ちゅうはる関係かんけい

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ちゅうはる関係かんけい
ChinaとMyanmarの位置を示した地図

中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく

ミャンマー

ちゅうはる関係かんけい(ちゅうめんかんけい、中国ちゅうごく: ちゅう缅关けい; ビルマ: မြန်မာ-တရုတ်ပြည်သူ့သမ္မတနိုင်ငံဆက်ဆံရေး)では、おも中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくミャンマーこくあいだ関係かんけいについて記述きじゅつする。

歴史れきし[編集へんしゅう]

きよしはる戦争せんそうなどの戦乱せんらんたのち、イギリスりょうとなり、きよし臣従しんじゅうした[1][2]。1937ねんにちちゅう戦争せんそうにビルマと中国ちゅうごく労働ろうどうしゃ20まんにんによって建設けんせつされ、1938ねん完成かんせいした[3]中国共産党ちゅうごくきょうさんとうが1949ねんてた中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく建国けんこく、ビルマは国家こっか承認しょうにんする最初さいしょ共産きょうさんこくとなり、よく1950ねん6がつ8にちには正式せいしき外交がいこう関係かんけい確立かくりつして、1954ねん6がつ29にちには平和へいわ原則げんそくもとづき、友好ゆうこう不可侵ふかしん条約じょうやく署名しょめいした[4][5]。1960ねんちゅうはるかい条約じょうやく中国語ちゅうごくごばん締結ていけつしてからは国境こっきょう地帯ちたい中国ちゅうごく国民党こくみんとうぐん掃討そうとうする中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほうぐんとの合同ごうどう作戦さくせんおこなった[6]。ビルマは同盟どうめい中立ちゅうりつてき外交がいこう政策せいさく維持いじしていたが、1967ねんはん中国ちゅうごく暴動ぼうどうでビルマからの華僑かきょう追放ついほうき、両国りょうこく敵対てきたい感情かんじょうした[5]一方いっぽう、ビルマはアルバニア決議けつぎ賛成さんせいし、1970年代ねんだいには関係かんけい大幅おおはば改善かいぜんはじめ、1988ねん8がつ5にち国境こっきょうえた取引とりひき合法ごうほうし、中国ちゅうごくにより軍事ぐんじ援助えんじょ大幅おおはばにされ、1988ねん民主みんしゅ主義しゅぎ抗議こうぎはげしい弾圧だんあつつづいて、国家こっか平和へいわ発展はってん評議ひょうぎかいがビルマの軍事ぐんじ政権せいけんによりあらたに形成けいせいされ、国際こくさいてき非難ひなん圧力あつりょくけるが、中国ちゅうごくとは強力きょうりょく関係かんけいきずき、中国ちゅうごく影響えいきょうりょくは、国際こくさい社会しゃかいがビルマを放棄ほうきしたのち急速きゅうそく拡大かくだいした[5][7]。2015ねん6がつミャンマー民族みんぞく民主みんしゅ同盟どうめいぐん(コーカンぐん)は、「ちゅうはる国境こっきょう地域ちいき平和へいわ回復かいふくする中国ちゅうごく政府せいふつよ要請ようせい」をげて、一方いっぽうてき停戦ていせん発表はっぴょうした[8]。この発表はっぴょうは、北京ぺきん開催かいさいされた、習近ひらた共産党きょうさんとうそう書記しょきアウンサンスーチー国民こくみん民主みんしゅ連盟れんめい党首とうしゅ会合かいごう一致いっちした[8]

貿易ぼうえき関係かんけい[編集へんしゅう]

中国ちゅうごくは、ダム、はし道路どうろ港湾こうわん石油せきゆとガスのパイプラインの建設けんせつ産業さんぎょうプロジェクトのための経済けいざい援助えんじょ投資とうしをミャンマーにたいしておこない、軍事ぐんじ政権せいけんへの融資ゆうし提供ていきょうしている[4]。とくに1989ねん以降いこう中国ちゅうごくはミャンマーにたいしてジェット戦闘せんとう装甲車そうこうしゃ海軍かいぐん艦艇かんていと、訓練くんれんけた陸軍りくぐん空軍くうぐんおよ海軍かいぐん人員じんいん供給きょうきゅうした[4][5]。ミャンマーの港湾こうわんおよび海上かいじょう施設しせつへは、中国ちゅうごくにベンガルわん、よりひろインド洋いんどよう地域ちいきおよび東南とうなんアジアで戦略せんりゃくてき影響えいきょうあたえた[9]近年きんねんミャンマーは中国ちゅうごくたいする過度かど依存いぞんけるために、インドとの貿易ぼうえき軍事ぐんじ協力きょうりょく拡大かくだい日本にっぽんとのこくあいだ関係かんけい発展はってん東南とうなんアジア諸国しょこく連合れんごう(ASEAN)ないでの開発かいはつなど、外交がいこう政策せいさく転換てんかんはかっている[4]。2018ねん11月8にち、ミャンマー西部せいぶにあるラカインしゅうチャウピュにおける深海ふかみこう開発かいはつ規模きぼ計画けいかくよりちいさくすることに合意ごういした[10]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Alfred Stead (1901). China and Her Mysteries. Hood, Douglas, & Howard. pp. 99–. https://books.google.com/books?id=WKRFAAAAIAAJ&pg=PA99&dq=recent+visit+of+li+hung+chang+to+our+shores&hl=en&ei=yILZTa3gEs_r0QGr0YT9Aw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=3&ved=0CDkQ6AEwAg#v=onepage&q=burma%20was%20a%20tributary%20state%20of%20china%20british%20forward%20tribute%20peking&f=false 
  2. ^ William Woodville Rockhill (1905). China's Intercourse with Korea from the XVth Century to 1895. Luzac & Company. pp. 5–. https://books.google.com/books?id=v2NCAAAAIAAJ&pg=PA5&dq=tribute+china&hl=en&ei=YnYLTtCxE4Ls0gGB4q2WAQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=3&ved=0CDQQ6AEwAg#v=onepage&q=tribute%20china&f=false 
  3. ^ Seagrave, Gordon S., Burma Surgeon, W. W. Norton & Company, New York, 1943
  4. ^ a b c d Yangon still under Beijing's thumb (February 11, 2005). AsiaTimes.com. Accessed 2008-05-30.
  5. ^ a b c d Sino-Myanmar Relations: Analysis and Prospects by Lixin Geng, The Culture Mandala, Vol. 7, no. 2, December 2006. Accessed 2008-05-30.
  6. ^ Richard Michael Gibson. The Secret Army: Chiang Kai-shek and the Drug Warlords of the Golden Triangle. John Wiley & Sons. 4 August 2011: 171–172. ISBN 978-0-470-83021-5.
  7. ^ Shambaugh, David (2000). Power Shift: China and Asia's New Dynamics. Nazrul Institute. pp. 218. ISBN 0-520-24570-9 
  8. ^ a b Mcluaghlin & Zaw (June 11, 2015). Under pressure from China, Kokang rebels declare Myanmar ceasefire. Reuters.
  9. ^ India and China compete for Burma's resources (21 August 2006). World Politics Review. Accessed 2008-05-30.
  10. ^ “ミャンマー「一帯いったい一路いちろ事業じぎょう縮小しゅくしょう 港湾こうわん開発かいはつ中国ちゅうごく譲歩じょうほ. 東京とうきょう新聞しんぶん. (2018ねん11月10にち). http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201811/CK2018111002000126.html 2018ねん12月18にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]