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ロイス=グライツこうこく

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ロイス=グライツこうこく
Fürstentum Reuß-Greiz
ロイス伯領 1778ねん - 1918ねん ロイス人民州
ロイス=グライツ侯国の国旗 ロイス=グライツ侯国の国章
国旗こっきくにあきら
くに標語ひょうご: Ich bau auf Gott
国歌こっか: Gott, erhalt' in Deiner Gnaden Unsern Fürsten
ロイス=グライツ侯国の位置
ドイツ帝国ていこくないにおけるロイス=グライツこうこく
首都しゅと グライツ
侯爵こうしゃく
1778ねん - 1800ねん ハインリヒ11せい
1902ねん - 1918ねんハインリヒ24せい
変遷へんせん
創設そうせつ 1778ねん
滅亡めつぼう1918ねん

ロイス=グライツこうこくドイツ: Fürstentum Reuß-Greiz)は、ドイツのテューリンゲン地方ちほう存在そんざいしたりょうくに国家こっかあにけいロイスこうによって統治とうちされたため、あにけいロイスこうこくどく: Fürstentum Reuß älterer Linie)ともばれる。

地理ちり

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テューリンゲン諸国しょこくにおけるロイス=グライツこうこく(1900ねん

テューリンゲン地方ちほう東部とうぶにあったりょうくにで、首都しゅとヴァイセ・エルスター河畔かはん都市としグライツ現在げんざいはテューリンゲンしゅうグライツぐんぞくする)。ドイツ帝国ていこくのもとでテューリンゲンしょくに総称そうしょうされたりょうくにぐんのうちのひとつである。

テューリンゲン諸国しょこくには小規模しょうきぼりょうくにおおかったが、ロイス=グライツこうこく面積めんせきやく 317 km² (1905ねん時点じてん)で、そのうちもっとちいさかった。ドイツ帝国ていこく構成こうせいする国家こっかのなかでは、帝国ていこく自由じゆう都市としであるリューベックおよびブレーメンよりはひろいがハンブルクよりもせまく、諸侯しょこうこくとしてはもっと狭小きょうしょうであった。

テューリンゲン地方ちほうは、歴史れきしてき経緯けいいから各国かっこく大小だいしょう飛地とびちゆうしてんでいた。ドイツ帝国ていこく時代じだい首都しゅとグライツをふく領域りょういきは、きたザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公たいこうこく領土りょうど西にしロイス=ゲーラこうこくおとうとけいロイスこうこく)の領土りょうどせっし、みなみひがしザクセン王国おうこく境界きょうかいせっしていた。まとまったひろさの飛地とびちとしては、グライツ西方せいほうザーレがわ河畔かはんのブルクク (de:Burgk現在げんざいザーレ=オルラぐんぞくする)を中心ちゅうしんとする領域りょういきがあった。

歴史れきし

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グライツにあるロイスしろかんOberes Schlossひだりおく)とUnteres Schlossみぎ手前てまえ

16世紀せいきかれたロイス長兄ちょうけい系統けいとうあにけいロイス)にぞくする、ロイス=オーバーグライツハインリヒ11せい (de:Heinrich XI. (Reuß-Greiz)が、1768ねん同系どうけいのロイス=ウンターグライツを統合とうごうしてロイス=グライツはくりょう創設そうせつしたのがこのりょうくにこりである。1778ねんにロイス=グライツは帝国ていこく諸侯しょこうライヒスフュルスト)としてみとめられ、ほうこくとなった。

2だいこうハインリヒ13せいは、1802ねんにグライツが大火たいか見舞みまわれ、1806ねんかみきよしマ帝国まていこく解散かいさんするなど、内外ないがい困難こんなん直面ちょくめんした。ハインリヒ13せいは、1807ねんライン同盟どうめい、1815ねんドイツ連邦れんぽうほうこく加盟かめいさせた。また、ウンテーレじょうしん古典こてん主義しゅぎ様式ようしき再建さいけんして居城きょじょうとした。

5だいこうハインリヒ22せいは1859ねんに13さいほういだ。ははカロリーネ (de:Caroline von Hessen-Homburg摂政せっしょうつとめるほうこくは、ドイツ統一とういつへのうごきが加速かそくするこの時期じきオーストリアちかうごきをせた(カロリーネのちちも、おっとハインリヒ20せいもオーストリア軍人ぐんじんであった)。1866ねんひろしおう戦争せんそうではプロイセンぐんによる占領せんりょうけている。ひろしおう戦争せんそうの1866ねんにはきたドイツ連邦れんぽう加盟かめいし、1871ねんにはドイツ帝国ていこく構成こうせいこくとなった。ハインリヒ22せいは21さいになった1867ねん親政しんせい開始かいししたが、プロイセンにたいする反抗はんこうてき姿勢しせいをしばしばしめし、「駄々だだのハインリヒ」とあだされた。

1902ねんほう継承けいしょうしたハインリヒ24せいは、心身しんしん障害しょうがいかかえていたために統治とうち不能ふのう宣言せんげんされており、ロイス=ゲーラこうこくおとうとけいロイスこうこく)の君主くんしゅ世子せいし摂政せっしょうとしてこのくにおさめていた。

1918ねんドイツ革命かくめいき、ドイツ帝国ていこく崩壊ほうかいすると、君主くんしゅせい廃止はいしされてほうこく消滅しょうめつした。あにけいおとうとけいりょうロイスこうこく領域りょういきにはロイス人民じんみんしゅう(Volksstaat Reuß、首都しゅとゲーラ)が成立せいりつしたが、1920ねんにはテューリンゲンしゅう(Land Thüringen)に統合とうごうされた。

君主くんしゅ一覧いちらん

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  1. ハインリヒ11せい (1778ねん – 1800ねん
  2. ハインリヒ13せい (1800ねん – 1817ねん
  3. ハインリヒ19せい (1817ねん – 1836ねん
  4. ハインリヒ20せい (1836ねん – 1859ねん
  5. ハインリヒ22せい (1859ねん – 1902ねん
    • カロリーネ・フォン・ヘッセン=ホンブルク (摂政せっしょう:1859ねん – 1867ねん) - ハインリヒ22せいはは
  6. ハインリヒ24せい (1902ねん – 1918ねん
    • ハインリヒ14せい摂政せっしょう:1902ねん – 1908ねん) - ロイス=ゲーラこう
    • ハインリヒ27せい摂政せっしょう:1908ねん – 1918ねん) - ロイス=ゲーラこう世子せいし、ロイス=ゲーラこう

されたじょすう即位そくいじゅんしめすものではないのが特徴とくちょうてきであるが、これは男子だんしにすべて「ハインリヒ」というけるロイス伝統でんとうによる(ロイス#「ハインリヒ」のじょすう参照さんしょう)。

最後さいご君主くんしゅハインリヒ24せいは1927ねんぼっし、あにけいロイスこう男系だんけいえた。

ハインリヒ22せいむすめヘルミーネ・ロイス・ツー・グライツは、皇帝こうていヴィルヘルム2せい退位たいい後妻ごさいとなった。

関連かんれん項目こうもく

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