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ルツ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ルツルツきは、ヘブライ聖書せいしょにおさめられたモアブひと女性じょせい・ルツの物語ものがたり。『じゅうしょう預言よげんしょ』をいちしょかんがえた場合ばあい、『ルツ』は旧約きゅうやく聖書せいしょでもっともみじかしょである。

『ルツ』は、邦人ほうじんであるルツがダビデおうにいたる家系かけいなか重要じゅうよう役割やくわりたすことをかたることで、すくいの歴史れきしにおいて「みずからのみんユダヤじんにとらわれないかみ意図いと壮大そうだいさをかたっている。ルツは日本にっぽん正教会せいきょうかいではルフィ表記ひょうきされる。

ルツ内容ないよう

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』の時代じだいユダベツレヘム出身しゅっしんしゃであるエリメレクは、つまであるナオミ英語えいごばんにん息子むすこともなってモアブうつんだ。二人ふたり息子むすこはそのむすめたち結婚けっこんするが、やがてエリメレクはそのつまナオミを、二人ふたり息子むすこたちもそれぞれのつまオルパとルツをのこしたままんでしまう。そこでナオミはおっと故郷こきょうユダにかえることを決意けついし、息子むすこたち寡婦かふとなった二人ふたりたいし、それぞれの故郷こきょうかえるようすすめる。しかし、ルツだけはナオミのそばにいることをのぞみ、こうしてにんはエリメレクの故郷こきょう、ベツレヘムへと帰郷ききょうした。

フランチェスコ・アイエツ1835ねんえがいた作品さくひん
はたけ管理かんりしゃからルツについての説明せつめいけるボアズ ルツ 2:5-7

ルツははたけむぎ落穂おちぼひろった(古代こだいパレスチナではまずしいひと落穂おちぼひろうことは一種いっしゅ権利けんりとしてみとめられていた。落穂おちぼひろ参照さんしょう)。そのはたけ所有しょゆうしゃは、エリメレクの遠縁とおえん親戚しんせきにあたる、ボアズという人物じんぶつだった。ボアズはしゅうとくすルツに感心かんしんして、彼女かのじょのために便宜べんぎはかる。

ナオミはボアズが請戻うけもどしの権利けんりゆうする人物じんぶつであることにづき、ルツを自分じぶん自身じしんわりに請戻させるため、彼女かのじょにボアズのゆかはいるようすすめ、ルツはその言葉ことばしたがう。すべての事情じじょうさっしたボアズは、自分じぶんよりも請戻うけもどしの権利けんりたかいもう一人ひとり人物じんぶつがいることをルツにかし、彼女かのじょには一切いっさいれず、ナオミへのおくものをルツにたせて彼女かのじょいえかえらせる。その、ボアズは請戻うけもどしの権利けんりつもう一人ひとり親族しんぞくい、親族しんぞくとしての責任せきにん履行りこうけんゆずける。これによってボアズはルツを正式せいしきつまとしてむかれることとなった(あに子供こどものこさず、んだ場合ばあいおとうとあにつまをめとることで家系かけい存続そんぞくさせるこの仕組しくみを、レビラトこんという)。

ボアズのつまとなったルツは息子むすこオベデむ。オベデはダビデ祖父そふにあたる人物じんぶつである。

この『ルツ』のポイントは、モアブじんであるルツがイスラエルじん慣習かんしゅうしたがい、そのりつほうしたがってイスラエルの子孫しそん存続そんぞくをなした、という事柄ことがらにある。かみ人類じんるいつくしたとき「めよ、えよ、ちよ」と宣言せんげんしており、レビラトこん習慣しゅうかんはまさに、それを実現じつげんするための手段しゅだんなのである。ルツ自身じしんすで寡婦かふであり、しゅうとから再婚さいこん承認しょうにんていながら、それを謝絶しゃぜつしてイスラエルじんとしてきることを選択せんたくした。これが、彼女かのじょ聖書せいしょちゅういちへんかんすることのできた理由りゆうである。聖書せいしょてき解釈かいしゃくではさらに、その子孫しそんがイスラエルの世襲せしゅうおうとなり、ひいては救世主きゅうせいしゅ恩寵おんちょうにつながるとされる。

成立せいりつ時期じき

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『ルツ』の成立せいりつについては諸説しょせつがある。そのおおくは、『ルツ』は元々もともと』の一部いちぶであったとするものである(いちれいげると、聖書せいしょちゅうでベツレヘムのことを「ユダのベツレヘム」と表現ひょうげんするのは、このりょうしょほかは『サムエルじょう17しょう12せつがあるのみ)。またもちいられている言語げんごじょうも『ルツ』と『』は類似るいじし、ここから両者りょうしゃがほぼどう時代じだい成立せいりつしたと推定すいていされる。

一方いっぽう内容ないようから『ルツ』の成立せいりつまえ400-350ねんごろとするせつもある。ネヘミヤ13:23-27「またそのころ、ユダの人々ひとびとがアシュドドじんやアンモンじんやモアブじんおんな結婚けっこんしていることが、わたしにかった。その子供こどもたちの半数はんすうは、アシュドドの言葉ことばあるいはそれぞれの民族みんぞく言葉ことばはなし、ユダの言葉ことばらなかった。わたしはかれらをめ、まじない、いくにんかをち、そのき、かみにかけてちかわせた。『おまえたちのむすめかれらの息子むすこつまにしてはならない。かれらのむすめをおまえたちの息子むすこつまに、またはおまえたちのつまにしてはならない。イスラエルのおうソロモンすらも、このようにしてつみおかしたのではなかったか。かずある諸国しょこくなかでもかれのようなおうはおらず、かみあいされ、かみによってすべてのイスラエルのおうてられた、そのかれでさえ、民族みんぞくつまたちによってつみまれてしまった。わたしたちのかみさからって民族みんぞくおんな結婚けっこんするという、このおおきな罪悪ざいあくおかしたということを、おまえたちについてもかされなければならないのか。』」とあるように邦人ほうじん排斥はいせき風潮ふうちょうつよかった。そのような風潮ふうちょううれえたグループにぞくする作者さくしゃ異邦いほうじんへの寛容かんよう自然しぜんがってくるような作品さくひんとしていたともかんがえられる。[1]

解釈かいしゃく

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ユダヤきょうにおいてはルツを聖書せいしょほか登場とうじょう人物じんぶつむすびつけるこころみがおこなわれている。何人なんにんかの学者がくしゃたちはタルムードでルツが登場とうじょうするモアブおうむすめだったとみなしている。しかしこの解釈かいしゃく史料しりょうによるうらづけが存在そんざいしないため、ダビテおう出自しゅつじ高貴こうきなものとみなそうという志向しこうあらわれであろうとかんがえられている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ しん共同きょうどうやく聖書せいしょ辞典じてん. キリスト新聞しんぶんしゃ. (1995) 

関連かんれん項目こうもく

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