月日せいねんがっぴ (1942-07-16) 1942ねん7がつ16にち(82さい
身長しんちょう 175cm
体重たいじゅう 67.5kg
きて みぎ
殿堂でんどう 1979ねん
ツアー経歴けいれき
デビューねん 1960ねん
引退いんたいねん 1975ねん
ツアー通算つうさん 140しょう(オープン
シングルス 92しょう(オープン
ダブルス 48しょう(オープン
生涯しょうがい獲得かくとく賞金しょうきん なし
4だい大会たいかい最高さいこう成績せいせき・シングルス
ちょんつよし 優勝ゆうしょう(1960-66・69-71・73)
ぜんふつ 優勝ゆうしょう(1962・64・69・70・73)
ちょんすぐる 優勝ゆうしょう(1963・65・70)
全米ぜんべい 優勝ゆうしょう(1962・65・69・70・73)
優勝ゆうしょう回数かいすう 24(ごう11・ふつ5・えい3・まい5)
4だい大会たいかい最高さいこう成績せいせき・ダブルス
ちょんつよし 優勝ゆうしょう(1961-63・65・69-71・73)
ぜんふつ 優勝ゆうしょう(1964-66・73)
ちょんすぐる 優勝ゆうしょう(1964・69)
全米ぜんべい 優勝ゆうしょう(1963・68・70・73・75)
優勝ゆうしょう回数かいすう 19(ごう8・ふつ4・えい2・まい5)
4だい大会たいかい最高さいこう成績せいせき混合こんごうダブルス
ちょんつよし 優勝ゆうしょう(1963-65・69)
ぜんふつ 優勝ゆうしょう(1963-65・69)
ちょんすぐる 優勝ゆうしょう(1963・65・66・68・75)
全米ぜんべい 優勝ゆうしょう(1961-65・67・69・70)
優勝ゆうしょう回数かいすう 21(ごう4・ふつ4・えい5・まい8)
くにべつ対抗たいこうせん最高さいこう成績せいせき
BJKはい 優勝ゆうしょう(1964・65・68・72)

マーガレット・スミス・コートMargaret Smith Court, 1942ねん7がつ16にち - )は、オーストラリアニューサウスウェールズしゅうオルベリー出身しゅっしん女子じょしテニス選手せんしゅ自己じこ最高さいこうランキングは1

1970ねんにオープン以降いこう女子じょしはつとなる「年間ねんかんグランドスラム」を達成たっせいした選手せんしゅで、4だい大会たいかいでのシングルスの優勝ゆうしょう回数かいすう女子じょし歴代れきだい1の「24しょう」を記録きろくしている。

4だい大会たいかいではシングルスのほかに、ダブルスで19かい混合こんごうダブルスで21かい優勝ゆうしょうしており、合計ごうけい64かい優勝ゆうしょう歴代れきだい1記録きろくである。また、混合こんごうダブルスはつ年間ねんかんグランドスラムを達成たっせいしており(シングルスとあわせて)2かい達成たっせい史上しじょう唯一ゆいいつである。

旧姓きゅうせいは「マーガレット・スミス」(Margaret Smith) であるが、バリー・コート (Barry Court) との結婚けっこん両方りょうほうせい併用へいようして「マーガレット・スミス・コート」夫人ふじん名乗なのった。日本にっぽんでは単純たんじゅんコート夫人ふじんばれることがおおい。

経歴けいれき

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マーガレット・コート(ひだり)とケリー・レイドみぎ)。1970ねん8がつ2にち、オランダ、ヒルフェルスム

マーガレット・スミスは本来ほんらい左利ひだりききであったが、テニスではみぎきになおされた。女子じょし選手せんしゅとして体力たいりょくをつけるため、はやくから熱心ねっしん基礎きそ体力たいりょくトレーニングにみ、当時とうじ女子じょしテニスに画期的かっきてき影響えいきょうあたえている。1960ねん地元じもとぜんごう選手権せんしゅけん4だい大会たいかいはつ優勝ゆうしょうかざり、以後いごどう大会たいかい前人ぜんじん未踏みとうの7連覇れんぱ達成たっせい1962ねんウィンブルドンのぞく4だい大会たいかい年間ねんかん3かん獲得かくとく。ウィンブルドンには1963ねんはつ優勝ゆうしょうかざっている。1967ねんにバリー・コートと結婚けっこんして「マーガレット・スミス・コート夫人ふじん」となり、このとしは1年間ねんかん競技きょうぎ退しりぞいた。

1968ねんにテニスかい史上しじょう最大さいだい転換期てんかんきむかえ、プロ選手せんしゅの4だい大会たいかい出場しゅつじょう解禁かいきんする「オープン」という措置そち実施じっしする。大会たいかい名称めいしょう変更へんこうされて、全豪ぜんごうオープンぜんふつオープンウィンブルドン選手権せんしゅけん全米ぜんべいオープンとなった。1968ねん以後いごのテニス記録きろくは「オープン時代じだい」(Open Era) とばれ、それ以前いぜん時代じだいとは明確めいかく区別くべつされる。コート夫人ふじんはアマチュア選手せんしゅとして4だい大会たいかい出場しゅつじょうつづけてきたが、オープン措置そち実施じっしにプロ選手せんしゅとなった。この過渡かとにはトーナメントにも変化へんかおおく、1968ねん1969ねんには全米ぜんべいオープンとしに2開催かいさいされている。1かいほう正式せいしきな「オープン時代じだい大会たいかい」として公式こうしき記録きろくとなっており、年末ねんまつの12月に別途べっと開催かいさいされた2かい大会たいかいは「全米ぜんべい選手権せんしゅけん」とされている。1968ねん場合ばあい全米ぜんべいオープン選手権せんしゅけん公式こうしき記録きろくには「オープン時代じだい大会たいかい」の優勝ゆうしょうしゃバージニア・ウェードイギリス)の名前なまえ記載きさいされている。このため、コート夫人ふじん優勝ゆうしょうした2かいの「全米ぜんべい選手権せんしゅけん」は公式こうしき優勝ゆうしょう記録きろくになっていない。1969ねん場合ばあいは、公式こうしき記録きろくでは「オープン時代じだい大会たいかい」の優勝ゆうしょうしゃはコート夫人ふじんとなっている。

1970ねん、マーガレット・スミス・コート夫人ふじん女子じょしテニス史上しじょう2にんの「年間ねんかんグランドスラム」を達成たっせいする。女子じょし選手せんしゅはつ年間ねんかんグランドスラム達成たっせいしゃは、1953ねんモーリーン・コノリーアメリカ1934ねん - 1969ねん)であった。コート夫人ふじんはコノリー以来いらい「17ねんぶり」の偉業いぎょう達成たっせいとなる。それから18ねん1988ねんシュテフィ・グラフ当時とうじ西にしドイツ)が女子じょし3にん年間ねんかんグランドスラム達成たっせいしゃとなった。グラフはこれを機会きかいに、おりれてコート夫人ふじん比較ひかくされるようになる。

コート夫人ふじん1970ねん年間ねんかんグランドスラムにくわえて、4だい大会たいかい年間ねんかん3かん生涯しょうがい通算つうさん「4達成たっせいしている(1962ねん1965ねん1969ねん1973ねんに3つの大会たいかい優勝ゆうしょうしている)。それぞれのとしでは、1962ねん1969ねん1973ねんウィンブルドンのみをとし、1965ねんにはぜんふつ選手権せんしゅけんのみをとしている。

1973ねん、コート夫人ふじんは31さいにして年間ねんかん「102しょう6はい」の驚異きょういてき成績せいせきげ、女子じょしテニスツアーでも出場しゅつじょう25大会たいかいのうち「18しょう」の成績せいせきげた。このとしは4だい大会たいかいでも自身じしん4度目どめ年間ねんかん3かん獲得かくとくし、ウィンブルドンのぞく3大会たいかい優勝ゆうしょうかざっている。1975ねん現役げんえき引退いんたいし、1979ねん国際こくさいテニス殿堂でんどうりをたした。

彼女かのじょはまだ独身どくしん選手せんしゅの「マーガレット・スミス」だったころ1963ねんおなオーストラリアケン・フレッチャー1940ねん - 2006ねん)とペアをんで、混合こんごうダブルス部門ぶもんの「年間ねんかんグランドスラム」を達成たっせいしている。1970ねん女子じょしシングルス年間ねんかんグランドスラムは、結婚けっこんのことであった。2部門ぶもん年間ねんかんグランドスラムを達成たっせいした選手せんしゅは、テニスの歴史れきしつうじてコート夫人ふじんひとりだけである。

テニス競技きょうぎ過渡かと活動かつどうしたひとであることから、コート夫人ふじん優勝ゆうしょう記録きろく種々しゅじゅ分類ぶんるいされる。アマチュア選手せんしゅとして獲得かくとくしたもの、「オープン時代じだい以後いご獲得かくとくしたシングルス・タイトル92、プロ選手せんしゅとして獲得かくとくしたシングルス・タイトル79などである。1さい年下とししたのライバル、ビリー・ジーン・キング夫人ふじんアメリカ)とならんで、コート夫人ふじんながいテニス経歴けいれきつうじて絶大ぜつだいつよさをほこっていた。

全豪ぜんごうオープン会場かいじょうにある「マーガレット・コート・アリーナ」

2000ねん全豪ぜんごうオープン開幕かいまく先立さきだち、メルボルンのナショナル・テニスセンターにて、「オープン時代じだい」(Open Era) のだい1かい大会たいかいとしておこなわれた1969ねん全豪ぜんごうオープン」の男女だんじょシングルス優勝ゆうしょうしゃ功績こうせきたたえる式典しきてんおこなわれた。センター・コートには男子だんしシングルス優勝ゆうしょうしゃロッド・レーバー記念きねんして「ロッド・レーバー・アリーナ」の名前なまえあたえ、となりの1ばんコートにはコート夫人ふじんにちなんだ「マーガレット・コート・アリーナ」の名前なまえがつけられた。

1999ねん8がつ現役げんえき引退いんたいしたシュテフィ・グラフの4だい大会たいかい優勝ゆうしょう記録きろくが、通算つうさん「22しょう」(ぜんごう4、ぜんほとけ6、ウィンブルドン7、全米ぜんべい5)でわったため、グラフが“あと2”とどかなかったコート夫人ふじん通算つうさん24しょうは、いまなおテニス4だい大会たいかい最多さいた優勝ゆうしょう記録きろくとしてそびえっている。なお、グラフが最後さいごの4だい大会たいかい優勝ゆうしょうかざった1999ねんぜんふつオープンでは、コート夫人ふじん彼女かのじょ優勝ゆうしょうカップを贈呈ぞうていした。

記録きろく

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グランドスラム歴代れきだい記録きろくぜん期間きかん

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達成たっせい 期間きかん 記録きろく 記録きろくしゃ
グランドスラムシングルス最多さいた優勝ゆうしょう 1960–1973
24
単独たんどく記録きろく
グランドスラム最多さいた優勝ゆうしょう 1960–1975
64
単独たんどく記録きろく
グランドスラム混合こんごうダブルス最多さいた優勝ゆうしょう 1960–1975
19
単独たんどく記録きろく
ぜんごうシングルス最多さいた優勝ゆうしょう 1960–1973
11
単独たんどく記録きろく
ぜんごう最多さいた優勝ゆうしょう 1960–1977
21
単独たんどく記録きろく
ぜんふつ最多さいた優勝ゆうしょう 1962–1973
13
単独たんどく記録きろく
年間ねんかんグランドスラム達成たっせい(シングルス) 1970
-
モーリーン・コノリー
シュテフィ・グラフ
年間ねんかんグランドスラム達成たっせい混合こんごうダブルス) 1963 & 1965
-
単独たんどく記録きろく
トリプルクラウン[1] 1963–1970
5
スザンヌ・ランラン
キャリアボックスセット [2] 1960–1969
2
単独たんどく記録きろく
4だい大会たいかい連続れんぞく優勝ゆうしょう 1969–1971
6
モーリーン・コノリー
マルチナ・ナブラチロワ
ぜんごう9年間ねんかんちゅう8かい優勝ゆうしょう 1969-1971 シュテフィ・グラフ
グランドスラム3かん 1962–1973
5
シュテフィ・グラフ

グランドスラム記録きろく

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期間きかん グランドスラム記録きろく 記録きろくしゃ
1960ぜんごう選手権せんしゅけん
1969ぜんえい
すべての大会たいかいで2かい以上いじょう優勝ゆうしょう (ボックスセット) 単独たんどく記録きろく
1963, 1965&1969
ぜんごう選手権せんしゅけん/オープン
おな大会たいかいのシングルス・ダブルス・混合こんごうダブルスで優勝ゆうしょう (トリプルクラウン) ダフネ・アクハースト
ナンシー・ウィン・ボルトン
1970ぜんごう — 1970全米ぜんべい 年間ねんかんグランドスラム モーリーン・コノリー
シュテフィ・グラフ
1969ぜんごう — 1973ぜんごう オープン以降いこう勝率しょうりつ「92.85%」 (26-2) 単独たんどく記録きろく
1969全米ぜんべい — 1971ぜんごう グランドスラムシングルス6大会たいかい連続れんぞく優勝ゆうしょう モーリーン・コノリー
マルチナ・ナブラチロワ
1969ぜんごう — 1973全米ぜんべい オープン以降いこうのグランドスラム決勝けっしょう勝率しょうりつ「91.66% 」(11-1) 単独たんどく記録きろく
全米ぜんべいオープン オープン以降いこう勝率しょうりつ「90.32%」 (28-3) 単独たんどく記録きろく
ぜんふつオープン オープン以降いこう勝率しょうりつ「95.23% 」(20-1) 単独たんどく記録きろく
全豪ぜんごうオープン オープン以降いこう勝率しょうりつ「92.85%」 (26-2) 単独たんどく記録きろく

記録きろく

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期間きかん 記録きろく 記録きろくしゃ
1960–1977 女子じょしシングルス歴代れきだい最多さいた優勝ゆうしょう「192」 単独たんどく記録きろく
1968-1976 グラスコートシングルスオープン以降いこう最多さいた優勝ゆうしょう「46」 単独たんどく記録きろく
1968–1977 シングルスオープン以降いこう最高さいこう勝率しょうりつ (ぜんサーフェス) 91.17% (593–56) 単独たんどく記録きろく
1968–1977 シングルスオープン以降いこう最高さいこう勝率しょうりつ (ハードコート) 91.73% (111-10) 単独たんどく記録きろく
1968–1977 シングルスオープン以降いこう最高さいこう勝率しょうりつ (グラスコート) 93.01% (293-22) 単独たんどく記録きろく
1970 オープン以降いこうシングルス年間ねんかん最多さいた優勝ゆうしょう「21」 単独たんどく記録きろく
1973 としオープン以降いこうシングルス優勝ゆうしょうWTAツアー記録きろく「18」 単独たんどく記録きろく

4だい大会たいかい優勝ゆうしょう

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ちゅう1968ねんは12月に別途べっと開催かいさいされた2度目どめの「全米ぜんべい選手権せんしゅけん」をせいしているが、これは公式こうしき優勝ゆうしょう記録きろくにならない。)
とし 大会たいかい 対戦たいせん相手あいて 試合しあい結果けっか
1960ねん ぜんごう選手権せんしゅけん オーストラリアの旗 ジャン・レヘイン 7-5, 6-2
1961ねん ぜんごう選手権せんしゅけん オーストラリアの旗 ジャン・レヘイン 6-1, 6-4
1962ねん ぜんごう選手権せんしゅけん オーストラリアの旗 ジャン・レヘイン 6-0, 6-2
1962ねん ぜんふつ選手権せんしゅけん オーストラリアの旗 レスリー・ターナー 6-3, 3-6, 7-5
1962ねん 全米ぜんべい選手権せんしゅけん アメリカ合衆国の旗 ダーリーン・ハード 9-7, 6-4
1963ねん ぜんごう選手権せんしゅけん オーストラリアの旗 ジャン・レヘイン 6-2, 6-2
1963ねん ウィンブルドン選手権せんしゅけん アメリカ合衆国の旗 ビリー・ジーン・モフィット 6-3, 6-4
1964ねん ぜんごう選手権せんしゅけん オーストラリアの旗 レスリー・ターナー 6-3, 6-2
1964ねん ぜんふつ選手権せんしゅけん ブラジルの旗 マリア・ブエノ 5-7, 6-1, 6-2
1965ねん ぜんごう選手権せんしゅけん ブラジルの旗 マリア・ブエノ 5-7, 6-3, 5-2 (途中とちゅう棄権きけん
1965ねん ウィンブルドン選手権せんしゅけん ブラジルの旗 マリア・ブエノ 6-4, 7-5
1965ねん 全米ぜんべい選手権せんしゅけん アメリカ合衆国の旗 ビリー・ジーン・モフィット 8-6, 7-5
1966ねん ぜんごう選手権せんしゅけん アメリカ合衆国の旗 ナンシー・リッチー 不戦勝ふせんしょう
1969ねん 全豪ぜんごうオープン アメリカ合衆国の旗 ビリー・ジーン・キング 6-4, 6-1
1969ねん ぜんふつオープン イギリスの旗 アン・ヘイドン=ジョーンズ 6-1, 4-6, 6-3
1969ねん 全米ぜんべいオープン アメリカ合衆国の旗 ナンシー・リッチー 6-2, 6-2
1970ねん 全豪ぜんごうオープン オーストラリアの旗 ケリー・メルビル 6-1, 6-3
1970ねん ぜんふつオープン ドイツの旗 ヘルガ・ニーセン 6-2, 6-4
1970ねん ウィンブルドン アメリカ合衆国の旗 ビリー・ジーン・キング 14-12, 11-9
1970ねん 全米ぜんべいオープン アメリカ合衆国の旗 ロージー・カザルス 6-2, 2-6, 6-1
1971ねん 全豪ぜんごうオープン オーストラリアの旗 イボンヌ・グーラゴング 2-6, 7-6, 7-5
1973ねん 全豪ぜんごうオープン オーストラリアの旗 イボンヌ・グーラゴング 6-4, 7-5
1973ねん ぜんふつオープン アメリカ合衆国の旗 クリス・エバート 6-7, 7-6, 6-4
1973ねん 全米ぜんべいオープン オーストラリアの旗 イボンヌ・グーラゴング 7-6, 5-7, 6-2
テニス4だい大会たいかい女子じょしシングルス優勝ゆうしょう記録きろく
順位じゅんい 優勝ゆうしょう回数かいすう 選手せんしゅめい
1 24しょう オーストラリアの旗 マーガレット・スミス・コート
2 23しょう アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ
3 22しょう ドイツの旗 シュテフィ・グラフ
4 19しょう アメリカ合衆国の旗 ヘレン・ウィルス・ムーディ
5タイ 18しょう アメリカ合衆国の旗 クリス・エバート | アメリカ合衆国の旗 マルチナ・ナブラチロワ
7タイ 12しょう フランスの旗 スザンヌ・ランラン | アメリカ合衆国の旗 ビリー・ジーン・キング
9タイ 9しょう アメリカ合衆国の旗 モーリーン・コノリー | ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗アメリカ合衆国の旗 モニカ・セレシュ
11 8しょう ノルウェーの旗アメリカ合衆国の旗 モーラ・マロリー
12タイ 7しょう イギリスの旗 ドロテア・ダグラス・チェンバース | ブラジルの旗 マリア・ブエノ | オーストラリアの旗 イボンヌ・グーラゴング | ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン | アメリカ合衆国の旗 ビーナス・ウィリアムズ*
*は現役げんえき選手せんしゅ

4だい大会たいかい成績せいせき

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略語りゃくご説明せつめい
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝ゆうしょう, F=じゅん優勝ゆうしょう, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦かいせん敗退はいたい, RR=ラウンドロビン敗退はいたい, Q#=予選よせん#回戦かいせん敗退はいたい, LQ=予選よせん敗退はいたい, A=大会たいかい不参加ふさんか, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ちいきゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピックきんメダル, S=オリンピックぎんメダル, B=オリンピックどうメダル, NMS=マスターズシリーズから降格こうかく, P=開催かいさい延期えんき, NH=開催かいさいなし.

シングルス

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大会たいかい 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 SR
全豪ぜんごうオープン 2R W W W W W W W A F W W W A W A QF 11 / 14
ぜんふつオープン A A QF W QF W F SF A A W W 3R A W A A 5 / 10
ウィンブルドン A A QF 2R W F W SF A QF SF W F A SF A SF 3 / 12
全米ぜんべいオープン A A SF W F 4R W A A QF W W A SF W A QF 5 / 11

ダブルス

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大会たいかい 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 SR
全豪ぜんごうオープン A F W W W F W F A SF W W W A W A F QF 8 / 14
ぜんふつオープン A A 3R F F W W W A A F SF SF A W A A A 4 / 10
ウィンブルドン A A F SF F W 3R F A QF W QF F A QF A QF A 2 / 12
全米ぜんべいオープン A A 2R QF W F A A A W F W A F W A W A 5 / 10

混合こんごうダブルス

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大会たいかい 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 SR
全豪ぜんごうオープン A A A A W W W SF A F W NH NH NH NH NH NH 4 / 6
ぜんふつオープン A A SF A W W W 3R A A W SF 3R A A A A 4 / 8
ウィンブルドン A A SF A W F W W A W SF 2R A A F A W 5 / 10
全米ぜんべいオープン A A W W W W W A A A W W A W F A SF 8 / 10

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ おな大会たいかいでシングルス・ダブルス・混合こんごうダブルスすべてで優勝ゆうしょう
  2. ^ シングルス・ダブルス・混合こんごうダブルスでグランドスラム達成たっせい

外部がいぶリンク

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記録きろく
先代せんだい
アメリカ合衆国の旗 ヘレン・ウィルス・ムーディ
グランドスラム最多さいたタイトル獲得かくとく記録きろく
1970ねん
次代じだい
-
先代せんだい
アメリカ合衆国の旗 モーリーン・コノリー・ブリンカー (1953)
年間ねんかんグランドスラム達成たっせい
1970
次代じだい
西ドイツの旗 シュテフィ・グラフ (1988)