北山きたやま本門寺ほんもんじ

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北山きたやま本門寺ほんもんじ

仁王門におうもん
所在地しょざいち 静岡しずおかけん富士宮ふじのみや北山きたやま4965
位置いち 北緯ほくい3516ふん35.6びょう 東経とうけい13836ふん30.5びょう / 北緯ほくい35.276556 東経とうけい138.608472 / 35.276556; 138.608472座標ざひょう: 北緯ほくい3516ふん35.6びょう 東経とうけい13836ふん30.5びょう / 北緯ほくい35.276556 東経とうけい138.608472 / 35.276556; 138.608472
山号さんごう 富士山ふじさん
宗派しゅうは 日蓮宗にちれんしゅう
寺格じかく 大本山だいほんざんれいあと寺院じいん)・きょうもんはち本山ほんざん富士ふじ五山ごさん
正式せいしきめい 富士山ふじさん法華ほっけ本門寺ほんもんじ根源こんげん
別称べっしょう じゅう本門寺ほんもんじ
文化財ぶんかざい さだかんせいよう まきだいいち細字さいじ金字こんじ法華経ほけきょう重要じゅうよう文化財ぶんかざい
法人ほうじん番号ばんごう 2080105003500 ウィキデータを編集
北山本門寺の位置(静岡県内)
北山本門寺
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なま御影みかげ祖師そしどう安置あんち
日興にっこう上人しょうにん廟所びょうしょ

北山きたやま本門寺ほんもんじ(きたやまほんもんじ)は、静岡しずおかけん富士宮ふじのみや北山きたやまにある日蓮宗にちれんしゅう寺院じいんで、どうむねななだい本山もとやまの1つ。日興にっこうほうみゃく継承けいしょうした富士ふじ門流もんりゅうぞくし、静岡しずおかけん駿東すんとう地方ちほう分布ぶんぷする 西山にしやま本門寺ほんもんじ大石寺たいせきじ下条しもじょう妙蓮寺みょうれんじ小泉こいずみ久遠寺くおんじとともにどう門流もんりゅうの「富士ふじ五山ごさん」を構成こうせいする。また、さらに 京都きょうと要法寺ようほうじ伊豆いず実成さねなりてら保田やすだたえ本寺ほんじとあわせて「きょうもんはち本山ほんざん」のひとつにもかぞえられる。正式せいしき呼称こしょう法華ほっけ本門寺ほんもんじ根源こんげん山号さんごう富士山ふじさん通称つうしょうじゅう本門寺ほんもんじがある。

歴史れきし[編集へんしゅう]

日興にっこう1293ねんえいひとし元年がんねん)に石川いしかわのうただし寄進きしんをうけて北山きたやまじゅう須談しょもうけると、同時どうじに、本堂ほんどう御影堂ごえどう垂迹すいじゃくどう建設けんせつにとりかかり、5ねん1298ねんえいひとし6ねん)に落成らくせいした。大石寺たいせきじ弟子でしにちゆずったが、にち南条なんじょうひかり血縁けつえん関係かんけいであったことも理由りゆうのひとつとされている。同様どうよう石川いしかわ一族いちぞくは、日興にっこう血縁けつえん関係かんけいしゃであった。日興にっこう晩年ばんねんの36年間ねんかんじゅう須談しょごした。

日興にっこうのちだい2だいとしてにちだいまましいだが、にちだい教義きょうぎじょう対立たいりつから地元じもと大衆たいしゅうてらされ、西山にしやま本門寺ほんもんじ建立こんりゅうして初代しょだい住職じゅうしょくとなった。

  • 1298ねんえいひとし6ねん)2がつ15にち日興にっこうじゅう須に御影堂ごえどう建立こんりゅうしてうつる。日興にっこうほん弟子でし6にんていむ。
  • 1302ねんいぬいはじめ1ねん)3がつ8にちにちいただき下総しもうさしんあいだ弘法ぐほうてらにちあげし、じゅう須にたり日興にっこう帰依きえす。12月28にち日興にっこうさびせんぼうきよしじゅう須談しょ学頭がくとうす。
  • 1317ねんぶん元年がんねん)3がつ8にちにちいただきじゅう須にさび(66さい)。三位日順重須談所2だい学頭がくとうおぎなえせらる。
  • 1318ねんぶん2ねん)1がつ8にちさんじゅんじゅう須談しょ法華ほっけほんもん見聞けんぶんこうひらく。11月24にち日興にっこうじゅう須談しょ問答もんどうこうろんよし〕をはじさんじゅん表白ひょうはくぶんしょす。
  • 1325ねん正中せいちゅう2ねん)11月13にち石川いしかわたえげんじゅう御影堂ごえどう寄進きしんおけじょう日興にっこうたてまつる。
  • 1328ねんよしみれき3ねん)9がつ15にちじゅう開基かいき檀那だんな石川いしかわ孫三郎まごさぶろうげんのうちゅう法号ほうごうみょうげん日真ひまそつ
  • 1333ねん元弘もとひろ3ねん)2がつ7にち、二祖日興重須に入滅にゅうめつ〔88さい〕。伊予いよおおやけだいじゅう須に石経いしきょううめむ。
  • 1334ねんたてたけし1ねん)1がつ7にち上蓮かみはすぼうせん伊予いよおおやけだい上蓮かみはすひゃくかんぼうにおいて問答もんどうす〔せんだい問答もんどう〕。伊予いよおおやけだいじゅう須を大石寺たいせきじ藤木ふじきぼうかりぐうす。
  • 1339ねんのべもと4ねん)10がつ25にちじゅう須日みょうてんそうす。12月4にちじゅう須日みょうしょきょう太夫たゆうおもねみことむくいず。
  • 1344ねん興国こうこく5ねん)、石川いしかわみのるただしふたたじゅう須のぼう寄進きしんあかす。
  • 1347ねん正平しょうへい2ねん)10がつ13にち式部しきぶみょうとうじゅう須のてら修理しゅうりす。
  • 1355ねん正平しょうへい10ねん)1がつ3にちさんじゅんじゅう須談しょひらけしょう講義こうぎはじめむ。
  • 1356ねん正平しょうへい11ねん)3がつ5にちさんじゅんじゅう須談しょにてこころ本尊ほんぞんしょう講義こうぎはじめむ。
  • 1417ねんおうなが24ねん)10がつ13にち今川いまがわはんせいじゅう須寺にはんぶつくだす。
  • 1482ねん文明ぶんめい14ねん)9がつ7にち大石おおいしてらじゅう須・保田やすだ小泉こいずみ衆徒しゅといさかいろん
  • 1494ねんあかりおう3ねん)9がつ13にちじゅう須日きよし本尊ほんぞん聖教せいきょうとうにちこくゆずる。
  • 1495ねんあきらおう4ねん)10がつ22にちじゅう須学あたま日経にっけいいちおもねあさ学頭がくとうさびせんぼうあとゆずる。
  • 1515ねんえいただし12ねん)6がつ26にち今川いまがわおやじゅう本門寺ほんもんじ寺号じごう証文しょうもんとう安堵あんどす。
  • 1521ねんだいひさし元年がんねん)6がつ4にちじゅう須僧ほまれ日向ひなた細島ほそじまみょうだにてらにおいて富士ふじいちあと門徒もんと存知ぞんちごと書写しょしゃす。
  • 1522ねんだいなが2ねん)3がつ19にち今川いまがわおやじゅう本門寺ほんもんじりょう安堵あんどしょやくとうまぬかれず。
  • 1530ねんとおるろく3ねん)1がつ29にち今川いまがわてるじゅう本門寺ほんもんじ守護しゅごいれおよしょやく免除めんじょとす。ふゆこうぞういんたつじゅう須の日興にっこう墓所はかしょまいず。
  • 1536ねん天文てんもん5ねん)9がつ6にち今川いまがわ義元よしもとじゅう本門寺ほんもんじ臨時りんじしょやく免除めんじょ地頭じとう代官だいかんはいるをとまむ。10月9にちじゅう須7だいにちこくさび
  • 1538ねん天文てんもん7ねん)8がつ6にち北条ほうじょう氏綱うじつなじゅう本門寺ほんもんじ寺領じりょう安堵あんどす。
  • 1543ねん天文てんもん12ねん)9がつ12にち今川いまがわ義元よしもと安堵あんどじょうじゅう本門寺ほんもんじあずかう。
  • 1544ねん天文てんもん13ねん)11がつ20日はつか今川いまがわ義元よしもと下知げじじょうじゅう本門寺ほんもんじあずかう。
  • 1556ねん弘治こうじ2ねん)7がつ7にちきょう要法寺ようほうじにちたつじゅう須に霊宝れいほうはいし、二箇にか相承そうしょうにち耀にうつさしむ。
  • 1557ねん弘治こうじ3ねん)11月16今川いまがわ氏真うじざねじゅう本門寺ほんもんじ寺領じりょう安堵あんどす。
  • 1562ねんえいろく5ねん)4がつ10日とおかじゅう須日じゅう須西すさいさん通用つうようこと1さつしょす。
  • 1565ねんえいろく8ねん)、兵部ひょうぶおもね日義ひよし日殿ひどの〕、保田やすだにち無断むだんにてじゅう須にじゅう破門はもんを受く。
  • 1569ねんえいろく12ねん)2がつ4にちじゅう須、しょどう武田たけだ信玄しんげん兵火へいかかかかげ沼津ぬまづざい静浦しずうら本能寺ほんのうじうつす。
  • 1570ねんもとかめ元年がんねん)8がつ13にち今川いまがわ氏真うじざねじゅう本門寺ほんもんじ寺領じりょう安堵あんどしょやく停止ていし
  • 1574ねん天正てんしょう2ねん)9がつ12にち武田たけだ勝頼かつより大石寺たいせきじおよじゅう本門寺ほんもんじてらぶんまわしさだりょうてら修造しゅうぞう興隆こうりゅうつとめしむ。
  • 1578ねん天正てんしょう6ねん)、じゅう本堂ほんどう再建さいけんる。
  • 1579ねん天正てんしょう7ねん)、じゅう須本もん寺本てらもとどう御影堂ごえどう再建さいけん
  • 1581ねん天正てんしょう9ねん)、だい聖人せいじん300遠忌えんき。3月17にちじゅう本門寺ほんもんじ二箇にか相承そうしょうとう重宝ちょうほう西山にしやま衆徒しゅとならびに武田たけだ勝頼かつよりしん増山ますやま権右衛門ごんうえもんとうのためにだつわる。3月28にちじゅう須日殿どの重宝ちょうほう返還へんかん訴状そじょう武田たけだ勝頼かつよりいたす。10月13にち武田たけだ勝頼かつより西山にしやまじゅう須のいさかいろん裁定さいていす。
  • 1582ねん天正てんしょう10ねん)、日興にっこうにち250遠忌えんき。2月6にちじゅう須日殿どの武田たけだかた宝物ほうもつ返還へんかん訴願そがんれられず断食だんじき憤死ふんしす〔57さい〕。2月、じゅう須再じゅう日出にっしゅつ徳川とくがわ家康いえやす甲州こうしゅうめのみぎり聖教せいきょう曼荼羅まんだらおくる、家康いえやす凱旋がいせんときこれ返納へんのうす。11月、徳川とくがわ家康いえやすじゅう須日の請により井出いで甚之助じんのすけめいじゅう本門寺ほんもんじ用水ようすいほりつくらしむ。12月2にち本多ほんだわたる八郎はちろう徳川とくがわ家康いえやすいのちにより西山にしやま本門寺ほんもんじより宝物ほうもつ64てんじゅう本門寺ほんもんじかえさしむ。
  • 1583ねん天正てんしょう11ねん)2がつ26にち甲斐かい平岡ひらおか岡右衛門おかえもん徳川とくがわ家康いえやすいのちにより西山にしやま本門寺ほんもんじ宝物ほうもつじゅう本門寺ほんもんじ返還へんかんす。
  • 1590ねん天正てんしょう18ねん)12月28にち豊臣とよとみ秀吉ひでよしじゅう本門寺ほんもんじ寺領じりょう50せきしょやくまぬかれず。
  • 1611ねん慶長けいちょう16ねん)12月15にちじゅう須養うんぼう本門寺ほんもんじとうさつ二箇にか相承そうしょう徳川とくがわ家康いえやす台覧たいらんきょうす。
  • 1612ねん慶長けいちょう17ねんはる讃岐さぬき大仁おおひとこうにちえんじゅう本門寺ほんもんじいたる〔じゅう讃岐さぬき本末ほんまつ係争けいそう発端ほったん〕。
  • 1641ねん寛永かんえい18ねん)6がつ28にち徳川とくがわ家光いえみつじゅう本門寺ほんもんじさきぶんまわしごとく50せき朱印しゅいんじょうあずかう。
  • 1647ねん正保まさやす4ねん)2がつ3にちじゅう須日ゆう江戸えど寺社じしゃ奉行ぶぎょう讃岐さぬき本門寺ほんもんじを訴う。9月、じゅう本門寺ほんもんじ垂迹すいじゃくどう再建さいけん
  • 1648ねん慶安けいあん元年がんねん)12月11にち讃岐さぬき本門寺ほんもんじ敗訴はいそし、じゅう本門寺ほんもんじまつとなり、法華寺ほっけじしょうせしめらる。
  • 1665ねん寛文ひろふみ5ねん)7がつ11にち徳川とくがわ家綱いえつなじゅう本門寺ほんもんじ朱印しゅいんじょうくだす。
  • 1666ねん寛文ひろふみ6ねん)11月11にちじゅう本門寺ほんもんじ客殿きゃくでんより出火しゅっかとうちゅう9ぼう焼失しょうしつ
  • 1667ねん寛文ひろふみ7ねん)2がつ26にちじゅう本門寺ほんもんじ客殿きゃくでんより出火しゅっかとうちゅう2ぼう焼失しょうしつ
  • 1668ねん寛文ひろふみ8ねん)4がつ11にちじゅう須行いずみぼう焼失しょうしつ。11月20にちじゅう須本せいぼう焼失しょうしつ
  • 1670ねん寛文ひろふみ10ねん)9がつ12にちじゅう本門寺ほんもんじ客殿きゃくでん庫裡くり垂迹すいじゃくどうとう焼失しょうしつ
  • 1672ねん寛文ひろふみ12ねん)12月16にちじゅう本門寺ほんもんじ累年るいねん火災かさいにより住持じゅうじ優退ゆうたいてらす。
  • 1673ねんのべたから1ねん)10がつ13にちじゅう本門寺ほんもんじ梵鐘ぼんしょう改鋳かいちゅう鐘楼しゅろう二天にてんもん表門おもてもん造営ぞうえい
  • 1675ねんのべたから3ねん)1がつ30にちじゅう須書いんより出火しゅっか5ケぼう山門やまかどひとし焼失しょうしつ前後ぜんご11かいいずれも放火ほうかによる。じゅう放火ほうかはん学頭がくとうしか逃走とうそう
  • 1695ねん元禄げんろく8ねん)5がつじゅう須塔ちゅう8ケぼう黒門くろもん三門さんもんとう焼失しょうしつ
  • 1697ねん元禄げんろく10ねん)2がつ15にちじゅう本門寺ほんもんじ本堂ほんどう再建さいけん
  • 1703ねん元禄げんろく16ねん)10がつ18にちじゅう本門寺ほんもんじ御影堂ごえどう再建さいけん
  • 1725ねんとおる10ねん)7がつ11にちじゅう本門寺ほんもんじ客殿きゃくでん再建さいけん
  • 1727ねんとおる12ねんじゅう須日せん富士ふじ天母山あんもやま宝塔ほうとうつ。
  • 1735ねんとおる20ねん)10がつ8にちじゅう本門寺ほんもんじ宝蔵ほうぞう再建さいけん
  • 1740ねんもとぶん5ねん)9がつじゅう本門寺ほんもんじ五重塔ごじゅうのとう建立こんりゅう
  • 1796ねん寛政かんせい8ねん)10がつ19にちじゅう本門寺ほんもんじ学頭がくとうりょうく。
  • 1808ねん文化ぶんか5ねん)2がつ20日はつかじゅう本門寺ほんもんじ学頭がくとうりょう焼失しょうしつ
  • 1812ねん文化ぶんか9ねん)3がつじゅう本門寺ほんもんじ学頭がくとうりょう焼失しょうしつ
  • 1827ねん文政ぶんせい10ねん)11月6にちじゅう本門寺ほんもんじしょどう焼失しょうしつ
  • 1837ねん天保てんぽう8ねん)2がつ17にちじゅう本門寺ほんもんじ庫裡くり焼失しょうしつ
  • 1840ねん天保てんぽう11ねん)2がつ17にちじゅう須本もん寺本てらもとどう庫裡くり書院しょいんとう焼失しょうしつ
  • 1841ねん天保てんぽう12ねん)10がつ じゅう本門寺ほんもんじ梵鐘ぼんしょう改鋳かいちゅう
  • 1846ねんひろし3ねん)4がつ7にちじゅう本門寺ほんもんじ庫裡くり再建さいけん
  • 1863ねん文久ぶんきゅう3ねん)4がつ13にちじゅう本門寺ほんもんじ本堂ほんどう再建さいけん
  • 1876ねん明治めいじ9ねん)、末寺まつじ36ヶてらとともに、富士ふじ門流もんりゅう統一とういつ教団きょうだん日蓮宗にちれんしゅうきょう門派もんぱ結成けっせい参加さんか
  • 1899ねん明治めいじ32ねん)、日蓮宗にちれんしゅうきょう門派もんぱ日蓮にちれんほんかどはじめほんかどはじめ)と改称かいしょう
  • 1910ねん明治めいじ43ねん)12月15にち失火しっかにより五重塔ごじゅうのとう本堂ほんどう焼失しょうしつ
  • 1931ねん昭和しょうわ6ねん)11月21にち本堂ほんどう再建さいけん
  • 1941ねん昭和しょうわ16ねん)、ほんかどはじめ一致いっち日蓮宗にちれんしゅうかちれつあらわほん法華宗ほっけしゅうとともにさん合同ごうどうおこない、日蓮宗にちれんしゅう結成けっせい北山きたやま本門寺ほんもんじとその末寺まつじ以後いご日蓮宗にちれんしゅう帰属きぞくして現在げんざいいたる。
  • 1986ねん昭和しょうわ61ねん)5がつ15にち仁王門におうもん建立こんりゅう仁王におうぞうはヒノキのいち木彫きぼり)。

きゅうほんかどはじめ時代じだいは、どうむね総本山そうほんざん宗務しゅうむいんがおかれた。さん合同ごうどうしん日蓮宗にちれんしゅうでは、どうむねなな大本山だいほんざんひとつにれっせられている。きょうすべほうえんえんあたまてら

本門寺ほんもんじという呼称こしょう[編集へんしゅう]

日蓮宗にちれんしゅうにとって、本門寺ほんもんじという呼称こしょうには特別とくべつ意味いみめられている。中国ちゅうごく天台てんだい大師だいし天台山てんだいざんに、日本にっぽん伝教大師でんぎょうだいし比叡山ひえいざんてらとう建立こんりゅうしたが、日蓮にちれんてらとう建立こんりゅうする場所ばしょしめさなかった。「冨士ふじいちあと門徒もんと存知ぞんちこと」によれば、景勝けいしょうえらんでてらとう建立こんりゅうするべきであり、その景勝けいしょう富士山ふじさんであり、そこに建立こんりゅうされるべき根本こんぽんてら本門寺ほんもんじであるとされる。本門寺ほんもんじ建立こんりゅうすることが日蓮にちれん遺志いしぐこととされ、その名称めいしょうは、日蓮にちれん弟子でしにとっては特別とくべつ名称めいしょうであって根本こんぽんちゅう根本こんぽんであり、日蓮にちれんおしえの中心ちゅうしんであるということになっている。

歴代れきだい住職じゅうしょく[編集へんしゅう]

だい にちごう 阿闍梨あじゃりごう院号いんごう 遷化せんげ年月日ねんがっぴ 享年きょうねん 備考びこう
初代しょだい 日興にっこう 白蓮びゃくれん阿闍梨あじゃり 元弘もとひろ3ねん2がつ7にち(1333ねん南朝なんちょう

せいけい2ねん2がつ7にち(1333ねん北朝ほくちょう

88さい 上条かみじょう大石寺たいせきじ建立こんりゅう

北山きたやま本門寺ほんもんじ建立こんりゅう

じゅう須にて遷化せんげ

2だい にちみょう 式部しきぶ阿闍梨あじゃり 正平しょうへい20ねん8がつ1にち1365ねん南朝なんちょう

貞治さだはる4ねん8がつ1にち1365ねん北朝ほくちょう

80さい
3だい にちおん 宰相さいしょう阿闍梨あじゃり おうなが9ねん9がつ2にち1402ねん
4だい にちぞう 大蔵おおくら阿闍梨あじゃり おうなが27ねん8がつ15にち1420ねん 伊豆いず本能寺ほんのうじ開山かいさん
5だい にちあきら 宝徳ほうとく2ねん2がつ20日はつか1450ねん
6だい にちきよし あかりおう2ねん9がつ25にち()
7だい にちこく 天文てんもん5ねん10がつ9にち1536ねん 駿河するが本国ほんごくてら開山かいさん

駿河するが本光寺ほんこうじ開山かいさん

駿河するがとう中蓮ちゅうれんゆきぼう開基かいき

8だい にち耀 弘治こうじ3ねん2がつ21にち1557ねん
9だい 日出ひので 天正てんしょう15ねん5がつ5にち1587ねん 93さい 甲斐かい正法寺しょうほうじ開山かいさん
10代 日殿ひどの 天正てんしょう10ねん2がつ6にち1582ねん 57さい 駿河するがみょう泉寺いずみでら開山かいさん

相模さがみはちす妙寺みょうじ開山かいさん

甲斐かい本妙寺ほんみょうじ開山かいさん

11だい にちけん 寛永かんえい2ねん5がつ16にち1625ねん 65さい 駿河するが本源ほんげんてら開山かいさん
12だい にちけん ちょうおう阿闍梨あじゃり 寛文ひろふみ9ねん9がつ23にち1669ねん 85さい 武蔵むさし法輪寺ほうりんじ開山かいさん

武蔵むさしそう川寺かわでら開山かいさん 駿河するが宗円寺そうえんじ開山かいさん

13だい にちのべ たまりゅう のべたから2ねん8がつ15にち1674ねん 80さい 武蔵むさし法輪寺ほうりんじ2だい

駿河するが妙善寺みょうぜんじ開山かいさん

14だい にちゆう あきらこころ 貞享ていきょう元年がんねん8がつ7にち1684ねん 76さい 武蔵むさし法輪寺ほうりんじ3だい

武蔵むさし蓮華寺れんげじ開山かいさん

15だい にちよう まどかしげる 正徳しょうとく2ねん5がつ24にち1712ねん 66さい
16だい にちせん 寛延かんえい3ねん4がつ18にち1750ねん 72さい
17だい にちけん せんりついん たかられき12ねん5がつ1にち1762ねん 73さい
18だい にちえい 感応かんおういん たかられき6ねん4がつ16にち1756ねん
19だい にち せん就院 天明てんめい6ねん6がつ9にち1786ねん 74さい
20だい にちまき けんゆういんりんあきら 安永やすなが8ねん8がつ10日とおか1779ねん
21だい 日守ひもり 智応ちおういん 安永やすなが4ねん9がつ23にち1775ねん 46さい
22だい にちすすむ 正雄まさおいんけんたかし 文化ぶんか元年がんねん6がつ16にち1804ねん
23だい にちぜん 彦就いん 寛政かんせい11ねん4がつ11にち1800ねん 41さい
24だい にちのぼり 文化ぶんか5ねん4がつ25にち()
25だい にち 文政ぶんせい10ねん9がつ1にち1827ねん
26だい 日豊にっぽう 文政ぶんせい10ねん5がつ16にち1827ねん
27だい にちりょう 文政ぶんせい6ねん7がつ27にち1823ねん
28だい 日東にっとう 天保てんぽう8ねん6がつ26にち1837ねん 81さい
29だい にちじょう よしみなが3ねん11月7にち(1850ねん 81さい
30だい にち よしみひさし3ねん11月1にち1850ねん
31だい にちちかい 天保てんぽう12ねん9がつ17にち(1841ねん) 56さい
32だい にちみず 文久ぶんきゅう元年がんねん5がつ10日とおか1861ねん 71さい
33だい にちしん 明治めいじ15ねん3がつ27にち(1882ねん 69さい じゅう須氏

駿河するが法華寺ほっけじ開山かいさん

34だい にちこころざし さとしつていん 明治めいじ15ねん7がつ25にち(1882ねん 50さい 玉野たまの
35だい にちかん 明治めいじ27ねん11月30にち(1894ねん 82さい 天野あまの
36だい にちたち はちすきょういん 明治めいじ37ねん3がつ6にち(1904ねん 81さい 榎田えのきだ

佐渡さど世尊せそんてら29だい

37だい にちちゅう かん正院しょういん 大正たいしょう5ねん3がつ14にち(1916ねん 92さい 保田やすだ

駿河するが久成くなりてら33だい

38だい にちけい ひがし堯院 明治めいじ29ねん9がつ28にち(1896ねん 78さい いずみ

駿河するが本国ほんごくてら20だい

39だい にちぜん ほろおういん 大正たいしょう9ねん1がつ25にち(1920ねん 71さい あしめい
40だい にちひとし なりいん 大正たいしょう7ねん3がつ20日はつか(1918ねん 71さい いずみ

駿河するが本国ほんごくてら21だい

41だい にちたち はちすきょういん 明治めいじ37ねん3がつ6にち(1904ねん 81さい 再任さいにん

佐渡さど世尊せそんてら29だい

42だい にちけい 明治めいじ29ねん9がつ28にち(1896ねん 78さい 再任さいにん
43だい にちあつし 堅持けんじいん 昭和しょうわ16ねん5がつ24にち(1941ねん 82さい 斉藤さいとう

佐渡さど世尊せそんてら30だい

駿河するが本光寺ほんこうじ32だい

44だい にちはり 扶桑ふそういん 大正たいしょう11ねん1がつ31にち(1922ねん 71さい 丹治たんじ

武蔵むさし蓮華寺れんげじ25だい

45だい にち 昭和しょうわ3ねん3がつ24にち(1928ねん 82さい 井出いで

駿河するが久成くなりてら34だい

46だい 日光にっこう 昭和しょうわ18ねん1がつ19にち(1943ねん 69さい 井上いのうえ

武蔵むさし蓮華寺れんげじ26だい 甲斐がい正法寺しょうほうじ24だい

47だい にちみき ただししんいん 平成へいせい9ねん5がつ26にち(1997ねん 98さい 片山かたやまずいえい
48だい にち きよしあかりいん 平成へいせい21ねん11月28にち(2009ねん 93さい 本間ほんま俊雄としお

佐渡さど世尊せそんてら32だい

49だい にちじゅう あさひえいじゅん

駿河するが久成くなりてら37だい

駿河するが久成くなりてらよりすすむやま げん貫首かんじゅ猊下げいか

境内けいだい[編集へんしゅう]

  • 日興にっこう上人しょうにんせいびょう
  • 日蓮にちれんだい聖人せいじん遙拝ようはいびょう
  • 本堂ほんどう
  • 開山かいさんどう
  • ほん垂迹すいじゃくどう
  • 仁王門におうもん
  • 鐘楼しゅろうどう
  • 二天にてんもん
  • ほうもん
  • やしなえせんぼうさびぼうにちはな開基かいき
  • はちすぎょうぼう
  • くだりいずみぼう
  • やしなえうんぼう
  • 西之にしのぼう
  • 東陽とうようぼう
  • 大乗だいじょうぼう

境内けいだいには、にちみこと上人しょうにん腰掛こしかけせきがある。日興にっこうじゅう須談しょ弟子でし育成いくせいつとめたが、まどそとちるをとられたみこと破門はもんした。破門はもんされたみことは、諸国しょこくめぐり36箇寺を建立こんりゅうしたとつたえられている。破門はもんされてもなお毎年まいとし、お会式えしきにはかなら参詣さんけいた。しかし本堂ほんどうはいることはゆるされないため、人知ひとしれずもんそといしこしかけ参詣さんけいしたという。

年間ねんかん行事ぎょうじ[編集へんしゅう]

ちょく末寺まつじいん[編集へんしゅう]

  • 須加すかさん本法ほんぽうてら行田ぎょうだ
  • いずみ光山こうやま蓮華寺れんげじ中野なかの
  • 萬年山はねやま法輪寺ほうりんじ新宿しんじゅく
  • はく東山ひがしやまはじめ川寺かわでら横浜よこはま
  • 弁財べんざいさんはちす妙寺みょうじ茅ヶ崎ちがさき
  • ほんおきさん常在寺じょうざいじ海老名えびな
  • たから松山まつやまほんぜんてら厚木あつぎ
  • じつ成山なりやま久成くなりてら御殿場ごてんば
  • ひかり照山てるやま妙典みょうでんてら御殿場ごてんば
  • 伊東いとうさん蓮正寺れんしょうじ伊東いとう
  • 妙法みょうほう華山かざん伊豆いず国分寺こくぶんじ三島みしま
  • 富蔵とみくらさん本能寺ほんのうじ沼津ぬまづ
  • 富士山ふじさんやしなえうんぼう富士宮ふじのみや
  • 富士山ふじやま西之にしのぼう富士宮ふじのみや
  • 富士山ふじさんやしなえせんぼう富士宮ふじのみや
  • 富士山ふじさんはちすぎょうぼう富士宮ふじのみや
  • 富士山ふじやま東陽とうようぼう富士宮ふじのみや
  • 富士山ふじやまゆきいずみぼう富士宮ふじのみや
  • 富士山ふじさん大乗だいじょうぼう富士宮ふじのみやきゅうたて正教会せいきょうかい
  • 大久おおくさん本妙寺ほんみょうじ富士宮ふじのみや
  • 玉樹たまきやませい林寺はやしじ富士宮ふじのみや
  • 富士山ふじやま東光寺とうこうじ富士宮ふじのみや
  • 妙見山みょうけんさん宗円寺そうえんじ富士宮ふじのみや
  • 蓮華山れんげやま本源ほんげんてら富士宮ふじのみや
  • 富士山ふじやま法華寺ほっけじ富士宮ふじのみや
  • だい鏡山かがみやま本光寺ほんこうじ富士宮ふじのみや
  • 成就じょうじゅさん本国ほんごくてら富士ふじ
  • 八王子はちおうじさん妙善寺みょうぜんじ富士ふじ
  • ひさし日山ひやま福泉寺ふくせんじ富士ふじ
  • 道場山どうじょうやま妙隆寺みょうりゅうじ静岡しずおか
  • ほう永山ながやま本照寺ほんしょうじ韮崎にらさき
  • 蓮華山れんげやま正法寺しょうほうじ山梨やまなしけん昭和しょうわまち
  • 中央ちゅうおうさん本妙寺ほんみょうじ山梨やまなしけん昭和しょうわまち
  • きょう栄山さかえやま本源ほんげんてらきたもり
  • れいほう久住山くじゅうさん世尊せそんてら佐渡さど
  • ほうきょうさん本光寺ほんこうじ佐渡さど
  • 多寶山たほうさんほんきょうてら佐渡さど
  • 法輪ほうりんさん本覚寺ほんかくじ和歌山わかやま
  • だいしるべさんあきら本寺ほんじ岡山おかやま

文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

重要じゅうよう文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • さだかんせいよう まきだいいち にちはちすひつ 2かん
  • 細字さいじ金字こんじ法華経ほけきょうあい)1かん

その[編集へんしゅう]

  • 五重塔ごじゅうのとうあと 明治めいじ42ねん修理しゅうりちゅう失火しっか焼失しょうしつした五重塔ごじゅうのとう礎石そせきのこる。
  • 山門やまかどあと

交通こうつうアクセス[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 日蓮宗にちれんしゅう寺院じいん大鑑たいかん編集へんしゅう委員いいんかい へん日蓮宗にちれんしゅう寺院じいん大鑑たいかん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]