(Translated by https://www.hiragana.jp/)
孝 - Wikipedia コンテンツにスキップ

こう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

こう(こう)とは、儒教じゅきょうにおける伝統でんとうてきとくひとつで、子供こども自身じしんおやけいささえるべしと道徳どうとくてき概念がいねんである。身近みぢか家庭かてい道徳どうとくてき秩序ちつじょ維持いじ国家こっか社会しゃかい運営うんえい端緒たんしょ位置いちづける儒教じゅきょう徳治とくじにおいては、まず家庭かていまもられるべきとくとして「」とともにながらく重視じゅうしされてきた。「孝悌こうてい」と併用へいようされ、「孝悌こうていひとしすのほん」とも言及げんきゅうされる。後述こうじゅつするように宗教しゅうきょうにも親子おやこ関係かんけいのありかた規定きていする類似るいじ道徳どうとく規範きはん存在そんざいするものの、社会しゃかい規範きはんたいする優越ゆうえつせいや、崇敬すうけいすべきおや対象たいしょうとしてれいふく家父長制かふちょうせい一体化いったいかしているてんなど、一般いっぱんてき親子おやこ関係かんけい道徳どうとく概念がいねんとはことなる特徴とくちょうつことに注意ちゅういようする。

儒教じゅきょう

[編集へんしゅう]

古代こだい中国ちゅうごくでは、祖先そせん崇拝すうはい観念かんねんしたに、血族けつぞく同居どうきょ連帯れんたい家計かけいをともにする家父長制かふちょうせい家族かぞく社会しゃかい構成こうせい単位たんいしていた。孔子こうしが、おやうやまい、おやしんやすんじ、れいしたがってたてまつやしなえ祭祀さいしすべきことをき、社会しゃかいてき犯罪はんざいについては「ちちため(ため)にかくし、ちちためかくす」[1]べた。やがてこうは『こうけい』において、道徳どうとく根源こんげん宇宙うちゅう原理げんりとして形而上けいじじょうされ、無条件むじょうけん服従ふくじゅう父子ふししょうかくれ法律ほうりつにも明文化めいぶんかされた[2]また祖先そせん祭祀さいしにとってこう重要じゅうよう原理げんりとなる。

はじめたけはく孔子こうしこうたずねたさい、「おややまいうれう(心配しんぱいする)ものだ」といった(『論語ろんご為政いせいだい)。つまり健康けんこうでいることが孝行こうこうといっている(『論語ろんごしょう史跡しせき足利あしかが学校がっこうかん)。また門人もんじんゆうたずねたさいは、「現今げんこん世間せけんやしなう(えるかたち奉仕ほうし)をこうというが、それなら犬馬けんばだってひとやしなう(奉仕ほうしする)。うやましんがなければ、どうして犬馬けんば区別くべつできようか」とこたえた(解釈かいしゃく論語ろんごしょう』より)。

こうまも振舞ふるまいである「親孝行おやこうこう(おやこうこう)」がたか評価ひょうかされ、これを実践じっせんするひとを「孝子たかこ(こうし)」とばれた。孝子こうしとして有名ゆうめい儒教じゅきょう聖人せいじんしゅんであり、孔子こうし弟子でしではこう実践じっせんすぐれていたとされる。は『こうけい』の作者さくしゃとされる。

君臣くんしんあいだ徳目とくもくである「ただし」ととき齟齬そごきたすことになるが、中国ちゅうごく朝鮮ちょうせんではおおくの場合ばあい、「ただし」よりも「こう」がとうといとかんがえられた。たとえば、みちはずれたことをおこな君主くんしゅさんいさめてもききいれられなかったら、君主くんしゅしたからるべきであるとされたのにたいし、みちはずれたおやさんいさめてもききいれられなければ、寝入ねいりしてしたがわなければならないとされた。有能ゆうのう大臣だいじんが、自分じぶんおやなか出仕しゅっししたことを不孝ふこうであるととがめられて失脚しっきゃくするようなこともこった。

こうおや死後しごにも、一定いってい期間きかん影響えいきょうあたえるもので、『論語ろんご』には「ちちのやりかたを3年間ねんかんあらためないのが孝行こうこうである」としるし、これをれいに『日本にっぽん』では、桓武かんむ天皇てんのうくずれじたさい、そのとし元号げんごうを「大同だいどう」とあらためたことにたいし、しん心情しんじょうとして、いちねんうちくんあることをしのびないとおもうからこそ、同年どうねん改元かいげんしないのにれいはんしていると批判ひはんする記述きじゅつがある(『こう』)。

日本にっぽん

[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは、のち官学かんがくとなった朱子学しゅしがく伝来でんらい以後いご、「こう」よりも「ただし」を重視じゅうしする思想しそう中心ちゅうしんてきになった。明治維新めいじいしんこうは「忠孝ちゅうこう一致いっち」のスローガンのもとで、こうちゅう付属ふぞく概念がいねんとする思想しそう国家こっかてきとなえられた(この「忠孝ちゅうこう一致いっち」の思想しそう自体じたい江戸えどからあるものである。詳細しょうさいただし参照さんしょう)。

明治維新めいじいしん教育きょういく勅語ちょくご渙発かんぱつとうにより皇室こうしつ国家こっかおやへの崇敬すうけい公的こうてき浸透しんとうされた。また親権しんけんつよ明治めいじ民法みんぽう1908ねん制定せいてい)や、「尊属そんぞく殺人さつじんざい」が制度せいどされ、おやへの崇敬すうけい社会しゃかいてき常識じょうしきとされた。

1973ねんには、尊属そんぞく殺人さつじんざい」を違憲いけんとした最高裁さいこうさい判決はんけつくだった。

各国かっこく解釈かいしゃく差異さい

[編集へんしゅう]

日本にっぽんと、中国ちゅうごくと、韓国かんこくベトナムでは、それぞれ「こう」の内容ないよう微妙びみょうにずれることがある。

中国ちゅうごくでは「3年子としごきは、る(おっとほうから離婚りこんする)」といった言葉ことばがあるが、これはれいたいするこう、すなわち子孫しそんのこすことをこうとする宗教しゅうきょうかんからるものであり、のこ女性じょせいただしい(それが本妻ほんさいでなくとも)とするかんがえが倫理りんりてきただしいというかんがかたがあった[3]。これは『孟子もうしはなれ婁(りろう)じょうにおいて、「不孝ふこうさんあり。ぎ)きを(さいだいなりとなす」としるすことからもわかる。加地かじ伸行のぶゆきこうとは、その対象たいしょうをもふく広域こういきなものであり[4]明治めいじ以降いこう日本人にっぽんじんこう生者しょうじゃたいする「道徳どうとくてきこう」であって、中国人ちゅうごくじん死者ししゃ対象たいしょうとした「宗教しゅうきょうてきこう」とはことなるものであるとする。

中国ちゅうごくではからし革命かくめいによって国民党こくみんとう時代じだい到来とうらいすると、魯迅ろじんこうは「ひとひとう」原理げんりであり、それまでさんえられていた孝子こうしをおぞましいものであるとはげしく非難ひなんするなど、こうたいする批判ひはん噴出ふんしゅつした。こう共産党きょうさんとう時代じだい到来とうらいすると全面ぜんめんてき否定ひていされ、「ただし」が文化ぶんかだい革命かくめいでも毛沢東もうたくとうたいする忠誠ちゅうせいとして肯定こうていてきかたりとされたこととは対照たいしょうてきあつかいとなった。

キリスト教きりすときょう

[編集へんしゅう]

キリスト教きりすときょうユダヤきょうにおいてもこうこうあい)はたっとばれ、そのおしえは旧約きゅうやく聖書せいしょ十戒じっかいなかにもることができる[5]

あなたの父母ちちははうやまえ。そうすれば、あなたは、あなたのかみあるじあたえられる土地とちながきることができる。 だいよん戒 エジプト 20・12

だいいち戒よりはしたにされ、かみはんする場合ばあいにはしたがってはならない、とされながらも、基本きほんてきおやへの孝行こうこう大切たいせつ美徳びとくかつおきてとされ、「ルツ」など聖書せいしょちゅうおおくの箇所かしょで、おや孝行こうこうであったものかみ祝福しゅくふくて、たいして不孝ふこうであったもの不遇ふぐう人生じんせいをおくったようえがかれる[6]

カトリック教会きょうかいでは、このおきて忠実ちゅうじつまもれば、霊的れいてきみのりとともに、現世げんせいみのりである平和へいわ繁栄はんえいられ[7][8]反対はんたいに、おや不孝ふこう人間にんげんは、あのだけでなく、このでもばっこうむるとおしえている[7][9]

また、おや存命ぞんめいちゅうだけでなく、死後しごおやふくむ、先祖せんぞうやまい、そのためいのることは子孫しそん義務ぎむであり[10]こう対象たいしょうは、広義こうぎにはおやのみならず、近親きんしんしゃ国家こっか民族みんぞくなど自分じぶんかかわりのある人達ひとたちふくむとしている[11][12]

その理由りゆうとして、父母ちちははかみ恩人おんじんかみ代理だいりしゃだからであり、おや悪口わるぐちったり、非礼ひれいはたらくことは、おやへの尊敬そんけいもとるとされ、おや命令めいれいかるんじたり、それにはんしたりすることは、おやへの従順じゅうじゅんそむくとされる[13]。また、おやなぐるような行為こうい大罪だいざいとされ、適切てきせつ方法ほうほうあらたなければ、永遠えいえん地獄じごくちるにあたいする行為こういとされる[14]

一方いっぽうで、おやは、かみからあずかったものであるので、その取扱とりあつかいのしによって、かみからの賞罰しょうばつまねく、と教会きょうかいおしえている[15]健康けんこう注意ちゅういして、みずからのそだて、身分みぶんおうじてその将来しょうらい幸福こうふくはかり、しかしただあいおぼれるのではなく、霊魂れいこんじょうのことをかんがえ、あくいましめて、すすんで模範もはんとならないといけないとおしえる[16]

儒教じゅきょう比較ひかくした場合ばあい、キリストきょうは、こうくが、その対象たいしょうおやからはじまるが隣人りんじん社会しゃかい国家こっかなど自分じぶんかかわりのあるすべてのひとおよぶとされ[11][12]、またその重要じゅうようかみへのあいしたかれ、その意義いぎかみとの関係かんけいせいなか説明せつめいされた(かみとの関係かんけいがあって、はじめて価値かちった)[17]結果けっか孝行こうこう崇高すうこう大切たいせつとはされたものの、その意義いぎ儒教じゅきょうほどに肥大ひだいすることはなく、社会しゃかいてき美徳びとくとの矛盾むじゅん相殺そうさい効果こうかまぬかれたのである。

聖書せいしょちゅう逸話いつわ

[編集へんしゅう]

聖書せいしょには、おや孝行こうこうであったひと幸福こうふくて、不孝ふこうであったひと災難さいなんこうむようなんえがかれるが、なかでも「ルツ」は有名ゆうめいである。それによると、時代じだいベツレヘム飢饉ききんがあって、エリメレクとナオミの夫婦ふうふモアブ土地とちのがれた。夫婦ふうふ二人ふたり息子むすこは、それぞれモアブじんおんなオルパルツつまにした。しかし、ナオミのおっとはやがてに、二人ふたり息子むすこじゅうねんのうちにんでしまう。

ナオミはけていくうえ、異郷いきょうにあってはたよものもいないので、ベツレヘムの飢饉ききん終息しゅうそくみみにしたこともあって、けっして故郷こきょうもどることにした。二人ふたりよめもついてきた。ナオミは、二人ふたり境遇きょうぐうあわれにおもい、言葉ことばくして、実家じっかかえるようにすすめたが、二人ふたりいて同行どうこうもとめてやまない。

しかし、一緒いっしょにベツレヘムにっても、将来しょうらい見込みこみがあるわけではない。二人ふたりわかうえあわれにおもったナオミはつよいて帰郷ききょうさせようとする。オルパは、やっとその言葉ことばしたがい、ひまいして実家じっかへとかえっていった。でも、ルツだけはどうしてもはなれない。

あなたを見捨みすてて、あなたにけてかえれなどと、そんなひどいことをいないでください。わたしは、あなたのかれるところき、おまりになるところまります。あなたのみんはわたしのみん、あなたのかみはわたしのかみ。あなたのくなるところでわたしもに、そこにほうむられたいのです。んでおわかれするのならともかく、そののことであなたをはなれるようなことをしたなら、おもよ、どうかわたしを幾重いくえにもばっしてください。 ルツ 1・16-17

まずしい、いたしゅうとに、ついてゆき、どこまでもこう、どんな難儀なんぎでもいとおうとしない。ナオミも、彼女かのじょうつくしいしん感動かんどうし、そのままれだって、ベツレヘムへと帰路きろについた。

二人ふたりがベツレヘムにいたのは、ちょうど大麦おおむぎれの時期じきであった。当時とうじのユダヤの慣習かんしゅうでは、異邦いほうじん寡婦かふまずしいひとは、ひとのちからひろってもいいことになっていた。

よって、ルツは、ナオミの許可きょかて、ひろいへとかけたが、さいわいなことに、そのはたけぬしは、エリメレクの親戚しんせきにあたるボアズという豪農ごうのうだった。ボアズは、はたけ見回みまわりにいって、ルツの熱心ねっしんはたらきぶりにしみじみと感心かんしんした。ひるにはんで小作こさくともべさせたり、えてむぎとして、こころおきなくひろわせるたり、いろいろと親切しんせつにいたわった。

一方いっぽうのルツは日暮ひぐれまではたらいて、いちあまりのむぎひろい、それと昼飯ひるめしあまりをかえって義母ぎぼよろこばせた。そのも、毎日まいにちボアズのはたけって、真面目まじめはたらき、いちにちもナオミに孝養こうようおこたらない。ボアズはルツのこころがけのうつくしさに、しんから感服かんぷくし、ついには、ルツをめとってつまにし、オベデという男子だんしんだ。このオベドのがエッサイであり、その有名ゆうめいダヴィデおうとなり、その子孫しそんからイエスまれた。

このように「ルツ」には、みずか逆境ぎゃっきょう覚悟かくごして不幸ふこうおやつかえたものが、一転いってんして、あま幸福こうふくたストーリーがえがかれ、孝行こうこうひとは、このでもあのでもおおきなめぐみをける、とはけっしていすぎではないとおしえる。[6][18]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 論語ろんごへん 青少年せいしょうねん論語ろんご学習がくしゅう講座こうざ
  2. ^ 明治めいじ時代じだい原型げんけい制定せいていされた現代げんだい日本にっぽん刑法けいほうにおいても、親族しんぞくあいだでは犯人はんにん蔵匿ぞうとくおよ証拠しょうこ隠滅いんめつつみ免除めんじょされる。尊属そんぞくころせ通常つうじょう殺人さつじんより重刑じゅうけいとする規定きていもあったが、違憲いけんとされ削除さくじょされた。
  3. ^ 加地かじ伸行のぶゆき孔子こうし角川かどかわソフィア文庫ぶんこ 2016ねん ISBN 978-4-04-400045-5 pp.280 - 281.
  4. ^ どう孔子こうし角川かどかわソフィア文庫ぶんこ 2016ねん p.282.
  5. ^ 『カトリック教会きょうかいのカテキズム』カトリック中央ちゅうおう協議きょうぎかい、p.647とう
  6. ^ a b ジャック・ミュッセ『旧約きゅうやく聖書せいしょものがたり』そうもとしゃ、pp.236-237
  7. ^ a b 『カトリック教会きょうかいのカテキズム』カトリック中央ちゅうおう協議きょうぎかい、p.648
  8. ^ おおやけきょう要理ようりだいよん誡 なんじ父母ちちははうやまうべし、245
  9. ^ おおやけきょう要理ようりだいよん誡 なんじ父母ちちははうやまうべし、246
  10. ^ おおやけきょう要理ようりだいよん誡 なんじ父母ちちははうやまうべし、244
  11. ^ a b 『カトリックしょう辞典じてん』エンデルレ書店しょてん、p.93
  12. ^ a b おおやけきょう要理ようりだいよん誡 なんじ父母ちちははうやまうべし、247
  13. ^ おおやけきょう要理ようりだいよん誡 なんじ父母ちちははうやまうべし、239-243
  14. ^ 『カトリックしょう辞典じてん』エンデルレ書店しょてん、p.207
  15. ^ おおやけきょう要理ようり』254
  16. ^ おおやけきょう要理ようり』252-258
  17. ^ 『カトリック教会きょうかいのカテキズム』カトリック中央ちゅうおう協議きょうぎかい、pp.647-675
  18. ^ 「ルツ」『聖書せいしょ-しん共同きょうどうやく日本にっぽん聖書せいしょ協会きょうかい、pp.529-536

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]