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ネプトゥーヌス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ネプトゥーヌス
うみかみ うまかみ
ネプトゥーヌスぞう
ロサンゼルス・カウンティ美術館びじゅつかん所蔵しょぞう
住処すみか 海洋かいよう
シンボル うま, 三叉みつまたやり, イルカ
配偶はいぐうしん サラーキア
おや サートゥルヌス, オプス
兄弟きょうだい ユーピテル, プルートー, ケレース, ユーノー, ウェスタ
子供こども トリートーン
ギリシア神話しんわ ポセイドーン
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ネプトゥーヌス古典こてんラテン語らてんごNeptunus)は、ローマ神話しんわにおけるうみかみ[1]つまサラーキア[2]ちょう母音ぼいん省略しょうりゃくしてネプトゥヌス元々もともとどのようなかみであったかはよくかっていないが、いずみ河川かせん湖沼こしょうつかさどみずかみであったとされる[2]のちギリシア神話しんわポセイドーン同一どういつされ、うまかみとしても崇拝すうはいされるようになったため、ローマ神話しんわうまかみコーンススとも同一どういつされるようになった。祭日さいじつネプトゥーナーリアNeptunalia、ネプトゥナリア)は7がつ23にちであり[3]、ローマ市民しみんえだ屋根やねつく飲食いんしょくをおこなった。

のローマのかみ同様どうよう、ネプトゥーヌスの神話しんわはほとんどがポセイドーンのものである。

水中すいちゅう[編集へんしゅう]

アーニョロ・ブロンズィーノの1540-1550ねんごろ絵画かいがネプトゥヌスにふんしたアンドレア・ドーリア』。ブレラ美術館びじゅつかん所蔵しょぞう

起源きげん[編集へんしゅう]

ネプトゥーヌスは語源ごげんてきケルト神話しんわネフタンインド神話しんわイラン神話しんわアパーム・ナパート関連かんれんせい指摘してきされており、いずれもふるインド・ヨーロッパ語族ごぞくけい神話しんわ水神すいじん起源きげんゆうするとかんがえられている。音韻おんいんてきにはいずれもインド・ヨーロッパ祖語そご*neptonosみずかみ(?))か *h2epōm nepōtsみずまご息子むすこおい)にさかのぼることが可能かのうで、いずれも類似るいじした構成こうせい神話しんわっている。水中すいちゅう神聖しんせいほのおがあり、このほのお手出てだしをしてはいけないか、またはけがれのない人物じんぶつしかさわってはならなかった。しかしあるとき、そういう資格しかくたない人物じんぶつほのおれようとして失敗しっぱいした。ほのおまわりのみずはあふれし、そこから河川かせん誕生たんじょうした。

ローマ神話しんわ[編集へんしゅう]

エトルリアとのウェイイ戦争せんそう伝説でんせつによれば紀元前きげんぜん396ねん)がおこなわれていたとき、ローマの南東なんとう20kmあたりにあるアルバヌスが、突如とつじょ水位すいいはじめた。ぶしあきで、みずえる自然しぜん要因よういんはまったくかんがえられなかった。7月23にち(ネプトゥーナーリアさい)、みずかさはどんどんしていき、ついにはまわりをかこ丘陵きゅうりょうやぶっておおきなながれがブドウはたけはたけのある低地ていちすすみながらうみのほうへとすすんでいった。元老げんろういんはこれがなにかの予兆よちょうだとかんがえ、デルポイ神託しんたくはかりに使者ししゃした。神託しんたくによると、この現象げんしょう先祖せんぞ代々だいだいのラティウムさいをしきたりどおりにおこなわなかったためのいかりであり、アルバヌスのみずはもとの河床かしょうもどすか、または運河うんがほりつくってながれをととのえよ、とのことだった。そこで祭司さいしたちは儀式ぎしき執行しっこうし、人々ひとびと運河うんが造営ぞうえいした。この伝説でんせつのなかには「ほのお」の要素ようそはみあたらないが、比較ひかく神話しんわ学者がくしゃヤン・プーヴェルは、ローマの歴史れきしティトゥス・リウィウスがこのみず氾濫はんらんめたことを extinguere英語えいごextinguished)と表現ひょうげんしていることに着目ちゃくもくした。これはリウィウスの時代じだい通常つうじょうは「ほのおす」という意味いみもちいられた動詞どうしだったからである。ただし最初さいしょにこの神話しんわ類似るいじろんじたジョルジュ・デュメジルは、この解釈かいしゃくよわいとして反論はんろんしている。

ギリシア神話しんわ[編集へんしゅう]

ギリシア神話しんわにおいては、ダナオスむすめアミューモーネーみずさがしにったときサテュロスおそわれたが、それをたすけた海神わたつみポセイドーン三叉みつまたほこでもって大地だいちち、そこからいずみがあふれした。ポセイドンはアミューモーネーとつうじ、彼女かのじょナウプリオスんだ。音韻おんいんてきには無関係むかんけいだが、ダナオス(< *da-みずながれ」)のむすめおっと(=義理ぎり息子むすこみず男性だんせい親類しんるい)が3に関係かんけいのある事項じこうによってみずをあふれさせるという構造こうぞう神話しんわ一致いっちするものである。

ケルト神話しんわ[編集へんしゅう]

アイルランドの伝説でんせつにおいては、ネフタン(Nechtan)は秘密ひみつ井戸いど所有しょゆうしゃであり、その井戸いどかれかれの3にんしゃくじんのみが使つかうことができた。もしだれかがちかづくと、井戸いどみずなかにあるほのおによってかれてしまうのである。しかしネフタンのつまであるボアンド(Boand)はみず井戸いどからくみそうとした。彼女かのじょさんかい半時はんときけいまわりに井戸いどをまわり、そしてさん箇所かしょ切断せつだんされた(大腿だいたい)。みずあふれかえってうみへとながし、ボアンドはそこで溺死できししてしまった。そのながれはいまでは彼女かのじょ名前なまえってボインかわばれている。

ペルシア・インド神話しんわ[編集へんしゅう]

ペルシア神話しんわにおいては、王権おうけん象徴しょうちょうであるほのおフワルナフは、アパム・ナパートしんApąm Napāt)によってウォルカシャ安置あんちされていた。アーリヤじん(ペルシアじん)のみがフワルナフを入手にゅうしゅすることができたのだが、ペルシアじんのフランラスヤンが3かいこのみずうみんでフワルナフをようとした。フワルナフはし、そのたびにみずうみみずがあふれて3つのかわながした。

インドにこの神話しんわはないがアパーム・ナパートApām Napāt)という同名どうめい神格しんかく存在そんざいし、これはほのおであると同時どうじ水中すいちゅうむとされていた。

異説いせつ[編集へんしゅう]

これらしょ神話しんわ比較ひかくすると、ローマのみ、人力じんりきによってみずながれを制御せいぎょしていることが特徴とくちょうてきである(ほかの神話しんわでは「自然しぜんに」かわながれている)。デュメジルはこのてん注目ちゅうもくし、ローマじんはネプトゥーナーリアさいにおいて、自然しぜんかわ制御せいぎょだけではなく、人工じんこうみずながれの制御せいぎょについてもいのりをささげていたのではないかとかんがえた。しかしネフタンやネプトゥーヌスの語源ごげんについてはべつせつ呈示ていじされている。また、インド・ヨーロッパ語族ごぞくという観点かんてんとはべつに、ネプトゥーヌスはエトルリア神話しんわみず井戸いどかみネスンスNeþuns < *nep-湿しめ」)と神格しんかくおよび名称めいしょう類似るいじしている。現在げんざい神話しんわのこっていないネプトゥーヌスのげん神話しんわさい構築こうちくするにはおおくの難関なんかん存在そんざいしているのである。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ マイケル・グラント、ジョン・ヘイゼル 『ギリシア・ローマ神話しんわ事典じてん大修館書店たいしゅうかんしょてん
  2. ^ a b ツイン☆スター 『かみ事典じてん』 ジャパン・ミックス
  3. ^ 山北やまきたあつし西洋せいようかみめい事典じてんしん紀元きげんしゃ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]