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メテオラ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
世界遺産 メテオラ
ギリシャ
至聖三者(アギア・トリアダ)修道院
いたりひじりさんしゃ(アギア・トリアダ)修道院しゅうどういん
英名えいめい Meteora
ふつめい Météores
面積めんせき 3.75 km2
登録とうろく区分くぶん ふくあい遺産いさん
IUCN分類ぶんるい III (Natural Monument)
登録とうろく基準きじゅん (1), (2), (4), (5), (7)
登録とうろくねん 1988ねん
公式こうしきサイト 世界せかい遺産いさんセンター英語えいご
地図ちず
メテオラの位置
使用しよう方法ほうほう表示ひょうじ

メテオラまれ: Μετέωρα)は、ギリシア北西ほくせいセサリア(テッサリア)地方ちほう北端ほくたん奇岩きがんぐんとそのうえ建設けんせつされた修道院しゅうどういん共同きょうどうたい。いわゆるメテオラ修道院しゅうどういんぐん総称そうしょうである。現在げんざいトリカラけんカランバカにある。その地形ちけいおよギリシア正教せいきょう修道院しゅうどういん文化ぶんか価値かちからユネスコ世界せかい遺産いさん文化ぶんか自然しぜんふくあい遺産いさん)に登録とうろくされている。そのギリシアで「中空なかぞらの」を意味いみする「メテオロス」(μετέωρος)という言葉ことば由来ゆらいしている。

歴史れきし

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メテオラのけわしい地形ちけいは、俗世ぞくせとのかかわりをいの瞑想めいそうきるギリシア正教せいきょう修道しゅうどうにとっては理想りそう環境かんきょうなされ、9世紀せいきにはすでに、この奇岩きがんぐん穿うがたれた洞穴どうけついわ修道しゅうどういていた。この時代じだい修道しゅうどう現在げんざいのような修道院しゅうどういん共同きょうどうたい形成けいせいすることはなく、単独たんどく修行しゅぎょうするかくれ修士しゅうし主流しゅりゅうであった。

メテオラに修道院しゅうどういん共同きょうどうたい成立せいりつしたのは、14世紀せいきセルビア王国おうこくがセサリア地方ちほう勢力せいりょく拡大かくだいしてくる時代じだいであるといわれる。それまでひがしマ帝国まていこく修道院しゅうどういん活動かつどう中心ちゅうしんになっていたアトスさんは、1346ねんにはセルビアりょうなかまれた。セルビアおうステファン・ウロシュ4せいドゥシャンはアトスの修道院しゅうどういん多大ただい保護ほごあたえ、その活動かつどう奨励しょうれいしたが、当時とうじ戦乱せんらんけておおくの修道しゅうどうがアトスを南下なんかし、メテオラにいた。その一人ひとり修道しゅうどうアサナシオスで、かれはメテオラにおも変容へんよう(メタモルフォシス)修道院しゅうどういん創立そうりつした。アサナシオスはアトスにける修道院しゅうどういん共同きょうどうたい様式ようしき、いわゆるキノヴィオン(きょうじゅう)を導入どうにゅうして修道院しゅうどういん共同きょうどうたい確立かくりつつとめた。これらに前後ぜんごして、せいニコラオス、せいステファノスなどの修道院しゅうどういん創立そうりつされている。

アサナシオスの活動かつどうは、その高弟こうていでセルビア王家おうけ出身しゅっしんでもある修道しゅうどうヨアサフによってがれることになった。ドゥシャンおう異母弟いぼていでセサリア君主くんしゅき、メテオラにも保護ほごあたえていたシメオン・ウロシュ・パレオロゴス息子むすこであるヨアサフは、はやくからこの修道しゅうどう交流こうりゅうち、セサリアの支配しはいけん俗世ぞくせ生活せいかつててメテオラに隠退いんたいした。1384ねんアサナシオスの死後しごかれ変容へんよう修道院しゅうどういん院長いんちょう就任しゅうにんし、しゅ聖堂せいどう再建さいけんなど、修道院しゅうどういん整備せいび尽力じんりょくした。

1393ねんからよく1394ねんにかけて、バルカン半島ばるかんはんとう支配しはいけんひろげていたオスマンちょうはセサリアをも併合へいごうした。なが異教徒いきょうと支配しはい時代じだいがここにはじまり、初期しょきには異教徒いきょうと支配しはいきらい、アトスに移住いじゅうする修道しゅうどうられたが(ヨアサフもその一人ひとりである)、オスマンちょうはメテオラの修道院しゅうどういん一定いってい保護ほごあたえその活動かつどう保証ほしょうしたので、もなく修道しゅうどうもどり、わりなく修道しゅうどう活動かつどう継続けいぞくされた。1490ねんには変容へんよう修道院しゅうどういんがメテオラのぜん修道院しゅうどういん統括とうかつする存在そんざいとなり、「だいメテオロン」の異称いしょう一般いっぱんしていく。15世紀せいき後半こうはんにはいたりひじりさんしゃ(アギア・トリアダ)修道院しゅうどういんが、16世紀せいきにはヴァルラアム修道院しゅうどういんとルサヌ修道院しゅうどういんがそれぞれ現在げんざいかたち創立そうりつされた。この時代じだいには「クレタ」とばれるイコン流派りゅうはがこの活動かつどうし、現在げんざいのこすうおおくの傑作けっさくフレスコのこしている。

メテオラをふくむセサリア地方ちほう大半たいはん戦争せんそう1881ねんギリシア王国おうこくりょう編入へんにゅうされた。近代きんだい国家こっかなかでも修道院しゅうどういん活動かつどうつづいたが、近年きんねんあらたな問題もんだいがってきた。メテオラの風光ふうこう明媚めいび景色けしき修道院しゅうどういん文化ぶんかへの関心かんしんからこの地域ちいき観光かんこうすすみ、世俗せぞくける修道しゅうどうにとっては活動かつどうてきさなくなりつつある。そのため、メテオラをてより閉鎖へいさてきアトスさん移住いじゅうする修道しゅうどう増加ぞうかしている。争乱そうらん時代じだいにアトスをてた修道しゅうどうによって建設けんせつされたメテオラ修道院しゅうどういん共同きょうどうたいであるが、今度こんど近代きんだいなみなかぎゃく現象げんしょうしょうじたのである。なお、20世紀せいきはいり、ふたつの修道院しゅうどういん女子じょし修道院しゅうどういん改組かいそされて現在げんざいいたっている。

メテオラの修道院しゅうどういん現在げんざい活動かつどうちゅうのもの)

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2012ねん現在げんざい、6つの修道院しゅうどういん活動かつどうちゅうである。

修道院しゅうどういん 画像がぞう
だいメテオロン修道院しゅうどういん(Ιερά Μονή Μεγάλου Μετεώρου)
メテオラ修道院しゅうどういんぐんなか最大さいだい修道院しゅうどういん。14世紀せいき中頃なかごろ建立こんりゅうされた。「救世主きゅうせいしゅ変容へんよう」を意味いみするメタモルフォシス(Μεταμόρφωση τたうοおみくろんυうぷしろん Σωτήρος)の名前なまえでもばれ、1387ねん建立こんりゅうされた同名どうめいしゅ聖堂せいどうがある。壁画へきが1483ねんから1552ねんあいだ作成さくせいされたものがいまのこる。かつての食堂しょくどう建物たてもの現在げんざい博物館はくぶつかんとして公開こうかいされている。
ヴァルラアム修道院しゅうどういん(Ιερά Μονή Βαρλαάμ)
1541ねん建立こんりゅうされた。だいメテオロンのすぐとなり修道院しゅうどういんである。14世紀せいき活動かつどうしたかくれ修士しゅうしヴァルラアムの居所きょしょに、ヨアニナ出身しゅっしんのセオファニスとネクタリオス修道しゅうどう兄弟きょうだいによって現在げんざい修道院しゅうどういんてられた。修道院しゅうどういん内部ないぶにはフランゴス・カテラノスによるフレスコのこる。
ルサヌ修道院しゅうどういん(Ιερά Μονή Ρουσσάνου)
16世紀せいき中頃なかごろ建立こんりゅうされた[1]だいメテオロン同様どうよう救世主きゅうせいしゅ変容へんよう記念きねんした修道院しゅうどういんであるが、同時どうじ聖女せいじょヴァルヴァラ(Αγία Βαρβάρα)にもささげられている。現在げんざい修道院しゅうどういん1545ねん創立そうりつ垂直すいちょくったいわうえさんそうての修道院しゅうどういん建物たてものつ。1950ねん以降いこう女子じょし修道院しゅうどういんとなっている。
せいニコラオス・アナパフサス修道院しゅうどういん(Ιερά Μονή Αあるふぁγがんま. Νικολάου Αναπαυσά)
通常つうじょうせいニコラオス修道院しゅうどういん略称りゃくしょうされる。14世紀せいきラリサ主教しゅきょう・スタギ(げんカランバカ)・ニカノル修道院しゅうどういんせいディオニシオスにより創建そうけんクレタ出身しゅっしんのセオファニスという画家がかによる壁画へきがのこる。
せいステファノス修道院しゅうどういん(Ιερά Μονή Αあるふぁγがんま. Στεφάνου)
修道院しゅうどういんそのものは14世紀せいき前半ぜんはん存在そんざいしていたが、1367ねんきょうじゅう修道院しゅうどういんとして創建そうけんされた。ルサヌ修道院しゅうどういん同様どうよう女子じょし修道院しゅうどういん。メテオラのなかでは修道しゅうどう活動かつどうはやくからられた場所ばしょで、1192ねんにはかくれ修士しゅうしイェレミアスがいたことられている。しゅ聖堂せいどうにはせいハラランボスせい遺物いぶつおさめている。

アギア・トリアダ修道院しゅうどういん(Ιερά Μονή Αあるふぁγがんま. Τριάδος)
1475ねん、ドメティオスにより創建そうけんされた。いたりひじりさんしゃささげられた修道院しゅうどういん

パノラマ

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メテオラの風景ふうけい

6せんまんねんまえ海底かいてい堆積たいせきした砂岩さがん隆起りゅうきし、浸食しんしょくされていま地形ちけいとなった。砂岩さがんはしら多数たすうそびえる独特どくとく地形ちけいにより、一帯いったいは2024ねんユネスコ世界せかいジオパーク指定していされた[2]

交通こうつう

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最寄もよりのまちカランバカまでの交通こうつう手段しゅだん

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  • 鉄道てつどう
    • アテネよりカランバカ直通ちょくつう列車れっしゃ乗車じょうしゃ(1にち2ほん程度ていど所要しょよう時間じかんやく4あいだ30ふん
    • アテネよりテッサロニキ方面ほうめんきの列車れっしゃり、パレイオファルサロスえて、終点しゅうてんカランバカえき下車げしゃ(1にち4ほん程度ていど所要しょよう時間じかんやく4あいだ30ふん
    • テッサロニキよりアテネ方面かたもきの列車れっしゃり、パレイオファルサロスでえて、終点しゅうてんのカランバカえき下車げしゃ(1にち8ほん程度ていど所要しょよう時間じかんやく3あいだ〜4あいだ
    • パレイオファルサロスとカランバカあいだは、2あいだに1ほん程度ていど運行うんこう所要しょよう時間じかんやく50ふん
  • 長距離ちょうきょりバス(KTELバス)
    • アテネのリオシオン・バスターミナル(Terminal B)より、トリカラ(Trikala)きに乗車じょうしゃ(1にち8ほん程度ていど所要しょよう時間じかんやく5あいだ)。トリカラよりカランバカきバスに乗車じょうしゃ(30ふんに1ほん程度ていど運行うんこう所要しょよう時間じかんやく30ふん)。
    • テッサロニキ駅前えきまえよりトリカラきバスもあり(1にち6ほん程度ていど所要しょよう時間じかんやく3〜4あいだ
    • デルフィからは、ラリッサきのバス(1にち1ほん程度ていど)、もしくはラミアきのバス(1にち3ほん程度ていど)に乗車じょうしゃし、トリカラきにえてカランバカにかうことが出来できる。
    • アルバニアやバルカン半島ばるかんはんとう西部せいぶから場合ばあいは、イオアニナ(Ioannina)からカランバカへの直通ちょくつう便びん(1にち2ほん程度ていど所要しょよう時間じかんやく3あいだ

カランバカからメテオラまでの交通こうつう手段しゅだん

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  • バス
    カランバカまち中心ちゅうしんバス停ばすてい(Plateia Dimarchiou)より、カストラキむら経由けいゆしてだいメテオロン修道院しゅうどういんまえまで、1にち2ほん程度ていど運行うんこう所要しょよう時間じかんやく20ふん)。
  • タクシー
    カランバカのバス停ばすてい付近ふきん、もしくは列車れっしゃ到着とうちゃく時間じかんえき付近ふきんでタクシーをつけることが出来できる。メテオラの修道院しゅうどういん付近ふきんながしのタクシーをつけることはかなりむずかしい。
  • 徒歩とほ
    カランバカからカストラキむら経由けいゆしてだいメテオロン修道院しゅうどういんまで、バス経路けいろおなどうあるいてやく1あいだ。もしくはカランバカからアギア・トリアダ修道院しゅうどういんまで、きゅうがけ階段かいだんのぼやく30ふん

登録とうろく基準きじゅん

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この世界せかい遺産いさん世界せかい遺産いさん登録とうろく基準きじゅんのうち、以下いか条件じょうけんたし、登録とうろくされた(以下いか基準きじゅん世界せかい遺産いさんセンター公表こうひょう登録とうろく基準きじゅんからの翻訳ほんやく引用いんようである)。

  • (1) 人類じんるい創造そうぞうてき才能さいのう表現ひょうげんする傑作けっさく
  • (2) ある期間きかんつうじてまたはある文化ぶんかけんにおいて、建築けんちく技術ぎじゅつ記念きねんてき芸術げいじゅつ都市とし計画けいかく景観けいかんデザインの発展はってんかんし、人類じんるい価値かち重要じゅうよう交流こうりゅうしめすもの。
  • (4) 人類じんるい歴史れきしじょう重要じゅうよう時代じだい例証れいしょうする建築けんちく様式ようしき建築けんちくぶつぐん技術ぎじゅつ集積しゅうせきまたは景観けいかんすぐれたれい
  • (5) ある文化ぶんか(または複数ふくすう文化ぶんか)を代表だいひょうする伝統でんとうてき集落しゅうらく、あるいは陸上りくじょうないし海上かいじょう利用りよう際立きわだったれい。もしくはとく可逆かぎゃくてき変化へんかなか存続そんぞくあやぶまれているひと環境かんきょうかかわりあいの際立きわだったれい
  • (7) ひときわすぐれた自然しぜんおよ美的びてき重要じゅうようせいをもつ最高さいこう自然しぜん現象げんしょうまたは地域ちいきふくむもの。

画像がぞう

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その

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リンキン・パークの2ndアルバム『メテオラ』のタイトルの由来ゆらいとなっている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ デジタル大辞泉だいじせん解説かいせつ”. コトバンク. 2018ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  2. ^ UNESCO names 18 new Geoparks”. UNESCO (27 March 2024). 2024ねん3がつ30にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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座標ざひょう: 北緯ほくい3942ふん51びょう 東経とうけい2137ふん52びょう / 北緯ほくい39.71417 東経とうけい21.63111 / 39.71417; 21.63111