久我くが 通どおり前まえ(こが みちさき)は、江戸えど時代じだい前期ぜんきの公卿くぎょう。
元和がんわ元年がんねん(1615年ねん)に叙爵じょしゃく。以降いこう累進るいしんして、侍従じじゅう・右みぎ近衛このえ少将しょうしょう・左ひだり近衛このえ中将ちゅうじょうを経へて、寛永かんえい元年がんねん(1624年ねん)後水尾天皇ごみずのおてんのうの中宮ちゅうぐう徳川とくがわ和子かずこの中宮なかみや権けん亮あきらとなるが寛永かんえい6年ねん(1629年ねん)の天皇てんのうの譲位じょういにともない辞職じしょく。寛永かんえい7年ねん(1630年ねん)より権けん中納言ちゅうなごんに転てんじた。寛永かんえい8年ねん(1631年ねん)に正せい三さん位いとなったが、寛永かんえい12年ねん(1635年ねん)には薨去こうきょした。享年きょうねん45。
雅実まさみ - 雅まさ定じょう - 雅通まさみち - 通つう親おや - 通つう光こう - 通つう平ひらた - 通つう忠ただし - 通つう基もと - 通雄みちお - 長通ながどおり - 通つう相しょう - 具ぐ通どおり - 通つう宣せん - 清しん通どおり - 通つう博はく - 豊ゆたか通どおり - 通言つうげん - 邦くに通どおり - 晴はれ通とおる - 通つう堅けん - 敦あつし通どおり - 通世みちよ - 通つう前まえ - 堯通 - 広通ひろみち - 通つう名めい - 通つう誠まこと - 惟おもんみ通どおり - 通つう兄けい - 敏さとし通どおり - 信通のぶみち - 通明みちあき - 志こころざし通どおり - 建たて通とおる - 通つう久ひさし - 常つね通どおり - 通つう顕あらわ - 誠まこと通どおり