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よし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

よし(ぎ)は、人間にんげん行動こうどう思想しそう道徳どうとくで、「よい」「ただしい」とされる概念がいねんである[よう出典しゅってん]義人ぎじんとは「かた正義まさよしまもひと。わが利害りがいをかえりみずに他人たにんのためにくすひと」(広辞苑こうじえんだい6はん)。対義語たいぎごで、行動こうどう志操しそう道徳どうとくが「わるい」「よこしま」を意味いみする概念がいねんは「」(かん)という[よう出典しゅってん]

漢字かんじにおける「よし」には、本来ほんらいそとから固有こゆうではないもの」という意味いみがあり、義手ぎしゅ義足ぎそく義父ぎふはは義兄弟ぎきょうだいなどのかたりにはこうした意味いみがあるが、のちには血縁けつえん関係かんけいにない仲間なかま同士どうしむすける倫理りんり意味いみするようになった。さら時代じだいくだってこうかん末期まっきはいると「他者たしゃ共同きょうどうおこな第三者だいさんしゃのための事業じぎょう」という意味いみ発生はっせいし、しゃがくでんなどの無償むしょう施設しせつなどを言葉ことばとしてももちいられた[1]

儒教じゅきょうにおける「よし

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儒教じゅきょうにおけるよしは、儒教じゅきょう主要しゅよう思想しそうであり、五常ごじょうひとしよしれいさとししん)のひとつである。ただしいおこないをまもることであり、人間にんげん欲望よくぼう追求ついきゅうする「」と対立たいりつする概念がいねんとしてかんがえられた(義利よしとしべん)。孟子もうし羞悪しゅうおしんはしであるといた。羞悪しゅうおしんとは、あくすなわちわるく・おとり・け、あるいはほしいままに振舞ふるま心性しんせいを羞(は)じるしんのこと。

仏教ぶっきょうにおける「よし

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仏教ぶっきょうにおけるよしは、仏教ぶっきょうそのものの思想しそうではなく、中国ちゅうごくにおける観念かんねんむすびついた事業じぎょうかたりとしてもちいられた。こうかん末期まっきから南北なんぼくあさ時代じだいにかけての中国ちゅうごくでは戦乱せんらんによっておおくの人々ひとびと故郷こきょうはなれて流浪るろうし、それまでの血縁けつえん地縁ちえんによる結合けつごう解体かいたいした。おりしも仏教ぶっきょう中国ちゅうごく伝来でんらいかさなる時代じだいであり、大乗だいじょう仏教ぶっきょう利他りた思想しそう他者たしゃむすびつく・救済きゅうさいするという中国ちゅうごく観念かんねん融合ゆうごうして、おな仏教徒ぶっきょうとあいだ血縁けつえん地縁ちえんえて共同きょうどうしてみやつこてらみやつこふつ慈善じぜん事業じぎょうおこなわれた。中国ちゅうごくではこうした集団しゅうだんを「ほうよし」や「邑義」としょうし、朝鮮半島ちょうせんはんとう日本にっぽんでは「知識ちしき」としょうされた[1]

キリスト教きりすときょうにおける「よし

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キリスト教きりすときょうにおけるよしという訳語やくごは、ギリシアでΔικαιοσυνη dikaiosynee ディカイオシュネーとばれるもので、つみ対立たいりつ概念がいねんとされる。これは他者たしゃたいしてよし(ただ)しい、誠実せいじつな、いつわりのない態度たいどのぞむこと、またそのような態度たいど可能かのうであるたましい状態じょうたいをいう。しいじん義人ぎじんぶ。

福音ふくいんしょパウロ書簡しょかんなどで主題しゅだいされる。

かみによって「とされる」(とする:ディカイオオー)こともおな問題もんだいけんぞくする。

しんであるのはかみのみである(「義人ぎじんはいない」)が、人間にんげんかみしんじることにおいてよしさにちかづくことができる。しんじないことは不義ふぎ同義どうぎであるとされる。『ヤコブの手紙てがみ』によればしさは、かみへの信仰しんこう表明ひょうめいすることのみならず、人間にんげんたいする行為こういにおいてあらわれる。

ルターひと行動こうどうにおいてとされること(行為こういみとめ)を否定ひていし、信仰しんこうによってのみじんとされる(信仰しんこうみとめ)とかんがえ、それまでのキリスト教きりすときょうおこなわれていた苦行くぎょう断食だんじきなどを否定ひていした。

いみなにおける「よし

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よし(よし)は、清和せいわはじめ足利あしかが将軍家しょうぐんけ武将ぶしょう当主とうしゅいみなにおいて代々だいだいもちいられたつうである。足利あしかが将軍家しょうぐんけでは、だい将軍しょうぐん足利あしかが義詮よしあきら以来いらい将軍しょうぐんうえにして、義満よしみつ義持よしもちなどと名乗なのった。

当時とうじ武士ぶし社会しゃかいでは主君しゅくんよりいみないちけることが家臣かしん栄誉えいよかんがえられており、将軍しょうぐんいみな臣下しんかたる守護しゅご大名だいみょう戦国せんごく大名だいみょう尊重そんちょうされた。ゆえ各地かくち大名だいみょう幕府ばくふ寄進きしんし、ないし将軍しょうぐんいみなのうちのいちたまわった。これをいち拝領はいりょういちし、へんいみななどともいった。足利あしかが義晴よしはる時代じだいにも、けた武将ぶしょうとして、大内おおうち義隆よしたかはれけた武将ぶしょう武田たけだ晴信はるのぶ 伊達だてはれはじめ 長尾ながおはるけいなどがいる。けようとするものは、幕府ばくふに500かん以上いじょう献金けんきんようし、いみなした文字もじは300かんとされた。

今日きょうでも人名じんめいにおいてひろもちいられている。

日本語にほんごにおける「よし

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よし(ぎ)は日本語にほんご漢字かんじもちいるさいの「意味いみ」をあらわす。漢字かんじさん要素ようそ字形じけいおと字義じぎとされている。用語ようご判断はんだんする基準きじゅんとなる。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 竹内たけうちあきら知識ちしき結集けっしゅう源流げんりゅう」『日本にっぽん古代こだい寺院じいん社会しゃかい』(はなわ書房しょぼう、2016ねんISBN 978-4-8273-1280-5

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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