三枝さえぐさきよし興奮こうふんテレビ

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三枝さえぐさやすし(きよし)興奮こうふんテレビ
番組ばんぐみ収録しゅうろくおこなわれていたなんばグランド花月ぐらんどかげつ(NGKスタジオ)
ジャンル クイズ&トーク番組ばんぐみ
出演しゅつえんしゃ かつら三枝みえげんろくだい かつら文枝ふみえ
横山よこやまやすし
西川にしかわきよし
ほか
製作せいさく
制作せいさく 毎日放送まいにちほうそう
放送ほうそう
音声おんせい形式けいしきモノラル放送ほうそう
放送ほうそうこく地域ちいき日本の旗 日本にっぽん
放送ほうそう期間きかん1986ねん4がつ12にち - 1996ねん6月29にち
放送ほうそう時間じかん土曜どよう 13:00 - 14:00
放送ほうそうぶん60ふん

特記とっき事項じこう
1988ねん10がつ22にちまでは『三枝さえぐさやすし興奮こうふんテレビ』とだいして放送ほうそう
1989ねん2がつ25にちからは『三枝さえぐさきよし興奮こうふんテレビ』とだいして放送ほうそう
やすきよの出演しゅつえんかいでは『三枝さえぐさ興奮こうふんテレビ』とだいして放送ほうそう
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三枝さえぐさきよし興奮こうふんテレビ』(さんしきよしこうふんテレビ)は、一部いちぶTBS系列けいれつきょくGAORA放送ほうそうされた吉本興業よしもとこうぎょう毎日放送まいにちほうそう共同きょうどう制作せいさくクイズ番組ばんぐみトーク番組ばんぐみ制作せいさくきょく毎日まいにち放送ほうそうでは1986ねん4がつ12にちから[1]1996ねん6月29にちまで[2]毎週まいしゅう土曜どよう 13:00 - 14:00 (JST) に放送ほうそう

1988ねん10がつまでは『三枝さえぐさやすし興奮こうふんテレビ』というタイトルだった[注釈ちゅうしゃく 1]

概要がいよう[編集へんしゅう]

内容ないよう[編集へんしゅう]

番組ばんぐみ前半ぜんはんでは、若手わかてのおわらいコンビによる漫才まんざいや、ゲストとのフリートークコーナーを放送ほうそうしていた。後半こうはんでは、ゲストのなかからいずれか1人ひとりのエピソードをクイズにした「エピソードクイズ」を実施じっししていた。

「エピソードクイズ」では、司会しかいかつら三枝みえげんろくだい かつら文枝ふみえ)がゲストとのトークをおこない、はなし核心かくしんかるところでゴングをらしてクイズを出題しゅつだいしていた。解答かいとうしゃ(レギュラーじん)は、三枝さえぐさやゲストに質問しつもんをしながら正解せいかいみちびこうとしていた。正解せいかいときには三枝さえぐさがゴングを3~4かい連続れんぞくらしたのちにチャイム+ファンファーレぽい音楽おんがくからなる正解せいかいおんながれていたが、制限せいげん時間じかんないおよび2じゅんしても正解せいかいなかった場合ばあいには、三枝さえぐさがゴングをらして「正解せいかい」と宣言せんげんし(その残念ざんねんかんじの音楽おんがくながれる。)、正解せいかい発表はっぴょうしていた。これを2もんおこない、CMをはさんでゲストをえてクイズ…といった形式けいしき進行しんこうしていた。ゲストは毎週まいしゅう3くみほどが出演しゅつえんし、1くみ2もん出題しゅつだい合計ごうけい6もん出題しゅつだいしていた。

また、解答かいとうしゃ全員ぜんいんで1チームであり、正解せいかいきそうものではなかった。そのため、正解せいかいしてもとく賞品しょうひんなどはず、最後さいご問題もんだい終了しゅうりょうに「今日きょう成績せいせきは○しょう×はいでした」と発表はっぴょうするのみだった。ごくまれ全問ぜんもんパーフェクト、あるいはぎゃく全問ぜんもん正解せいかいとなる場合ばあいもあった。

番組ばんぐみ最後さいごには、そのしゅうのゲストが全員ぜんいん登場とうじょうし、早口はやくち言葉ことばうコーナーがあった。三枝さえぐさ弟子でしかつらさん見本みほん披露ひろうし、ゲストが早口はやくち言葉ことば成功せいこうした場合ばあいは、当時とうじ流行りゅうこうしていたUFOキャッチャーなかはいっていた沢山たくさんのぬいぐるみがプレゼントされた(ぬいぐるみ提供ていきょうバンダイ)。

番組ばんぐみ収録しゅうろくは、なんばグランド花月ぐらんどかげつ大阪おおさか中央ちゅうおう難波なんば千日前せんにちまえないにあるテレビスタジオ「NGKスタジオ」でおこなわれていた。

番組ばんぐみ歴史れきし[編集へんしゅう]

開始かいし当初とうしょは『三枝さえぐさやすし興奮こうふんテレビ』とだいして、三枝さえぐさ横山よこやまやすし2人ふたり司会しかい担当たんとうしていたが、やすしはそのにちいで出演しゅつえん無断むだん欠席けっせきしたために1988ねん10がつをもって降板こうばん。そのしばらくは三枝さえぐさ単独たんどく番組ばんぐみすすめるようになり、番組ばんぐみ自体じたいもしばらくは『三枝さえぐさ興奮こうふんテレビ』とだいして放送ほうそうされていたが[注釈ちゅうしゃく 1]、やすしが不祥事ふしょうじにより吉本興業よしもとこうぎょうとの専属せんぞく契約けいやく解除かいじょされた1989ねんからはわって相方あいかた西川にしかわきよし当時とうじ参議院さんぎいん議員ぎいん)が出演しゅつえんするようになった。その結果けっか以後いご最終さいしゅうかいまで『三枝さえぐさきよし興奮こうふんテレビ』とだいして放送ほうそうされた[注釈ちゅうしゃく 2]。ただし、きよしが番組ばんぐみ参加さんかするようになってからも、たびたび『三枝さえぐさ興奮こうふんテレビ』とだいして放送ほうそうされることがあった。これは、当時とうじ国会こっかい議員ぎいん多忙たぼうだったきよしが、国会こっかいへの出席しゅっせき公務こうむでしばしば番組ばんぐみ欠席けっせきすることがあったためで、きよしの欠席けっせきにこの単独たんどくタイトルを使用しようしていた。ごくまれに坂田さかた利夫としおがきよしの代理だいりることがあったが、そのさいには『三枝さえぐさ利夫としお興奮こうふんテレビ』というタイトルを使つかっていた。

その[編集へんしゅう]

どう時間じかんわくである三枝みえ・きよしのコンビで司会しかい番組ばんぐみは『ドキッ!三枝さえぐさきよし』→『満開まんかい!ハッスル家族かぞく』とつづき、2001ねん4がつから吉本よしもと制作せいさくの『せやねん!開始かいしともな放送ほうそう終了しゅうりょうした。どう時間じかんたい現在げんざいよしもとしん喜劇きげき』になっている。

出演しゅつえんしゃ[編集へんしゅう]

司会しかい[編集へんしゅう]

レギュラー[編集へんしゅう]

ネットきょく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 朝日新聞あさひしんぶん大阪おおさかばんのテレビ番組ばんぐみひょうでは、タイトルが、1988ねん10がつ22にち放送ほうそうぶんまで『三枝さえぐさやすし興奮こうふんテレビ』[3]翌週よくしゅう29にち放送ほうそうぶんより『興奮こうふんテレビ』となっている[4]
  2. ^ 朝日新聞あさひしんぶん大阪おおさかばんのテレビ番組ばんぐみひょうでは、タイトルが、1989ねん2がつ18にち放送ほうそうぶんまで『興奮こうふんテレビ』[5]翌週よくしゅう25にち放送ほうそうぶんより『三枝さえぐさきよし興奮こうふんテレビ』となっている[6]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 朝日新聞あさひしんぶん大阪おおさかばん1986ねん4がつ12にち朝刊ちょうかんだい24めんテレビ番組ばんぐみひょう
  2. ^ 朝日新聞あさひしんぶん大阪おおさかばん1996ねん6がつ29にち朝刊ちょうかんだい30めんテレビ番組ばんぐみひょう
  3. ^ 朝日新聞あさひしんぶん大阪おおさかばん1988ねん10がつ22にち朝刊ちょうかんだい24めんテレビ番組ばんぐみひょう
  4. ^ 朝日新聞あさひしんぶん大阪おおさかばん1988ねん10がつ29にち朝刊ちょうかんだい24めんテレビ番組ばんぐみひょう
  5. ^ 朝日新聞あさひしんぶん大阪おおさかばん1989ねん2がつ18にち朝刊ちょうかんだい28めんテレビ番組ばんぐみひょう
  6. ^ 朝日新聞あさひしんぶん大阪おおさかばん1989ねん2がつ25にち朝刊ちょうかんだい28めんテレビ番組ばんぐみひょう


毎日放送まいにちほうそう 土曜どよう13だい
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三枝さえぐさやすし(きよし)興奮こうふんテレビ