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久世くぜとおるしき

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久世くぜとおるしき
時代じだい 江戸えど時代じだい前期ぜんき
生誕せいたん ぶんろく2ねん1593ねん
死没しぼつ 寛永かんえい5ねん5月1にち1628ねん6月2にち
氏族しぞく 久世くぜ
父母ちちはは ちち久我くがあつしどおり
兄弟きょうだい 久我くが通世みちよ久我くがどおりまえつうしき女子じょし
つま 正室せいしつぶくひめ細川ほそかわただしたかしさんじょ
つうしゅん
テンプレートを表示ひょうじ

久世くぜ とおるしき(くぜ みちのり)は、江戸えど時代じだい前期ぜんき公家くげけん大納言だいなごん久我くがあつしどおり久世くぜとおるたけ誤写ごしゃされている文書ぶんしょおおい。

出自しゅつじ

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久我くが19だいあつしどおり次男じなんどおりしき初代しょだいとする京都きょうと久世くぜ村上むらかみはじめながれを羽林はばやし公家くげである。久我くがから分岐ぶんきした公家くげ諸家しょかとしては、久世くぜほか中院なかのいんろくじょう岩倉いわくら千種ちくさひがし久世くぜ梅渓ばいけい愛宕あたご植松うえまつの8いえがある。

経歴けいれき

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つうしき久我くがから分家ぶんけして久世くぜおこした時期じき明確めいかくでないが、つうしき元和がんわ5ねん1619ねん)10がつ所領しょりょうとして山城やましろこく乙訓おとくにぐんした久世くせむらにおいてひゃくせき新知しんちされている。

つうしき肥後ひごはんあるじ細川ほそかわ忠興ただおき長男ちょうなん細川ほそかわただしたかし廃嫡はいちゃく長岡ながおかきゅう)のさんじょぶくひめ1609ねん-1635ねん)を正室せいしつにした由縁ゆえんで、ぶくひめ死後しご助成じょせいまい細川ほそかわからおくられている。また細川ほそかわただしたかし死去しきょにあたりその遺志いしとして、つうしゅん助成じょせいまいとしてとしひゃくせきおくられるようになった。

久世くぜとおるしき以後いごは、つうしきつうしゅんつうおんつづき、現在げんざいまで22だいつづく。代々だいだい近衛府このえふやくにんじられ、つうなつ以後いごはいずれもけん大納言だいなごん昇進しょうしん明治めいじ子爵ししゃく

膨大ぼうだい山城やましろこく京都きょうと久世くせ文書ぶんしょ明治大学めいじだいがくなどにのこされ、国文学研究資料館こくぶんがくけんきゅうしりょうかんなどで研究けんきゅうされている。

系譜けいふ

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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