京葉けいよう工業こうぎょう地域ちいき

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京葉けいよう工業こうぎょう地域ちいき 千葉ちばポートタワーから
袖ケ浦そでがうら笠上かさがみさんから見渡みわたした京葉けいよう工業こうぎょう地域ちいき多数たすう石油せきゆ化学かがくプラントがならぶ。

京葉けいよう工業こうぎょう地域ちいき(けいようこうぎょうちいき)は、千葉ちばけん東京とうきょうわんきしに、千葉ちばこう土地とちひろがる工業こうぎょう地域ちいきである[1]千葉ちばこう木更津きさらづこうなどの港湾こうわん施設しせつがある。京葉けいよう臨海りんかい工業こうぎょう地帯ちたい

臨海りんかい埋立うめたて鉄鋼てっこうぎょう石油せきゆ化学かがく工業こうぎょうなどのだい規模きぼ工場こうじょう集積しゅうせきする。浦安うらやすから富津とみつまでつらなる。代表だいひょうてき都市とし市川いちかわ船橋ふなばし千葉ちば市原いちはら木更津きさらづ君津きみつ千葉ちばJFEスチール東日本ひがしにっぽん製鉄せいてつしょ君津きみつ日本にっぽん製鉄せいてつ君津きみつ製鉄せいてつしょがある。火力かりょく発電はつでんしょおおい。

概要がいよう[編集へんしゅう]

計画けいかく[編集へんしゅう]

昭和しょうわ25ねん政府せいふ制定せいてい国土こくど総合そうごう開発かいはつほうにより、京浜けいひん工業こうぎょう地帯ちたいへの過度かど集中しゅうちゅうふせ分散ぶんさんさせること目的もくてきとする。戦後せんご経済けいざい復興ふっこう工場こうじょう誘致ゆうち失業しつぎょうしゃ対策たいさく目論もくろ千葉ちばけんおよ千葉ちばは、これをもとに「千葉ちばけん産業さんぎょう経済けいざい振興しんこう計画けいかく」を策定さくていし、京葉けいよう臨海りんかい工業こうぎょう地帯ちたい企画きかく造成ぞうせい着手ちゃくしゅした。千葉ちばは、沖合おきあい軍需ぐんじゅ工場こうじょう跡地あとち日立ひたち航空機こうくうき製作所せいさくしょ千葉ちば工場こうじょうやく60まんつぼ)の利用りようかんがえ、朝鮮ちょうせん特需とくじゅ繊維せんい業界ぎょうかいみをかけたが頓挫とんざ川崎製鉄かわさきせいてつ白羽しらはてた。市有しゆう無償むしょう譲渡じょうと工業こうぎょう用水ようすい確保かくほ免税めんぜいだい規模きぼ港湾こうわん整備せいび電力でんりょく確保かくほなどの破格はかく条件じょうけんけ、だいいちごうとして進出しんしゅつ決定けっていした(川鉄かわてつ千葉ちばげんJFEスチール東日本ひがしにっぽん製鉄せいてつしょ)。

電源でんげん[編集へんしゅう]

戦後せんごとお信濃川しなのがわけい水力すいりょく発電はつでんおもたよっていた千葉ちばけんは、あらたな電源でんげん開発かいはつ目指めざ東京電力とうきょうでんりょく用地ようち斡旋あっせん依頼いらいけた。昭和しょうわ29ねん東京電力とうきょうでんりょく千葉ちばなま浜町はまちょう海面かいめん川鉄かわてつ千葉ちば南方なんぽう)に火力かりょく発電はつでんしょ建設けんせつ計画けいかく提出ていしゅつて、千葉ちばぐん蘇我そがまち漁業ぎょぎょう協同きょうどう組合くみあいとの交渉こうしょうなど紆余曲折うよきょくせつすえ昭和しょうわ34ねん竣工しゅんこうにした(東京電力とうきょうでんりょく千葉ちば火力かりょく発電はつでんしょ)。出力しゅつりょく当時とうじ日本一にっぽんいちの60まんkWをほこり、京葉けいよう地区ちく発展はってんいしずえきずいた。

千葉ちばこう[編集へんしゅう]

重工業じゅうこうぎょう拠点きょてんとして臨海りんかい工業こうぎょう地帯ちたい建設けんせつされた。狭義きょうぎ千葉ちばこう中央港ちゅうおうこう千葉ちば中央ちゅうおうおよ美浜みはま)は昭和しょうわ29ねん7がつ開港かいこう昭和しょうわ40ねん特定とくてい重要じゅうよう港湾こうわん指定してい昭和しょうわ61ねんには千葉ちばポートパーク完成かんせい平成へいせい6ねん6がつコンテナターミナル開設かいせつ貨物かもつ取扱とりあつかいりょう年間ねんかんやく1おく5せんまんトン。管理かんりしゃ千葉ちばけん国際こくさい拠点きょてん港湾こうわんである。

主要しゅよう企業きぎょう[編集へんしゅう]

カッコない進出しんしゅつねん名称めいしょう当時とうじ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]