出典 しゅってん : フリー百科 ひゃっか 事典 じてん 『ウィキペディア(Wikipedia)』
中 ちゅう 緬 はる 関係 かんけい (ちゅうめんかんけい、中国 ちゅうごく 語 ご : 中 ちゅう 缅关系 けい ; ビルマ語 ご : မြန်မာ-တရုတ်ပြည်သူ့သမ္မတနိုင်ငံဆက်ဆံရေး )では、主 おも に中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく とミャンマー の二 に 国 こく 間 あいだ 関係 かんけい について記述 きじゅつ する。
清 きよし 緬 はる 戦争 せんそう などの戦乱 せんらん を経 へ たのち、イギリス領 りょう となり、清 きよし に臣従 しんじゅう した[1] [2] 。1937年 ねん の日 にち 中 ちゅう 戦争 せんそう 時 じ にビルマと中国 ちゅうごく の労働 ろうどう 者 しゃ 20万 まん 人 にん によって建設 けんせつ され、1938年 ねん に完成 かんせい した[3] 。
中国共産党 ちゅうごくきょうさんとう が1949年 ねん に建 た てた中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく 建国 けんこく 後 ご 、ビルマは国家 こっか 承認 しょうにん する最初 さいしょ の非 ひ 共産 きょうさん 国 こく となり、翌 よく 1950年 ねん 6月 がつ 8日 にち には正式 せいしき に外交 がいこう 関係 かんけい を確立 かくりつ して、1954年 ねん 6月 がつ 29日 にち には平和 へいわ 五 ご 原則 げんそく に基 もと づき、友好 ゆうこう と不可侵 ふかしん の条約 じょうやく に署名 しょめい した[4] [5] 。1960年 ねん に中 ちゅう 緬 はる 辺 べ 界 かい 条約 じょうやく (中国語 ちゅうごくご 版 ばん ) を締結 ていけつ してからは国境 こっきょう 地帯 ちたい の中国 ちゅうごく 国民党 こくみんとう 軍 ぐん を掃討 そうとう する中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん との合同 ごうどう 作戦 さくせん を行 おこな った[6] 。ビルマは非 ひ 同盟 どうめい 中立 ちゅうりつ 的 てき 外交 がいこう 政策 せいさく を維持 いじ していたが、1967年 ねん の反 はん 中国 ちゅうごく 暴動 ぼうどう でビルマからの華僑 かきょう の追放 ついほう が起 お き、両国 りょうこく で敵対 てきたい 感情 かんじょう を生 う み出 だ した[5] 。一方 いっぽう 、ビルマはアルバニア決議 けつぎ に賛成 さんせい し、1970年代 ねんだい には関係 かんけい が大幅 おおはば に改善 かいぜん し始 はじ め、1988年 ねん 8月 がつ 5日 にち 、国境 こっきょう を越 こ えた取引 とりひき を合法 ごうほう 化 か し、中国 ちゅうごく により軍事 ぐんじ 援助 えんじょ を大幅 おおはば にされ、1988年 ねん 、民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 抗議 こうぎ の激 はげ しい弾圧 だんあつ に続 つづ いて、国家 こっか 平和 へいわ 発展 はってん 評議 ひょうぎ 会 かい がビルマの軍事 ぐんじ 政権 せいけん により新 あら たに形成 けいせい され、国際 こくさい 的 てき な非難 ひなん と圧力 あつりょく を受 う けるが、中国 ちゅうごく とは強力 きょうりょく な関係 かんけい を築 きず き、中国 ちゅうごく の影響 えいきょう 力 りょく は、国際 こくさい 社会 しゃかい がビルマを放棄 ほうき した後 のち 、急速 きゅうそく に拡大 かくだい した[5] [7] 。2015年 ねん 6月 がつ 、ミャンマー民族 みんぞく 民主 みんしゅ 同盟 どうめい 軍 ぐん (コーカン軍 ぐん )は、「中 ちゅう 緬 はる 国境 こっきょう 地域 ちいき の平和 へいわ を回復 かいふく する中国 ちゅうごく 政府 せいふ の強 つよ い要請 ようせい 」を挙 あ げて、一方 いっぽう 的 てき な停戦 ていせん を発表 はっぴょう した[8] 。この発表 はっぴょう は、北京 ぺきん で開催 かいさい された、習近平 ひらた 共産党 きょうさんとう 総 そう 書記 しょき とアウンサンスーチー 国民 こくみん 民主 みんしゅ 連盟 れんめい 党首 とうしゅ の会合 かいごう と一致 いっち した[8] 。
中国 ちゅうごく は、ダム、橋 はし 、道路 どうろ 、港湾 こうわん 、石油 せきゆ とガスのパイプラインの建設 けんせつ や産業 さんぎょう プロジェクトのための経済 けいざい 援助 えんじょ と投資 とうし をミャンマーに対 たい して行 おこな い、軍事 ぐんじ 政権 せいけん への融資 ゆうし を提供 ていきょう している[4] 。とくに1989年 ねん 以降 いこう 、中国 ちゅうごく はミャンマーに対 たい してジェット戦闘 せんとう 機 き 、装甲車 そうこうしゃ や海軍 かいぐん 艦艇 かんてい と、訓練 くんれん を受 う けた陸軍 りくぐん 、空軍 くうぐん 及 およ び海軍 かいぐん 人員 じんいん を供給 きょうきゅう した[4] [5] 。ミャンマーの港湾 こうわん および海上 かいじょう 施設 しせつ へは、中国 ちゅうごく にベンガル湾 わん 、より広 ひろ いインド洋 いんどよう 地域 ちいき および東南 とうなん アジアで戦略 せんりゃく 的 てき 影響 えいきょう を与 あた えた[9] 。近年 きんねん ミャンマーは中国 ちゅうごく に対 たい する過度 かど の依存 いぞん を避 さ けるために、インドとの貿易 ぼうえき ・軍事 ぐんじ 協力 きょうりょく の拡大 かくだい 、日本 にっぽん との二 に 国 こく 間 あいだ 関係 かんけい の発展 はってん 、東南 とうなん アジア諸国 しょこく 連合 れんごう (ASEAN)内 ない での開発 かいはつ など、外交 がいこう 政策 せいさく の転換 てんかん を図 はか っている[4] 。2018年 ねん 11月8日 にち 、ミャンマー西部 せいぶ にあるラカイン州 しゅう チャウピュ における深海 ふかみ 港 こう 開発 かいはつ の規模 きぼ を計画 けいかく 時 じ より小 ちい さくすることに合意 ごうい した[10] 。
^ Alfred Stead (1901). China and Her Mysteries . Hood, Douglas, & Howard. pp. 99–. https://books.google.com/books?id=WKRFAAAAIAAJ&pg=PA99&dq=recent+visit+of+li+hung+chang+to+our+shores&hl=en&ei=yILZTa3gEs_r0QGr0YT9Aw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=3&ved=0CDkQ6AEwAg#v=onepage&q=burma%20was%20a%20tributary%20state%20of%20china%20british%20forward%20tribute%20peking&f=false
^ William Woodville Rockhill (1905). China's Intercourse with Korea from the XVth Century to 1895 . Luzac & Company. pp. 5–. https://books.google.com/books?id=v2NCAAAAIAAJ&pg=PA5&dq=tribute+china&hl=en&ei=YnYLTtCxE4Ls0gGB4q2WAQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=3&ved=0CDQQ6AEwAg#v=onepage&q=tribute%20china&f=false
^ Seagrave, Gordon S. , Burma Surgeon , W. W. Norton & Company, New York, 1943
^ a b c d Yangon still under Beijing's thumb (February 11, 2005). AsiaTimes.com. Accessed 2008-05-30.
^ a b c d Sino-Myanmar Relations: Analysis and Prospects by Lixin Geng, The Culture Mandala , Vol. 7, no. 2, December 2006. Accessed 2008-05-30.
^ Richard Michael Gibson. The Secret Army: Chiang Kai-shek and the Drug Warlords of the Golden Triangle. John Wiley & Sons. 4 August 2011: 171–172. ISBN 978-0-470-83021-5 .
^ Shambaugh, David (2000). Power Shift: China and Asia's New Dynamics . Nazrul Institute. pp. 218. ISBN 0-520-24570-9
^ a b Mcluaghlin & Zaw (June 11, 2015). Under pressure from China, Kokang rebels declare Myanmar ceasefire . Reuters.
^ India and China compete for Burma's resources (21 August 2006). World Politics Review. Accessed 2008-05-30.
^ “ミャンマー「一帯 いったい 一路 いちろ 」事業 じぎょう 縮小 しゅくしょう 港湾 こうわん 開発 かいはつ 、中国 ちゅうごく が譲歩 じょうほ ” . 東京 とうきょう 新聞 しんぶん . (2018年 ねん 11月10日 にち ). http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201811/CK2018111002000126.html 2018年 ねん 12月18日 にち 閲覧 えつらん 。