内藤ないとう 頼よりゆき尚なお(ないとう よりたか)は、江戸えど時代じだい中期ちゅうきの大名だいみょう。信濃しなの高遠こうえん藩はんの第だい4代だい藩主はんしゅ。高遠こうえん藩はん内藤ないとう家か9代だい。
宝たから暦れき2年ねん(1752年ねん)2月がつ27日にち、越後えちご村上むらかみ藩はん主おも・内藤ないとう信しん興きょうの三男さんなんとして生うまれる。明和めいわ9年ねん(1772年ねん)7月がつ10日とおかに第だい3代だい藩主はんしゅ・頼よりゆき由ゆかりの養子ようしとなり、安永やすなが5年ねん(1776年ねん)2月がつ5日にち、養父ようふが隠居いんきょしたために跡あとを継ついだ。しかし同年どうねん10月がつ25日にちに死去しきょした。享年きょうねん25。子こは全すべて女児じょじのため、養子ようしの長ちょう好よしみが跡あとを継ついだ。
父母ちちはは
正室せいしつ
子女しじょ
養子ようし