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三徳さんとく (儒学じゅがく)

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三徳さんとく(さんとく)とは、儒学じゅがくでいわれる3つのとくのこと。一般いっぱんてきにはさとしひとしいさむ徳目とくもくをいう。

儒教じゅきょうてき三徳さんとく

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四書ししょのひとつ『論語ろんご』に「さとしひとまどわず、じんひとうれえず、いさむひとおそれない」[注釈ちゅうしゃく 1]とあり、孔子こうしさとしひとしいさむおおいなるとくなしている。また、おなじく四書ししょかぞえられる『中庸ちゅうよう』には「好学こうがくきん乎知、力行りっこうきん乎仁、はじきん乎勇」[注釈ちゅうしゃく 2]とあって、「智仁ともひといさみさんしゃ天下てんか達徳たつのりなり」とべ、「さん達徳たつのり」(まんにんおさめるべき3つのとく)としている。

また、12世紀せいき中国ちゅうごくみなみそう)の儒学じゅがくしゃしゅ朱子しゅし)があらわした『中庸ちゅうよう章句しょうく』には智仁ともひといさみ三徳さんとく入道にゅうどうもんとしている。

三徳さんとく」の日本にっぽんでの展開てんかい

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江戸えど時代じだい初期しょき日本にっぽん儒者じゅしゃはやし羅山らざんは、寛永かんえい年間ねんかん1624ねん-1643ねん以降いこうあらわしたみずからの著作ちょさく三徳さんとくしょう』において、朱子学しゅしがくしゅ熹の学説がくせつ)にもとづいて三徳さんとくおおまかにろんじ、また、『中庸ちゅうよう』におけるたちどうとの関連かんれんべながら三徳さんとくがたがいにふく関係かんけいにあると説明せつめいしている[1]羅山らざんはさらに、神道しんとう儒学じゅがく同根どうこんであるという「かみ儒合いち」をき、日本にっぽん神話しんわなかの「三種さんしゅ神器じんぎ」を「三徳さんとく象徴しょうちょう」とみなした[2][注釈ちゅうしゃく 3]

なお、南北なんぼくあさ時代じだい武将ぶしょう北畠きたばたけ親房ちかふさは、『かみすめらぎ正統せいとう』(1343ねん)において、政道せいどう正直しょうじき慈悲じひ智恵ちえ三徳さんとく具現ぐげんしたものでならなければならないというろん展開てんかいしたが、この三徳さんとくひとしいさむ儒教じゅきょうてき三徳さんとくとほとんど同一どういつされる[3]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 論語ろんごまきだい・鄕黨だいきゅう
  2. ^ 中庸ちゅうようじゅうしょう
  3. ^ 羅山らざんはさらに、神道しんとう王道おうどう儒道じゅどう人道じんどう根本こんぽん同一どういつであり、かみしんであるとしてとう心地ここち神道しんとういた。

参照さんしょう

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  1. ^ 石田いしだ(2004)
  2. ^ 岩城いわき(1979)p.108
  3. ^ 玉懸たまかけ(2004)

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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