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コヘレトの言葉ことば

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

コヘレトの言葉ことば』(コヘレトのことば、ヘブライ:קֹהֶלֶת)、あるいは『コヘレトの巻物まきもの』(מְגִילָת קֹהֶלֶת)または『コーヘレトしょ』は、旧約きゅうやく聖書せいしょいち文献ぶんけんで、ハメシュ・メギロットいつつの巻物まきもの)の範疇はんちゅうふくまれている。ハメシュ・メギロットとは旧約きゅうやく聖書せいしょしょしょぞくするいつつの書物しょもつ、『コヘレトの言葉ことば』、『みやび』、『哀歌あいか』、『ルツ』、『エステル』をユダヤきょう概念がいねんである。コヘレトとは「あつめるもの」を意味いみするためまさしくは『伝道でんどうしょ』とばれる。『伝道でんどうしゃしょ』ともばれる[1]

アシュケナジー社会しゃかいでは仮庵かりほさい期間きかんシナゴーグなか朗誦ろうしょうされる習慣しゅうかんがあるが、これは11しょう2せつ記述きじゅつもとづいている。

ななにんと、はちにんとすら、かちっておけ — 『しん共同きょうどうやく聖書せいしょ』による訳出やくしゅつ。(以下いか引用いんようはすべてしん共同きょうどうやく

この章句しょうくは、ハザル注釈ちゅうしゃくによれば、仮庵かりほさいなな日間にちかん八日ようか集会しゅうかいについての暗示あんじとされている。

著者ちょしゃ

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『コヘレトの言葉ことば』は冒頭ぼうとう一文いちぶんにより、その著者ちょしゃ古代こだいイスラエル王国おうこくだいさんだいおうソロモンであることをほのめかしている。

エルサレムおうダビデ、コヘレトの言葉ことば — 1:1

ソロモンを著者ちょしゃとするせつ保守ほしゅてき注釈ちゅうしゃくたちのあいだではひろれられており、かれらはこの記述きじゅつをもって、ソロモンが「コヘレト」という異名いみょうでもばれていたと主張しゅちょうし、その由来ゆらいを、コヘレト(קהלת)がおおくの共同きょうどうたいקהילות)をエルサレムにあつめた(הקהיל)からであると説明せつめいしている。もちろん、会衆かいしゅうあつめてりつほうおしえるなど、かみいのちかなった施政しせい実践じっせんしたとするかれ業績ぎょうせきは『れつおうじょう』などに記録きろくされている。これらのせつただしいのならば、『コヘレトの言葉ことば』は、紀元前きげんぜん10世紀せいきだいにソロモンがのこしたとされる一連いちれん著作ちょさくひとつということになる。

伝統でんとうてき旧約きゅうやく聖書せいしょ書物しょもつなかみっつがソロモンのされている。『みやび』、『箴言しんげん』、そして『コヘレトの言葉ことば』である。もっとも、これらの書物しょもつには思想しそう様式ようしき文体ぶんたいなどのてん相応そうおう相違そういみとめられる。これにかんしては、それぞれの書物しょもつはソロモンの生涯しょうがいにおけることなるみっつの時代じだいかれたと説明せつめいされている。つまり、青年せいねん時代じだいあいうたうたい(『みやび』)、壮年そうねん知恵ちえ言葉ことばをまとめ(『箴言しんげん』)、経験けいけんかさねた晩年ばんねんいたって、こののすべてを「むなしい」とだんじた(『コヘレトの言葉ことば』)というのである(『ミドラシュ・シール・ハ=シリーム・ラッバー』 1.1)。

近代きんだいにおける研究けんきゅうでは、『コヘレトの言葉ことば』はソロモンからすうひゃくねん後代こうだい紀元前きげんぜん4世紀せいきからどう3世紀せいきにかけてのだい神殿しんでん時代じだいかれたと推定すいていされているが、あきらかな証拠しょうこ仮説かせつとしてられている。

同書どうしょ著者ちょしゃあるいは編纂へんさんしゃは、当初とうしょよりこれを知恵ちえ文学ぶんがく代表だいひょうする著者ちょしゃめいであるソロモンに(りつほう全体ぜんたいをモーセとぶように)仮託かたくしたものとられている。また、研究けんきゅうしゃおおくが同書どうしょ成立せいりつ年代ねんだいだい神殿しんでん時代じだいのより後期こうき見積みつもっているのだが、それはפרדס果樹かじゅえん)、פתגם(おふれ)といったペルシア由来ゆらい単語たんごしるされているからである。ヘレニズム黙示もくし思想しそうこうするものであるとするせつもある[2]

解説かいせつ

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『コヘレトの言葉ことば』は旧約きゅうやく聖書せいしょぜん文書ぶんしょなかにおいても、名言めいげん宝庫ほうことされている。同書どうしょからの引用いんよう同書どうしょ由来ゆらい慣用かんようは、ユダヤきょう文化ぶんかおよ復興ふっこうヘブライ文化ぶんか評価ひょうかたかめ、かけがえのないものにしている。

『コヘレトの言葉ことば』は知恵ちえ文学ぶんがくぞくしており、コヘレトをかいして、宗教しゅうきょう民族みんぞくえた普遍ふへんてき疑問ぎもん人生じんせいむなしさ、諸行無常しょぎょうむじょう、「くにやぶれて山河さんがり」といったくに社会しゃかいについて)の哲学てつがくてき考察こうさつこころみられている。同書どうしょにおいて提示ていじされる世界せかいかんは、旧約きゅうやく聖書せいしょなか異色いしょくである。そのため、キリストきょうやユダヤきょう信仰しんこうしていない異教徒いきょうと宗教しゅうきょうしゃ、さらに不可知論ふかちろんものなどにも、おおきな違和感いわかんあたえることがすくなく、比較的ひかくてき馴染なじみやすい。

旧約きゅうやく聖書せいしょにおける一般いっぱんてき思想しそうからは、おおむつぎのような世界せかいかんれる。

  • かみ人間にんげん自由じゆう意志いし付与ふよしており、人間にんげんみずからの意志いしよし選択せんたくおこなうことをのぞんでいる。
  • かみ人間にんげんそれぞれのおこないにおうじて、祝福しゅくふくばっむくいる。

それにたいして、『コヘレトの言葉ことば』では決定けっていろんもとづいた世界せかいかんべられている。義人ぎじん罪人ざいにんむなしくぬことなど、こののすべてはさだめがあり、そのさだめはけっしてえることはできないとろんずる。もし、すべてが予定よていされているのならば、自由じゆう意志いしなるものはむなしい。すべてが予定よていされている世界せかいでは、 「ゆめおおければそらなる言葉ことばおおい。しかし、あなたはかみおそれよ。」(5しょう6せつ)と聖書せいしょてき正義せいぎおこなうことに、積極せっきょくてき価値かち見出みいだすことができないのではないか、とろんずる。

『コヘレトの言葉ことば』には厭世えんせい主義しゅぎもとづいた思想しそう多分たぶんふくまれており、それだけでも十分じゅうぶん同書どうしょ現実げんじつ直視ちょくしする世界せかいかん書物しょもつることもできよう。その反面はんめん人知じんちおよばない事柄ことがら人間にんげんからはなにもできないのであり、コヘレトはその人間にんげんをありのままの姿すがた肯定こうていもするといった視点してんもある。このてんはむしろ楽天的らくてんてきひょうすることも可能かのうである。

『コヘレトの言葉ことば』にはこういった思想しそう散見さんけんされるにもかかわらず、一方いっぽうではかみおそれそのいましめをまもるべきことを箇所かしょすくなくはなく、同書どうしょむすびの言葉ことばじつにそれである。

おう言葉ことばには権威けんいがある。

だれがおうに「なにをするのか」といえるだろうか。 命令めいれいまもものはわざわいをらない。

知恵ちえあるものしんときとさばきをっている。 — (8:4~5)
かみおそれるひとは、おそれるからこそ幸福こうふくになり
悪人あくにんかみおそれないから、長生ながいきできず
かげのようなもので、けっして幸福こうふくにはなれない。 — (8:12~8:13)
すべてにみみかたむけて結論けつろん
かみおそれ、そのいましめをまもれ。」
これこそ、人間にんげんのすべて。 — (12:13)

このように、『コヘレトの言葉ことば』がかた根本こんぽんてき世界せかいかんは、かならずしも聖書せいしょ全体ぜんたいつらぬ世界せかいかんみだすものではないといえる。

ソロモン

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伝統でんとうてき解釈かいしゃくしたがえば、賢者けんじゃたたえられたソロモンは、人生じんせい意義いぎぜん生涯しょうがいにわたって幸福こうふくるために必要ひつようおこないについて、論理ろんりてきかつ哲学てつがくてき探求たんきゅう実践じっせんしていたとされている。その結果けっか一般いっぱんてき幸福こうふくをもたらすとされる知恵ちえ正義まさよし女性じょせい家族かぞく財産ざいさん信仰しんこうといったものはむしろ相応ふさわしくなく、これらのものは絶対ぜったいてき満足まんぞくかんをもたらすどころか、ぎゃく欲望よくぼう増長ぞうちょうさせるにぎないと結論けつろんする。

ソロモンは人生じんせい意義いぎ有益ゆうえき格言かくげんつけてはそれを自賛じさんしていたのだが、いつもつぎ瞬間しゅんかんには不満ふまんになり、なぜそれが格言かくげんとして適格てきかくなのかをかす。いわく、格言かくげんとは人間にんげんに、いたみ、くるしみ、むなしさをもおぼえさせるというのであった。人生じんせいのあらゆる出来事できごとしんきざんだ晩年ばんねんのこと、ソロモンは人生じんせいめられたしん意義いぎ人間にんげん幸福こうふくみちびかたについて熟考じゅっこうしているとき、ついに極意ごくいるにいたる。それを言葉ことばにしたのが、すでに引用いんようした12しょう13せつ一文いちぶんである。

大衆たいしゅう文化ぶんかへの影響えいきょう

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ロジャー・ゼラズニイのSF短編たんぺん、『伝道でんどうしょささげる薔薇ばら英語えいごばん』(1963ねん)では、火星かせい探検たんけんたい一員いちいんである言語げんごがく専門せんもん詩人しじんのガリンジャーは、火星かせいじんたちのあまりに諦観ていかんてき宗教しゅうきょう教義きょうぎごうやして、「そのようなかんがえは、とっくのむかし地球ちきゅうでもかんがされているぞ。」と伝道でんどうしょいにして喝破かっぱする。

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ 伝道でんどうしょ」『日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)』https://kotobank.jp/word/%E4%BC%9D%E9%81%93%E3%81%AE%E6%9B%B8#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29コトバンクより2024ねん1がつ8にち閲覧えつらん 
  2. ^ 臼田うすだせんひろし (2019ねん3がつ7にち). "コヘレトしょむ(18)「かみごうれよ」―黙示もくし思想しそう否定ひていなのか―". クリスチャントゥデイ. 2023ねん11月14にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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