レムス

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ロームルスとレムス
『ロームルスとレムス』(カルロ・ブロギ

レムスRemus, 紀元前きげんぜん771ねん紀元前きげんぜん753ねん)は、ローマ建国けんこく神話しんわ登場とうじょうするローマ建設けんせつしゃロームルス双子ふたご兄弟きょうだい

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アルバ・ロンガおうプロカ長男ちょうなんヌミトル王位おういゆずってんだが、ヌミトルのおとうとアムーリウスあに王位おうい簒奪さんだつした。ヌミトルの息子むすこころされ、むすめレア・シルウィア処女しょじょ義務付ぎむづけられたウェスタの巫女ふじょとさせられた。

あるときシルウィアはおきてやぶってかみであるマールスまじわり懐妊かいにんした。シルウィアには監視かんしがつけられたが10かげつ双子ふたご出産しゅっさんした。双子ふたごはアムリウスのいのちティベリスがわながされ、シルウィアは監禁かんきんされた。

双子ふたごながされたにちティベリスがわ水量すいりょうしており、双子ふたごなが命令めいれいけていた召使めしつかいきしちかくのよどみに双子ふたごはいったかごをいた。かごはながされず、みずくとイチジクのあったきしにあげられた。この場所ばしょローマのななおかひとパラティヌス西にし、ゲルマルスとばれる場所ばしょであったとされる。またこのイチジクのはのちに「ロームルスのイチジク」とばれたという。

双子ふたごめすオオカミちちみ、キツツキはこ食料しょくりょうべてびた。そこへアムリウスの牧夫ぼくふであるファウストゥルスとおりかかり、双子ふたご自分じぶんいえにつれてかえった。ファウストゥルスは双子ふたごがオオカミの乳房ちぶさ(ルーマ)からちちんでいたところから「ロームルス」と「レムス」と名付なづけた。二人ふたりはファウストゥルスとそのつまアッカ・ラレンティアによってそだてられた。一説いっせつでは双子ふたご幼少ようしょうガビイ教育きょういくけたとされる。

アムリウス打倒だとう[編集へんしゅう]

双子ふたご立派りっぱ成長せいちょう周囲しゅうい牧夫ぼくふのリーダーとなった。あるときパラティヌスの牧夫ぼくふたちはうし泥棒どろぼうい、二人ふたりはだかのままこれを追跡ついせきした。このことがローマのまつりのひとつであるルペルカリア起源きげんになったという。このときロームルスとともった仲間なかまはクィンクティウスだん(クィンクティー)、レムスの仲間なかまはファビウスだん(ファビイー)とばれている。

その双子ふたごらアムリウスの牧夫ぼくふたちはアウェンティヌスにいたヌミトルの配下はいかたちとあらそいをこすようになった。あるとき一人ひとりでいたレムスはヌミトルの牧夫ぼくふたちに拉致らちされヌミトルのもとへとれてかれた。ヌミトルは裁判さいばんのためにアムリウスのもとにレムスをした。それにたいしてアムリウスはうったえをそのままけレムスの身柄みがらをヌミトルにわたした。

やがてレムスとヌミトルがにんきりになると、レムスの堂々どうどうとした容貌ようぼうてヌミトルがそのまれをたずねた。ファウストゥルスから自分じぶんたちひろわれたことをいていたレムスはそのことをヌミトルにはなし、そのはなしからヌミトルはレムスが自分じぶんまごであることをった。二人ふたり自分じぶんたちの関係かんけいりアムリウス打倒だとうについてはなった。

おなじことをファウストゥルスからロームルスもったが、まもなくアムリウスにもられた。アムリウスはヌミトルに出頭しゅっとうするよう使者ししゃ派遣はけんしたが、その使者ししゃからアムリウスもおなごとったことをらされたヌミトルらは協力きょうりょくして蜂起ほうきした。アムリウス殺害さつがい、レムスとロームルスはアルバ・ロンガのおうにヌミトルをつけ、はは解放かいほうした。

ローマ建設けんせつ[編集へんしゅう]

二人ふたり野心やしんっておりあらたな都市とし建設けんせつ希望きぼうした。この計画けいかくをヌミトルも支援しえんしたといい、アルバの人々ひとびと一部いちぶ仲間なかま牧夫ぼくふたちをれてにん自分じぶんたちのそだったパラティヌスへかった。

ここでレムスとロームルスのあいだあらそいがおこった。レムスはしん都市とし場所ばしょとしてアウェンティヌスをのぞみ、ロームルスはパラティヌスを主張しゅちょうした。また都市とし名前なまえをローマとするかレモラとするかのめいめぐって、さらにどちらがおうになるかでも対立たいりつしょうじた。

このあらそいはとりうらない(アウスピキウム)でけっすることとなった。ロームルスはパラティヌスで、レムスはアウェンティヌスでとりった。ロームルスはレムスをあざむき、自分じぶんがすでにとりつけたとレムスにつたえこちらへぶようアウェンティヌスに使つかいをおくった。しかしこの報告ほうこくまえにレムスはローマでは瑞兆ずいちょうとされていた6ハゲタカつけた。そのレムスがパラティヌスへおもむいたときになってロームルスは12のハゲタカをつけた。

つけた時間じかんすうかでやはりあらそいとなり、この乱闘らんとうなかでレムスは殺害さつがいされたという。

よりられた伝承でんしょうでは、とりうらないののちロームルスがパラティヌスに城壁じょうへききずはじめたところ、これをレムスがあざけえたのでロームルスが殺害さつがいしたという。ポメリウムばれる都市とし境界きょうかい聖域せいいきとされており、これをまたぐことは重大じゅうだい冒涜ぼうとくかんがえられていた。

またべつ伝承でんしょうではつくりかけの城壁じょうへきえたレムスをころしたのはケレルというおとこだったという。

18さいんだレムスはアウェンティヌスに埋葬まいそうされ、その場所ばしょは「レモリア」とばれたという。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]