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前田まえだ土佐とさまもる資料しりょうかん

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前田まえだ土佐とさまもる資料しりょうかん
Maeda Tosanokami-ke Shiryokan Museum
前田まえだ土佐とさまもる資料しりょうかん
前田土佐守家資料館の位置(金沢市内)
前田土佐守家資料館
金沢かなざわ市内しない位置いち
施設しせつ情報じょうほう
正式せいしき名称めいしょう 前田まえだ土佐とさまもる資料しりょうかん[1]
館長かんちょう 前田まえだただしだい
学芸がくげいいん 竹松たけまつ幸香ゆか
事業じぎょう主体しゅたい 金沢かなざわ
管理かんり運営うんえい 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん金沢かなざわ文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん[2]
のべゆか面積めんせき 1098㎡
開館かいかん 2002ねん4がつ27にち
所在地しょざいち 920-0981
石川いしかわけん金沢かなざわ片町かたまち丁目ちょうめ10ばん17ごう
位置いち 北緯ほくい3633ふん44.7びょう 東経とうけい13639ふん3.14びょう / 北緯ほくい36.562417 東経とうけい136.6508722 / 36.562417; 136.6508722座標ざひょう: 北緯ほくい3633ふん44.7びょう 東経とうけい13639ふん3.14びょう / 北緯ほくい36.562417 東経とうけい136.6508722 / 36.562417; 136.6508722
外部がいぶリンク 前田まえだ土佐とさまもる資料しりょうかん
プロジェクト:GLAM
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前田まえだ土佐とさまもる資料しりょうかん(まえだとさのかみけしりょうかん)は、石川いしかわけん金沢かなざわ片町かたまちにある金沢かなざわ市立しりつ博物館はくぶつかんである。

前田まえだ利家としいえ次男じなん前田まえだ利政としまさいえとする前田まえだ土佐とさまもる伝来でんらいする9000てんおよ歴史れきし資料しりょう石川いしかわけん指定してい文化財ぶんかざい)を所蔵しょぞう展示てんじおこなっている。2002ねん4がつ27にち開館かいかんとしに4かい特別とくべつてんほかに、毎年まいとし2がつごろ近接きんせつする金沢かなざわ市長しちょうまち研修けんしゅうかんで、前田まえだ土佐とさまもる資料しりょうかん連続れんぞく講座こうざ主催しゅさいする。

前田まえだ土佐とさまもる[編集へんしゅう]

前田まえだ土佐とさまもるは、加賀かがはん前田まえだ利家としいえとその夫人ふじんまつ(芳春よしはるいん)の次男じなんである前田まえだ利政としまさいえとする加賀かがはんきっての名家めいかであり、加賀かがはちいえひとつとして代々だいだいはん重責じゅうせきになってきたいえである。いえ利政としまさは、ななじょうにあって能登のとこく22まんせき領有りょうゆうしていたが、関ヶ原せきがはらたたか徳川とくがわ家康いえやす出陣しゅつじん要請ようせいおうじなかったことから領地りょうち没収ぼっしゅうされた。その京都きょうと嵯峨さが)に隠棲いんせいし、ほん阿弥あみ光悦こうえつなどおおくの文化ぶんかじん豪商ごうしょう交流こうりゅうしていた。

2だい直之なおゆきは、幼少ようしょう祖母そぼ芳春よしはるいんられて養育よういくされた。芳春よしはるいん尽力じんりょくがあって、3だい藩主はんしゅ前田まえだ利常としつねかかえられた。これ以後いご藩政はんせいつうじて1まんせきろくだかをもって、代々だいだいはちいえ」のひとつとしてはん要職ようしょく歴任れきにんし、10代直信なおのぶとき明治維新めいじいしんむかえた。藩政はんせい当主とうしゅ10にんのうち4にんしたがえ土佐とさまもる2人ふたり近江おうみまもる)に叙爵じょしゃくされていることから、一般いっぱんに「前田まえだ土佐とさまもる」としょうされている。

前田まえだ土佐とさまもる資料しりょう[編集へんしゅう]

石川いしかわけん指定してい文化財ぶんかざい平成へいせい18ねん10がつ20日はつか指定してい

古文書こもんじょ中心ちゅうしん江戸えど時代じだい初期しょきから明治めいじにかけての資料しりょう9000てんからなり、「芳春よしはるいん自筆じひつ消息しょうそく」「織田おだ信長のぶながくろしるしじょう」「豊臣とよとみ秀吉ひでよし消息しょうそく」をはじめとする貴重きちょう資料しりょう多数たすうみられ、加賀かがはん加賀かがはん上級じょうきゅう武士ぶし歴史れきし文化ぶんかについてまなることができる。

代表だいひょうてき所蔵しょぞうひん[編集へんしゅう]

  • くろうるしぬりくろいとまいどう具足ぐそく - 前田まえだ利政としまさ所用しょよう桃山ももやま時代じだい 春田はるた勝光かつみつさく
  • しわかわつつみ白糸しらいとさんまいどう具足ぐそく - 土佐とさもり伝来でんらい室町むろまち江戸前えどまえ
  • 織田おだ信長のぶながくろしるしじょう - 天正てんしょう10ねん4がつ17にち(1582ねん5月19にち本能寺ほんのうじへんの1かげつはんまえ)、前田まえだ利家としいえあて利家としいえ上杉うえすぎ対峙たいじする越中えっちゅう陣中じんちゅうから帷子かたびら(かたびら)をおくったことにたいする礼状れいじょう
  • 豊臣とよとみ秀吉ひでよし消息しょうそく - ぶんろく元年がんねん(1592)、かが(加賀かが殿どのあて。かが殿しんがり秀吉ひでよし側室そくしつで、利家としいえむすめおもね名護屋なごやじんより来春らいしゅん朝鮮ちょうせん出兵しゅっぺいすることをべたもの。
  • 芳春よしはるいん自筆じひつ消息しょうそく - 村井むらい長次ちょうじあて本館ほんかんに5てんある芳春よしはるいん自筆じひつ書状しょじょうのうちの1つ。関ヶ原せきがはらたたかのち隠棲いんせいしていた利政としまさについて徳川とくがわ家康いえやすから前田まえだ領国りょうごくくにはしにおいてもいとするおおせがあり、そのうれしさをつたえている。

前田まえだ土佐とさまもるだい前田まえだ直躬なおみ加賀かが騒動そうどう[編集へんしゅう]

江戸えど時代じだいには、加賀かがはん加賀かが騒動そうどう仙台せんだいはん伊達だて騒動そうどう福岡ふくおかはん黒田くろだ騒動そうどう佐賀さがはん鍋島なべしま騒動そうどう薩摩さつまはんよし騒動そうどうなどさまざまな御家おいえ騒動そうどうこっている。加賀かが騒動そうどうは、異例いれい出世しゅっせ藩主はんしゅ側近そっきんにまでのぼめた大槻おおつきちょうもと伝蔵でんぞう)ら藩政はんせい改革かいかくはん門閥もんばつ重臣じゅうしん5だい前田まえだ直躬なおみ保守ほしゅ対立たいりつこうそうであったとわれている。直躬なおみはとにかく几帳面きちょうめんで、ふでまめな学者がくしゃ文化ぶんかじんでもあり、加賀かが騒動そうどう大槻おおつき関係かんけい資料しりょうあつめて記録きろくとしてのこしている。いちめん和歌わか冷泉れいせん為村ためむらまなび、のうちゃをたしなみ、和歌わか短冊たんざくなども数多かずおおのこされている。

古文書こもんじょ講座こうざ[編集へんしゅう]

前田まえだ土佐とさまもる史料しりょうかい」をもよおし、古文書こもんじょれたことがない初心者しょしんしゃ対象たいしょうかん所蔵しょぞうする史料しりょうをテキストにして古文書こもんじょ解読かいどく講座こうざおこなっている。この受講じゅこうしゃたちによって史料しりょう翻刻ほんこくおこなわれる。

利用りよう案内あんない[編集へんしゅう]

開館かいかん時間じかん
午前ごぜん9 - 午後ごご500ふん入館にゅうかん午後ごご430ふんまで)
観覧かんらんりょう
一般いっぱん…310えん
団体だんたい(20めい以上いじょう)…260えん
65さい以上いじょう…210えん祝祭日しゅくさいじつ無料むりょう
高校生こうこうせい以下いか無料むりょう

金沢かなざわ文化ぶんか施設しせつ共通きょうつう観覧かんらんけん使用しようできる[3]かいにあるおなじく金沢かなざわ文化ぶんか施設しせつ老舗しにせ記念きねんかん」との共通きょうつう観覧かんらんけん販売はんばいしている。

休館きゅうかん
年中ねんじゅう無休むきゅう(ただし、展示てんじ期間きかんのぞく)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 前田まえだ土佐とさまもる資料しりょうかん条例じょうれい
  2. ^ 指定してい管理かんりしゃ制度せいど導入どうにゅう施設しせつ一覧いちらん
  3. ^ 金沢かなざわ文化ぶんか施設しせつ共通きょうつう観覧かんらんけん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん金沢かなざわ文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん 前田まえだ土佐とさまもる資料しりょうかん編集へんしゅう発行はっこうしんてい新版しんぱん 前田まえだ土佐とさまもる資料しりょうかん図録ずろく』 2015ねん3がつ15にち

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]